その日、《赤の城》の書斎――館長後見人エヴァ・ベイフルックの執務室を、三人の男が訪れた。「カリスさま……! 大変です」「カリスさま、カリスさま、どうしましょう、その……、お客様です」 フットマンたちが、息せき切って駆け込んできた。あろうことか、蛙の意匠のフットマンは丁重に整えた髪を乱しているし、魚の意匠のフットマンは扉を開けるなり、咳き込む始末だ。 彼らには、いついかなるときも沈着冷静な対応を心がけるようにと指導してきていたし、彼らは十分、その期待に応えてくれもしていた。 その彼らが来客の取り次ぎ程度で、このように慌てふためくとは。「何ごとです」 レディ・カリスは、手にした未開封の紋章入り封書――ナラゴニアの人狼公から届いた親書だった――と、象牙のペーパーナイフをいったんデスクに置き、顔を上げる。 ……そして、合点がいった。「やあ、エヴァ。仕事中、申し訳ない」「忙しそうだね。相変わらず頑張り屋さんだ」「………あー、突然すまんな。この兄さんたちに、一緒に来てくれと言われてな」 見ればロバート・エルトダウンが頭を下げているし、その隣では、ヘンリー・ベイフルックが苦笑しながら名刺を取り出している。さらには、ドンガッシュが、なぜ俺がここにいるんだろう、と、いわんばかりに、所在無さげに立っているではないか。 ヘンリーが差し出した名刺には、「ヘンリー&ロバートリゾートカンパニー(仮称)」とあった。 いったいどういうことですか、と、カリスが目線で問うのと同時に、ロバートは分厚い企画書を、カリスに手渡したのだった。 ――ロストナンバーのメンタルケア及び、異世界への理解と適応の可能性を探る事業について「……これは」 さっと目通しして、カリスは考える。この企画書が示唆する事業の意味と、無限の選択肢を。「おふたりが責任者となり、福祉事業を展開なさるということ?」「そんな大仰なものじゃないよ。それに、大上段に慈善事業めいた理念を振りかざすつもりもない。これでも僕は事業家の端くれなので、採算度外視ではいつか行き詰まることを経験上知っているのでね」 しいて言うなら、滞在型リゾートに特化した旅行会社かな。参加者にも費用は負担してもらうし、受け入れ先にも相応のメリットがあるようにしたい、と、ロバートは言う。「『テストケースとして、ヴォロスの《仙薬の都ヴァイシャ》、通称『薬都』の《鏡の湖畔》に、ヴィラを建設予定』……これを、ドンガッシュさんが担当なさるのね」「しゃれた建物は不得手なんだが、こっちの兄さんが設計と内装は自分がやるから、と言うもんでな。まあそれなら、と」 ドンガッシュは、ヘンリーに向かって顎をしゃくる。「旅人を癒したり、自分を見つめ直したり、何らかの寄りどころを探すきっかけになる場所――考えてみれば、そんな建築を手がけたことはなかった気がするんだ。それを、100年ぶりにやってみるのも悪くないと思って」 下調べに訪ねてみたんだけれど、とてもいいところだよ、と、ヘンリーはやわらかに微笑む。「湖は綺麗で澄み切っていて景観も素晴らしいうえに、固有種のニジマスや大粒のシジミが獲れるらしい。湖畔はちょうど、アーモンドの花が満開だった。薬草研究の施設が近くにある地の利を生かして、ヴィラの周囲には広大なハーブ園を配置する予定だよ」「ヴァイシャは薬効のある植物の研究がさかんでね。大守の娘、フローラ姫は、この地における薬草研究の第一人者だ」 薬都ヴァイシャは、その歴史的経緯をふまえ「竜刻の所有を放棄した街」でもある。 以前、この地域一帯を《薔薇ペスト》が席巻したことがあった。フローラの姉、エレオノールがその病に倒れたとき、フローラは姉の命を救いたいがため、禁じられた竜刻を所有することにより、特効薬完成のよすがとした。 そのとき、竜刻の暴走を止め、フローラに手を差し伸べたロストナンバーたちがいた。彼らの尽力により、《薔薇ペスト》の蔓延は防がれたのだった。「フローラ姫もエレオノール姫も、そのときの旅人たちに大層感謝していて、だからこそ、協力を約束してくれた。大守曰く、もう流行病の心配はないが、人口が激減したこともあって、旅人の長期滞在は望むところだし、もし……、もしだけれども、移住希望者が出てくれれば、ぜひ歓迎したい、ということだった」 いっそ、きみも行かないかい? きっと気に入るよ。 そう言い募るロバートとヘンリーに、カリスは小さくため息をつく。「……趣旨は理解しましたが、あなたがたは……、そんなに、お暇なのですか」=============!注意!パーティシナリオでは、プレイング内容によっては描写がごくわずかになるか、ノベルに登場できない場合があります。ご参加の方はあらかじめご了承のうえ、趣旨に沿ったプレイングをお願いします。=============
Resort1■花と笑顔の魔法 オウルフォームのセクタンがヴァイシャの上空を旋回している。ミネルヴァの眼でこの地を俯瞰したセクタンは、ハーブ園を巡りながらスケッチに励む吉備サクラに、ゆたかな地域情報を伝えてきた。 まぶしいほどの青空に、ひとすじの雲が流れる。 スケッチブックにはすでに、さまざまな花が巧みに描かれている。対象の造形把握に秀でたサクラならではの、たしかなデッサン力だった。 見たこともない花や異境の風物は、意匠デザインの素材の宝庫だ。今後、サクラが作るであろう服に活かすことができる。 「上手なのね」 ひょいと手元を覗き込んだ少女がいた。ロストナンバーではない、この地の住人のようだ。たった今まで、ハーブ園の手入れを熱心に行っていたらしく、手も作業着も泥だらけだが、陽に灼けた顔は驚くほど美しい。 「デザイナーさんなの? ヴァイシャの風物にご興味がおあり?」 「異国意匠は絶対消化して使えますから、少しでも多く勉強したいです」 できれば、ヴァイシャの特色が出ている服もスケッチしたいし、可能なら写真も撮りたいです、と言ったサクラに、少女は大きく頷いた。 「私の衣装部屋の服で良ければお見せしたいわ。滞在中にいちど、大守館にいらして。エルと約束した、って言えばわかるようにしておくから」 彼女が、フローラの姉、エレオノール・ヴァイシャであると、サクラは後ほど知ることになる。 * * 花を見つめるリンシン・ウーの瞳に、涙が浮かぶ。 あまり異世界に出向いたことがない彼女は、ロストレイルに乗り込むときも、この地に降り立ったときも、物珍しさにはしゃいでいた。だが、花の海を眺めていると、故郷の庭園を思い出してしまう。 愛されたいと願ったひとに愛されなかった、あの時間を。 いつか、変われるのだろうか。 故郷に帰って、あのひとに好かれるように頑張れば、何かが変わるのだろうか。 (……いいえ、きっと何をしても、あのひとは私を好いてくれないわよね) 「ごめんなさいね」 リンシンは花に詫びる。あなたたちに罪はないのに泣いたりして、と。 そのとき。 白い薔薇が、差し出された。 ニノ・ヴェルベーナァだった。照れくさそうに笑っている。 「いろいろ、ありがとう」 以前、世話になった彼女への御礼ができないものかと、園内のフラワーショップで購入した薔薇だった。 「ニノさん……」 「あなたの、おかげ、楽しかった」 ニノは、薔薇に直接触れてはいなかった。触れれば、花を無理やり咲かせてしまうことになる。 涙を浮かべたまま、リンシンは微笑む。 白薔薇には、あげパンが添えられており、それもまた、ニノらしくて嬉しかったのだった。 * * 「お花、とっても綺麗」 ゼシカ・ホーエンハイムはハクア・クロスフォードの手を、きゅっ、と、握った。もう片方の手は、キリル・ディクローズに繋がっている。 「ハクアとゼシカと一緒、一緒。うれしい」 キリルは、花の美しさもさることながら、三人での旅を楽しんでいるようだ。 ハクアは無言で、それでも、柔らかく目を細めた。先だって、司書たちによる東京視察が行われたとき、ハクアは急な用事で同行することができなかった。お土産を買って来てくれたふたりに礼を述べながら、この施設の意味を考える。 「メンタルケア、の施設……」 その心が伝わったように、キリルが呟く。 「これからも多くのロストナンバー、出てきてしまうのかな」 キリルは、覚醒後、いろんな――本当にいろんな冒険をした。楽しいことも多かったし、たくさんの人や言葉と出会うことができた。それは素直に嬉しいと思う。 「でも、ぼくはやっぱり、ぼくの世界、世界に帰りたい。別れることになるのは寂しい、けど、じいじに、ぼくが大きくなったところを見せられない、もっと寂しい」 「ゼシたち、いつまで一緒にいられるかな」 ゼシカもまた、その小さな胸のうちに抱えた想いを、伝える。 「ほんと言うと、ずっと一緒にいたい。でも、魔法使いさんもキリルさんも、元の世界に家族がいて、いつかその人達の所へ帰らなくちゃいけなくて……」 (自分はやはり、故郷に帰りたいのだろうか) ハクアの脳裏に浮かぶのは、異母妹の顔だ。思い出のなかの彼女は、最後に会った時から変わらない。 目を伏せるハクアを、ゼシカはそっと見上げた。 涙を、こらえながら。 (……どうしよう。我慢できずに泣いちゃいそう) それでも。 せめて、今、この時だけは。 ――ゼシだけの魔法使いさんと郵便屋さんでいてね。 独り占めして、いいよね。 * * 舞原絵奈は、ひとり佇んでいた。 先日、依頼で赴いたフライジングでの、迷宮で見た光景が頭から離れない。 (あの光景……。たぶん、私の過去に関わっている……。立派なお屋敷が荒れ果てて、血に染まった……、あの) あれ、私がやったのかな……。 自分の過去なんて知らなくていいと、絵奈は思っていた。だが、今は気になる。 しかし、思い出すのは怖い。 同郷出身のあのひとは、多分教えてはくれないだろう。過去の話をしたがらないし、最近避けられてる気がするし。 (……私、本当は、とんでもない極悪人だったのかな……?) こんなこと、誰にも言えない。相談できない。 思い悩む絵奈に添うように、ただ花だけが、風に揺れた。 * * イェンス・カルヴィネンは、過去を思い出す。 ……あのとき。 そうだ、妻への焼けつくような憎悪に囚われた、あのとき。 殺してやる。 ふと、庭を見た。 ふたりで育てた花とハーブが眩しかった。 そして、我に返った。 互いの幸福を願う穏やかなころがあったものを。追いつめたのは自分であったものを。 なのに憎むとは、身勝手な。 妻を助けよう。例え妻が望まなくても。 自分はどう思われてもいい。どんなに辛くても耐えてみせよう。 このままではいけない。妻のために妻を解放しよう。 苦痛は、一瞬だ。 自分の両手を、イェンスは見つめる。 唐突に、何か土産を買おうと思った。 妻と、友人たちのために。 * * 異世界のこととて、この地の植物相は壱番世界のそれとは異なっている……、はずなのだが、それでもなお、よく似ているものも多い。 解毒・消毒用のハーブを少し分けてもらえませんか、と、藤枝竜は打診した。ここに来れなかった友人の、スイート・ビーへの気持ちである。 「ぴーちゃんの毒の体質を、少しでもやわらげられればいいなと思って」 それなら、と、エレオノールが根ごと摘み取ったのはダンディリオン――タンポポだった。 「解毒に優れた効果があるハーブなの。ダンディリオンの根には毒素輩出作用があるから、体質改善に役立つと思うわ。あとは、そうね……」 エルダーフラワーとフェンネルを添え、小さな花束ができあがる。 「ん~、いいかほり~!」 竜はにこにこした。 「御礼にレストランでアルバイトしますね! 料理は得意じゃないけど、いろいろ煮詰めてエキス作っちゃいますよひーっひっひっひ」 【レストランはこちら→】という看板を、旧校舎のアイドル・ススムくんが華麗なポーズで支えていた。 今回のススムくん、全員参加(?)も無粋だろうちゅーことで、150体での控えめ参加である。 ハーブ園にも湖畔にもハーブショップにもレストランにも、あらゆるところにさりげなく出没し、立札と化したり湖畔のベンチと化してうっかりロバート卿が腰掛けたりバンガローの置物になったり手すりになったりラブいカップルに寄りかかられて身動き取れなくなったり各店舗の手伝いをしたり店内の椅子や机になったりなど大活躍だ。 「お疲れさま」 エレオノールがラベンダーの花で愛らしい花冠を作り、1体のススムくんの頭に、そっと乗せた。 * * 「はーぶってどういうものでしょう……?」 ソア・ヒタネは、そっと、レインリィ・エイムズに聞いてみる。 「薬草って思えば問題ないと思うわ」 「薬草、ですか? わたし、あまり馴染みがないので」 「そうよね。私を育ててくれたシャーマンの所にも薬草とかはたくさんあったけど、世界が違うといろいろ差異はあるし」 陳列された商品を、レインリィはじっと眺める。 「でも、お店番て、してみたかったの。頑張って手伝うわ!」 「私もお手伝いしたいです。お勉強も兼ねて」 接客でも力仕事でもなんでもします! と、ソアは腕まくりをし、しゅばばっとタスキがけをした。 と。 さっそく、ジャック・ハートが、土産物の物色にやってくる。 「いらっしゃいませ! どんなものをお求めですか?」 明るくはきはきと問いかけるレインリィに、ジャックは、そうだなァ、と思案顔だ。 「プリザーブドフラワーみたいなのはあるか? ハーブ以外の特産品は?」 「ヴァイシャの特産品はこちらのコーナーになります。プリザーブドフラワーはありませんが、各種ドライフラワーのリースでしたらこちらに。あと、自然素材を使用したアクセサリーなども」 「アクセサリーがいいかナ。木製の温かみのあるバレッタ、ネックレス、ブローチ、イヤリング、ブレスレット……、あぁ、そこのコースターセットもだ。全部別々に包ンでくれ。違う相手にやるンでナ」 「かしこまりました」 「さて、エーリヒはどうすッか……。悪ィ、教えてくれ。5歳の男の子が喜びそうな玩具、この近くで売ってる場所あるか?」 「ご家族へのお土産ですか? すてきですね」 思うところあって、レインリィはふっと淋しげな口調になる。そういうンじゃねェヨ、と、ジャックが返したときには、気を取り直していたが。 少々お待ち下さい、と、レインリィは、ショップの責任者であるところのフローラを振り返る。 エプロンすがたのフローラは「お買い上げありがとうございます」と頭を下げた。 「小さな男の子へのお土産でしたら、こちらの、ヴァイシャ産ヒバを使用した木製ブロックはいかがでしょう? ヒバ自体に殺菌作用があるので衛生的ですし、一緒にブロック遊びをなさるのも楽しいかと」 悪くねェかもナ、というジャックに、フローラは、この地の印象を尋ねる。 「……休みたい奴には面白ェ場所だろォナ、多分」 ソアは、別の客に呼び止められ、話し相手になっていた。その客は、この地を帰属先の候補に考えているという。 小物をいくつか買っていった客に礼をのべながら、ソアはふと思う。 (帰属かぁ……) 皆さんやっぱり、帰りたい場所とかあるのかな? わたし、前は元の世界に帰りたいって思ってたけど……。今は、よくわからない。 ターミナルで会った人たちと、もう会えなくなるのはやだな……。 (いけないいけない、仕事中だししっかりしないと!) ぴたん、と、自分の頬を押さえたソアに、 「このサシェを、お願いできますか?」 ジューンから、声が掛かった。 「緋穂様、ツギメ様、菖蒲ちゃんと、うちの双子にと思って。それと、エーリヒさんにはこの木製キーホルダーを」 包装に集中するソアに代わって、フローラが他の商品の説明をする。 「特製ハーブティーのブレンドや、ハーブ入りのクッキーもございますよ」 「美味しそうですね。でも、ハーブアレルギーがあるかもしれないので食べ物は避けようかと。すみません」 「たしかに、異国のかたには、アレルギーの配慮は必要でしょうね」 頷くフローラに、ジューンはやわらかな笑みを見せる。 「他に何かお勧めがあったら教えていただけますか?」 鳥の意匠の髪飾りと、犬の縫いぐるみを撫でながら。 * * 「いらっしゃいませー! お待ちどおさまー!」 ハーブショップと有機レストランは隣接している。 ユーウォンは、小さな身体で目まぐるしく双方を行き来していた。 実は彼は最初、湖の中に飛び込み、魚と鬼ごっこをして遊んでいたのだ。そのついでに水中からひょいと顔を出し、ロバートの釣りの仕掛けにアドバイスなどをしたら、 「そんなにヒマならアルバイトでもしたらどうかな?」 と言われたのだ。 ロバートにだけはヒマそうとか言われたくないや、と、返さないところが、ユーウォンさん大人である。 接客は久しぶり、というかほぼ初めてだが、そこはお届け屋の面目躍如。 料理のお運びはばっちり。失敗したときは誠意と愛嬌と広い心で謝るのである。オットナ〜。 ひとつだけ不便なのは、大概のお客よりも背が低いため、なかなか気付いてもらえないことだ。 もっとも、それも面白さではあるが。 (おれの辞書にはへこたれるって文字はないんだよ!) 「人手が要るなら手を貸そう。民のために働くは騎士の誉れだ」 雪・ウーヴェイル・サツキガハラは、主に力仕事を請け負い、ひとりで十人分くらいの仕事量を黙々とこなしていた。 接客については、まったく経験がない。 しかし、レストランのオーナーであるところの、品の良い紳士に是非にと乞われ、フロアに入ることになった。……甲冑姿のまま。 愛想とは無縁なため、ものっそ真顔でオーダーを受けたりサーブをしたりしているうちに、なぜか女性客がぽっと頬を染め、ひそひそちらちらと雪を注目し始めるではないか。 やがて注文があちこちから殺到し始めた。このレストランは「騎士カフェ」みたいな新ジャンルを開拓するつもりなのか。おそるべしオーナー。 何だか楽しくなってきた雪は、笑顔になる。とはいっても雪の笑顔はたいそうわかりづらいのだが。 ルサンマチンも同様だった。なぜかめっちゃ可愛いエプロンを渡された。断る理由もないので、従順に素直に装着した。 彼女にとって、人の世話は本業とも言える。呼ばれる前に、察して動くことができる。 接客は礼儀正しく完璧だ。まあその、悪魔の従者であるし、仮面をつけた外見は大変に特徴的ではあるにせよ、どんな注文にも素晴らしい速度とみごとな動きで応じるころができる。館の音楽家たちの中には料理にうるさいかたがたもいらっしゃったので、そういったスキルは自然に身についたのだ。 ルサンマチンは、とある女子高生に「楽しんで来て」と、送り出された。 ……楽しい? オーダーを取る雪に、上気した笑顔で話しかける女性客に、思う。 楽しいとは、何だろう。 もうしばらく、こうして働いていれば、何か掴めるだろうか? ざわり。 客席の視線が、今度は小さな女の子に集中する。 びゃっくんを背中に背負い、くるくると働くエレナに、皆の視線は釘付けだった。 お嬢様は丁重にお世話されるのがお仕事である。 かつてヴェネツィアでウィリアム執事にお世話された実績を持つ生粋のお嬢様、エレナたんであるが、今日はおもてなしする側に回っていた。記憶力の良さと推理力を駆使し、その相手にあったものを勧めることができるため、スタッフとしては無敵だ。 ハーブショップにいたカリスを見つけ、声を掛ける。 「カリスさま。あとで紅茶を飲んでいきません?」 「……貴女が淹れてくださるの?」 「大切なひとに淹れるために、マスターしました♪」 ラファエルのために覚え、実際にローテンブルクで本人に披露した美味しい紅茶の淹れかたを、エレナはそう表現した。 「それは楽しみね。是非お願いしたいわ」 言ってカリスは、手にした化粧水に視線を戻す。 そばでは、臨時店員となったジュリエッタ・凛・アヴェルリーノが、カリスのために、ヘアケア効果のあるハーブ商品を選んでいた。 「肌ももちろんじゃが、髪を切ってしまわれたのなら、また髪の手入れの仕方も違うじゃろう。ラベンダーやローズマリー等色々あるぞ」 ふと微笑んで、カリスを見る。 「……元気そうで良かったのじゃ。わたくしは赤の王以来、色々悩むこともあったのじゃが」 「そういえば、貴女は……」 ダイアナの最期がジュリエッタに与えた影響を思い、カリスは気遣わしげな表情になる。 「うむ、大分回復してきたところじゃ」 ――ここでは存分に楽しんでいこうぞ。 ジュリエッタの声音には、明るさが戻りつつある。 「アンタもそういう化粧品とかに興味あるんだ? もしかしてアリッサやヴァネッサへの土産?」 カリスは驚いたように声の方向を見る。坂上健だった。 「よくおわかりね」 「あのふたりも、滅多に0世界離れられないもんな。それに、女は入れ込んでる基礎化粧品しか使わないってウチのお袋が言ってたから」 「そう」 「大体アンタ、そんなの使わなくても美人だもんな」 「お上手ですこと」 カリスの口元に、彼女にしては珍しい、素の微笑が浮かび……かけたが。 声を落とした健が発したことばに、そのおもてが強ばる。 「イグジストは対イグジスト兵器になり得る」 「……!」 「だから竜刻がないここを避難地認定の視察に来たのかと……、悪い、無粋だったな」 「本当にそうね、貴方というひとは。野暮なうえに勘ぐりもはなはだしいわ」 大きくため息をついたカリスは、健に向き直る。 「貴方には一度、お伝えしておかなければと思っていたわ。物事に裏があるとは限らない。私たちは『リゾート』に来ているの。それ以上でもそれ以下でもない」 でも、そうね、なぜ、最初のモデルケースとして、ロバートとヘンリーがこの地を選んだのかということなら。 カリスの視線の先には、有機レストランのオーナーがいた。灰色の髪、灰色の瞳の紳士。その容貌は、もし、エイドリアン・エルトダウンがモノクルを外し、穏やかな物腰と気さくな表情になったならこうもあろうかというほどの相似があり……。 「あのかたが、ヴァイシャの現大守、オーギュスト・ヴァイシャさま。ヴァイシャ同様、薬草研究にすぐれたシャハル王国の前王の弟ぎみで、薬師でもいらっしゃる。王子時代に交流と研究のためにこの地に滞在し、世継ぎの姫と恋仲になって結婚なさったそうよ。病弱だった世継ぎの姫が、ふたりのお嬢さんを残して亡くなったあと、正式にこの地の大守になられたの」 「エイドリアンに似てるな。……まさか」 「いいえ、あのかたは生粋のヴォロス生まれ。まったくの他人の空似よ。だけど……、だからこそ」 ロバートもヘンリーも、無意識のうちに求めていたのかも知れないわね。 世界の真理や、まして、チャイ=ブレの契約などとは何の関わりもない、本来の意味の「ファミリー」を。 「いらっしゃいませぇ、《翡翠の真珠亭》へようこそですぅ☆」 川原撫子は、良く響く声で、見事な接客対応を続けていた。 開店前にはすべてのメニューと、その素材の仕入れ先、どのような特徴を持つ料理であるのかなどは、頭に叩き込んである。 「本日のランチは目の前の《翡翠湖》で獲れたニジマスのムニエルですぅ☆ 地元ハーブをたくさん使用し、あっさり美味しく食べられますぅ☆」 動線の流れを常に意識し、客を待たせないようさりげなくスタッフと連絡を取り合い、自分も動いている。 その仕切りの的確さに、オーギュストも感嘆した。 「素晴らしい采配ですね。それに、たいそう気持ちの良い接客をなさる。ずっとこういったお仕事を?」 「接客好きですぅ☆ いちばん簡単にみんなの笑顔が見られるじゃないですかぁ☆」 「それこそが魔法の万能薬です。あなたはすぐれた薬師の資質がおありだ」 Resort2■湖と魚とお昼寝の魔法 茶色のローブを着込んだ黒猫獣人が、そーーーっと35歳トリオに近づく。 ロアンはとりあえず、3人の様子を見学しつつ、のんびりと過ごすつもりだった。 ぽてぽてと肩を叩かれ、ヘンリーが振り返る。 「やあ、こんにちは」 親しげな笑みを浮かべるヘンリーに、ひとと話すのが好きなロアンも思わずにこにこする。 「こんにちは。ここでは何が釣れるの?」 「ニジマスとかスズキらしいね」 「どうやら巨大ナマズもいるらしいぞ。さっき針に引っかかった」 ドンガッシュがぼそりと言う。 「……逃げられたがな」 「ナマズが釣れたらどうするの?」 「何が釣れても食べるさ。そのときはきみも一緒にどうだい?」 ロバートが言い、ロアンは大きく頷いた。 「いいの!? やったぁ!」 ざっば〜〜ん! 突然。 それはそれは巨大な何かが大きく跳ね上がった。 湖面に大きな波がうねり、きらきらと飛沫が散る。 35歳トリオは仲良く水を引っ被ってから、いったい何が起こったのかと顔を見合わせる。 「湖のヌシがいるんじゃないかな? 大守から聞いてないかい、ロバート」 「そんな話は初耳だが」 「湖に先住する生き物がいるのなら、挨拶はしておくべきだな」 ドンガッシュが律儀に言ったとき、その正体が判明した。北斗だった。 「やあ北斗くん。楽しんでいるかい?」 「うん、おいら的には海のほうがいいんだけど、川の魚もおいしいんですよぅ。とりあえず、泳いで休んでいい暮らしが出来そうかなぁ」 「お前たち、何してる?」 ルンもまた3人に近寄った。その釣果のなさに首を傾げてから、首を水の中に突っ込む。水中を検分し、顔を上げる。 「この周囲、魚いない」 「釣り上げることが目的ではないので。魚に逃げられる時間も楽しいものですよ、お嬢さん」 そういうロバートに、理解しがたいと首を横に振る。 「釣ったら食べる。命は大事。遊び良くない」 「仰るとおりです。もちろん、釣れたら美味しくいただきますよ。目の前にレストランもありますしね」 「お前たち、潜ればいい。それならすぐ、魚獲れる」 そう言い残し、ルンは敏捷にその場を去った。 木陰ですばやく服を脱ぐやいなや、短刀を咥えて、そっと湖に潜る。10分ほど潜水したまま、魚を追いかけた。 ……やがて。 ぽーん。 ぽーん。 ぽぽーん。 かたちの良いニジマスとスズキと、凄まじく大きなキャットフィッシュが、それぞれ、ロバートとヘンリーとドンガッシュの腕のなかに投げ込まれたのだった。 ぴちぴち跳ねる魚に慌てる彼らをよそに、ルンは素早く湖から上がり、服を身につける。 広大な湖に、金町洋は大興奮だった。場の雰囲気を読んで遠慮していたが、様子を見計らい、ロバートに声を掛ける。 「ここは竜刻がないと生きていけない世界でもないんですね、綺麗」 「何をエネルギーとするか、ということだとは思います。竜刻に頼れない以上は、ひとのちからが必要とされる」 「もの凄くオーバーテクな力に振り回されてる印象でした」 「それは、壱番世界も同様ではありますね。制御不能なものが暴走すると、止めようがない」 「あのー、あたしも湖に手足とか浸したいんですけど、いいですか?」 「いくらでもどうぞ。僕たちはもう、浸したどころじゃない状態ですしね」 苦笑するロバートに礼をのべ、少し離れたところで素足になる。 湖水の冷たさが足に心地よい。ふと報告書の写しを取り出し、眺めた。 ――ひとつの世界が滅びる運命を、人々に告げるべきか否か。 その命題は、重い。 でもそれが、その世界の生態系であり、摂理なら。 異世界からきたあたしに言えることなんて何もない。 ただ。 ……壱番世界滅びちゃうの、やだ。 * * 「こんにちは。どう? 釣れてる?」 釣り竿を持って、三十路男子の集いへひとりやってきた蓮見沢理比古に、ロバートは目を見張り、さっと青ざめた。 「何かあったのか?」 「どうして?」 「きみと虚空が別行動とは、いったいどんなアクシデントだ」 「ああ。虚空はね、ひとまわり以上年下のお嬢さんとデートだって。隅に置けないよねー」 ロバートはきょとんとしたが、すぐに納得して頷く。 「……そうか。フローラ姫に挨拶に」 肩を並べて釣り糸を垂れながら、理比古はのんびりと雑談を始めた。テーマはゆる〜く「好きな魚は何か」。形ならばリュウグウノツカイ、味ならば鯛、などと言いながら、蓮見沢コンツェルンのトップは、ちゃっかり商談も忘れない。 「ところで、もし今後、日本家屋風リゾートの建設予定があるなら、調度や設備はウチに発注してほしいな。最高のわびさびを演出するよ」 「考えておこう」 「うわー! 大人ってこれだもんな。はーいはいはい、ちょっと失礼しますよ」 虎部隆がふたりの間に割って入った。 「おや、虎部隊長。無事のご帰還、何よりだ」 「おうロバート。待たせてごめんな。今度こそ探検隊のメンバーに入れてやるからさ。逃げんじゃねぇぞ」 「この旅行、隆の帰還祝いなんだよ」 「旅費は虎さん持ちですけどね」 そう言ったのは、同行していた相沢優と一一一だ。ロバートの友人である優はともかく、一のほうはまだ、ロバートにわだかまりがあるので、そっぽを向いたままであったが。 「隆の祝いなのに旅費は隆持ちなのかい? 始まりの姫ぎみ」 「ちょ、その呼び方やめてくださいよ恥ずかしいんですよいたたまれないんですよ」 あさってのほうを向いたままの一に代わって、優が説明する。 まるで隆の無事を祝福するかのように募集されたこのリゾート旅行を、彼の帰還祝いとすることについては、優も一も異存はなかった。 一は隆を出迎えるなり、こう言ったそうだ。 虎さんのバカ! 朴念仁! ……お帰りなさい! お詫びのしるしに 旅 費 奢 っ て! 「なるほどね。『友人たちに心配させた罪』を、隆は負っているということか」 「隆のヤツ、ひとの気も知らないでキラキラした笑顔でロストレイルから降りてきたんで、腹に一発入れたよ」 「ははは。きみらしい」 「あのさ、一なんだけど。たぶん、謝りたいと思ってるはずなんだ」 一は、こうも言っていた。 ――旅費が私たち持ちなのは痛いですけど、金貨野郎に貸しを作ってないって思えば気が楽ですね。 え? 仲直り? 彼もいろいろ変わった? はん、散々殴られて金貨野郎も何かに目覚めたんですか? これがドMってヤツですね! ……謝るべきなのかな、ちゃんと。 ええい知りません知りません! せいぜい昼ドラ要員にでもなってれば良いんです! ふんっだ! 「……ふぅむ。乙女ごころは難しいね。どう思う、隆?」 「俺の知ったことかよ。前にインヤンガイで言っただろ?」 一やんをデレさせたいなら、自分で口説け。 少し考えたロバートは、やがて、意を決して一に向き直る。 「一」 「なっなっ、なんですかっ!?」 「一緒に、ニジマスを食べないか?」 「はいぃ?」 まだぴちぴち跳ねているニジマスを差し出すロバートに、一は、笑っていいのか呆れていいのかわからない表情だ。 その背中を、優はぽんと叩く。 「ここにいる皆で、バーベキューでもしようぜ? 夜になったら、キャンプファイヤーとか花火とかも考えたんだけど」 「ぜ、ぜんぶやりましょう! 何たって帰還祝いですし!」 「一」 「べっ、べつに、仲直りとかじゃないんですからね! せっかくの食材、無駄にしたら勿体ないですから!」 * * シーアールシーゼロは、アーモンドの木の下で寝そべっていた。 35歳トリオにも、そこに集う皆にも、ゼロの歌う子守唄が染み渡る。 「ねーむれー、ねーむれーなのです」 「ここは涼しくて気持ちがいいねぇ」 早瀬桂也乃は、のんびりと目を細め、伸びをする。 湖畔でうとうとするのはさぞ快適だろうと、やってきたバカンスだった。 「お昼寝にぴったりの場所だと思うのですー。ゼロが厳選した枕をどうぞなのですー」 ゼロから枕を渡され、さらに、ハーブショップで購入したらしき魔法的効果の安眠をいざなうポプリを分けてもらい、気兼ねなくうとうとする。 (どこかへ帰属するならこんな場所がいいかもな) と、だらだら寝返りを打ちながら、 (けど、家族がいる限り、別の世界へ行くことははないんだろうな。離れるつもりはないけど近くにいることも出来ないからターミナルに留まっているのだけれども) そんなことをぼんやり考えつつ、セクタンの漱石をなで回す。 桂也乃のまどろみの様子に、ゼロはにっこりしながら、はたと思い出す。 「ハーブショップにいたカリス様もお昼寝にお誘いすれば良かったのですー。全ターミナルの眠れない皆さんに、ゼロ厳選の枕+ヴァイシャの安眠ポプリの組み合わせをおすすめしたかったのです」 ま、それはそれとして、ゼロたんは揺るぎなくまどろみましたとさ。 Resort3■星空とロマンスの魔法 ツリスガラのサキソフォンが、夜のレストランに集う客に、鮮やかに響き渡る。 「生演奏は必要ではないだろうか?」 オーギュストにそう売り込んで、是非にと言われ、アルバイトをすることになったのだ。 土地には土地ごとに合う曲というものがある。 かつての経験から、おそらくはこのような場所で好まれるであろう曲を、ツリスガラは演奏した。そして、この地に古くから伝わる曲を教えてもらい、奏でてもみた。 どこの世界でもこんな場所はある。こんな店もある。そこにいる人々も、そこで交わされる会話も、おそらくはあまり変わらないのだろう。 かつての自分は客の立場であっただろうが、その違いが、かすかに楽しかった。 「僕が弾く。君が踊れ」 サキソフォンのあとを受け、クージョン・アルパークのヴァイオリン演奏が始まった。カンタレラのダンスを誘う、情熱的なメロディ。 身体のラインが綺麗に映えるキャミソールのワンピースを身につけたカンタレラは、それまでレストランスタッフとして、オーダーを取ったり運んだりしていた。声の美しさに客から唄を乞われ、即興で歌う一幕もあった。 今、クージョンがショウタイムを宣言したとたん、レストラン中から喝采が起きる。 「さあ、観衆の皆に、君の踊りを見せておやり」 曲に合わせて踏むステップは、ケルト舞踊のワンシーン。カンタレラが動くたびに、秘められた物語が躍動する。 「……一緒に」 観客のひとりの手を取り、ステージに上げる。最初はためらいがちだった客も、次々にリズムに乗っていく。 南国の熱風のようなヴァイオリンが、しなやかに心を射る。 「皆でダンスをしよう。踊ろうという気持ち、それこそがエンターテイメントさ!」 レストランはすでにダンスフロアと化していた。 演奏を続けたまま、クージョンは器用にカンタレラの腰を抱き寄せ、自らも激しいダンスに加わる。 お互いの顔を見つめて微笑み合い、クージョンは言う。 「僕は最高の発見をしたよ。笑って頑張っている君は、やはり美しいってことをね」 曲の切れ目に、カンタレラはクージョンに飛びつき、その首にキスをした。 * * 夜が、更けていく。 「わぁ……」 「素敵な場所ね」 福増在利とシャニア・ライズンは、バンガローのテラスで星を見上げていた。 「在利君と一緒に来れて良かったわ♪」 デジカメを駆使し、この風景と在利との記念写真を、シャニアは撮った。 「はい……」 「在利君と会って、素敵な経験が出来る機会が多くなった気がするわ♪」 シャニアの横顔に見蕩れながら、在利は静かに言う。 「報告書で見ました。薔薇ペスト、特効薬が最近、ついに作られて、薔薇ペストの人たちが助かっているって」 「それ、あたしも読んだわ。……良かった」 「……僕は、今は加齢が止まって無事ですけど。加齢とともに進行する、元の世界では不治の病とされる病気にかかっています」 「在利君」 「それを、治したくて、手がかりを見つけたくて。……シャハルにこだわる理由を、知ってほしかったんです」 「心配しないで。あたしもついてるから」 少し感傷的になりながらも、シャニアはつとめて明るく言う。 「あたしに出来ることは喜んで協力するわ♪」 ……在利君に、寄り添ってあげたいわ。 * * ニワトコと夢幻の宮は、ゆったりとくつろぎながら、テラスにいた。 星のひかりが、この地の風俗に合わせ、洋装となった夢幻の宮を照らし出す。 「ありがとう」 「……何を?」 「ここに、来てくれて」 ……出逢ってくれて。 ふたりのこれからは、考えなければならないことも多いけれど。 それでも、今だけは。 今だけはことば少なに、星を眺めていよう。 眠い目をこすりながら。 もしかしたらうとうとと、このまま眠りに落ちてしまうかもしれないけれど。 それまでのまどろみのような時間を――ふたりで。 * * ドアマンは、脇坂一人をバンガローに誘った。 ええ、ドアマンさんが誘ったんですよ。そこ、ドアマンさんファンのターミナルの皆さん、泣いちゃだめ! とはいえ、ドアマンさん的には、覚醒者兼農家に日頃の疲れを癒してもらいたいとか、彼と星空を見たかっただけとか、そういう理由だったりするのだが。 しかーし。 一人さんのほうは意識しちゃうわけですよコレが。だってアナタ、バンガローでふたりきりですよ。 「星が綺麗ね。お誘いありがとう」 淑女らしくお茶の用意などをしながら、礼をのべる。樹海の農園で護衛や手伝いをしてくれたことに、素直に感謝してもいた。 実は……、外見に一目惚れした。が、今は振り回され気味である。 「長い時間生きてまいりまして、異世界の人とこのように関わるとは思いもよりませんでした」 「私もよ。これ、ささやかだけれど」 可愛らしい林檎のストラップを、渡す。 「これは……!」 プレゼントに驚いたドアマンは、全力で御礼を伝え、自身も贈り物を手渡す。 ――『あみぐるみ』であった。 「脇坂さんと貴方の大切なかたに、幸多からんことをお祈り申し上げます」 「あのね……、私の大切なひとというのは」 「親友がおられるとの由、喜ばしいことでございます」 「……はぁ。片思いに気づいていないのね」 「なんということでございましょう。脇坂さんのご友人は、貴方がこんなに心を寄せておられるというのに、罰当たりな」 「まあいいわ。一緒に星空を見られて嬉しい。余計なお世話だけど無理はしないでね、ドアマンさん」 「脇坂さんもあまりお気を使われませぬよう。お茶のお代わりはわたくしが」 「いいえ私が」 「わたくしが!」 「私が!!」 ボケツッコミと世話焼き合戦は、一晩中続いたという。 * * シャワーから上がった瀬崎耀司は、濡れた髪をタオルで拭き取りながら、南雲マリアのもとへ行く。 テラスに出ていたマリアは、じっと星を見つめていた。華奢な身体に、瀬崎から借りたシャツだけを、ふわりと羽織って。 彼らは誰にも会わぬまま、日中からこのバンガローで過ごしていた。マリアは頑張って料理をたくさん作り、瀬崎はそれに舌鼓を打ち―― 甘くはかなく幸せな、ままごとのような、ひととき。 「マリアさんも、またシャワー浴びてくるかい?」 後ろからマリアを抱きしめた瀬崎は、その頬に耳に首筋に、軽いキスの雨を降らせる。 「もう……。くすぐったい」 身をよじり、その腕からするりと抜け出して、マリアは星空に手を伸ばす。 星。……星。綺羅星。 遠いとおい綺羅星のような、ムービースター。 このひととも、離ればなれになるのだろうか。 もしもこの先、銀幕市に帰ったなら。 不安に襲われたマリアは、身を震わせながら、思い切り瀬崎に抱きついた。 * * 「お誘いいただいて」 ありがとうございます、と、エレニア・アンデルセンは頬を染め、イルファーンを見つめる。 「とても綺麗な場所ですね……。ドンガッシュさんがすごく頑張ったとか」 「どこもかしこも美しいね。この建物も素晴らしい。ドンガッシュは優秀だ」 イルファーンは微笑みながら、やさしく、しかしどこか決意を秘めて、エレニアの肩に手を置いた。 「エレニア・アンデルセンに、話がある」 「はい……?」 「君は故郷に帰るのかい?」 「それは」 「僕は君と添い遂げたい。だが僕は精霊だ。帰属して時が動き出したらいずれ死に別れる宿命」 「イルファーンさん……」 「それでも、君と結ばれたい。叶うなら家族になりたい」 わからないけれど。 精霊とひとが子を成せるものかどうか。 それでも、この想いを実らせたい。 「ありがとうございます」 「エレニア・アンデルセン」 「いろんなモノをイルファーンさんに重ねてしまう自分がいます。この湖は貴方のようだと……。美しくて深くて広い」 そして、少し寂しく思うのです。 ちっぽけな自分のことを。 イルファーンはエレニアを抱き上げる。 湖上を歩き、接吻し、正式に求婚する。 「どうか……、僕の伴侶になって欲しい」 つい、と、流れ星が落ちる。 その答は、ふたりしか知らない。 * * 「あ、れ?」 周囲のバンガローを見回し、アキ・ニエメラは困惑の声をあげる。 目の前には、何やらラグジュアリーな設備に挙動不審気味のハルカ・ロータスがいる。もしかしなくても、ロマンチックの意味などは理解していない。 「まあいいか」 あまり気にしないのが、アキのアキたる所以だ。 「うん、まあ」 星を眺めるハルカは、こころの翼を大きく広げているように見えた。 「星が美しいものだっていうことを、覚醒して初めて知った気がする」 「綺麗な景色を見ながら綺麗な空気を吸うのは、体にも心にもいいことだ」 「そうだな……、故郷でも、星を眺めて美しいと言えるような、そんな環境を創れたらいいな」 「お前がゆっくりできるようになって、俺は嬉しいよ」 アキは先ほどレストランから、フルーツとワインを分けてもらっていた。 手際良くサングリアを作り、ハルカに勧め、並んで星を見る。 「こういうの、故郷でも出来るようになりゃいいよな」 「アキと一緒なら出来る気がする」 アキがいてくれて良かった……。ありがとう。 ふだんは口にしにくい感謝のことばを、ハルカは伝えるのだった。 * * 南河昴は、姉の天倉彗と共に、バンガローのテラスで天体観測をしていた。 ふたりで作ったサンドイッチと天体望遠鏡を手にして。 「寒くない、昴?」 「少し。でも平気だよ、お姉ちゃん」 初夏とはいえ、この地の夜は少し冷えるようだ。 温かい飲物を用意して、彗はカンテラに火をともす。星のひかりに加え、ちらちらと揺れる灯が、姉妹の横顔を照らし始めた。 「この世界にも、星はあるのね。知っている星座はないけれど」 日中、ハーブショップに出向き、効能重視で商品を買い求めた彗は、そのついでに、この地の星座表をまとめた冊子をフローラからもらっていた。 それに添って、未知の星座を探す。 知らない伝説、知らない神々が星空に描き出す、めくるめく物語。 「もっといろんな世界の、いろんな星を見にいこうね」 昴は言う。 ずっとずっと、姉妹で一緒に旅をしていたい。 どこにも居なくならないでほしい。 「お姉ちゃんは、わたしにとって、たったひとりだから」 Resort4■未来という名の魔法 ハーブショップでの業務を終え、住まいであるところの大守館へ向かっていたフローラは、テオ・カルカーデに呼び止められた。 「ここは美しい都ですね。楽しそうです」 「ありがとうございます。ええと、テオさん? 先ほど、ハーブ園とショップにもいらしてくださいましたね」 ヴァイシャを褒められて、フローラは嬉しそうだ。 テオは昼どきには、ハーブの質問もしてくれたし、ショップの品揃えにも興味をしめしてくれた。 おそらくは知的好奇心が旺盛な人物なのだろう。それはフローラにとって、とても好ましかった。 「この地の薬草の研究内容について、もっと知りたくて。もしですが」 ――もしここに、私たちのような旅人が滞在したとしたら、研究を手伝わせてもらえたりします? フローラは、ぱあっと顔を輝かせる。 「それはもう、願ってもないことです。ご一緒に研究しましょう」 * * 「久しぶりだな、フローラ。元気にやってるかい――なんて、訊くまでもないんだろうけどな」 大守館の入口には、虚空が待っていた。彼の手には、ダマスクスローズのジャムと蜂蜜、花びらを閉じ込めた綺麗なブローチがある。手渡されたフローラの瞳に、涙が浮かんだ。 「虚空さん。あり、がと……。ありがとう、ございます。あなたがたのおかげで、私は、お姉さまは、この都は……」 顔を覆った手を握りしめて、虚空は少女の涙を拭う。 「あんたがこれからも、この先も、いつも幸せであるように」 そして、その手の甲に。 丁重な、騎士が貴婦人にするような、恭しいキスを落とす。 * * ――火燕招来急急如律令、飛鼠招来急急如律令。理事や元理事の様子を探ってこい。 百田十三は、日中は、カリスやロバートらの動向を探りながら過ごしていた。 しかし結果は、拍子抜けであった。 「まったく平和で何もない。終末医療でも受けている気になるな。俺向きではないということか」 陽が落ちてからは大守館に移動し、大守に面会を求めることにした。 オーギュスト・ヴァイシャも今は、気さくで親しみたすいレストランのオーナーから、薬都を統べる立場へと戻っている。エレオノールとフローラも、姫ぎみにふさわしい装いで、彼を出迎えた。 「お初にお目にかかる」 名乗りを上げてから、十三は直裁に言った。 「貴方がたに聞きたいことがあって伺った。我々は戦いに長けた者が多い。貴方がたはどんな職種の人間をどの程度望んでいるのか、忌憚なく伺いたい」 ヴァイシャの大守と姫らは、一瞬、驚いたような顔になった。 が、次の瞬間、こころを打たれたらしき笑みを見せる。 「旅人のかたがたの個性や資質はさまざまでしょう。わたしたちは、何がしかの条件を提示するつもりなど、まったくありません」 たとえば、あなたは、この地を愛せそうですか? この地で年を重ねるのも悪くないと、思えそうですか? 「この地は、冬の寒さは厳しく、夏は相応に気温が高くなります。わたしの出身である、竜刻のちからで一年中温暖な気候を保つことができるシャハル王国とは、そこが違います」 それでも。 厳しい冬と暑い夏、紅葉に満ちる秋、花々が咲き乱れる春。 わたしたちとともに、四季の移り変わりを感じてくださるかたを、新たな住人として迎え入れることができるなら、これ以上の幸せはありません。 十三の問いに、オーギュスト・ヴァイシャは、そう答えたのだった。 ――Fin.
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