「ヘンリー&ロバート・リゾートカンパニー企画 ギベオンツアーに参加の皆さんは、乙女座号の前に整列願いますーす」 設えたようにピッタリの紺の制服姿、『ヘンリー&ロバート・リゾートカンパニー』の幟の横で背伸びした少女が旗を振っている。 研究生活に身を捧げることを決めたはずフランが、何故こんな旅行添乗員まがいのことをしているかと言えば――‡ ‡ ことの始まりは一週間程前。 図書館――というよりはアリッサ個人への報告を終えて帰途に着く途中の出来事。「君がフランさんだね、ギベオンのことで相談があるから時間を貰えるかな」 図書館の通路に居た中年紳士、柔和な笑みと聞く人を落ち着かせる穏やかな声が少女の足を止める。「はい、ベイフルックさん。出るまでにはまだ時間がありますので大丈夫です」 五度程の会釈し、淀みない言葉の同意。しかしながら、半歩程柔らかな絨毯を沈めた脚は少女の心情を表していた。 (ヘンリー・ベイフルック……アリッサさんのお父様が何故ギベオンのことで?) 心に浮かぶ警戒心は理由無きことではない。 自分の研究がアリッサを除く<<ファミリー>>にいい顔をされていないことは把握している。 特にヘンリーの経営パートナーであるロバート・エルトダウンは、強い反意を示していた。「それはよかった、見せたいものもあるんだ。立ち話でするには少し長い話だから事務所まで付き合って貰えないかな」 茶飲みでも誘うような気楽な口調、些か過剰な反応だったかもしれないが、世界樹旅団は仮面の幹部として永く過ごした少女を猜疑心の虜にするには十分過ぎる。‡ 困惑に資料を捲る指を止め、供された紅茶に口を付ける。 (あ、これ美味しい、流石アリッサさんのお父様……ってそうじゃなくて)「えっと……すみません、ちょっとその……飲み込めなくて」「おや? 熱かったですか? それは失礼」 セルフツッコミを入れながらカップをソーサーに戻したフランに、ヘンリーは後ろ頭を掻きながら少し頭を下げる。「あ、いえ紅茶はとても美味しいです。 えっと、この企画……本気で考えられてます? そのなんと言えば……少し驚いています」 誤解を解くために手を振りながら、己の困惑を伝えた。「ああ、もちろん」 鷹揚に笑いを崩さずヘンリーは頷く。「面白い企画だと思わないかい?」 にこやかに尋ねてくるヘンリーの真意は推し量れない。 (ヘンリー&ロバート・リゾートカンパニー ギベオンツアー企画……。 ……視察したいならそういえばいいだけだし、研究の邪魔をしたいにしたって……こんな回りくどい。 …………本当に、本当に旅行の企画なの??) 考えれば考える程困惑が沸く、少し探りを入れたいと思うが自分の立場を考えればあまり軽率な言葉も返せない。 (うーん、もうこうなったら、ままよ) 割り切る、分からないことは分かった時に対応すればいい。 そう決めたフランは資料を再度手繰る。今度は腹を探る疑惑の目を通してではなく、この旅行企画に協力するために。 ・ ・ ・ どこらか取り出したホワイトボードに走り書きが羅列されている。「お泊りに成られる方はどうされるんですか? 研究所は、そんなに多くの方を泊めることはできません。お食事に関しても余り答えられるとはいえません」「そうだね……いっそテントでなんて言うのも風情があるかな。 星が綺麗と聞くし、キャンプファイヤーとかも楽しそうですね」「よくご存知ですね。でも、他にはこれと言って何もありませんよ?」「そこがいいという人もいると思います。 開拓精神の強い人、誰もいない静かな場所で己を省みたい人、逢引にだっていいですよね」「……否定はしませんけど……」「あくまで一例ですよ、他に何か思いついたりしませんか?」「そうですね……ギベオンは天動。中心となる惑星の周りを星が回っている世界なんですけど……もしかしたら世界の果てとかあるかもしれません」「おお、それは凄いですね。ぜひ企画に入れましょう」 ・ ・ ・「だいぶ話し込んでしまったね、折角の休みに申し訳ない。しかし、これでよい旅行企画になりそうだ」 打ち合わせを終え、カップを片手に一息入れるヘンリーは心の底から安堵したように零す。 (……この人の良さそうなおじ様は、本当に一体何を考えているのかしら?) 先とは異なり、思考の色は警戒ではなく疑問。「実はね、断られるかなって思っていたんだ。色々あるしね」 それなら何故? という疑問は言葉にはしなかったが表情には浮かんだのだろう。「……イグシストすら禁忌としない貴女の研究に、私は賛同していない。 しかし、私はね、フランさん。壱番世界を救いたいという貴女の気持ちまで否定するつもりはない。 純粋にロストナンバーの一人から企画の依頼があって、必要があったから貴女に声をかけた。 そこに他意はないよ、ただできればこう考えてくれると嬉しい。 ヘンリー・ベイフルックは、娘の友人でありヘンリー&ロバート・リゾートカンパニーの潜在顧客である貴女にこの企画を楽しんでほしいと思っているとね」 額面通り受け取れる程、フランも幼くはないが、少なくとも誠実であろうとする態度は感じる。「正直にどうお答えしてよいものか……素直にありがとうございますと言えれば、良いですけど。 ただ、この件に関しては誠意をもって協力します……その後でしたら別の言葉を返せるかもしれません」「うん、まあ私達の間柄はそうかもしれないね。 それでは添乗員役も頼むよ、まだうちの収益は安定しなくてね専門の人は雇えないんだ。これも旅行企画の醍醐味だと思って欲しい」「ええっ!?」
「噂にはきいてたけど、ほんとに何にもないアルね!」 ロストレイル号から降り立った男の身も蓋もない言葉は、江戸っ子とは皐月の鯉の吹き流し口先ばかりではらわたは無し、と言ったところか。 企画者チャン(江戸っ子ではない)の放言から、ヘンリー&ロバート・リゾートカンパニー企画『ギベオン観光旅行』は始まった。 ‡ ‡ 警備な人々 「ということで、フランちゃん。こんな旅行が一番キケンですぅ。知り合いのふりをしたウォスティ・ベルがフランちゃんの研究を狙って、混じっているかもしれません」 「え……? ウォスティさんって、あの人拘束されますよ。それにあの人命令がないと何も……」 「彼だけじゃなくても研究を狙う人はいるはずですぅ! フランちゃんもターミナルで研究していると良からぬ輩に狙われるかも知れないって言ったじゃないですかぁ!」 「あ、あの、確かにそういいましたけど……」 困惑半ばに諦めが滲む言葉。 「いや、マジゴメンな……オレもそんなのナイナイって言ったんだけどな。 知ってると思うけどよ、撫子は言い出したら聞かねーし、まあ、満足するまでやらしてやんなよ」 片目をつぶり、片手で拝みながらのおじさんの囁きは、何ら救いになっていない。 「撫子様、対テロリスト防衛システムを起動します」 「OKですぅ☆ ジューンさんやっちゃってください☆」 (撫子ちゃんはそういう人だ。これと決めたら、絶対引かず一直線にやり抜ける行動力の持ち主……でも、今日のは止めないと大変なことになっちゃう!) 「撫子ちゃん!! 心配して頂けるのは嬉しいです。けれど皆さん素性のわかってる方ですし、こんなことしていたら折角来て頂いた方の気分を害してしまいます。 そこのおじ様、お知り合いでしたらお願いしますから、この人達止めてください」 ――コードA3RF 平時におけるテロリストからの拠点防衛としてリミッター解除 生体サーチ・構造物サーチ 乾いたため息を吐くフラン、軽く肩を叩く魔導師、殺る気に満ちた撫子。 真剣そのもののジューンの表情に変化が現れる。 ――フラン様、私室にて不審者確認 会心の笑みを浮かべる撫子、口笛を吹く魔導師、開いた口が塞がらないフラン。 ――優先コードG3D7 暴徒鎮圧モード起動 ナニーロイドの眼光が桃色の残滓を残して輝く。 ‡ つい先日、送ったプレゼントしたばかりのカーテンが陽光を柔らかく遮る。 薄く照らされた室内は、この前に比べると少し乱雑に私物が散らかっていた。 (まあ、少しくらいはな……おっと見ない見ない) ここに来た目的はプライベートを覗くためじゃない。 ベッドの上に積まれた布から目を逸し、両手一杯に抱えた荷物――わかってる限りの研究資料を適当な落書きやデータにすり替えて持ってきた――をベッドの下に入れる。 「別にそれでも見つかったならいいさ」 フランの研究を守る為にコッソリすり替えをしていた虎部が嘯く。 一仕事終えて外に出ようとすると不審な音が聞こえた。 ――Warning、侵入者アリ 「な、なんだ。この音は」 開け放たれる扉。 驚く暇もあればこそ、全身を奔る高圧が虎部の焼き払う。 (糞、気づかれたのか、デフォタンじゃななきゃヤバかったぜ……しかし、誰だ) 顔を引き締め隙無く扉の先にシャーペンを構える虎部に答えるのは、無機質な機械の言葉。 「侵入者生存反応残存。ご婦人を狙う破廉恥漢に手加減の必要を認めません」 「な、ジューンさん。あんた……一体」 機械の女を問い詰めようと近づく少年を迎えたのは電撃の洗礼ではなかった。 「な、な、な、何やってんですか!!! 隆さん最低です!」 激高と羞恥に震えるフラン、その張り手だった。 ‡ ‡ 小休憩 「お疲れ様です皆さん、これから1時間ほどお昼休憩をして世界を回る予定です。 軽食をご用意していますので、少しの間ですが移動の疲れを癒してください」 旅行客を研究施設内に用意したサロンに案内し、自身も軽食を取っていたフラン。 その目の前に突如お盆が置かれる。顔を上げると湯気を立てる謎茶と羊羹っぽい謎物体、そして白い幼女の笑顔が覗く。 「改めて、こんにちはなのです。ゼロはゼロなのですー」 幾度か聞いた声、『あの時』を思い出し緊張に体が強張る。 (……でも、いつまでも逃げてていいことじゃないですよね) 椅子から立ち上がったフランは、ゼロに深々と頭を下げる。 「あ、あの……ゼロさん。あの時は本当に……ごめんなさい」 「頭を上げてくださいなのです。 ゼロは、フランさんにとってすごいりあじゅうさんがすっごく大切だってわかっているのです。 だから、あの時は仕方なかったのです。ゼロは知ってます、スイーツを食べながらガールズトークをすれば仲直りなのです」 ニパッと笑ったゼロの表情がフランの緊張はゆっくりと解く。 全てがこう上手く行くとは限らない、しかし。 (前に進もうとしないと何も変わらない……ね) 初めは何を話したものかと思ったけど、話し始めてしまえば沢山話せるものだ。 壱番世界で見つけた美味しいお菓子のお店。 可愛らしいアクセサリーショップの話。 研究についての話は概念的過ぎてキョトンとされてしまったけど、研究を始めたきっかけ――彼が冒険を続けられるように彼の世界を守りたかった――から始まる惚気。 「フランさんはすごいりあじゅうさんのどこが好きなのです? ゼロはとっても知りたいのです」 「え……そうね、好きになったのは、嘘みたいな約束でも全部守ってくれたから。今は……私を支えてくれて、家族のように思ってくれるから? 隆さんはあんな感じですけどいつも私のことを考えてくれているんです……」 ようやく始まった惚気に目を輝かせて耳をダンボにするゼロ。 休憩時間はとても短かった。 ‡ ‡ 空を飛ぶ ロストレイル号の先頭席 ちょんと座った小さな少女 おめかし衣装と御髪をなびかせ 車窓から乗り出し、ハンプと歌う。 メアリは見たいお空のはてを 列車に乗って世界のはてに とっても楽しみ、どんな処なんだろう ミスタ・ハンプもそうでしょう 流れていくのは茶色に、緑に、青、蒼、碧 遠くにしぶく白色が、黒壁に落ちていく 世界の果てがそこにある? ガマンできない待ちきれない。 ミスタ・ハンプの手を取って、メアリもお外に飛び出すわ。 Twinkle, Twinkle, Little Star 轟轟流れる風の音、箒星に跨って、メアリは世界の果てに一直線!! ‡ 「ゼロはお星様に触るのです」 飛び出したメアリベルに続けて、車窓から飛び降りた白い姿。 ぐんぐん大きくなったゼロの頭にこつんっと何かがぶつかる。 「あれれ、なのです、何もないところにぶつかったのです?」 首をかしげるゼロ。えいと伸ばした手が何もないはずの空間にピタリと触れる。 「すごいのです! ゼロは驚愕しました! ギベオンは天井付きなのです!」 ゼロが歓声を上げ、天井を触れる度にキラキラと光が踊る。 「ゼロー。おれにも星を触らせてくれよ」 好奇心に堪りかねたユーウォンがゼロの体を登りながら喚く。 「はいはいなのです。今ゼロがお迎えするのです」 ゼロの掌から降りて、自分の体より遥かに大きな星に跨ったユーウォンが興奮の声を上げる。 「すげーほんとに星が光ってるぞ」 同じように天から吊るされた星が周囲で沢山揺れる。 大きい星、小さい星、四角い星、丸い星。 紐が切れたのか、蛍のようにふらふら漂っていた小さな星も。 「赤ちゃん星だ! こいつ、おれのポッケに入りそうだ!」 ぱっと両手で小さな星を捕まえたユーウォン。 爪の先で小さな星を転がしていると遥かに下方で瞬く光が目に映る。 「あれ? 海の中、何か光ってるのか? よし! 潜って確認だ!」 竜は星を握りしめたまま海に目掛けて飛び降りた。 ‡ 破茶滅茶なお客様達を前に青息吐息のガイドの子、たぶん彼氏さんなのかな? 元気づけてるのだろうけど、なんか怒られている。 そりゃ「ガイドなんてほったらかして遊ぼうって」じゃだめだよね。 ……まあ、微笑ましいことだけど。 (他の人みたいに空に飛び出せるわけでもないし、ゆっくり風景を楽しもうかな) ユキノは、可愛いカップルから目を離すと車内を眺める。 ふと聞こえた呟きに惹かれる。 「こういう、世界もあるのね」 耳を揺らした言葉は雅な装いの女性のもの。 (あ……この子) 「こんにちは、モフトピア振りだよね? 華月さん。ご一緒してもいいかな?」 やんちゃ共が、外に飛び出して少し静かになった車内。 列車の駆動音だけがBGM。 「そっか、帰属するんだ」 「ええ……縁があって」 その時、華月が浮かべたはにかみは幾度も見たことがあるけど、きっと今の自分には遠いもの。 大切な人がいる人が浮かべる笑み。そんな姿を見るのは、少し眩しく気恥ずかしくて……直視できないから車窓を見る。 碧々と広がる輝き。透き通った海は、魚鱗を反射して煌めき、平らな大地故にいつまでも見え続ける大地の緑とコントラストを成している。 「すごい、綺麗……!」 溢れる興奮交じりの言葉。 思わず立ち上がり車窓に張り付つく。 「一度滅びたなんて思えないです、いえ……そもそも滅びてなんかないと私は思います。 だって植物が……命が育つんですから。 何もなくなんかないですよ、この素晴らしい自然の価値はすごく大きいです!」 二人の間に現れたびしょ濡れの塊が現れる。 きゃっと上がる悲鳴を無視して文字通り首を突っ込んできたユーウォンが叫ぶ。 「そうだよ! 小さくても天地があって、木や草が生えてて、海には何かいた! 世界図書館基準では滅びた世界でも、おれ基準では立派に生きてるよ!」 ‡ ロストレイル号が停車した場所は、轟轟と響く無限に落下する滝「世界の果て」 この先は星々も消え、ただただ広がる漆黒の壁が存在する。 「この先に何があるかは気になるけど……これ……」 覗き込めば無限に広がる暗黒の淵、凄まじい高所に居るような酩酊感と緊張。 ちょっと降りてみたいなと思っていたユキノだが、そんな気持ちなど消し飛んでしまう。 「すごい……でも、ギベオンには世界の果てがあるけれど、そういえば0世界にはないのよね。どう言う事なのかしら?」 傍らでは手摺に捕まった華月がつぶやいていた。 「虎ちゃん吊り橋効果って、知ってるか? ここはチャンスだろ?」 「健ちゃん、俺の心配より自分のことだぜ」 無限に落ちる瀑布を前に大はしゃぎな竜。 ゼロが底目掛けて手を伸ばすが、ある場所から壁があるように進むことができない。 トラベルギアの定義する世界の限界なのだろう。 空中ブランコのように、前後に揺れる星に跨って笑うメアリベル。 紐の切れた星が空を流れて絵を書いた。 世界の果てにピンクのサイン、可愛い絵文字の大きなサイン『メアリベル』の文字が刻まれる。 ‡ ‡ 星をみるひと 「壱番世界を救うためにチャイ=ブレをなんとかする研究か。随分、大それたことだな」 「不遜だと思いますか?」 「いや、研究者なんてそんなモンだろ。それにしてもあんた科学者って聞いたけど、この研究記録は随分魔術的だな」 「ええ、事象を定量的に表せないのは研究者の怠慢、それは魔術だって科学だって一緒です。受け売りですけどね」 「なるほどな……いい先生だ」 ティーロが見たことのない緻密さで綴られていた研究記録。 知識欲の湧いた魔導師が紡ぎかけた言葉は、別の言葉に遮られる。 「早く来いよ。もう火ついてるぞ」 「はい、すぐに行きます。……おじ様失礼します、おじ様も楽しんでくださいね」 足早に駆け去った少女は、彼女を呼んだ少年と手をつなぎ去っていく。 「あ、ああ」 生返事を返しながらティーロは記憶を掘り返していた。 (あいつはそういえば竜星の時の……そいや、あいつコンダクターだったな……そういうことか) 研究の建前の裏に気づき、お楽しみの時間を削ってしまったことにも気づき、なんか居た堪れない。 「非モテのおじさんは、空の散歩にでもいくかね。ハハハ……はぁ」 風の精霊が集まり、ティーロを慰めるがそれが返って悲しかった。 ‡ 相沢の作った大量の鍋一杯の豚汁にきりたんぽ鍋と焼き肉が舌鼓を打ったロストナンバー達。 騒ぐ様子はなく、静かに火と星を眺めているものばかりだったが、其の状況を良しとしない男が立ち上がった。 「キャンプファイヤーといえばフォークダンスアルね。男女でお手てを繋いで踊るアル」 音頭を取るように叫ぶチャン。 流れはじめた曲は、欧風だが誰も聞いたことのない曲――一人を覗いて。 「さあ、お姫様。ガイドの仕事は終わりある、今からはチャンがホストね、彼氏と離れて寂しい思いをしているお姫様の心と体をしっぽり慰めるネ」 民謡――ヴォロスの片田舎に伝わる葡萄踏み歌――に気を取られていたフランは差し出された手を反射的に受け入れてしまう。 「いっそ、チャンに乗り換えたらどうアルか、フランの事幸せにするアル」 数多くのお客様を悩殺したチャンのホスト技『サングラスの奥から優しい眼差』が炸裂する。 「え、は、はい??」 突然の告白に動転するフランの頬には、確かに朱が散っていた。 強く抱き寄せるチャンに抵抗できない少女、助けの船は瞬く間に現れる。 「いい加減にしろ!!」 ゴリといい音を立てて吹き飛ぶチャン。 鉄拳を振るったのは怒り心頭の虎部。 「フラン……大丈夫か?」 「うん……大丈夫、ごめんなさい」 チャンに焚き付けられた熱のままフランは虎部に撓垂れ掛かる。 周りの眼を憚らぬ行動にちょっとびっくりしつつも虎部は、フランを抱きかかえて夜の帳に消えた。 地面で土と血の味を堪能していたチャンは、其の姿を見てこっそりサムアップする。 (予定どおりある。虎部の前でフランを口説いて恋の火花を燃え上がらせる。 チャンはキューピットあるよ!) ‡ チャンの努力は散り、燃え盛る焚付を眺め、星に思いを馳せる刻が戻る。 (ファミリーはロバートさんも含めてフランさんの研究に反対している。 ……確かに危険なんだろう、でもやっぱりリスクは高いけど、それでもやっぱり、何もしないよりは……) 彼らは皆、大切なものを思って自分の最善を尽くしている。 ファミリーが正しくてフランが間違っている、或いはその逆なのか。そんなことは誰にも分からない。 チャイ=ブレが如何なるものかわからぬように。 俺は壱番世界を助けるために何ができるんだ? 答えは未だ定まらない、ただ今は――親友の恋人を助ける、それが答えに近いと信じている ‡ ‡ 君と一緒に (随分腐れ縁だな、誰かとこんな付き合いができるとは思わなかった) 夜の帳の中に瞬く満天の輝き。 見えるものの代わりに、見えない想いの輪郭を照らす。 「なあ劉、この先どうするつもりなんだ。故郷に帰るのか」 「お前、これからどうする。故郷に帰っちまうのか」 男二人が浮かべた言葉が重なった。 「俺は……元居た世界に帰る」 「そうか……それじゃ、これでお別れだな。 てめえとなら楽しくやれるんじゃないかって思ったんだけどな……」 僅かに多く言葉を紡いだ男――劉が手を差し出す。 別れを確約する行為――しかし、劉の心は叫ぶ言葉は 行くな、行かないでくれ――! それは言葉にならない本当の言葉。伝わらぬはずの想い。 ――星空は想いの輪郭を照らす 「つもりだったが、正直迷っている。向こうの世界には過去しかない」 もう一人の男――星川は、劉の手を取る変わり肩に手を廻して囁く。 「0世界は星もなく時は止まったままだが、未来は開けている。 あんたがいる未来ってのも、そんなに悪くないよな」 劉の心音が大きく跳ねる、驚愕、そして喜びに。 「はっ、はは、星川。お前……お前、初めからそう言え。ほんとに人がわりぃ……いや、それでこそ流石、俺のダチだぜ」 「はっ! お前と付き合うようになって擦れちまったんだよ」 男二人が一緒に肩を揺らす。 「なあ星川……笑うなよ。初めてなんだ、ダチができたの」 「恥じることじゃねえだろ、それに俺のダチはお前だけだ。数は一緒、お互い様だ」 再び笑う二人。 「……星川、ヤニ吸うか?」 「ああ……火を貸してくれ」 劉は、いつの間にか火をつけ咥えた煙草を指さす。 「シガレットキスって言うんだとさ」 「そうか……」 二本の火が上げた煙。 絡みあう一本となってギベオンの空に燻る。 ‡ 「来てくれないかと思った」 くすりと微笑を浮かべても、神無の顔は冷たく硬い。 「……別に、あなたに呼ばれたからついてきた……此処でないと駄目なの?」 此処じゃなきゃだめ? ――そうかも、此処ならこの故郷に似た夜空の下でなら 「神無、ね、ちょっと手錠貸して」 ニコルのしたいことは分からない。 ただ断る理由がないから腕の重しを外し、ニコルへ手渡す。 枷が消失した腕が軽くなる。 「……重いなぁ」 ニコルの呟く声。 でもそれはただの鉄の重さ、罪の重さではない。 罪は心に枷を掛けた――鍵はどこにあるのかもう分からない 両手にかけた錠は重かった。 これが神無の選んだ戒めの重さなのだろうか? ――分からない ただ、自分が彼女の咎に触れる術はこれしかない。 「……本当に重いなぁ」 もう一度呟く。 「私ね、あんたがやる事をとやかく言う気はないの、でもさー」 だったら、なんで呼び出したりしたの? その問は言葉にできなかった。 突然のニコルの姿が視界から消える。 大地とぶつかる痛烈な痛みが背中に走る。 鷲掴みに押さえつけられた両肩。 (組み敷かれた!? ニコル?) 頬が濡れる。ままならぬ腕の代わりに眼が教えてくれた。 ――ニコル泣いているの? 「ひとこと言っていけよ!」 叫ぶ―― 神無の眼が揺れた――映っていた顔が大きく歪む 反射的に飛び退き神無に背を向ける。 見せられない―― 「なんで黙って消えるんだ。 なんで気が付かないんだ私は……なんで」 心の中を零し続ける声から震えは消えない。 (私は死を選ぶつもりはない、だからそんなに心配しなくていいのに。 でも……もしニコルが同じようなことをしていたら) ――ああ、なんとなく彼女の気持ち、わかった気がする ごめんなさい、心配させてしまって。 ごめんなさい、泣かせてしまって。 (私の罪、また増えた。どうやって償えばいい……かな) 神無の頬に一筋流れた、ニコルには見えない悔恨と悲しみの証。 ニコルの言葉は神無の言葉は二人の距離を未だ泳ぎきれない。 ‡ ‡ 帰りに 「今回はありがとな、これ良かったら読んでくれ。 アンタは虎ちゃんの彼女だから怪我してほしくない。出来るロビー活動があったらやるから言ってくれ。良い研究成果が出ることを祈ってる」 ギベオン警備書と書かれた紙束をフランに手渡すと坂上は列車の上の人となる。 (ロストナンバーに専心するのは3月までと決めた……異世界は見納めだな) ‡ ギベオンから去るロストレイル号。 (……きっと他にもたくさん、それこそロストナンバーの数以上に本当に沢山の世界があるのよね。 綺麗な世界、そうでない世界。優しい世界、不思議な世界……私の旅は、もう終わるけれど……うん、この事は忘れないわ) 遠ざかる世界を眺めながら華月は思った。
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