オープニング

 古城に灯が入っていく。それに誘われるように、仮装の人々が城門に吸い込まれていく。ある者はとんがり帽子と黒マントを纏い、ある者は蝙蝠のモチーフをあしらった杖を振り、ある者はゴーストの仮面を被っている。
 ヴォロスの辺境、『栄華の破片』ダスティンクル。古い王国の跡地に建つ、微細な竜刻を多数内包する都市である。入城した人々を出迎えたのはこの土地の特産品であるお化けカボチャだった。カボチャをくり抜いて作られたランタンがそこかしこに飾られ、大広間にもカボチャを用いた料理や甘味がずらりと並んでいる。
「ようこそ、皆様」
 という声と共に、黒のロングドレスと仮面で装った老婦人が現れた。領主メリンダ・ミスティである。先代の領主の妻で、数年前に謎の死を遂げた夫に代わってこの地を治める人物だ。
「今宵は烙聖節……この地に埋まる竜刻と死者たちが蠢き出す日ですわ」
 冗談めかしたメリンダの言い回しに来客達は顔を引き攣らせた。
「共にこの夜を楽しみましょう。けれど、お気をつけあそばせ? あたくし一人では手に負えない出来事が起こるかも知れません――」
 未亡人探偵。領民たちはメリンダをそう呼んでいる。面白い事が大好きで、不可思議な事件に首を突っ込みたがるのだと。

 時間は少し遡る。
「要はハロウィンみたいなモノ? はいはーい、エミリエがやる!」
 元ロストナンバーであるメリンダから依頼が届き、エミリエ・ミイがそれに飛び付いたのは数日前のことだった。
 烙聖節。かつての王国が亡んだとされる日で、死者達が蘇って現世を彷徨うと言われている。そのため火――生者の象徴である――を夜通し焚き続け、竜刻の欠片を用いた仮面や仮装で身を守るのだ。今日では一晩中仮装パーティーを催す行事として息づいているらしい。
 王国は巨大な竜刻を保有し、『聖なる祝福を受けた血』と呼ばれる王族が支配していたが、度重なる戦禍で亡んだ。王族は焼き殺され、竜刻も粉微塵に砕けて各地に飛散したという。ダスティンクルから出土する竜刻の大半はこの時の名残だ。
「昔のお城は領主のお屋敷になってて、そこにみんなを集めてパーティーするんだよ。楽しそうでしょ? でもね……烙聖節の夜は不思議な事が沢山起こるんだって。竜刻のせいなのかな?」
 エミリエは悪戯っぽく笑った。彼の地には調査の手が殆ど入っていないため、メリンダと繋ぎをつけておけば今後の任務がやりやすくなると付け加えながら。
「依頼って言っても、難しく考えなくていいと思うな。あ、ちゃんと仮面と仮装で行ってね!」

 さざなみのような談笑が広がる。仮面と仮装に身を包んだ人々が続々とダンスホールに集まっている。
「さあ、皆さん。ランタンをひとつずつお持ちになって」
 未亡人探偵が指し示す先には掌サイズのカボチャランタンがずらりと並んでいた。竜刻の破片を固形燃料代わりに用いているのだろうか、ランタンは七種類――赤、橙、黄、緑、青、藍、紫――の炎を灯している。着飾った人々は各々好きなランタンを手に取っていく。
 楽団が奏でる調べが流れ始める中、未亡人探偵ことメリンダは皆の前に進み出た。
「全員に行き渡りまして? 準備はよろしいかしら」
 黒い水鳥の仮面の下、ダークレッドで彩られた唇がすいと持ち上がった。
「それではこれより舞踏会を開催いたします。作法はご存じのことと思いますが……ダンスを共にできるのは同じ色の炎を持った相手のみですわ。同じ色の相手が複数いれば途中でパートナーを変えても構いませんが、違う色の炎を持った相手へのお誘いは慎んで下さいませ。皆が仮面や仮装で装っておりますから、お相手の正体は分からないかも知れませんけれど」
 料理が次々と運ばれてくる。カボチャを贅沢に用いた軽食や甘味は目にも楽しい物ばかりだ。
「どうかお気をつけあそばせ。今宵は烙聖節ですから、どこかに魔女が紛れ込んでいるやも知れません。彼女は幸福を授けてくれるとも、不幸をもたらすとも言われておりますわ。くれぐれも魔法に惑わされませぬよう……。それでは、佳き夜を」
 高い天窓から青白い月光が降り注いでいる。さりげなくホールを後にしたメリンダが、ロストナンバーに目配せしたことに気付いた者はいただろうか。

 一部のロストナンバーを別室へと導いたメリンダはくすりと微笑んだ。相談したいことがあると付け加えながら。
「予告状……というのかしら? “渡り鳥座の使い”を名乗る者からなのですけれど」
 未亡人探偵が差し出したのは一通の封筒だった。宛名はメリンダ、差し出し人の名はない。中には一枚の羊皮紙がおさめられていた。

 『お前の仮面を剥ぐ。渡り鳥座の使いはいつもお前を見下ろしている』

「剥ぐとは穏やかではありませんけれど、要はこの仮面が狙われているということだと思いますわ。領主家に代々伝わる品で、鳥の目の部分に竜刻を用いておりますのよ」
 メリンダは自らの仮面を指した。確かに、水鳥の頭部に当たる部分に小さな青い石のような物が埋め込まれている。
 渡り鳥座という星座は壱番世界のカシオペア座に似た形状であるそうだ。あのM字型が飛翔する渡り鳥のシルエットに見えるのだと。予告状の“見下ろす”という文言から、天窓のあるダンスホールに犯人が現れるのではないかというのがメリンダの予想だった。
「天窓は硝子の嵌め殺しになっております。ホールの入口は二か所。各々に人を配置しましたが、城全体を警備するには少々人手不足ですわ。それに皆が仮装や仮面姿ですし、正体を隠して入り込むにはうってつけですの。烙聖節の夜は外からもお客様がいらっしゃるものだから、見慣れない方が歩いていても不自然ではありませんし……。それでね」
 自らの身にも危険が及ぶかも知れないというのに、メリンダは楽しげに笑った。
「渡り鳥座の使いの正体は魔女じゃないかしら? 渡り鳥座はWでもあります。ウィッチの頭文字ですわ」
 この地方には壱番世界の英語に酷似した言語体系があるという。
「ね? 魔女の仮装はこの宴に紛れ込むにはうってつけだと思いません?」
 仮面の下で、未亡人が意味深にウインクする気配が伝わった。


!注意!
イベントシナリオ群『烙聖節の宴』は、同じ時系列の出来事を扱っています。同一のキャラクターによる『烙聖節の宴』シナリオへの複数参加・抽選エントリーは通常シナリオ・パーティシナリオ含めご遠慮下さい(※複数エントリーされた場合、抽選に当選された場合も、後にエントリーしたほうの参加を取り消させていただきますので、ご了承下さい)。

品目パーティシナリオ 管理番号998
クリエイター宮本ぽち(wysf1295)
クリエイターコメントパーティーシナリオのご案内です。以下から一つか二つを選んでプレイングをかけて下さい。
行動が二つの選択肢にまたがった場合、どちらか一つをメインにすることをお勧めします。

=====
【1】舞踏会でダンスを楽しむ
お相手のお名前と、ご自分が選ぶ炎の色をプレイングに記入してください。(『飛田アリオ・赤』等)
いつものお友達は勿論、気になっていたあのPCさんとこの機会にお知り合いになってみませんか。お相手が貴方と同じ色を選んでいれば一緒にダンスを踊ることができます。お相手が違う色や他の選択肢を選んでいれば踊れません。完全に運任せです。
お相手のお名前なしで炎の色のみを書くのもアリです。その場合、同じ色を選んだ人どうしをこちらで組み合わせます。
また、こういった趣旨の選択肢ですので、全く知らないPCさんに声をかけられる可能性もあります。ご了承ください。

【2】舞踏会でダンス以外を楽しむ
料理や菓子を堪能したり、楽団に加わったり、飛び入りで出し物をしたりします。
魔女を探してみたい人もこちらです。

【3】“渡り鳥座の使い”の犯行に備える
城を警備したり、推理や調査をしたりします。警備の人員は各所に配置されていますが、人手は足りない模様。
余裕があったら渡り鳥座の使いの正体も考えてみて下さい。メリンダは「魔女だ」と言っていますが、果たして…?

【4】その他
上記三つに当てはまらない行動はこちらです。
=====

どんな仮装・仮面が良いかもお書き添え下さい。仮装パーティーですから。
それでは、死者と竜刻の欠片が眠る地へと参りましょう。

参加者
ヘルウェンディ・ブルックリン(cxsh5984)コンダクター 女 15歳 家出娘/自警団
ファルファレロ・ロッソ(cntx1799)コンダクター 男 27歳 マフィア
スイート・ピー(cmmv3920)ロストメモリー 女 15歳 少女娼婦
三日月 灰人(cata9804)コンダクター 男 27歳 牧師/廃人
アルティラスカ(cwps2063)ツーリスト 女 24歳 世界樹の女神・現喫茶店従業員。
デュネイオリス(caev4122)ツーリスト 男 25歳 女神の守護竜兼喫茶店主
フォッカー(cxad2415)ツーリスト 男 19歳 冒険飛行家
山本 檸於(cfwt9682)コンダクター 男 21歳 会社員
ジュリエッタ・凛・アヴェルリーノ(cppx6659)コンダクター 女 16歳 女子大生
ティリクティア(curp9866)ツーリスト 女 10歳 巫女姫
ワイテ・マーセイレ(cyfu8798)ツーリスト 男 28歳 竜人の占い師
カーマイン=バーガンディー・サマーニア(cyzd2860)ツーリスト 男 24歳 絵に描かれた鳥
ロナルド・バロウズ(cnby9678)ツーリスト 男 41歳 楽団員
ファーヴニール(ctpu9437)ツーリスト 男 21歳 大学生/竜/戦士
ロジオン・アガンべギャン(cyzz6000)ツーリスト 男 29歳 配達人
クアール・ディクローズ(ctpw8917)ツーリスト 男 22歳 作家
キリル・ディクローズ(crhc3278)ツーリスト 男 12歳 手紙屋
春秋 冬夏(csry1755)コンダクター 女 16歳 学生(高1)
ルゼ・ハーベルソン(cxcy7217)ツーリスト 男 28歳 船医
セクタン(cnct9169)ツーリスト その他 2歳 セクタン(?)
伊原(cvfz5703)ツーリスト 男 24歳 箪笥の付喪神
藤枝 竜(czxw1528)ツーリスト 女 16歳 学生
シーアールシー ゼロ(czzf6499)ツーリスト 女 8歳 まどろむこと
黒藤 虚月(cavh1622)ツーリスト 女 36歳 孤児院院長/夢人(エルフ)
紫雲 霞月(cnvr8147)ツーリスト 男 42歳 魔術学校の教師/夜人(吸血鬼)
ヴィヴァーシュ・ソレイユ(cndy5127)ツーリスト 男 27歳 精霊術師
相沢 優(ctcn6216)コンダクター 男 17歳 大学生
臣 雀(ctpv5323)ツーリスト 女 11歳 呪符師・八卦仙
リエ・フー(cfrd1035)コンダクター 男 13歳 弓張月の用心棒
神埼 玲菜(cuuh1075)コンダクター 女 27歳 キャビンアテンダント
アルジャーノ(ceyv7517)ツーリスト その他 100歳 フリーター
虎部 隆(cuxx6990)コンダクター 男 17歳 学生
東野 楽園(cwbw1545)コンダクター 女 14歳 夢守(神託の都メイムの夢守)
パティ・セラフィナクル(cchm6480)ツーリスト 女 16歳 神殿近衛兵見習い
ハルシュタット(cnpx2518)ツーリスト 男 24歳 猫/夜魔
深山 馨(cfhh2316)コンダクター 男 41歳 サックス奏者/ジャズバー店主
日和坂 綾(crvw8100)コンダクター 女 17歳 燃える炎の赤ジャージ大学生
ハーデ・ビラール(cfpn7524)ツーリスト 女 19歳 強攻偵察兵
ジャック・ハート(cbzs7269)ツーリスト 男 24歳 ハートのジャック
ディーナ・ティモネン(cnuc9362)ツーリスト 女 23歳 逃亡者(犯罪者)/殺人鬼
坂上 健(czzp3547)コンダクター 男 18歳 覚醒時:武器ヲタク高校生、現在:警察官
田町 結衣(ceva7615)ツーリスト 女 22歳 特殊メイクアップアーティスト
ベルゼ・フェアグリッド(csrp5664)ツーリスト 男 21歳 従者
エレナ(czrm2639)ツーリスト 女 9歳 探偵
陸 抗(cmbv1562)ツーリスト 男 17歳 逃亡者 或いは 贖罪に生きる者
レヴィ・エルウッド(cdcn8657)ツーリスト 男 15歳 冒険者/魔法使い
ルイーゼ・バーゼルト(camu9775)ツーリスト 女 15歳 従者
音成 梓(camd1904)コンダクター 男 24歳 歌うウェイター
那智・B・インゲルハイム(cyeu2251)ツーリスト 男 34歳 探偵/殺人鬼?
三雲 文乃(cdcs1292)コンダクター 女 33歳 贋作師/しょぷスト古美術商

ノベル

 真っ先に会場に飛び込んだのはパティ・セラフィナクルだった。ミニ丈のワンピースドレスの裾が際どく舞い上がる。鳥に似た派手な仮面の下で青い瞳が煌めいている。
「楽しそうー! パティもやるー!」
 緑色の灯を選んだパティはあっさり仮面を外して料理に飛び付いた。
 カボチャ尽くしの料理の中に青いゼリーが鎮座している。人工着色料でも用いたかのような、鮮やかすぎる青だ。
「青って何味だろー。あっ!」
 ゼリーはぷるんっと弾んで皿の上から逃げてしまう。
「かぁわいいー!」
 ピンク色の妖精が青いゼリーを抱き締めた。妖精に仮装したスイート・ピーだ。
「ツーリストだってセクタン欲しいよー、だって可愛いもん。……セクタンだよね?」
 スイートは首を傾げた。腕の中でじたばたとするゼリーはデフォルトフォームのセクタンそのものだ。しかしこのセクタンはセクタンであってセクタンではない。セクタンという名のロストナンバーである。
 スイートの後ろで、魔道師風の青いローブを着込んだ男が咳払いを一つ。
「良かったら踊っていただけますか?」
 男が手にしているのはスイートと同じ赤のランタンだ。
「お手柔らかにお願いします」
 スイートはお辞儀とともに手を預けた。男はややどもりながら「こちらこそ」と応じる。
 男の正体は庶民代表山本檸於だった。
(これなんてセレブイベント……!)
 目深に被ったフードで顔と浮かれる心を隠し、スイートの手を握り返す。
「私たちも行きましょう」
「で、でもこの格好じゃ」
 王子の前で、姫が尻ごみしている。ルイーゼ・バーゼルトとレヴィ・エルウッドだった。灯の色は二人とも紫だ。
「もし正体がバレたら……」
 耳まで真っ赤になって俯くレヴィはピンク地に白を配色したプリンセスドレス――レースやフリルをふんだんに用いた逸品だ――と白い仮面で装っていた。正確には、装わされていた。共にやって来た友人たちと籤で仮装内容を決めたのだが、まさかレヴィが姫を、ルイーゼが王子を引くとは思わなかった。
「大丈夫よ。自信持って」
 実のところ、愛くるしい童顔のレヴィに姫の仮装は似合っているのだった。一方、ルイーゼの衣装は仕える主の物と似た中世の西洋貴族風だ。金の刺繍を施した青い上下と仮面の白のコントラストが美しい。
「でも、ダンスなんて……」
「もしかして、彼のことが心配?」
 仮面の下から、ルイーゼの瞳がじっとレヴィの心を覗き込んでいる。レヴィはわずかに唇を噛んで目を伏せた。レヴィの友人は訳あって到着が遅れている。
 ルイーゼはそっとレヴィの手を取った。
「彼ならきっと大丈夫。信じて待ちましょう。気分転換に一曲いかが?」
「……うん」
 同い年のルイーゼの冷静さに、自分の幼さが恥ずかしくなる。ありがとうと口の中で付け加え、レヴィはぎごちなくステップを踏み始めた。何せ女性側には慣れていない。男性役を務めるルイーゼも同じだが、レヴィよりは様になっている。
「私の場合、仮面ぐらいでごまかしようが無い気がするが……」
 作法みたいなものかと己を納得させ、デュネイオリスは黙々とカボチャ料理の品定めを始めた。タキシードらしき洋装をきっちりと着込んでいるが、彼の姿はどこからどう見ても竜人だ。
「デュン」
 という声に顔を上げる。豊満な肢体を白いナイトドレスで包んだ女が立っていた。ツインテールに結われた翠の髪の上で白い花飾りが咲いている。同じ白の仮面で鼻の辺りまで隠しているが、デュネイオリスには一目で分かった。
「アティ。来ていたのだな」
「ええ」
 アティ――アルティラスカはふわりと微笑んだ。彼女の灯は緑。デュネイオリスもまた緑だ。
「同じ色ですね」
「ひと踊り如何かね? ダンスの作法には詳しくないが、エスコートくらいはさせて貰おう」
 どちらからともなく差し出された手が重なり合う。アルティラスカの髪とドレスが緩やかに流れる。デュネイオリスの黒い鱗が静かに煌めく。
 幻想的ですらある二人の姿にヘル・ブルックリンが溜息をついた。ヘルの灯も緑だ。しかしヘルはアルティラスカのような大人の女ではないし、ヘルの相手もデュネイオリスと違って紳士ではなかった。
 乱暴な腕に引き寄せられ、マリオネットのように振り回される。キッと顔を上げれば、黒いスーツと狼の仮面で装った男が嘲るようにヘルを見下ろしていた。男性恐怖症克服のために参加したは良いが、まさかこんな男と同じ色を選ぶとは。
(何なのよコイツ!)
 ゴスパン風ドレスで小悪魔に仮装したヘルはいつもより高めのハイヒールを履いている。そのせいもあってか、強引なダンスに引きずられ、男の爪先を踏んづけてしまう。
「靴擦れかよバンビーナ。気をつけろ」
「そっちこそ少しはペース合わせてよ、デリカシーのない男って最低! こっちはヒール履いてるんだから!」
「ハッ。生意気にそんなモン履くからだろうが」
「何ですって」
 仮面の下で、ヘルの頬がかっと紅潮する。わざと脛を蹴っ飛ばしてやるが、男はせせら笑うばかりだ。幼子の反抗をいなす意地の悪い父親のように。
(まさか)
 リードする手――粗暴で傲慢な――に、不意に既視感を覚える。
(そんな筈ない。でも)
 大きな腕の中で踊らされながら、疑心暗鬼が膨れ上がっていく。
「……あんた」
 仮面の奥から真っ直ぐに男を睨み据える。
「私が世界で一番嫌いな奴にそっくり」
 狼の仮面の下で、男が剣呑に眉を持ち上げる気配が伝わった。
 楽団の協奏が二人の間を浸していく。
「そりゃ奇遇だな」
 やがて男は低く喉を鳴らした。
「俺もお前みてえな小便くせえメスガキは大っ嫌いだ。次は足踏むんじゃねえぞ」
 男の名はファルファレロ・ロッソ。仮面に隔てられ、父は娘に、娘は父に気付かない。

 薄暗い回廊を騎士が巡回している。幻想絵画のような光景に日和坂綾が目を輝かせた。
(やーん、本当にファンタジーみたい~!)
 隼の仮面を着けた騎士はゆっくりとこちらに近付いてくる。綾は意を決して声をかけた。
「すみません。ダンスホールにはどう行ったらいいですか?」
「ご案内いたします。こちらへ、レディ」
「レディ!? ……え、その声」
 舞い上がりかけた綾はふと首を傾げる。
「バレた?」
 騎士――相沢優は仮面をずらしてぺろっと舌を出してみせた。
「ホールまでエスコートいたしましょう。よろしければお手を」
「あははっ、ありがとう~」
 姫に使える騎士のように恭しく手を取ると、綾はくすぐったそうに笑った。
「………………」
 連れ立って歩く二人の姿を狼男ならぬ猫男が一瞥した。尻尾こそ着けていないものの、オーバーコートの下にベストを着込み、ふんわりとした毛で全体を装飾している。
(予告状に興味はなかったんだが)
 ロジオン・アガンベギャンである。鼻から上を覆う仮面を着けたロジオンは建造物的興味で城内を探索していたのだが、隙のない身のこなしを見込まれて警備に付かされる羽目になったのだった。
「異常なしだ」
 綾をホールに送り届けた優にロジオンは無愛想に告げた。人当たりの悪さは常からのものである。
 優の視界にはホールの天井付近に放ったフクロウ型セクタンの視覚情報が絶えず流れ込んでくる。
(Wか……本当に犯人は魔女なのか? うーん)
 WはMでもある。Mの頭文字を持つ人物は他にいる。
「わっ。何だ?」
 流れ込む視界に思わず声を上げた。ホールの天井で蝶が煌めいている。無数の蝶に擬態したアルジャーノがホールを監視するように飛んでいる。
(渡り鳥はMigrant。形もM字型なら普通Magician――魔術師を連想する筈。わざわざMをひっくり返して魔女と指摘するのは、犯人が女だということを知っているカラ? イベントのつもりなのかナ)
 しかし警戒は怠らない。混乱に乗じて、本当に竜刻を狙う別の輩が現れないとも限らないからだ。
 アルジャーノの眼下ではメリンダと旅人達が談笑している。
「ダンスも好きだけど、推理をするのが探偵だもん。警護もしっかりさせてもらうね」
 うさぎのぬいぐるみを抱いたエレナがにっこり微笑んだ。ぬいぐるみの『びゃっくん』もエレナもメリンダに似せた黒ドレスに身を包んでいる。
(パーティに予告状なんて素敵だもん。探偵なら絶対トキメキが止まんない!)
 危険がないのなら、真相はぎりぎりまで内緒にして演出に付き合いたい。予告状をこっそり鑑定・分析したエレナはますますその思いを深めている。
「『いつも』見下ろしている、ねえ。そんなことができるのは死者くらいじゃないかな?」
 ルゼ・ハーベルソンが反応を確かめるようにメリンダを見やった。仮面に隠され、未亡人の表情は読み取れない。ダークレッドの唇だけが微笑の形を維持している。
(『仮面を剥ぐ』っていうのは比喩なんじゃないかと思うけどね)
 それに、数年前に謎の死を遂げたというメリンダの夫。気になる事はいくつもある。
「一つ提案があんだけど」
 繻子の仮面を被ったリエ・フーが挑発的に冷笑した。仮面の下で、猛獣めいた金色の瞳が油断なくメリンダを観察している。
「保険として、仮面を偽物とすり替えてみるってのはどうだ?」
「名案ですわ。すり替えた本物が盗まれれば必然的にこの中の誰かが犯人ということになりますものね。――離れの宝物庫にこの仮面のレプリカがある筈ですわ。お願いできて? あたくしは仮面の交換のために別室に移りますわ」
 メリンダはリエの視線をかわすようにして侍女に言いつけた。リエは皮肉っぽく鼻を鳴らした。この程度で動揺されたのではこちらもつまらない。
 そんなやり取りを視界の端におさめながら、ワイテ・マーセイレは手の中で小さなボールを躍らせていた。
「占いはいかガ? それとも手品?」
 カラフルな球が一つ、二つ、三つ、四つ。右手が左手と交叉した瞬間、野次馬が静かな歓声を上げた。ワイテの手の中のボールが五つに増えている。
「はいはい、順番にネー」
 ぱらぱらと人が集まり、ワイテの前に小さな列が出来上がった。客寄せは成功だ。
(魔女探しもしないとネ。占いに来てくれれば何となくは感じ掴めるような気はするんだけド……)
「わたくしも占っていただけるかしら」
 という声でワイテは我に返った。
 背の高い女が立っている。とんがり帽子に、背中の開いた黒いドレス――まるで魔女だ。
「……どうゾ」
 彼女の顔は黒いマスクで覆われ、表情は読み取れない。
 カードが踊り、展開される。めくられた図柄にワイテはすいと目を細めた。
 愚者。魔術師。運命。月。
「“怪しいネ”」
「エ」
 口調を真似られ、ぎくりとする。女は妖艶に微笑んだ。
「そうおっしゃりたかったのでしょう?」
「それハ――」
 おお、というどよめきでワイテは言葉を切った。三角帽子にローブ姿の魔法使いが紙のような軽やかさで天窓へと舞い上がる。カーマイン=バーガンディー・サマーニアだ。
「君も警備デスカ?」
 はたはたと蝶がやって来る。喋る蝶に驚いた様子もなくカーマインは苦笑いした。
「パーティーは楽しみでしたが、あいにくダンスは得意ではありませんので……警備の人手も足りないようですし」
 目許を覆うマスクの下でお面のような不思議な紙がはためいている。
 頭上は満点の星空。中天付近に君臨するM字のシルエットが件の渡り鳥座だろうか。
「遠い国では夜に飛ぶ鳥は死者の魂を運んでいると申します。死者が蘇るというこの夜ならば、その姿を見る事ができるでしょうか」
 カーマインの意味深な言葉を聞いていたのは蝶に擬態したアルジャーノだけだろう。
「……あレ? お客さン?」
 ワイテは目をしばたたいた。カーマインに気を取られたほんの一瞬の間に、魔女の姿が消え失せていた。

 華やかな光景を前に藤枝竜は溜息をついた。
「社交ダンスは知らないんですよね。皆いいなあ」
 つまんなーいと頬を膨らませ、フロアの階段に腰掛ける。しばし見学だ。
「でも、こうしてても仕方ありませんよね! 魔女を探しに行こうっと」
 やがて竜は城内の探検を始めた。回廊には湿気とカビの匂いが満ちている。使われていない部屋に入り込み、身震いした。
 暗い部屋の中に多数の肖像画が浮かび上がっている。
「きっといい物なんだろうなー。メリンダさんと……あ、前の領主さんか」
 不気味ながらも高級感溢れる絵画達には人物名と略歴を説明するプレートが付されている。
「あのー」
 という声に跳び上がりそうになる。戸口から、一人の騎士が躊躇いがちに部屋の中を覗き込んでいた。仮面の下から顔を覗かせたのは春秋冬夏だった。
「ちょっと見学して回ってたんだ。お城なら装飾とかも凝ってるかなって……あれ?」
 竜と一緒に肖像画を見て回った冬夏はふと足を止めた。
(メリンダさんと先代領主さんって夫婦なのに……)
 夫妻が同じ額におさまった絵は一枚たりとも存在しない。

「そぉれっ!」
 少女手品師が元気な掛け声を発した。弾むように飛び跳ね、呪符を舞わせて不可思議な火の輪を作り上げる。炎の色はランタンと同じ赤、橙、黄、緑、青、藍、紫。更に呪符を使って火の鳥を生み出し、華やかな曲芸の幕が上がる。
「みんなで楽しもうよ!」
 シルクハットのつばを持ち上げ、手品師に仮装した少女――臣雀は軽快に指を鳴らした。燃え上がった火の鳥が七色の火の輪をくぐり、見物客が歓声を上げる。賑やかで楽しい宴に雀も自然と笑顔を咲かせる。
「どこかに兄貴もいるのかなあ」
 きょろきょろとする雀の顔がぱっと輝いた。兄に似た背格好の少年が青い灯火をぶら下げてうろうろしている。といっても彼は仮面を着けており、顔立ちすらも分からないのだが。
「兄貴ーっ!」
「どわっ!?」
 雀のタックルを受けた少年はべちゃりと床に倒れ込む。雀は愕然とした。
「ち……違う! 兄貴はこの程度の攻撃で倒れたりなんかしないよ!」
「……兄貴?」
 仮面の下から複雑な表情を覗かせたのは虎部隆だった。
「わりーけど人違いだわ。つってもまぁ、こんな可愛い妹ならいつでも歓迎したいけどな!」
 だが、いつもの軽口は崩さない。肩の上のセクタンだけが隆の横顔を見つめている。
「しっかし、ダンパってこんなに華やかなの? 自然に顔が笑っちゃうね!」
 隆は会場ではなく着飾った女性陣の姿に目を輝かせていた。
「にゃ……コホン」
 隆と同じ青のランタンを手にしたフォッカーがかしこまって咳払いをした。フード付きの黒いマントに狐の白いマスクで仮装した彼だが、語尾に「にゃ」を付けたのではすぐに正体を知られてしまう。
「もし良かったら一緒に踊りませんか? ……おいら、男だけど」
 遠慮がちに付け加えられた一言に隆は大笑した。
「いいぜ、いきなり女の子相手じゃ緊張すっからな! そんじゃヨロシク!」
 相手が年下の少年と見たのか、隆は威勢良くフォッカーの手を取った。しかし、勢いとは裏腹にステップはつたない。小柄なフォッカーにリードされ、気恥ずかしさばかりが募る。
「ちくしょー、恥ずかしいとか気にしてたら負けだ! もっとノリのいい曲頼むぜー!」
「んにゃーーーっ!?」
 自棄になった隆に振り回され、引きずられるフォッカー。悲鳴を上げつつも楽しそうだ。
「リクエストが来たよー。どうしようか?」
 愛用のバイオリン『かずのこ』を構え、ロナルド・バロウズがくすりと笑った。飛び入りで楽団に加わったロナルドは団員と同じ正装とマスクを纏っている。
(精神操作はなしだね)
 参加者を心地良くさせるために特殊能力を使うつもりでいたが、考えを変えた。他の演奏者に失礼だからだ。
「楽団と演るの久々だし、楽しみにしてたんだ。今夜はバイオリンの腕だけでいくよー。準備はいい?」
 一気にテンポを上げる。負けじと楽団が追う。軽快な曲が始まった。
「わ、速い速い! きゃーっ!」
 ぷぎゅ。
「あ、ごめ――」
「ぐぇ」
 スイートが青いセクタンを踏んづける。パートナーの檸於にタックルを、頭突きを喰らわせる。果ては派手に躓き、檸於もろとも転倒した。二人の下で青セクタンが悲鳴らしきものを上げたような気さえした。
 スイートはダンスが致命的に下手だった。檸於も檸於でダンスは中学校のフォークダンス以来ときている。
『大丈夫? 何かと勘違いしてるんじゃないの?』
 檸於の脳裏に恋人の言葉が蘇る。仮面舞踏会に行くと告げたら心配されて何とも言えない気分になったのだが、恋人の予想は当たらずとも遠からずといったところだったようだ。
 檸於と別れたスイートは銀髪の幼女と行き会った。頭に銀のクラウンを乗せて、純白のプリンセスドレスを纏っている。背中に羽織った黒マントの上にはアゲハ蝶の翅が生えていた。
「かぁわいいー、妖精さん? ……あれぇ、触れない?」
 翅は立体映像らしい。
「ゼ……コホン、私は烙聖節の魔女なのです。皆さんを幸せにするのです」
 幼女は厳かに告げ、黒マントと手に持ったステッキを誇示した。
「チチンプイプイのプイ! なのです」
 伝統的な呪文と共に振るわれるステッキ、目を輝かせるスイート。しかし何も起こらない。
 くすりと、別の声が割り込んだ。
「魔法はこうやるんだよ、お嬢ちゃん」
 聞き慣れぬ声と共に白い手が振るわれる。はっと振り返った幼女の視界を黒いとんがり帽子が掠めた。慌てて目で追うも、ダンスや飲食に興じる人混みがあるばかりだ。
「一曲いいかな?」
 スイートの前に赤い灯を提げたミイラ男がやってきた。しかし挙動がおかしい。よくよく見れば、全身を覆う包帯の下には風船らしき物が覗いている。
(これなら俺ってバレないよな!)
 人型の風船の中に浮いているのは陸抗だった。PKを用いれば風船を操作することなど朝飯前である。
「あのね、スイートね、ダンスあんまり上手じゃないの。足踏んづけちゃったらごめんなさい」
「平気平気、踏まれても痛くな――痛ぁ!?」
 風船越しに爪先を踏まれ、抗は派手に悲鳴を上げた。
 ぱぁん、と風船が割れる。
「……え?」
 地に足が着いた感覚。きょとんとこちらを見上げるスイートの顔。徐々に事態を把握し、抗は興奮で頬を紅潮させた。
 身長がいつもの十倍、175センチメートルになっている。
「ははっ、烙聖節の魔女の魔法か!? 何でもいいや、俺、陸抗! よろしくみんな!」
 ここぞとばかりにスイートと握手を交わし、すれ違う人々を次々にハグする。普段の身長ならば絶対にできない事だ。一夜限りの魔法だとしても、服越しの相手の体温は紛れもない現実だった。

 仮面のレプリカを取りに行った侍女が別室のメリンダとロストナンバーの元へと戻って来た。
「お待たせいたした、メリンダ殿」
 侍女にしては随分古風な言葉遣いだ。小悪魔風の羽仮面で顔を隠した彼女はアクセサリーで服を飾っている。メリンダはレプリカの仮面を着け、本物の仮面を受け取った侍女は金庫に向かうべく退出した。
 メリンダ達がホールへ戻ると、城内を哨戒していたリエと牧師服に身を包んだ痩身の男が待っていた。
「巡回中に会ってな。“謁見”してぇんだとさ」
「初めまして」
 カササギの仮面を着けた牧師は三日月灰人と名乗った。
「ご招待ありがとうございます。とても素敵な演出ですね」
 ノンフレームの眼鏡の奥で、灰人の目が静かに細められる。
「エミリエさん曰く貴女はたいそう悪戯好きだとか。サービス精神に溢れた一連の趣向、感服致しました」
「それはもう、年に一度の烙聖節ですもの」
「大したとぼけっぷりだな。ならオレが真相を言い当ててやろうか? さっき灰人と話してたんだが――」
「渡り鳥座はWの形と貴女は仰いましたが、私にはMにも見える」
 背後で心地良いバリトンの声が響き、リエは言葉を切った。
 影の色を纏った男が立っている。
「Mの頭文字を持つ“鳥”……どなたの事でしょうね?」
 ミステリアスな言い回しはメリンダをからかうかのよう。一同が口を開きかけた時には、黒ずくめのその男は音もなく消え失せていた。フロアに落ちる影だけが名残のように揺らめいている。まさか影に溶けてしまったわけでもあるまいが。
(オーケストラにサックスは不釣り合いだ。私の出る幕ではないね)
 楽団が奏でる音色を味わいながら、ワルツを踊るように、影から影へと滑らかに渡り歩く。
(おっと。そういえば私もMの頭文字を持つ鳥だった)
 男の名は深山馨。顔を隠す仮面は鴉だ。
 謎めいた男の背を見つめながら、紫の灯を手にした三雲文乃が艶めかしく嘆息する。
「残念ですわ。あの方、ランタンはお持ちになっていないんですのね」
 とんがり帽子と黒いマスク、背中の開いた黒いドレスで魔女に仮装した文乃も未亡人だ。
「失礼、フラウ・シュバルツ」
 微笑を含んだ声がかかる。古めかしい礼服に身を包み、貴婦人への礼を取る紳士のように右腕を折った男が立っていた。
「紫苑の炎が今宵の相手に私を選んで下さったようだ。是非お相手を」
 男――那智・B・インゲルハイムが手にしていたのは文乃と同じ紫の灯だった。
「光栄ですわ。お願いいたします」
 文乃は優雅にドレスの裾をつまみ、手を預ける。那智の手がさりげなく文乃の背中へ回された。
「先程の占いの結果は如何だったのかな?」
「何のことでしょう?」
「おや、おとぼけになる。私は貴女の事なら何でもお見通しだというのに。引き当てたカードは愚者、魔術師、運命、月……その意味するところを私だけに教えてはもらえないだろうか」
 文乃の耳に唇を寄せて囁く。滑らかなステップが滞りなく流れる。
 未亡人はちらとメリンダを一瞥し、ミステリアスな笑みを含んだ。
「仮面の下を探るのは無粋なことですわ。もっとも……こんなに仮装した方々がいらしたら、何が混じっていても判らないでしょうけれど」
「確かに、この私も仮面の下に何を隠しているか分からないだろうね。男など皆そんなものだろうが」
「あら。女も同じでしてよ」
 化かし合うようなやり取りと共にダンスが続く。二人の間で揺れる紫の炎を見つめながら、坂上健が深呼吸した。
「頼むぜポッポ。彼女を探してくれ」
 顔の半分を仮面で隠し、タキシードで盛装した健はオウルフォームのセクタンを頭上に放した。健が選んだ灯は紫――彼女の瞳の色だ。もし色が違っていても話くらいはできる。胸を締めつけるこの感情を何と呼ぶべきか、健自身にもまだ分からない。
 黒い衣装に身を包んだ魔女が紫の灯火を手に歩いている。だが、魔女と呼ぶには些かふんわりとした物腰だ。神埼玲菜である。
(これだけの人出なら、もしかして)
 想い人に会えるかも知れない、手がかりくらいは得られるかも知れない。そんな淡い期待が胸を占めている。ビスチェタイプの衣装とアクセサリーでセクシーに着飾った玲菜に魅かれたのか、男たちが次々と声をかけてくる。
「蒼い目の男ならさっき見たよ」
「髪の色も不思議だったなぁ。銀……とはちょっと違うし、金でもなかった」
 ちらほらともたらされる証言はどれも思わせぶりだ。玲菜の期待が膨らむ。
 ゆらり――。不意に、視界の端で青が揺れた。
「!」
 すらりとした青年が玲菜の脇を通り過ぎて行く。腰に下げた青い灯、白を基調に銀の刺繍を入れた正装。さらさらと流れる髪は銀のようで銀ではない。目許を覆う青い仮面の下、青い瞳がちかりと瞬いた気がした。
「ま、待って!」
 追いかける。届かない。それでも追いかける。伸ばした手の先、青年の背中が人ごみの中に溶けていく。
「私の灯も紫だ。よろしければ踊っていただけるかな?」
 茫と立ち尽くす玲菜に青白い手が差し出された。
「ああ、私の手、少し冷たいかも知れないけれどね」
 吸血鬼の仮装に身を包んだ吸血鬼・紫雲霞月だ。玲菜は気を取り直すように笑み返し、手を預ける。エスコートに慣れた霞月は滑らかに玲菜を導いた。
(絵を追求するのにも何にでも、追求は必要だからね……ああ、あれは虚月かな?)
 周囲を見回す霞月の視界に見覚えのある人物が映り込んだ。
「落ち着かぬー! 髪を解いたは良いが、むあー!」
 蝙蝠の仮面で顔を隠し、オレンジ色の髪を振り乱した黒藤虚月がうろうろとしている。初めて身に着けるドレスにどうにも違和感があるらしい。ランタンは橙だ。
「なぜ霞月もおるんじゃー、ああ、霞月に見せられて亡き夫に見せられぬなどとは……」
 霞月に恨めしげな視線を送るも、見透かしたような微笑が返ってくるばかりだ。
「あ、あの」
 そわそわとする虚月に声をかけたのは橙の灯を手にした綾だった。
「踊ってもらえませんか?」
「う、うむ。取り乱していて済まぬの」
 女同士のダンスが始まった。
(夢みたい……こういう舞踏会、スッゴク憧れてたんだ……)
 くるくる、きらきら。幻想的な景色と明かりが綾の周りを流れる。綾の瞳も同じくらい輝いている。
 お姫様と王子様がお城の舞踏会で出会い、恋に落ちる。幼い頃、そんな童話をいくつ読んだだろう。大人になったら誰でも舞踏会に出られるものと信じていた。一般人として日本で暮らす以上は舞踏会など有り得ないと気が付いたのは高校生になってからだ。壱番世界でも武闘会なら出られるのかも知れないが。
「私……ロストナンバーになれて良かったな……」
 偽らざる真情が唇からこぼれ落ちる。虚月は子を見守る慈母のように優しく目を細めただけだった。
「お名前聞いてもいいですか?」
「妾は虚ろ。虚ろじゃよ」
 不器用なダンスが続く。綾も虚月もステップは見よう見まねだ。
「あの。私も紫……」
 玲菜と別れた霞月に躊躇いがちに声をかける者がある。仮面の下に着けたサングラスの奥で紫の瞳が揺れている。ディーナ・ティモネンだった。
「喜んで。誰とも知れぬ者と踊るのも楽しみのうちだ」
 紳士的な手がディーナを引き寄せる。霞月の手の冷たささえ今のディーナには心地良い。列車の中で、“彼”がいないことは確認した。だから、彼の瞳の色である青や緑ではなく紫を選んだ。
 くるくる、くるくる。相手を変えて、次々と踊る。踊っていれば――他人と手を繋いでいれば、寂しくない。
(でも)
 会えない。あえない。アエナイ。ディーナの脳裏で、その四文字ばかりがくるくると回り続けている。

「一度でいいからこういうでっかいパーティで給仕してみたかったんだよなー。マイお盆が唸るぜ!」
 お盆型のトラベルギア片手に、ウェイター姿の音成梓が腕まくりした。仮面と蝙蝠の翼の仮装はデフォルトフォームの黒セクタンとお揃いだが、ウェイター服だけは譲れない。
「えー、ごほん。シャンパンはいかがです?」
 城の給仕たちに混ざり、銀盆にシャンパングラスを乗せながら滑らかに会場を渡り歩く。無論きりりとした表情は忘れない。
「ああ……結構です」
 ヴィヴァーシュ・ソレイユは片手を上げて梓を制した。アルコールは血流を良くし、古傷の疼痛を呼び起こす。口の端にくわえた煙草には鎮痛効果のある薬草が配合されている。
 銀狐の姿で紫のランタンを手にしたヴィヴァーシュだが、人をダンスに誘う程の積極性は持ち合わせていない。壁の花となって幻想の夜を楽しむばかりだ。だが、眼帯の上から仮面を着けているのでいつにも増して視界は悪い。白い狐の仮面からは口許だけが覗いている。
(それにしても、魔女の魔法ですか)
 真っ白な正装に取り付けた真っ白なファーは何も語らない。腰から下げた白い尻尾はだらんと垂れ下がるばかりだ。
(たとえ刹那の幻でも……叶うのならば、せめて一目)
 沈痛な横顔を見ているのは立ち上る紫煙だけだ。
 クアール・ディクローズは宴の一幕を次々と本に描いていった。マスクと黒スーツで仮装したクアールの姿はまるでオペラ座に潜む怪人のようだが、仮面をしていても眼鏡は欠くことができない。
「……ラグズ。頭の上に乗るまではいいが眼鏡を取ろうとするな」
 悪戯な妖精がマスクの上の眼鏡を弄っている。もう一体の妖精は花より団子らしく、用意されたクッキーを齧り続けている。クアールも軽食をつまみながら宴を眺めた。七色の光が入り乱れて踊る様はなかなか幻想的だ。
「黒の中に舞う数多の光……蝶、いや、蛍と言うべきか」
 集まった光が繋がり、離れて、また繋がる。翌朝になれば何事もなかったかのように各々の場所に戻って行くのだろう。
「ああ。そういえばキリルはどこにいるかな」
 ぐるりと周囲を見渡すも、キリル・ディクローズの姿は見当たらない。
「騎士様。ソフトドリンクはいかがですか?」
「わっ、ありがとうございます!」
 笑顔の梓にオレンジジュースを差し出され、騎士姿の冬夏ははにかみながらグラスを受け取った。
「どれにしよう、迷っちゃうな……」
 ずらりと並ぶカボチャ料理に目移りする。取り皿を手にまごまごしていると、マフィンを頬張るパティの姿が目に入った。傍らのランタンは冬夏と同じ緑だ。
(どうしよう。騎士なら、私から誘うべきかな?)
「んんー? 何ぃー?」
 パティは目をぱちぱちとさせながら首をかしげた。ほっぺにケーキの欠片が付いているのはご愛嬌だ。
「可愛らしい騎士様。お相手していただけますか?」
「え? は、はい!」
 女神の名に相応しい美女の誘いに冬夏の声が裏返る。緑の灯を携えた女神――アルティラスカは柔らかく微笑んだ。
「お上手ですよ……その調子です」
 ぎごちないステップの冬夏を優しくリードする。ドレスの裾が羽衣のようになびく。
「……あれー?」
 料理にかじりついていたパティがふと顔を上げた。食べるのに邪魔だからと放り出しておいた鳥の仮面がなくなっている。首を傾げるパティの後ろを洋装の男がぶらりと通り過ぎていく。薔薇や茨をあしらい、血糊ペイントを施した衣装はなかなかに凝っているが、仮面の下の素顔は窺えない。
 男はのんびりとした足取りで廊下に出た。盆にメリンダの仮面を乗せて歩く侍女が道を開け、一礼する。
「そうだねぇ」
 侍女に会釈を返し、男はゆるゆると微笑んだ。
「楽しいのが一番だしなぁ」
 という声に侍女が顔を上げた時には、男の背中は暗闇の中に溶け消えてしまっていた。
 侍女ははっと息を呑んだ。盆に乗っていた筈の仮面は消え、代わりに青いセクタンが鎮座していた。

「ちっ」
 会場から出た人物を追おうとしたファーヴニールは小さく舌打ちした。不審者を警戒するために客の入退場に目を光らせていたのだが、給仕まで含めた全員の動向を押さえるとなると難しい。
「それにしても、渡り鳥座……見下ろしてる……。見下ろす、ねぇ」
 ホールの中で渡り鳥座の形をした物を探すも、それらしいシルエットは見当たらない。
 うろうろとするファーヴニールの姿に隆が目を輝かせた。
「あのさ、ニファルちゃんだよな?」
「ん? ……あ」
 白にピンクのレースをあしらったドレスと大理石模様の仮面を身に着けたファーヴニールは女装モード発動中だった。
「相手いないの? 良かったら俺と――」
「お構いなく。私より魔女を探してみたら? ふふっ」
 隆のアプローチをかわし、ニファルことファーヴニールは人ごみの中に消えていく。
「魔女さん、見つけたのです!」
 隆の脇を銀髪に黒マントの幼女が駆け抜けていく。幼女がどすんと衝突したのは魅力的なとんがり帽子と黒のマントで装った女だった。
「魔女ぉ? くっくっく、あたしのことかい……?」
「………………!」
 雰囲気たっぷりの台詞と青白い顔に幼女が立ち竦む。魔女――に仮装した田町結衣は快活に笑った。
「ごめんごめん。それっぽかったでしょ?」
 緑の灯を携えた結衣は特殊メイクにボディペイントまで駆使して完璧に扮装している。メイクのプロだからということもあるが、それ以上に舞踏会に浮き立っているからこその気合いの入れようだった。
 空想を描く歳でもない。だが、運命は存在するかも知れない。密かにそう思うだけなら許されるだろうか。
「声が違うのです。さっきの魔女さんじゃないのです」
「え?」
 ぶつぶつと呟きながら立ち去る幼女に結衣は首を傾げるばかりだ。
「一人か、魔女サン? ガキの相手で気が滅入ってたことだ」
 緑のランタンを手にしたファルファレロが声をかけてくる。答える前に手を取られていた。乱暴なリードに戸惑いを隠せない結衣だが、強引さも悪くないと思ってしまうのは舞踏会の雰囲気ゆえなのか。
「スッゲェ重いんだけど」
 藍色の灯を手にしたベルゼ・フェアグリッドは不機嫌だった。それもその筈、翼を出すための穴を備えた西洋式の甲冑、頭には鉄仮面という重装備だ。
「ここまで来てガキのお守りかよ、クアールの野郎……面倒ごと押し付けやがって。あっコラ、そこのアップルパイは俺キープだからな、絶対食うなよ!?」
 カボチャ尽くしの中にようやく見つけたリンゴを死守していた頃、ガキもといキリルはホールの隅っこできょろきょろとしていた。
(ランタン持った、藍色、藍色の。同じ色、同じ色の灯、探さなきゃ)
 黒いローブに骸骨の仮面を着けたキリルは死神を意識しているらしかった。鎌は持っていないが死神だ。仮面の下の姿がどれだけ愛らしかろうと死神だ。
「みゅ……でもぼく、踊り、踊り、踊れるかな。困った、困ったな……」
 ダンスの経験などない。わくわくと浮き立っていた気持ちがしぼみ、ぺたんと座り込んでしまう。
(お、いやがった。どれ……)
 キシシシッと笑い、ベルゼはキリルに歩み寄った。
「あー、ゴホン。良ければ私と踊って頂けませんか、小さな死神くん?」
 もったいぶったしぐさで手を差し出すと、垂れ下がったキリルの耳がぴょこんと立った。
「えと、ええと。上手く、上手く踊れない、かも。だから、その、踊り方、教えて下さい」
 おろおろしながらぺこりと頭を下げる。ベルゼは笑いをこらえながら「喜んで」と応じた。どうやら気付かれていないようだ。
「舞踏は得意よ!」
 お姫様ドレスと、揃いの仮面で装ったティリクティアが飛び出した。可愛らしい服を着られることが嬉しくてたまらない。神殿での生活は何もかもが堅苦しく、服装も簡素な白系統のものばかりだった。
(でも、神殿で散々舞踏を教わったもん。ええと、同じ色の人は……)
 ティリクティアの灯は橙だ。
「一緒に楽しみましょう!」
「……あ?」
 ティリクティアに手を取られ、メリンダの傍にいたリエは目をぱちくりさせた。リエの灯も橙である。
「おい。オレは」
「いいじゃありませんか。行ってらっしゃいませ」
 ぼそぼそとリエを送り出した灰人は「さて」とメリンダに向き直った。
「状況を整理しましょうか」
 灰人の前にはメリンダと口惜しげな侍女、そして盆に乗せられた青セクタンが顔を揃えていた。

 舞台の上で呪符が舞う。
「さあお立ち合い! 炎のナイフ投げだよー!」
 炎を纏わせたナイフを構え、雀は人懐っこく笑った。
「え? えぇ~!?」
 ナイフの的は竜の頭に鎮座する小さなカボチャだ。火芸を披露しようと舞台に近付いたのに、いつの間にかこの有り様である。
「それっ!」
「どぉうわぁーーー!?」
 弾丸のように放たれるナイフ、竜の悲鳴と同時に噴き上がる炎。竜は感情がたかぶると炎を吐く体質だ。
 だが次の瞬間、ナイフの炎は竜の炎を受けて鳳凰へと変化した。雀は最初から計算していたのだ。ナイフはすとんと的に突き刺さり、焼きカボチャの香りが漂った。
「すごい、すごい! ありがとうございます~!」
「えへへ、こっちこそ」
 興奮気味に握手を交わす竜と雀の声を聞きながら、ハーデ・ビラールはゆっくりと目を開いた。
 場違いだ、と思う。幻想的で、賑やかで――楽しくて。だが任務だと思えば耐えられる。藍色のランタンを選んだのも客のふりをするためにすぎない。
(愉快犯を装った殺人予告だとしたら……)
 仮面を剥ぐというあの文言。人は死に瀕すれば仮面を保てなくなる。それに、先代領主の死がメリンダのせいであると思っている者がいるとしたら?
 メリンダの姿は常に視界の端におさめている。肖像画やシャンデリアの強度に問題がないことは確認済みだ。テレパシーで周囲の思考を探るハーデの眉が俄かに険しくなった。
 メリンダへの敵意――いや、殺意か。思考の持ち主を探すように周囲を見回すと、とんがり帽子と黒いローブで仮装した女の姿が目に入った。
(魔女……?)
「一曲踊ってくれよォ」
 という声でハーデは我に返った。薄ら笑いを浮かべたジャック・ハートだ。特殊能力でメリンダを注視していたジャックも藍のランタンをぶら下げていた。
「……私に触るなっ」
「作法だろォ。宴を楽しむのも作法だゼ?」
 能力を用いてハーデを引き寄せる。有無を言わさずダンスが始まる。
「ハッハァ! 俺ァ強欲なンだ、見える範囲全てが幸福でねェのは許せねェ!」
 道化じみた雄叫び。宴を傍観していた人々が次々と引き寄せられ、手を取り合う。あちこちでダンスの輪が出来上がる。
「一人で生まれて一人で死ぬのがさだめなら……生きてる間ぐらい誰かと繋がりを持ちやがれ。俺は半径50m最強の魔術師だゼ? 望みくらい、引き寄せてやらァ!」
 その言葉は誰に向けられたものであったのか。ハーデがぎりっと歯切りする。
 健とディーナも邂逅を果たしていた。
「探してたんだ。良かったら踊ってもらえないか」
 ディーナの灯火は健と同じ色だった。そんな些細な偶然にさえ胸が躍る。ディーナはぼんやりと肯いて手を差し出した。
「ディーナさんとは何度か一緒の依頼になったよな。ほら、ブルーインブルーのお祭りも……」
 健と手を繋ぎながら、ディーナの心は別の相手へと向かう。覚醒しなければ殺されて終わるだけだった。だが――会えない痛みも知らずに済んだ。
 やがて健は意を決したように咳払いした。
「俺、さ。ディーナさんのことが気になるんだ……とても」
 ディーナの視界が決定的に霞む。健の言葉は今のディーナには届かない。
「ごめんなさい……ちょっと、休憩」
 零れそうな涙を堪え、ディーナは逃げるように踵を返す。健は茫然と見送るばかりだ。
「ちょっと待ってよ」
 壁の花となっていた東野楽園が冷笑と共にディーナに歩み寄った。漆黒のドレスと中世の異端審問で使われたおしゃべり女の仮面で装っているが、セクタンの毒姫だけは手離さない。
「退屈なの。踊りましょう。それとも、ここにはいられないかしら?」
「……大丈夫」
 ディーナはくしゃりと顔を歪めて楽園の手を取った。
 楽園のダンスは見事だった。父仕込みのステップを反芻し、優雅に踊りこなす。年上のディーナの方がリードされている。
「あの頃はこんなふうに誰かと手を繋げるなんて思わなかったわね……」
 滑らかな旋律が檻の中の記憶を呼び起こす。冷笑家で高飛車な楽園が今、追憶に耽っている。
「自由なのね今は。私は」
 確認するように呟き、一瞬だけ仮面を外す。ディーナの頬にさっとキスし、楽園は何事もなかったかのように立ち去った。頬に残る人肌の温度にディーナはぽろりと涙をこぼした。
「ありがとう、魔術師さん」
「あァ?」
 笑みを含んだ声にジャックは眉を跳ね上げる。
「いい目くらましになったわ」
 とんがり帽子のシルエットがジャックの視界を横切った。

 すれ違った瞬間に仮面がなくなっていた。それが侍女の証言だった。
「おかしなことになっているようですね」
 灰人がわずかに眉根を寄せる。
 渡り鳥座のMはメリンダの頭文字。予告状は余興代わりの自作自演――。そんな意見が大半を占めていた。エレナが鑑定した予告状は邸内の執事の筆跡だったし、こっそりメリンダに触れて読み取った記憶も彼女の推理を裏付けていた。
 だが、つかつかとやって来たハーデが不意にメリンダの腕を掴んだ。
「あら……何ですの?」
「気付かないのか。はめられたのは――」
「きゃああああ!」
 ひっくり返されるテーブル、ヘルの悲鳴。応じるようにファルファレロが銃を抜く。一発、二発。燭台が倒れる。くすぶる煙の向こうで不穏な人影が揺らめく。ファルファレロは舌打ちした。外した。
「メリンダぁぁぁぁぁ!」
 短剣を構えた魔女姿の女がメリンダに向かって突進する。擬態を解いたアルジャーノが舞い降りる。ロナルドはそっと精神操作を発動し、参加者たちの鎮静を図った。客に怪我でもさせればメリンダの顔に泥を塗ってしまう。
「させぬ!」
 メリンダの傍らの侍女が小脇差を抜き放った。正体はジュリエッタ・凛・アヴェルリーノだ。だが、高速移動したジャックがジュリエッタより早く魔女に肉薄する。ルゼが放った包帯が魔女の四肢を絡め取る。
「そろそろ種明かしかなぁ?」
 “犯人”が取り押さえられた時、領主家の仮面を手にした血糊ペイントの洋装の男――伊原が現れた。

 伊原は箪笥の付喪神だ。
「あれまぁいつの間に、棚の中にこんなにたくさん」
 パーティー開始前、少しの間でも誰かに放置されてしまった品物をついしまってしまった彼はそんな風にぼやいていた。無自覚とはいえ傍から見れば窃盗である。だが、その鮮やかな手際をメリンダに見込まれて仮面を預かる役を引き受けたのだった。
「未亡人――widowの頭文字もWだしなぁ。MでWなのはメリンダさんだけだ」
「その通りですわ。それに、協力者はもう一人いますの」
 呼び掛けに応じ、銀髪の幼女・シーアールシー ゼロが進み出る。
 ――素敵な余興なのです……何か協力できますか?
 予告状を狂言と見たゼロは人知れずメリンダに接触した。そしてマントとステッキと仮面を借り、即席の魔女として宴の席を回ったのだ。
「じゃあこの魔女は?」
 というリエの問いにハーデが嘆息する。
「犯人役としてショー代わりの立ち回りを演じるようメリンダに言いつけられた。が、こいつは混乱に乗じて本当にメリンダを殺すつもりだった……そんなところだろう」
「あの人が死んだのはあんたのせいよ!」
 魔女はメリンダへの憎悪と前領主への思慕をヒステリックに並べ立てた。
「……ご主人のことをまだ愛していますか?」
 仮面の奥から灰人が問う。瞼の裏で、メリンダの姿が愛妻と重なる。
「仮面の下を探るのは無粋なことですわ」
 未亡人の表情は窺えない。だが、仮面から覗く顎に涙が伝った。
「失礼、マダム」
 青い灯を提げた青い仮面の青年が洗練された所作で一礼した。
「一曲ご一緒願えませんか? 仮面の竜刻は青だった筈」
「あたくしは――」
「今は自由だ。……そう思いましょう」
 青銀の青年はメリンダの手を取り、緩やかなワルツへといざなった。

 宴は静かにエピローグを迎える。
「美味しい」
 カボチャの優しい味にレヴィの表情が和らぐ。傍らのルイーゼは調理法や盛り付けを研究している。自作する際の参考にするのだろう。
「天空からマダムを見下ろしているのは本当にご主人なのかもな。多分、マダムは今もご主人に縛られている」
 シャンパンのグラスを弄びながらルゼがぽつりと呟いた。ジュリエッタもトマトジュースを口に運ぶ。
「仮面を剥ぐ……unmask。化けの皮を剥がす、転じて罪を暴露するともとれるのう……メリンダ殿は何を白日の下に晒そうとしたのじゃろうか」
「とにかく、解決して良かった。お疲れ!」
 優はメリンダの許しを得てからダンスに混ざった。灯は青だ。
「にゃ……オホン。踊っていただけますか?」
「喜んで」
 フォッカーと共に軽やかなダンスが始まる。赤い灯を選んだゼロと雀も手を繋いであどけないステップを踏んでいる。和やかな風景を眺めながら、灰人はメリンダに向かって恭しく十字を切った。
「来年の烙聖節も楽しみにしています」
 そして、いらえを待たずに立ち去った。
「たまにはああいうのもいいな!」
 隆は楽しさ半分恥ずかしさ半分といった表情で友人たちと城を後にした。
「魔女は見つけられましたか?」
 竜が目を輝かせて隆たちに尋ねる。
「ん? それっぽいのは何人か見たけど。犯人も魔女姿だったし」
「私も見たー!」
「……え? あれ? おかしくない?」
 各々の証言を突き合わせ、一同は首を傾げた。一人だけ、正体の知れない魔女がいる。
 その頃、抗はバルコニーで飛び起きていた。
「夢……だったのか?」
 いつの間に眠ってしまったのだろう。身長も元に戻ってしまっている。
 そこへスイートが駆けてきた。
「さっきはありがとう、楽しかった! まだここがドキドキしてる!」
 胸に手を当て、飴玉を差し出す。上気した頬とカラフルな飴を見比べた抗は目をぱちくりとさせた。
「夢……じゃない、のか?」

 青い仮面の青年を追って外へ飛び出した玲菜ははたと足を止めた。見当たらない。確かに追って来た筈なのに。
「嘘……どうして……」
 ニャーオ。
 振り返った視線の先、青銀の猫がしなやかに塀を跳び越えた。

(了)

クリエイターコメントありがとうございました。ノベルをお届けいたします。
伊原さんは後からパティさんに仮面を返したんだと思います。

ランタンの色ですが、あぶれた人はいませんでした。黄色を選んだ人は一人もいませんでしたが。
ただ、青いランタンを選んだのは全員男性だったので、「青・女性」という指定をいただいた方だけはメリンダと踊っていただきました。お許しください。

ところで、正体不明の魔女が一人だけいる様子。
もしかすると本物の魔女だったのかもしれませんね。
公開日時2010-12-01(水) 00:10

 

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