オープニング

「ヘンリー&ロバート・リゾートカンパニー」は「異世界への旅」を行うことで、一人でも多くのロストナンバーに、外へ出る機会を与え、お互いの交流や、それぞれの旅の目的への意識を高めさせることを意図している。小難しく言うと『ロストナンバーのメンタルケア及び、異世界への理解と適応の可能性を探る事業』だ。
 しかし、今回は。
「いろいろ聞いてみたんだけどね」
 下調べに出向いたヘンリーはおっとりと笑う。
「ここには何にもない、そうなんだよ」


 場所はヴォロスの北方の辺境、ザードという街。
 もっとも街というよりは、森の中に石造りの屋敷が立ち並んだ場所で、小さな街には不似合いなほど大きな墓場がある。近くの村までかなりの距離があり、行き来も少なく、訪れる者もほとんどいない。

 街の世話役、黒髪、黒い口髭のバルド・グンディックの話。
「ああ、確かに私の家は、ザードの街では一番の大きさだ。百室ほどもあるかね。街を造った時に建てられたらしいが、なぜそんなに部屋数を作ったのかは知らんよ。二階建てだが、あちこちに繋がってて迷路だ。開かない部屋もあるね。詳しくは私達も知らないよ。肝試し? ああ、そういうことなら屋敷を開放してもいい。私達家族が使っているのは数室だから、後は好き勝手にうろついてくれても構わない。家族かね? …今は私と妻のシャイルと娘のリールだ。他に使用人が数人だね。まあ、時々おかしな物音がするようだが、せいぜい壁掛けが落ちているぐらいだろう。迷子になったら、部屋のどこかにある薔薇の飾りを押してくれればいい。鈴が鳴るそうだから、それを頼りに捜しにいってあげよう……けど、たいしたものはないよ、何も」

 ザード墓場の墓守、白髪細身のコナーズ・ファイモンの話。
「そりゃあ、広い墓場ですさ。街が始まったときからの死人が埋まってますしさ、ひゃひゃひゃ。儂はもう五代目になりますかいの、え、計算が合わない? 固いことは言いっこなしですさ。そういや、ガズウィック・ゴンドンの墓の話を聞いたことは? ない? 墓場の一番奥にあるはずですさ、それがまあ、身内が捜そうとすると雲隠れする困った墓ですさ。何でも賭け事が過ぎて一文無しになって、自分が死ぬ時を賭けて、外れそうになったってんでリーズ河に飛び込んだ馬鹿な男ですさ。今でも身内の借金に追われては墓ごと逃げるのに、見知らぬ人間がやってくると、いつ生き返るかって賭けをしに戻ってくるそうですさ。へ? ひゃひゃひゃ、冗談に決まってますさ、おかしな人だ、真面目に聞いて。広いことは広い、手入れはきちんとしてますさ、まあただそれだけの墓場ですさ、他には何にもないですさ」

 『オ・ブ・リーズ』の女主人、金髪碧眼のファライラ・ミルトの話。
「ここはリーズ河湖畔では唯一の食堂よ。露天のテーブルは真夜中の星空を眺めるため。昔、この食堂を開いたマイラ・ルートガルドが、夜空を駆ける流れ星を見るために作ったそうよ。噂ではピンク色の目だったとか。あり得ないけどね。信じられないほど美人で長生きだったそうよ。でもどこから来たのか、誰も知らないわ。うちの料理は、じゃがいもを焼いたのと、肉を焼いたのと、野菜を茹でたの。パンはきいちご入りとクルミ入りと、コーダって知ってる? このあたりで採れる濃い緑の野菜。生だと凄く苦いんだけど、パンに入れると、苦みがまろやかになっておいしいのよ。リーズ河は流れが速いから、魚は捕れないの。時々、ルシカがガワイルを持ってきてくれるから、それと野菜を煮込むのも出せるけど、滅多にないわね。ガワイル、知らない? でっかい顎の大きな目の銀色の魚。……そうそう、そのさけって魚と似てるかも。身は赤いのよ、似てるわね。でも、そうたいしたものはないわ、何も」

 街灯磨きをしていた少年、パルコ・プクラの話。
「うん、そうだよ、ここいらの子は街灯を磨くんだ。ガラスが蝋燭の煤で煙るから。危なくないよ! 梯子だって、ちゃんと固定するし。毎日一回、通りをぐるっと。一日あればいいかな。グンディックさんからお小遣いもらって。学校? あそこにあるよ。でも、毎日はないんだ。仕事はみんなで分けっこするよ。お小遣い? 星祭りで使うに決まってっだろ。星祭り知らないの? もうすぐだよきっと。『オ・ブ・リーズ』でお菓子が出るの。その日は街灯消すしね。通りも真っ暗。お墓も真っ暗。コナーズじいさん、よくけつまづいてるよ、にひひ。ううん、他に何もない。屋台? 店? ううん、何それ。そんなものないよ。一番綺麗な星だって決めた日に、グンディックさんが街灯を消して、ルシカが持ってきたおもちゃ見せてくれて、『オ・ブ・リーズ』でお菓子出して、皆で星を見るの。うん、来てもいいよ、星は皆のものだもん、時々知らないきれいな女の人も来てるよ。あの人、どこに住んでるのかな」

 森の中できのこ採りをしていたルシカ・バワズの話。
「星祭り? ああ、あれは何だろな、『オ・ブ・リーズ』を始めた女性が、それを記念して始めたらしいよ。ここで店を開けたのは皆のおかげだからって。こんな街だからさ、金を使うことも楽しみもないし。俺も木こり仕事の片手間に作ったおもちゃを持ってくんだけど、喜んでくれるよ。ガワイルか。実は少し先にいい場所があってさ、そこでならあいつを掴み取りできるんだ、けど内緒だぜ。え? いや、俺は街に住まない。何だろな、息苦しくってさ。この奥の小屋に住んでる。ああ、いいよ、そんなに大きくないし、泊まるなら雑魚寝だけど。もっと奥には、誰かが住んでた小屋もある。俺みたいな奴がいたんだろなきっと。ああ、使いたいなら掃除しといてやるよ。竜刻? ザードじゃあんまり意味がないかもなあ…そりゃ、どっかに何かの影響はあるんだろうけど。人も少ないし、交流もないし。ここは年中静かでさ、目立った嵐も大水も地崩れもない、いや、ここには何もないよ、ほんと」


「何もないというより」
 ロバートが苦笑しながらヘンリーを見やる。
「気づいてない、というべきかな」
「だろうねえ」
 ヘンリーは頷いた。
「でも、そういうものじゃないかな、日常って」
 穏やかな笑顔で続ける。
「当たり前過ぎて見失ってしまったもの。離れて初めて見えるもの」
 微笑む青い瞳は彼方を見やる。
「では、ツアー企画を進めよう」
 街や小屋などに泊まり切れない場合もあるだろうから、森の外れに目立たないように宿泊施設を建ててくれるよう、ドンガッシュに伝えてくる。
 ロバートは企画書を手ににこやかに立ち上がった。


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!注意!
パーティシナリオでは、プレイング内容によっては描写がごくわずかになるか、ノベルに登場できない場合があります。ご参加の方はあらかじめご了承のうえ、趣旨に沿ったプレイングをお願いします。
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品目パーティシナリオ 管理番号2863
クリエイター葛城 温子(wbvv5374)
クリエイターコメントこの夏はお化け三昧となりました葛城です。
この度、相沢 優さまの発案により、『ヴォロス、ザード街でひんやりなしっとりな夏を過ごしちゃおう』ツアーが企画されました。
街の住人のコメントによりますと「何もない街」だそうです。お楽しみは皆様の努力にかかっております(え)


ツアーが勝手に取り上げておりますイベントは、

【1】バルド・グンディック家を探索、迷路+迷子。
【2】コナーズ・ファイモンの墓場で肝試し。
【3】ファライラ・ミルトの食堂で星を見つつお食事。
【4】パルコ・プクラと一緒に街灯磨き+星祭り。
【5】ルシカ・バワズと森の中を散策+山小屋泊まり。

となっております。
ちなみに、キーとなる行動が幾つかありまして、それらがプレイングに含まれていますと、

【1】バルド・グンディック家の幽霊と遭遇。
【2】ガズウィック・ゴンドンの墓の出現。
【3】ガワイルの提供。
【4】マイラ・ルートガルドの幻と会話。
【5】森の主との邂逅。

が起こります。
また、このシナリオにはNPCは参加いたしません。よろしくご了承下さいませ。


もちろん、イベントに関わらず、静かでしっとりしっぽりな夜を過ごして下さっても結構です。散策できる場所、ひっそり佇める場所は、この街にいくらでもあります。



では、何もない街へ、ようこそ。

参加者
相沢 優(ctcn6216)コンダクター 男 17歳 大学生
舞原 絵奈(csss4616)ツーリスト 女 16歳 半人前除霊師
ゼシカ・ホーエンハイム(cahu8675)コンダクター 女 5歳 迷子
ミルカ・アハティアラ(cefr6795)ツーリスト 女 12歳 サンタクロースの弟子
旧校舎のアイドル・ススムくん(cepw2062)ロストメモリー その他 100歳 学校の精霊・旧校舎のアイドル
百田 十三(cnxf4836)ツーリスト 男 38歳 符術師(退魔師)兼鍼灸師
メアリベル(ctbv7210)ツーリスト 女 7歳 殺人鬼/グース・ハンプス
花菱 紀虎(cvzv5190)コンダクター 男 20歳 大学生
吉備 サクラ(cnxm1610)コンダクター 女 18歳 服飾デザイナー志望
エレナ(czrm2639)ツーリスト 女 9歳 探偵
シーアールシー ゼロ(czzf6499)ツーリスト 女 8歳 まどろむこと
橡(cnmz5314)コンダクター 男 30歳 引きこもり侍
アマリリス・リーゼンブルグ(cbfm8372)ツーリスト 女 26歳 将軍
サシャ・エルガシャ(chsz4170)ロストメモリー 女 20歳 メイド/仕立て屋
キリル・ディクローズ(crhc3278)ツーリスト 男 12歳 手紙屋
ジャック・ハート(cbzs7269)ツーリスト 男 24歳 ハートのジャック
司馬 ユキノ(ccyp7493)コンダクター 女 20歳 ヴォラース伯爵夫人
ルン(cxrf9613)ツーリスト 女 20歳 バーバリアンの狩人
音琴 夢乃(cyxs9414)コンダクター 女 21歳 学生
川原 撫子(cuee7619)コンダクター 女 21歳 アルバイター兼冒険者見習い?
音成 梓(camd1904)コンダクター 男 24歳 歌うウェイター
森山 天童(craf2831)ツーリスト 男 32歳 鞍馬の黒天狗
コタロ・ムラタナ(cxvf2951)ツーリスト 男 25歳 軍人
村山 静夫(csrr3904)ツーリスト 男 36歳 ギャング
ナウラ(cfsd8718)ツーリスト その他 17歳 正義の味方
仁科 あかり(cedd2724)コンダクター 女 13歳 元中学生兼軋ミ屋店員
ユーウォン(cxtf9831)ツーリスト 男 40歳 運び屋(お届け屋)
虎部 隆(cuxx6990)コンダクター 男 17歳 学生
ジューン(cbhx5705)ツーリスト その他 24歳 乳母

ノベル

 来訪者を迎えたバルドは黒髪も口髭も真っ白になるような恐怖を覚えた。
「いやぁ、殆どのお部屋が使われていないと聞けば、同じモノとしちゃ掃除の一つぐらいしてやろうってぇ気になるじゃありやせんか。それでもまぁ、部屋数と同じ百人で繰り出しちゃ、肝試しする方が興ざめでやんしょ? 適度に居て適度に居ない、この匙加減は20人程度かと思いやして。1人5部屋換算なら、朝までに掃除も終わりそうな気がするでやんしょ?」
 まくしたてたのは掃除道具を持った瞳孔散大中の旧校舎のアイドル・ススムくん達だ。その横から目をきらきらさせた司馬 ユキノが進み出る。
「巨大なお屋敷を探検できるなんて、すごくわくわくです! きっと全部屋踏破してみせます!」「う、うむ」
 清楚な少女の期待感に思わず頷き、
「皆さんにお話を聴いていいですか? 壁掛けが傾く、不思議な物音が聞こえる、影を見たとかそんな場所、きっと何か法則があると思うの。この家にまつわる物語とかも知りたいわ。本や歴史書のある場所は?」
 頬を紅潮させるエレナの熱意に、つい譲ってしまい、
「図書室ならあるが。案内しようか?」「是非!」
 残りのロストナンバーを見遣って、バルドはようやく微笑み、扉を開いた。
「ようこそ、バルド・グンディック家へ」

「二階へ十名!」「わかりやした!」「一階奥へ十名!」「へいっ!」
 ススムくん達はあっという間に散らばっていく。関節をかくかく言わせながら階段を駆け上がっていくのを見ながら、
「海外にさ、ここと同じように部屋のいっぱいある家があるんだ」
 音琴 夢乃と肩を並べ、花菱 紀虎は、嬉しそうに周囲に並んだ扉を示す。
「そこは今でも増改築を繰り返しているし『何が』いるって言うのもちゃんと分かってやってるんだけどね。ここの人はそれが当たり前すぎて気付いてないんだね、いや気付いていてそれでも当たり前だって言ってるのかもだけど」
「うん、そうかも知れないね」
 ここから始めようか、とホールの一番端の扉を開けてみる紀虎の背後から覗き込み、夢乃は、わあ、と目を見開く。
「凄いなこれは」
 開けた部屋はホール、入ってきた扉を含め六つの扉がある。右隣の扉を開けてみるが、玄関ホールに戻るはずの扉は曲がった廊下と一つの扉に続き、そこを開けると、また六つの扉のあるホールに戻る。
「どうなっているんだろう」「探検みたいだね」
 目を輝かせて足を踏み出す紀虎に遅れまいと夢乃は足を踏み出す。もし紀虎と離れた後に合流して、幽霊いなかったね、なんて話を振ったら、いやいたよ、なんて真顔で言われたりして。
「待って、紀虎くん」
 急に怖くなる。

 ミシミシッ。なぜ来てしまったのか。橡は今激しく後悔している。いや、もちろん自分はお化け屋敷の主だがよそは怖い。実のところ、我が家だっていまだに怖い。なのになぜ。ピシッギシッ。
「ひい…っ」
 今後ろに何かが過らなかったか。パンッ。というより視界の端に何か立ってないか。おかしい先ほどまで側に居た皆は一体どこへ。しかも時々いきなりピシだのパシだの、ああもうたすけて、ちんじゃう。
「誰か、誰かいないか!」
 声は前方の真っ暗な廊下に吸い込まれた。なぜこれほど暗いのだ危ないじゃないか全く、ってか今何か走った光が走った! 震えながら飛び込んだ場所は小さなベッドにくまのぬいぐるみ、子ども部屋か? 薔薇の飾りはあそこにある、あるが押す訳にいかぬ、男として侍として押す訳には。ムクムクッ。って、くまが起きた勝手にくまが起きた起きた起きた!
「バーミヤーン!」
 今にも泡を吹いて卒倒しそうな橡の前に、仁科 あかりが颯爽と登場した。橡を引っ掴みひっ攫い部屋を飛び出す。
「そいやっさー!」「仁科殿っ!」
 投げられたギアの禍々しい仮面は凄まじい声で笑って空を駆け、怖さは倍増し、必死に繋いだ手は離さない。
「何でこんなトコ来ちゃったのー? 探したよー」「俺は来る予定では」「え、間違えたの?」
 訝しげに尋ね返されたもののの、友達だもんねとにっこり。
「わたしがついてるから大丈夫。また出たら俊足で一緒に逃げるから!」「おおお仁科殿!」
 仁科殿がおられるなら及び腰になってもおらるるまい、と橡は何とか胸を張って、仁科を、いや主として小弥太を庇いつつ歩き始める。

「うーん、ここは窓が一つもない」
 ユキノは屋敷の地図を描きながら進んでいる。もう三十ほどの部屋を通ったか。入った部屋はその都度描き足し、特徴的な事柄はメモし、どうしても入れない部屋、構造上の矛盾を感じる箇所は周りの部屋を調べて入り口を探す。実はそうやって見つけた小部屋が今までに三カ所はある。まだまだ隠し扉とか隠し階段があるに違いない。
「家具の裏とか絵画の裏とか、床下とか徹底的に探すぞー!」『おー!』「!」
 背後から響いた声に振り返る視界の端でぱたりと締まった扉、慌てて扉に飛びついてもノブが回らない。よく見ると、それは壁に掛けられた絵だ。
「今開いた、よね?」
 ユキノは地図を見下ろす。確かにここは壁にしては厚すぎる。こんこんと叩きつつ耳を寄せると、コンコン、と音が返って固まった。

「私、コタロさんが世界を選んだ時の気持ち、少しだけ分かる気がしますぅ」
「……」
「私の行動原理、怒りが基本みたいですぅ。理不尽を体験すると、我慢できなくなっちゃうんですぅ…」
(いつかそうやって、世界を選ぶ時が来たら…コタロさん、私、どうしよぉ…)
 コタロ・ムラタナにあわせ暗視はなし、腕を組む機会を探りながら川原 撫子はロボタンを抱えて進む。当のコタロは自信ありげにずんずんと廊下を進み、ずんずんずんと部屋を通り抜けていくが、実はもうパニック寸前だった。
「コタロさん、腕組んでも良いですぅ?」
 頼りなげな撫子にがつっと手を握った。もうこうなったら後には退けない。退却する時は部隊が殲滅する時だ。せめて撫子に己の恐怖を伝えられたら良かったのに! なのに、コタロの力強さに撫子が頬を染める。
「コタロさんらしいですぅ☆大好き☆」
 視界が潤んだ。怯えている事に気づかれたくない。逃げ出すために民家を破壊するわけにはいかない。ぼろぼろのカーテン、壊れた扉や椅子、突き進むにつれて真なる暗闇に向かっている気がする。と、奇跡のように、すぐ側の壁に金属の薔薇が見えた。無意識に手を伸ばす逃げ出すわけではないただこの飾りに触れてみたいだけだ、が。
「コタロさん?」「…くっ」
 壁の奥で何かがバシリと鳴って指先に振動があった。鈴は鳴らない。おそらくは壊れてしまったのだろう。ああ、機械音痴。

 バルドに図書室に案内してもらったが、そこに来るまでも十分複雑な経路だった。記憶力を生かして脳内マッピング済み、玄関まで戻るのは容易いが、エレナは自主的に迷子になってみる。使用人達は奇妙なことが起こるのは決まった部屋ではないと言い、家族は思い当たる節はないと言ったが、エレナは図書室でたくさんの絵本を見つけた。リールが読んだにしては新しいし、バルドやシャイルにそんな趣味はない。ならばこの本は誰のものだったのか。考えつつ開いたアルバム、一家の写真に見慣れぬ少年、書かれた文字は『ユール・グンディック 五歳』。だが次の年の一家の写真は三人きりだ。脳内マッピングした五十室をチェックして、薔薇の飾りのある部屋は子ども部屋仕様なのを確認した。
「ユール? あなたなの?」
 人が彷徨い歩く音、掃除の音が響く屋敷の中、やがて軽い足音が正面から近づいてきた。少し先で立ち止まる。白いレース靴下、磨かれた黒靴の足が暗闇に浮かび上がる。
「アルバムにメモとあなたに贈られた誕生日のカードがあったわ。五歳の時に死んでしまったのね? それからずっとここにいるの?」
 足はととん、と軽くステップを踏んだ。それからこつこつと歩き回ってみせる。
「やんちゃで冒険好きだったそうね。でも体が弱くて外に出られなくて。薔薇の飾りはあなたが苦しんだ時にすぐに助けが呼べるように作られたのね。結局、それを使う前にあなたは死んでしまったけど。今もそうやって屋敷の中を探検しているの?」
 ここん、と靴は応じた。いささか不満そうに、こつこつと歩き回ってみせ、問いかけるようにエレナの前に仁王立ちする。
「…違うのね」
 エレナは微笑んだ。この気配を探偵の彼女はよく知っている。悪に対する正義の盾、理不尽に屈さぬ誠実の槍、真実を守り虚偽を暴く誓いを立てる者の誇り。
「…あなたは、この屋敷を守っているのね」
 では、お願いするわ。エレナは敬意を示して会釈する。
「あなたの王国を案内して頂ける?」
 こここんっ。靴は弾んで、エレナを先導し始める。


「ガワイル見てみたいし食べてみたいです! 夜になればお魚も寝てて捕まるかもしれません! 頑張って探しに行きます! ところでマイラさん、この辺で湖畔はどこですか? 森の方の行動範囲、何となく上流方面かなと思いますけど」
「ああ、湖畔はもう少し下流になるわよ」
 それより、あなた、凄い格好よねえ。
 ファライラは驚いたように青い目を見張る。それもそのはず、吉備 サクラはラッシュガード・ラッシュトレンカの上に、ウエットスーツ・マリンブーツの水中での擦過傷などを警戒した完全防備、セクタンはクラゲタン、しかもロープ・投網を持参、何としてでもガワイルを捕まえるぞという勢い恐るべし。
「ガワイルは朝方に遡上するらしいの。考えてみれば不思議よね、山に向かって河を遡っていくなんて」
「星を見ながらお食事なんてロマンチックですよね」
 サシャ・エルガシャはいそいそと手伝う。
「お料理もとってもおいしいです」
「ありがとう。お礼にさっき話していたレシピ、後で教えるわね」
 ファライラは味見を勧めた料理を褒められ嬉しそうだ。
「でも、本当手つきがいいわね、うん、愛情籠ってる。誰か大切な人がいるのね?」
「ええっ」
 ずばり当てられてサシャは見る見る赤くなる。ロキ様のお嫁さんになったら毎日手料理で労ってあげたい、けれどロキ様は料理が上手、旦那様より料理が下手なのは恥ずかしいから一杯修行しよう。そう決めていたからなおさらだ。
「女主人さんの恋の話も聞きたいな。好きな人とかいるんですか? ひょっとしてそのガワイルを持ってくる男の人?」「えっ…あっ」
 無邪気に問いかけたとたん、ファライラは手を滑らせた。かろうじて皿を割らなかったものの、うろたえた顔で首を振る。
「そ、そんなルシカは、私みたいなおばさん、好きじゃないと思うわ絶対」
「けしからんな、誰が貴方を『おばさん』などと呼んだのだ?」
 『オ・ブ・リーズ』にやってきていた御婦人達に囲まれていたアマリリス・リーゼンブルグが、耳聡く聞きつけて振り返る。
「この果汁酒の選択、じゃがいも料理の絶妙な塩加減、肉の焼き加減も蕩けるような野菜の甘さも全て貴方が素晴しい女性であることを語っている。貴方の存在は、この店にあってコーダのように全てをまろやかに味わい深くしている」
 彼女のテーブルにはぎっしりと料理が並び、さっきもファライラがその量に驚いたが、職業柄、身体を動かしているので平気な量だと笑い返していた。周囲の女性達が口々に自分の評価を尋ねるのに、如才なく、貴方は香り高い美酒、貴方は華やかな果実、と口を極めて褒めたたえて、アマリリスはグラスを差し上げる。
「星空を眺めながら美味い食事とは最高に贅沢な時間だ。普通というのは案外、何よりの贅沢であり幸福だ」
「本当……星祭りには絶好の夜になりそうね…」
 濃さを増していく空にはちらちらと星が遊び始めている。と、その時、『オ・ブ・リーズ』を目指して何かを重そうに下げてくる男が現れた。
「ルシカ!」「やあ、ファライラ! ガワイルを二匹進呈するよ!」「まあ!」
 今夜は奴らが遡ってくるのが妙に遅くて、うまく捕まえられたんだ、可愛い助っ人も現れたしな。
「いつもならあっという間にやってきて、すぐに戻っていってしまうんだが」
 アマリリスは微笑した。実は夜になる前にリーズ河の流れを魔法で一時的に緩めておいた。激しく跳ね回っていたガワイル達が、戸惑ったようにゆっくり遡上していくのを確認していたことや、魔法のせいで傷んだ翼をおくびにも出さず、ルシカを呼ぶ。
「一緒に呑まないか。ファライラがすぐにガワイルを料理してくれるだろう」
「ああ……ところであんた、ファライラとどういう関係?」
 ルシカが用心深く座りながら、アマリリスの美貌を横目で眺める。


 ルシカが去った森を、キリル・ディクローズは静かに歩いていく。
「深い、深い森。……本当に、何も、何もない?」
 森の中、けもの道が今にも消えそうになりながら奥へ続いている。
「もっと奥の、誰かが住んでた小屋、小屋は、どんな人が住んでたのかな」
 キリルはそっと覗き込む。
「こんな奥、奥に住んでると、手紙、手紙届けるのも、大変かも。交流が少ないとは聞いてるけど……寂しくなかったのかな」
 森は静まり返っている。人の気配も、獣の気配すらもない。
「竜刻の影響があるところとか、どうやって調べるんだろう。ぼくもちょっとは魔法を使えるから、それで調べられたりするのかな」
 踏み込むには妙な威圧感を感じてキリルは戸惑う。
「森の奥、やっぱり何かある気がする」

「この森、悪くない。命満ちてる。ルンは好き」
 ルンはこの森に入ったとたん、活気に満ちる自分を感じた。この森で獲物を狩ることの許可は得た。朝、みんなと食べたい。
「夜は狩らない。自衛はする…何か居るのか?」
 視覚聴覚嗅覚を使用し周囲の状況を探る。狩猟は日が昇るまでしないが目星をつけておくために歩き回る。今夜は奥の山小屋の更に奥、樹上で仮眠予定だ。
「うん、おいしい」
 美味しい野草は一株残し残りを摘む。ふいに何かを感じた。動きを止め、森の一部になったように穏やかな呼吸に切り替える。
 そうして初めて、目の前の『それ』が移動するのに気づいた。目を見開き、息を呑む。と、その姿は一瞬にして森に紛れた。もう見えない。
 ルンは緊張を解き、摘んだ野草を『それ』の方向に捧げた。
「お前が森の主か? 良い森だ。ルンは気に入った」

 森の奥の小屋にジャック・ハートは立ち寄っていた。
 古びた木の屋根、壁、小さなテラスに薪が積み上げてある。
(得たと思ったものは手をすり抜けた。結局自分の名前しか残らなかった)
 ジャックの考えることはここのところずっと同じだ。鬱々と考えながら歩き続け、小屋から静かに離れていく。沈み切った知覚はいつもより数段鈍い。
(この程度の知覚で不意打ちされない此処は、随分生きやすい)
 思い出す。エンドアで人を襲うのは人よりも虫や植物、弾丸よりも速く人を貫く肉食甲虫の群れ。突然活動を始める潜地性巨大食肉植物、数瞬で全てを覆い尽くす菌糸類。
(あそこまで死と隣り合った世界には結局出会わなかった)
「俺だけこの生活ッて訳にゃいかねェよなァ…」
 重く闇に沈んでいく森の中を、再び歩き始め、突然立ち止まった。
(何だこれは)
 知覚を尖らせ目の前にゆさゆさと体を揺すりながら進むものを把握する。
 それは一抱えもある老木だった。根が数本ずつ抜かれては埋め込まれて移動していく。頭上の幹に一カ所薄青く輝く部分があり、何度か感じた竜刻の気配がした。
 近くに寄って正体を確かめようとした矢先、老木は『座った』。次の瞬間、ジャックは知覚が混ぜ合わされたような感覚に瞬く。
「……どこ行きやがった」
 老木は瞬時に周囲に紛れてしまった。どの樹も『それ』に見え、どの樹も『それ』に見えない。輝いていた竜刻の気配もない。幻だったのか、それとも。
「…チッ」
 舌打ち一つ、ジャックは未練を振り切るように再び森の中を歩き始める。


「別に怖くねえし。インヤンガイのほうが洒落になんねーし」
 虎部 隆は広大なザード墓場の開かれた鉄門の前で強がった。
「よし、余興にゴンドンの墓ポコペンしようぜ! 十分探してタッチできなかった奴は後でなんか奢るってのはどうだ!」
「けれど、隆」
 隆の思考を見破るように相沢 優が首を傾げた。
「とんでもなく広いぞ。ガズウィック・ゴンドンの墓は確か一番奥だろう? 行って戻るだけで十分たちそうだ」
 真夜中の墓場って雰囲気あって本当こわいな、と優は少し緊張した顔で鉄門を潜りながら振り返り、背後の面々が強張った顔をしているのに笑いかけた。
「どうせだから、賭け事しないか? 本当に彼が現れるか現れないか。俺は現れる方で」
 勝った人には壱番世界の幸運の1セント硬貨をプレゼントするよ。
「大丈夫、何かあっても私がついてますからね! 大船に乗ったつもりでいてください!」
 舞原 絵奈は明るい口調で同行者を励ます。その実、かなりびくびくしていて、よくよく見るとさりげなく優の服の裾を掴んでいる。それでも朗らかさを装って、
「ガズウィックさんという人のお墓、見つけてみたいですよね。墓守さんが言ってたように、賭けてみましょうか? 彼がいつ生き返るか」
 こんなに大勢で訪れてるんだから、きっと今夜あたりひょっこり生き返っちゃうかもしれないですねー。
 絵奈が付け加えたことばに、ゼシカがくしゃりと顔を歪めた。
「迷子にならないよう気をつけなきゃ」
「…ふふ、冗談ですよ」
 ゼシのことばににこにこと覗き込む絵奈を振り仰ぐ。
「あの、ゼシね、お墓さんはきてくれる人と遊びたくてかくれんぼしてるんじゃないかって思うの」
 おばけさんとお友達になれるといいな。
「やって?」「やって、て何!」
 一行に付いていきながら、森山 天童はいい笑顔で音成 梓を振り返る。
「こんなのお祭りじゃない言ったよな田舎のお祭りに行かへんかって肝試しだってなぜ言わなかった!」
「聞かれへんかったし。あーんなにちっさい子でも頑張っとるんやで? ちょっとは何とかしよって気にならへんの」「う」
 ゼシカを示されて梓は仕方なしにしがみついていた鉄門から離れる。その瞬間、ふぉおおと風が吹き渡り、ぴ、と小猫が尻尾を立てたように固まる。
「梓はぁん」「何っ」「手足がてれこやで」「歩けてるんだからいいのっ」
 半泣きの梓にくすくすと笑いながら、天童は墓場の中を進んでいく。
「ほら前の連中、もう行ってもたで? あ、そや、暗いと足元見えへんやろ」「ぎゃあっ! いい暗くていい照らされてないとこが一層怖、違うとにかく消せっ消せ」
 周囲に浮かんだ天狗火に梓は悲鳴を上げる。
「やあ、虫の声も風流やねぇ」「ちっ違うだろあれっ」「ほな何の音やの」「ぼきぼきってそりゃ、っていやそうだそうだあれは風の音だ風の音に違いない風で木の枝が折れる音だ!」「ああ骨が突き出てきて折れてしもた音やのうて」「言うなあっ!」
 騒ぎ立て奇妙な腰つきでそろそろと墓と墓の間を抜けていく梓を、次はどうしてからかおうかと天童はほくそ笑む。
「なあ、ガズヴィックはん、俺と賭けせえへん?」
 遠ざかる梓を放置し背後の闇へ薄笑いで潜みながら、囁きかける。
「梓はんをどっちがぎょうさん驚かせられるか、俺が勝ったら酒一杯分の金、負けたら同じだけ払てもええで」「あれ? てんてんちゃん? おいっどこっ」
「なあ?」
『乗った』
 前で立ち止まった梓から目を逸らせて振り返ると、背後の墓場の中に一つ、薄白い墓があり、そこに半透明の痩せこけた男が腰掛けて上目遣いにこちらを見ている。落窪んだ眼窩に目玉はない、にいと黄色い歯を干涸びた唇から剥き出した。とたんに、梓の口から魂消るような悲鳴が上がる。危なっかしげに体を揺らせたその足首に骨のような手が絡み付いて引っ張っている。梓が身もがいて叫んだ。
「どうせ全部てんてんちゃんが仕掛けてきてるに決まってるんだ墓守の人も何もないって言ってたし本物なんていないって信じてるでもやめてそろそろ心臓止まる!!」
『心臓を止めたら、いくら出す』「賭けはちゃらや、殺したらあんたの負けやで」
『厳しいな今の悲鳴はお前の儲けだ』「おおきに」
 笑みを返した天童の掌に古びたコインが落ちてくる。

「きゃあああっ!」「ゼシカちゃんっ!」
 悲鳴を上げて飛びついてきたゼシカをミルカはとっさに抱きとめる。夜食や必要なものはギアに収納、荷物係も務め、しんがりを歩いてきたが、移動するお墓の主は賭け事が好きと聞いたから、もしかしたら落としたコインの音とかに反応するのかも…と思っていたから、そっとコインを一つ落としてみた矢先のことだった。
「大丈夫か!」「どうしたの!」
 優と絵奈が駆け戻ってくる、けれどゼシカが驚いたのは墓場の方ではなくて。
「えっとね、ゼロはおばけだぞー、なのですー」
 ゼロが愛用のひとだまランタンを手にいきなり出現したせいだ。実はさっきも悲鳴を上げながら走っている梓の前へ、巨大化して物陰から現れてみた。「ぬっ、なのですー」「ぎゃわあああ何あれ白い大きなううんぶくぶくっ」白い泡を吹き零しくらあんと倒れていく梓の背後で何やらちゃりーんとコインの音がして、くすくす笑う声が響いた気もする。
 ガズヴィック・ゴンドンには、持参のトランプを見せて、「えっとね、こんにちはなのです。ゼロはゼロなのです。ゼロ達とゲームをしませんかなのですー」と誘いをかけてみたが反応はなかった。ひょっとすると金が絡まないと駄目なのかもしれない。
 そう言えば、メアリベルもソロモン・グランティを歌い、ミスタ・ハンプと手を繋いでスキップしながら墓場を練り歩いていたが、まだガズヴィックには遭遇していなかったようだ。

『……日曜日には埋められて
 ソロモン・グランディは
 一巻の終わり…』
「ねえミスタ・ゴンドン、賭けをしましょ」
 メアリベルは暗闇に呼びかける。
「アナタが勝ったらイイモノあげるわ。甘い飴玉、メアリの心臓、なんでも持っていきなさい。その代わりメアリが勝ったら此処を動かずじっとしててね。お墓詣りにくる人が困っちゃうでしょ」
 暗闇だと思っていた箇所にぼんやりと墓石が浮かび上がった。猫背で骨と皮、ばさばさの前髪の間から上目遣いにこちらを見る痩せこけた男が座っている。
「さあ問題。ミスタ・ハンプの中身は何色? 黄身だから黄色なんてナンセンス。メアリは紫色に賭けるわ」『そうさな、緑、緑だよ』
 男の唇からきしるような声が響いた。
『だってなそいつだって腐っちまってる、俺の脳味噌と目玉みたいに。腐った卵は緑だよ』「どうでしょ、ミスタ・ハンプ、答え合わせのお時間よ!」
 バシャッ、グシャッ。メアリが蹴り倒したハンプが墓石に妻づいて転がり割れて中身をぶちまけた。
『げええっ黄色黄色じゃねえか俺を騙したな』
「騙してないわ、ナンセンスだって言っただけよ、安心してよメアリも外れ、おあいこね」
『くっっそおお借金返せねえよ返せねえじゃねえかあああああ』「メアリベル!」
 くわっと口を開いてメアリに飛びかかろうとする、そこへやってきた優がトラベルギアを抜き放ちかけ、はっとしたように幸運の1セント硬貨をガズヴィックに向かって弾いた。ほぼ同時に悲鳴を上げながら墓場中を走り回っていた梓が突っ込んできて、ついに出会った本物に超特大の絶叫を放つ。
「あんたの勝ちや、おめっとうさん!」
 優の指で1セント硬貨が天童の手から古ぼけた銭が、投げられて交差したその場所にガズヴィックの口、ごっくんと呑み込んだとたんに霧のように消えてしまう。
「あ、ねえ、これ!」
 駆け寄ったミルカの前に、まるでそこら中を引き回されたような古ぼけた墓石が一つ、周囲にコインが数枚散らばっている。


「はしごに登ってキュッキュッて磨くの、とっても面白そう♪ おれにもやらしてよ!」
 ユーウォンはこのような街灯を見たことがない。珍しくて楽しくて、作業を無邪気に楽しんでいる。
「皆が安全に歩く為の、大事な物だからな」
 ナウラは身の軽さを活かし、街灯磨きを続けている。遣り方を教わり、丁寧に。重い物を運ぶ等の手伝いもする。
「なるほど、このあたりに煤がついちまうのか、気ぃつけるぜ」
 村山 静夫は自前の翼で上がって街灯磨きだ。パルコに話しかけては、毎日の暮らしや仕事について尋ねた。
「一人前の男だな。その調子で頑張りな」
 それからちらりとナウラを見やり、
「男の仕事に水さすんじゃねえぜ、お前の磨いたとこだけ明日の夜使えねえんじゃねえのか」
「真面目にやれ、パルコさん達を見習え! 大人の癖に」
 ぷっと膨れたナウラはなおも街灯磨きを続け、暮れ切る頃に仕事はほぼ終わった。ちゃんと使えることを確かめてから、一行は『オ・ブ・リーズ』に向かう。
「夜を楽しむ、か…。俺の世界にはなかったものだ。夜は魍魎のもの、人は息を殺してただただ朝が来るのを待ちわびるだけだった。世界の違いを実感させられるな」
 既にそこには、酒樽持参、鉢で手酌を楽しむ酒豪、百田十三の姿がある。漁が成功したのだろう、ガワイルと野菜の煮込み料理が温かな湯気を立てている。ルシカはおもちゃも持参済み、子ども達が早速そちらへ群がる中、十三に珍しい酒をねだる大人も居て、彼は快く酒をふるまいながら釘を刺す。
「羽目は外してくれるなよ? 祭りを台無しにしたくないからな」
 いつの間にか空は満天の星となっていた。街の灯も『オ・ブ・リーズ』の灯も最小限度に押さえられた中、森に接するほどに近い星空は胸を圧する輝きがある。
「師匠、直至、伽夜。俺は…」
 一瞬口を噤み、訝る周囲に十三は失笑する。
「いや、何でもない。夜空を見て決意を新たにしただけだ。これからも人を護る、とな」
 干す鉢の酒には星が散る。
「降るような星空なんて、ずいぶん見てないや。星明かりって、かなり明るいんだよね!」
 これはどうだい、おいしいよ、こっちもどうぞ。誘われたり誘い返したりする中で、ユーウォンは歌い出す輪の中に混ざり、嬉しそうだ。
「来られなかった方が居るのです。お菓子を少々余分にいただくのは可能でしょうか。もしくは購入可能でしょうか」
「ええどうぞ、もちろん!」「僕が奢ってやるよ、任せて」
 ファライラとパルコが大喜びで同意し、ジューンは貰えたお菓子を大事にハンカチに包む。知り合いの子ども達に持ち帰るつもりだ。互いに話し合い、笑い合い、食べ、呑み、体を寄せ合う人々を眺め、ジューンは静かに空を見上げる。
「ここは死と直結しない安寧の闇。冷たい真空の闇とは違う、命に満ち溢れた暖かな子宮を連想させます。人類が重力の底に降り立ちたがる気持ちが分かる気がします。マイラ様も宇宙を知るロストナンバーだったのでしょうか…」
「ここの人ですよね。こういうお祭は初めてだけど、とても素敵だね」
 ナウラは側に立った女性に微笑みかけた。手にしていたお菓子の皿を一人分分けて、テーブルに置く。嬉しそうな顔に笑み返し、ふと隣の村山の手を握った。彼が死にませんように。星への祈りは口に出さない。
「…」
 握られた手に村山はナウラを見やり、その向こうの人影に気づいた。相手は闇で微かに光を放っている。煌めくようなピンクの瞳、よく見れば、耳に魚のようなひれがついているのが分かった。村山の視線を感じたのか、女性は頷き、静かに両手を空へ向かって差し上げる。その指と指の間に薄い皮膜があるようだ。
「知らなかった、マイラが食堂を開いた時、そんなに人が死んだの」
「ザードも終わりかと思うぐらいね、ひどい流行病だったらしいよ。けれど、マイラが体にいい食べ物を見つけてくれて、ほら、コーダだよ、あれを使った料理を食べた者は二度目に病にかからなかったから」
 星祭りに昔を思い出したのだろう、漏れ聴こえてくる住人達の話に村山は頷く。
 街の大きさにしては広大な墓場、交流の断たれた場所、小さな食堂、それはきっと流行病の封じ込めと治療の過去を物語っている。異世界の自分を受け入れた人々の危機に、マイラは感謝を込めてここを守ったのだ。そして、夜には空を探した、もう戻れない遥かな場所へ戻るロストレイルを見つけようと。
「空想だが、な」
 こくりと呑む酒は深くて芳醇だ。村山はマイラの幻に笑みかける。
「ご苦労さん。あんたも楽しんで…るか聞くのは野暮だったな。良い祭を残してくれて有難う」
 

 
 遠き空を、今夜もまた星が翔る。
 煌めく尾を引き、かの列車のように。
 我は護ろう。
 この地の礎となり。
 

クリエイターコメントこの度はご参加ありがとうございます。

イベントのキーになるプレイングは以下の通りです。
【1】バルド・グンディック家の幽霊と遭遇。
  自ら迷子になって頂くこと。
  エレナ様、探偵の面目躍如でした。

【2】ガズウィック・ゴンドンの墓の出現。
  彼に賭け事を仕掛けること。
  メアリベル様、天童様が遭遇となりました。
  
【3】ガワイルの提供。
  ガワイル漁への協力。
  サクラ様、アマリリス様、ありがとうございます。

【4】マイラ・ルートガルドの幻と会話。
  彼女がロストナンバーであることの指摘と話しかけ。
  【3】で指摘して頂いた方、
  指摘はされても話されなかった方、
  話しかけのみの方、悩みましたが、
  直接の接触は村山様のみと致しました。

【5】森の主との邂逅。
  奥の小屋に泊まること。
  ルン様、ジャック様、
  小屋に泊まられなかったけれども、
  奥の方まで行かれたということで、
  ちらっと見て頂くこととなりました。

様々な方がいろいろなやり方をして頂いたおかげで、この『何もない街』にも過去があり、物語があり、そこに育まれた奇跡と絆があったことが明かされました。

しかし、それはこの街に限らないことでしょう。
皆様のご存知のあの街にもこの村にも、それぞれの深く温かく懐かしい話があるのでしょう。

もう一度、お出かけ下さいませ。
皆様のご存知の場所に、まだ明かされていない物語がきっと眠っております。
その物語を、どうぞ私どもにお話し下さいませ。

またのご縁をお待ち致しております。
公開日時2013-08-29(木) 22:10

 

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