オープニング

 そのとき、司書たちは感じた。
 ターミナルごと、軋んで揺らぐような、無数の轟音を。
『導きの書』を抱きしめて、司書たちは天を仰ぐ。
 ――予言はつねに、残酷な未来を映し出す。
 しかし旅人たちは、何度もそれを凌駕してきた。その想いを武器として、運命のチェス盤が示す破滅のチェックメイトに抗ってきた。
 だから。だから今度も。
 だから――ああ、だけど。

 † † †

 ……そもそも。
「ねーねー、みなさ〜ん! たまには世界司書有志で、美味しいものでも食べながら親睦を深めて親密度を高めましょうよぉ〜。んねー、アドさん〜。ルルーさん〜。モリーオさん〜。グラウゼさ〜ん。緋穂た〜ん。茶缶さ〜ん(正式名称スルー)、ルティさーん、予祝之命さん〜、にゃんこさ〜ん、灯緒さ〜ん、火城さぁん」
 などと言い出したのは、無名の司書だった。気分転換になり、お互い仕事もはかどるだろうし、というのはまあ、後付け設定である。
 クリスタル・パレスの定休日を活用すれば、店長のラファエル・フロイトも、セルフサービスを条件にリーズナブルな貸し切りに応じてくれるだろうし、そういうことならと、ギャルソンのシオン・ユングが休日出勤するのもやぶさかではなかろう。
 ――という目論見のもと、世界司書たちによる非公式の『懇親会』はいきなり開催されたのだが。

 おりしも、皆に飲み物が配られ、乾杯の音頭がなされたとき、第一報は入った。
 ウォスティ・ベルによる宣戦布告と、キャンディポットの死亡、そしてホワイトタワー崩壊を。
 いち早く50名のロストナンバーたちが、対処するために駆けつけたことも。 
 懇親会は中断され、カフェは慌ただしい情報収集の場となった。

 息を詰め、第二報を待っていた彼らは、天空が割れたかのような、不吉な爆音を聞いた。
「皆さん、下がってください!」
 異変を察知したラファエルが、司書たちを壁際に避難させる。
 喉を焼くような熱風。鉄骨がひしゃげ、硝子の破片が飛び散った。
 観葉植物が次々に横倒しになる。鉢が割れ、土が散乱していく。

 クリスタル・パレスの天井を突き破り、ナレンシフが一機、墜落したのだ。

 † † †

「……!!」
 紫上緋穂は両手で口を押える。悲鳴がくぐもった。
「店長!」
「ラファエル!」
 走り寄った無名の司書とモリーオ・ノルドが眉を寄せる。
 ナレンシフが横倒しに床にめりこんだ際、ラファエルも足を巻き込まれていたのだ。
「大丈夫……、じゃなさそうだな。痛むか?」
 贖ノ森火城が、傷の具合をたしかめた。
「たいしたことはありませんよ。骨折程度ですので」
「程度ってあんた」
「私はいいとして、中にいるかたがたが心配です。彼らのほうが重傷でしょう」
『どれ』
 アドは尻尾をひとふりし、するするとナレンシフをよじのぼる。上部に破損があり、そこから中を伺えたのだ。
『あー、いるいる。工事現場の監督みたいなおっさんと、他にもいろんなのが大勢。オレより弱そうなのもいるぞー。非戦闘員をどっかに避難させようとして流れ弾に当たったってとこかぁ』
「ドンガッシュ、さまと、世界樹旅団の……。皆様、お怪我をしていらっしゃるのですか?」
 少しためらってから予祝之命は、ドンガッシュに「さま」をつけた。目隠しの奥から気遣わしげに問う。
『んー。みんな、けっこう血まみれー』
「それはいけない。シオン、早く皆さんの治療を」
「おれじゃ無理だよ。止血くらいしかできねーぞ」
 それでもシオンは救急箱を持ってきた。包帯と消毒薬と擦り傷用軟膏と胃薬があるくらいで、何とも心もとない。
「その前に、ここから出してあげないとじゃないー?」
 ルティ・シディが、コンコンと出入口らしき部分を叩く。
「どうすれば開くのかしら」
「開閉機能が壊れてるようだ……。だめだ、開かない」
 グラウゼ・シオンが進みでて、二度、三度、銀色の機体に体当たりをした。
 だが、びくともしない。
「茶缶さんが、『とびらのすきまにせいぎょそうちがはさまってます』みたいなことを言ってる……、ような気がするの」
 無名の司書が、宇治喜撰241673をふにゃんと抱えながら、よくわからない通訳(?)をした。
「隙間――と言っても」
 灯緒が、そっと前脚を伸ばし、冷たくなめらかな表層に触れる。
「1ミリもないにゃあ」
 黒猫にゃんこも、ぽふん、と、前脚を押し付けて思案顔になる。
 大小の肉球が、銀の機体に並んだ。

 † † †

「皆さん、ご無事ですか!?」
 ティアラ・アレンが駆け込んできた。画廊街近くに位置する古書店『Pandora』は、クリスタル・パレスからさほど遠くない。
 ナレンシフの墜落が『Pandora』からも確認できたため、様子を見に来たのだという。
 店内の惨状に息を呑むティアラには、非常に珍しい同行者がいた。
「ロバート卿。意外なところでお会いしますね」
 ヴァン・A・ルルーに言われ、ロバート・エルトダウンは苦笑する。
「僕が古書店を訪ねるのは、そんなに意外かな? マツオ・バショウの『おくのほそ道』を読んでみたくなって――いや、それどころではないようだね」
「ええ。開閉機能の故障で、負傷者の救出が困難になっていて」
「……ふむ」
 ロバート卿はみずからのギアを取り出した。金貨から放たれた光の刃は、ごく僅かな隙間をも貫通し、開閉をさまたげていた制御装置は撤去された。
 扉が、開く。
 満身創痍のドンガッシュが、ふらつきながら現れた。
 額から、ぽたりぽたりと血が落ちる。
「……ここは……?」
 ドンガッシュは店内を見回した。
「世界図書館の非戦闘員たちを保護している避難所のようだな……。壊してすまない」
 ドンガッシュはおもむろに、右腕を巨大なショベルに、左腕をドリルに変えた。
『世界建築士』の力により、みるみるうちに、破損した天井は元に戻っていく。
 修復は、すぐになしえたが……。
「ドンガッシュさん!」
 がくり、と、ひざをついたドンガッシュが床にくずおれる前に、ラファエルが受け止めた。
「シオン、止血を!」
「お、おう。無茶すんじゃねぇよ、おっさん。傷、広がってんじゃんか」
「治療などしなくていい。この地で果てるなら、これも運命だ。……だが」
 ドンガッシュは、ナレンシフの中にいる旅団員たちを見やった。
「他のものたちは保護してほしい。皆、戦意はないし、負傷もしている」
「ドンガッシュのおじちゃん!」
 ナレンシフの中から、純白の毛並みのユキヒョウの仔が、足を引きずり、出て来た。
「やだよ。死んじゃやだよ。世界とかじゃなくて、みんなで住める大きな家をつくってくれるって言ったじゃないか」
 大きな青い瞳に涙をためて、ユキヒョウの仔は、小さな頭をドンガッシュに擦りつける。
 その愛らしさに、ふっと微笑んだロバートは、ユキヒョウに向かって手招きをした。
「おいで。傷の手当をしなければ」
 しかしユキヒョウは、警戒心をむき出しにして、じりりと後ずさる。
「おいで」
「やだ!」
 かまわずに近づいて、抱き上げようとしたロバートは、手をしたたかに噛みつかれてしまった。
 くっきりとついた歯型から、血があふれ出す。
「あちゃー。怪我人が増えてやんの。消毒薬少ないのになー」
 シオンは新しい脱脂綿を取り出した。
「……まあ、なんだ。子ども好きなのに子どもからは好かれないひとってのは、いるよな、うん」
「それはフォローのつもりかね? 僕も人並みに傷ついているのだが」
「おまえたちなんか信じない。誰も信じない。世界樹旅団のやつらも、世界図書館のやつらも」
 ユキヒョウは威嚇を続ける。
「みんな、殺すつもりなんだ。ドンガッシュのおじちゃんも、ここにいるみんなも、全部ぜんぶ、殺すつもりなんだろう。近づくなよ!」

 † † †

 墜落したナレンシフの上に座りこんだまま、アドはばたばたと忙しなく動き回る様子を眺めていた。悲痛の叫びや怒号と共にせめて治療だけでもとなんとか説得しようとする声、救急箱を持ってきたり外から駆け込んでくる人々が右往左往している。
 一瞬、自分の周囲がまるっと暗くなり、アドは空を見上げる。綺麗に直された硝子の城がキラキラと輝く向こうに大小様々な影が動いているのが見え、パッと発光したと思えば爆撃の音がする。季節も空も変化のない0世界には本来、ありえない光景にアドはため息を零し、ぱらぱらとトラベラーズノートと導きの書をめくる。案の定、何通ものエアメールと予言が現れていた。
 リクレカ・ミウフレビヌからはナラゴニアからターミナルへの一斉砲撃の予言があった、と連絡が、リベル・セヴァンからも駅舎の避難所への誘導が伝えられている。クリスタルパレスから飛び出したルティ・シディから告解室へ大事な物を運んでいいとメールが届けば、夢幻の宮からは中継地点として香房【夢現鏡】を解放すると連絡が入り、コロッセオではリュカオスが囚われの身となっているようだ。
 ティアラ・アレンが経営する古書店『Pandora』へ向かうためクリスタルパレスを出て行ったのを見届けたアドは少し離れた場所で火城が佇んでいるのを見つけ、木々を揺らして移動する。司書であり料理人でもある火城がいつもより険しい視線で空を睨んでいるのを見たアドはするりと火城の肩へと降り立ち、小さな手で火城の頬をむにむにと押した。
『武人のお前さんは怖くていけねぇな。なんか見えたか』
「……厄介だな」
 呟き、ちらとアドに視線を流した火城は口元を緩め優しく微笑むが、直ぐに険しい顔に戻ってしまう。火城の導きの書に現れた事を聞いたアドの眉間にはじわじわと皺がよっていく。
それは、決して楽には勝てないだろう強者と、残虐性を持ち合わせた狂戦士が溢れかえる大型戦艦の訪れ。
『まじかい。0世界は戦場を想定してない作りだってのに……しかも戦艦って空中だろ。どうすんだそれ』
「図書館と旅団という同じ条件の揃った集まりが同時に存在している事自体、想定外だろうな。出会うことも……考え方が違う敵として出会う事すらも」
『生きる為には考えが違う者とぶつかり合うってか。嫌だねぇ』
「さて、急ぎ空を飛べる物を集めよう。なに、風と氷の魔法が得意な魔術師もいるんだ」
『オレに働けってか? じょーだんだろぅ? って言いたいとこだが、こんな状況じゃぁ頑張るしかないだろうな。全く、こんなにドンパチ騒いでチャイ=ブレ起きたらどーすんだよ。あーヤダヤダ』
「嫌いか?」
『嫌いだね。埃っぽいし痛いし疲れるし煩いし、皆ギラギラして苦しそうで、楽しいことなんかありゃしねぇ。美味いもん食って寝てるのが一番じゃねぇか』
 ふっ、と小さく笑う火城がアドを肩に乗せたままクリスタルパレスの扉を開けると、見慣れた街は悲しい姿を見せる。
『でも、まぁ、これはもっと嫌だね。クリスタルパレスは元に戻ったものの、このままじゃPandoraも告解室も夢現鏡も危険だ。あぁ、火城の店も近いか』
「シネマヴェリテと骨董品店『白騙』もあるな。お気に入りだったろ?」
『おう、静かでひんやりしててどっちも昼寝にいーんだぜ。店主もいいヤツばっかだ。おやつくれるし。そういうわけで、やることやらないと懇親会の続きもできねぇ。火城の差し入れ美味そうだったなぁ。料理名わかんねぇけど』
「バーニャカウダとスープ入りトルテッリーニトリグーリア風魚介類の蒸し煮、だ。何、これが終われば直ぐに食べられ……」
『火城ー、それフラグー』
「む、そうか」
 恥ずかしげもなく答え、火城はどこまでも届きそうな大声を、しかし聴く者に落ち着きをもたらすような凛とした声を張り上げた。
「空を飛べる者はいるか! 飛べなくともサポートはするので飛ぶ事を恐れず戦える者でもいい! 力を貸してくれ!」

 † † †

 集まった31人と話し合った結果、火城担当の戦艦殲滅に向かうのは10名、のこり20名はアド担当の上空警備となった。
 31人目の眩しいピンクのふりふり魔女っ子衣装を纏ったおっさん、ゲールハルトはアドと共に皆のサポートに回るという。
『オレ達は空中支援組み、ってとこかね。飛べる奴はいいとして、飛べない奴はオレとゲールハルトで飛翔の魔法かけるから、安心してくれな』
 飛べる者は多少は楽になるように、飛べない物も飛べるように魔法をかけるのだが、長時間大人数にとなれば誰だってきつい。
 ここに即席ながらゲールハルトとアドが協力しあい安定した魔法をお届けする、のだが、アドの赤いベストにふりふりのレースが付き、いつの間にかしっぽにも可愛らしいリボンが巻かれている。
『皆は、大丈夫だから、安心してくれ。その、一部だけフリルにはなるかもしれんが、そこは許せ』
 ゲールハルトの魔法の副産物である変身は控えめだと聞き、ほっとする者もいる。が、やはり気になる部分が、ソコにはある。
 ピンク色の魔法少女に、魔法を使う赤目の白い獣は、まるで最初からセットだったかのように錯覚し、尚且つ、傍にいるのが冷静で切れ長の瞳をもつ、火城という、名前。
「なんというマギカ」
「偶然ってこえぇぇぇ」
 という声が一部に漏れていた。
『皆がやることは簡単だがやることはいっぱいあるぜ。迷子に避難先を伝える、怪我してるヤツを届ける、襲われてる奴を助ける、それから……空から向かってくるナレンシフや旅団をぶっつぶす。オレらんとこまで来るような奴はヤる気満々なのが多いだろうから、遠慮はすんなよ。亡命なり非戦闘員は……まぁ、助けるかどうかの判断は任せる。あ、瓦礫はぶっこわしてくれよ。道はいくつもある方がいい。詰まるし狙われたら困るからな。あと』
 ドォン、と大きな砲撃の音が聞こえアドは体を小さくして耳を塞いだ。
『砲撃が、飛んでくるから、きぃつけて』



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!注意!

イベントシナリオ群『進撃のナラゴニア』について、以下のように参加のルールを定めさせていただきます。

(0)パーソナルイベント『虹の妖精郷へ潜入せよ:第2ターン』および企画シナリオ『ナレンシフ強奪計画ファイナル~温泉ゼリーの下見仕立て観光風味~』にご参加の方は、参加できません。

(1)抽選エントリーは、1キャラクターにつき、すべての通常シナリオ・パーティシナリオの中からいずれか1つのみ、エントリーできます。

(2)通常シナリオへの参加は1キャラクターにつき1本のみで、通常シナリオに参加する方は、パーティシナリオには参加できません。

(3)パーティシナリオには複数本参加していただいて構いません(抽選エントリーできるのは1つだけです。抽選後の空席は自由に参加できます。通常シナリオに参加した人は参加できません)。

※誤ってご参加された場合、参加が取り消されることがあります。
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品目シナリオ 管理番号2164
クリエイター桐原 千尋(wcnu9722)
クリエイターコメント こんにちは、桐原です。決戦ですね。
 足りないよりは余る方がいいと思いどどんと大人数でお届けです。
 プレイングは7日ですお気を付けください。


 今回は他WR様のシナリオともリンクする予定です、が、ご覧の通り沢山のWRさんと参加者様がいる状態です。確実な描写はお約束できませんが、ご希望の方はプレイングにて、関わりたい場所やお相手の名前を、はっきりとお書き下さいませ。

 OPにありますように黒洲WRのノベルとは繋がっている感じですが、こちらも絶対リンクします、とはいえません。彼らが先に進み後ろは任せろー。そんな雰囲気ですが、帰ってくる場所を守ろうとか、そういうのでも全然構いません。

 バックアップの人助けと向かってくる敵を倒す事もあります。多少は戦えるし頑張れるけど、前線に出られる程じゃない、戦力なくても何かできるはず、がんばりたい、そんな皆様もどうぞ、一緒にがんばりましょう。


 プレイングには何をするかをお書きくださいませ。人助か、治療していくのか、敵旅団と戦うのか、投降希望者は受け入れるのか。心境も心情も、誰かを探しているのかも、どうぞ、やりたいことをお書き下さいませ。
 飛べないので魔法の力を借りて飛ぶ方は、飛び方も書いていただけると助かります。慣れていなから不安定とか、そういうのもアリです。
 飛べる方も、魔法の援護を受けるのかどうか、そしてどちら様も、一部ふりふりにするのかをできればお書きください。

 可能でしたら、冬城WRのノベルにて行われるナレッジキューブ回収(有り体に言えば集金)が来る可能性があります。キューブを渡すのかどうか、言いたいことがあれば一言付きでお願いいたします。


 それでは、予想外にファンシーになってしまった一部分に驚きつつ、決戦と参りましょう。

参加者
ヘルウェンディ・ブルックリン(cxsh5984)コンダクター 女 15歳 家出娘/自警団
ミケランジェロ(chwe5486)ツーリスト 男 29歳 掃除屋・元芸術の神
フカ・マーシュランド(cwad8870)ツーリスト 女 14歳 海獣ハンター
ヴィクトル(cxrt7901)ツーリスト 男 31歳 次元旅行者
一二 千志(chtc5161)ツーリスト 男 24歳 賞金稼ぎ/職業探偵
清闇(cdhx4395)ツーリスト 男 35歳 竜の武人
カール・ボナーレ(cfdw4421)ツーリスト 男 26歳 大道芸人
貝沢 篠(cnvx8458)コンダクター 男 21歳 無職
テューレンス・フェルヴァルト(crse5647)ツーリスト その他 13歳 音を探し求める者
華月(cade5246)ツーリスト 女 16歳 土御門の華
森山 天童(craf2831)ツーリスト 男 32歳 鞍馬の黒天狗
玖郎(cfmr9797)ツーリスト 男 30歳 天狗(あまきつね)
坂上 健(czzp3547)コンダクター 男 18歳 覚醒時:武器ヲタク高校生、現在:警察官
ナフィヤ(csdx7482)ツーリスト 女 24歳 なし/鳥人
アコル・エツケート・サルマ(crwh1376)ツーリスト その他 83歳 蛇竜の妖術師
イェンス・カルヴィネン(cxtp4628)コンダクター 男 50歳 作家
ボルツォーニ・アウグスト(cmmn7693)ツーリスト 男 37歳 不死の君主
星川 征秀(cfpv1452)ツーリスト 男 22歳 戦士/探偵
リュエール(czer6649)ツーリスト その他 20歳 名を呼んではならぬ者
雪深 終(cdwh7983)ツーリスト 男 20歳 雪女半妖

ノベル

 アドとゲールハルトが協力し紡がれた飛翔魔法は彼らの足元に白い魔法陣を作り出す。ふわふわと揺れるゲールハルトのパニエの動きが大きくなりだすと、風に淡い色がつき、渦巻く様子がはっきりと目に見え始める。空から砲撃の音が聞こえた瞬間、華月の足元にも五芒星の陣が現れた。空中で爆発した砲弾の煙幕により見えない結界の境目が露になる。遠く、落とされた砲弾が街を破壊する音が聞こえた。
「ひとまず、安全な避難場所の確保ね。クリスタルパレスを中心にこの辺り一帯を囲うわ」
「手伝おう」
 ヴィクトルが赤いカードを4枚、空へ放り投げると透明な華月の結界を覆うように朱色の炎で作られた茨状の網が現れる。屋根より高い位置に張り巡らされた結界と焔棘柵は遠くからもよく見え、逃げる者の目印となるが同時に狙われやすくもなる。破壊されない様に結界の補修を行う華月とヴィクトルは必然的に結界付近からあまり遠くへはいけなくなるのだが、避難場所であるクリスタルパレス付近は絶対に安全でなくてはならない、というのが二人の考えだ。
「結界内の者が許可しない限り入れない制限もできるけど、逃げてきて入れなかったら混乱しちゃうかしら」
「そうだね。その制限ができる結界は店に何件かお願いできるかな? 非戦闘員か亡命者とはいえ、避難場所に投降してきた旅団を一緒に置くのは危険すぎるだろう」
 イェンスの言葉に華月が頷くと、彼は言葉を続ける。
「ありがとう。情報の混乱と重複、伝達ミスは命取りだ。クリスタルパレスにいる司書達に情報の統括・整理を頼みたい。ノートの性質上、司書が一番情報を受け取りやすく、多くの人に送れるからね」
『了解だ。ヴァンとモリーオに頼んどく。他にも手の空いてる司書がいるだろうし、その辺りは安心してくれ』
「お前風が得意なんだろ、一人でできる飛行支援を二人がかりでやってんだ、連絡取りやすいように声を飛ばせる様にするとかできねぇのかよ」
 未成年がいる事を考慮しているのか、風下の少し離れた場所でタバコを銜えたミケランジェロがスプレー缶を振りながら言う。彼の足元には描きかけの絵があり、その横では建物の影に隠れるように千志がいる。
『おっさんに無茶いうな。飛行支援途切れさすわけにいかねぇんだから別の事は極力したくねぇよ、おっかねぇ。できても風をおこすくらいだぞ。特別効果は魔女っ子になれる事くらいだが』
「せやったら」
 天童の言葉を遮る様に赤褐色の羽が音を立てて広げられた。
「人のきめごとはわからぬゆえ、任せる。さきにゆくぞ」
 言い、玖郎が地面を蹴り上げ空へと飛び立つとナフィヤが後に続き、二種類の羽根が舞い落ちる。
「なんや随分ときばってはるなぁ、珍しい」
「まァ、のんびり話してる場合でもねェしな。俺も自前の羽で飛べるし、先に行くぜ?」
「そうだな。始めて飛ぶのなら少し練習も必要だろうが、時間に余裕があるわけでもない」
 清闇、リュエールの言葉にテューレンスも頷くと、天童は自身の黒羽をいくつか差し出した。
「ほんならこれ、わいの羽。術を施して無線機みとうなっとるんよ。特定の人に話しかけたい時はノートと同じよう相手を思い、羽に向かって話せばええ。ノート見る暇ないやろし、声でやりとりできたほうがええやろ? 良かったら皆つけたって」
「そりゃ便利でいいや。手助けが必要な時には声かけあおうぜ、近くにいるやつが行けば、一人でも多く助かるんだ」
 ひょいと羽を取った健は白衣の胸ポケットに黒羽をつけると、なんか募金の羽根みてぇ、と笑う。健の言葉に賛同したのか、全員に天童の羽根が行き渡る。
「では僕は店主に了承を得てくるとしよう。広さもだが一人、責任者をおくべきだしね」
 言い、イェンスが店へ走り出すと清闇、リュエール、テューレンス、アコル、そして天童が空へと飛んで行った。
「ちょっとアンタ等。早いとこ私に魔法かけてくれるかしら?」
 フカがアド達にそう言うと二人の立っている魔法陣が淡く光る。魔法陣の中では幾つもの小さな魔法陣が足元から浮かび上がっては消え、ゆっくりと渦巻く風は何色ものパステルカラーに染まっている。まるで大きな綿菓子が作られている様なファンシーさにゲールハルトの副作用が垣間見え、健と征秀、篠がたじろいだ。
『おまっとさん、陣の中に入れば魔法は付加されてすぐ飛べる。飛び方は……慣れだな。急に魔法が切れて落ちる、なんて事はぜってーしねぇから安心していいぜ』
 アドがそう言うと、ぴょい、と軽く飛び跳ねるようにヘルが陣の中に入る。
「えーと、こう? うん? おっとああああ、あれ、こっち?」
 ほんの数センチ浮かぶだけでバランスが崩れるのか、ヘルは細い棒の上に立とうとしている様に身体全身を動かす。その度に彼女の短いスカートやフリルが揺れ、チェーンがちゃらちゃらと音をならす。ゴシックパンク風のミニスカ魔法少女、まるで最初からその装いだったかの様に似合っている姿を見て
「ああいうのはやっぱり、女の子が着るのがいい」
 と建が呟けば、征秀と篠はうんうん、と頷く。とはいえいつまでもこうしてはいられないと、篠は意を決して陣の中に入る。
「……お、あれ? フリル無い?」
「あらほんと、全く変わってないわね」
 コツを掴んだのか、篠の周りをくるくると飛び回るヘルが言うとアドの看板に文字が浮かび上がる
『だから、付いたりつかなかったりだって、言ったろ』
 アドの言葉にほっとしたのか、それともヘルが自由に飛びまわるのを見て自分も試してみたくなったのか。陣の中へと入るフカの後に健と征秀が、飛行能力を付加される全員が一歩踏み出した
「私、空は飛べないから一度飛んでみたかったのよ。ヒラヒラも着てみてかったし。こんな時じゃなかったらもっと楽しめそうなんだけど……ってあら、なぁに、今すっごい光ったけど」
 フカが〝ヒラヒラを着てみたかった〟と言った瞬間、ゲールハルトの目がカッと光、渦巻く風の色合いが濃くなった。
「わぁ、ステキ~! 何て言うと思うかっ! どういうことだよ!」
 白衣の袖口と襟と裾にピンクのレースが付いた健が一人ノリツッコミをする横では同じくマントの裾にレースが着いたカールはくるりと回りマントをはためかせる。
「似合いマスカネHAHAHAHA」
「そう可笑しくもないと思うが……何処の華族だという気もるすな」
 シャツの襟周りからボタン付近にフリルが付いた終がそう言うと、帯留めがレース使用になった華月も軽く頷く。フリフリを希望していたフカは五段パニエでふんわりとしたスカートが尻尾を包むノースリーブワンピースの衣装に満足したのか、尻尾をちらちらと見ながら空中を泳ぐように飛ぶ。
「ど、どうして俺だけこんなにフリフリ増量なんだよおかしいだろ!」
 概ねフリフリを受け入れていた中、征秀が悲痛な叫びをあげアドを両手で掴みがくんがくんと揺らす。
 青いシャツは襟幅が大きく広がり細かいギャザーを寄せたレースが付き、ネクタイにもフリルがついている。肘まで届きそうな折り返された袖口は小さな飾りボタンがいくつも並び、金色の刺繍コードが袖口や裾を飾っている。前身ごろは腰上まで短いのに対し後ろ身頃は燕尾服の様に長い。もはや何段か数えきれないフリルが惜しげもなく付けられ、後ろ姿だけみればバッスルスタイルの様だ。
 どうやらゲールハルトの魔女っ子光線が中途半端に作用し、征秀のジャケットの形を変えてしまったようだ。
「完璧魔女っ娘になるよりは百万倍マシさ、な?」
「くっそ、ただでさえギアがキラキラしてんのに、さらに魔法少女に近づくとかシャレになんねーだろ……」
「すまぬ。決戦の力になれる喜びの中で魔女装束(フリフリ)を着たい、と言われて抑えきれんかったのだ」
『まー、みんないやが……遠慮しちゃうもんな』
 ちょっとだけ涙を誘う言葉に、アドが言葉を選び直した事が加わり文句を言うに言えなくなった征秀は
「えぇい、飛べりゃいいんだ飛べりゃ!」
 と叫びギアの星杖を構える。シャラン、という可愛らしい効果音と共にキラキラと光る星杖に耐え切れず、征秀は顔を俯かせる。ぷるぷると震える肩に篠と健がぽん、と手を置いた。
「まぁ、人生いろいろ、というやつだな」
 しみじみと呟いたヴィクトルが青のカードを放り投げると、カードはフカを囲むように周り、青い光を放って消え去った。
「華月さん、何件かの店に了承を得た、一緒に来て……何か、あったのかい?」
「ふりふりに心が折れそうになっただけよ。それじゃ、お先行に!」
 少し場を離れただけで何があったのだろうか、と首を傾げるイェンスを他所にヘルが空へと飛び立てば、軽く会釈した終も空へと飛び立つ。真っ直ぐに空へ飛ぶヘルとは違い終の飛び方は飛び石を歩く様で、遠めにみれば花から花へと飛び移る蝶のようでもあった。
「さァて、やれるだけ頑張りましょうカネ!」
 バンッ、と征秀の背を叩きカールが飛べば、同じように背を叩いたフカも空へ泳ぎだした。ぐっと一度強く征秀の肩を握った健と篠と共に、何とも言えない表情のまま征秀も空へと飛び立つ。皆時折不安定に揺れるが、皆飛ぶこと自体に恐怖はないようで直ぐに問題なく飛べるようになるだろう。あ、と声を上げぐん、と大きくUターンをしたフカが戻ってくると
「ついでに私の連れにもかけてくれる? このひらひら」
 と、ヴィクトルを指して言う。急なことにヴィクトルも驚いているとフカはこう続ける。
「頭がお堅いのはいつもの事だけどさ、なんか今日はイラついてるみたいじゃない。たまにはこーゆうユーモアも必要さね。あ、飛翔効果は要らないわ。魔導士なんだし、その辺の事は自分で何とか出来るでしょ? フリフリになるだけでいいさね」
 くるんと空中で周り自分の尻尾についたフリルを揺らすと
「……可愛く頼むわよ?」
 ウィンクを飛ばして言うと、フカは返事も聞かず行ってしまう。
『……つける?』
「負担になってはいかんからな、遠慮しよう」
 魔道士として負担を考えてくれたのか、心からフリフリが嫌だったのかは、彼だけが知る。
「やれやれ、やかましいこった。あんたらここにずっといるのか?」
「ここが避難所として機能する様になるまではいるつもりだよ。区画を決め担当を持った方が連携もとりやすいだろうしね」
 絵を完成させたミケランジェロの問いにイェンスが答えると、ヴィクトルも頷く。
「フカ殿に防壁をかけたからな。他者に加護を与えている内は、我輩自身の防御が疎かになる故、後方での支援射撃に徹するつもりだ」
「私は結界を張り次第救助に向かうわ」
 華月の答えを聞いたミケランジェロはふーと紫煙を吐き、ずっと無言で佇むボルツォーニを見る。ミケランジェロの視線に気がついているだろう不死者はまゆ一つ動かさず、ただ、そこに佇んでいる。
 ボルツォーニの返事を諦めたようにミケランジェロは紫煙を吐き爪先で完成したばかりの絵をこんこんと叩く。
「転移陣だ。負傷者を転送するから、後は任せる」
「では簡易担架も必要だね。この飛行魔法は物にもつくのかい? こう、布で作った簡易担架につけて負傷者を運ぶのに少しでも軽くできる、とか」
『あー、やった事ねぇけど多分できるんじゃねぇかな。』
「では一度試してみないといけないね。華月さん、店へ行こう。結界を張っている間に僕は布を集めるよ」
「わかったわ」
 砲撃の音が響き皆が耳を塞ぎ身体を縮こませる。結界のすぐ側に落ちたらしく、建物の崩壊する音が響く。ゆっくりと瓦礫が降り注ぎもわもわと煙が立ち上る中、人の悲鳴が聞こえだした。
「あれには吾輩が行こう」
 足早にヴィクトルが去り、イェンスと華月が店へと走り出す姿を見送ったミケランジェロはチラと千志を見る。影の中から立ち上る煙を睨みつけ、きつく拳を握る千志の瞳は隠しきれない憤怒を乗せギラギラと輝き、獣の様だ。ミケランジェロはそのまま視線を動かしボルツォーニを見る。日のあたる場所にいながら影の様に黒い不死者の表情からはなんの感情も読み取れないでいる。この場に残ったのは自分と千志、ボルツォーニだけだが、彼に支援が必要だとは思えない。彼は彼で考えがあるのだろうと判断したミケランジェロは煙草を手放すと両手でスプレー缶を操り、自分の背と千志の背にトライバル模様の蝙蝠翼を描く。肩甲骨に沿う様に背中一面に描かれたそれは一瞬輝くと実体化し、動き出す。
 ミケランジェロが地面を蹴り上げると、千志も地面を蹴り、飛び上がる。ばさりばさりと動くトライバル模様の蝙蝠翼を背負う二人が空に佇めば、あっという間にナレンシフが集まり、取り囲む。
「ここはお前たちの街じゃねェ。とっととお帰り願おうか」
 ミケランジェロがそう言うと、千志の翼が大きく動き、ナレンシフへと突っ込んでいった。



 通路を塞ぐ瓦礫を見つけたヘルは屋根に降り立つとありったけの弾丸を撃ち込み、退路を拓く。普通なら拳銃で瓦礫を破壊しようなど無謀にも程があるが、彼女はそれをやってのける。リボルバー式の拳銃でありながら規格外の破壊力を持つ弾丸をリロードなしで撃てるのもギアならではだ。
「そのまま真っ直ぐ! クリスタルパレスまで走りなさいよ!」
 セクタンを連れ手を取り合い走る仲間に声をかけるヘルの上をふっと影が走り、彼女は空を見上げ振り返る。小型のナレンシフから3人の男が飛び降り、屋根を駆けてヘルに襲いかかってきた。幸か不幸か、壱番世界の住人と変わらない風体の旅団員は能力的にも変わらないらしい。空を飛び攻撃を避けたヘルに驚いた男の隙を付き、ヘルはメリケンサックを嵌めた拳で顔面を殴る。顔を抑え蹌踉めく男を足蹴にし、後に続く男の攻撃を跳んで避けるとヘルは手袋についているチェーンを男達の首に絡め、締め付けて拘束する。
 雄叫びを上げ、3人目の男が剣を突き刺してくるのをヘルは大きく飛び上がりバク転で避けると、ミニスカートは用を為さず、男の目の前にヘルのパンツが露にされる。
「あ……いちごォォォォ」
 呆然と呟いた男の腹部めがけヘルの回し蹴りが深くめり込む。
「どう? 10cmヒールは効くでしょ……て、いちご?」
 どさり、と身体をくの字に曲げたまま、男は倒れこむ。
「ちょっと、私いちごパンツなんて履いてないんだけど……どういうこと?」
 見せても大丈夫なみせパンのはずなのに、と不安にはなるが、こんな場所で自分の下着を確かめる訳にもいかない。
「……、ま、いっか。戦略として見せるつもりなんだし」
 そう言うと、ヘルはギアを構え直した。



 3匹のワームに囲まれ、たった一人で戦っている男を見つけたカールはワーム目掛け上空から真っ直ぐに落ちる。重力も加えた重たい蹴りをくらったワームは地面に叩きつけられ、身体を反らせたまま何発もの弾丸をその身に受けると、断末魔を残し横たわる。
 カールは戦っていた男と協力し、無事残りの2匹も絶命させる。
「怪我はありませんカ?」
 カールが笑顔で問いかけるが、どうも様子がおかしい。不思議そうに首を傾げたカールはふと視界の隅に動く物を見つけ辺りを見渡す。絶命したワームの影に墜落して壊れたナレンシフと隠れきれていない頭を見つけ目を丸くした。
「OH、旅団の方でしたカ。ウーン、どうしまショウ、戦いマス?」
 両手に持った拳銃を空に向け、軽い口調のまま言うカールに旅団員は困惑した様子でナレンシフを振り返ると、武器を放り投げ両手を上げた。その拍子に男の腕から血が滴り落ちる。
「後ろの二人は戦えない。どうか、俺だけで」
「NONO、イケマセン。投降するならユーも一緒デスネ。怪我も治療しないとデス」
「しかし……」
「自分が所属する世界くらい自由に選べてもいいじゃありマセンカ。問題ありまセン」
「……恩に着る」
「HAHAHA、お礼は早いデスね。こちらカールデース、投降者が3名いマスが、どちらに連れて行きましょうカ?」
 カールが羽に向けて話しかけると、少し間を置いてイェンスの声が聞こえる。
「クリスタルパレスまでお願いするよ。投降者を受け入れる場所は確保できているが、一応捕虜扱いとして自由にはできないよ」
「受け入れてくれるだけで充分だ。感謝する」
「では今から一度戻りマース。歩けますカ? では道案内しマス」
 にこにこと笑ったままカールは空に飛び上がり、辺りを警戒しながら投降者をクリスタルパレスへと案内する。



 健と篠はオウルフォームのセクタンを飛ばし、肉眼とミネルヴァの目を使い分け助けの必要な人はいないかと辺りを探る。周囲に響く銃声や上空から落とされる砲弾の弾道が視界を横切り線を残す度、健の脳裏にロバート卿が、彼のギア能力がちらつく。
――あの人クロだなぁ。ヘンリーをやったのは……多分ロバート卿だ――
 報告書は舐める様に読んだ。ロバート卿のギア能力についても健の想像でしかないが、それなりの自信を持っている。そのロバート卿が初めて一般のロストナンバーに接触したホワイトタワー、その襲撃がこの戦いの始まりであり、そのせいでロバート卿のギアが使用され人目に触れた。何ら関係なかっただろう一連のできごとが健にヒントを与え、確信を持たせる。
 ぼんやりと考え事をしていた健の視界に行き止まりへ向かう人影と懸命に走る二人の子供の姿が見え、ハッと顔を上げる。同じものを見つけたのだろう篠と目が合うと、篠は子供の方へと飛んで行く。
「こっちは任せろ! そこの十字路で合流しようぜ!」
「頼んだ!」
 叫ぶと同時に健はぶんぶんと首を振って気分を切り替える。
「今はこれ乗り切らなきゃならねぇよな」
 壁を蹴り、飛ぶ方向を変えた健は行き止まりへと向かい走る人を止めようと大声を上げた。



 篠が道路へ降り立つと二人の子供はお互いを抱きしめるように寄り添い、篠を怪訝そうに見る。予想外に警戒されてしまい篠が困惑していると今にも泣き出しそうな顔でセクタンを抱きしめている女の子を庇う様に、男の子がギアなのだろうおもちゃの様な刀を篠に向ける。
「まったまった、敵じゃねぇよ」
 慌てて言い、空を見上げた篠がモッケを自分の肩に止まらせると、二人の子供はほっとした顔を見せる。二人だけでこの戦火を逃げてきたのか、ケガはしていないようだが二人とも真っ黒に汚れている。
「すげぇな、戦えるのか?」
「お、おう! こいつ泣き虫だから、オレが守るんだ」
 むん、と胸を張り強がって言う少年を見て、篠は膝を付き視線を合わせる。小さくとも男の子、女の子の前でかっこよくありたいのだろう事は篠にもよくわかる。
「強いんだなぁ。俺なんか怖くて戦えないぜ」
「そ、そうなのか。じゃぁにーちゃんと一緒に行ってやるよ」
「そりゃ心強い、ありが……」
 肩に止めていたモッケがぴぃぴぃと泣き叫び、篠は言葉を止めモッケの視界を見る。遠く、うねうねと身体をくねらせたワームがこちらに向かってくるのが見え、篠は二人を両脇に抱え上げ空へと逃げる。
「お、お、にーちゃん! 虫!」
「おう! 見ててくれ!」
 ワームは篠達に気がついていたのか、追ってくるワームがモッケの視界越しにぐんぐんと大きくなり、篠は舌打ちをする。迎撃しようにも子供を抱えた状態ではどうしようもない、なんとか撒けないかと辺りを見渡していると、前方にカールを見つけ、叫ぶ。
「カールさん、下! 援護頼む!」
「ハーイ! ミーにお任せデース!」
 篠の声に応えたカールは5丁の拳銃をジャグリングし、何発もの弾丸をワームへと放つ。銃撃の援護を得た篠が角を曲がり十字路へ逃げ込むと先程別れた健が初老の男と共に駆けてきた。健は援護に向かおうとするが、既に銃声は止まっており、笑顔のカールがこちらへ飛んでくる。
「ユー達もクリスタルパレス行きデスカ? ミーも彼等を連れて行くところデス」
 カールは少し離れた場所にいる三人を指差し、旅団の投降者だと付け加える。距離を置いているあたり、彼等も気を使っているのだろう。
「……クリパレはすぐそこだし、全員でぞろぞろいくもんでもねぇだろ、俺が皆を連れて行くわ」
「それもそうだな、じゃ、任せるわ」
 篠の提案に健が合意し、カールもうんうんと頷く。二人が新たな救助者を探しに飛び立つのを見送り、篠は子供を抱えたままクリスタルパレスへと駆け出した。



 外壁にスプレーを吹き付けるミケランジェロに数機のナレンシフが近寄ってくる。おしゃれな洋服店のタグの様なグラフィティアートを残しミケランジェロがその場から移動するとナレンシフは後を追ってくるが、ミケランジェロは建物の影を利用しあっという間に姿を消す。ミケランジェロを見失ったナレンシフは暫く辺りをウロウロしていたが、やがて諦めて何処かへと行ってしまう。身を隠しその様子をずっと見ていたミケランジェロは薄く笑い、まるで警察から逃げ回る渋谷のペインターになった気分だ、等と思う。
 隠れていた外壁にも手早くタグを描き、次は何処にしようかと辺りを見渡すと、道をまるっとふさいでいる巨大なワームを見つけ片眉を上げる。二階建ての建物程の高さと大きめの道路を塞ぐワームを放置している訳がない。何か情報はないかとノートに目を通せば、その巨大なワームは医療部隊を飲み込んでいる【コキュートスの迷宮】だとわかる。
 近寄った人、攻撃を加えようとする人を取り込むというワームは迂闊に討伐できず、少なくともとらわれている医療部隊が救出されるまではあのままだろう。とはいえ、このまま放っておけば事情を知らない者が近寄り、囚われる者が増える一方だ。
 頭をがりがりと掻いたミケランジェロはゆっくりと近づきワームの攻撃範囲を確認すると、その範囲ギリギリの場所の外壁にタグを描く。何度か同じ行動を繰り返しワームを囲う様にタグが描かれると、ミケランジェロはタグを起点にワームを囲う結界を作り出した。内側からはもちろん、外側からも干渉できない結界はもし誰かが近寄ってもワームの攻撃範囲には届かず、ワームが暴れて結界を壊す事もない。あとは医療部隊を救出に行ったというチームが出てくるのを待つだけだ。
「ミゲル!」
 一仕事終えたミケランジェロを呼ぶ聞きなれた声にミケランジェロは素直に顔を上げる。声を聞き間違う事もないが、自分をミゲルと呼ぶのは相棒、歪だけだ。
「どうした」
「ナレッジキューブくれ。持ってるの全部」
「何に使うんだよ」
 0世界では金として使われているナレッジキューブを渡せと言われたにも関わらず、ミケランジェロは使う用途すらはっきり聞く前に手持ちのナレッジキューブを全て歪に差し出し、相棒も当たり前のように受け取った。歪はキューブが必要な理由を語り、もっと回収するから手伝えとも言うと、ミケランジェロは呆れた顔のまま胸ポケットにさした羽に語りかける。用途不明でも金を手渡し、呆れながらも断るという事をしないあたり、二人の信頼関係がとても深いものだとわかるだろう。
「あー、ミケランジェロだ。皆、ナレッジキューブは持ってるか」
「金? 何に使うのだ?」
 女性らしい柔らかさの中に凛とした響を持つリュエールの声が聞こえ、ミケランジェロはたった今歪から聞いた情報を簡素に言う。
「発明家が作った大型大砲を打つのに燃料としてナレッジキューブが必要らしい。それも大量にだ」
「協力はしたいが、殆ど持っていない」
「塵も積もればってやつさ。空中は俺と歪が回るが、地上も一人回収に回ってるらしい。協力頼む」
 ナフィヤと同じ人が多かったのか、ミケランジェロが少量でも構わないと言うと何人もの了承した声が聞こえる。
「いいか、俺もやる事あるし、お前も早くキューブを持って戻らないとなんだ。無駄な戦闘は控えろよ、いいな。 ……いいな?」
 小言を言われ肩を竦める相棒の背に羽を描き、二人は飛び立つ。ミケランジェロは外壁にタグを描きながら、歪は接近してきた敵を刀で両断し戦場を飛び行くと、前方に複数のナレンシフと戦う征秀を見つけ、援護に入る。攻撃の度きらきらと輝いては消えゆく作り物の星は、ミケランジェロの脳裏に遠い記憶を思い出させ無意識に眉を顰めるが、彼に非は無い。
「悪いな、少なくて。……無駄にするなよ」
 戦いの最中、征秀はナレッジキューブを差し出していると、羽を畳んだナフィヤが真逆様に落ちてくる。空中で回転し、貴金属のナレンシフに深々と足爪を突きたてたナフィヤはその格好のまま、羽についた二本の爪で器用にキューブを持ち差し出す。
 一度に複数のナレンシフを落とした仇討ちか、猛スピードで向かってくるナレンシフに征秀とナフィヤが向き直す。
「急いでるんだろ!」
「普段は協力を念頭に置く事は無くてな、他者との連携は初めてするのだが、あの数ならば問題はない。行け」
 礼を言い、歪とミケランジェロが翼を羽ばたかせ移動すると、遠くに飛んでいたリュエールがこちらに近寄り、並飛行しだす。
「これも持って行け」
 ナレッジキューブの入った財布を放り投げられ歪がそれを掴むと、彼等は左右に別れた。



 高く高く、多くのナレンシフを見下ろす高高度を飛びまわる雷塊がある。晴天の0世界に不似合いな雷雲が漂い、発光と同時にごぉうんと音を轟かせる雷は玖郎自身も巻き込み、多くのナレンシフとを落としていく。墜撃したナレンシフよりも多く雷を受けた玖郎は手甲のみならず、全身に雷を纏っている状態だ。青白く光る全身はぱちぱちと火花が飛び散る鎧となり、近寄るだけで雷撃が敵を襲う。
「玖郎はん、えらい怒ってはりますなぁ。それじゃ祟り神になってまうよ? まぁ、わいも腹ぁたっとるけど」
「これ以上、童のたわむれを許すわけにはゆかぬ」
「はは、童か。言えて妙やね。なぁ玖郎はん、世界は違えど天狗なんやし、いっちょ協力せえへん? 玖郎はんもわいも雷と相性ええんやし」
 口元を扇で隠したまま、天童はな?と首を傾ける。
「お前なら加減もいらぬか。いいだろう」
「お手柔らかに頼むで」
 言うや否や天童も雷を纏うと、天狗達は大型のナレンシフを中心に5機の中型ナレンシフが周囲をぐるりと囲む間を縫う様に飛びまわる。隊列の隙間を飛ばれ、狙いが定まらないナレンシフは同士打ちを避けようと砲撃が疎らになり始めた。雷雲と天狗から放たれる雷の明かりに浮かぶ影を頼りに位置を想定し狙いの定まらない攻撃の中、黒の羽がバッと辺に散った。銃弾が掠めた、飛ぶスピードが落ち狙いやすくなった天童を再度砲火が襲う。断続的な銃声の中また黒羽が散るとナレンシフは全ての銃口を天童へ向け鉛の雨を降らせる。ひときわ大きく黒羽が飛び散り、天童の翼が動きを止め地面へ真っ直ぐに落ちていく。好機だと思ったのだろう、大きく旋回し背後へ回る玖郎には目もくれず、6機のナレンシフが天童へと進行し始めた。ガラスに黒羽がくっつくのも構わず天童を確実に仕留めようとナレンシフが間近まで接近すると、ぐったりとしていた天童が急に動き出し、雷雲から伸びる雷をその身に受け止めた。
「雷は空から降るだけやないんやで!」
 大きく広がる天童の翼に反射した雷は枝葉の様に広がり、周囲に散らばる黒羽が更に乱反射させナレンシフに襲いかかる。四方八方から襲いくる雷は止まる事をしらないのか、辺り一面に散らばる黒羽が雷の数を増やし逃げ道すら無い。謀られた事への腹立たしさより、簡単な誘導に引っかかった事の方が苛立たしい。雷撃を受け中型ナレンシフが傾き落ちていくのを壁にし、大型のナレンシフが後退を始めるが、背後からの攻撃に大きく機体を揺らす。また一機、落ちていくナレンシフに鉤爪を突き立てる玖郎の姿を見つけ、誰かが舌打ちをした。
 天童の雷に加え玖郎の雷も加えられた攻撃の前に、最早作戦などないのだろう。ナレンシフから無作為に放たれる砲弾は天童と玖郎の後を追い、中型ナレンシフは同士討ちをしてしまうと大型ナレンシフの上にぶつかり、大きな穴を空ける。玖郎と天童は中へ侵入を試みるがまだ機能は生きているらしく、親子亀の様な姿で砲撃を続けられ、無数の弾丸の前では流石に近寄る事も難しい。
 ふと、下方よりナフィヤが上昇してくるのが見え、玖郎と天童は一際大きく雷を周囲に放ち、砲弾を雷で打ち消す。接近と後退を繰り返し、銃口を自分達に集中させると、彼等の目論見通り、ナフィヤは大型ナレンシフへの侵入を成功させる。
 羽音もなく突然訪れた来客に旅団員達は慌てて武器を手に取るが、攻撃する間もなくナフィヤの爪に貫かれ、その場に崩れ落ちる。自由に飛べる広さはなくとも、羽は十分に広げられる操作室をナフィヤの爪跡が線を描く。壁や機械すら貫く爪を恐れ、旅団員は拳銃を撃ち込むが、命中した事を喜ぶよりも早く傷口がふさがっていくのを目にし、武器を捨てた。
「た、頼む。見逃してくれ」
 一人が両手を挙げそう言うと、まだ息のある者たちも次々と武器を捨て始めた。どごぉん、と大きな雷が聞こえ足場が傾くと皆が床に這い蹲る。羽を広げ空中に漂うナフィヤは一人だけ、機械に寄りかかり立っている男を見る。
「な、な、悪かったよ、もう攻撃しない、と、とと、飛べないんだ。たすけ」
 身体を屈め、男の前にふわりと移動したナフィヤはその大きな爪で男を貫き機械へ縫い付ける。ヒッ、と息を呑む声が、大きく聞こえた。
「な……なん、で……」
「一度剥いた牙を仕舞う事は許されない」
 爆発し、落ちていくナレンシフから飛び立つナフィヤに、玖郎と天童が近寄ってくる。
「おおきになぁ。助かりましたわ……? ナフィヤはん? どないしはりました?」
 礼を言われたナフィヤの顔が微妙に迷惑そうな顔をしたのを見て、天童が不思議そうに問いかける。返答はないが言うべきかどうかも迷っている、そんな風に受け取れるナフィヤの顔は迷惑そうというか困惑気味というか、悪い感じではないのだが、本当に、なんともえない表情だ。
 天童と玖郎は顔を見合わせるが、二人ともナフィヤが何を考えているかは解らず、もう一度ナフィヤヘ視線を向ける。
「獲物を奪ったのに礼を言われるのは、奇妙な感じだ」
「あぁ。昔は俺もそうだった」
「そうか。……食するわけでもなく、こんなに多くの獲物を狩るのも、変な気分だ」
「そうだな。あれは喰えん」
「玖郎は、慣れたか?」
「少しは」
「少しか」
「ひとの心はよくわからぬ」
 玖郎とナフィヤの淡々としたやり取りの中、天童は扇で顔を隠し肩を震わせていた。



 上空に留まり通路を塞ぐ瓦礫を浮かび上がらせていたリュエールは爆発音が聞こえ空を仰ぐ。もくもくと黒煙の線を空に描くナレンシフの塊が落ちてくるのを見ると、溜息混じりに浮かび上がらせた瓦礫を放り投げ塊にぶつけ、纏めて遠くチェス盤の上へと吹き飛ばした。
「やれやれ、不燃物に瓦礫にがらくたか、キリがないな」
 遠く、最初より数は減ったものの今もナレンシフが飛び立つナラゴニアを眺めながらも、リュエールは両断され落ちてきたナレンシフをチェス盤へと転送する。
「本拠地ごと乗り込んでくるとはやってくれる……それとも、もう後が無いのか?」
 ブルーインブルーやインヤンガイを始め、複数の世界で旅団の動きがあった筈だ。壱番世界を狙っているという報告をどこかで見た気もする。先日の一件で侵略にあっていた世界〝朱い月に見守られて〟も消滅し、世界の一部がヴォロスと同化するという結果になった為、彼等が手に入れたのではない。どれも、彼らの求める形での成功はなかったのだろう。
「目障りな世界図書館を殲滅すれば彼らは動きやすいが……。この戦いで彼等が求める物も手に入るのか……?」
 ボボン、という破裂音がし、黒煙とともに炎が立ち上る。
「なんにせよ、これが終われば何かはわかるか」
 リュエールは燃え盛る建物へと飛び寄ると、周囲に人がいない事を、巻き込まれている人がいない事を確認し建物に雨を降らせる。放っておけば煙は視界の妨げとなり、炎が燃え移ったりすれば被害も増え逃走経路も減ってしまう。
 炎上した建物に雨を降らせながらも、リュエールは空からとめどなく降ってくるナレンシフを次々とチェス盤へ転送する。
「ふむ。何か、一掃する手立てを考えるべきかな」
 空はまだ、ナレンシフに覆われている。



 避難所として開放されている彩音茶房エル・エウレカにテューレンスと神楽の二重奏が響わたる。店先での戦闘で傷ついた戦士や魔道士達ははらはらと落ち着き無く皆の顔を見比べ、重傷を負った傭兵の応急処置を必死に行うイェンスと篠の背を見守っている。苦痛に呻く傭兵の身体からふっと力がぬけ、一瞬空気が張り詰めるが、穏やかな呼吸が聞こえると皆一様に安堵の溜息を漏らした。
「もう、大丈夫、かな。テューラは、声が、聞こえたから、助けに、行ってくる」
 言い終わると同時にテューレンスは店を飛び出していく。耳の良い彼にしか聞こえない、助けを求める声がしたのだろう。
「彼をクリスタルパレスまで運ぼう。君達は……」
 イェンスの問いかけに神楽が店に留まると答えると、事の成り行きを見守っていた戦士達も頷き、武器を手に取る。神楽と共にこの店を守るつもりらしい。
「わかった。では彼は僕達で運ぼうか。こちらイェンス、エル・エウレカより重傷者を一名クリスタルパレスに運びたい。誰か援護を頼めるかね」
 近くに人がいないのか、なかなかこない返事を待ちながら彼等は傭兵の下に飛行魔法を付加させた布を敷く。布端を持てば布はふわりと浮き上がり、大柄で屈強な男をたった二人で運べる便利な簡易担架となる。これのお陰でどんな悪路でも少ない人数で楽に運送でき困る事は減ったが、負傷者を抱えている以上襲われては逃げるしかない。
「途中までなら援護できるけどクリスタルパレスまでは保証できないわ」
 待ちに待ったフカの返答にイェンスはすぐ返事をする。
「どこまで援護できそうだい?」
「そうだねぇ、道にもよるけどそこからならPandoraか夢現境あたりさね」
「Pandora付近なら吾輩と華月殿が迎えにいける。フカ殿、吾輩らが迎えに行くまで援護を頼めるだろうか」
 ふいにヴィクトルの声が会話に混ざりこむ。
「OK、任せておきなさいッ。アンタは私の事120%完璧に護るのよ?」
「心得ている。イェンス殿もそれでよろしいな?」
「もちろん。助かるよ、ありがとう」
「いいってことさね」
 神楽達が見送る中、イェンスと篠は簡易担架と共にクリスタルパレスへ走った。



 ひゅんひゅんと何かを振り回す様な音が聞こえ、テューレンスは鉄球や鎖鎌を振り回す一団を見つける。対峙するのは地面に倒れている騎士とセクタンを肩にのせた男が一人、ボロボロの姿で地面に膝をついているのを見つけテューレンスは急ぎそこに向かう。鉄球がぐん、空高く振り上げられ、男が騎士を庇う様に飛び出すのを見たテューレンスは翅を震わせ鉄球へとかまいたちを放つと、背後からの攻撃に驚いた敵は一斉に振り返る。主を庇い気絶したのか、セクタンも地面に転がったまま動かない。
「あなた達の、相手は、こっち、だよ」
 敵は6人、振り回される武器を警戒しながら耳を澄まし倒れている人の様子を伺うと僅かな息遣いと呻き声が聞こえた。生きているとわかり、今すぐにでも駆け寄り手当したい衝動をぐっと堪え、テューレンスは2本のサーベルを構える。武器が振り回され空を切る音の重なりに、テューレンスは目を細めた。
――いい音だ――
 楽器ではない物から奏でられる音や旋律はテューレンスにとって新たな音との出会いだ。子供がコップを叩くリズム、多くの人が歩く靴音、楽しそうな笑い声の旋律。全く関係なさそうな物事の音を組み合わせ、彼等は新たな音楽を生み出し、奏で、人々に還す。不思議なのは組み合わせた音との出会いが笑顔だった時は笑顔に溢れ、悲しい時だった時は皆、涙を零すのだ。故に、テューレンスは始めて出会った音とその時の景色や状態をセットで記憶している。この空を切る音の重なりを思いだす度に今の状態を思い出す、そう思うと少し悲しくなる。
――それでも、僕はこの旋律を思い出すだろう。この旋律から新たな音楽を産みだし、この戦場となった街を思い出し、奏でるのだ。大好きな場所で、大事な人とあるために――
 サーベルを握る手に力を込め、テューレンスは戦いへと身を投じた。



 漆黒の翼を広げた清闇は赤と金の瞳を輝かせ愛刀を静かに振り下ろす。一閃。空に一本の線が見えた瞬間、二機のナレンシフが真っ二つに別れ墜落する。
「誰も死なせねえ。護りてえもん、全部護ってやる」
 護る為に生きてきた清闇は今の状況が余程腹立たしいのだろう。いつもは封じている金の瞳を顕にし精霊を呼び寄せ、地上への攻撃は自身の翼と精霊の協力とで防ぎ、舞いを踊る様に振われた刀は見た目の軽さから想像もつかない斬れ味で円盤を両断していく。
 人を、人が生きる生命の輝きを愛している清闇は戦いも生きる為の手段の一つだと考えている。必要ならば、刀を手に戦わねばならない。それは殺すため、壊すための戦いではない。生かすため、残すため、次に繋ぐ為の戦いだ。だからこそ、この戦いは本当に必要だったのかと、苦悩する。旅団の在りかたを責めるつもりはない。責める資格もあるまい。生きかたの根幹が違う、要するにそれだけのことだろう。生きる事、護る事に関して清闇が譲れない様に、誰もが、旅団も譲れない思いと願いを抱えている。
――しかし――
 それを頑なに貫き相手の思想を理解せず、ただぶつけ合い殺し合うだけでは、何も解決はしない。だからこそ人は語り合い、お互いを尊重しあい、共存する道を探る筈だ。そういったコミニュケーションが、世界図書館と世界樹旅団の間で足りていたのか。今更わかったところでこの戦いは止まらないだろうが、ナレンシフを両断する度、清闇は考えてしまう。
「どっかに譲り合う要素がありゃアよかったのになあ」
 下方にミケランジェロと歪が飛んでいるのが見え、清闇が手を振ると二人の速度が遅くなる。清闇は懐からナレッジキューブの入った小袋を取り出すと歪に向かって放り投げた。



 シネマヴェリテ付近を飛んでいたカールとヘルは簡易担架を使い大きな荷物を運んでいる仲間が敵から逃げているのを見つけると、援護射撃を放ちながら彼らの傍へ行き声をかける。
「お客サンどちらマデー?」
「こッ、告解室!」
「その先通行止めだから、もう一つ先の角を曲がって!」
「わかった!」
 汗まみれの顔に土埃を拭った痕を残し、ぜぇぜぇと息を切らせ走る彼等を守るため、カールとヘルは後ろ向きに飛びながら弾丸を放つ。相手も飛んでいる為一発で仕留める事はできないが、どこからか援護射撃が放たれ彼らの動きが鈍ると、二人の命中率は格段に上がる。銃声が止み、追っ手がいなくなっても彼等は足を止めないまま感謝の言葉を告げる。自分たち以外にも大事な物を告解室へ運んでいるチームがいると聞き、カールとヘルは見つけ次第必ず護ると約束し彼等と別れた。
 指先に血溜りを造り、身体に傷を負ってでも守りたい大事な物。何者にも変えられぬそれを運んでいると聞いたヘルはふと自分の指輪に目を落とす。もらったばかりの指輪は薄汚れ、飾りの部分に汚れが溜まっていた。
「無駄な血は流したくない。私はターミナルとそこで生きる人達の日常を守りたいだけ、人殺しをしたいわけじゃない」
 小さく呟き、ヘルは指輪をそっとなぞる。中途半端に拭われた汚れは伸ばされ薄くなるが、本来の輝きは戻らない。汚れたままでも、輝いていなくても。たとえこれがおもちゃの指輪だったとしても、ヘルにとっては大事な人から貰った、大事な物だ。
「だって……ここには私のうちもあるもの」
 鳥の鳴き声が聞こえヘルが顔を上げると、カモメの群が大量に通り過ぎていく。ひらひらと羽が落ちるなか、群を目で追うと破壊された街並みが広がり、ヘルはきつく拳を握る。クリスタルパレスから飛び出してからというもの、必死で動き回っていたせいで気がつかなかったが、壊れた建物や立ち上る黒煙を見ると恐怖と怒りが増してきた。体中汗と埃にまみれ洋服は破れ、包帯がわりに巻きつけたレースやハンカチもボロボロだ。傍にいるカールも酷い有様だが、今は皆が同じ様な風体だろう。拳の振動が腕へと渡り、やがて全身をぷるぷると震わせたヘルは乱暴にノートを取り出すと
「この一大事にどこ行ってんのよ!」
 と届かない罵声を叫びながら大事な人へメッセージを乱暴に書き殴り、勢いに任せてしまいこむ。すぐにでも返事は欲しい。安全なのかどうかだけでも知りたい。今書いた内容を確認してしまえば、もう一度読めば返事がくるかもとノートをずっと見てしまいそうだ。しかし、返事を待ってじっとノートを眺める等と弱々しい事は断じてしたくない。どうせなら再会した時に「あぁ、返事くれてたの気がつかなかったわ」とでも言ってやる方がよっぽどいい。
 ふん、と鼻を鳴らしたヘルの耳に歌声が聞こえ辺りを見渡すと、小さな少女が一人で歩いているのを見つける。セクタンを連れている様子はなく仲間なのか敵なのかの判別が難しい。こんな場所を一人でも歩ける少女はそれなりに戦えるのだろう、二人は視線を合わせ頷き合うとゆっくりと少女へ近寄る。
「トリックオアトリートトリックオアトリート、キューブくれなきゃ悪戯するぞ!」
「え? あ、もしかして大砲のナレッジキューブ?」
 突然そう言われヘルは一瞬固まるが、そういえば回収の連絡があったな、と思い出す。両手を差し出したメアリベルにキューブを渡そうと二人が懐に手を伸ばした瞬間、上空に敵の気配を感じカールとヘルの手には拳銃が握られた。
「そう! たくさんたくさん、キューブをちょうだい! メアリにキューブをちょうだいな!」
 銃撃戦が始まりカールとヘルが移動しながら戦う中でもメアリベルは手を広げステップを踏み、おねだりを続ける。
「ヘーイ! 持ってけドロボウ!」
「生活費切り詰めてるんだから! 無駄遣いしたら承知しないわよ!」
「あはは! みてみてミスタ・ハンプ! キューブもらった沢山もらった! キューブくれたから悪戯はなしだね! 次はどこだ次はだれだ」
 キューブを受け取ったメアリベルはミスタ・ハンプと両手を繋ぎくるくると廻り、歌いながら次の集金へと行ってしまう。
「HAHAHA、賑やかですネ!」
「そうね でも幕間劇には長すぎだわ!」
 少女の歌声に伴奏を付けるように銃撃は鳴り続ける。



 建物に身を隠し敵の気配を感じなくなったフカはスコープの中に走るイェンスと篠を入れると、丁度ヴィクトル、華月と合流するところだった。幸いにも進行方向に居た敵は二人に気がつく前に狙撃ができた事もあり、二人は予想より早く合流できたようだ。
「バトンタッチ。それじゃ、後は頼んだわよ」
 羽に向かいそう言うとフカは次の標的を探しに建物から建物へと移動する。大型ライフルを武器とするフカは基本的に遠距離からの精密狙撃か、味方の攻撃に紛れ込ませる援護射撃を行う為、建物の影から影へと移動する。海を泳ぐのと同じ動きで飛べる事はフカに制限のない自由な行動を与えた。その為、最初は高高度から地上へと狙撃していたのだが、遮る物の無い空からは自分の姿が丸見えだ。ナレンシフやワームと戦っても負ける事は無かったが、自分の慣れた戦いをする方がいいに決まっている。フカは海中での狩りと同じ様に自分の存在が気付かれないよう建物に身を隠し、時に仲間を囮にして仕留めてきた。
「ん? ……やっぱり目立つわねぇ。あら」
 身体を大きくし路上を埋め尽くすアコルの側に殺気立っった集団を見つけ、フカはライフルを構える。
「何かしら、敵なんだろうけれど、様子がおかしいさね」
 スコープ越しに敵を確認していると、彼等が武器を構えフカはトリガーに指をかける。しかし、何故か彼等は側にいる人を、仲間を攻撃し始める。鎌首をもたげたアコルの前で彼等は剣を振り魔法を唱え、致命傷にならない傷を何度も何度も付け合っている。その異様な光景に尻尾の先から頭の天辺まで寒気が駆け抜けたフカは、彼らの行動が全て止まってからアコルの元へと移動した。
「ちょっと、今の……あぁ、そういう事」
 アコルの顔近くに浮かぶフカは彼に理由を聞くまでもなく、広がる光景を見て納得した。血溜りが広がる亡骸の傍には宝石や貴金属、何処からか盗ってきたのだろう金目の物が多くあった。
「なんじゃ、ヒラヒラとってしまったんか?」
「可愛んだけどね、邪魔なのよ。アレ。武器に引っかかるし視界は遮るし風に煽られて居場所教えるしで。とっちゃった。っつうかこいつらに何したの?」
「なぁに、ちょいとばかり同士討ちするようにしただけじゃよ」
「えげつな。でもまぁ、こういう事を楽しんでる奴にはちょうどいいかもね」
「そういう事じゃの」
 基本的に足を撃ち抜き戦闘不能状態にするフカだが、略奪や殺戮を楽しんでいる敵は別だ。もし彼等を見つけたのがアコルでなくフカだったら、迷わず頭か胸を吹き飛ばしていただろう。
「こちら健、重傷者2名、戦闘継続中! 誰か搬送を手伝ってくれ!」
 羽から叫び声が聞こえるとアコルはゆらりと身体を動かしだす。
「援護は頼むぞい?」
「もちろんさね」
 建物の影へ隠れたフカはアコルを囮にし、近寄る敵を撃ち落とす。
「アコルが今そっちに向かってるわ、もう少し待ってなさい」
 そう告げ、フカは援護射撃の為に移動を始めた。



 星杖を深々と突き刺されワームが絶叫を上げる。耳障りな悲鳴に眉を顰め、征秀は腕を捻り突き刺したままの星杖を捻れば空へと伸ばした身体を硬直させ、ワームの動きが止まった。空へ伸びていた身体がゆっくりと倒れずるりと星杖が抜け、ワームの身体は重力に引かれ落ちていく。
 呼吸を整えた征秀は掌に鈍い痛みを感じ、両手を開く。皮が剥け豆が潰れた両手は黒く汚れ、上着の袖が切れてシャツが覗いている。よく見れば上着はボロボロで燕尾についていたレースは無残な事になっている。征秀は上着を脱ぎ、敗れた布を細く引き裂くと包帯替わりに両手に巻きつける。もうきれないだろう上着を投げ捨てると足元に広がる通りに見覚えを感じ、辺りを見渡す。
「トゥレーンの近く、か。マスターは大丈夫だろうか」
――あの子は無事だろうか……――
 トゥレーンを訪れた事のある征秀は店が旅団に襲われていたのを目撃し向かおうとしたが、救護に向かう味方のロストナンバー達を見つけ、行くのを止めた。彼等の力を信じ全てを任せたのだ。
――そうだ。信じたんだ――
 彼等だけではない。この戦いに参加しているロストナンバー全てを、信じる。だから、あの子も無事だ。
 星杖を握る手にぐっと力を込めると、征秀の脳裏に前の前の光景とは違う景色が見える。赤い屋根の傍で立ち上る炎柱、瞬きをした瞬間に消えたそれは何かを知らせる予知だ。無意識に見えた景色は直前に考えていた物事に関する事、仲間に何か起きる事を知らせている。
 辺りを見渡し今見た赤い屋根と似た建物を見つけると征秀は屋根を踏みつけ飛んで行く。赤い屋根に近寄り、路上で複数の敵と戦うテューレンスを見つけた瞬間、彼は口から炎を吐き出した。二人の人を包み込んだ炎は地面に反射し、炎柱となって空へ吸い込まれるように伸びる。
 炎を避けテューレンスの背後へと回る敵を確認した征秀は星杖を構えテューレンスに襲いかかろうとする敵を背中から貫いた。征秀の奇襲に驚いたのは貫かれた敵だけでなく、テューレンスもだ。一瞬目を見開きぱちくりと瞬きをしたが、挨拶をする暇は無い。テューレンスが征秀を押し背後へ飛び引くと2人がいた場所に鎖鎌の刃が落ち、征秀の前髪が数本舞う。鎖を掴んだテューレンスが武器を引き寄せようとするが横から攻撃され、手を離してしまう。
 敵は3人味方は2人、なんとかして対等にすれば勝そうな状態に違和感を感じた征秀が横目でテューレンスを伺えば、彼も視線を動かし、予知の原因を教える。視線を追い敵とは違う装いで倒れている2人とセクタンを確認した瞬間、空からワームの奇声が聞こえ征秀は舌打ちをする。
 ワームまで参戦する前にもう一人倒すか、せめて怪我人の治療をしたい2人が必死に戦うが、敵も簡単には倒れてくれず、ワーの声がどんどん近づいてくる。赤い屋根の上にワームが到着しその大きさと数の多さに征秀が再度舌打ちをする。どうするか考えるより何とかして倒さねばと思ったテューレンスと征秀が武器を構え直すと、ワームの更に上空に千志が現れた。高いところから飛び降りる様に千志が一体のワームへと降り立つと、ワームの身体から無数の刃が突き出し、耳を劈く奇声が響く。耳を劈く奇声に身を竦ませながらテューレンスが炎を吐くと、千志は炎の側に寄り建物に自身の影を大きく写した。炎の明るさに影響し外壁から屋根へと広がった千志の影からナイフや槍、刀の様な無数の刃が伸び、ワーム達に突き刺さる。
 千志が自身の影から攻撃できると理解した征秀とテューレンスは目の前の敵と戦いながら炎や魔法で明かりを作り出し、千志の影が大きくなるよう援護する。すこしでも早く、一匹でも多く片付けようと必死に戦っているとテューレンスの耳に新たな足音が聞こえる。
 また増援かと焦り振り返るが、そこにいたのは健と終だった。2人と視線を合わせたテューレンスが怪我人の存在を知らせるとると、状況を把握した彼等は戦いに参戦せず負傷者を物陰へと連れ込んだ。
 最大の不安要素が消えた事で征秀とテューレンスは心置きなく戦闘に集中し始める。



 健と協力し簡易担架を使って負傷者を物陰に移動させた終は雪に桜を散らし、延命処置を施し始める。
「こちら健、重傷者2名、戦闘継続中! 誰か搬送を手伝ってくれ!」
 羽に叫び、健が戦いの様子を伺うとテューレンスがこちらに向かっているところだった。
「健さん、明かり、あったよね。千志さん、影で攻撃、影が大きいと、強くなる」
「了解ッ!」
 ガスマスクを装着した健は白衣の中から閃光弾を取り出し、千志と建物の位置を確認してから空高く放り投げる。目が眩む光がカッと輝き、千志の影は瞬間的にあたり一面を覆うほど広がった。その一瞬の間に無数の刃がワームを貫いたらしく、視界が戻る頃にワームは一匹も飛んでいなかった。
「すごい、ね」
「うん、想像以上」
 一瞬のできごとについ呆けた声が出た。
「アコルが今そっちに向かってるわ、もう少し待ってなさい」
 フカの声で我に返った健たちは征秀と千志が鎖鎌と鉄球を持った旅団を誘導しているのを見る。クリスタルパレスとは別方向へ移動しており、ここから搬送するのも楽になりそうだ。終の延命処置を手伝い、テューレンスが小さな小さな音で笛を吹くと、音色に合わせて歌声が聞こえ出す。
「あ、見つけた! ねーねー、キューブ頂戴!」
 どこからか現れたメアリベルは両手を出し、キューブを強請る。
「すまん、これしか手持ちがないんだ」
 誤りながら建がキューブを差し出すと、大した手持ちでも無いがそれで良ければと、治療を終えた終がキューブを差し出す。2人からキューブを受け取ったメアリベルがテューレンスを見ると彼もまた、手持ちのキューブを全て差し出した。
「少しでも、力に、なれれば……」
「うんうん! いっぱい集まったよ! でももっと必要だよ! ね、ミスタ・ハンプ」
「今からまた戻るのか? クリスタルパレスまで一緒に行くか、途中まで送ろうか?」
「まだ見てない場所あるから、もうちょっと集めるの、ありがとねミスタ」
 スカートを持ち上げ挨拶をしたメアリベルはぬるりとでてきたアコルにも怯えずまた楽しそうに歌いながら歩き出す。
「待たせたの。ちぃとばかり人数が多くてな、すまんが誰かクリスタルパレスまで同行してもらえるかの? フカの援護もあるし、大丈夫だとは思うのじゃが」
「すまない、俺は行く場所がある」
 どこか申し訳なさそうに終が言う。
「テューラ、行くよ」
「俺もだ。そっちも気をつけていけよ」
 軽く頭を下げ、終が飛んで行くのを見上げるとアコルは羽に向かって語りかけながら移動を始める。
「重傷者回収完了じゃ。重傷者2名、軽症者4名、投降者4名に増えてこれから画廊街の裏通りに入るとこじゃ。このまま真っ直ぐ向かう予定じゃよ」
「了解だ。その先でヴィクトルと華月が防衛戦をしている。負傷者搬送に迎えも待機させておくよ。気をつけて」
 イェンスの返答に安心し、彼等はクリスタルパレスへと急ぎ向かった。



 骨の折れる音と筋が切れる音は、どうしてこんなにも耳障りなのかと、ふと考える。加害者の俺と被害者の相手にだけ聞こえる、砲撃の音よりも大きな音は、掌から脳へと直接届いている気すらしていた。ばぎん、と肉の内側で弾ける爆竹の様な感触と音は〝 取り返しのつかないことをしているのだぞ〟と言う警告音なのだろう。
 命を奪えば奪うほど、自分の背負う十字架の重みが増していく様に感じ翼が重くなる。ジリジリとした焼ける様な怒りは思考も身体も支配し痛みを増すが、その苦痛は目の前の敵を倒すという原動力へと変え、千志は侵略者を仕留め続ける。
 大義名分など関係ない。弱者を害する者はすべて「悪」という信念の元、仲間を救う為に同胞を手にかけてここまで来た千志にとって、この侵略行為は悪そのものだ。一度は折れかけた信念であっても、この現状を許す余地などはなく、これを許しては、今まで自分が貫いてきた道がすべて無意味になる。それは、それだけは絶対に許されない。
 崩壊した建物の瓦礫を持ち上げナレンシフへぶつけると、傾いたナレンシフから大勢の旅団が飛び出し、襲い来る。逃げるふりをして敵に自分を追わせ一塊にし、影の上へと誘導すると外壁に伸ばした影を細かな刃に変え、全てを飲み込む雪崩の様に敵を巻き込み、潰す。潰しきれず接近して来る敵は手負のせいか動きは鈍く、手元の影刀でばさりと斬り捨てる。
 逃げる敵影を追い千志が墜落したナレンシフの中へ侵入すると、涙に濡れ怯える10の瞳が出迎えた。逃げ込んだ敵は床に倒れ、致命傷を追っていたのかピクリとも動かない。その奥で、身を寄せ合いカタカタと震える手で小さなナイフを差し向ける者がいる。手負いの獣のようにふーふーと息を吐き、千志を睨みつける者に、殺意はある。しかし、恐怖に怯え生きる事に執着したからナイフを向けているだけに見え、戦意があるとは言い切れない。
 怒りに全てを任せ振り上げた拳を千志は壁に打ち付ける。大きな音を立てべっこりとへこんだ壁に、敵は大きく身体を跳ねさせた。ナイフを向けている以上攻撃の意思がある、しかしこのまま彼等を殺しては、それこそ自分の信念を裏切る事になるのではないか。そんな問答がぐるぐると脳内を駆け巡る千志に、か細い声で「たすけて」という命乞いの声が聞こえた。壁にめり込ませた手に力を込め、壁を取り外すと力任せに外へと放り投げる。ぽっかりと空いた穴から冷たい風が流れ、人が駆けつける声を届ける。
「大丈夫かい?」
 イェンスの心配そうな声が響くが、千志は返事もせず顔を上げないままだ。中へ入ってきたイェンスは一瞬驚きに目を丸くし、千志と敵を交互に見る。
「……投降者、でいいのかな?」
 優しい声で問われ、ナイフの落ちる冷たい音が響くと千志は任せる、と小さく呟きナレンシフを飛び出していく。戦いへと飛び込んでいく千志の背を見上げ、イェンスは落ち着いた声で羽へ語りかける。
「……イェンスだ。旅団より投降者5名、今からクリスタルパレスへ連れて行く。戦闘は難しい為援護を頼みたい。場所は……すまない、崩壊が酷くて目印になりそうなものがない。上空で千志が戦っている近くだ」
 言いながら、イェンスはもう一度空を見上げた。



「狙撃くるわ! 下がって!」
 華月の叫びに数人の仲間が飛び引くと彼等と入れ替わり華月が一歩大きく前にでる。五芒星の浮かぶ漆黒の槍をバッドの様に構え、力いっぱい振り切り砲弾を打ち返せば、大きく弧を描きナレンシフへと返され、爆発する。どこからかホームランという男の声が聞こえ、華月がびくりと身体を跳ねさせると、ヴィクトルや傷だらけの仲間達は楽しそうに笑い、また戦いへと戻る。冗談めかして笑いはしても負傷した身体を引きずり戦う顔や動きから疲れは隠せない。
 華月とヴィクトルがいるのはクリスタルパレス周辺の結界より少し先、店の机や椅子、崩壊した建物の瓦礫を使いバリケードを作った、いわば避難所の防衛最前線といったところだ。360度ぐるりと出入り自由な避難所では敵の進行を防ぐのに難しい。ならば、あえて目立つバリケードを作りそこが出入り口だと知らしめ、敵を誘導する。堅牢な砦も難攻不落の城も、侵略する際に人が一番集まるのは出入り口だ。囮となる者の生命に保証もなく、過酷な前線となるが、結界とその内部の安全はますだろう。
 ボルツォーニはそう語ったきり口を噤んだ。誰も命令されたわけではない。提案を聞いた者が自主的に動き、それを聞いた者がまた手伝いバリケードを作っていたら本当に敵が寄ってきたのだ。殲滅し、バリケードを増やし、また集まってきては戦う。 敵も投降者も集まった為、偽りの出入り口は本物の出入り口へと変わった。
 人と接するのが苦手な華月は始め、後方での援護に専念していた。時間経過と共に敵が増え、負傷者が増えたあたりで彼女は前線へと身を投じる。
 苦手だとは、今も思っている。ふいに男の声が聞こえれば緊張で飛び跳ねてしまうし、ヴィクトルの攻撃に合わせて行動する事はできても、誰か一緒に行動しての攻撃はテンポが合わず上手くいかない。しかし、傷を負っても戦う仲間を見て、崩壊してゆく街を見て彼女はどうしようもない息苦しさを感じた。
 0世界に来てから、華月はずっと何をしていいのか、どうしていいのか解らずただぼんやりと日々を過ごしていた。外に出るようになったのも、依頼を受けるようになったのも本当にごく最近だ。
――やっと、やっと前に進み始める事ができたのよ――
 まだ0世界に愛着は湧いていなくとも、このまま壊されるのは嫌だ。
 華月は槍を構え、力強く地面を蹴って飛び上がった。



 一人郊外へと来たアコルは路上に立ち尽くす男を見つけ、様子を伺える屋根に頭を置く。周囲に人影はなく、あたりは静かなものだ、銃弾の跡が残る外壁、切りられた街灯、戦火の過ぎ去った場所には息絶えた骸がいくつか転がり、周囲の色はまた褪せてない。
 男は雪崩後の様に山となった瓦礫の前に立ち尽くしていた。苦しい戦いがあったのだろう。血に汚れボロボロの姿で折れた剣を手に握ったまま、憔悴しきった顔で呆然と瓦礫から伸びる手を見下ろしている。
「お前さんの連れかの」
 手の霊体を見つけ、アコルが声をかけると、霊体は静かに頷く。話す事も触れる事も適わぬと、死んでしまった事実の嘆きがアコルに伝わってきた。
「確かにお主は死んでしもうた。もう魂だけの存在じゃ。……じゃが、嘆く前にできることがあるじゃろう?」
 死した自分にいったい何ができるというのか、霊体の問いにアコルは言葉で答えるのではなく、彼に仮の肉体を与える。
「これでお前さんは生者に見てもらえ、話すことができる。
まだ生きている者達を、お主が大切に思っている者達だけでも構わぬ。安全な所まで助けてやってくれんかのぉ?」
 それだけ伝え、アコルは大きな体をゆらりと動かしだす。
 仮の肉体を手に入れた霊体が名を呼ぶと、立ち尽くしていた男の手がぴくりと動く。油の切れた機械の様に、ぎこちなく振り返った男は霊体の姿を見、汚れた顔に一筋の涙跡ができる。
 あとは、彼ら次第。一人生きるのか、共に逝くのかは彼ら決める事。アコルは死した図書館所属の霊を見つけては、彼らに仮の肉体を与え、頼み続けていく。



 骨董屋白騙へとやってきた終は、がらん、とした店内に立ち尽くす。所狭しと並んだの品々は勿論、ゴミ一つない店内で小さく店主の名を呼ぶが、返事はない。屋根や外壁は少し壊れていたが建物は無事で、略奪が起きた痕跡もない。店主だけなら避難したと思えるが商品が一つもないのはどういうことか。
「槐、さん」
 もう一度、店主の名を呼ぶ。空っぽの店内に投げかけられた名前は何処にもたどり着かないまま、消えていく。外の喧騒が嘘の様に静まり、終は腹の底から嫌な考えが膨れ上がる。
「いないのか、槐」
 三度、 終にしては大きい声で店主の名を呼ぶと裏庭からガタガタと音が聞こえだす。旅団かもと警戒した終は長柄斧を手に裏口を睨む。
「――ああ、いらっしゃい」
 顔の右半分を仮面で覆う店主は何時もと同じ言葉で終を迎え入れる。ケガどころか汚れ一つ見当たらない、店主の変わらぬ姿に終は安堵する。
 店主が言うには、店の裏手にある蔵が独立したチェンバーになっており、商品を全て片付けて避難していたという。身一つならまだしもいつか誰かの元へと届けられる商品をほったらかしていく訳にもいかなかったとも、教えてくれる。しかし、と言葉を繋ぎ、店主が軽く笑うと終は不思議そうに店主を見やる。
「いえ、こんな状況で来てくださるとは思いませんでした。ありがとうございます」
 店主にそう言われ、終が返答に困っていると羽から終の名を呼ぶ声がする。少々カタコト気味のぶっきらぼうな声は、玖郎だ。頼みがあるという玖郎の言葉が聞こえる羽と店主を見比べ、終は軽く頭を下げると急ぎ店を後にする。
「またお越し下さい」
「あぁ、また来る」
 最後だけ、終ははっきりと返事を返した。



「敵機が開き兵の出る気配を察すなど、おれが機に応じ鳴いて合図するゆえそこを極限まで冷却してほしい」
 羽から届く玖郎の声に耳を傾け、終は空へと駆け上る。
「敵との距離が欲しくば、おまえの吐息を風ではこぶ。さすれば霧に浸った兵も敵機の内部も、ただではすむまい。それでも落ちぬものには、おれが雷を当てる。たのめるか?」
「一機ずつ確実に仕留める、という事でいいか。雪の作りやすい環境を整えて貰えれば、効果を広範囲に渡らせる事も可能だが」
「それは、こういうことでいいかい?」
 羽からではなく、リュエールの肉声が聞こえ終が顔を上げる。じっとりと水の気配を感じる程の霧が広がり、離れた場所にいるナレンシフを包み込む。爆弾の導火線のように目の前へと伸びた霧に終が息を吹きかければ、霧は瞬く間に凍り、ナレンシフを氷漬けにする。
「一掃したいと思っていたんだ。よければ協力させてくれないか」
「強力すぎて仲間も巻き込みそうだ……」
「ふむ、水を減らせば反撃の余地も与えてしまうし、瓦礫を転移しているから霧を出す事しか手伝えないな。とはいえ、もう一人協力者を頼むのは……」
「戦力はこれいじょう減らせぬ」
 遠く、雷を轟かせながら戦い続ける玖郎の姿を見て終とリュエールは考え込む。霧に包み込み冷却するこの作戦は霧という罠が目に見えてしまう事も有り、奇襲として使えるのは一度だけだ。故に、最初の一手でいかに多くのナレンシフを霧の中に閉じ込めるかが鍵となる。敵に感づかれない事も大事だが、いつ戦況がひっくり返されるか解らない状態ではこれ以上人手を割くわけにもいかず、三人ともナレンシフと戦いながら行動を起こさねばならない。
「アド」
 沈黙を破り、玖郎は司書の名を呼ぶ。
「風をたのむ」
 それだけ告げ、また長い沈黙が流れる。さすがに説明なしでは相手も困るだろうと終が今話した内容をアドに説明しはじめた。うまくいけば戦況を大きく動かすことになる作戦だと付け加え、終が言葉を止めると、リュエールはにこやかな微笑みを湛え、ナレンシフをチェス盤へと転移させはじめた。
「了解した」
 掠れた声が聞こえ、ゆったりとした風がリュエールと終の髪を揺らしだす。渦を巻くように吹く風が淡い桃色に色付き始めリュエール手が包まれるとぽん、という可愛らしい音を立ててフリルが着いた。
「はは、こういった遊び心もいいものだな」
 嫌がる素振りもなく、リュエールは桃色の風に霧を載せ始める。
「ふ、ふざけんな! 俺達まで巻き込む気か! 死ぬぞ!」
 主に心が、という叫びはぐっと堪えたが、ミケランジェロの言葉によって桃色の風にゲールハルトの魔女っ子効果があると察した仲間達は急ぎ風から離れ出す。「じ、冗談じゃない」「こっちくんな!」「むりむりむり! ほんとむり!」
 旅団の者達は慌てて逃げ惑いだした彼らに一瞬呆けたもの追撃のチャンスだと思ったのだろう。自ら桃色の風へ飛び込み、フリル満載の魔女っ子へと変身してしまう。あちこちで驚愕の声があがり、ナレンシフにすら可愛らしくデコる桃色の風は殺傷能力がないにも関わらず戦場を混乱させた。
 期せずしてミケランジェロの叫びは彼らに間違った情報を与える。巻き込むな、死ぬぞという叫びを聞いた旅団の者たちは一瞬に魔女っ子へと変身させる桃色の風にそれだけの効果しかない筈がない、と次第に怯えだし、自然と霧の中を逃げ始めた。予想以上の数が霧へと逃げ込み、想像以上の好奇が訪れたのだが、玖郎がここまで狙っていたかどうかは、定かではない。
「意識不明者3名負傷者1名がいる! 搬送の援護を頼みたい! 閃光弾を放つからそれを目印に来てくれないか!」
 羽から健の叫びが、次いで了承の声がするのを聞きながら、玖郎は雷を放ち敵を霧の中へと押し込む。
「カウントする! 3!」
「終、あれにあわせろ」
「わかった」
 リュエールは持ち上げた瓦礫をあえて桃色の風に触れるよう投げ、変化する様を見せつけ敵を尻込みさせる。
「2!」
 ナフィヤと清闇は翼を羽ばたかせて桃色の風を送り込み、フカとヘルは威嚇射撃で彼らを外に逃さないよう援護する。
「1!」
 地上付近でカッ、とフラッシュのような発光がする。何が起きるのかと戦々恐々としていた旅団の者が一斉にそちらを見た瞬間、終は吐息を風に乗せた。細く長く、ふぅと優しく吐かれた息に桃色の風がくるりと渦巻き、氷った。



 最後の一人が倒れると、建は膝から崩れ落ち地べたに座り込む。荒い呼吸に合わせ二の腕が痛むのを感じ、白衣の内ポケットからハンカチを取り出すとナイフで小さな切れ込みを入れ引き裂く。包帯がわりに二の腕に巻き傷口を覆うと布端を歯で咥え、力いっぱい引き絞る。
「鍛え方が、足りなかった、かな」
 飛行能力で移動には困らず、簡易担架で荷物も人も楽に運べるとはいえ、人を探し、叫び、戦い、時に逃げまくりクリスタルパレスと街を何度も何度も往復していれば、当然体力はなくなってくる。しかし空にはまだ多くのナレンシフが見え、戦いはまだまだ終わりそうもない。
「今襲われたらアウトだな。とりあえず、誰かと合流して……ん?」
 ふいに、誰かの声が聞こえた気がして建は慌てて立ち上がり耳を澄ます。人影でも見えないかと辺りを見渡していると、気のせいかと思うほどに小さな、助けを求める声が聞こえ健は地面を蹴って飛ぶ。敵に見つからないよう気を配りながら、屋根に隠れ声の主を探すと、臣を見つけた。屋根を蹴る勢いで加速を付け臣の元へと降り立つ。負傷している臣に手当をしようとするが、それよりも、と彼女は健の手を引き、奥を指差す。そこにはセルゲイ、セリカ、友護の3人が倒れていた。慌てて駆け寄り声をかけるが反応はなく、3人とも意識を失っているようだ。怪我もしており、急がねば生命に関わるかもしれない。
 搬送の援護を頼もうと建が空を見上げると、多くのナレンシフがおかしな動きをしていた。雲行きも怪しく、また大きな攻撃でもあるのだろうかとあちこちに視線を巡らせるが見える範囲に味方は見えず、場所がわかるような目印もない。臣は背負うとしてもだ。簡易担架があるとはいえ大人3人を一人で運ぶ事など無理だ。襲われたらひとたまりもない。
――どうする、どうする、どうする――
 空には大量のナレンシフ、味方なし、負傷者に意識のない仲間。建は白衣の内側にある武器を確認すると、最後の閃光弾が目に留まる。使えば味方は見つけやすい、しかし、敵にも見つかる。もし、敵が先に、大量に来てしまったら、援軍が来るまで自分だけで守りきれるのだろうか。しかし、もう悩んでいる暇もない。建は歯を食いしばると白衣の内側から最後の閃光弾を取り出した。
「意識不明者3名負傷者1名がいる! 搬送の援護を頼みたい! 閃光弾を放つからそれを目印に来てくれないか!」
 1人、2人。予想以上の返事に健は改めて覚悟を決める。
「カウントする! 3! 2! 1!」
 大きく振りかぶり、力一杯閃光弾を空へ放つと、健は直ぐに武器を手に、あたりを警戒する。
「頼むぜ……」
 睨み付ける様に空を見上げていると、白く光る物が見える。閃光弾の光とは別の光は次第に大きくなる。ゆっくりと、川のせせらぎのように穏やかに広がり伸びていく様は空に広がるせいか天の川の様だ。
「待たせたね」
 声がしイェンスと華月が駆け寄り簡易担架を広げれば、空から篠、征秀、カールが降り立ってくる。6人は手際よく3人を簡易担架に乗せ、健が臣を背負うとクリスタルパレスへと出発する。
 ごき、ばきと硬いものを力任せに折るような音が空から振り、見上げれば氷漬けになったナレンシフが塊となって雪のように降ってくる。ミケランジェロは街中に描いたタグに力を込め、街を全て包む結界を展開するよう試みる。しかし、描いた外壁が壊された部分も多々あったらしく、結界は未完成の状態で現れる。しかし部分的に張られた結界はハニカムタイルの様にも見え、未完成でありながらも一種の芸術品でもある。
 氷塊に追われる様に6人が駆け抜けていると、大きな影が彼らを包み込む。見上げる暇もなく、前方に墜落した氷塊が行く先を塞いでいるが、誰一人足を止める者はいない。無数の金属片に囲まれた歪が空から氷塊へと降りてくる姿が見えたからだ。高い音が聞こえ、氷に包まれたナレンシフは切り刻まれトンネルの様な穴がぽっかりと空いた。
 6人がトンネルを通り抜けると歪が後に続き、ナレッジキューブを要求する。
「頼むよ。気をつけて」
 走りながらイェンスと華月がキューブを渡す。仲間達に守られクリスタルパレスのバリケードが見え、メアリベルとテューレンスが手を振っていた。



 ばらばらと落ちる氷塊を眺めていると、バリケード周辺が騒がしくなり、ボルツォーニは視線をそちらに向けた。
 簡易担架をもった6人の元に人が集まり、重傷者を搬送する。
――頃合か――
 メアリベルと歪が集めたナレッジキューブを一纏めにしているとちょいちょいと裾を引っ張られた歪が足元を見る。動きに釣られ、メアリベルも下を見ると、影の中からボルツォーニの使い魔が顔を覗かせていた。影はボルツォーニの足元から真っ直ぐに伸びている。
「びゃぅあ」
 一鳴きした使い魔は影の中から大量のナレッジキューブを差し出す。
「わぁすっごい量! ミスタ、ありがとう!」
 メアリベルが腕を大きく振り上げると一緒に殻の割れたミスタ・ハンプがぶらんと揺れる。どこかに落としてきたのだろう、空っぽの中にメアリベルがキューブを詰めれば、使い魔はどんどん影からキューブを取り出す。
「こんなにいいのか?」
「蓄えは有事の為にあるものだ」
 簡素な返事に歪は頭を下げ、メアリベルと共に大量のキューブを抱えて走り去る。少しすれば『レディカリスの首飾り』が発動するだろう。
「医療部隊がきたぞー!」
 2人と入れ違いで医療部隊の訪れが知らされ、わっと歓声があがる。
 事態が好転したわけではない。しかし、医療部隊が救出され、到着したという事実は皆の顔に明るい色をもたらした。良い風は世界図書館に吹き出したのか、医療部隊に続き、旅団の捕虜を4人連れた一団が戻ったのを見たボルツォーニは空を見上げ、敵の動きを待つ。
 基本戦力は同等だが先手を取られた以上、敵の方が些か有利な戦の始まり。その上防衛を意図した造りでない世界図書館では地の利を活かすのも難しい。まずは足場を硬め、皆の士気を上げねばならなかった為、ボルツォーニはバリケードを提案した。
 戦えぬ者の心は弱く、戦況が見えない状態では本当に自分たちを守っているのか、と疑心暗鬼になり状況を悪くする。本当に守っているのか、戦っているのか、逃げているんじゃ、こっちばっかり辛いんじゃないか。一人疑惑を吐き出すだけでその悪意はあというまに感染し、味方の足を引っ張り出す。敵を一箇所に纏める目的で作られたバリケードには、目に見えて味方を安心させる効果も隠されてたのだ。念の為を想定しボルツォーニはここに留まり続けたが、幸い、己の事だけを考える愚かな者はおらず、結界が壊される事もなく、避難所は比較的平穏だった。
 ボルツォーニの視界に大型ナレンシフを守るように小型ナレンシフの集まる様子が映る。大打撃を受ければ、方々に散らばっていたナレンシフが集まり、隊列を立て直す。その場所を予測しずっと見上げていた彼は、想定通り指揮官がいるだろう大型ナレンシフが訪れた事に満足し、音もなくその姿を消した。



「急ぎ集まって隊列を組み直せ! あの風には何の効果もない!」
 大型ナレンシフの中で指揮官の男が叫べば、通信機から声が届く。ただの風にびくつき、一気に仲間を失った旅団は怒声を飛び交わせ、世界図書館への怒りを燃え上がらせる。
「前方、敵影接近!」
「撃ち落とせ!」
 黒衣の男へナレンシフが一斉に砲撃を開始する。男が腕を振ると、何も持っていなかった筈の手に日本刀が現れ、飛んでくる砲弾を足蹴に軽々と宙を駈け上がってくる。掌に握れる程の銃弾も彼より大きな砲弾も両断し、足場にする黒衣の男に、集まるナレンシフが隙間なく砲撃を続けるが、当たらない。一発も当たらないのだ。黒衣に掠りもせず、そのくせ攻撃もナレンシフも両断されていく。次第に指揮官は恐怖より怒りがこみ上げ、通信機に叫び援軍を要請する。
「もっと集まれ! 仕留めろ!」
 数を増やし、弾を増やし爆発の煙があがると、黒衣の男の動きが変わる。真っ直ぐに駆け上っていた黒衣の男が弾を避ける度、手にした武器が変わっているのだ。日本刀から変じた異形のロケットランチャーが火を噴いたと思えば、更に巨大なミサイルコンテナへと変形しナレンシフに風穴を空ける。弾を撃ち移動する男を複数のナレンシフが追い、黒衣の男が煙の中へ消えていく。黒衣の男が出てくるだろう場所にナレンシフが先回りすると、煙の中から出てきたのは二つの回転翼を持つ軍用機だ。予想外の物が出てきた為、先回りしたナレンシフは撃ち落とされる。砲撃しながら別の機体が近寄りすれ違えば、背後にいるのは黒い機体の戦闘機だ。
「どうなってる! どうやったら手持ちの武器があんな風になるんだ!」
「いいから撃ち落とせ! 狙いがでかくなったのになぜ当てられない!」
「消えるんだよ!」
 悲鳴のような叫びが、絶え間なく通信機から聞こえ出す。
大型ナレンシフの画面には墜落する機体ばかりが映し出される。全方位、その全ての画面に黒衣の男が現れては、様々な武器を使いナレンシフを撃ち落とし、消えていくのだ。
「レーダーにも映らない、生体反応もない、サーモグラフィーも役たたずだなんて、冗談じゃない!」
 怒りに任せガン、と画面を叩くと、男の姿が消える。
「どこだ、どこにいった」
 画面に映るのは落ちていく機体ばかりだ。操作盤を動かし、遠くにいる仲間の機体やビスマルク、ノエル積雲、ナラゴニアと空に浮かぶもの全てを映し出しても、黒衣の男は見当たらない。
「どこだ……なんで……こんなに静かなんだ」
カタカタと操作盤を動かす音しか聞こえず、指揮官は思わず声に出して言う。画面に映る映像を何度も変える度、反射される自身のひどい顔が目に入り、乾いた笑いを漏らす。
「ありえない……ありえないんだ。そうさ、いるはずがない」
 黒衣の男はこの機体を狙っていた筈だ。真っ直ぐに、こちらに向かって駆け上がっていたのだ。当たり前だ。指揮系統を破壊するのは、戦略として当たり前の事だ。だが、
「写ってないんだ。だから、いないだろう、な、そうなんだ気配もない、誰も、ここには誰もいないんだ」
 自身に言い聞かせる様に呟き、指揮官はゆっくりと後ろを振り返る。
 黒衣の男が、そこにいた。



 盛大な爆発がおき、爆煙が空に広がっていく。もうもうと立ち込めた煙が薄くなり、青空が広がるとコートの裾をはためかせたボルツォーニがそこにいた。
「いまだろ」
 不敵に笑い、ミケランジェロはクリスタルパレス天井に手を置く。太陽の光を遮らず店内へと届ける、美しい硝子天井が一瞬発光し、ミケランジェロの絵に命が宿る。あちこち壊された街の中で一番広い場所が、クリスタルパレスの天井だった為、ミケランジェロは透明スプレーで竜を描いた。クリスタルパレスの硝子天井と同じ透明の竜が空へ飛び立ち、わぁ、と歓声があがる。
「なんと美しい、まさに水晶竜と言えよう」
 ヴィクトルが溜息混じりに感嘆の声を漏らすと、水晶竜に呼応するように巨大な黒龍が現れる。皆が空を見上げ指をさして声を上げる中、地上から空へと上る蛇龍、アコルの姿も見え、歓声はさらに大きくなる。
「おぉ、おぉ! 素晴らしい、なんという事だ! アコル殿だけでなく、このような、この様に多くの竜と出会えるとは!」
 ヴィクトルは両手を広げ空にいる竜たちを称える。夢のような、奇跡のようなできごとにヴィクトルは昂ぶった気持ちを抑えきれず、自身も竜の姿へと変貌を遂げた。
「竜を愚弄した罪、存分に味わうがいいッ!」
 いかに広大な空とはいえ、巨大な竜が4体もいる中では自前の翼をもち飛びなれている者以外、近寄るべきではないだろう。多くの者が援護に徹し、応援の歓声を上げた。




 最初に誰が気がついたのかは、解らない。
 しかし、嘗ての世界では神と呼ばれた者、神に近しい者、世界に愛された者たちは気がつきだしていた。
 異世界の蛇神、精霊に愛された黒龍、芸術と人を愛し神の座を捨てたアーティスト、不死者の頂点に並ぶ長老。
 戦いの中にありながら、彼等は動きを止める。次いで自然と共に生きる者と魔道士や魔法使い、剣士や戦士、兵士達が。長く戦いに身を置いてきた者達が怪訝そうな顔で辺りを探りだし、戦いとは無縁の、退避している一般人すらも、不安そうに辺りを見渡し始めた。
 言い様のない圧迫感を感じる世界図書館の員と同じく、多くの旅団員も動きを止めていく。その顔は目を見開き恐怖に怯え、しかし、口端は勝利を確信したようにつり上げている、歪な表情だ。
 波一つない水面に一滴の雫が落とされた様に広がる静寂は、ほんの数秒の事だ。手に持っていたナイフをうっかり落とし危険を感じた瞬間の、あのぞくりとする危機感。それを誰もが感じ取り自然と空を、青空に浮かぶ〝彷徨える森と庭園の都市・ナラゴニア〟を見上げる。
 大地に伸びる筈の根が行き場を失い幾重にも絡み合う。動く筈のない根は生き物の様に、擬態して気がつかなかったイモムシが蠢いた様に見えた。そう、気がついた時には頬を風が突き抜けていく。


 誰も、逃げろとは言わない。
 世界と世界がぶつかるこの戦場で、いったい何処に逃げろというのか!


 君は覚えているだろうか。この戦いが始まるきっかけとなった、ホワイトタワーの襲撃を。崩壊するホワイトタワーからコタロ・ムラタナによって救出された魔法少女が語った、彼女たちの故郷たる世界を滅ぼした時の事を。
 彼女は言った。
「空を埋め尽くしたワームの群れとナレンシフの大編隊の事を」
 そして、彼女はこうも言った。
「世界樹の根が下ろされ、世界が吸収されてゆく光景を、よく覚えています」
 目の前に広がる光景はまさにそれだ。
 ナラゴニアから伸びる幾つもの木の根は深々とターミナルに突き刺さり、貫き、絡みついていた。


クリエイターコメントこんにちは、桐原です。この度はご参加ありがとうございました。

今回は沢山のリンク、コラボをした為、このような形となりました。

まだまだ終わりではありません。
引き続き、頑張りましょう
公開日時2012-09-18(火) 00:00

 

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