インヤンガイで女探偵をしているキサは路上に立ってその時を待っていた。長く張り込みをしているので疲れが出てついつい欠伸を噛みしめてしまった。暇を潰すためと購入した新聞をちらりと見た。見出しには大きく「恐怖の殺人鬼、とうとう死刑」とシンプルな言葉が書かれている。 連続娼婦殺害の犯人が今日、死刑になったということだ。その見出しの中には事件のあらましが書かれている。キサもよく知っている、そして今かかわっている事件と似ていたものだ――数年前に街の娼婦たちが次々に何者かによって腹を引き裂かれて死ぬという悲惨な事件が起こった。被害者は全員で二十五名にものぼり、捕えた犯人はカン・ホゥカという神父。捕まる際にも今警察官を三人も殺している。 ようやく死刑になって安心したというのに、また、これだ。 キサは心の中で一人愚痴る。 最近、キサの住む地区で、このカン・ホゥカが行った事件とまったく瓜二つの事件が起こっているのだ。 娼婦ばかりを狙い、腹を引き裂いて殺す。すでにもう三人の被害が出ている。 カンの犯行を模倣犯でもしているのか。どちらにしろ、キサのいる貧しい地区では娼婦は珍しくない。このままでは商売にならないと娼婦たちからの依頼だ。「きゃああああ」 女の悲鳴があがり、キサは新聞紙を捨てて腰にある鞭を片手に駆けだす。 声のしたほうに行くと、夜の街にいるだろう年取った娼婦に黒い衣服で全身を包んだ相手――男とも女とも一見見ただけではわからない、大ぶりのナイフを持ち、振り上げようとしている。キサはすばやく鞭を振い、ナイフを弾き落とすと地面に倒れている娼婦に駆け寄って、腕をひっぱって立たせた。「はやく、おにげ!」「は、はい」 娼婦が慌てて逃げ出すのにキサが相手へと向き直ろうとしたしたとたんに右頬を殴られ、地面に叩きつけられた。頭の中が真っ白になるほどの強烈な一撃だ。 キサは血を吐き捨て、鞭に電流を走らせる。キサの鞭はただの鞭ではなく、スイッチを押すと電流が流れる特殊タイプ。これで叩きつけられればいくら丈夫な相手でも倒れるはずだ。キサが相手の首へと鞭を飛ばすのとほぼ同時に相手の持つ大ぶりのナイフが降りおろされ、キサの肩を突き刺した。「あ、ぁあああ」 痛みにキサは悲鳴をあげて、仰け反る。しかし、電気鞭は相手の顔にぶつかった。これで相手もただてはいないはずだ。 相手はよろけ、武器を落としてしまっている。 キサは脂汗をたらしてじっと相手を睨みつけた。「……女、感謝する」「へっ」 しゃがんだ、人のものとは思えない声。キサはその顔を見てぎょっとした。顔がないのだ。いや、つるっとした鉄の顔。「ようやく自由になれた。……私はせねばならないことがある。まったく、愚かなことだが、私を利用した奴らにもお礼をせねばなるまい」「待て、あんた、何者だい」「カン・ホゥカ」 その言葉にキサは唖然とした。死刑になったはずの殺人鬼。「お前には感謝している。だから、今回は見逃してやろう。女。しかし、次はないからな」 死刑になったはずの殺人鬼の名を名乗ったそれは闇の中へと消えた。★ ★ ★ 死んだはずの殺人鬼を名乗った奇妙な犯人を逃がした翌日、キサは頬は絆創膏、肩には包帯を巻いて自分の事務所にいた。 昨日のことが気になるが、あんな奴とは二度と関わりたくない。 キサが事務所の安楽椅子に身を預けていると、不意にドアが乱暴に開いた。客であれば断りのノックがあってもいいはずだ。すばやく鞭へと手を伸ばした。 黒いスーツにサングラスをした男が二人、銃を持ってキサを睨みつける。「あたなが、あの殺人鬼を解放したのか」 凛とした声は黒スーツの男たちの後ろからする。 すると高級な白いスーツを身に付けた金色の髪をした男がキサの前にあらわれた。「なんだい、あんた。金持ちがこんなところにくるとはね」「出来れば私だってこんなところには来たくなかったさ。……あなたが、カン・ホゥカを解放しなければ、な」「どういう意味だい。あんた、昨日のとぐるかい?」「いいや。あれは、私たちのゲームの駒さ」 嫌味げに笑う男の言葉にキサは眉を寄せた。「あれは、本物のカン・ホゥカ。幽霊さ。彼の死刑となったあとも、この世にとどまると私たちは検討をつけ、彼に肉体をあげたのさ。最新の機械のボディをね」「なんだって」「ただし、そのボディには細工してあって、一定の地区からは出られないようにプログラムを施していたのさ。なのに昨日、彼の制御プログラムの一部が破壊され、彼は逃げだした。……君がそのプログラムを破壊したのさ」 キサは相手を睨みつけて口を開いた。「なんで、あんな殺人鬼を」「ゲームさ。あの殺人鬼が、誰にも倒されもせずに何人の人間を殺せるか。または、一日に何人殺せるかっていうね。地下で暮らす君たちにはわからないだろうが、天で暮らす私たちには娯楽が必要なのさ。とびっきりのね」「そのために私たちは殺されもいいっていうのかい」 キサがが怒りをあらわにしたのに相手は口元に笑みを浮かべた。「いくらだって替えのきくものだろう」 インガヤンでは、貧富の差は激しい。そのため、貧しい者は地下で暮らし、ほそほぞと生きるしかない。だが天で生きる金持ち年中は毎日を娯楽で満たして生きている。そんな金持ちに自分たちのような地下で生きる者は価値もないのだ。「それで、なんだってここにきたのさ」「君には責任をとってもらいたいのさ。ゲームの駒が逃げてしまった。おかげで彼は自由だ。その自由ゆえに彼がなにをするか私たちにはわからない」「自業自得じゃないか」 キサが吐き捨てると相手の男は肩を竦めた。「ゲームを再開するのが彼らの要望だ。ゲーム参加者たちは、自分たちが死ぬかもしれないというのに楽しんでいるんだ。これから別のゲームの開始だ。君がカンを倒せるか、それとも、参加者たちが死ぬかのね」「なっ!」「殺人鬼であるカンは私たちを殺すためにここにくるかもしれない。ゲーム参加者たちがこぞっている店である会員限定の賭博場「レプリカ」。……または以前娼婦を殺していた通りの「サウジア」。そして自分を死刑にした裁判長のいる地区の「カロレナ」にいくかもしれない」 男は茶封筒と透明なガラスになにやら札をつけた丸い入れ物を差し出した。「店や通りの場所はすでにここに記してある。さて、楽しみにしているよ、君が見事に誰も殺されずに殺人鬼を倒すか、はたまたすべて殺されてしまうか。カンの霊だが、ボディを喪ったあと、また再び別の人間か、物に乗り移る危険性もある。ボディを破壊したら、霊としての部分が一時離れる。そのときにその霊をこのなかに入れて封印しすればいい、これは霊を封じるための特殊な入れ物でね。必ずこの中にいれるんだ、いいね?」「悪いが、私はそんなゲーム乗るつもりはないよ!」「言い忘れていたが、君はゲームを拒否できない。君の命もかかっているからね」 二人の男たちがキサに襲いかかり、無理やりに首に赤い首ををつけた。「爆弾のついた首輪だ。殺人鬼がもし三日の間に捕まえて私の処に持ってこないと、君はその瞬間に死ぬことになる。君の首輪を解除できるの私だけだからね。……私はゲーム主催者として店に来れば出来る限り協力はしてあげよう。では、ゲームスタート」 男は微笑んで絶望のゲームの開始を告げた。
狭い探偵事務所は七人と定員オーバーのため、窮屈であった。 七人のなかでも小柄であるココ・ロロがキサの元に歩み寄った。 「キサちゃん、元気……なわけないよね。大丈夫?」 ココは以前、違う依頼で知り合っており、キサとは顔見知りだ。 ココの青い瞳が心配げにキサの首についた首輪をじっと見つめる。キサは苦笑いを零して、ココの頭を撫でた。 「まぁね。油断しちまったし、これは、これでいいファションだって今は思うことにしてるよ。胸糞悪いけどね。……今回は、私のミスで、あんたたちには迷惑を」 キサが言葉を続けようとすると、レオンハルト=ウルリッヒ・ナーゲルが素早く手で制した。 「時間が惜しい、今回のカン・ホゥカのことと、そのゲーム主催者のことを話してくれ」 レオンハルトの鮮やかな血を流しこんだような瞳にも、氷のような冷静な声にも、キサに対する同情も、この状況に対する憤りもまるで伺えない。 レオンハルトの仕事を第一という態度はキサにとっては好ましかったらしく肩を竦めて微笑んだ。 「そうだね、まぁ座っておくれ」 キサは客人をソファに座らせると、自分は執務机の前にある安楽椅子に腰かけて、自分が体験したカン・ホゥカとの一件、そのあとにやってきたゲームの主催者について事細かく、自分の知っていることはすべて話して聞かせた。 「けど、話すだけじゃ、わからないかな? あいつらの写真とかはないんだけど」 「必要ない。私の力で君の思考から彼らの外見は読み取らせてもった」 「便利な能力だね」 キサは驚いた顔をしてレオンハルトを見つめた。 「あ、それ、ぼくたちにもしてよ。相手がわからないと困るよ、レオンハルトちゃん」 ココがレオンハルトを見上げた。 「そうだな、ここにいる者たちもわかったほうがいいだろう。出来るか?」 ガルバリュート・ブロンデリング・フォン・ウォーロードの提案にレオンハルトは黙って頷く。 「そうだな、相手がわからないと困るからな、俺も」 「俺も頼む」 「俺もだ」 祠堂八十六、金晴天、木乃咲進がそれぞれ頼むのに、ソファに優雅に腰かけていたボルツォーニ・アウグストは甘い飴を口の中で転がすように微笑んで首を横に振った。 「私は遠慮しておこう」 「……わかった。私が見たものを見せよう」 レオンハルトが言葉を口にすると、キサが話して聞かせてくれたカン・ホゥカとキサを襲ったゲーム主催者の顔がココ、ガルバリュート、祠堂、金、木乃咲の頭に流れ込んだ。 黒い機械のボディにのっぺりとした鉄の仮面のカン。 人の心を踏みつけて嘲笑うゲームマスターの顔。 「腹立つ顔だな。そもそも、初めから「探偵vs復活した殺人鬼神父」と題して客でも集めたたんじゃないのか。そうでもなければサキのアイの鞭を受けてセキリティが壊れたら、自爆するように設定してるだろうに」 金が吐き捨てたのにガルバリュートも顔を覆うようにつけられている兜で表情はわからないが、暗い声を発した。 「確かにな。このゲームは重大な欠陥があるにもかかわらず……ゲームが終わったからといって、安心は出来ないようだな……犯人がすべて改心するわけではない。油断すれば、隠し持った刃で喉を裂かれることになるだろうな」 ガルバリュートの顔がキサを見た。 「この爆弾、解体や無効化は出来ぬのか? 俺の力で引きちぎるなり、木乃咲の力でなんとかできないか?」 「そうだな。試してみるか?」 木乃咲は『空間使い』として一定の空間を切り離す、またループさせるという能力がある。 「うまくすれば、キサを助けられるかもな」 「……あんたたち、ありがとう。けど、無理だよ」 キサは自分の髪の毛をかきあげて、振り向いてみせた。 首にがっちりとはめられた首輪から鋭く細い針が出てキサの薄皮を突き刺していた。 「こいつは私の体の温度や、心臓の音を認識してるらしい。外せば、そのとたんに爆発するかもしれないからやめたほうがいい。下手に細工しようとしたらこの針が私の首を刺しちまうようだし……まったく、どこまでも人を馬鹿にしたもんさ、こいつも。まぁ下手なことをしてあんたたちに迷惑をかけたくないしね」 キサはさっと髪の毛を戻し、気丈に笑った。 「私はおとなしく、囚われのお姫様になって、あんたたちが助けてくれること期待してるよ、色男さんたち。で、あと私に出来ることはあるかい?」 「だったら、カン・ボゥカのことを知りたい」 口を開いたのはソファで悠然と足を組んでいるボルシォーニーだ。顎に手をあてて白い牙を出して笑うのは、女ならばぞくりと背筋が震えるほどの不思議な、怪しい魅力がある。 「相手のことを知らねばなにもできまい? 彼の殺人動機、手段、生前の生きざま。そして現在のカンの能力も含めて」 「そういわれても、私が知っているのは新聞に出ていることぐらいだかね」 「だったら、今回のゲームマスターに直接聞きだすしかないだろう……異論はあるまい?」 ボルシォーニーの問い、というよりは、確認する口調に誰も反論はなかった。 敵のことを知ることはこの事件を終わらせる最短ルートだ。なによりも、この悪趣味な行為をゲームと呼ぶ相手を一度はその顔を直接拝んでおいても損はないだろう。どこかに隙があれば、ゲームをぶち壊した上でサキを助けられるかもしれない。 「だったら、これが、店の地図だ。私は……けが人だから、ここでおとなしくしているよ。はやくこの忌々しい首輪をとっておくれよ」 「キサちゃん、絶対にぼくが助けてあげるからね」 ココが見上げてくるのにキサは口元に穏やかな笑みを浮かべて、そのふわふわの頭を撫でた。 「ありがとう」 「そうそう、サキは俺が助けてやるからな」 「私の名前は、キサだ。この色男」 後ろから肩を抱いてくる金に頬をサキの指がつまんで思いっきりひっぱった。 ★ ★ ★ カジノ『レプリカ』に足を踏み込んむと、今までいた世界が一転した。 つやつやの金のドアをくぐりぬけて入った室内は赤じゅうたんがしかれ、骨董品がさりげなく部屋に置かれて重圧でありながら、過ごしやすい雰囲気が作られている。部屋を明るく照らすのは輝くシャンデリア。なにもかもが完璧に仕上げられているのに、どこか息苦しい、偽りの空間。 男も女もぴっしりと皺一つないスーツやドレスに身を包ませて、広い室内を闊歩している。それぞれの遊戯盤が置かれた各ブロックで人々はゲームに夢中だ。 室内を進むと奥には、バーカウンターがあり、ソファに腰かけた男女が声をあげて笑っていた。 「聞いた? あの殺人鬼が、私たちを殺しに来るのよ?」 「ここにくるのかしら? わたくし、自分が死ぬのに、そうね、全財産をかけましょうか」 「まぁ、すてき。あら、だったら、あの女探偵が自爆するのに私はいくらかけようかしら」 「では、俺は殺人鬼の負けに――」 楽しげに今回のゲームを賭けとして語り合う客人たち。 自分の命も、他人の命も。そして、すべてが賭けであり娯楽でしないのだ。 「キサちゃんは死なないもん」 「ココ……そうだな、ここにいるクズどもでも……死んでもいい人間なんて一人もいないしな」 頬を膨らませるココに祠堂が苦い笑みを零した。 「……しかし、金持ちっていうのは……キサが関わってなきゃ」 木乃咲が頭をぼりぼりとかいていると、不意に一人の男が近づいてきた。 「お客さまたちはなんのゲームをお求めで? ここはカジノです。ゲームを楽しむ者しか受け入れられませんが」 あきらかにゲームをしにきた風でない彼らをいぶかしんだらしい支配人の男は値踏みするような視線を向けてくる。 「俺たちはキサの、殺人鬼と探偵のゲームの探偵側としてきた」 ガルバリュートが前へと進み出た。逞しい肉体に深みのある声は十分に脅しになる。しかし、支配人は顔色一つ変えずに頭をさげた。 「それは御無礼を申し訳ありませんでした。探偵側の助っ人ですね。では、こちらに、オーナーがお待ちです」 案内されたのはゲームルームのさらに奥の金のドアをくぐると、それまでの明るさがどこか嘘のようにほの暗い広い螺旋階段に出た。さらに地下へと降りていくと、ついたのはこじんまりとしたソファと椅子といった必要なものだけが置かれている部屋だ。 支配人は案内し終わるとさっさと部屋から出ていってしまった。 部屋の一番奥にはピアノが置かれ、一人の少女がただ淡々と弾いている。名も知らない、陽気な曲だ。 少女の横にスーツを着た男が近づき、自分の持っていたステッキで少女の手を軽く叩いた。すると少女はすぐさまに弾くのをやめてしまった。 スーツの男は――レオンハルトによってキサの思考から見た、ゲームマスターは微笑んだ。 「探偵さんのお仲間さんですね。個性的なみなさんですね。さぁソファに、飲み物は……お子様もいますし、ノンアルコールを用意しましょう」 「必要ない。それにお前のような輩は飲み物になにかいれんとも限らんだろう」 警戒を隠さないガルバリュートの態度にゲームマスターは心外だとばかりにおどけて肩をすくめた。 「ゲームはフェアが大切ですよ。探偵さん、私はゲームマスターとしてフェアにゲームが進むことを守ることが仕事ですから」 そういうとゲームマスターはソファに腰かけて、手で自分の前のソファに座るようにすすめた。 「私は座らせてもらうか」 ぴりっと張りつめた雰囲気でどこか甘さを含んだ声でボルツォーニがゲームマスター対峙するようにソファに腰かけて足を組んだ。 「今回のゲームは、ちょっとしたアクシデントですからね。私もどうなるかはわからないので、皆さんに対する協力は惜しみませんよ。……カンのことが知りたいのでしたら、すぐに資料をもってこさせましょう」 ゲームマスターが指を鳴らすと、ピアノに腰かけていた少女が動きだした。まるで己の意思がないように執務机の引き出しをあけて両手にカンについて書かれただろう書類のはいったファイルをゲームマスターに届けると、彼女は頭をさげて立ち去った。 ボルツォーニが少女に一瞥を向けたのにゲームマスターは微笑んだ。 「あれは、私の骨董品です。芸術には目がなくてね、絵や壺もいいですが、音楽に今ははまっていて」 命のある人間をまるで物のようにゲームマスターは自慢した。 「ほぉ趣味のいいことだな」 ボルツォーニが白い牙をかすかに見せて笑うのにゲームマスターは律義に頭をさげた。 「ありがとうございます。こちらの資料のなかにはカンの生まれてからの生い立ち、また死んだあとのことも書かれてます。ざっと説明すると彼は、娼婦の母から生まれ、五歳まではその母親に育てられてましたが、母親が梅毒で狂い死ぬときに殺されかけた、という興味深い記事があります。そのあと孤児院にはいり、神父になりました。……ここでの記事で目をつけるとすれば、引きとられた孤児院の神父は母親の客だった、ということでしょうかね? ホゥカというのは、その神父の名字です。十五歳のとに養子として引きとられてます」 淡々と資料も見ることもなくゲームマスターはカンの生前をなぞる。 「その神父が死んで、後任したのち、彼は月に一人、多ければ二人の女たちを殺していった。彼が娼婦を殺していった地区であるサウジアは彼が母親で死に分かれるまで暮らしていた地区です。そして、彼は二十五人……下手をすればもっといたかもしれませんが、幸いなことにも彼が殺したと判断出来る死体はそれだけしかなかったんです」 「つまりは、もっと殺していたってことか」 語られる残酷ともいえる血ぬられた犯行に思わず祠堂が眉をひそめて口を挟んだ。 二十五人も殺したのは正気の沙汰ではない。否、人を殺す地点でカンのなかのどこか大切な何かが壊れていたのだろう。その理由がたとえ恵まれない子供の時代による原因であったとしても同情の余地もない、これはただの狂気だ。 ゲームマスターは口元に笑みを浮かべた。 「カンが捕まったのはたまたま、彼が殺した娼婦の一人が強力なパトロンのついた女だったためですね。それが警察などに圧力をかけて捕まえさせんです。まぁ捕まえるときに警官もカンによって数名殺されたようですよ。……カンは生前はいくつかの武道を身につけて習っていたので……カンが死刑になるとき、彼は笑っていたそうです、そしてこういったそうですよ、「俺は何度でもやる。これは救済だ」と、そのあと彼は一切の口を開けることもなく死刑が確定したわけです」 「お前と裁判長は関係ないのか」 ガルバリュートのなにげなさを装った問いにゲームマスターは意外そうに目を細めて、猫のように笑った。 「残念ながらありませんよ。ただし、彼の魂を手に入れるために死刑日時と死体運搬の際はこちらが関与しました……勘の鋭い方は個人的に嫌いではありませんよ? ……それで、これ以上に知りたいことはありますか? お渡しした資料のなかに今回カンの行きそうな、サウジアとカロレナの地図もはいってますが」 「次に狙われる奴の目星はないのか」 ガルバリュートが兜から鋭い睨みをつけるとゲームマスターは肩をすくめた。 「それは、あなたがたが推理することでしょう。これ以上の情報提供はさすがにフェアとはいえませんから。ただ裁判長の住所のほうは、地図に赤く記しておきました」 「ふん、一番肝心なことを言わずじまいってわけか」 金が肩を竦めて皮肉な笑みを浮かべた。 「言ったように、ゲームはフェアでなくては楽しくありませんから……」 ゲームマスターが手をあげるとどこからかあらわれた黒いスーツの男が遊戯盤がテーブルの上に置いた。 遊戯盤の上には黒い駒が七つ。白い駒が一つだけ置かれている。 「ただ私が予想するところでは、カンは娼婦を殺した場所に行くものかと思います。動物にもあるでしょう? 帰還本能が……彼が自由になってするとすれば、一度は自分の古巣に戻ることでしょう」 ゲームマスターは白い駒の頭を指で撫でながら続けた。 「かならず、勝利してくださいね?」 ★ ★ ★ 「っ、まったく息が苦しいところだぜ」 レプリカから出たとたんに祠堂が吐き捨てた。外に出ると店の中がいかに異常な甘さ、毒を含んだ空気に満たされていたのかがわかる。 「俺は、サウジアにあたってみる。もし、誰かがカンに遭遇したらトラベラーズノートで連絡、奴を包囲する。っていうのでどうだ?」 祠堂の提案に金が頷く。 「そうだな。俺も出来ればサウジアをあってみる。あのゲームマスターの言ったことを間に受けるつもりはないが、気になるからな。三十分単位くらいでノートを見るっていうのはどうだ」 金の言葉に誰も反論はしなかった。 ここで全員でぞろぞろと同じ場所に行くよりは、それぞれに目星をつけたところへと向かったほうがはるかにカンにたどり着け、被害者を出さないで済む。 自分たちがしているのはゲームではない。 ゲームと楽しむ馬鹿なやつらを楽しませることもでない。 「俺もサウジアに行こう。ほかのやつらはどうする?」 ガルバリュートにココが真っ先に手をあげた。 「はい。ぼくはここにいたい。カンちゃん、ここを狙うと思うし」 「俺は、カロレナ、かな。一応、狙われているだろう裁判長の家もわかっているからな」とは木乃咲。 「では、私は少しばかりゲームを楽しくさせよう」 ボルツォーニは優雅に微笑んだ。 「馬鹿正直に観客を楽しませるだけではつまらいだろう? では、私は先に失敬するよ、ここの客人たちは実に退屈そうだからな」 くくっと低い喉を鳴らすような笑い声とともに、ボルツォ―ニの姿が黒い霧となって姿を消したのにレオンハルトが口を開いた。 「私もここに残ろう。……カンがここにくると予想している」 淡々としたレオンハルトはいうとレプリカへと足を向けたのに金は肩をすくめた。 「なんというか、掴みどころのないやつらだよなぁ。……けど、それだと、カロレナには木乃咲だけになるな、さすがに一人だと危険じゃないか?」 「そうだな。ココがついていくとはいうはどうだ?」 「えー、ぼく、ここがいい! ぼくもここでしたいことあるもん!」 ココがつぶらな瞳でガルバリュートを見上げる。 ガルバリュートとしては、このようなカジノにココを置いておくことが心配であった。なによりもカンの犯罪動機を聞くと同じ立場の仲間としてはココは怒るだろうが心配が尽きない。 「いいさ。一人でカンと会ったとしても最悪の場合は時間稼ぎして助けを待つさ」 木乃咲が肩を竦めるのにココがぱっと笑う。 「そうだよね! ガルちゃんは心配症すぎるんだよ、進ちゃんだってがんばれるよね!」 「ガルちゃんは俺のことか」 「進ちゃんって、お前……」 大の男二人は可愛い呼び方に唖然としているのに金と祠堂が腹を抱えて笑った。 そして、それぞれに己の勘を信じて、目的地へと歩き出した。 ★ ★ ★ サウジア。 そろそろ夜の時間帯というこもとあり、ちらほらと小さな店からは灯りが漏れ、昼間にはない活気が溢れだす。しかし、その通りだけは人の姿がなかった。 寂れた通りは、人の姿もなく、沈んでゆく太陽によって茜色に染まる。 「カンが、殺しまくっていたっていうのは、ここか」 金が呟く。 ただの通りのはずなのに、その道の端々には、赤黒いシミがうっすらと見える。それが昔起こっただろう殺人鬼の痕跡をありありと物語っている。 今でもこの周囲にすむ住人たちは、この通りを恐れて近づかないのだ。 「お、これ、使えそうだな」 心が沈む太陽のように、暗闇の中へと落ちていきそうになるのをわざと明るい声をあげることで祠堂は振り払い、転がっている小さな棒きれをひろいあげた。 「なにするんだ、そんなの」 「俺の武器だよ」 「そんなのが?」 「まぁ、見てろって……それでここからどうする」 祠堂が今後をどうするかという話題にガルバリュートが首を傾げて唸る。 「あ、提案なんだけどさ。カンの生前関係して生きたやつを追うのはどうだ……たしかもらった資料のなかにあるよな。カンが殺し損ねた娼婦の家、ここの近くだ」 金の提案に、二人も同意した。このままここをさまよっていても仕方がない。 地図を見てカンが唯一殺し損ねた娼婦の家へと向かって歩き出す。問題の娼婦はこの通りの端に住んでいるはずだ。カンが捕まったあとも、この道で娼婦としての仕事をしていると資料には書かれてあった。 歩きながらその匂いに気がついたのはガルバリュートだ。 「血の匂いだ」 ガルバリュートが獣の唸るような声を発したのに三人は走り出した。 茜色に輝く通りの端に、黒い影があった。その黒い影の腕の中には派手な赤いドレスを着た四十前後の娼婦の首を抑え込み、肩にナイフを突き立てていた。殺すのではない、弱い獲物をいたぶる行動にガルバリュートが叫んだ。 「貴様か、カンは!」 娼婦をいたぶっていた黒いものははじめて背後にいた三人に気がついていたように顔を向けた。 レオンハルトがキサの思考から読み取り、見せてくれた、カンだ。 三人の中に緊張が走る。 自分たちだけで戦うならばいい。しかし、問題は、娼婦だ。 「その人を離せ!」 行動に出たのは祠堂だ。足元に転がっていた石を爪先で蹴って見事なコントロールでカンの顔を狙う。 カンは機敏な動きで娼婦の肩からナイフを抜き取り、石を避けて前へと躍り出る。 カンの狙いは自分を攻撃してきた祠堂。 祠堂は素早く先ほど拾った棒きれを剣身に構えた。 カンのナイフと祠堂の見えない剣がぶつかり合う。 「ただの棒ではないのか」 「っ! 見えない剣っていうのを見たことあるかい?」 祠堂が力でカンを弾き飛ばすと、カンは猫のようにくるりと宙で回転し、地面に着地すると何事もなかったかのように立ち上がり、自分を囲む三人の誰に攻撃しようかと吟味するかのように軽く首を傾ける。人らしい行動をとるが、その姿は異様そのものでしかない。 「ほら、こっちに活きのいいのがいるぞ!」 ガルバリュートの声にカンの首がそちらへと向け、地面を蹴って飛ぶ。懐にはいったカンのナイフはガルバリュートの腕に突き刺さるが、血は流れない。驚くことにナイフも抜けない。ガルバリュートの筋肉が突き刺したナイフを固定してしまったのだ。 「筋肉ばかめ」 カンが吐き捨てる。 「それが売りでな!」 ガルバリュートの拳がカンの頭を狙う。咄嗟の判断でカンはナイフから手を離し、その一撃を両腕で受ける。 カンは機械でガルバリュートは生身というのに、機械の肉体であるカンの両腕にみしっと軋み音があがる。 「頭を狙っての一撃か、いい判断だ。……お前戦い慣れているな」 「躾のない駄々っ子の相手ぐらいは出来るさ!」 ガルバリュートの殴りに、カンも身を低くして構える。接近戦、しかも武器がない戦いにもカンは慣れているらしい。ガルバリュートの拳を払いのけて殴り返すが、鍛え上げられた筋肉はびくともしない。 「化け物め」 「お前にいわれたくないがなっ!」 ガルバリュートの腕が伸びて、カンの片腕を掴むと地面に叩きつけた。カンの腕を抜くか、はたまた体にダメージを与えようと考えてのことだ。 カンの肉体がみしりっと悲鳴をあげ、ガルバリュートに掴まれている腕がずるりっと機械のコードや部品を晒す。 カンは素早く自ら肩を肉体から引き抜き、片腕を失った状態にもかかわらず飛び立つ鳥のような素早い動きでガルバリュートの腕に足を乗せて一気に駆け上がると、肩車の要領でガルバリュートの首に両足をかけて締めつけた。 娼婦が生きているのか確認し、安全を確保していた金と祠堂。金のほうが先にガルバリュートの危機に気がついた。 「やべっ……あいつ、関節技で決めるつもりだ!」 「ガルバリュート!」 二人が急ぎ駆け付けようとするのをカンは見逃さなかった。ガルバリュートが両腕を伸ばしてカンを捕まえるのとほぼタイミングを合わせて、立ち上がる。カンは、その隙を狙っていた。ガルバリュートの肩を台にして下へと降りると、片方しかない腕で金を殴る。金はすぐさまにボクシング用のグローブで受けとめた。祠堂は加速をつけて剣を抜き、斬りかかる。もう片方の腕を狙った攻撃をカンは後ろへと避け、背後から迫ってきたガルバリュートの攻撃もぎりぎりで避け切った。伊達に大勢の娼婦を殺してきた男ではないということだ。 「実にいい駒を向こうはもっているようだな。……しかし、お前たちでは拉致があかんな。誰にいわれてきた。このゲームの主催者は誰だ」 カンは三人を顔のない顔で見て吐き捨てる。 「ここにいればいずれは迎えがくるとは思っていたが……お前たちのようなやつらが相手ではこちらとしても不利だからな」 「ここでやられちまうっていうのもありだぜ、選択肢としては」 「冗談だろう?」 金の言葉にカンは機械のくせに器用に肩をすくめた、だが、とたんにカンの体が大きく震え始めた。何事かと三人はぎょっとカンを見つめる。 「おいおい、なんだよ、こいつ本格的に危なくないか」 金が顔をしかめる。 「……うるさい、うるさい、うるさい! 耳元で叫ぶのはなんだ、お前たちの仕業か、これは! ふ、はははは。なんだ、こうして俺をそこへ行けというのか。そうか、レプリカ、レプリカな。店の名前か」 その場の者には見えないだろうが、カンの肉体には黒い蜘蛛がひっつき、彼に囁き続けていた。店の名前を。自分をこうしたのはこの店だと、もうすぐ彼らは去ってしまうことを。低い声で何度も、嘲笑うように。 カンは高らかに笑った。 「殺してやる。殺してやる、殺してやる、殺してやるっっっ!」 「何かあるかしらんが、今のうちに」 「叩き潰す!」 三人が一斉攻撃をかけようと前へと出ようとしたとき、カンは腕を大きく振り、無数の黒い粒が地面に落ち、とたんにもくもくと黒い煙をあげる。 「煙幕!」 「お前たちとの戦いはなかなかに楽しかったよ。……俺は殺すべき相手のところにいかせてもらう!」 カンの嘲笑うような声を漏らして煙幕がたちあがる一瞬の隙に地面を蹴り高く飛躍すると建物の上へと飛び移り、逃げ去った。 「くそ、あいつ、どこに行くつもりだ!」 「……あいつがいった方向って、俺たちが来た店のほうじゃないのか? レプリカの名前も口にしていたしな」 「急いで戻ったほうがよさそうだな」 ★ ★ ★ レプリカ。 偽りの輝きに満ちた世界では、優雅に、しかし、堕落的に人々がゲームに耽っている。その中でボルツォーニは白い牙を見せて傍らにいるレオンハルトに笑って見せた。 「なにをするつもりだ」 「……ゲームをするだけだ」 「ほぉ、気が合うようだ。しかし、私はもっと刺激的なゲームのほうが好きでね。互いに好きにしよう」 それだけ言い残すとボルツォーニはレオンハルトに飴玉を含んだような甘い笑みを残して歩き出した。 二人には協力という文字はない。かわりにその分、互いになにをしても相手の行動が決して愚かではないだろう程度に互いに相手を重視はしていた。 「二人とも、あんまり悪いことしちゃだめだよ!」 二人から少しばかり遅れて店にはいったココがようやくレオンハルトに追いついて声をかける。 レオンハルトはちらりとココに視線を向けた。 「君も残ったのか、ここに」 「うん! ぼくは、こういうところをなくしたいもん」 ココが無邪気に、しかし目だけは笑わずにレオンハルトを見つめる。このかわいらしい見た目に反してココの心は何かしら抱えているようだ。 「互いにしたいことをするべきだろう。私は君の邪魔はしない」 「うん」 ココは笑うとたったっと駆けだしていった。 ココは、その見た目の可愛さを使って積極的に客たちに話しかけている。その目が客たちの心の奥まで見据え、またこの店のどこかにあるだろう秘密を暴露しようと隙なく見ていることに、一体、どれほどの者が気がつくだろうか。 ボルツォーニの姿は、そこらへんの者たちよりもずっと、この場にふさわしい雰囲気を兼ね備えていた。元いた世界では、彼にはそれそうとうの地位があり、それにふさわしい振舞いを知っていた。 レプリカ。偽りの名前の通りの偽りの成り上がりでは、ボルツォーニを見てその風格に噂や何者かと噂をたてるばかりで声をかける者はいない。成り上がりでも、いや、だからこそ、声をかけていい相手と、そうでない相手ぐらいはわかるのだ。 いやしくも、視線を向け、声をかけてほしそうなもの言う女たちにボルツォーニはうっすらと笑いかける。 その彼の目に不意にほの暗い闇の中で美しい旋律を奏でる少女へと目が向いた。 ゲームマスターの自慢の芸術品の一つだったはずだ。彼は音も気配もなく、彼女へと近づいた。彼女はまるでもののようにピアノしか見ないで、鍵盤に細い手を走らせている。 「もっと美しい曲がお前には弾けるだろうに」 彼女はボルツォーニの言葉も無視して弾き続ける。その手にそっと掴んだ。そのとき、はじめて彼女はボルツォーニを見た。輝きのない瞳が自分の姿を映すのに紳士は笑みを浮かべて白い牙を見せた。彼女の瞳にはっと輝きが戻っていく。――心をなくした少女に、美しい闇が感情を呼び覚ます。 「さぁ、今度は私のためだけに弾いておくれ。私の旋律……私はあんな男とは違う、心を破壊して飼いならすなんてことはしない。さぁ、おいで、私のものにおなり」 ボルツォーニの白い牙が少女の、白い肌へと触れる。 レオンハルトはゲームを楽しむ人々を無感動な目で見ていた。このゲームマスターが本当にキサを助けるつもりがあるのか、彼にはその真意を知らねばならなかった。 一人のボーイがレオンハルトにワインを差し出す、それを無言で受け取るが口はつけない。救い難い悪趣味さをただ無感動な青い瞳が見つめる。彼の瞳はこことは違う、もっと別のものを見て、感じていた。 「そろそろ」 レオンハルトは呟くと、ドアのほうで悲鳴があがった。 「来たな」 悲鳴、号泣、歓喜、怒声、罵り声、むせるような血の匂い。 黒いボディをした殺人鬼人形は片腕で、あちこち体が欠けていたが容赦ない攻撃でレプリカの客たちを血祭りにあげて、死体の山が作られていく。 「ようやくきたか、カン・ホゥカ」 逃げ惑う人々のなかで、優雅に笑いながらゲームマスターがカンに微笑みかける。 「貴様は、誰だ」 「お前をその体にした張本人、というところかな。……ふふ、楽しい娯楽を提供してくれて、ありがとう」 「……ここまで俺を誘導したのも貴様か、耳元でやかましく、ここのことを言いづけたのは!」 「そうだとしたら?」 「死ぬっ!」 カンが冷静さを欠けた怒りにかられて襲いかかるのに、ゲームマスターは避けようともせず微笑んでいる。カンの拳がゲームマスターに触れようとしたとき、白い霧があらわれカンを、そして血ぬられた店内を包みこんだ。 「間一髪というところかな」 ボルツォーニがさしたる危機も感じていないのんびりとした口調で言う。これは彼が呼びだした魔霧だ。 当然、その中でボルツォーニは迷うこともなく、霧の害を受けることもない。そして、その害を受けない者がもう一人いた。ゲームマスターが立っていた場所にいつの間にかレオンハルトが立っていた。先ほどのはレオンハルトが化けたものなのだ。 「それとも邪魔をしてしまったかな」 「いや、おかげで束縛が出来た」 「ほぉ」 白い霧の中で黒いボディがもだえる。カンが殺していき、浴びた血と床に広がった血をレオンハルトは逆に利用して拘束したのだ。 「このあとはどうする?」 「あとは任せればいい」 レオンハルトの言葉のほぼ同時にカンに矢のようにココが蹴りを向ける。派手な一撃にカンの体が壁に吹き飛ばされる。 それと同じくしてガルバリュート、金、木乃咲、祠堂――それぞれの場に散っていたのが、ノートの連絡によって集まったのだ。 拘束されたカンの姿を見て、この場でなにがあったのか全員が悟った。 「ここでカタをつけるぞ!」 獣のようなガルバリュートの声。 カンとて馬鹿ではない。自分が敵にまわしているものの力量くらいわかる。カンはすぐさまにこの場から逃れようと体をもかがかせ、見えない壁にぶつかった。 「逃がすかよ」 『空間使い』である木乃咲が、この店一体の空間を切ったのだ。 「……これは貴様か」 カンが木乃咲を睨みつける。 「だったらなんだ」 「小癪な真似を」 「策だっていってくれよ。痛みがないのか? へぇ、機械の身体、便利そうだな。交換するかい? 俺の体と」 「冗談だろう? 坊主」 「そうだな。その身体、やっぱり要らねぇや。顔の造形がダサすぎるし、スクラップの体なんて欲しくない」 「スクラップになるのはお前かもしれないぞ」 「出来るもんならしてみろ!」 カンがなんとか立ち上がり、攻撃の態勢をとろうとしたときココが矢のように駆け、地面を蹴っての重い一撃にカンの体が飛び、柱にぶつかる。 この戦いのどさくさでココは、この店を潰してしまうつもりなのだ。 カンの体が大きくよじると、無理やりにも立ち上がり、ココに蹴り技を見舞う。ココが投げ飛ばされる。 「こうなれば、一人でも多く殺してやる!」 「させるか!」 まるで見計らったようなタイミングで空間をねじ曲げての木乃咲がカンの頭上に水を出現させ、その隙に金が殴りかかるのにカンは片腕だけであるというのに防御する。だが、その肉体は霧と血により限界が達しようとしており、かなり動きが鈍い。めきめきと音をたててカンの肉体が悲鳴をあげる。金の関節技を決めて、カンのもう片方の腕を使い物にならなくする。 「みんな、どいてろ! ――必殺、奇機械斬り」 祠堂が剣身を伸ばし、横殴りにカンのボディを叩き切った。 みしぃ。 いくたの攻撃を受けたカンのボディが悲鳴をあげて、小さな痙攣を起こすと停止した。とたんに白く淡いそれが飛び出してくる。 金はその瞬間を見逃さなかった。 「祠堂!」 金が壊れないようにと部屋の隅に隠してあった魂をいれる器を素早くとると、祠堂に投げた。それを祠堂は素早く受け取ると、それを入れ物のなかにいれて蓋をする。捕まえられたそれは抵抗するように狭いなかをふよふよと泳ぎまわるが、入れ物の外には出れないようだ。 「捕まえた!」 祠堂が声をあげた。 「お見事」 拍手が虚空に響くのに全員が視線をそちらへと向けた。 今までどこにいたのか本物のゲームマスターが微笑みかける。 「それを渡していただけませんか? それで今回のゲームは完了です」 「悪いがキサを解放するほうが先だ。こんな危険な欠陥だらけのゲームを主催者する輩を信用はできないからな」 ガルバリュートがゲームマスターを睨む。 「それは困りましたね」 「これを彼のファンが欲しがってるから俺たちに譲るとかどうだ? ゲームの賞品ってことで」 金が茶化した笑いを浮かべる。 「……あくまで渡すつもりはない、ということでいいのでしょうか。どうしましょうか、ここであの女探偵を殺すか?」 「では、今からこれを使って新しいゲームをするか? お前たちの好きなゲームだ。カンが成仏するのが先か、祟り殺されるか。キサ殿になにかあればお前たちが害があるだけだ」 ガルバリュートの言葉にゲームマスターはうっすらと笑った。 「いいでしょう。三日すればいやでも女探偵は死にます。こちらも数名死ぬことになっても、それは予定調和のうちですけども。あなたがたにとっては、あの女探偵が死ぬのは果たして、どうでしょうか」 抑揚のない声で続けられる言葉は不意に遮られた。ゲームマスターの首に銀色のナイフがあてられていたのだ。 そのナイフを持っていたのはピアノ弾きの娘だ。 「……なんのつもりだ」 少女は恐怖のおののいた目をしてゲームマスターを見つめた。と、力をこめて彼女はゲームマスターを床に押し倒した。 「無駄だ。その娘は私の駒だ。私も一手を打たせてもらおう」 ボルツォーニはくすりと極上の甘い飴を舐めたように笑い、とても冷たい目でゲームマスターを見下した。 「……私は、あなたがたを甘く見ていた、ということですね?」 ゲームマスターが小さなため息を吐いた。 「……では、交換といきましょうか? ここに女探偵を連れてきてください。あれは、ここでないと解除できないので」 レプリカに連れてこられたキサはひどく居心地の悪い顔をしてゲームマスターと荒れ果てた店を見た。 「こりゃ、営業できないねぇ」 「本当に、ひどい有様だよ。君をゲームに駒にしたのは間違いだったかな」 「その姿でよくいうよ」 「こういうのもゲームの終わりとしては悪くない」 ゲームマスターは床に倒されたままだというのに笑った。 キサはゲームマスターの前に歩み寄る。ゲームマスターは少女に体を束縛されたまま立ち上がり、そっとキサの首にある、首輪に唇をあて、囁く。 「ゲーム」 ピーと大きな音が首輪から放たれ、キサが震えあがった瞬間、首輪が音をたてて外れた。とたんに緊張の限界に達したキサは床にへたれこみ、小さく安堵の息を吐いた。 「これをそろそろ解いてくれませんか?」 「よかろう」 ボルツォーニが指を鳴らすと少女の拘束が解かれてゲームマスターが立ちあがった。とたんに黒いスーツの男たちが駆けだし、少女の体を捕えて奥へと引きずっていった。 「カンの魂は、渡してくれるんでしょうね?」 「素直に渡すと思うか?」 「……騙したんですか、ひどいですね」 「キサにもう二度と手だし出来ないようにこれはキサの保険だ」 「それに、こんなにいっぱい危なさそうな書類!」 ココが声をあげて紙の書類をかがげてみせる。 「いつの間に!」 驚いたのはゲームマスターだけではない、仲間たちもだ。 「カンちゃんにやられて、気絶したふりしたの。そのときにこっそりと店のなか、いろいろと動きまわって知っていたから」 「お前……やるなぁ」 「えっへん」 木乃咲が呆れとも感心ともつかない目でココを見た。 ココの両手にある書類を見てゲームマスターは肩をすくめた。 「……いいですよ。差し上げましょう。今回のゲームのそちらの勝利として。そろそろ、ここも飽きてきたところですね」 負け惜しみともとれるが、ゲームマスターは微笑み続ける。 「行こう。いいこの空気は濁ってる。それに、こんな壊れちまいそうな建物に長くいたくないよ!」 キサは気丈に立ちあがり、叫んだのにそれに全員が従った。 ゲームマスターは荒れ果てた店の地下にある自分の部屋に戻った。 ここだけは地下であったために被害がなかったのだ。 椅子に腰かけようとしたとき、彼は不意に苦しみはじめた。首に赤い糸が巻きついた。慌てて除けようとするが、それはきつく首を締め付ける。 そして抵抗する間もなく、体内から血という血が吸い上げられ、ゲームマスターは干からびた。 テーブルにあった遊戯盤に置いてある黒い駒がからん、と音をたてて盤の上に転がった。 「チェックメイト」 闇の中から姿は見えないがレオンハルトの低い声がゲームの本当の終わりを告げた。
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