『世界樹』は沈黙した――。 時間のない0世界に日没はないが、戦いの終わりとともに、世界は静かな黄昏の気配に包まれていた。 人々は、ほとんど畏敬の念と言ってよい感情を抱いたまま、恐るべき戦いを振り返り、眼前の光景に息を呑む。 ホワイトタワーの崩壊にはじまる、ナラゴニアの襲来、そしてマキシマムトレインウォーの発令という一連の出来事は、ほんの一日に過ぎぬ。だが間違いなく、それは0世界のいちばん長い日であったろう。 ターミナルを蹂躙した世界樹の根は、本体の沈黙とともに活性を失ったようだ。もはやぴくりとも動くことはなく、今なら、破壊して取り除くことができるだろう。 本体はそのままの状態で残ったため、ナラゴニア自体は崩壊を免れ、庭園都市は根に支えられるようにしていまだ0世界にとどまっている。 そして、根が突き刺さった0世界の大地――チェス盤の地平は、見渡す限り、緑に覆われていた。 いかなる奇跡だろう。 ゆたかな樹海が、無機質だった0世界を覆い尽くしているのだ。 あたかも、ナラゴニアとターミナルが融合したような、そんな風景であった。 *「ロストレイルはまだ動かせる?」 アリッサは訊いた。「撃墜されたのは天秤座号だけです。ナラゴニアに赴いた車両は損傷を受けてはいますが、走行可能かと。余力的には、やはり山羊座号ですね」「では悪いけどもういちど支度をして。あそこへ――ナラゴニアへ向かいます」 世界樹が沈黙し、世界園丁たちは体内の世界樹の暴走によって全滅した。 支配者と、指導者層を失い、世界樹旅団は事実上、瓦解したと言える。 たった今から、ナラゴニアの市民は、0世界における難民となり、世界樹旅団は、世界図書館の支配下に入ることになるだろう。支配といっても、それは征服を意味するのではなく、この戦いの結果を引き受けるという意味で、だ。 館長アリッサは、それを宣言すべく、ナラゴニアへと向かう。 園丁は滅びても、かつてもドクタークランチや銀猫伯爵のように、ナラゴニアで有力な影響力を持つ人物はいるはずだ。かれらと話し合い、今後について決めなくてはならない。「あとを、お願いできる?」 アリッサは司書たちと、レディ・カリスを振り返った。「私はアーカイヴの様子を見てきます」 カリスは言った。「図書館を……どうにかしないといけませんね」 リベルは沈痛な面持ちで、建物を……いや、建物の跡を眺める。 世界図書館の建物は、ナラゴニア襲撃の時点で爆破され、半壊していた。 特に、ホール周辺はノエル叢雲の衝突のあって被害がひどく、なにより、「世界計」が粉砕されてしまっていた。 これは由々しき事態と言えた。 世界計がなくては、ロストレイルがディラックの空で進路を見いだせないため、車両を動かせても、異世界に行くことができないのだ。早急な修復が望まれるが、世界計について知識のあるものは司書にも少ない。まずは資料を発掘するところから始めねばならないだろう。いずれにせよ、これは司書たちに任せるしなかった。 建物については、世界樹旅団のドンガッシュが、修復を手伝うと申し出てくれた。 彼の能力であれば、早期に再建がかなうだろう。 *「外交は血を流さない戦争であり、戦争は血を流す政治である」 そう言ったのは、誰だったか。 ――そして。 マキシマム・トレインウォーは終わった。 世界樹は、まるで静謐な神木のように沈黙した。 樹海に覆われてしまった0世界は、その荒々しさの名残りだ。 思いどおりにならないのが自然、制御できないのが世界というものだと言わんばかりの光景が、広がっている。 アリッサ館長は直々に、ナラゴニアを訪問することになった。 血を流さない戦争であるところの戦後処理に向けて、同行者が募られている。 その一方では、ナラゴニア襲来時に破壊された図書館の建物を急ぎ再建するための、人手の募集が行われていた。 世界図書館再建の手助けは、ドンガッシュがしてくれることになった。 世界樹が沈黙した今となっては、旅団側のツーリストも図書館の傘下に入るしかないというのが彼の考えだ。 その過程で、旅団が過去の行いを裁かれるのもやむをえない。 そうも思っているらしい……。 また、建物に加え、砕け散った「世界計」も、平行して修復される。 だが、こちらについては――非常に慎重を要する作業のため、司書たちだけで行われるようだ。 *「……現場監督? 工事現場のおっさん……? まあ、そう呼びたければそれでもいいが……」 ――よっ、ドンガッシュ! 元気そうだな。 ――やっぱおっさんは現場で汗流してるのが似合うぜ! ロストナンバーたちから親しげに声をかけられ、肩やら背中やらを叩かれ、ドンガッシュは面食らっていた。 自分の存在が好意的に受け止められていようとは、ついぞ思っていなかったのである。 ――手伝うことがあったら言ってくれよ、監督。 ――再建した図書館は、あんたと俺たちの共同の作品ってことになるな。 ――イカした建物を造ろうぜ。なァ、世界建築士……!「ドンガッシュのおじちゃん。これが完成したら、今度は『家』を作ってくれるんだよね! うれしいな」 ユキヒョウのマルコが、小さな煉瓦をくわえては、尻尾を振り、運び始める。 次々に、ロストナンバーたちが集まってきた。=====!注意!このシナリオは、シナリオ『記憶の宮殿に眠れ』、パーティシナリオ『新しい日のはじまり』と同じ時系列の出来事を扱っています。同一のキャラクターによる当該シナリオへの複数参加はご遠慮下さい。=====
主の救いを黙って待つのは良い。 ひとが若い時に、くびきを負うのは良い。 それを負わされたなら、ひとり黙ってすわっているがよい。 口をちりにつけよ。 もしや希望があるかもしれない。 (哀歌3:26-29) ACT.1■祈りのアーキテクチュア 「……そろそろ、始めてもかまわないか?」 「うん、待っててくれてありがとう。世界建築士さん」 瓦礫がひときわ高く堆積している場所にシロツメクサの花を捧げ、ひとり祈り続けていたゼシカ・ホーエンハイムは、気丈に顔を上げた。誰にも気づかれないよう、涙のあとを小さな手で拭う。 「ゼシカ殿に、お悔みを申し上げる」 ガルバリュート・ブロンデリング・フォン・ウォーロードが片膝を落とし、ゼシカに礼を取る。鋼のごとき筋肉は、今は、正装の鎧に見えた。彼がまぎれもなく騎士であることに、居合わせたひとびとは改めて思い至る。 「灰人殿は、最後に人の心を取り戻された」 こっくりと、ゼシカは頷く。 「困ったことがあれば、皆に頼るが良い。皆、力になってくれよう」 無骨な手が、壊れものを扱うように、ゼシカの金髪を撫でる。 「ゼシカ」 ハクア・クロスフォードが歩み寄る。彼は今まで、ターミナルに食い込んだ世界樹の根を、可能な限り伐採してきたところだった。彼なりの、祈りとともに。 白虹のような静けさで髪が波打つ。樹海もかくやとばかりの深緑の双眸は、まっすぐにゼシカに向けられた。 「一緒に暮らさないか」 あえて直裁に、ハクアは申し出た。おそらくゼシカは、父が「死んだ」ということを、まだ理解はしていないだろう。それでもハクアは、この幼い少女をひとりにさせたくはなかった。 ひとりでは立っていられないときも、誰かの支えが――誰かの存在が、大いなる杖になるときもある。ハクア自身が、かつてそうであったように。 ゼシカはハクアを見上げ、何も言わずに、その服の裾をつかむ。 ――小さな身体は、そっと抱きしめられた。 * (……手紙屋の仕事、仕事はまだ、終わってない) キリル・ディクローズの手元には、「通達完了」を示すはがきが、ある。 手紙をたしかに宛先に配達したと、差出人に知らせるまで、彼の仕事は完結しない。 そう、ゼシカの家のポストに、このはがきを投函するまでは。 (ぼくが……、ぼくがもっと早く手紙を届けられていれば、灰人は帰ってこれたのかな) 「みゅ……」 くるりとした茶色の瞳が、しゅん、と伏せられた。 ……少し、気持を落ち着けたい。 キリルはしばらく、手紙屋を休業しようと思った。 ワード・フェアグリッドは、墓地にいた。 ひとりで黙々と、倒れた墓石を元に戻す作業を続けている。 (今回の戦いデ亡くなった人モいるから、その人たちガゆっくり眠れるようニ。……せめて) 鞄から聖書を取り出す。 それは去年のクリスマスに、灰人から貰った聖書に他ならない。 (キリルが渡した手紙デ、灰人はゼシカと向き合うことガ出来たト思ウ。だから僕ハ、この結末ヲ悲しいものとハ思わなイ……思いたくなイ) たしかに別れは悲しいけれど……、あの親子は最後に、確かに、ひとつになれたのだから。 * (ひどい……。図書館がこんなになっちゃうなんて……) 生々しい戦闘の爪痕に、ソア・ヒタネは一瞬、立ち尽くす。しかし、胸が潰れそうな想いをこらえ、ひたむきな目をドンガッシュに向けた。 「ドンガッシュさん、ご指示ください。わたし、力持ちなんです」 「にゃー、これはまた派手に壊れたにゃー」 まったく世界樹旅団も無茶しやがってにゃ、などとぼやきながら、フォッカーもあちらこちらを確認していた。 「おいらも、片づけとか修理とか、手伝うにゃよ」 「おや、たしかに見事な壊れようですねぇ。私にも関わらせてくださいな」 テオ・カルカーデが、瓦礫の欠片を拾い上げる。 「もう少し強度が増えるよう、本を護れるような仕掛けなど、考えられませんかねぇ」 テオは元々、建築関係の仕事もこなしていた研究職だ。戦禍の痕跡にもドンガッシュにも、まったく物怖じする様子はない。むしろ、新しい建築知識が吸収できる機会に嬉々としているようだ。 「あ、あの。がんばるであります! 何でもご命令ください、現場監督殿!」 ジョブ・チョップが敬礼する。すごい気合に、ドンガッシュのほうが後ずさった。 「いや、命令というほどのものでは……」 自分に大した力はない。そんな自覚を、ずっとジョブは持っていた。 今回の戦いで何もできず、己の無力を痛感し悶々としていたところ、世界図書館再建の手伝い募集の報を聞いた。だから彼は、全力で手伝いうためにここに来たのだ。 何か役に立ちたい。0世界のために。 その気持ちはいささか先走り気味かもしれないが、ドンガッシュの口元には笑みが浮かんだ。 「皆と手分けして、出来る範囲で手を貸してくれればありがたい」 「俺は資材運びくらいしかできんぞ」 鬼龍がぼそりと言う。 「あとは、そうだな、高いところの作業くらいか」 獅子を思わせる緑のたてがみの男の声音は、しかし、どこかやさしい響きをはらんでいた。 「……正直、ターミナルにまだ馴染んでなくてな。あっという間に戦いだったからな」 覚醒して間もない彼は、旅団に対しても特に思うことはないらしい。ただ所属する組織が違った、それだけのことだと。 これからよろしくな、と、鬼龍は喉の奥で笑う。 「よーす、監督ーっ!」 トラベルギアの巻き尺をひゅるんと伸ばし、月見里眞仁が陽気に声を掛ける。 「あんたは……、建築技術者か?」 頭に巻いた白い手ぬぐいに、ドンガッシュは目を留める。どこか、相通じるものを感じたようだ。 「正解! 俺、壱番世界で大工してるからさ。力になれるって思って」 俺さ、ドラゴンが大好きで妹も大好きなんだけど、職人魂も好きなんだぜ、と、ものっそ爽やかに、いろいろカミングアウトする眞仁だった。 「荷物運搬とか瓦礫運びとかはうちに任せろー!」 とにかく力仕事関係はうちに任せろー! と、天渡宇日菊子は、銀の瞳を細め、鮮やかなオレンジの髪をかきあげる。 言葉どおりに作業を開始しようとした菊子だったが、視界の端にフォッカーのすがたをみとめたとたん、その手が止まった。 じーっ。 じーーっ。 じーーーーーーっ。 フォッカーは狭い部分の清掃や、電気系統の設備などの修理について、ドンガッシュから聞き取りを始めているところだった。 「にゃっ?」 熱視線を感じて、フォッカーはきょろきょろする。 (い、いかんいかん。し、仕事はちゃんとするぞー!?) 今回は我慢我慢がまんガマンー、と妖怪にしてドラケモナー菊子たん22歳は自身に言い聞かせていたが、とうとう我慢できずにフォッカーに抱きついた。 「うちと結婚しろー!」 「資材の運搬や瓦礫の撤去なら、今、ソアが頑張ってるから一緒にやるといいにゃ」 フォッカーは慌てず騒がず、重い荷物を持って走り回っているソアを指さす。 ターミナル生活も長いので、ふわもこ好きな某司書のセクハラにも慣れているフォッカーさんは、かわし方も心得ているのだった。 「俺も、手伝わないわけにはいかないでしょうね。ここがこれほどに壊れた原因の一端は有りますし」 そう言ったのはヒイラギだ。 まあ、後始末はしっかりやらないと、と小声で呟き、崩れかけの巨大な円柱を見やる。 「これは撤去してかまわない瓦礫ですか? ……劣化させて、細かくしてから運び出すのも骨が折れますね」 すっと手を伸ばし、円柱に触れる。 「皆さん、危ないですから避けていてくださいね?」 ヒイラギは、そのまま視線だけを動かす。円柱は彼の視線の通路の外、廃材置き場へと転移した。 アーティラ・ウィンクルーネは、鎖の魔法を駆使し、手に余る瓦礫の処理などを行っていた。 ふわふわの体毛に覆われた竜人は、年齢よりはあどけない、可愛らしい顔立ちだ。 淡い黄緑色がかった白っぽい毛並みっすよ、お客さん。 これに菊子たんが目を付けないはずがあるだろうか。いや、ない。 「抱きつかせろぉぉぉぉーーー!」 アーティラくん目がけてダイブする菊子たんに、なんと、彼は両手を広げた。 「さぁ、好きなだけ触れるがいいさっ!」 なかなか太っ腹なアーティラくんだった。 「後片付けとかめんどーっす」 金髪ツインテールの制服の少女が、堂々と正直に言う。コンスタンツァ・キルシェである。 「でもしかたねっすねー、あたしもいちおー図書館のロスナンだし?」 見た目は華奢で可憐な美少女なのだが、彼女は大変な力持ちだった。先ほどから瓦礫の山に分け入って、片手でぶんぶん投げ飛ばしている。 「あ、落下地点にいたら命の保証はできねーっすよ」 なお、おあつらえ向きに、このツインテそばかす美少女のギアはチェーンソーである。乙女のこだわりで可愛いマスコットがじゃらじゃらついた、でもチェーンソー。 「大工仕事ならチェーンソーが大活躍っす。ぶった斬るのは得意っス!」 ぐごごごごごごーーー! 突如響き渡る、それはそれは大きな重機の音。 ここにも、パワーを秘めた美少女がひとり。 運転者は誰あろう、巨大化したシーアールシーゼロである。 瓦礫の山はみるみるうちに片付いていく、かと思いきや。 ぐご、ご、ご。 ご、と……、ん? 重機はいきなり、停止してしまった。 「あれれ? どうしたのです?」 「あ、コタロさん」「コタロさんだー!」「そこにコタロさんがいるー!」 ロストナンバーたちが口々にいいつのる。 「…………え?」 思いがけぬ指摘に、コタロ・ムラタナは目をしばたたかせる。 それまで彼は、魔法陣を描き、魔法を用い、壊れかけた建物や瓦礫などをこつこつ破壊し、広範囲の撤去作業に従事していた。それは戦い壊すことしかできない彼に可能な、数少ない再建作業の一端であり、十分に役立っていた。 なのに。 機械類との相性がよろしくないことは重々承知のため、できるだけ距離を置いていたのに。 コタロさんなりに気ぃ使ってたのに。 ちょっと近づいただけでコレ。 「袁仁招来急急如律令! 力を合わせてあれを外の廃材置き場まで運んで来い」 百田十三が呪を唱え、粛々と作業を続けている。 「これは壊した方が早かろう……。護法招来急急如律令」 肩を落としたコタロには、それがさりげないフォローに聞こえた。 * 「飛鼠招来急急如律令! 流石にもう怪我人は居ないと思うが……。瓦礫の隙間を探し、気になる物があれば拾ってこい。持ち主に返してやらねばな」 十三はさらに、探索を重ねた。もしかしたら、誰かの遺品が見つかるかもしれないと思ったのだ。 (遺品……。見つけたいですけど、見つけたくないような……) ローナは、自身のコピーも活用しつつ、黙々と作業をしていた。 輸送車や輸送ヘリ兵装での瓦礫撤去。工兵や工作車兵装での土木作業。 そして、作業中に、原型を留めぬくらいに破損した小物類の数々が見つかった。 これが誰かの遺品であるのか、そうでないのかさえ、わからない。 (もし、この中にディーナさんのものがあったら、私が回収していいのでしょうか……) ディーナのことで、シオンが落ち込んでいるという事情は聞いている。 (私も「死因」ですし、今後、シオンさんにうっかり会ってしまったら、どんな顔をすれば……) 小物類はまとめて司書に預けようと、ローナは思う。 * 「私、お掃除得意ですぅ☆ 頑張って前以上にピカピカにしちゃいますよぅ。……あ」 張り切って水撒きをしていた川原撫子は、つるりと滑りそうになった。 が。 「…………。大事、ない、か…………?」 間一髪、コタロに抱きとめられる。 ちなみにコタロさんは、撫子たんがお掃除してることにずーーーーっと前から気づいていたのだが、話しかけるタイミングが掴めないまま、ウダウダ躊躇してたのだった。 「はい……。あの」 「あの」 「「あの」」 「こ、コタロさんからどうぞ☆」 「…………いや、撫子殿から、その………、いや、先の、トレインウォーでは………」 お互い、無事で何よりだった、と、コタロは言い、撫子はにっこりと頷く。 ちゅどーーーん。 どーん。 ちゅどどどどーーーーん。 そこここの撤去予定瓦礫コーナーで、謎のぷち爆発が起こった。 「これで運びやすくなったのです。作業が進むのです。爆発するおふたりにありがとうなのです」 新しく用意した重機の上から、ゼロが手を振った。 ACT.2■世界の針が示す先 「えー! 世界計の修理、御手伝いする事できないのですかぁ!?」 鍛冶道具一式を持ち、張り切って駆けつけた七代・ヨソギは落胆した。 世界計のことを「異世界の精密なアナログ機械」であると、魚の鍛冶師は認識していた。それを学べる良い機会だと思っていただけに、その落ち込みも大きかったのだが。 「現場監督ー。鋼のカラクリ金庫室、図書館にどうですかぁ? 重要書類の保管などに是非ー」 職人のひとりとして、何か図書館に貢献したいとヨソギは考える。世界計が駄目なら、せめて。 「セキュリティの強化は、考慮するべきだろうな」 そして、複雑なカラクリ錠前を備えた金庫室が作成される運びとなった。 世界計の修復に興味があるのは、ヨソギだけではなかった。 「火燕招来急急如律令! 目立たぬよう隠れて、司書たちが世界計を修復する様子を探ってこい」 十三は火燕を飛ばしたし、テオは大胆にも、ふらりとその場に足を向けた。 「どうも。このたびはお疲れさまです」 リベルは咎めるでもなく、挨拶だけをして作業に戻る。 集中を要する作業であるのはたしかなようだが、さして秘密にするようなことでもないらしい。 どの司書も真剣に、忙しそうに働いていた。 * 「やっほー! マルコさーん。ドンガッシュさーん。手伝いに来たよー」 黒燐が駆け寄って来た。 「あ、こんにちは」 目をぱちくりさせるマルコに手を振って、黒燐は颯爽と箒を構える。 「僕はお掃除するねー」 屈託のない様子を、ドンガッシュは微笑ましげに見る。 「ありがとう」 「うふ、僕のできることだから」 箒を手に、さっさかと掃除を始めながら、黒燐は周囲を見回す。 「……見慣れたところが壊れるのって寂しいけれど。再建してる現場見るのは、わくわくするんだよね」 「マルコー! アルウィンも一緒にお片づけするぞー!」 「アルウィン。こんちや!」 「先にいわれたな。こんちや!」 アルウィン・ランズウィックを見たマルコは、尻尾をぱたぱた振った。アルウィンもニコニコと挨拶を返す。 「マルコは、怪我、治ったか?」 「うん。みんなが治してくれた。いっしょに来た旅団の友だちも、おじちゃんの怪我も……」 「そっか。マルコはナラゴニアに友だち、たくさんいるのか?」 「……いたけど、少なくなった。いろいろ、あって」 しょんぼりしたマルコに、アルウィンはあわあわする。 「アルウィン、もう、マルコの友だちだぞ?」 「ほんと?」 「ほんとだ! よし、今日は友だち記念のお掃除だ!」 「うん!」 「競争だぞ。どっちがたくさん片付けられるか、片付けるもの、早く見つけられるかだ」 「きょーそー?」 「そーするとすぐ終わっちゃうし楽しいぞ。お歌、歌いながらも楽しいぞ!」 * 「あの、ドンガッシュさん?」 撫子はつと声を落とし、ドンガッシュに話しかける。 聞いておきたいことが、あったのだ。 「私、貴方の仕事を3回見ました。みっつの世界で」 「……ああ」 「ひとつだけ教えて下さいぃ。貴方は自分から望んで仕事をしたんでしょうか。それとも望まれたからプロとして仕事をなさったんでしょうかぁ」 「俺の力は結果として、旅団の侵略行為に利用されていた。そのことに納得してはいなかったが……、『施主』はつねに、強く願っていた。もう一度、見たい世界があるのだと。たとえ命と引き換えにしても」 俺は建築士だ。「施主」が望むなら、それを叶えずにはいられない。 「クールは貴方に感謝してましたぁ……。他の方もですぅ。だから私は……」 だから私は、きっと怒っちゃ、いけないんですよねぇ……。 そう自らに言い聞かせる撫子に、ドンガッシュは首を横に振る。 「いや。あんたは怒っていい。俺を許さなくてかまわない」 俺はもう、『世界』を作らない。 そう、付け加えて。 * 「……こんにちは」 おずおずと声を掛けたのは華月だ。美しい漆黒の髪。印象的な紫の瞳。繊細で可憐な顔立ちと、その仕草。 煉瓦をくわえていたマルコが、とりあえず置いて、ドンガッシュと華月を交互に見る。 「おじちゃん、さっきから、きれいな女のひとたちに、いっぱい話しかけられてるー」 くす、と、笑ってマルコの頭を撫で、華月はドンガッシュに向き直る。 「ドンガッシュさんは、どんな建物を造るのかしら? 良かったら、一緒に考えたいの」 華月は床に、建築物の資料を広げる。 「あんたは、どう思う?」 「以前とは少し違う、緑との調和がとれた建物がいいと思うの」 「……緑か」 「ええ」 にこりと微笑み、すばやく襷がけをする。華月は先ほど、骨董品屋『白騙』にも行き、手伝いを終えてきたところだった。 ここでも、ぞうきんや箒を駆使して、掃除に参加するつもりである。 「世界樹旅団との間に、どんな明日が待っているのか、貴方が、どんな世界図書館を新しく建てるのか、とても楽しみだわ」 かつて図書館ホールに続いていた入口扉のひとつが崩壊し、ベニヤ板状に薄くなって散乱している。 ドンガッシュは、それを一枚、拾い上げた。 その上に、手描きで図面を引き始める。 「ドンガッシュ様。折角ですから、内装を新しくしたら如何でしょうか?」 ハタキがけや箒がけや雑巾がけにいそしんでしたサシャ・エルガシャが、そっと手元を覗き込む。 「ホールとか、ピンクくファンシーにしたらいいんスよ!」 コンスタンツァことスタンが横から言ったが、ドンガッシュとサシャに無言で肩を叩かれ、スルーされてしまった。 「えー、そっちのが絶対いいっすって!」 「こほん……、落ち着いた色のほうがいいと思う。前も素敵だったけど、もっと明るく……。光を沢山取り込むようなイメージで」 そうだ、と、サシャは手を打つ。 「上階に、螺旋の梯子を昇って行ける植物園があるとステキかも!」 「……ふむ。それも、緑との調和だな」 空中庭園、と、ドンガッシュは図面に書き入れる。 ひと息つきながら進めましょう、と、サシャは、淹れたての紅茶に、手作りのサンドイッチとお菓子を添えて、ドンガッシュのそばに置いた。 「すごい仮眠室を図書館に追加するといいのです」 いつの間にかそこにいたゼロが言う。 「本棚に仕掛けをして、秘密の抜け道をたくさん作り、隠し部屋を仮眠室にするのです」 「司書やロストナンバーの福利厚生に、ということか?」 「実用ではなく、ロマンなのです」 「なるほど、建築にロマンは必要だ」 「ボクのチェンバーから、お洒落な絨毯とかインテリア用品とかを提供するよ!」 美的センスにすぐれたアーティラが挙手した。 「それは助かる。だが、それではあんたの住まいが」 「気にしなくていーよ! 次はもっとイカしたのを探せばいいだけだし~!」 「忙しそうだね。僕で良ければ現場監督の補佐をするよ?」 新月航が申し出た。 じっと図面を見つめて、その内容を頭に入れる。 「施工の段取りだけど……、これ、高いところの作業がけっこうあるね」 「そうだな。高所の作業が可能なロストナンバーの手配をしてもらえるか?」 「了解。ちょうど、何人か来てくれてる」 「高所作業用の足場が必要かい? あたしにまかせな」 ダンジャ・グイニは、ウィンクをひとつドンガッシュに投げてから、妖糸を使いて、結界を形成する。 アーティラも「夢幻踏」を使い、登っての作業に着手している。 航はオウルフォームのセクタンを飛ばし、その状況を確認した。 「これなら安全に作業できそうだ。ありがとう」 礼をのべた航に、ダンジャは返事の代わりに、ひらりと手を振った。 「はーい、エレナ、いっきまーす!」 それまで、ガッツン(註:エレナたん的ドンガッシュの愛称)の能力に純粋なトキメキが止まらず、目をきらきらさせていたエレナたんは、満を持してメカびゃっくんを巨大化させた。これで高いところも大丈夫! エレナの錬金術は期限付きである。グンジャが形成した足場を活用したり、ものを運ぶためのトロッコやレールを、作っては消し作っては消し、の作業を始めた。 「わー! トロッコ……!」 「トロッコだ!」 アルウィンとマルコ、ちみっこふたりが興味を示した。 エレナが、悪戯っぽく笑う。 「のってく?」 「「のってくー!!」」 建材を運びがてら猛スピードで走るトロッコに、ちみっこたちは同乗した。それはもうわくわくしながら。 「安全第一だけど、楽しいのも大事だね」 幼いものたちに気を配り、何かあったらすぐサポートできるようにと見守っていた航も、微笑する。 「子供は、遊ぶのが仕事だと思うのにゃ」 フォッカーは、そこらへんの廃材をエコ活用して、ライトプレーンを作り始めた。 「ごきげんよう、ミスタ・ドンガッシュ。マルコもお元気そうね?」 メアリもお手伝いする、と、メアリベルはおしゃまにスカートを持ち上げるやいなや「メアリさんの羊たち」を召還した。 羊たちは一個ずつ、煉瓦をくわえて運んでいく。 「さあ皆、メアリの後についてきて。 スキップらんらん、るんるん、らん。 ふわもこ固まれ踏み台になーれー! 高い所にも手が届く♪」 作業をしながら、メアリベルはドンガッシュにおねだりをする。 「ねえミスタ、メアリのおうちも作って頂戴」 「お嬢ちゃんの家か。……うむ」 「メアリ、お菓子の家に住むのが夢だったの!」 「……お菓子。いや、それは、むずかしい、な……」 技術的な問題はないのだが、ドンガッシュさん、ファンシー系デザインに少々難アリなのだった。彼にまかせるとおそらく、質実剛健なログハウスふうお菓子の家が建ってしまう。 「お願いお願い。お礼にメイド・イン・ミスタ・ハンプのオムレツを作ってあげるから!」 「おれも、高いところの仕事をするよ」 ユーウォンが、オレンジ色の翼を羽ばたかせる。 「建築とか、分かんないけどね」 おれは運び屋さんだから、と、小型のドラゴンは、小回りのきく体型と素早さを生かし、機材や伝言、そしてちょっとしたおやつなど、多岐に渡って「運び」始めた。 集落同士でも、集落内でも……、ヒトを相手に争わなけれはならない世界は好ましくないと、誰にいうでもなく、言の葉に乗せながら。 「やっぱり『破壊』そのものを相手に戦う方が気持ちがいいよ。……だろ?」 「よし、みんな。新生図書館のデザインも決まったようだし、あとひと息だ。気合を入れていこう!」 ティーロ・ベラドンナは、作業開始の時点から、ドンガッシュの隣で真剣に立ち振る舞っていた。 それまでも、現場監督の指示がすみずみまで届くよう、拡声器のように声を響かせたり、ドンガッシュが依頼した物品の移動を、誰よりも早く魔法で行ったりなど、縁の下の力持ちに徹していたのだったが。 いつもの剽軽さは抑制されている。その表情も言動も、異様なほどに真面目だった。コタロと撫子の様子を見ても、ふっと口元をゆるめはしたが、ジョークを飛ばすでもない。 ちなみにガルバリュートさんは、冒頭で皆さんを感動させといて、通常営業だった。 「ドンガッシュ殿は、中々良い肉体をしている」 もしや建設機械のサイボーグでは、との疑問解消のため、おもむろに肉体検査(?)を始めたのだ。 「……サイボーグではないようだ」 得心すると、おもむろにドンガッシュを抱え、高所の足場まで飛ぶ。 「拙者も手伝わせていただく。重機の真似事ではあるが」 「……感謝する」 「後で一杯馳走しよう。頑固なマスターが、襲撃の中で命よりも大事に守りぬいた、極上のボトルを」 「ほう?」 「話を伺いたいものだ。貴殿にも大事なものがあるであろう?」 ゼシカは、セクタンのアシュレーとともに、うんしょ、うんしょ、と、小さな手で煉瓦を運んでいる。 「僕もお手伝いできるかな?」 ルーノエラ・アリラチリフが腰をかがめ、ゼシカと目を合わせてから煉瓦を受け取った。 「ありがと……。可愛いドラゴンさんね?」 青いドラゴンのぬいぐるみを見て、ゼシカはにこりとする。 「今まで、色んな戦いには参加できなかったけれど……。少しでも、何かしたくて」 そう言ってルーノエラは、金の瞳をやわらかく細めた。 「疲れたら肩叩いてあげるね。ゼシ、肩たたきじょうずなのよ」 足場のうえで、航は、皆の様子を俯瞰する。 (みんな、希望を持って動いてる。……だからきっと、大丈夫だ) ACT.3■起点と終点の休息 「フッフッフ、わっちらが輝く時が来たでや~んす!」 本日の旧校舎のアイドル・ススムくんたちは、前回の3割増だった。150体に増殖した人体模型ズはすごい勢いで走り回っている。 「運よくわっちらのチェンバーは無傷でやんしたからな。全わっち、出動でや~んす」 半数のススムくんたちは、チェンバーの冷蔵庫を空にする勢いで炊き出しを行っていた。 「ちょっと休んで身体を温めるでや~んす! 適度な休憩が集中力と持続力を高めるでやんすよ~」 何杯も粕汁を作り、お結びを握り、4人一組で配り回っている。 炊き出し組以外のススムくんズは、廃材撤去にいそしんだり、盛大に焚火ファイヤー! などなどに従事中だった。 「復興作業って、みんな沢山働くからお腹が空くよね。疲れもするだろうし」 南雲マリアは、クリスタル・パレスに協力を依頼し、建築現場内に休憩所を設けていた。 テントが張られ、木のベンチが用意され、さまざまな飲み物や軽食が並べられている。 「ラファエルさん。わたし、ちょっと差し入れしてきますね」 「お願いします」 マリアは、自分で作ったロールサンドをトレイに乗せ、ひと息つきませんか、と、持ち回りを始めた。 (我ながら、美味しそう……) なかなか良い出来映えゆえに、ちょいちょいつまみ食いしたくなる衝動と戦うマリアたんだった。 「お久しぶりです、ラファエルさま」 黒嶋憂が、ふわりと笑みを浮かべた。 「これは……。憂さま」 「戦の際に、お怪我をしたと聞き及びましたが……。大丈夫でしょうか?」 「お気づかいおそれいります。大した怪我ではありませんし、手当も早かったので」 「ここには優秀なお医者さまが多いので、杞憂かもしれませんが」 これ、痛み止めのお薬です、と、憂は硝子の小瓶を渡した。 「……あまりご自分の体を粗末にしないでくださいね、心配する者が居りますので……。少なくとも、ここに1人は」 お大事になさってくださいね、と、会釈して、憂は作業の輪に加わるため、その場を辞す。 「また一緒に踊れること、楽しみにしています」 「そうですね。機会をいただけるようであれば」 その後ろすがたを、ラファエルは見送る。 あのときは、シオンもディーナの手を取り、踊っていた。 少し照れくさそうに、ぎこちなく。 星々が煌めいた赤の城の聖夜は、あまりにも遠い。 * ジャージッ! 軍手ッ! 鉢巻ッ! 氏家ミチルたんは、ドンガッシュのもとで“応援歌”を発動していた。 「これで元気満タン! 頑張るッスよー! 親方ー!」 ……親方? ドンガッシュは周りを見回してから、どうも自分のことらしいと思い至る。 パワー全開のミチルたんは、資材運びも補強も修復も何でも来いなエキスパート状態だった。 「自分を止められるものなら止めるみろッスよむはは!」 「いや……、止めないが」 「どうぞッ親方! 塩気の効いたおむすびと濃いお茶。これ最強っス」 「ありがとう。……その、あんたも少し休んだほうが?」 「大丈夫っス! 疲れた時のために最強アイテムがあるっス!」 《無断拝借した某先生のハンカチ》が、ミチルたんの全回復アイテムであったそうな。 三雲文乃は、自分の店を置いてやってきた。 箒を右手にちりとりを左手に、ひたすら掃除をしつつ、古美術店から持ち出した品々をドンガッシュに渡した。破損した備品の代わりにということのようだが、かなりのハイグレードな逸品揃いであることは、そういった知識のないドンガッシュにもわかった。 「みなさん、作業が一段落したら、休憩してくださいな」 簡易テーブルに、紅茶とクッキーの缶が置かれる。 「早く直したいと思うのはもっともだけれど、ゆっくり休んで、楽しい気持ちでお茶をしておしゃべりしたら、また新しいアイデアがでるかもしれませんわよ?」 「いただこう!」 休憩時間のオヤツ目当てに颯爽参上した業塵さんが、えらいこと素早く反応した。 力仕事関係は皆さんにおまかせというか、運搬作業については、あたりさわりのない外見の蟲さんズを動員し、ひと仕事ふた仕事はすでにこなしている。 黒露衆という蟻さんたちが、オイッチニオイッチニ言いながら、一所懸命瓦礫の欠片を運んでいたのを見たものは多い。いい子達なのである。面倒臭がってあんまり喋らない主の通訳までしちゃうくらい。 「ドンガッシュに尋ねたい」 「何だ?」 「歯が抜けるほど甘い家具は作れるか」 「甘い家具……?」 「舐めること、或いは食べることが可能であるものが良い」 ……バニラフレーバーの、と、業塵は付け加える。ところで「バニラ」って和名もバニラなんですね。 「すまないが、菓子類は不案内で」 「駄目か……」 業塵はしょんぼりした。しょんぼりしながらも働かなければならないのだが。でないとチビ隊長と家主に怒られてしまう。 「菓子の家具か。0世界にはそんなに、甘いもの好きが多いのか?」 ドンガッシュは声を落とし、ラファエルに問う。 「そうですね、スイーツの需要は高いのではないかと」 「ううむ……」 絶賛しょんぼり中の業塵にドンガッシュは、鋼鉄製じゃないのコレ、レベルの骨太な飴製家具ならなんとか……、というようなことを伝えるのだった。 * 那智・B・インゲルハイムは、特に復興についてのあれこれなどは意識せず、ここに来た。 ぶらりとターミナルを歩いていて、偶然図書館前を通りがかり、なーんかみんな片づけをしているようなので、中に入ったのである。 「力仕事は私の担当じゃないんだけどなぁ」 そう言いながらも、散らばった本を一冊づつ、片づけ始めた。 もっとも、那智先生がぼやくまでもなく、力仕事関係はあらかた終了しており、あとは、こまごまとした本の整理や、什器、備品等の移動と設置を残すのみとなっている。 たまたま手に取った本を、那智は読み始める。 読む。読みふける。次から次へとやめられないとまらない。 ……結局、読書をしにきただけのような那智先生だが、それはそれで正しい利用方法だろう。 何といっても、ここは図書館なのであるから。 爽やかなアールグレイの香りが満ちる。 音成梓が、手製のクッキーを添え、紅茶を配っているのだ。 「みんな疲れてるだろうし、香りのいいのを選んでみたんだけど、どう?」 「悪くない」 そう答えたのは、読書疲れした那智先生である。 木の香も新しい作り付けの本棚を、ドンガッシュがめまぐるしい早さで設置していく。 梓もまた、散乱した本を整理するべく、台車に積み上げては運び始めた。 運ぶ。積む。運ぶ。積む。 しかーし。 梓は本を積みすぎた。 ふとしたはずみに本の塔は崩壊し……。 「うわ、ちょっと待っ、うわあああああああっ」 ――転倒した。セクタンのレガートも雪崩に飲み込まれる。 「ごめんな、レガート。痛くなかったか?」 レガートはぷにぷにと、頭の先だけを振り、答えてみせた。 「これは読んだことがあるわ。これも、これも」 Y・テイルは、一度読んだ本の内容を完全に記憶することが可能な、特殊能力者だ。一言一句、たがえずに書き出すことができる。 ゆえに、破損した本の内容修復を一手に引き受けていた。 「ひとりでは大変でしょう。私も手伝えると思いますよ」 テオが申し出た。 「あなたも全部覚えているの?」 「図書館で生活してたようなものですから」 「まずは書きおこしましょう。あとで打ち直すなりすればいいから。一冊でも、多くの子の形を元に戻すのが、先」 ふたりは手分けして修復作業にあたる。 破損した本たちは素晴らしい早さで、在りし日のすがたを取り戻した。 ――人の役に立ちたい。 それが橘神繭人の参加動機だった。繭人は什器類をひとつひとつ丁重に、いとしむように埃を落としながら、設置している。使いやすいよう、動線を意識しながら。 小麦いろの額に汗のしずくが浮かぶ。流れる直前に手の甲でぬぐうさまを、天摯は思いっっっきり目尻を下げて下げて下げまくりで鑑賞、いや、愛でながら(言い換えの意味なし)、自分の作業を地道に続けていた。 そもそもソードマイスター天撃さん、正直ゆって、可愛い繭人さんの働く姿を見たいがためだけに参加したんである。繭人さんの参加動機と比較してどうなのよそれ。 「繭が額に汗して働く姿を見るだけで、十歳若返る気がするのう」 いや天撃さん、千年以上生きてるけど、そんな勢いで若返ってたらどうなるの? 「天撃は俺を甘やかしすぎだよ。……そりゃ、すごくうれしいけど」 天撃さんの溺愛っぷりに繭人さんは照れてはにかむわけだが、その様子がまーた、天撃さんのテンションを高めるわけだが、そーゆーことに本人全然気づいてないっつーか。 高貴なお顔立ちが人目を惹く美壮年、シヴァ=ライラ・ゾンネンディーヴァさんも、天撃さんと同じよーに、繭人さんに目尻下げてはいるけれども、かろうじて天撃さんほど末期症状じゃあないんで、金色のふっわふわな触手を駆使して、せわしなく作業をしておられる。何かとお役だちの触手も非常時ではないため、半径数メートル程度しか伸びてはいないけれど。 (……おや?) さっと、天摯さんの顔色が変わった。 どうも、繭人さんが疲れてきたみたいなのだ。 これは一大事と、物質を創造するエレメントの流れを、いつもとは違う『再生』に変換して、そこら一帯の作業を一気にかたしたりなんかして、おいおい、そーゆーことは最初っからやれよー、と、周り中のロストナンバーから総ツッコミされたりして。 とりあえずシヴァさんは、ま、休憩も必要だ、と、どこからともなくティーセットを出してきて、繭人さんだけじゃなく、他の皆さんにもお茶とお菓子を勧めましたとさ。 * 汚れても構わない! そんな思い切りの良い服装で、仁科あかりたんは大活躍中だった。 安全第一、と書かれたヘルメットは、狙ったわけでもないのにドンガッシュとお揃いである。 軍手をはめ、口元にはマスク。ちなみにマスクはセクタンのモーリンとお揃いである。 ひとおとおり作業をこなしたあかりたんは、炊き出し部隊にも加わっていた。 蓋つきのカップに入れた飲み物や汁物。 片手で食べられるおにぎりやバニーをワゴンに乗せ。マナさんのごとく運ぶ。 「軽食とあったかい飲み物、いかーっすかー」 いかーっすかー、の声のもと、ワゴンの上のものは、あっという間になくなった。 あかりたんはラファエルのもとに走る。 「ラファエルさん、無料大放出、よろしくです!」 「かしこまりました。どれくらいの方がたの分をご用意しましょう?」 「わっちの見たところ、ざっと999人でやんすね。図書館側だけじゃなくて、旅団にいたひとたちも、けっこう来てくれてるでやんすよ」 ススムくんのひとりが、そう教えてくれた。 「………999人分。少々、お待ちください……」 さすがにラファエルは、食材の在庫を確かめ、ため息をついた。何しろクリスタル・パレスの全売上は、先日のレディ・カリスの首飾り発射のため、供出したばかりなのである。 「ええと……」 「ヘイ兄弟、男を上げると思って!」 だが、あかりたんの要請には逆らえない。 「……かしこまり、ました……」 「よっ太っ腹! 素敵!」 そっと額に手を当てたとき、ラファエルは気づく。 テーブルには、いつの間にか、ゼロが魚座号からもらってきたカレー鍋が、置かれていた。 * (スタンに引っ張られて来てみたけど。……あーだりー) ヴァージニア・劉は、すみっこに残っていた大きな瓦礫に腰かけ、ぼーーっと煙草をふかしていた。 (俺、こーゆー和気藹々としたの、苦手なんだよな) 劉を連れて来た金髪ツインテール美少女のほうは、けっこう楽しげに、再建作業に従事しているようだ。 「あ、ごめんなさい、おにーさん。その瓦礫、どかしていいですか?」 くるくる働いているロストナンバーの女の子に言われ、劉は立ちあがる。 (オレ邪魔か。……邪魔だな) ……仕方ねえなあ。 せっかく来たのに何もしないのもアレだしと、手伝うフリくらいはすることにした。 今 、座っていた大きな瓦礫を鋼糸でばらし、運びやすくする。 「ありがとうございます!」 さきほどの女の子が、さっそく片づけ始めた。 御礼にと、飲み物を渡される。 「あんた、ドンガッシュだっけ?」 ミチルに渡されたおにぎりを頬張っているドンガッシュに、劉は煙草を差し出した。 「一服やるかい? メンソールだけど」 ACT.4■光と緑の図書館 ――そして。 見上げた天井から、ふりこぼれる光。 四季の花が咲き乱れ、豊かな緑があふれる空中庭園。 木の香も新しい本棚の裏に縦横無尽に仕込まれた、隠し通路。 秘密の仮眠室。 複雑なカラクリ錠前を備えた金庫室。 スタイリッシュかつ、逸品ぞろいのインテリア。 新生世界図書館は、完成したのだった。 * 「あのさ、ひとつ頼みがあるんだが……」 ティーロは、ドンガッシュに言う。 その依頼内容は――ティーロが常連にしていたおでん屋台の再建だった。 ドンガッシュは晴れやかな顔で頷く。 「得意分野だ。まかせろ」
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