オープニング

「明月姫はまもなく参ります」
「ああ、急ぐには及ばないと伝えておくれ」
 インヤンガイの遊郭、『闇芝居』の一室で、クオ・バイルンは茶娘に笑み返した。
「今夜はついでに寄っただけだ。もう数日すれば、一緒に暮らせる。それでも毎日顔を見たい、情けない男の我が儘だよ」
「ありがとうございます。明月姫も毎日大尽をお待ちでございます」
 『闇芝居』では客を大尽と呼ぶ。だが、クオ・バイルンは真実金持ちだ。『闇芝居』に二十日間遊女を揚げ続けても、彼が他のあれこれで一日に遣う金額の十分の一にもならないと噂されている。
「ところで……明月姫に変わりはないかね」
 差し出された杯を受け取り、クオは注がれた酒を静かに含む。暗い青の瞳が容赦ない色に満ちるのに、茶娘は怯えながら頷いた。
「護衛の方々が守って下さるおかげで、少しは食も戻りました。けれど」
 まだ夜はよくお休みになれないようです。
「そうか…」
 クオは険しく眉を寄せる。
 明月姫は『闇芝居』で人気が出始めた頃から、暴霊に悩まされるようになった。得意の水琴を鳴らせば、その水鏡に浮かび、客とともに酒肴を楽しめば、その酒に映り、無論身支度をする鏡の中にも、その姿は現れる。明月姫だけではなく、侍っている客に明らかに見える、溶け爛れた女の姿のせいで、一時期は彼女を望む客も減った。
 だがクオは違った。幻に屈するような想いではない、そう言い放って、繰り返し明月姫を侍らせ、ついには身請けを持ち出したのだが、暴霊は今度は直接彼女に害を為すようになった。
 窓に立てば突き落とされかける。階段では引きずり落とされかける。風呂場では溺れさせられかけ、外出すれば予想もしていないものが落ちて来る。
 クオは護衛を二名雇った。式神を操る女性、ラオン・スウと、ことばで暴霊を縛る男性、ジャグド・レンラ。ラオンとジャグドは明月姫に常に寄り添い守り続け、何とか今のところは暴霊を退けてはいるが、消し去ったわけではない。
「……身請けまで後数日」
 クオは唇の上の黒い髭をゆっくり捻った。
「このままでは落ち着かぬな」
 探偵を呼ぶか。
「ラオ・シャンロンに繋いでくれ」
「まもなく」
 茶娘は深く頭を下げた。


「……というような話です」
 鳴海はようやく『導きの書』から顔を上げた。
「なるほど、暴霊退治というわけね」
 ベールを軽く払ってニコル・メイブが頷く。
「薄幸の娘がようやく幸せになれるのを邪魔する暴霊。叩きがいがあるわね」
 にやりと不敵に笑う瞳は猛々しい。
「……どうやら、それだけじゃなさそうだぜ?」
 リエ・フーが困惑顔の鳴海に気づいて、フライトジャケットに埋めていた顎を逸反らせ、しゃくる。
「何悩んでるんだ、おっさん?」
「あ、いえ…それが」
 鳴海は首を傾げつつ、『導きの書』を何度も読み返している。
「ラオ・シャンロンから来た依頼は、確かに暴霊退治です。ラオンとジャグドに力を貸して、暴霊を片付け、明月姫をきちんとクオの元へやってほしい、と。でも、妙な予言が出てるんですよね…」
「妙な予言?」
 設楽 一意が左手首の黒い数珠に触れ、静かに目を上げた。耳の複数のピアスが光を跳ねる。
「何が出てるんだ?」
「えーと…『暴霊を退治すれば遊女の身に、不幸な事が起こる』と」
 色白、漆黒の髪を腰まで伸ばした華月が、ほっそりとした首を傾げた。
「どういうことかしら」
「身請けを持ちかけられた女につきまとう不幸、ね。何があるのか知らないけど、気に入らないな」
 ニコルが冷たく吐き捨てた。
「そのハナシ乗った。……あーところでさ。ユウジョってのはサルーンガールみたいなもの?」
「金持ちが遊女の身請けなんて話は山ほどあるだろうが…。『暴霊を退治すれば遊女の身に、不幸な事が起こる」』ねぇ…。そこがちょっと気になるな…」
 俺も参加させてくれないか、と一意が頷く。
「その暴霊ってなあ身請けされる遊女の縁者なんじゃねーか? 何か伝えてえことがあって出てきてるとしたら……」
 リエは考え込んだ口調になったが、すぐに肩を竦める。
「……憶測はやめとくか。すべては現場に行ってからだ」
 てなわけで、俺も一枚噛ませてくれ。
「……この依頼に参加してくれるの? 良かった。1人は心もとなかったの」
 始めから依頼を受けるつもりだった華月がほっとした顔になって、周囲を見回す。ニコルの問いに辞書を調べ、
「ええっと、そうね……。遊女というのは、サルーンガールみたいなものだと思っていいと思うわ」
「サルーンガール、ねえ」
 リエがくすぐったそうな顔で苦笑した。
「苦海ってのが不似合いなことばだな」
 いずれにせよ、明月姫にとってはようやく苦境から逃れられるこの機会、何とか幸福を掴ませてやりたい。
「私には、まだこの予言が何を差し示しているのかは、わからないけれど、そうね……。まずは現地へ行って、自分達の眼と足で何が起こっているのか確認した方がいいみたい」
 考えながら華月が差し出した手に、鳴海はチケットを4枚載せて頭を下げた。
「では、よろしくお願いいたします」


 『闇芝居』の明月姫の自室。
 白金の髪、淡い水色の瞳、母親譲りの珍しい容姿ゆえに売られた彼女は今、鏡の中を覗き込む。
 背後に立つ溶け爛れた顔の女を認めて、彼女は涙を零して問いかける。
「どうして…? 私がそこまで憎いの…?」
 女は白金の髪を振り乱し、潰れかけた淡色の瞳を明月姫の真横に覗かせ、次の一瞬かき消える。
「私は幸せになっちゃいけないの…? ねえ…黙って消えないで、応えてよ」
「明月姫?」
 引き戸の向こうからラオンの声がした。
「大丈夫?」
「だ、だいじょうぶ」
 明月姫は声を励まして、必死に笑った。
「心配させてごめんなさい」
 クオさまがお待ちよね、すぐ参ります。
 白い指先で押さえた頬を、流し損ねた涙が伝わり落ちた。


<参加予定者>

華月(cade5246)
ニコル・メイブ(cpwz8944)
設楽 一意(czny4583)
リエ・フー(cfrd1035)

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品目企画シナリオ 管理番号2120
クリエイター葛城 温子(wbvv5374)
クリエイターコメントこの度はご依頼ありがとうございます。
インヤンガイより依頼された暴霊退治、しかし裏に何やらありそうな気配です。
遊郭の名前に気づかれたなら、有用な情報源も思いつかれましょう。月陰花園の一角とだけ申し上げておきます。
クオは派手な遊びをする男のようですので、あちらこちらで知られた名前でもあるでしょう。上記の情報源がなくとも、情報は集められることでしょう。
薄幸の明月姫が、夜闇に震えつつお待ちいたしております。


お時間、長めに頂いております。
よろしくご了承下さいませ。

参加者
設楽 一意(czny4583)ツーリスト 男 25歳 オカルト関連のなんでも屋
華月(cade5246)ツーリスト 女 16歳 土御門の華
リエ・フー(cfrd1035)コンダクター 男 13歳 弓張月の用心棒
ニコル・メイブ(cpwz8944)ツーリスト 女 16歳 ただの花嫁(元賞金稼ぎ)

ノベル

『暴霊を退治すれば遊女の身に、不幸な事が起こる』
「身請けされて、必ず幸せになれるとは限らないだろうよ。どんな金持ちだろうとその人間次第だ」
 設楽 一意はゆったりと気崩したスーツ姿で淡々と呟く。穏やかそうな見かけによらず、クールな物言いの裏にはより冷めた思考が動いている。
 そもそも『不幸』とは何なのか。司書の予言では『不幸な事が起こる』とされているが、それがどのようなものなのかは明かされていない。
「それは誰にとっての不幸、だ?」
 予言では遊女の身に、とはなっているが、遊女にとってだけの不幸なのか、それとも身請けするクオ自身を巻き込んでのことなのか。
「クオってやつならほっておいてもいいんだがなぁ…どうせ碌な事はしてきてねぇだろうし」
 闇のモノに同情する気はさらさらないが、それらが標的とする人間にもそれ相応の何かがあるのだろうとは思っている。
 とりあえずは、と放った式神は白いウサギとネズミの姿をしていた。それぞれ額にあたる部分に赤字で描かれた札が貼られている。クオの周辺を探り、動きを見張るための式神、闇に紛れて消えていくそれらを見送る一意の指には細い煙草があった。漂う香りはメンソールだ。
「遊郭の名前にしては変わってるな…『闇芝居』……あぁゆうのはこぞって華々しい名前をつけると思ってたんだが…」
 付け加えたように静かに細めた目で呟いたことばが、真実に近づいていたとは誰も想像しなかっただろう。
「『闇』芝居の明月姫。闇に浮かぶ月はさぞ綺麗だろうな。……『闇』にとっては眩しいだけかもしれないが」

 同じ頃、リエは月陰花園の中をよく知った道筋を辿って、いつか月麗祭で賑やかに絵札を配っていた男衆達と接触していた。小さな酒場の中で集まっていた男達は『弓張月』の一件を持ち出すと、すぐに話に乗ってきた。
「ああ、あの時のことを知ってるのか」
「ちょっとワケありだ」
 片目をつぶると、それだけで話は弾んだ。
「クオ? クオ・バイルンか?」
 大尽とも呼ばず、自らが属する店の敬称もつけない。互いにちらりと見合った目に、何かの含みを感じて相手の器に酒を注ぐリエは、黄金色の目を婉然と笑ませる。
「そうだよ、クオ大尽だ」
「大尽ねえ」
 まあ金回りはいいがな、と苦笑する相手は身請けの話も知っていた。
「今度『闇芝居』の『明月姫』を身請けするんだろ? 知ってるぜ。『氷華姫』に似てるからじゃないかって、巷じゃ言われてる」
「『氷華姫』? そいつぁ誰だ?」
「知らねえのか? 『闇芝居』随一と呼び名の高かった娼妓だよ。月麗妓に選ばれたこともあるぜ。『闇芝居』はあの頃が一番流行ってたんじゃねえか?」
「おうともよ。けどよ、主が商売ものに手を出しちゃいけねえよ」
「主?」
「『闇芝居』はクオが裏に居るんだよ」
 男衆が肩を竦めてみせた。
「『氷華姫』にもぞっこんでな、確かに淡いきれいな髪に水色の目って、まさに『氷の華』みたいな娼妓だったが、クオに身請けされた後、行方知れずになったらしい」
 リエは自分も酒を含みながら、それで、と先を促した。
「一時は『氷華姫』の暴霊が出たとか騒がれた時もあったよなあ」
「ああ、クオの屋敷の側にずっと立ってるってやつだろ?」
 けど、結局はクオ恋しさだろうってことになってたじゃねえか、と一人が混ぜっ返す。
「そういや、『明月姫』にも暴霊がつきまとってるって噂だな」
「今度クオに身請けされる『明月姫』を妬んだ『氷華姫』が暴霊になっているんじゃねえか?」
 ちげえねえ、ありえるな、と男衆達が笑うのに、助かったよ、とその場の支払いを引き受けて、リエは酒場を出る。
 クオが拘った『氷華姫』の暴霊。彼女によく似た『明月姫』。それに、思っても見なかったことが一つ。
「『闇芝居』はクオの支配下にあるって?」
 なるほどそれなら、護衛をべったりつけても店側に文句を言われない。そればかりか、もう一つ、ひっかかっていいことが見えてきた。
 突き落とす、引きずり落とす、溺れさせる、物を落とす。
 それはもちろん暴霊ができることだが、人間でもできる仕業だ。
 暴霊につきまとわれて客が減った『明月姫』は絶望しただろう。それに怯まぬクオは頼もしく見えただろう。身に危険が迫ってきたなら、なおさらだ。
 ひょっとして。
「暴霊は『明月姫』のお袋で、娘に何か伝えたい事があって出てきたんじゃねえか。例えばクオへの警戒を促して、とかな」
 それはどういう警告だろう?

 『闇芝居』の入り口で、探偵に頼まれた、そう伝えると、一意、リエ、華月はあっさりと『明月姫』に面会を許された。
「いらっしゃいませ……このたびは私などのためにご足労頂き、ありがとうございます」
 クオから聞かされていたのか、『明月姫』はやつれた面立ちではあるものの、淡い青と水色の薄物を重ねた衣装を整え、胸元に金色の華が開いた細工ものをかけて、三人を迎えた。指を揃えて深く頭を下げ、再び上げて来た瞳はうっすらと染まった目元に映える色、瞬きすると今にも涙が零れ落ちそうな儚い風情だ。
 彼女は気づかなかったが、部屋の隅から小さな白ネズミが駆け寄ってきて一意の手首に絡む。一瞬軽く指先を触れ、その体に改めて紅の文字を描き直すと、式神は再び身を翻して部屋の隅へ消える。
 今夜『明月姫』を訪れた者は彼ら以外にはなく、クオの姿もなく、部屋の外にはラオンとジャグがそれぞれの持ち場で控えているのみ、式神から得たその情報を一意はさりげなくトラベラーズノートに書き込む。
 クオは今自らの屋敷に居る、そして。
「……」
 トラベラーズノートに浮かんだ文字を一読し、一意は微笑した。ニコルからの情報収集の依頼、なるほど彼女が同行せず、クオもまた、今夜姿を見せていない理由を理解する。
「こんばんは、『明月姫』」
 揚羽と似てはいないのに、人気が出て身請けされて不幸になる、その記憶が胸に迫って華月は一瞬目を伏せ、けれど意を決して『明月姫』に微笑みかける。
 遊郭の守り手として、『明月姫』には幸せになってほしい。できれば暴霊を倒さず、成仏してほしい。だが、そのためには情報が要る。
「聞きづらいことだけど、あなたは暴霊が誰か、心当たりがあるのではなくて?」
「…っ」
 『明月姫』は目に見えて動揺し、助けを求めるように残り2人に視線を投げて来た。
「街で『氷華姫』の話を聞いた。あんたそっくりだった、そうじゃねえか?」
 リエが静かに追い詰める。
「わた、くし、は」
「ひょっとして、その方はあなたのお母様、ではないの?」
 華月は答えを迫る。
「…私、は……」
 『明月姫』はのろのろと俯き、きゅ、と白く細い指を膝の上で握りしめた。
「……確かに、『氷華姫』は、私の母です……。でも、私には母の記憶がありません……」
 こくん、と何かを飲み下したように細い喉が震えた。
「母は、クオ大尽に身請けされた時は、私を産んだばかりだったと聞きます……身請けされるのに私が邪魔だったから、産まれたばかりの私を素裸で、ドブ川に捨てようとしたのを『闇芝居』の主人に拾われた、と…」
 きり、と唇を噛み締め、堰を切ったように吐き捨てた。
「けれど、母なら、どうして私の幸せを邪魔するの? 自分を選んだクオが私を選ぶのが許せないの? 自分はクオ大尽の元から他の男を追って姿を消したというのに」
「いいえ」
 実母を糾弾する『明月姫』に華月は首を振った。
「あなたが幸せになるのが許せない? いえ、不幸にしたくないから現れたのではないかしら」
 だって、と華月はことばを継いだ。
 確かに暴霊は『明月姫』を脅しはするけれど、殺していない。自分自身が不幸になって死んだから、明月姫が身受けされる事で、彼女が不幸になると思い彼女に嫌がらせをしていたのではないか。
「現れたお母様に何かおかしな様子はなかった?」
 華月は重ねて問いかける。『氷華姫』がそれほどの娼妓だったのなら、『明月姫』に母の姿の記憶はなくとも、絵姿の一枚でも残っているだろう。その姿と比べて気になるところはなかったのか。
「そういえば…顔や体が…崩れています、焼かれたように」
 改めて思い出したように『明月姫』は瞬きした。
「おかしいじゃねえか、クオのところから男を追って逃げたのなら、何でそんな姿で現れる?」
 リエの突っ込みに華月もことばを重ねた。
「クオはあなたのお母様と知り合った頃はまだ若く、必死に働いてお金を貯めて『氷華姫』を身請けすることができたと聞いたわ。その手腕と才覚を認められて、『闇芝居』の主を任されることにもなった、と」
 華月の歓楽街での聞き込みは、リエとは別行動だった。元々遊郭は華月にとって慣れた場所、世界が違えど、それほど造りに差があるわけもなく、どこに行けば誰がどんな情報を持っているのか熟知している。
「『闇芝居』…この店の名前の由来は、そもそも、不幸な生い立ちを自ら語る娼妓が集まったからできたと聞いた……不幸であればあるほど、客は集まった、ましてや、その語り手が美妓であればなおのこと、よね?」
 時に歴代の主達は、娼妓達の『不幸』を演出することさえした。涙をそそるような生い立ちを作り上げることから始まり、商売に支障のない傷やあざを作るまで。
 『氷華姫』は数十人の客を軽くあしらうことができた娼妓だったが、対する相手に対しては自分一人を頼りにしている薄幸の美女、そういう『芝居』もまた上手かった。
「クオはどこまで『氷華姫』の本当の姿を知っていたかしら」
 若くて一途で情熱を全て一人の女にかけるような男は、自分が身請けした女が子どもを産んでいたことを知っていたのかどうか。
「あなたは知っているの? クオは他の店にも足しげく出入りしている。『闇芝居』だけではなく、『弓張月』を覗く全ての店になじみがいる」
 そういう男と生涯を共にする気持ちはあるの?
「世の中にゃ惚れた男の為に自分から不幸になりたがる女もいる。あんたがそれでもいいって言うなら止めやしねえ。が、少しでもクオへの気持ちが揺らいだんなら悪いこたぁ言わねえ。考え直せ」
「私は……娼妓ですもの…」
 掠れた声で呟いて俯いた『明月姫』に、一意が再びどこからか走り寄ってきた白ウサギを軽く抱き上げた。気配に顔を上げ、驚いて赤字の札を貼られた奇妙なウサギを見つめる『明月姫』に、一意がふしゅり、と術を解いてみせて付け加える。
「『氷華姫』がクオの屋敷に泊まったのは一晩、翌日の早朝、クオの屋敷でぼやがあった。その時の騒ぎに紛れて、『氷華姫』は屋敷から姿をくらましたとされているらしいけれど、本当だろうか」
 一意の薄笑みには毒がある。
「『氷華姫』は焼け爛れているんだよね?」
「……」
 何を悟ったのか、『明月姫』は茫然とした顔で三人を見返した。


 そんなにも狙われながら今まで無事、名うての護衛が二人居て未だ退治できてない、そして例の予言――聞けば聞くほど妙な話。
 そう仲間に告げて、クオの素行や暴霊の身元について詳細な調査を依頼したのはニコルだ。
 仲間からの情報に対してニコルも重要な情報を送ることができた。護衛2人の素性だ。
「『闇芝居』の用心棒?」
「ああ、そうじゃ」
 ニコルをクオの元に案内しながら、ラオ・シャンロンは笑った。
「『闇芝居』の、というより、『氷華姫』の、と言うべきかもしれんのぉ」
 あまりにも売れっ子すぎて、妙な言いがかりをつける奴らも多くての、わしに都合をつけろとの注文でな。
「そう、『氷華姫』の護衛だったの…」
 2人は暴霊が何者なのかわかっていた可能性がある。そして、なぜ暴霊が繰り返し現れるのか、その意味も。
 となると、彼らが護衛していたのは誰から誰をか、というところが問題だ。今までは暴霊から『明月姫』を、だと思っていた。
「でも本当は逆だったかも知れないわけね」
 『闇芝居』のクオから『明月姫』を、だったのかも知れない。
 ニコルの懸念は、クオに会って一層深まった。
「護衛を?」
「はい、是非クオ・バイルンさまを、と」
 ラオ・シャンロンは継ぐだけ継いで引き下がっていく。
 巨大なデスクの向こうからゆっくりと立ち上がったクオは、ニコルを顎を上げて冷ややかに見下ろした。
「珍しい衣装だな」
「衣装で守るわけじゃないわ」
 貴方もきっと暴霊に狙われているはず。
「身請け人に何かあったら駄目でしょ」
「ふうむ」
 ゆっくりとデスクを回ってくるクオには、依頼で聞いたような誠実さが微塵もない。顎を上げて見下ろす視線の意味を、ニコルはすぐに察した。自分以外を虫けら同然に感じている人間の、侮蔑の視線だ。
 なのに、クオは慇懃にニコルに頭を下げてみせた。
「よくわかった。ならばよろしく頼む。名前は何と言う?」
「ニコル・メイプよ」
「では、ニコル。私の護衛はもとより……今後とも私の不安を取り除いてくれるなら、待遇を保証しよう」
 伸ばす腕がニコルを抱き寄せようとするのを軽く躱した。
「考えとく」
 考えるまでもない。金色の瞳の奥でニコルは断定する。
 この男は危険だ。


「つまり、こういうことじゃないかしら」
 ニコルからの連絡を受け取り、華月はまとめた。
「クオは『氷華姫』を身請けしたけれど、彼女が妊娠出産したのを後から知って、彼女を焼き殺した。けれど、彼女への欲望は消えておらず、同じように娼妓として美しく育った『明月姫』を手に入れようとした。けれど、人気が出過ぎては『氷華姫』と同じことになる。暴霊が現れたのを逆手にとって、『明月姫』が他の男に攫われぬようにすることと、自分に頼らせ手に入れることを狙った」
「『明月姫』への暴霊がらみのあれこれは、『闇芝居』の誰かが命じられて『明月姫』を狙った可能性があるな」
 リエが冷笑する。
「このまま『闇芝居』に居ても不幸、かと言ってクオの所で何が起こるかわからない…さて、どうする?」
「わ、私は」
 一意のことばに『明月姫』が顔を振り上げた。
「やはりまだ信じられません。クオさまが、そんなことを…」
「『明月姫』、水琴を演奏してもらえないかしら」
「えっ」
「私は絶対に貴方を護る…だから、『氷華姫』と向き合ってみて」
 そして、本当は何が起こったのか、真実を確かめよう?
「……は、い」
 『明月姫』は小さく震えながら頷いた。


 水琴は黒い小さな水盤に片方が浸かった、片腕ほどの長さの小さな琴だ。糸は13弦。弾いた音は水盤に入った水に震え、微妙な音色を醸し出す。
 『明月姫』はじっと水盤を見つめながら、次々と切ない余韻の残る音を紡ぎ出す。白い指先が翻り、水盤を覗き込む『明月姫』の顔は、水面に映った月を思わせる。
 揚羽ならば、つと立ち上がって一差し舞ってみせただろう、そう思い出して、華月は胸を過った傷みに眉をひそめる、その矢先、一意が吐いた。
「来た」
「『明月姫』、今水琴の音が」
 部屋の外から訝しげな声、入ってこようとする護衛2人を遠ざけ、『明月姫』に暴霊と向き合ってもらうために、華月は誰も自由に出入りできない結界を張った。足下に輝く五芒星の陣、部屋の外で小さな悲鳴があがり、一意が一瞬うっとうしそうな視線を華月に投げるが、すぐに苛立ちをおさめる。
 部屋の中央、水琴を抱えた『明月姫』の背後に、淡く光りながらゆらゆらと立つ女の姿があった。なるほど、『明月姫』によく似ている。ただし、『明月姫』はまっすぐな髪だが、暴霊はくるくる巻いたような癖のある髪、おそらくは儚げで華奢な女性だったのだろう、ほっそりした顔立ち、小作りの目鼻、今はそれらのあちらこちらが無惨に焦げ爛れているが、それでも恐ろしいというよりは物哀しいものを先に感じる。
「『氷華姫』」
 水盤を覗き込んだまま硬直している『明月姫』に代わって、華月は呼びかけた。
「あんた、『明月姫』のお袋だな」
 リエが暴霊の目をまっすぐに見据えた。
「クオと結ばれたら娘が不幸になるから、それを止めたくて出てきたんだな」
 指摘に相手は戸惑ったように一瞬急速に後じさった。水盤から姿が消えたのだろう、『明月姫』がようやく体を動かし、おそるおそる背後へ振り返り、がしゃん、と水琴を取り落とす。
「怖がらずしっかり向き合え」
 リエが『明月姫』を叱咤した。
「『明月姫』! 『明月姫』! ここを開けて!」
 ラオンの声、がたがたと境の戸を動かしている。
「式が入らないわ、ジャグド!」
「まさか、クオの配下だったのかっ」
 焦った声が詠唱を紡ぐ、それをぱしりと切り捨てるようにリエが吠えた。
「母娘の逢瀬に水さすんじゃねえよ、野暮天」
 怒れば、その声には虎の咆哮が響く。息を呑んで静まる室外にとりあわず、リエはギアの結界で壁を築く。
「お袋がよく言ってたぜ。愛されるのが女の幸せ、それでも自分は愛する方がいいってな」
 その声に、単にさらりと流すだけではない、澱むような怯むような、慕うような避けるような、複雑なものが響いたのを華月は感じる。
「報われなくても不幸でも破滅してもいい、自分も相手も焼き尽くす火のように生きたいって。人を愛するにゃそん位覚悟がいるんだ」
「もし、あなたが娘を愛しているのなら」
 崩れるように腰を落とし、震えながら暴霊からじりじりと身を引く『明月姫』の耳に届けばいいと、華月は続ける。
「『明月姫』に真実を伝えてあげて」
 『氷華姫』が揺らめきたじろいだように見えた、次の瞬間、があっといきなり裂けた口に牙を光らせて『明月姫』に飛びかかってくるのを、漆黒の槍が、突如生み出されたように見える白ウサギ達が受け止める。リエの手には勾玉のペンダントがあり、今にも太極図の結界が発動しそうだ。
「お…しえて…」
 緊迫した空気の中で、か細く幼い懇願が響いた。
「なぜ、わたしが、きらいなの、おかあさん…っ」
 溢れ出る涙を拭おうともせず、『明月姫』は両手を暴霊に差し伸べた。


「今夜は『闇芝居』には出向かないのね」
「今夜は君がいるからな」
 クオは微笑み、ニコルに豪勢な夕食を指し示す。
「結婚前のささやかな抵抗ってこと?」
「それほど『明月姫』は心の狭い女じゃない」
「そうかしら」
 こくりと喉を鳴らして酒を呑むクオを、ニコルは冷ややかに眺める。
「女は欲深いものよ。自分一人のものだと一旦思ってしまえば、あなたがどんな視線を向けても、相手より自分を欲してほしいと思うもの」
「……男だって同じだろう」
 クオは僅かに目を細めた。
「女に求めるのは誠実だ」
「まるで幻を願うように言うのね」
 ニコルは身を乗り出して薄笑みを浮かべる。
「ね、何考えてるの?」
「何、とは?」
「『明月姫』のこと」
「誠実を求めるだけだよ…ただ」
 血は争えないかも知れないが。
 低い呟きにニコルは先を促す。
「……彼女の母親を知っている。『氷華姫』と言って、『闇芝居』一の娼妓だった。だが、ずっとそこから足を洗いたがっていた。私は骨身を削るような努力をして彼女をついに身請けした……ところがどうだ」
 クオは肩を竦めた。
「『氷華姫』は赤ん坊を産んでいた。非道な振舞いをされたと言ったが、あれほどの娼妓が、『闇芝居』がそんなことを許すはずもなかろう?」
 冷笑して首を振る。
「私の助けを待つ一方で、どこかの男と楽しんでいた……そういう不実な血が流れているとしたら困るな。遊女である過去を何もかも捨てる、そう言って『氷華姫』は私にもとにやってきた……その約束を違えるのなら」
 『明月姫』も残念な末路を迎えるかも知れないな。
 如何にも正論のように言い放つクオの頭には、遊女とはどういう存在なのかがすっぽりと抜け落ちている。多数の男を相手にする、それが遊女という定義なのだが、クオは、身請けした瞬間、それらの過去さえなくなるはずだとでも思っているらしい。
「……身請けされると、遊女に不幸なことが起きる……それは、貴方が身請けすると、という意味だったのね……っと、それは遅いわ、クオ・バイルン」
 不穏な気配を察して引き抜こうとした銃が、ニコルの銃口に阻まれた。大鷲の瞳はクオの動きなどスローモーションのように見える。
「貴方は彼女を幸せにしてくれないようね?」
 立ち上がったニコルの銃口に睨み据えられながら、クオは動じた様子もなくにっこりと笑う。
「逆だよ、ニコル・メイプ。女が男を幸せにする責めを負っているんだ」
「…」
 ひくりと引き攣ったニコルの隙をついて、テーブルの下に隠されていたもう片方の手が鋭く細い剣を抜き出し、ニコルの顎を貫く。
 いや、貫いたかと、見えた。
「甘くみないで欲しいな…あんたを産んだんだって、女だよ」
「…ぐあっ」
 くるりと回ったニコルの拳銃がクオの顔にヒットし、彼は派手に食器と料理を撒き散らしながら吹っ飛んだ。
「今更だけど、私みたいのが彼女に掛けられる言葉なんて、ないや」
 ニコルは拳銃をおさめながら一人ごちる。
「なんだろね、女の幸せって」
 着ているウェディングドレスが、気のせいか重く感じられた。


 嫌うわけがない。
 空間を鳴らすような声、それは『明月姫』の奏でる水琴とよく似ていた。
 手放したのは私の罪、それをどれほど責められても弁解なぞするまいと思っていたけど、あの男だけは駄目。
「なぜなの」
 あなたは知らないでしょう。あの男の屋敷には、身請けされたとは名ばかりで、飼い殺しにされるように閉じ込められた娘達の涙で描いた床屏風がある。その前で、娘達の苦境を聞きながら抱かれる苦痛、私にはとても耐えられなかった。
 『氷華姫』は貫かれた漆黒の槍から溶け落ちるように薄くなっていく。
「なら、なぜもっと早く、ちゃんと教えてくれなかったの」
 邪魔されていたのよ、『闇芝居』付きの呪術師に。彼らは『闇芝居』の娘達を傷めつけては価値を出す。ラオンとジャグドがいなければ、私はとっくに消されていた。
「これから…どうすればいいの…」
 震えながら尋ねる娘に、『氷華姫』は哀しそうに首を振る。
 暴霊がついていることで諦めてくれればよかったのだけど。
「…『弓張月』へ逃げ込んじまえばどうだ?」
 リエはペンダントから手を離しながら続けた。
「あそこには、そういう苦境に力になってくれる人間がいる」
「そうですよ、『明月姫』!」
「いい案です!」
 華月の結界を解かれたのだろう、転がるように入り込んできたラオンとジャグドが嬉しそうに頷く。
「私達もご一緒します。なあに、『弓張月』でも用心棒はいるでしょう」
「いいかげん『闇芝居』から足も洗いたいところです」
 ラオンの声にジャグドが口を添えた。
「…では」
 すくっと華月が立つ、その手には漆黒の槍が構えられている。
「道中の護衛は私も加わります」
 髪につけた蝶の髪飾りが光る。
「では俺が追手を混乱させる」
 一意の手から見る見る白ネズミが走り出す。
「じゃあ、俺は雑魚ども相手に踊ってくるか」
 リエが薄笑いを浮かべた。
「ちなみに、クオは…ニコルが足止めしたようだ」
 一意がトラベラーズノートを確認した。
「上等…行こうか」
「……『明月姫』」
 茫然としている『明月姫』に、華月は声をかけた。
「今からは貴方が貴方自身の幸せを探してちょうだいね」
「は……いっ」
 決意をこぶしに立ち上がる『明月姫』の背後で、『氷華姫』の姿は、微笑み、霞み、滲み、緩み……やがて何もなかったかのように消えていった。

クリエイターコメントこの度はご参加ご依頼ありがとうございました。
『弓張月』への逃避行、もうしばらくの間、皆様には護衛をお願いいたします。
クオからの依頼をしくじった形になったラオ・シャンロンですが、「もうわしも老いぼれですじゃ、なかなかうまく行かぬことばかりでな、そう言えば最近小用が近くなりまして……ここらでさせて頂いてもよろしいですかな」などと応じて、屋敷を放り出されたようです(笑)。
それで堪えるようなご老人ではありませんが。

お待たせして申し訳ありませんでした。
またのご縁がありますことを祈っております。
公開日時2012-10-01(月) 21:20

 

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