「水泳はいいぞ。全身をバランスよく鍛えるのに最適な運動だ」 なぜそんな話になったのだったか――。 世界図書館のホールでリュカオス・アルガトロスと、飛田アリオ、そしてモリーオ・ノルドが立ち話をしていたのだった。「だがターミナルには海も川もないからな。そういうチェンバーもあるのかもしれないが、俺は自然の海に行きたい。どこか異世界へ出かけるか」「海っていえば、ブルーインブルーだよな。ってか、海しかないし」 リュカオスが言うのへ、アリオが応じた。 それを聞いていたモリーオが、ふと気づいて言ったのである。「そういえば、ブルーインブルーで面白い場所の話を聞いたよ」 そこは、かつては栄えた海上都市であったらしい。 暖流に囲まれ、南からの風が吹く、ごく温暖な街だった。暖かな海に集まる魚の漁獲により豊かな暮らしをしていたが、かれらの拠って立つ足元は危ういものだった。 都市を支える小島の地盤が、年月とともに海に沈み始めたのである。 ブルーインブルーの人々に地盤沈下を止める手段はなく、やがて、人々は都市を捨てた。 それからさらに時が流れ……。 今や、都市は大半が波間の下にあり、人にかわって魚たちが住む世界となっている。 ごく高い建物の屋根や尖塔だけは、まだ海面の上にあるため、この水没した廃墟にやってきては釣りや泳ぎを楽しむ酔狂なものたちが時折いるのだという。「水は温かくて泳ぎやすいらしいし、魚がたくさんいるから釣りにもいい。よかったら遊びに行ってきたら?」 モリーオの薦めに、リュカオスとアリオは乗ることにした。 そしてこの旅の仲間を、募り始めたのである――。
1 「みーんなー! 早くおよごー!」 パティ・セラフィナクルの明るい声だ。 降り注ぐ陽射し――紺碧の水平線を背景になお青い、空色の水着を着たパティの肢体が、水際で跳ねている。 彼女が躍動すればパレオが潮風をはらんでひらめくだけでなく、水着の布からこぼれ落ちそうな胸が揺れ……、雪峰時光は思わず目をそらしてしまうのだった。 「ねぇ、貴方もこっちであそぼーよー!」 「ん……拙者は――その」 時光の赤面はよそに、パティは寄せ返す波につまさきをつけて、嬌声をあげた。 「んっんー! 海ってきれーい! パティ気に入ったーー!!」 水没した廃墟の屋根が傾き、波打ち際ができているのだ。泳ぎたいものたちは、水着でそこから海へと入っていく。 「海もきれいだが、お嬢ちゃんもキレイだぜぇ」 にやにやと近づいてきたのは間下譲二。さっきから視線はパティの胸元に釘付け。そのままじりじりと彼女に近づくが、パティがナンパの第一声に気づくより先に―― 「いよーーぅ、ご機嫌だなァ!」 「!?」 頭上すれすれを、猛スピードでかすめる黒い影! 驚いてバランスを崩した譲二がざぶんと海に落ちるのに気づいたものがいたかどうか。 彼を驚かした張本人、ベルゼ・フェアグリッドは泳ぐよりも空を飛ぶほうがお好みらしい。青い空をバックに太陽を遮るコウモリの翼のシルエット。ベルゼは潮風を切り裂くように飛び、宙返りしてみせる。 「なんだよ、チクショウ」 ずぶ濡れの譲二が這い上がってくるが、彼を出迎えたのは、豪放な高笑いだった。 「HAHAHAHAHA……!」 ガルバリュート・ブロンデリング・フォン・ウォーロードだ。身につけているのはフルヘルムに、きわどい黒いフンドシのみという、いつものことと言えなくもないが、いや、それでもいつもより身につけている布地の量が少ない(当社比)ような。 「さあ、訓練の時間だぞ、準備運動が済んだらゆくか!」 と、びしょぬれのアロハの襟元を掴んだ。 「ま、待てよ、俺はそんな……」 聞く耳もたず、譲二をひきずって海へと分け行っていく巨漢。 陽射しに黒光りする筋肉の塊はある意味この場にもっともふさわしい。 「ようし、おもいっきり、泳ぐぞ」 相沢優は張り切っている。日々のあれこれを頭から閉めだして、存分に体を動かせばさぞ気持ちも晴れるだろう。 「え、俺も!?」 「せっかく来たんだ。泳いでいけ」 山本檸於の背中を、リュカオスがどん、と押した。 遠泳に挑戦するらしい面々が海へ入っていくのを、波間を泳ぎながらクラウスが眺める。 ロストナンバーのドーベルマンは、ざぶんと潜水するのもお手の物だ。海中は沈んだ都市の廃墟が漁礁と化しているのを知り、「魚たちの邪魔はしないでおこうか」と、再び波間に顔を出す。 海からあがり、ぶるぶると水を飛ばしている姿は、普通の犬と変わらない。 うれしそうに駆けまわる姿もだ。 たぶん誰かがフリスビーを投げたら張り切って取りに行くだろう。 春秋冬夏が、ぷかり、と海面からあらわれた。 そのまま海のうえにゆったりと浮かんでいる。海中の廃墟を探索してみたい気もするが、なにも道具を持ってきていないので、あとで行った人の話を聞こう。 今はただ、波に身をまかせてただようだけ――。 その近くを、シィーロ・ブランカを乗せた小舟がすうっと水面を滑ってゆく。 一見表情の変わらぬシィーロだが、頭のうえの狼耳を見ればぱたぱた動いているので、彼女なりにはしゃいでいるのだろう。小舟のへりに腰をおろし、しっぽを海につけているのは、それで魚を釣ろうというつもりらしい。果たしてこれで釣れるのか……。 ――と、雪深 終が息継ぎに海を割って姿を見せた。 手の中にはなんとウニがうごうごと動いている。手づかみで拾ってきたらしい。 「獲れるのか」 「獲れる。いっぱいいる。海は始めてだが」 言葉少なにかわす、会話。 終はいきなりウニを割って、味見?を始める。 シィーロは目をしばたいてその様子を見ていたが、負けていられないとばかりに、海の中のしっぽをひくひくと動かして、魚を誘おうとするのだった。 シャッターの音に振り向けば、カナティア・マティアのカメラに撮影されていた。 「魚とりに勤しむ少年なんて、図案として最高かしら?」 織物職人の老女は、創作のヒントをこの旅にもとめているらしい。 「釣れてから撮ってよ」 と、アリオがはにかむ。 「ぃよっしゃ!大物目指して張り切って行くで~!」 かたわらでフィン・クリューズがトラベルギアの釣竿に、生き餌をつけているところ。波止場のように海につきだした廃墟の屋根を見つけ、これからここで糸を垂らそうというときだった。 「何匹釣れるか競争しないか?」 と、ルゼ・ハーベルソン。 「一番多く釣った人は……、帰りの荷物を他の仲間に持ってもらう、とかね」 「よーし、やろう!」 アリオが乗ってくる。 「釣りやったら負けへんで。カジキマグロとか釣れへんかなぁ? なーんてな!」 フィンも張り切っている。 「すっげー! なんだこれー!」 緋夏が楽しそうに騒いでいるのは、大勢が水遊びをしている都市の辺縁から、もっと内側に入ったところ。比較的地盤が強固だったか、建物が高かったして、海上に街並みが残っている地域は、そのあいだに入り込んだ海水が干潮時には取り残されたり、外洋の海流が届かなかったりして、ちょうど磯の岩場のようになっているのである。 緋夏はその隙間にすむ生き物を興味津々で捕まえている。 今も、ぐにぐにとした、見たこともない生き物を見つけたところだ。 「それはナマコだな」 ロディ・オブライエンが声をかけてきた。 彼は廃墟の屋根に腰掛けて、潮だまりに釣り糸を垂らして小魚を釣り上げていたのだった。 「そんなものまでいるのか。食べられるだろうか」 あとでみなでバーベキューをしようという話になっている。 このぶんだとバーバキューだけでなく、いろいろな魚介のいろいろな料理が楽しめそうだ。 「あ……っ!」 アリオがせっかく釣り上げた魚の1尾を、いつのまにか忍び寄ってきていた猫がかすめとって走り去っていく。 「コラー!」 と起こっても、銀色の毛並みのしなやかな生き物はあっという間に視界から消え失せてしまうのだ。 こんな大海原のただ中の廃墟に猫が住んでいるはずもなく、大方ロストナンバーの誰かの変身に違いないが、やれやれと息をつくほかはなく、アリオは再び海へと向き直った。 まんまと魚を得たチェキータ・シメールは、潮風の涼しい陰を見つけて獲物にありつく。しっぽが満足気にゆらりゆらりと揺れていた。 「~♪」 いつのまにか、アリオの隣に仲津トオルがいた。 彼は樹の枝に糸をくくりつけただけに見えるもので釣りをしているようだが、置かれたバケツの中は魚でいっぱいではないか。 アリオのほうも、そこそこ釣れているつもりだが、競争中のフィンやルゼには負けている。 なにか釣れるコツでもあるのだろうか。 思いながら、アリオは海面へ釣り針を投げ入れる――。 煌 白燕もまた、海から顔を出す建物の縁に腰掛けて、のんびりと釣り糸を垂れている。 彼女のように、海を見るのが初めてだというものも、この旅には少なくなかった。 水平線にはもくもくと白い夏の入道雲が立ち上がっている。 紺碧の大海原が、太陽を照り返してきらきらと輝いていた。 (きれいだ) 糸を垂らしていながら、釣るのも忘れて風景に見入ってしまいそうだ。 そのときだった。 水平線に高い水柱が上がったのは。 (俺、何しに来たんだっけ……強化合宿?) なんとなく泳ぎに加わることになってしまったはいいが、沖合まで来る頃には若干の後悔が、山本檸於の脳裏をかすめる。しかしすぐにかぶりを振って考えをあらためた。 (いや、前向きに考えよう。これだけ泳ぐ事なんて普段無いし。良い経験だ……多分) 「皆ついてきてるか?」 リュカオスが心配して振り返る。 檸於と同じくむりやり連れてこられた間下譲二が今にも溺れそうな様子で、顔に血の気がない以外は、ガルバリュートはよく水に浮くなと思えるほどの巨体で、豪快に波をかき分けて進んでいる。 そのときだ。 海面が大きく持ち上がる。 「!」 「ま、まさか――」 あまり沖に出ると海魔に遭遇する可能性があることはわかってはいたが。 あらわれたのは巨大なタコともイカともつかぬ、とにかく無数の触腕をそなえた怪物だ。 「ぬふう、出たな! だがこのようなものも想定内! いわば訓練のメニューのうち!」 ガルバリュートが触腕に巻きつかれながらも動じずに胸を張った。 「ちょ、ここで!? くそっ……」 檸於はまさかこんなところでもやるはめになるとは思わなかったと涙をのみつつ、 「発進! レオカイザー!」 とトラベルギアで応戦する。 だが海魔の触腕が海面を叩くと、大きな波のうねりが檸於や譲二を飲み込んだ。 「おい……」 リュカオスが虚空から銛を呼び出す一方、相沢優が助けようと溺れそうな面々に手を伸ばすが―― 「えっ?」 「おお!?」 気づくと檸於と譲二は海魔らを眼下に見下ろす空中にいた。 「大丈夫かな」 ハーデ・ビラールだった。 どうやら彼女は上空からライフガードよろしく海で溺れるものがいないか監視してくれていたらしい。離れた場所のものを引き寄せるアポーツの能力があれば、瞬時に人を救出することができる。 「ふむ。むやみに戦うのはどうかと思うが」 海魔と格闘しているガルバリュートを見下ろして、ハーデは言う。 「今回はわれわれがただ遊びに来ただけなのだし。海魔からなにかを護衛するという任務でもない。海魔もこの世界に生存を許された固有の生き物だ。闖入者である我々が勝手に討伐するのは傲慢に過ぎないかと思ってな」 「……それはいいから、俺たちをなんとかしてくれえ」 「おっと、そうだった。泳ぎを続けるかな?」 ハーデの問いに譲二がぶんぶんと首を振ると、ふっとその姿が掻き消えた。 一方、檸於は、 「うーん、リタイアも情けないしな……」 と思案顔。 そのとき、ひときわ巨大な水柱があがった。 おお、見よ――、海中より姿を見せたのは宇宙暗黒大怪獣ディレドゾーアの全長80メートル・体重40万トンの威容だ! 玉虫色の光沢をもつ巨大な翼を広げ、触腕を持つ海魔に挑みかかる。まさに南海の怪獣大決戦! 「……」 空中の観客は、ただあっけにとられるよりなかった。 「……」 海上の廃墟からも、その光景は見ることができたが、双眼鏡で水平線を眺めていたデュネイオリスは、無言で双眼鏡をしまうと、何も見なかったことにした。 そんなことより、デュネイオリスには大切な仕事がある! ターミナルで営む彼の店、喫茶『marigold』の出張店舗を、海上廃墟の一画を用いてひらいているのである。持ち込んだ材料で冷たいシャーベットを商ったところ、これがたいへん好評で、今も一ノ瀬夏也と華城水炎が立ち寄ってくれているところだった。 「ん、冷たい!」 水炎が、ゆずシャーベットを口に含んで声をあげた。冷たさにきゅっと目を閉じる水炎の様子に、夏也が微笑を浮かべた。 「メニューを撮影しても?」 「かまわん」 デュネイオリスにことわって、夏也が冷えた器に盛られたフルーツパフェを撮り始めた。 さて、この出張店舗のとなりには、タープが張られて、その下に三ツ屋緑郎の姿がある。持ち込んだラジカセから音楽が流れ、デュネイオリスの店とあわせてこの近辺が休憩所となっているのだ。緑郎が日焼け止めを塗りながら(モデルに日焼けは大敵だった!)、アイスコーヒーを啜っている。 日陰ではどこからかやってきた銀色の猫(それはむろんチェキータ・シメールである)がここがいちばん涼しいと知ってか、もっふりしたお腹を見せてふにゃふにゃと昼寝をしていた。 どしゃっ、と音がしたと思うと、それはハーデのテレポートで送り届けられた間下譲二であった。 「一名様、ご案内~。大丈夫?」 緑郎がぐったりした譲二に声をかける。ここは救護所でもあった。 「……さて。すこし店を見てもらっていてもいいか?」 「いいよ。どこかに行く?」 「せっかくだしな。水中の都市とやらを」 デュネイオリスが言った。 夏也たちにも「行くか?」と声を掛けるが、彼女たちはこれからスイカ割りに参加するのだそうだ。 2 水面から挿し込む日の光が、海中に没した建物の石壁にゆらゆらと文様を描く。 地上は喧騒にみちみちていたけれど、海の下は一転、厳かとさえ言ってもよい静謐に支配されていた。 かつては波の上で権勢を誇り、栄華をきわめた都市も、今は海の中で悠久の眠りに包まれている。 人々が往来したであろう、その石造りの階段も今はただ海の深みへと通じているだけ――……そのはずだったが。この日、その階段をしずしずと歩む黒衣の紳士の姿がある。 海の亡霊かと見紛うが、それはボルツォーニ・アウグストの優雅な海中散歩だ。 不死者であれば呼吸は必要としない。 その足元で、彼の影が、うぞうぞと蠢くのに気づき、紳士はうっすらと唇に笑みをうかべて、頷いた。 途端、あるじの許しを得て解放された使い魔は、ぽん、と躍り出るや、猫――あるいはそれを模したぬいぐるみ――に似た姿となって、たちまち、海中廃墟の探検に飛び出して行った。 来るときの列車ではさして興味なさそうだったくせに。微笑を浮かべ、それを追う前に、ふとボルツォーニが首をめぐらせば、ちょうど、ロストナンバーの海中探検隊が、細かい泡をまとわせて、海中へと没し、降りてきたところである。 シュノーケルをくわえた赤節将春が、手近な廃墟の屋根へ向かって潜水してくる。建物の窓にあたる部分に手をかけて、さかさまに建物の中をのぞきこむと、魚の群れが飛び出してきたので、驚いて手を離してしまい、じたばたと水中で手足を遊ばせるはめになる。 表面をびっしりとフジツボや貝殻に覆われてはいるが、都市はその原型をとどめている。 将春はいちど海面まですーっと浮上して波間に顔を出すと、地上に残っている面々に、 「すごいよ。宝物とかありそう。探検だー!」 と言い残して、再び海中へ。 ウェットスーツのディーナ・ティモネンが、その傍らを泳いで、水没都市の石畳に降り立った。 建物の中には、調度や日用品が残っている可能性がある。大半は朽ちていることだろうが……なにか記念品でも入手できればよい。 ディーナは扉が残っている建物に目をつけた。 戸が閉まっているということは、中が魚に荒らされたり、海流にさらわれたりしていない可能性が高い。 サバイバルナイフを隙間に差し込んで扉をこじあける。 のぞきこんで……目論見があたったのか、微笑むディーナ。追いついてきた将春を手招きした。 ふたりは、家屋の中を物色し始める。 オルグ・ラルヴァローグが、積もった砂を払い除ける。濁った水が再び澄むようになると、石の表面があらわになった。 街路だったとおぼしき、今は海藻に覆われたあたりに、突き出していた石は、オルグのにらんだとおり標識だった。 刻まれている文字は読むことができた。 だとすると、この都市が生きていたのはさほど大昔というわけではないのかもしれない。 葵 大河が近寄ってきて、水中カメラで撮影していく。 標識には街区や通りの名前が記されていた。 大河が「行ってみようぜ」と手振りするのに応え、標識に従って、町の広場だったと思われる方向へ、オルグと大河は海藻の道をゆく。 ――と、あざやかな色をした南海の魚たちが、群れになってふたりとすれちがった。 (わりぃな、邪魔するぜ) 魚たちに内心で挨拶をしつつ、逸る冒険心を抱えて、かれらは進んだ。 スキューバの装備で潜水していたフェリシアが、それを指さす。 軒先にさがった銅板の看板が朽ちずに残っていた。どうやら書店のようだ。 興味を示して近づいてきたのはファレル・アップルジャックだ。彼は自分の周囲に空気の壁をつくることで、地上と同様の環境をつくりだし、探索に参加していた。 建物の中には、書物が残されているようだが、粗雑に扱えばあっという間に崩壊してしまうだろう。比較的、つくりのしっかりしたものを、フェリシアがそっとそっと持ち上げてみる。 ファレルも、興味深そうに、目をこらしてかすれた背表紙の文字を読んでいった。 「金属反応あり……、と。ん――」 ミトサア・フラーケンのセンサーが探知したのは、堅牢なつくりの商店らしき建物の中に、多数の金属がある様子。しかしその外にも、大きなサイズの金属反応が動いていて…… 「なにか見つけた?」 ケルスティンが言った。 「これから」 苦笑まじりに、ミトサアは答えた。大きいほうの反応はケルスティンだ。一見は人間の女性に見えても、金属で構成されている。そういうロストナンバーも珍しくないからまぎらわしいが、それはミトサアも同じことか。水中活動用のモードで、こうして地上と変りなく行動できるのだから。 建物の中で、はたして、ミトサアはいくつかの貴金属を発見する。 これはお土産にしよう。贈るべき相手の顔を思い浮かべながら、品物を選んだ。 一方、海中散歩を続けるケルスティン。 ふと見上げれば、空のかわりに広がる裏から見た海面が美しい。挿し込む陽光が天使のはしごのようにきらきらと海中の廃墟へ降り注いでいる中を、魚の群れが行き交っている光景は、ほかでは見られないものだ。 その中を、一匹のペンギンが泳いでいく。 ペンギン……? あの鳥はもっと北の海にいるものだと思っていたけれど。ケルスティンは首を傾げる。 ペンギンは悠然と、泳いでいた。 こんなにのびのびとしたのはどれくらいぶりだろう。水はかなりなまぬるいが、それでも久々の海中遊泳に、アンリ・王壬の心は躍った。 なにせ、ふだんは、壮年の紳士の姿で、シルクハットにステッキをついてターミナルの石畳を闊歩しているアンリだ。その正体がペンギンであったと知っていたとしても、このペンギンからいつものアンリを想像するのは難しかった。 なめらかな軌跡を描いて、暖かな海を泳ぐ。 魚の群れにつっこむと、小魚たちがわっと散って逃げるが、その一匹を首尾よくつかまえて、ゴクリ。 自由に泳ぎ、自由に食べ――これぞ大自然の生活だ。 アンリは故郷の海をなつかしく思った。 その視界に、ぴくぴくと動く餌の姿。思わず惹かれるが……その上方の小舟の影に気づいて身を翻す。危ない、危ない。釣り組のルアーにやられるところだった……。 オルグ・ラルヴァローグと葵 大河がたどりついた町の広場は、崩れたがれきがうずたかく積もっていた。 先客――デュネイオリスがいて、がれきの上に腰掛けており、オルグの姿をみとめると手をあげて応えた。 デュネイオリスの位置からは、海中に没した都市を広く見渡すことができた。 よそで見られるブルーインブルーの都市と似ているが、いくぶん様式が古いようにも思えるのは、この都市が生きていたのはそれだけ昔のことなのだろう。 いったいどのような暮らしがあったのだろうか。 商店があり、日用品の残骸も残されている、そんな光景を目にすると、ありし日の様子を想像せずにはいられない。 さきほどから広場をうろうろしているイルカは、太助の変身のようだ。イルカといっても、どこか戯画的な、マンガのようなイルカである。 それが突然、姿を変え、やはりマンガのような海蛇になると、崩れた建材のすきまににゅるんと入っていく。 「なにか見つけたのか?」 と、オルグ。 がれきの奥に、なにか光を反射するものがあるようだ。 デュネイオリスも気になるのか、ふたりのところまで降りてきた。 大河はすこし下がってがれきの全容を眺めてみる。 ところどころ、人の部位をかたどったパーツが残っているようだ。巨大な彫像かなにかが、広場に立っていたものが倒れ、建物を潰したものらしい。 太助が見つけた光るものを取り出すにはがれきをどける必要がありそうだったので、人手をもとめて、彼は振り返った。 高城遊理がのんびりと潜水を楽しんでいると、西迫舞人の姿が見えた。 舞人がなにかに気づいたようで、遊理を招き、海中廃墟の建物の向こうを指した。 見れば建物のあいだを、なにかが過ぎった。一瞬、金属の光沢があるのがはっきりと見え、また、かすかだが人の声のようなものが聞こえる。 ふたりは顔を見合わせ、そして謎の影を追って建物のあいだへ飛び込んで行った。 謎の影がこちらに気づいたように、スピードをあげて物陰から物陰へ。 あやしいものではない、待って欲しい――そんな様子をせいいっぱい身振りで示しながら追う舞人。遊理がついに機会をとらえ、飛びかかった。 「!」 彼の手の中で動いているのは、玩具サイズの潜水艦。 しかしサーチライトが明滅したかと思うと、ぐんにゃりと溶けるようにかたちを変えて軟体動物のようになった。 同じような潜水艦の群れがわらわらとあらわれると、いくつかが合体して、銀の髪の青年――アルジャーノの姿をとた。 「驚かせちゃいましタ?」 液体金属の身体を分裂させ、小さな潜水艦に変えているらしく、人の形は上半身の3分の1。それもすぐににゅるんと崩れて謎の深海魚のように擬態すると、 「イイですネー。水の中にもミネラル分が溶けこんでるンですヨ~」 とかなんとか言いながら泳ぎ去っていくのであった。 人魚にでも出会れば面白い。そんなことを考えていた遊理だったが、なにより未知なるは異世界からのロストナンバーというわけか、と、笑みがこぼれる。 3 「皆! スイカ割り大会開催するわよ~!」 青梅 要の声が晴天のもとに高らかだ。 普通は浜辺にスイカを置いてやるところ、ここは砂浜がないので、海面に浮きをつなげ、その上で行うというアクロバティックなイベントが行われようとしていた。 「じゃあ、一番手、行きますよ!」 と張り切る一一 一。 不安定な足場のうえに、木刀を持ち、目隠しをして立つ。 「がんばれー」 「ふらふらしてるぞー」 華城 水炎やファーヴニールが囃し立て、 「わぁふ!」 ふさふさがしっぽを振り、 「そうそう、そのまままっすぐ!」 一ノ瀬夏也が誘導の声をかけながら、決定的瞬間を狙って、カメラを構えた。 日和坂綾が、鉄板でじゅうじゅうをヤキソバを焼きながら、その様子を遠目に眺める。 一はおぼつかなげな足取りながら、声を頼りに目標に近づいて行った。 「右? 右ね。右……右……え、左? 右行って……左行って……右右上下AB!」 最後の方はなにか違うコマンドになっているが、 「ラッシャァアここだぁあああ!!!!」 と、渾身の力をこめて、木刀を振るう! ……が、勢い余って手からすっぽぬけた木刀が凄まじいスピードであさっての方向へ飛び、ぷかぷかと浮き輪で浮いていた青梅 棗のすぐ傍をかすめていった。 「わわっ、大丈夫!?」 目隠しをとってあたりを確認するが、当の棗も動じた様子はなく、 「……0点」 と無慈悲に採点をしているのみ。 棗の傍には彼女と姉妹のセクタン、富士さんと八甲田さんが水泳帽をかぶって浮き輪で浮かび、なりゆきを見守っているのであった。 「あたしがやってみるわ!」 次は要が主催者自ら挑戦する。 「要さ~ん、こっちー」 浮きの上に置いてあったはずのスイカを、藤枝竜が頭に乗せて立ち泳ぎしている。動く的だ。これは難度が高い。 そんなこととは知らない要だが、まるで吸い寄せられるように目標へ駆け寄り、竜が避ける間もなくキック! 「はわ!?」 あまりの脚力にスイカが粉々になった……! 「……いまいち。3点」 迷うことなく命中したのに棗の採点は厳しかった。 「あれっ、平気だった!?」 「……ちょっとびっくりしましたけど……ってか、あやうく頭蓋骨粉砕されて脳漿ぶちまけるところでしたけど!」 「あ……あたしの脚力って凄いでしょ? ちゃ、ちゃんとスイカだけ狙ったんだからね!」 「……じゃ、交替しましょー!」 今度は竜が叩く番。 よろよろしながらもどうにか叩けた。 「やった! スイカと私はふか~い絆で結ばれてるんです!」 「……。80点」 面白い形(棗基準)に割れたので高得点だった。 「みんなー!」 綾から声がかかった。 「休憩して焼きソバ食べよ~よ!」 「ん、ちょうどいい。竜ちゃん、そろそろご飯にしようか?」 ファーヴニールが竜を誘った。 みなでいったん陸に上がり、綾の鉄板のまわりに集まる。 「食べたら水中探検のほうにも行ってみよう」 とファーヴニール。 「割れたスイカも食べなきゃね」 と、真っ赤に熟れたみずみずしいスイカを手に上がってきた要だったが、 「わふっ!」 と、横合いからあらわれたふさふさが、すばやくスイカをくわえて奪い取ると、ぱっと駆け出した。 「わ! こ、こらーーー!」 「はっふはふ」 しっぽを振りながら逃げる犬と、それを追いかける要。みなが笑ったが、棗は我関せずとヤキソバを食べている。夏也が、シャッターを切った。 「大漁、大漁~♪」 「どんな手で?」 「!」 魚の入ったバケツを手に、ニコニコしている仲津トオルの前に立ちふさがるのは黒葛一夜。 「……ま、いいです。これは食事の材料に」 「ちょ、ちょっと!」 有無をいわさず強奪する。 トオルの釣果は、本人の収獲ではなくなんらかのぺてんの結果だと見抜いているのだ。 実際――、犠牲者はアリオであった。 「……釣れてるね」 と声をかけてきた彼に、 「ゼンブ釣り竿のお陰なんだけどねー。使ってみる? キミの魚全部と交換してくれればあげてもいーよ」 と言葉たくみにただ糸をくくりつけただけの木の棒を「魔法の釣竿」として押し付けたのである。 今頃、まんまと騙されて、釣り勝負に負けたアリオが歯噛みをしているだろう。 そろそろ釣り、泳ぎ、探検に出かけた面々が戻ってくる頃だ。 大きな建物の屋根が密集しているあたりで、バーベキューを中心に食事の支度が始まっている。 釣り組の収獲を、木乃咲 進が手際よくさばいてつくった刺身を、神埼玲菜が皿に盛りつけて、キャンプ用のテーブルの上へと運ぶ。新鮮な魚だから美味しいだろう。 「飲み物ありますか?」 フライトアテンダントとして身についた接客スキル全開の――というよりほぼ無意識に発揮される笑顔とホスピタリティで、玲菜が人々を迎える。 それに加えて雪峰時光が、 「取皿は足りているでござるか?」「さしみの醤油はこれでござるよ。あ、そっちはサラダのドレッシングでござる!」「ゴミは持って帰るのでこの袋に入れてくだされ!」 と、武士とも思えぬかいがいしさを見せているのだった。 黒葛一夜がシーフードカレーを煮込み始めると、あたりに良い匂いが漂った。 シャチは、獲れたての魚介を使ったパエリアをつくる。 「ぎょうさんあるから遠慮せんと食べてってや~」 皆が集合するころには、日も傾き始め、海上の廃墟の上で賑やかな食事の時間になった。 「さっきはびっくりしましたよ。驚かせないで下さい」 海中探検から戻ってきた面々が、海の下で目にした驚異について語り合うなか、舞人はアルジャーノに笑って言った。 未知の深海生物?と人々に誤認させた液体金属生命体はバーベキューよりも海中で拾ってきた鉱石のほうが好みのようで、ボリボリと石を噛み砕いていた。 「……よし、これで」 ファレル・アップルジャックは分子を操って、引き上げた書物を修繕した。 「わあ、ありがとうございます!」 フェリシアは喜んで、読めるようになった本を抱きしめ、さっそくページをめくりはじめる。 きれいな装丁のその本は、どうやら詩集のようだった。 ファレルが自分で選んだのは料理の本。 魚介類の調理方法が解説された挿絵も、インクの分子を安定させてもとどおりだ。さっそくこのとおり作ってみるかな、と、腰をあげる。 赤節将春は懐中時計を見つけた。 むろん動くことはないが、これはいいお土産だ。 「でも、ほかに時計の類は見つからなかった」 ディーナ・ティモネンが言った。 「この町にもともとあったのじゃなくて、誰かが落として行ったのかも」 「それならそれでいいや」 将春は笑う。 いったいいかなる経緯でこの時計が将春の手元になってきたのか、それを空想するのも楽しいではないか。 「台座の文字は全部は読めなかったが、建国の英雄とか、そんなようなことが書かれてたみたいだったぜ」 オルグ・ラルヴァローグが言った。 「その石像が、この盾を携えて広場に飾ってあったってわけだな」 葵 大河が推測を述べる。 それはがれきの下から太助が発掘した金属製の盾であった。 ずっと海の底にあったというのに、表面はつやつやとして、光を反射する。 大発見の興奮のまま、太助はひととおりの旅の仲間にそれを見せてまわり(大きな盾を頭の上に抱えて歩きまわると、盾だけが歩いているようであった)、全員に見せ終えると、飽くことなくそれを眺めているのだった。 「海水の中で錆びてないなら、特殊な超合金かもね」 ミトサアが言った。 彼女が重いがれきをどけて発掘を手伝ってくれたのだった。ミトサアはブルーインブルーにときおり見つかるロストテクノロジーと関係があるかもしれないと期待をしているのだ。 「ジャンクヘヴンに持って行って調べたらなにかわかるかもしれんぞ。この都市の歴史と合わせて調べれば、なにか……」 デュネイオリスがそう言ったが、太助はふるふると首を振るのだった。 「帰る前に、これは返しとくよ」 「えっ」 これには皆驚いた。 「俺、これが見つかって、みんなに見せれただけで嬉しい。この世界の宝物はさ、この世界の人が見つけたらいいと思うし」 「……」 言いながらも、まだじっと盾の表面に自分の顔が映るのを眺めている狸の毛並みを、デュネイオリスがそっとなでた。 「そうか。それもそうだな」 水平線が夕日の色に染まり、真っ赤に燃えた太陽が沈んでゆく。 引き換えに空は宵の藍色に覆われ、星がまたたき始めた。 それでも水没都市の廃墟の上には火が焚かれ、旅人たちの談笑する声が途切れることはなかった。 夏の一日が、さざめく思い出とともに過ぎてゆく。 人々が去れば、廃墟はまた海原のただ中に静かに取り残されるだろう。 波が洗われながら、眠る町は、ゆっくりと、ゆっくりと、海の底へと沈んでゆくのだ――。 (了)
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