事の起こりはよくある話です、と鳴海は切り出した。「インヤンガイのとある屋敷で、悲劇が起こりました」 元々は花を売る小さな店だったと言う。それがどこよりも長持ちする花を売り出すようになって、どんどん大きくなった。「富を蓄え、余裕も出来、一族郎党ともども、これからますます繁栄していくばかりの時に、当主が突然亡くなってしまいました」 無理がたたったのか、それとも何か別の理由があったのか。「真夜中に、花の咲き乱れる庭園で倒れて事切れていたそうです。手にしていたのは土のついたねじくれた根だけだったとか。死因は心臓発作だとされていますが、本当のところはわからない、そう親族は考えたようです」 一族の中に芽生えた疑心は、莫大な遺産を誰がどれぐらい受け取るかということで一層こじれた。「とても不幸なことだったのですが、遺産相続に関する書類を書き換えようとした矢先だったらしく、遺言状は二通残されており、相続人の名前も別々だったとか」 不明瞭な遺言に、残された遺産を巡って、一族は血で血を洗うような争いを繰り返し、殺し合い、ほとんどが死に絶えた。 残ったのは、一族が仲良く暮らしていた頃の大きな屋敷のみだ。 屋敷はかつて『光華庭園』と呼ばれ、花を植えていた庭園をくるりと巡るように建てられた回廊状の建物だ。その一室一室に親類縁者が寄り添い合って暮らし、商売を繁盛させていたのだが、蓄えられていた財産も、持ち主が消えてしまっては野ざらしにされた砂糖のようなもの、あちらこちらから現れた餓鬼のような人間が、あっという間にことごとく奪い去っていってしまった。 ところが、十数年後、その今にも崩れそうな屋敷に、暴霊が出るという噂が立った。昼なお暗い屋敷の中を、時に大きく屋敷を揺さぶり、時に悲鳴のような絶叫を上げながら、何かを捜し求めるようにふらふらと彷徨い歩いているのだと言う。「花は咲いたか、まだ咲かないか、と問いかけてきて、咲いたと言えばすぐに渡せと詰め寄られ、咲かないと言えば、どこかへ行けと物凄い力で押しやられ、屋敷から放り出されるらしいです。屋敷を取り壊そうとしても、工事を請け負った者に次々と怪我人や病人が出る始末、結局どの工事も頓挫してしまったと」 噂を聞きつけて、探偵に依頼をしたのは、一族唯一の生き残り、シア・パイルン。「親族の心残りが何か、どうすれば満たしてあげられるのか……それが知りたいということです」 鳴海は、チケットを二枚差し出した。「向こうで、探偵のラオ・シェンロンが、シアと待っています」 どうか力になってあげて下さいね。「これはこれは…」 右目のモノクルを嵌め直し、ジョヴァンニは目の前に聳える三層の建物を検分する。正面には崩れかけた屋根に押しつぶされそうな玄関、奥は真っ暗で何があるのかもよく見えない。左右に広がっている部屋はこじんまりとした窓が一部屋に二つ並んだ造り、それがぐるりと回り込んで繋がり、その上二層に同じような部屋が積み上がる。「これだけの親族が……殺し合ったと言うのか」 隣に立ち竦んだ鍛丸が、苦い声で呟いて見上げる。 一部屋に一家族、いや数部屋で一家族としても、十数家族は優に居ただろう。同じように花を愛で、日々を暮らしていた身内が、遺産の行方に人心を失った。 傾いできている屋台骨、砕けて赤黒く汚れたガラス、獣の牙で削られたような柱に奇妙なぎざぎざの穴が開いた壁、あちらこちらの扉は開いているというより崩れている、が近い。 ふいに、風もないのに、がたがたがたっと激しく二階が揺さぶられ、内側を巨大なものが無理矢理押し通ったように三階の窓が次々割れた。「へたに入ると出て来れなくなりそうじゃな」「では、ジョヴァンニ殿は諦めるかのう」「なんの」 きらりとこちらを射抜いた黒い瞳を、ジョヴァンニは好もしく見下ろす。「十分に生きてきた老いぼれじゃからの、ぼちぼち年貢の納め時にしても惜しくはあるまい」 そんなことなど露ほども考えていないのは、さりげなく取り出したトラベルギアの黒檀の杖でわかる。「貴方はどうされるのかの」「儂は」 幼い少年に向けることばではなかった。内側の年齢に向けられた台詞に鍛丸は微笑み、すぐに顔を引き締める。「哀れじゃと思う……シアも、ここに縛られておる暴霊も」 もう終わらせてもいい頃じゃろう。 唇を引き結んで歩き出す鍛丸に、「同感じゃ」 ジョヴァンニも足を踏み出した。=========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>鍛丸(csxu8904)ジョヴァンニ・コルレオーネ(ctnc6517)=========
ジョヴァンニと鍛丸が屋敷に足を踏み入れても、それがきっかけで新たな怪異が起こる気配はなかった。さきほどまで、あれほど騒がしく回廊を揺らした気配も、二人の動向を見守るように静まっている。 「暴霊はやはり…当主じゃないかと思うんじゃが」 みしり、きしりと床板を踏む音が響く静けさの中、鍛丸が呟いた。 「金でなく花を気にしとるということじゃから、財産で揉めた一族の誰かではなさそうじゃのう」 ゆっくりとあちらこちらが崩れた回廊を見回す。壁には凝った壁掛けがぼろぼろになってかかっている。天井には花の絵が描かれている。庭園だけではなく、この建物そのものもいろいろな花で飾られていたのだろう。 「欲しがっている花は比喩でもなんでもなく本当に花を指すのか、それとも一族を指すのか……」 そう言えば、花は時として女性の比喩として用いることもあるのう。 独り言めいて呟いた後、ふと立ち止まって庭園の方を眺めているジョヴァンニを振り向く。 「ううむ、難しいのう。儂にはさっぱりじゃ。ジョヴァンニ殿はどのようにお考えじゃろうか」 ふ、とジョヴァンニは夢から醒めたように体を伸ばした。振り返ったアイスブルーの瞳がゆっくりと瞬き、微笑む。 「アルラウネを知っとるかね。媚薬の材料に魔女が使う毒草で、引き抜くと醜い声を上げ人を頓死させる。別名マンドラゴラ………空想上の植物じゃよ」 当主が握って死んでいたという根が気になるのう。 「何故庭で死んだ? しかも根を握って?」 「……何か、そういう類の不吉な植物だったということじゃろうか」 「庭園へ向かおう」 ジョヴァンニは近くの扉をそっと押した。蝶番が錆び付き、今にもがたりと崩れそうな扉は二重、手前と奥の格子を重ねても開いても楽しめる贅沢な造りだ。 「……何もかも、美しかったのじゃろうな、ここは」 家族が集い合い、笑い合い、あちらこちらに贅を凝らして飾り、日々を楽しんでいた。なのに。 「一族での争いか。いつの世も、どこの世界でもあるものなのじゃな」 鍛丸の声は僅かに嗄れる。思い出す光景、失ってしまった多くの繋がり、それらが息づいていた日々もまた、素晴しいものだった。 同じ血肉を、同じ時空を分け合って暮らしているはずなのに、人はどうして争い合い憎しみ合ってしまうのだろう。どうしてそこから、戻ろうとしないのだろう、穏やかな日々に。 鍛丸自身もまた、確かに昔は復讐に生きようとした、だが、重なった時の長さが彼にその空しさを静かに深くしみ込ませていった。いつかは誰も死んでしまうのだ、この栄華を誇った家のように。 「…当主は悲しんでおるだろうな……その心を慰め満たしてやるために、情けないことじゃが、儂には庭を花で満たすか、当主が死んだときに持っていた根っこの花を持っていくかくらいしか思いつかん」 沈んだ声で呟いた鍛丸は、気を取り直したように顔を上げる。 「ジョヴァンニ殿、儂は、子供の自分に覚醒したもんじゃから体力だけはある。 体を動かすことが必要なら遠慮のう言うてくだされ」 「…では、お言葉に甘えよう」 ジョヴァンニはゆっくりと庭園を歩きつつ、 「もうすぐ、シア嬢がこちらに着くはずじゃ。迎えに出てはもらえぬか」 「承知……儂も少し確かめたいことがある」 ちょうどよい、と鍛丸はくるりと身を翻した。 その途端、再びがたがたがたっ、と今度は二階部分を激しく鳴らしつつ、何かが通り過ぎていった。 「それでも、直接向こうては来ぬ、か」 鍛丸は駆け出しながら、ちらりと天井を見やる。 「儂らの謎解きを待っておるのか? ……じゃがしかし」 先ほどの窓ガラスの割れ方、巨大な根が無理やり通ったようにも見えたんじゃが。 ジョヴァンニもまた、二階を激しく鳴らしながら通り過ぎた影を見やり、また再び庭園を注意深く歩き始める。 枯れ果てた園はくしゃくしゃとした根が這い、おそらくは綺麗に区分けされていただろう花壇の囲みも何もかもを呑み込まんばかりの雑草がはびこり、所々に建物の破片が飛び散り、砕けたガラスが煌めいている。ボノーラの爪先に絡みつくような草地、ジョヴァンニは立ち止まり、静かに見下ろした。生い茂った草木の下に、他の地面より一層黒く煤けた場所がある。 「焼け跡のようじゃが…」 燃やそうとしたのか、この庭園を? そのような情報はなかった。故意に隠されていたのか、それとも。 ジョヴァンニは再びゆっくりと歩き出す。背後で何度も何度も、二階を、そして三階を、激しく揺らせる風が吹き過ぎるが襲いかかってくる気配はない。同じように煤けた地面を探していくと、それが庭園の中央の花壇をぐるりと取り囲むような状態になっているのに気づいた。その中央庭園は真ん中を小道が通り抜けている。 「ひょっとすると…ここか、当主の倒れておった場所というのは」 中央花壇は草がはびこっていなかった。黒々としたしっとりした土が、掘り返された状態で残されている。表面が乾燥さえしていない不思議さに、杖でそっと周囲の土を避けてみると、奇妙に艶やかな白い根が見えた。よくよく周囲を見てみると、花壇を取り囲み、一定間隔で区切るように細い水路がしつらえてある。そして今も、そこにはちょろちょろと音をたてて水が流れていた。 「よほど大事に育てていたのじゃな」 ジョヴァンニが呟いたのは、花のことだけではない。一族の裔を憂い、幸あれかしと願うのは、それに責務を負い、率いる当主ならばこそ。ジョヴァンニもまた、同じ軛に繋がれている。 「なのに、それを燃やそうとしたのはなぜじゃ」 暴霊が今更で出したのには理由があるはず、当主が求める花とは十数年に一度しか咲かない類のもので、それが今年にあたるのではないかと考えていた。だが、それならなおさら、燃やそうとした状況は辻褄が合わない。 「いずれにせよ、儂が当主なら唯一人生き残った娘の身を案じ、何かを託そうとする筈」 シアが来れば、新たな展開もあるだろう。 「ジョバンニ殿!」 背後から声が響いて振り返った。 「…本当に、私が近づいても大丈夫でしょうか」 「どうしてそう思うのじゃ?」 事の次第がどうなるのか確かめたくてたまらない、それでも自分が同行してもいいのかと繰り返し訪ねるシア・パイルンに、鍛丸は首を傾げた。 「……夢を見るんです。近づくな、近づくなと、誰かが繰り返し迫ってくる夢。最近特に強くなりました」 「推理はあまり得手ではなくてのう」 鍛丸は苦笑した。 「ただ、少し気になっておることはある」 考え考えことばを紡ぐ。 「そもそも、その当主が生み出した長持ちする花とはどうやって作ったもんなんじゃろうな」 一瞬ためらい、やがてはっきりと口にする。 「花の品種改良や、肥料や水の工夫によるとか、後は…嫌な想像じゃが亡霊の力でとか…いや、亡霊の力でなければいいんじゃ。シア殿は何か知らぬか?」 「亡霊の、力…」 シアは複雑な顔で唇を噛む。 「いや、戯言じゃ、忘れてくれ」 鍛丸は慰めるように明るく言い放つと、薄暗い建物の中へ先に入った。直前まで大きく揺れていた建物が、シアが入ったとたんにぴたりと動きを止める。 「こちらじゃ……ジョヴァンニ殿!」 建物を潜り抜け、庭園へ降り立って声をかけると、老紳士は振り返り、かすかに頷いて黒檀の杖を振った。 「…ああ!」 「おお……見事じゃ」 堪えかねたようなシアの声、鍛丸の感嘆も当然、枯れて干涸びて崩れそうだった庭園に一気に花々が甦った。目を射るばかりの鮮やかな色彩、黴臭かった空気を一瞬にして包む香気、風に揺れる花の波、そのただ中に立つジョヴァンニも、花々が跳ねる光を浴びて若返ったように見える。 「おじ、さま…っ」 まるで幼い少女に戻ったように、シアが走り出した。ジョヴァンニ目指して駆け寄る、と同時に。 ぐおあああああああっ! 「っっっ!」 大音量の怒号が響き渡り、三階部分の屋根が数カ所同時に吹き飛んだ。伸び上がる赤黒い蔓、とげとげした根が庭園目指して猛々しく突き出される。 「来るかっ」 鍛丸が周囲を見渡し、刀を抜き放つ。 だが、三階を満たして所々から突き出された巨大な蔓と根は、うねうねと揺らめきつつ、三人を貫こうとはしない。いつでも攻撃に移れる状態なのに、まだ攻撃してこない。 「こちらへ、シア嬢」 ジョヴァンニは油断なく視線を走らせながら、それでも穏やかにシアに微笑んだ。 「君にとっては忌まわしい場所だが、それだけではなかろう。幸福な思い出もあった筈じゃ」 さきほどの呼びかけは、かつての当主に対してなのじゃろう。駆け寄る君には完全な信頼があった。 「ずいぶん幼い頃じゃろうが、主が言ったことばを少しでも覚えておらぬかね?」 「え、ええ、はい…あの…」 あれは、おじさまの暴霊なんでしょうか。 悲しげに目を潤ませるシアに、おそらくは、と応じたジョヴァンニは、周囲を取り囲む敵を恐れた様子もなく、まるでダンスホールを歩むようにシアをエスコートしていく。 「主は花を探しておるようじゃ。何か心当たりはないかね」 「はい…何度も考えてみましたが、これと言って思い当たりませんでした……さっきまでは」 「ほう?」 「さっき、あちらの方に『長持ちする花はどうやって作ったのか』と聞かれて、思い出したことがあります」 長持ちする花はこの庭園の中央花壇で作っていた。主に世話をしていたのは主だったが、その主はこの花は我一代で終わりにする、と言っていた。それに同意する者、反対する者、一族の意見は分かれていたが、主が死んだ後揉め出したのは、そのせいもあったのかも知れない。 「ちょうどこのあたりに咲いていたと思います」 「我、一代で、のう………おや」 ジョヴァンニは指差された場所に目を落とし、静かに屈み込んだ。 「こんなところに断ち切られた根が」 ぐああおおおうううううう!!! 「ジョヴァンニ殿!」 「っっ!」 それまで見守るだけで襲いかかってこなかった蔓と根が、突然ジョヴァンニとシアを目指して飛びかかり、鍛丸は走った。二人に突き刺さりそうな距離で踏みとどまり反転、一瞬の精神統一、抜き放った日本刀で蔓を切り、這い進んできた根を断つ。ジョヴァンニにも隙はなかった。黒檀の仕込み杖が空間を切る。目の前の蔓と根を切り飛ばしただけではなく、そのまま飛ぶ不可視の刃、三階の窓を縫う巨大な暴霊を切り裂いていく。続いて出現した荊の鞭が這い寄った根をはねつけ、薔薇の結界がシアを守った。 「そこまでじゃ、主殿」 ジョヴァンニが背後にシアを庇いながら呼びかけた。 「徒に脅してばかりでは話にならん。おぬしの欲する花とは何じゃ? 死に際掴んだ根と関係あるのかね」 う、ぐおあああああ……っ。 呻くような嘆くような声が庭園に響き渡った。 「……ジョヴァンニ殿。足下を」 「……これは…」 鍛丸の声に視線を落としたジョヴァンニは気づく。中央花壇を流れる細い水路に満たされているのは、さきほどまでの清冽な水ではない。どろりと赤く濁った水、生臭く鼻を突く金気は。 「……主殿。まさか、例の花は、貴方の生き血を啜って咲いていたのかね」 ぐあぅおおお……っ。 わさわさばりんばりんと周囲の建物が噛み砕かれていく、猛々しい蔓と根の牙に。ぶるぶる震えながらのたうつ姿は、さながら呪縛に縛られた蛇だ。 やがて、空中に漂うように三人に見えてきた光景がある。 少しでも長く持つ花を。ただそれだけの願いのために、『光華庭園』は主の血を元に組上げた術を使った。一族が栄え、安楽に暮らせるまで、始めはそのつもりだった。 その願いはすぐに永遠の繁栄へとすり替わった。それでも主は拒まなかった。我が身一つで一族が保つならばと覚悟をした。だが、衰え始めた体を休ませていた夜、聞いてしまったのだ、新たな術を組上げ、代々の主が体を供して栄えようとする計画を。 人の欲望には限りがないのだと悟った。次代に惨禍を残さぬためには、その花の大元の根を断つしかない。厳重に守られている根を様々な方法で滅そうとしたが果たせず、ついにあの夜、命は尽きた。 迷ったのだ、と気配は嘆いた。我が一代で処理するべきものを、それでも私は迷ったのだ、この一族の笑顔をなくしたくないと。その結果がこの有様だ。 大元の根を私は確かに滅したのか、それとも誰かに奪い去られたのか。あの花が再び咲いたなら、私と同じく愚かな当主が試みないとも限るまい。だが、今の今まで見つけられなかった、その根を、お願いだ、始末してくれ、全てを焼き払い、塵に戻して眠らせてくれ。 「……おぬしの無念は汲んで余りある」 ジョヴァンニは深く溜め息をついて、背後を振り返った。 「シア嬢、彼に伝えたい事があれば遠慮なく言いたまえ。不肖、このジョヴァンニ・コルレオーネが仲立ちを申し出る」 人は花弁。一枚一枚が環に繋がって家族という大輪の花を咲かせるのじゃ。 それを忘れて、一人の犠牲で花を保たせようとした心こそ、哀れではないか。 「当主の誇りを継ぐのも、一族を捨てるもよかろう」 鍛丸も刀を消して、シアを振り仰いだ。 「おんしの選択を非難できる者はおらん」 「花は……」 シアは零れ落ちる涙をゆっくりと拭った。 「花は汝のうちにあり、と……私は習いました」 孤児になった私を育てて下さった、小さな優しいおばさまに。 「だからまっすぐ、お日様を見て咲きなさいと。そしていつか、お日様が翳ったら、そのまま静かに逝きなさいと、そう言って……おばさまは亡くなった」 唇を噛むシアは、涙を振り払った。 「ご安心下さい。一族の繁栄はなくとも、不浄の根は今ここで確かに滅します、おじさま」 ぐぉおおおおおんん……ぐうぉおおおおおおおんん…。 泣くような声が響き、背後の崩れた屋敷がずさんずさんと激しく揺れる。 「では…鍛丸、参るっ」 踏み込みに一瞬逃げ惑うように跳ねた根が、まるで新たな獲物を見つけてしがみつこうとする芋虫のようにジョヴァンニに飛ぶ。だが。 「シア殿」「はいっ」 ジョヴァンニの杖をシアも握った。切り裂く空間に呼び込まれるように根が分断される。続いて鍛丸が放った一閃に、今度は縦割りに切られ、その瞬間、空中で紅の粘液を吐いて弾け、すぐに紫の炎に燃え上がった。 ぐがあっ……ううう……ぉおおおおおおお! 響き渡る大音声、庭園のそこここで同様に紫の炎が舞い躍り、やがてそれも次第次第に小さくなり。 『光華庭園』は、ついに寂れてうら悲しいばかりの、灰色の庭に戻っていった。
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