オープニング

 賑やかに楽しげに、それぞれの旅の企画を練り、あるいはまた暇つぶしのおしゃべりに、待ち合わせに余念がないロストナンバー達が集う、トラベラーズカフェ。
 その一角で、リエ・フーは細めた瞳を煌めかせていた。
「ファミリーにヴァネッサってババ……おっと失敬、無茶振りが好きな太太がいんだろ?」
 くすりと笑った口元には年齢に不似合いな色気としたたかさが滲んでいる。誘われて同席したロストナンバーに、ヴァネッサの宝石集めを知っているか、と確認した上で、こう切り出した。
「エメラルドキャッスルに潜入して、これまで奪われた宝石を取り返さねえか?」
 研究のためとは聞こえがいいが、その実、異世界から集められた宝石が『エメラルド・キャッスル』にただただ飾られているだけなのは、報告書でも目にしている。
 それぞれの宝石にはかけられた想いがあり、依頼とはいえ持ち去るロストナンバーの願いもまたある。なのに、その想いや願いを全く無視したようなヴァネッサの振舞い、アリッサやロストナンバーを時にあしらい嘲笑い、次々と無茶難題をつきつけてくる姿勢は変わらない。
「泥棒に泥棒し返すのが正義だなんて屁理屈通らねえのはわかっちゃいるが、ロストナンバーを顎でこき使って、私欲で宝石奪って回ってんならいけすかねえ」
 リエの瞳がきらきら光る。
「それに……あの食えねえ太太が宝石にご執心の理由、知りてえだろ?」
「お兄さん中々面白そうなこと考えてるねー、良かったら一枚かませてよ」
 早速応じたのはアストゥルーゾ、リエの目の前でヴァネッサに姿を変えてみせる。特技は変身、すぐに元に戻ってみせ、盗みに関しては経験もあり、役に立てると前置きした後で、
「そ・れ・に、すかした顔のファミリーの人の、悔しがる顔見てみたーいし♪」
 楽しそうに付け加えた。
「このテーブル、なんだか妙に懐かしい匂いがするんだよね」
 リエとアストゥルーゾの前へやってきたのは、ニコル・メイブ。カップを片手に、そろいも揃って「キナ臭い」、と嬉しそうに笑って見せる。自分も暇だから、話に乗ってもいい、と続け、
「どこにでもいる花嫁だけど、少しは役に立ってみせるからさ」
 ほらまた一人、と見やった相手は、ジャック・ハートだ。
「おいおい、麗しのヴァネッサにコナかけようってのはテメェらかァ、ヒャヒャヒャヒャヒャ」
 テンション高い笑い声、ジャックはしなやかな動きでテーブルに体を寄せると、
「麗しの茨姫サマに会う機会は取りこぼしたくねェンだヨ、俺サマもヨ、ギャハハハハ」
「んじゃヴァネッサの方はまかせたぜ、色男サン?」
 リエがくつくつ笑いながら、立ち上がった。
「よろしくホットガイ」
 ニコルもジャックに応じる。
 かくして、『エメラルド・キャッスル』潜入計画がまとまった。
 だが、席のすぐ近くで、飾られていた観葉樹が微かに揺れる。
「んっ」
「何?」「どうしたの?」「早速妨害工作かよォ?」
 突然振り向いたリエに、残りの三人が視線を集める。
「いや」
 用心深いのは臆病じゃない。生き残るのに必要な習性だ。
「…だが、この計画はファミリー側に漏れてる可能性はあるよな」
 リエは腕を組み、猛々しい光を瞳に満たす。闇から獲物を狙う虎の殺気だ。
「まずくすればホワイトタワー送り、シメて行こうぜ」


 
 『エメラルド・キャッスル』の四つのドーム、なかでもこのドームは薄暗い。
 大きな窓は今、豪奢だが厚いカーテンで光を遮られ、部屋の中央にあるのは紺色のベッド。鈍い金色の天蓋から下がった白いレースに囲まれ、ヴァネッサは掌で『銀青瞳』を転がしながら、小さく口ずさむ。
「輪になって 
 薔薇になって輪になって
 ポケットは花束でいっぱい
 ハックション、ハックション
 みいんな 転がる」
 ふわり、と間近のレースが巻き上がり、掻き分けられた。それを振り返りもせずに、ヴァネッサは応じる。
「おかえりなさい、ノーボディ」
「古い歌でございますね」
 響いた柔らかな声にヴァネッサは顔を上げた。
「……光学迷彩だなんて、誰があなたにそんなものを教えたのかしら」
「姿無きことが幸せにございますれば」
 呟きが遠ざかる。失礼いたします、と断りが続き、カーテンがゆっくり開かれた。光が差し込むドーム内、それでも人影はヴァネッサの他にはない。
「朝なのね」
「お昼前でございます」
「面白い話はあった?」
「近々、お客様がおいでになる由、承って参りました」
「アリッサ? エヴァ?」
「いいえ」
「まあ」
 ヴァネッサは喜色を浮かべた。いそいそとベッドから滑り降りる。
「ノーボディ、懐かしい仕掛けを点検しておきなさい」
「……お客様方にはいささか荷が重すぎるかと」
「相手はロストナンバーよ?」
 くすくすと嬉しそうにヴァネッサは笑う。
「手加減など不要だわ」
 さあ目的は何かしら。宝石? 貴金属? それとも探検……詰問?
「ノーボディ、今度はあなたもちゃんと迎えるのよ………輪になって……薔薇になって輪になって……」
「ヴァネッサさま」
「ポケットは花束でいっぱい……ハックション、ハックション……なあに」
「幸い、今ならどなたもまだ、決定的に傷ついてはおられません」
「……それが?」
「今ならまだ」
「もう遅いわ」
 輪になって皆が転がるまで踊り続けるしかないの。
 くるりと振り返ったヴァネッサは『銀青瞳』を指差した。
「触れてみるがいい、あそこに一番初めの過ちがあるわ」
「……申し訳ございません」
 静かにカーテンが揺れ、気配が遠ざかる。
「おもてなしの準備をして参ります」
「……ノーボディ」
「はい」
「その前に、私にお茶を」
「かしこまりました」
 ドームの扉がゆっくり開く。しかし、そこには依然、どんな姿も見えない。
 ヴァネッサは静かに閉まる扉に、小さく呟いた。
「ベッシ-・ベルとメアリー・グレイ……二人の愛らしい乙女達……ベッシーはいつも待ちぼうけ…メアリーは……」
 カーテンを握りしめる。静かに緑の目を閉じる。
「……宝石でなくてもよかったのよ」
 低い声は、誰にも届かず、消え失せた。


=========
!注意!
企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。

この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。


<参加予定者>

=========

リエ・フー(cfrd1035)
アストゥルーゾ(crdm5420)
ニコル・メイブ(cpwz8944)
ジャック・ハート(cbzs7269)

=========

品目企画シナリオ 管理番号1713
クリエイター葛城 温子(wbvv5374)
クリエイターコメントお待たせいたしました。
ご依頼ありがとうございました。
宝石の場所は以前と変更されておらず、最新の『銀青瞳』はヴァネッサの掌中にあります。
ただし、『エメラルド・キャッスル』もスムーズには攻略できません。仕掛けが追加されている可能性があります。
『魔宮』と聞いて、どんな仕掛けを予想されるでしょう? 落とし穴? 降り落ちてくる刃? それとも警報、シャッター、ガスやレーザーの防御システム?(笑)。
頑張って下さいませ。

参加者
リエ・フー(cfrd1035)コンダクター 男 13歳 弓張月の用心棒
ニコル・メイブ(cpwz8944)ツーリスト 女 16歳 ただの花嫁(元賞金稼ぎ)
ジャック・ハート(cbzs7269)ツーリスト 男 24歳 ハートのジャック
アストゥルーゾ(crdm5420)ツーリスト その他 22歳 化かし屋

ノベル

 『エメラルド・キャッスル』は、相変わらず穏やかな空の下、静かにその姿を水面に映していた。
「俺サマはデートの誘いに来てンだ…先行くゼ」
 しばらく佇んだ4人の中から、ジャック・ハートがするりと抜け出る。しなやかな野生動物を思わせる動き、肩越しにちらりと背後の3人を見やって、薄い唇が小さく動く。
「彼女が最初に脱落する現ファミリーだろう。だから俺は…」
 珍しく生真面目な声音の意図を探る前に、ふ、とその体が空を駆けた。体の周囲を球体に包んで、ジャックのサイコバリャーが働いている。半径常時50m以内を透視しつつ、前回の依頼で謁見したドームへ向かって飛翔する。宮殿内の電気の流れをチェックし、監視カメラの有無、画像がどこへ送られているのかも調べつつ、作動に電気を使用している罠は電流を遮断していく。
「行こうぜ」
 見送ったリエ・フーは残り二人に合図した。ポケットに入れた手を抜きもしないで薄笑みを浮かべて先へ進む姿は、密林の中を擦り抜けていく虎のようだ。
「『胡蝶の石』にゃリーラの願いが詰まってる。粗末にされてんなら放っとけねえ。太太の真意も気になるがな」
 盗まれたものは盗み返す。それが泥棒の流儀で仁義。だが、それだけではなく、できればヴァネッサの宝石集めの意図も知りたいところだ。
「変幻自在のお城かぁ、たのしそ♪ 早くいこー♪」
 リエやジャックの戦闘モードからかけ離れた気軽さ陽気さで踏み出したのは、 アストゥルーゾだ。
 職業は「化かし屋」、依頼された人物のかわりを務める仕事だ。今の姿はごっさりと布を被った少女のように見えるが、それは鋼の堅さと絹の柔らかさを持ち、意思一つで様々な形に代わり縦横無尽に動き回るトラベルギアに包まれた姿、本当の姿は性別も、いや人間であったのかどうか、自分自身にもわからない。
「とりあえず僕の役目は露払いだよねー」
 鼻歌まじりに無造作に歩き出しながら、センサー類に対して体の一部を変化させて位置と範囲、攻撃装置が備わっているのかを確認している。
「意外に少ないなー、大半はジャックが始末しちゃってるみたいだしー」
 残念そうな表情は、両側に並ぶ樹木の陰を移動する熱量に向けられる。
「なあーんだ、早速お出迎えが来てるんじゃん」
 ちらりと背後を振り返ると、元賞金稼ぎで保安官助手だった花嫁衣装のニコル・メイブが、その卓越した視力で見えない相手の動きを捉えていた。視界を広く認識するようにし、危急に備え膝を緩め、嗅覚、聴覚、肌に感じる僅かな空気の流れに対する触覚にも気を配っている。
「女は一度弾いた石を手繰り寄せ、外を眺める…失って久しい誰かの目を気にしながら」
 静かな呟きは、樹木の陰から窺う相手の琴線に触れたようだ。ぎくりとしたあからさまな動揺が、空気を伝わってくる。リエが何かを問いたげに肩越しに見やって来るのに頷き、ニコルは薄笑みを浮かべて続けた。
「石も悪くはないけれど、私だったら花がいい」
「そうだね、ジャックみたいにねー!」
 アストゥルーゾが明るく『エメラルド・キャッスル』のドームに辿りつき、両手に豪華な薔薇の花束を抱えたまま、ふ、っと姿を消すジャックを指差した。
「リエ、後ろ!」
 警告とともにニコルが跳ねるようにその場から跳躍する。同時に全く何も気にせず歩いているように見えたリエが面倒くさそうに体を反らせる、その頬近くをあわやで通り過ぎた何かが、日の光を跳ねながら通り過ぎる。
「僕、ちょっと遊んでくる!」
 アストゥルーゾが楽しげに叫んで、いそいそとその樹木の陰に駆け寄っていく。
「お節介焼きのミスターがいるようね? うまく見えない。何かしかけがあるようだけど」
「仕掛けてくるのが早いじゃねえか」
 ニコルの声にリエは応じた。アストゥルーゾが駆け寄る場所から靄のような何かが急速に離脱しようとする。側の樹木が大きく揺らされ、しなってざわめく。
「動きが漏れたとすれば多分最初からだ。あの観葉植物……『誰も』触れて『いない』のに揺れた。0世界だもの見えない奴だってきっと居る……リエ!」
 ニコルの声に振り向く。穏やかだった庭園が一変していた。激しく水が落ちる音がしたと思ったら、ごろごろ、ごろごろ、と地鳴りのような不気味な音が続く。いつの間にか水路に石の通路が浮かび上がり、庭園を横切るように、リエの二倍はある直径の石の球が右から左から転がってくる。
「は…っ」
 一瞬目を見開いたリエは次の瞬間爆笑した。
「こいつはいいや、たいした魔宮だぜ、なあおい?」
 両手をようやくポケットから出し、楊貴妃を空へと放った。視界を共有してみると、転がる石は『エメラルド・キャッスル』の土台近くまで7列、1列には一個の石しかないが、列と列の間は人一人立てるかどうかという幅しかなく、しかも通路を通っていくとするとスムーズに通り抜けられるタイミングはないに等しい。
「庭の向こうに傾斜があるな…途中にも何カ所か傾斜があって、速度を少しずつ上げられるようになってるぜ」
「始めの石が通過して次の石が抜けるまでには2〜3秒、石と同時に横移動しても水路に突っ込めば動きが鈍る。水路に飛び込む前に前へ抜けても次の石が速度を上げながら来るね」
 ニコルが鋭く動きを読んだ。
「だが、こうしている間にもどんどん速度は上がってくる。後ろで遊んでるアストゥルーゾは鳥にでも変身して飛び越えられるが、オレ達はそうも行かねえな?」
 にっ、とニコルが笑みを返し、
「先に行く!」
 言うや否や、通路に一瞬できた隙間に飛び込んだ。大鷲の目をもってしても、擦り抜けられるタイミングと踏み込む場所を読み解くのは困難、だがリエなら自分の動きをそのまま呑み込んでやれるだろう。
「っ、に、……っ、右っ……っ!」
 前へ飛び出しかけた瞬間、視界の端を影が過った。とっさに身を引き、前へのステップを右へ振る。取り出した拳銃は撃つためではない。射撃能力を補うために習得した拳銃格闘術、遠心力を利用した体捌きを石を避けるために使う。翻った花嫁衣装が巻き込まれかけてひやりとしたが、両手で体を包み、あえて遠心力を殺して一瞬静止、次の瞬間、地面を蹴って何とか石の進路から抜け出した。
「リエ!」
 振り返ってニコルは息を呑む。
 左右から重なり合って押しつぶされそうな空間に、通り抜けられる隙は一瞬しかない、逃せば押し潰されるしかないのに、迫る石が肌に触れそうになっていても、リエの微笑は消えない。服を擦った音が聞こえただろう、目の前の石はまだ通路を開けてくれない。リエが片腕を差し上げてできた数センチの空間、その数センチが作り出すコンマ数秒の世界が消え失せる直前、リエは吸い込まれるように前へ進む。顔の鼻先数ミリで石が転がり抜ける。
「マジック…ね」
 ニコルだから見極めることができた非凡な動き、傍目にはリエが特別な呪文を身に纏って石の中を擦り抜けたと感じられたはずだ。汗一つかかずに抜け出たリエに、ニコルはもう一度驚く。
 相手は目を閉じていたのだ。
「なまじ見えるからやりづれえんだ」
 ゆっくり見開かれた黄金の瞳は猛々しく嗤う。

 薔薇の花束を抱えたまま、ジャックはドームの中に実体化した。血の汚れも拭き清められ、薄物も新たに吊り直され、訪問した時の乱れた様子はない。
「ヴァネッサ?」
 部屋の中に人気はなかった。深い紺色の寝椅子を越えると、窓が細く開いていた。押し開け、外を覗く。彼方に広がるように見える景色があった。
 ここで彼女が長く生き過ぎたと言った。自分の愚かさが見えると言った。
 能力のない人間は植物や無視に貪り食われるしかない世界、限られた生存場所、残された食料プラントを巡り戦い続けるジャックの世界に比べれば、平穏で幸福な世界なのだろう。生きることが最大の望みであった自分の世界と、生きることだけでは生きられないこの世界は違い過ぎる。
 身を翻して『エメラルド・キャッスル』全景を透視する。
 電気系の仕掛けや罠はまだ復活していない。予備電力がないのか、システムがないのか、それとも復活させるつもりがないのか。
 庭園ではなかなか凄いことになっている。アストゥルーゾが誰かとやり合っている。接近戦に持ち込もうとしているようだ。布が大きく揺れながら、相手を包み込み引きずり倒すのが見える。
 リエとニコルは庭園を横切る球体の石に遮られていたが、何とか抜けたようだ。素早く『エメラルド・キャッスル』に土台に走り上がってくるが、電気系が生きていれば、重量を感知したシステムが、土台を一気に鋭い針で埋め尽くしたことだろう。押し開けて入ってくる扉も、同じく開けた瞬間に降り落ちてきていた数枚の刃が、リエはニコルかどちらかの髪の毛一筋ぐらいは散らせただろう。
 二階はそういった罠がない。たくさんある部屋のほとんどは、コレクションで満たされ飾り立てられている。いつぞやの報告書であった、二階から下へ続く階段、あれが唯一地下へ向かう通路のようだ。うねうねと続いた階段と、ロストナンバーに集めさせた宝石が並べられている。
 地下まで届いた階段は一番底の部屋に至って、四方へと階段になって広がっている。入り組み複雑に絡み合った階段と通路はよく見れば道が一つも外へ繋がっていない。ならば入ってきた道から出られるのかというと、あの下へ降りる階段は一度入り込むと、扉が閉まり、内側から開けられなくなるようだ。
「アイツらはじゃア、どっから出やがったんだヨ?」
 あいつらとは招待状を届けに来た連中のことだ。最後の小部屋から『一直線』に出られたはずではなかったのか。ドームから降りている通路があるのかと見ていくと、確かにある。その一本はジャックが今居る場所ではないドームへ繋がっているようだ。そこから長い細い階段を下りていき、辿り着いた先は。
「オイオイ」
 二階の小部屋の一つに続いている。その部屋の真下近くからまっすぐに地下へ降りている空間があった。最後の部屋近くまで降りている、細長い空間だ。なるほど、それなら『一直線』だよな、とジャックは納得した。だが、それを今動かすわけにもいかない。他のどんな罠が目を覚ますかわからない。
「ちょっとばかし、遊ンでてもらうゼ、ヒャハハハ」
 げらげら笑いつつ、おおよその構造をトラベラーズノートで知らせた。これで、時間はかかるがあっちの目的も果たせるだろう。
 連絡を終えて目を上げる。視界の彼方に、ヴァネッサが居るのが見えた。アリッサが迎えられる部屋ではない。天蓋つきの豪奢な紺色のベッド、いつもと違う真っ白なドレスを来たヴァネッサが腰を降ろして『銀青瞳』を掌で転がしている。4つのドームを繋ぐ廊下を歩くのがまだるっこしくて、転移した。
「輪になって 
 薔薇になって輪になって」
 ヴァネッサは虚ろな静かな声で歌っている。
「ヴァネッサ」
 突然の呼びかけに相手は驚かなかった。ゆったりと上げた緑の瞳、まるで自分の瞳を一瞬覗き込んだような奇妙な感覚に、ジャックは口を噤む。そのためらいを吹き飛ばすようにずかずかと進んで、
「待っててもなかなか出てきれくれねェから出向いたゼ? この城が全部魔力で動いてンならまだしも、電気仕掛けじゃ丸見えなンだヨ」
 ヴァネッサは『銀青瞳』をビロードのクッションに置いて立ち上がった。ジャックがいないかのように、差し出された薔薇の花束の前を通り過ぎようとする。
「ここで待ってりゃ会えると思ったンだが…ヤツラとの遊びを優先するかァ? つれねェなァ、麗しの茨姫はヨ」
 ぴたりとヴァネッサはジャックの前で立ち止まった。
 振り返った瞳は相変わらず表情がない。瞬きをしながら口元に扇を広げる。次の瞬間、鋭く空気を切る音がして、花弁を散らされた薔薇が撒き散らされる。
「っ」
 『ヘヴンリー・テンプテーション』の鞭に切り裂かれたジャックの胸元、薔薇の花びらを浴びた間からとろりと温かな血が零れ落ちて伝う。それを眺めたヴァネッサは、再び身を翻して離れていこうとする。
 ジャックは怯まない。強く踏み込んで、ヴァネッサを抱き締めた。
 甘い香り、腕に柔らかくしなる体、思ったよりもうんとぴったり、この腕におさまってくれる、だが突然激しい勢いでベッドに飛ばされ、激痛に呻いた。
「ク…っあっ」
 視界が一瞬暗転するほどの痛み、さすがに無礼だとはね飛ばされたか、そう思って目を開けて息を呑む。
 両腕がない。
 ばさりと肩口から切り飛ばされている。すぐに再生はしてくれるはず、だが痛みは強烈だ。早くなる呼吸に喘ぎながら、ヴァネッサを探すと、転がった腕を振り向きもせずに、ゆっくり近づいてきて覗き込んだ。
 扇はない。細くしなる鞭が一本、今にもまた振り上げられそうな気配で細い指に支えられている。
「ジャック・ハート?」
 甘い声だ、そう聞こえる頭はおかしくなっているのかもしれない。ジャックは苦笑しながら口を開いた。
「退屈を悪戯で紛らわすアンタは優しくて可愛い女だ、ヴァネッサ。だから俺はアンタを楽しませたかった……間違えたのか、俺は?」
 ぎしり、とベッドにヴァネッサがのしかかる。白いドレスには紅の飛沫が鮮やかな絵画のように散っている。瞬く緑の瞳との対比が信じられないほど美しい。
「苦しい? 熱い息ね」
 ヴァネッサが鞭を持った指を伸ばした。忙しい呼吸を繰り返すジャックの唇に、そっと触れてくる。その指を追ってジャックは相手の小指をそっと噛んだ。
「アンタだって熱いンだヨ、ヴァネッサ」
 ぴくり、とヴァネッサの指が震えた。ジャックの唇を見下ろす瞳が少し潤む。
「一緒に行こうゼ、外に…アンタの望み、増やそうゼ?」
 ジャックは口説いた。
「………ラウドもそう言ったわ」
 ややあって、ヴァネッサは小さく呟き、身を引いた。鞭が扇に戻っている。ベッドに倒れたまま、苦痛に耐えるジャックに、
「私ごときにそんな約束をする必要はないの」
 あなたの世界へお戻りなさい。
 くるりと背中を向けたヴァネッサがよく響く声で命じる。
「ノーボディ、お客様がお帰りになるわ」


「ねえねえねえねえ!」
 樹木を挟んで駆けながら、アストゥルーゾは問いかける。
「いつからここにいるの?」
 間近の樹木が吹き飛ばされる。千切れ飛ぶ枝にひょいと身を竦めながら、
「どうしてここにいるの?」
 折れた枝をはね飛ばすと、ばきり、と少し先で砕かれた。その直線上から身を翻す。背後の石が弾け飛ぶ。
「名前は何?」
「ヴァネッサさんとどういう関係?」
「幾つ?」
「性別は?」
「今こんなことやってるけど、楽しい?」
 ぎり、となぜか歯噛みする音が響いた気がした。
 なるほどちょっと不本意なんだー。
「ヴァネッサさんて意地悪で嫌な人だよねー」
「あんな人に仕えてるなんて大変だよねー」
 立て続けにことばを浴びせ、少しずつ間合いを計って攻撃パターンを読む。
「あ…」
 ふいに相手が小さく声を上げた。呼ばれたように『エメラルド・キャッスル』の方を振り仰いだ、そう感じた瞬間、一気に距離を詰め、手の甲を変化させた刃を袖に仕込んだ刃に見せつつ、
「ところで二人きりのときは何てよんでるの? 好みのタイプは?」
「く、そっ!」
 初めて激しい怒りが応じた。手の刃にぶつかった衝撃、咄嗟に両手を金属の触手に変えて相手を締め上げる。
「ぐあっ」
「ああ、これかあ、光学迷彩」
 体に沿う衣服に奇妙な装置がついているのが唐突に見えた。それを掴んで一気に引くと、まるで透明な皮を剥ぐように人間が現れる。青い瞳、茶色の髪、色白の顔が驚きに目を見張ってアストゥルーゾを凝視した。年の頃は30前後、構えていたものは服に細いコードで繋がれていた銃、だがそれもアストゥルーゾに放り捨てられてしまう。
「ヴァネッサに手を出すな! あの人をもう傷つけないでくれ!」
「はいはいはいはい、傷つけないってー」
 アストゥルーゾは相手の口調、動き、対応を読み込んでいく。
「ちなみにあなたの名前は?」
「……『ノーボディ』」
「ノーボディ? いないも同じってこと?」
「く、」
「ああじゃあわかった、『ノーボディ』。この後は僕が『ノーボディ』をやるよ」
「っ!」
 目の前でまず自分そっくりに変身したアストゥルーゾに『ノーボディ』が凍りつく。触手を解かれ、自由になった瞬間、転がった銃に手を伸ばして振り返るが、そこにはもう誰もいない。いや、
「僕なら光学迷彩なんて簡単さー」
 明るい笑い声が響く方向へ『ノーボディ』は銃を撃ったが、アストゥルーゾは既に鳥になって遥か高空へ舞い上がっていった。


「そういう構造か」
 トラベラーズノートで知らされてきた『エメラルド・キャッスル』の構造に、リエは唸る。二階の部屋はほぼチェックした。下へ降りる階段も見つけ、今はうねうねと続く通路を辿っていっている。
「『ブラッド・オブ・ジャスティス』…」
「見事だな」
 もちろん、何もかもひっさらってもいいのだ、ジャックが脱出経路を見いだしてくれているのだから。そして、アストゥルーゾからの連絡で、『ノーボディ』に変身することが可能となったこと、今は鳥になってドームに向かい、ヴァネッサの近くへ辿りつくことが知らされている。二人に相手を任せて、心行くまで貴重な思いのものを取り返していい。
「『銀青瞳』ってあったよね」
 ここにはないようだし、ヴァネッサが持っているのかも知れないけど。
 ニコルはじっと『ブラッド・オブ・ジャスティス』を見つめる。
「銀の、聖堂。神殿みたいなもの? 壱番世界の宗教? なら青い石にもあるのかな。赤い石と似たような残酷な御伽噺」
 ぴくり、とリエが片眉を上げた。
「あれって世界規模の痛み(滅亡)でも引き受けられるのかな。例えばロストナンバーが総出で――」
 ニコルが口を噤む。脳裏によぎっているのは、挙げるはずだった結婚式。いつかきっと、続きを。唇を引き締め、軽く首を振る。
「やめた、柄じゃないや、今の忘れて」
「ああ、忘れてやる」
 リエは顔を背けて階段を下りる。ニコルの言いたいことは察しがつく。元の世界もまた滅びに向かうとしたら、それを防げる手立てが何も残されていないとしたら、何が何でも戻りたい守りたい世界を守るのに、誰が手段を選ぶだろう。
「……『胡蝶の石』」
 壁の窪みに置かれたそれに、リエはそっと手を伸ばした。黄金の羽根とファイヤー・オパール、周囲に警戒するニコルを背中に、宝石はあっさりとリエの掌におさまる。
「警告一つ鳴らねえ」
「ホットガイが仕事をしてんでしょ」
「あれほど執着しやがったのに……納得できねえ」
 リエは『胡蝶の石』を懐に収める。なおも通路を進んでいくと、報告書にあった通り、名前だけの空隙が続く。
「後三つは集めるつもりがあるってこと?」
 リエは『銀青瞳』の凹みを振り返る。
「銀聖堂ってな英国にあったクリスタルパレスの事じゃねえか?」
 眉を寄せた。
「どうにも解せねえ。太太は何を考えてる?」
 旅団と内通してんのか? 『銀青瞳』の持ち主と知り合いか?
「ひょっとして……ファミリーの誰か、たとえばロバート卿のお袋が旅団に寝返ってたりしてな」
「直接聞くしか、ないかもね」
「……『銀青瞳』を拝みに行くか」
 木組みの小部屋に辿り着き、それぞれに四方八方に伸びる階段を数段上がった場所を丁寧に探ると、確かにそれらしき継ぎ目がある。
「ジャックに連絡だな」
 電気系の回路を回復させろ。
 トラベラーズノートで連絡を取る。
「……遅いな」
「……トラブル?」
「あいつをどうにかできる相手なんて…」
 苦笑しかけてリエは瞳を光らせる。
「太太?」「ヴァネッサ?」
 二人が顔を見合わせたとたん、ヴィン、と周囲に振動が走った。薄暗い壁に、それと知らなくてはわからないほどの小さな凹みがあり、仄かな光がある。
 リエがその部分を押し込むと、ぱかりと平らな壁が割れた。それは金属の箱だった。壱番世界で高層建築には必ずある、エレベーターと呼ばれる箱。二人が乗り込むとばしゃりと扉が閉まり、押さえつけるような負荷がかかる。すぐに止まって開いた扉の外は真っ暗だ。
 ニコルが滑り出た。
「この匂いって覚えがあるな。うん、これは古い衣装棚の匂いだ」
 続いて降りたリエが、正面に触れた木の壁をそっと外へ押し開ける。見覚えがあった。トルコ石や瑪瑙を様々な衣装とともに飾った部屋の衣装箪笥の扉を内側から開けている。
「階段は…そこか」
 扉を開くと光が差し込み、エレベーターの隣に狭い階段があるのが見えた。再び扉を閉めて上がり出す。やがて、頭上に丸い光の輪が見え出し、体を抜き出してみると、そこは語られたことのないドームだった。ただ白く丸い空間、正面に赤い絨毯が扉に向かって敷かれている。
 緊張を解かないまま、リエは懐の『胡蝶の石』をそっと押さえた。手に入れたは入れたが、出る時に持ち去られてはお話にならない。ニコルも周囲に目を配りながら、いつでも攻撃に対応できるように拳銃を握っている。
 扉は何と言うこともなく開いた。物音のほとんどしない静かな場所、だが、扉を出た瞬間、二人は空気中に漂う臭いに気づく。
「血だ」「誰の?」
 ヴァネッサではないだろう、お互いにそう思った。緊張を高めて、臭いが濃厚になる場所へ一歩一歩近寄っていく。ドームの一室、そこに人の気配がある。近づこうとした矢先、何かが扉の前に立った。
「ヴァネッサさま、お呼びでしょうか」
 透明な何かが室内へ呼びかけて、ニコルはリエに目配せした。
 見えない相手がこいつか。中にはヴァネッサが居るらしい。こいつも無事で、ヴァネッサも無事、それならこの血の臭いは残った一人の者になる。ニコルが拳銃を構え直す。今なら扉のこちらで一人、向こうで一人、分散して片付けられる。だが、
「誰なの?」
 静かな誰何とともに、扉の前に居た人物が動きを止めた。
「まあいいわ、入りなさい」
「ま、人の付き合いって侮れないからばれるとは思ってたけどね…」
 響いた声にリエはにやりとする。
「アストゥルーゾ…」
 ニコルも微笑む。
「でも分かんないなー、宝石なんていくらでも手に入るだけの地位はあるでしょうに、いや、それじゃあないか、貴方頭よさそうだもん、どんなものかは知ってたはずっ。それに人間長生きすれば欲なんて落ちていくしね、ともすれば重要なのは見た目じゃなくて本質、かな? それは自分の手元においておきたいほどー…怖いもの、とか? ……って、ジャック!」
 頓狂な叫びが上がって、ニコルが急いで立ち上がった。リエも続いて踏み込み、ベッドの上に両腕を切られて倒れているジャックと、その隣で優雅に腰を降ろしている血染めのヴァネッサに目を見開く。
「……あんた、死にたがりか」
 放り出されている『銀青瞳』に気づいたニコルが、用心深く側に近寄るのを横目に、リエはことばを継いだ。
「ここはあんたの霊廟か」
 ヴァネッサはリエを見ない。まるで愛おしい男を眺めるように、ジャックに視線を据えている。その視線が『銀青瞳』に向かないように、形見の勾玉を示した。
「これはお袋の形見だ。無銘の安物だが、屑石と宝石の違いは輝きで決まるんじゃねえ……宝石ってな人の心を反射する鏡だ。あんたの心が倦怠にくすんでちゃ、どんな宝石だって濁って見えて当たり前さ」
「……『胡蝶の石』を持ち去るのね」
「……これはリーラのもんだ」
「私のものだった、と言ったら?」
 リエはゆっくりとこちらを向いたヴァネッサに問いかけた。
「あんたが宝石を集める理由はなんだ」
「リエ…これ誰だろう」
 ニコルの声に振り向き、リエはその掌の『銀青瞳』を受け取った。とたんに視界一面に幻のようなものが広がり驚く。

 男の笑顔だ。褐色の肌。黒い瞳。年の頃は30〜40歳。
 『胡蝶の石』を持っている。声が響く。『胡蝶の石』を手渡しながら。「あんたを飾りたかった」「なぜ?」ヴァネッサの声だ。「十分美しいはずよ」「本音を言おう。所有欲だ」「え」「あんたは俺のものだと宣言したい」「ばかばかしい。永遠の命に付き合う男なんていないわ」「俺はどこにも帰属しない。ずっとあんたの命を受けよう、我が王妃よ」「……」

「な…んだ? ロストナンバーか…?」
 リエの何かが呼応したのか、『銀青瞳』が熱を帯びる。

 男は笑っている。優しく朗らかに。「あんたへの誓いを刻む石だ」『銀青瞳』に二人の思いを刻む。それを持って依頼へ出向く。「でも」「あんたの孤独を癒そう…依頼で出向くたびに宝石を置いてくる」壱番世界の荒くれた様相の街。美しい女神像のある海辺の遺跡。竜のようにうねる岩と輝く竜刻。
 最後の依頼はヴォロスだった。目的はロストナンバーの保護。だが、彼は転移の衝撃で狂い、周囲に戦乱を引き起こしていた。「俺はここに帰属する」「私はどうなるの?」「同じロストナンバーが、犯した罪だ、放置できない」「なぜあなたが?」「……俺のひいひいじいさんは医者だった。ペストの街に最後まで残った。俺はその血を汚したくない」「でも私は」「愛してるよ、ヴァネッサ」ナレッジ・キューブと自らの血で作った結界。全てが消え去るまで。偉大な方の名前を借りよう。

「待て……よ」
 一気に注ぎ込まれる情報にリエの視界が眩む。

 男は旅立つ直前にモフトピアに石を放つ。二人の記憶を残すのは、モフトピアがいいだろう。柔らかな世界で幸福を夢見てもよかっただろうけれど。

「じゃあ、この宝石達は…いや、『胡蝶の石』はなぜ、インヤンガイにあった?」
 掠れた声でリエは問う。
「私が」
 ふいに、部屋の扉の外から声がした。
 青白い顔の男が項垂れている。ノーボディと呼ばれていた男だとアストゥルーゾが教えてくれた。
「私が奪いました、そして」
「そして、失ってしまったのよ、全て」
 ヴァネッサが静かに立ち上がる。リエの手から『銀青瞳』を取り上げ、元の場所に戻した。
「永遠を手に入れて、私は全てを失った、それだけのこと」
 緑の貴婦人は片隅の転がっていたジャックの両腕を、赤子のように包み抱いて振り返った。
「『胡蝶の石』の代価として頂くわ」
 紅の唇を硬直した指先に触れる。
「ノーボディ、お客様はお帰りになるわ。お見送りを」
 血に濡れた唇が命じる。
 その横顔は、ひどく穏やかだった。

クリエイターコメントこの度はご依頼ありがとうございました。
大変遅くなり、誠に申し訳ありません。
文字数を2000ほどオーバーしました。泣く泣く削りまくりました。舌足らずになってしまった部分が一杯ありました、情けない(涙)。

改めて宝石シリーズを見直し、考えを詰めたところがありました。
皆様のプレイングに助けて頂いたと言っても過言ではありません。心より感謝いたします。
よって、残り三つ、宝石シリーズを予定することができました。ありがとうございます。
ちなみに、OPや文中でヴァネッサが歌っているのは、マザーグースの一つで、ペストに関わるものです。


そして。
またのご縁がありますことを願っております。
公開日時2012-03-30(金) 22:40

 

このライターへメールを送る

 

ページトップへ

螺旋特急ロストレイル

ユーザーログイン

これまでのあらすじ

初めての方はこちらから

ゲームマニュアル