ロストメモリーになることを希望するものは申し出る事――。 そんな沙汰が、図書館ホールに出されたのはいつだったか。 定期的に、その儀式は行われているようだが、詳細について知っているものは少ない。 その日、図書館ホールに集まったものたちは、館長アリッサから驚くべきことを告げられた。「儀式はチャイ=ブレの体内にある儀式場で行われます」 どよめき。驚きと、そして不安。 無理もなかった。 『鉄仮面』として知られるルイス・エルトダウンの行方をもとめて大々的な捜索が行われたばかりである。その結果、かの人物が他ならぬチャイ=ブレの体内に潜んでいるとわかったのだ。 もとより、ルイスは、その個人的な体験から、ロストメモリーというありようを否定している。ゆえに、悪意を増幅するおのれの魔力を用いて「鉄仮面の殺人者」をつくりだし、その者たちにロストメモリーの殺害を行わせた。そのため、ルイスを野放しの状態でロストメモリーを生み出す儀式を新たに行うことを不安視する声があったのだ。その儀式の場が、よりによってルイスの潜伏場所であるとは。あるいは、その危険な目的のためにこそ、ルイスはその場所に潜んだかもしれないのだが……。 儀式を延期することはできないのか、という至極もっともな意見が出たが、アリッサはかぶりを振った。「儀式を行わないことにしたら、チャイ=ブレの体内に入る方法がなくなってしまうの」 ルイスのもとには数名のロストナンバーが捕らわれたままになっている。 虜囚さえいなければ、儀式は延期したうえで別の方策を探ることもできたが、かれらの救出に一刻を争う今、是が非でも儀式は強行したうえで、その救出を遂げなくてはならないのだ。「というわけで、今回、儀式を行うに際して、『儀式場を護衛する部隊』、そして『ルイス卿に捕まっている人を救出する部隊』も募集することになりました」 アリッサからそのような説明があった。 かくして―― このたびの儀式は波乱の予感を抱えたまま、執り行われることになったのである。 ロストメモリーになることを希望するものは、儀式場において、式次第にもとづき記憶献上の手続きを行う。このとき、「自分の記憶の価値」をしっかりと意識しておくことが必要だという。チャイ=ブレに対してその記憶情報を差し出し、引き換えに0世界に永住する許しを乞うのがこの儀式の趣旨だからである。 必然、それは、差し出すことになる「自身がロストナンバーになる以前の体験」の中で、もっとも印象的で大切な場面を思い起こすことになるだろう。 儀式が終了すれば、参加者は一時的に昏倒するが、生命に別条はない。 地上へ運ばれ、目覚めたときには真理数0を獲得している。 滞りなく儀式を完了させるためには、ルイス・エルトダウンによる儀式の妨害を防がなくてはならない。 儀式中、そして儀式後、ロストメモリーになるものたちは完全に無防備となるため、かれらの安全は護衛役のものたちが守る必要がある。だが場所が場所だけに、周囲に影響する大きな力を振るうのは避けなくてはならない。チャイ=ブレを刺激すると、儀式がうまくいかないばかりか、体内にいる全員がそのまま消化されて果てるということもありうるのだ。あるいはルイスがそれを企図して暴れることも考えられるので、対策が必要だろう。 さらには、ルイスに捕らわれているロストナンバーを救出することも並行して行わなくてはならなかった。体内に立ち入る機会が限られている以上、この機を逃せば絶望的となってしまう。 この部隊はチャイ=ブレの体内を探索して捕らわれたものたちを探し出すことになる。 体内の、儀式場以外の場所は、異物を排除する「抗体」や、チャイ=ブレに寄生している小型のワームなどがおり、安全な場所とは言えない。もちろんルイス本人と遭遇する可能性もあるため、さまざまな危険が予測された。 なお、この儀式と警戒活動の裏で、もうひとつ別の作戦が行われるのだが、それについてはレディ・カリスから別に説明を聞いてほしい、とアリッサは結んだ。!注意!パーティシナリオ「ロストメモリー、記憶献上の儀」はイベントシナリオ群「チャイ=ブレ決死圏」と同じ時系列の出来事を扱っています。本パーティシナリオにご参加の方の、同一キャラクターによる「チャイ=ブレ決死圏」へのエントリー・ご参加はご遠慮下さい。
■ 儀式のはじまり ■ 『チャイ=ブレの中なう』 クージョン・アルパークは、おもわず、記念のつぶやきを発してしまった。 チャイ=ブレの体内に入れる機会など、そうあるまい。司書から聞いた話では、不規則な周期によって可能な時期とそうでない時期がある。だからこれを逃すと、次はいつになるかはわからない。一週間後にまた可能になるかもしれないが、百年待つ必要があるかもしれない。イグシストについては、まだ謎が多いのだ。 気味の悪い、肉の通廊を抜けた先、広間のような空間に出た。天井は高く、闇に沈んでいる。 周囲を囲むのは粘膜の壁だったが、地面中央は小高く盛り上がり、その部分だけは敷石が敷かれていた。石床を取り囲むのは柱状列石。ここが儀式場であるらしい。 式次第にのっとり、記憶を献上するものは列石の内側へ。ここで、献上のための眠りに入る。 今回、儀式に臨むことになったのは―― まずクージョン・アルパーク。その伴侶、カンタレラ。 ターミナルで仕立て屋を開業したサシャ・エルガシャ。 先の世界司書試験に合格し、司書となることに決まっているガン・ミー。 そして、この機会にロストメモリーになることを決意した、流渡、スイート・ピー、ハルク・クロウレス、旧校舎のアイドル・ススムくん。 以上の8名だ。 列石の外には、付き添いのものや、護衛任務のロストナンバーたちが囲む。かれらが見守る中、儀式は始まった。 「不安はある? でももう大丈夫だよ。前だけを見て進んでいこう」 クージョンは傍らのカンタレラに囁き、彼女の頭を撫でる。カンタレラはそっと頷き、ふたりは寄り添うようによこたわった。 クージョンはここへ来る前、今までの半生を書き綴った本を図書館に献本してきた。もっとも、記憶が封印されれば、その本も誰も読めなくなるのだろう。 「さあ、行こう。僕たちの新しい世界へ!」 最後にもういちど、『儀式なう』とつぶやこうとしたが、列石の内側からは、外部への通信はできないようだった。 ■ 襲撃 ■ 儀式、といっても、外から眺めている限り、儀式場に参加者がよこたわっているに過ぎない。 おそらくかれらは眠りの中で、おのれの記憶を最後の反芻を行う。目覚めたときにはもう思い出せなくなっている記憶を。 テオ・カルカーデはその様子をじっくりと眺めている。この儀式場の施設は人工的なもののように見えるが、そうではないのだろうか。チャイ=ブレの体内の様子といい、興味深いことばかりだ。 藤枝 竜は心配そうで落ち着かない。鉄仮面の男に捕らわれているという一一 一のことも心配だし、友人のスイートがロストメモリーになることを知って、寂しくて大泣きしたばかりなのだ。赤い目のまま、儀式場をみつめている。 「ガンが世界司書なんてね。本当、先はどうなるかわからないわね」 「あたしが踏んづけた相手がね……」 ガン・ミーの知り合いらしい月見里 咲夜と黄燐はそんな会話をしている。 マルチェロ・キルシュはサシャのことが心配な様子だ。このような事態でなければ、クージョンとカンタレラのように、彼もサシャとともにロストメモリーになって0世界に根を下ろすつもりだったのだが……。 (俺、この儀式が終わったらサシャと結婚するんだ……) ハイユ・ティップラルは、心の中で、マルチェロにアテレコをしてみたが、なんとなく不吉な感じがするので、 「サシャちゃん、ロキくん、結婚式の前に死ぬんじゃないわよ」 と、声に出して言葉をかけた。 護衛のロストナンバーたちはいつくるかわからない襲撃に備えて、緊張を強いられていた。 「本件を特記事項β6-18、クリーチャーを伴ったゲリラによる殺傷事件に該当すると認定。リミッターオフ、クリーチャー及びゲリラに対する殺傷コード解除、事件解決優先コードA2、A7、A12。保安部提出記録収集開始」 ジューンのセンサーが周囲を警戒。 「鬼が出るか蛇が出るか、か」 橡はオウルフォームのセクタンを飛ばしている。坂上 健もだ。 歪は儀式場の周囲にトラベルギアの破片を浮かべて配置し、誰かが通りかかれば音を立てるようにしていた。 どの方向から、どのようなものが襲撃してこようとも、すぐに気づかれたことだろう。 襲撃が外側からあるのであれば。 ほぼ全員が――、どこかから何者かが襲撃してくるものと思っていた。 今、すでにこの場にいるものに注意を払っていたのは、かろうじて、ジュリアン・H・コラルヴェントひとりだけだった。 警備陣の位置や挙動も含め、感応力をフルに働かせて気を配っていたジュリアンが、だからまっさきに、その男の動きに気づいたのである。 「何をしているッ!」 鋭く声とともに細剣から疾風を放つ。 「!」 男はそれを、奇妙にねじまがった形状のナイフで受け止める。 風圧が、男のフードをはがすと、その下にあらわれたのは……鉄仮面だ――! 男は走った。 刃を手に、列石の向こう側に躍り出る! 「サシャ!」 動いたのはマルチェロだった。男がくぐった列石のいちばん近くにいた彼は、男と儀式参加者たち――よこたわるサシャとのあいだに割って入る。人々は男の刃がマルチェロに埋まるのを見た。そのままもつれあうように転がる。 「ギャーー、フラグがーーー!!」 ハイユが叫んだ。 シュマイト・ハーケズヤの魔法銃が火を噴く。発射されるのは魔法の弾丸だ。強い磁力を帯びた弾丸が、身を起こした男の後頭部を撃ち、そのまま鉄仮面を引き剥がす。 「よく考えて次の道に行こうってのを、邪魔するんじゃないよ!」 ダンジャ・グイニの糸が男を絡めとり、儀式場から引きずり出した。 「狼藉を!」 橡が暴れる男に峰打ちをくらわす。 知らない男だった。後に……それはナラゴニアのツーリストでルシフェルという男だと判明したが、それはまた後のこと。 「大丈夫ッスか! しっかり!」 氏家ミチルがマルチェロを救助してきた。 「……俺は、平気だ――サシャは……」 「大丈夫だ。儀式は滞りない」 シュマイトが言うと、マルチェロは安心した様子だ。負傷してはいるが、生命には差し支えないだろうと見てとって、シュマイトは冷や汗をぬぐう。ここで彼になにかあってはサシャになんと言えばいいか。 ……もっとも、このとき、儀式場にほんの短時間ながらでも入ってしまった影響で、ごく一部、マルチェロの記憶から消えてしまったものがあったことが、やはり後にわかった。 「お嬢、きますよ、本隊です!」 ハイユが声をあげた。 儀式場を見下ろす、高みの闇――そこから、哄笑とともに、かれらはやってきた。 コウモリのような羽をもつ、小型ワームの群れだ。 それらが降下してくるなか、うち一頭の背に鉄仮面の……これはまごうことなきルイスの姿がある。 「絶望で落とし仔を使いこなすか、鉄仮面!」 幻虎に乗った百田 十三が空を駆ける。護法童子を放つも、ワームたちが彼へ向かってくる。 「きたかァ!」 坂上 健はすばやくガスマスクを装着すると、躊躇なく手榴弾を放った。 チャイ=ブレの体内空間に響く爆音。催涙ガスが撒き散らされた。 首尾よくルイスを巻き込んだか、落下する鉄仮面。健は走った。倒れるルイスを押さえる、が、その体は闇色に染まり、ぼろぼろと崩れ消滅してゆく。 「そんなものは、分身だ。まだまだいるぞ!」 駆けてきた歪。ガスマスクの頭を踏み台に跳躍し、別のワームに乗っている二人目のルイスを斬る。 ルイスはまだいる。そこかしこに、十人以上はいるだろう。 「彼らの尊い決意の邪魔はさせない」 歪は、次なるルイスを斬り伏せるべく、走る。 チャイ=ブレの体内空間が、震えはじめた。粘膜の壁が不気味な蠕動をはじめる。刺激を感じとったのだろう。粘液があふれだし、おしよせてくるではないか。 ローナは、群れ飛ぶワームたちに自身とコピー3体とでガトリングの掃射を浴びせ、応戦していたが、周囲の異変を感じるとさらにコピーをつくって、外周へと走らせた。コピーを犠牲にしての時間稼ぎだ。 「大事な儀式ッス、無事に……終わらせなきゃ……! みなさん、踏ん張って下さいッス!!」 催涙ガスに涙をこぼしながらも、ミチルはこの場の全員を「応援」し、力を与える。 シュマイトとハイユも、魔法弾丸でチャイ=ブレへの刺激を抑えたり、水と風の魔法で消化液(らしきもの)の到来を遅らせようとする。 「儀式の行く末を見たいんだ……邪魔するなよ?」 水鏡 晶介のつくりだす氷壁は、対ワームとしても、対消化液としても、防護に役立った。 ダンジャ・グイニの結界もある、まだしばらくもつだろう。 その間に、ロストナンバーたちは襲撃者を着実に撃退していった。 荷見 鷸の射掛けた矢に撃たれ、またひとり、鉄仮面が地に落ちる。 ワームのほうは上空で十三が相手どっているようだ。 鷸は次の標的へ弓を向ける。 このときの鷸の矢には打撃の効果のみが付与されていたため、ルイスは射抜かれておらず、生きている。……が、どうやらこの場にきているのはすべて分身のようだ。 「演技を楽しむ時間は終わりました」 ゆえに、ジューンは問答無用で電磁波を浴びせ、消滅へと導く。 何匹かのワームが、儀式場へ迫った。 「くぉらーーー!」 月見里 眞仁がトラベルギアの巻尺で応戦。 彼の気合と攻撃に敵が怯んでいるすきに、月見里 咲夜が、 「ちとてん、炎をちょうだい」 とセクタンからもらった火をまとわせたタオルで攻撃する。 庶民的な形状のギアだが効果はあるようだ。ダメージを受けたワームを、黄燐が爪でとどめを刺す。 「さあ、次は? まだいるの?」 黄燐の声に直接応えるものはいないが、 テオ・カルカーデは列石の上から戦場を見渡しており、ほぼ護衛陣が守り抜きそうな形勢であることを悟っていた。 あとはどうにか防がれている消化液の洪水が、儀式の終わりまで待ってくれるのかどうか。 なにせここより奥へ、ルイスに捕らわれたものたちを救出に行ったり、『流転機関』を入手しに出かけたものがいるのだから。 それにしても、あの分身を見ると、ルイスとやらはもはや人の身を超越している、とテオは思う。 同じことを、ハクア・クロスフォードも感じていた。 白銀の銃がルイスを撃ち抜く。 そうして崩れ去った分身が最後の一体だったろうか。 「儀式はあとどれくらいかかる。襲撃は退けたが、このままでは……」 「いえ。くるわ」 「何」 ティリクティアは、空を睨んだ。 闇から、まっすぐに舞い降りてくる。まだルイスの分身が……いや、違う、あれは―― 「神無の馬鹿!」 キィン!と剣と刀がぶつかり合う音が、儀式場に響いた。 予知したとおり、村崎神無と対峙する。 「ナラゴニアのユリエスの事はどうするのよ!」 ティリクティアは斬り結んだ。 「ユリ……エス……」 鉄仮面の奥からこぼれる、声。 「ユリエスに手を伸ばしたのは神無でしょう! 何こんな所でルイスに操られてるのよ!」 「わ、たし、は……」 瞬間、神無の剣がにぶったようだ。だがすぐに勢いを返し、鋭く斬り込んでくる。 剣術そのものは神無のほうがうえだ。白刃が、ティリクティアをとらえるかに思われたが、 割って入ったのはジュリアンである。細剣で刀を受け止め、彼女を助けた。 「鉄仮面を悪と呼ぶ気はないのだが」 ジュリアンは告げた。 「誰が何と呼びどんな悪意や矛盾があろうと、今の所、僕はこちら側だ」 刀を押し返す。 「きみがどんな選択をしようと勝手だが、果たしてそれはどれほどの決意と熟慮の結果なのか。浅慮は身を滅ぼすぞ」 「……ユリ、エス……ルイス……わたし、は……」 苦しげな、呻きのような声。 「しっかりしなさーーーーい!」 スパァアアン!と小気味良い音がして、ティリクティアのハリセンが炸裂した。 ■ 救出行 ■ ルイス・エルトダウンの所在がこの「チャイ=ブレの体内」であることをつきとめたまではいいが、その後、ルイスに捕らわれてしまった、ミルカ・アハティアラ、一一 一、マスカダイン・F・ 羽空、シーアールシー ゼロ、そしてフェリックス・ノイアルベールの5名。かれらを救出するべく、体内をゆくものたちがいた。 「どこだああ、いたら返事しろぉおおおおおお!!!!」 虎部 隆の叫びは、粘膜の壁に吸収されてゆき、大して響きはしない。 かなうことならかれらのいる場所へ一直線にたどりつきたい。気持ちは逸るが、できることはトラベラーズノートで連絡をとることだけだ。ミルカたちも直接転移してきてその場所にいるのだから、位置関係を伝えることなどできるはずもなく、隆はどうすることもできなかった。 苛立ちをこめて、やわらかい壁を殴る。殴る。殴る。 フカ・マーシュランドはにおいを手がかりに探そうとするが、直接転移したミルカたちは途中の道ににおいを残していないため、たどることはできなかった。 ソア・ヒタネはひたすら、ノートからメッセージを送り続ける。 『無事ですか』『どんな所にいるんですか』『もうすぐ助けに行きますから待ってて……!』 心配に、胸がつぶれそうになり、視界がにじむ。 それでも、ほかにできることはなくて。 「鉄仮面サマだったら、魔力から追えるぜ? 二度目まして、だ」 そう言うティーロ・ベラドンナの言葉は、まさに福音だった。 いざ試してみると、無数の「分身」まで探知してしてしまい決め手に欠ける。だが……ティーロは考えた。魔法的な手段で探知されることはルイスも予測しているはずだ。もし自分なら、分身を各所に配置して霍乱を狙うだろう。 「この先だ!」 ティーロが示したのは、じっと動かず、位置を変えない一体だ。 これが「本物」である可能性に駆けた。 「ミンナ……僕ノ事、助ケテクレタ……。次ハ、僕ガ助ケル番ダヨ……」 幽太郎・AHI/MD-01Pはセンサーでルートの構造を解析し、距離などを割り出す。 そして、近づいてくる存在があることも感知できた。 「気ヲツケテ!」 「任せて……!」 本の図解で見たような、白血球をそのまま巨大化させたようななにかが、浮遊して襲い掛かってくる。黒燐がのばした爪の斬撃で退け、七代・ヨソギが火炎放射を浴びせた。 曲がりくねった通路を、足場やに進む。 ときどき、消化液らしきものが噴出し、たまっている場所に出くわすが、鹿毛 ヒナタが影で覆って道をつくってくれた。 「……」 はっと華月が顔をあげる。 声を、聞いたのだ。 「コノ先……熱源ダ。ミンナ……!」 通路が、ぱっと開けた。 「ミルカさぁあああん!」 ソアが感極まって泣き出した。 「マスカダイン様、お待ちになっていて下さい。今、お助け致します」 と医龍・KSC/AW-05S。 5人は肉の檻のようなものに閉じ込められ、消化液のプールのうえに吊るされていたのだ。 「急拵えのものですので、何処まで効果があるか分かりませんが……」 医龍が消化液の中に中和剤を投げ入れて中和を試みる。 金町 洋は、耐酸服を着込んでいるのをいいことに、消化液のプールに踏み込んで、肉籠へ向かう。 「今助ける!」 白衣をバール状にして硬化させ、こじあけようと突っ込んだ。 「来たか」 粘膜の壁を抜けて、鉄仮面が姿を見せる。 樹菓が進み出た。 「これ以上はおやめなさい。命を奪う事は許されません」 杖を突きつけるようにして、言った。 「ほう。なぜかね」 「生きたいと思う本人の心、生きてほしいと思う周囲の心を全て否定するからです」 「そうは思わぬ心もあるのではないかね」 樹菓は、ルイスと対峙することで、その過去を視る。 円形劇場で彼が殺したアイリーン。ホワイトタワーへの幽閉。そして。 「……生きることを、望まないと……?」 「虚ろなのだ。もはやすべて」 「だからといって、人を道連れになど……!」 それ以上のいらえはなく、かわって、「抗体」の群れがあらわれて押し寄せてきた。 「ミルカさーーーん!」 ソアは肉籠に飛びつき、火事場の怪力を発揮してそれを開けてしまった。 「あ、ありがとう……」 ソアに抱きつかれて、ミルカは疲労と憔悴のしたからも、笑顔を見せた。 「これでひと安心、ですかぁ?」 七代・ヨソギはミルカの様子を横目に、抗体へ火炎放射を浴びせる。 「無事でよかったわ。そういえばナラゴニアの商売の時、ヨソギが貰ったミルカお手製のアクセサリーが役に立ったわね。……さ、こんなところに長居は無用よ」 ソアとミルカを促す。 そして他の面々も助けなくては。 肉籠からの解放を試みるものと、おしよせる抗体を相手どるものに分かれた。 「がんばろう。どんなに絶望的でも挫けちゃダメ。みんなで頑張れば絶対に乗り越えられるよ!」 マグロ・マーシュランドの歌がみなを勇気づけ、奮い立たせる。 「はやく、みんなを!」 相澤優が防御壁が展開する。 その間に、結界をまとわせた華月の槍が、フェリックスの檻を壊した。 「すまなかった」 「助かりましたね、親分!!」 フェリックスは自由になるや、すぐさま、抗体との戦線に加わり、魔力をおびた剣を振るう。 「うりゃー!」 ヒナタの影が、肉籠をこじあけた。 「ありがとうなのねー」 「助かったのです」 「……鰍さん、あの……」 「相変わらず無茶しいだなお前は。……後悔はしてねえな?」 鰍は、一に向かって言った。 そしてミルカを振り返ると、 「ありがとうな」 と言うのだった。 「一の決意を聞き届けてくれて」 「いえ……みなさんを、結局、危険な目に遭わせてしまって」 「怪我はありませんか」 オゾ・ウトウは捕まっていた皆を気遣う人の感情を、そのまま治癒の力に変えて、5人へ注いだ。 「ねえ……!」 マスカダインは、再度、鉄仮面へ声を投げた。 「あなたの声を……本当の声を聞かせて。だって……だってあなたは――」 鉄仮面に表情はない。 仮面なのだからあるはずもない。 ただ、暗い眼窩から冷ややかな眼光が返るだけだ。マスカダインの言葉が届いたのかどうかさえさだかではなかった。 そのときだった。 争う音が近づいてくる。 銃声だ。 もつれあうような3つの影。先頭を駆けるのは――村崎神無だ! 追うのは村山 静夫と、ニコル・メイブ。 かれらは銃を向けたが、神無をはさんで救出隊の一行がその先にいたため、むやみに発砲できない状態となった。 「嬢ちゃんよ。先に清業淵に言った話はどうなったんだ。これが答えか」 弾丸のかわりに、村山はそんな言葉を投げかけた。 ニコルはもとより、銃は構えてはいても発砲はしていない。 「カンナぁ!」 と名を呼ぶのみ。 神無は跳躍した。 高らかに、宙で空転し、抗体の群れを飛び越して。 「……!」 ルイスが気づいたときには、もう。 その刀が袈裟がけに彼を斬り裂いていた。 「……っ、貴様」 「目が覚めたのよ」 人々が、驚きに目を見張るなか、神無の鉄仮面がひとりでに外れて落ちた。 「きついハリセンの一発で」 ごぼり、とルイスの仮面の隙間から血があふれる。 ばさり、とインバネスを翻し、ルイスは後方へ飛んだ。そのまま、肉壁に呑まれるように消えてゆく。 「一!」 優だった。一に駆け寄る。 「ルイスに言いたい事は言えた?」 「え」 「その為にここまで来たんだろう」 その手をとった。 「でも」 「危険です。撤退しましょう」 樹菓が言った。 「あの方は……まもなく死にます」 「え!?」 死の予感に、樹菓は目を伏せる。 くつがえすことのできない運命を、彼女は知ったのだ。 一方、神無はがくりと膝をつき、その姿が抗体の群れに飲まれていった。 「カンナ!」 ニコルが、二丁拳銃で抗体を射撃しながら、果敢に神無の救出へ挑む。村山もそれを支援した。 「バカね……ほんとにバカ……!」 ニコルは、事前に神無にメールを送っていた。「絶対泣かす」と。 そうよ、絶対、泣かしてやるわ! 神無を抱き起こし、ひきずってゆく。 オゾ・ウトウをはじめ、幾人かが助けにきてくれるのが目に入った。 「加勢に参った!」 阮 緋だ。影の馬、シンイェに騎乗し、飛び込んできた。 すでに、ミルカたちを救出したことは優がノートで知らせている。それを知って駆けつけてきたのだろう。 閃光とともに、雷虎が奔り、抗体の群れを焼く。だがそれはあとからあとからあふれてくるのである。 「退路は我らが死守する、決して躊躇うな!」 阮 緋が叫ぶ。 ぞろぞろと寄ってきて、包み込もうとする抗体を、シンイェの漆黒の蹄が蹴り散らした。 「さあ、早く!」 有馬 春臣の姿もあった。 「儀式のほうもまもなく終わりだ。あちらのほうの襲撃も防いだ。あとは全員無事にここから脱出するだけだ」 撤退を促しながら、水の盾をつくり、粘膜の壁から流れ落ちる消化液を防ごうとする。 救出隊は撤退を開始した。 5名は全員、無事。神無も確保した。 ルイス・エルトダウンの本体とおぼしきものは、重傷を負ったまま、深部へと姿を消した。 おそらく、助かるまい。 ■ 訣別 ■ 同じ頃。 別の場所で、ルイスの分身のひとりが、消滅しようとしていた。 「おい」 由良 久秀は、しびれを切らして声を発する。 ムジカ・アンジェロは何も言わない。 「なにしてる」 もうこんなところに用はないはずだ。いつ消化液が押し寄せてくるかもわからない。由良は落ち着かなかった。 鉄仮面は、胸からボウガンの矢をはやし、粘膜の壁にもたれていた。 その「仮面」はムジカがかつて与えたものだ。ということは。 「あのときすでに、『分身』だったとでも言うのか」 「さて。すべての分身と、私は記憶を共有しているのでね」 瀕死の呼吸のしたから、鉄仮面は応えた。 「なら、ルイスに伝わるな」 「そうだ」 「この街は矛盾している癖に、自分達への悪意には敏感だ。エドガー、おれはあなたとは違う道を往く」 ムジカの言った言葉を、ルイスは笑った。 「なんだと」 「……」 「この鉄仮面を継承しないというのか。私の死を無駄にすると」 「……」 「……それを選ぶなら致し方はない。なまぬるい羊の群れのなかで生きるのも、また……。だがそれでは、きみはただ気まぐれでこの町に悪意を解き放ったただの道化になってしまう。よく考えろ、ムジカ・アンジェロ。きみはすでに同胞を裏切っているのだぞ。この鉄仮面を引き受けてはじめてきみはこのターミナルの新たな魔王になれるというのに……」 分身は、そこまで語ると、朽ちて、崩れた。 ごとり、とあとに残ったのは鉄仮面だけ。 「逃げるぞ」 由良が、ぐい、とムジカの肩を掴んだ。 ■ ロストメモリー ■ ふわふわと、心と身体がただよっている。 儀式場の喧騒は、どこか遠くに、かすかに聞こえていた。 しかし意識はそこにはなく。半分目覚めながら、夢を見ているような不思議な心持ちだ。 実際には、せいぜい一時間かそこらであっただろう。 だがその間、儀式に臨んだものたちは、ロストナンバーとなるまでの記憶をすべて反復したのである。 (旦那様) サシャ・エルガシャの記憶は、あたたかで、穏やかな幸福が満ち満ちていた。 孤児だったサシャを養育してくれた、その人と過ごした日々は、サシャのすべてであったと言ってもいい。 その思い出を、しかし、サシャは捧げると決めたのだ。新たな人生、愛する伴侶との暮らしを始めるために。 (旦那様、サシャは今日からロストメモリーとして第二の人生を始めます) 眠れない夜、添い寝をして絵本を読んでくれた。 やわらかな午後の日差しのなか、穏やかなティータイムの、紅茶の香り。 ときには叱り、ときには励まし。それによって、サシャはメイドとして立派に生きていくことができたのだ。 (旦那様はワタシに人生の意味を教えてくれました) (天国の旦那様に心配かけないよう頑張りますから、どうか見守っていてください) 過去の記憶はセピアに染まり、やがて、真っ白く透けて消えてゆく。 残るのはただ、ほんのりと、あたたかな感触だけ。 やがてすべてが空白になり、そのウェディングドレスにも似た白のなかで、サシャはさやさやと眠り続けている。 空襲警報が鳴っている。 「急げ!」 「早くしろ!」 「こ、こわいよ」 「もたもたするな」 ああ……、来てくれたんでやんすね。 ススムくん――のちのそのような人格をもつことになる人形に、そのときはまだ自意識はなかったはずだ。 にもかかわらず、それはたしかに、彼の中に記憶としてあった。 平井、曾根田、中垣――3人の名はそう言った。理科室に毎日のようにやってきた仲良し3人組。 人体模型の内臓をバラバラにしては組み立て直し、中身をホルマリン漬けと入れ替えては教師に怒られ。 医者になりたいと言っていたのは平井くんでやんしたか……それとも別の生徒だったでしょうかねえ? 曾根田には美人のお姉さんがいて、中垣くんは国語が得意。 将来のこと、好きな女の子のこと、それから、それから。 ひたひたと、「戦争」という現実が迫っていることなど、理科室の人体模型には知るよしもなく。 それでも、あの空襲の夜、3人はススムを学校から持ち出して、裏山の防空壕に隠してくれたのだ。 学校は焼夷弾に焼かれた。だから、彼らはススムにとって恩人だ。 今ころ、どうしてるんでやんすかねえ…… もう二度と会うことはないだろう。最後に、ススムはかれらの幸いを祈った。 (これでもう怖くなくなるでやんス) 流渡は安堵している。 (仲間たちが消えたときのこと忘れられるでやんス) せせらぎの音が聞こえる。 昼なお暗い、森の奥だ。 その闇が凝ったようにして、流渡とその仲間たちは生まれた。 「出たぁあああああ!!」 慌てて逃げてゆく人間の背中を見送り、仲間たちと笑い転げた。 唖然とした人の顔。こぼれんばかりに目を見開いて。 ああ、楽しかったなァ。 くすくす、くすくす――。けたけたけた……。 仲間たちの声が、木々のざわめきの中にまじって、いつまでも響いている。 (妖怪の旦那方、本当にさようなら) あっしは気まぐれな妖怪なんデ……。 別れのしるしに、手にした提灯をゆぅらり、と揺らした。 あるじの奏でるバンドネオンの旋律が、炎の中に流れている。 カンタレラは踊る。 命じられるままに踊り、歌い、踊った。 あるじが焼かれ、死んでゆくのを見る。最期まで、その顔には笑みがあった。 (愛していた――愛していた――愛していた――!) カンタレラは想う。 ありったけの声で歌って、血を吐くまで歌っても足りないくらい。 踊り続けて、この四肢が裂けても足りないくらいに。 愛している、今でも、誰よりも。 この愛こそが私。これこそがカンタレラ。 だからあのとき、あるじととも炎の中でカンタレラは死んだのだ。そしてただ、踊り続ける影だけが残った。 カンタレラは歌う。それは昔日の自分への葬送歌だ。 禁断の恋――そんな表現は陳腐に過ぎる。 だが運命は陳腐にして、非情であった。 科学者の息子であるハルクと、魔道士の娘である彼女の出会いは最初から悲劇にしか繋がっていなかったのだろう。彼女の亡骸をまえにしたとき、ハルク・クロウレスの世界は一度終わった。 魔道士過激派に殺された彼女の遺体を、魔導方程式により保存し、彼女を蘇生させるための研究を始めた。 あれからどれくらいが経ったのだろう。 禁忌の研究は、ハルクを世界から追放することになった。 こんな運命もまた、あの出会いの瞬間に決定づけられていたのだろうか。 それとも、彼女の手をとり、夜の街へと駆け出したあのときから、運命が変わってしまったのだろうか。 数十年、走り続けてきた。 ただもう一度、あの笑顔を見たいがためだけに。 だが、それも、もう――。 ハルクは眠りに身をゆだねる。優しい、忘却の海に泳ぐように。 その頃まだ、ガン・ミーは緑色だった。 シー・カン(茨甘)と呼ばれる存在だ。同世代のどらごんは多くいたが、ガン・ミーはそのなかで最後に大人になった固体だった。つまりもっとも幼かった。 「そうだ、よくできた」 師が言った。 武術の稽古の時間だ。皆がてこずる型を覚えるのに、最初に習得したのが、もっとも幼いガン・ミーだったのだ。 (うれしかったのだ) それが、最初で最後の皆に褒められた記憶。 それから、辛いこともたくさんあった。 それでも、あのことがあったから頑張れたのだ。 ガン・ミーは丸くなる。封印される大切な記憶を、最後にもう一度、いとおしんだ。 (ママ) ママのことを思うと、今でもすこし痛みがある。 ううん、それは嘘。本当は叫び出しそうになる。だから。 (バイバイする事にしたの) 胎児のように膝を抱え、スイート・ピーは眠る。 養い親を殺した記憶が甦って以来、彼女を苛み続けてきた。ロストメモリーとして封印されれば、その記憶からは永久に逃れられるだろう。 (ママを忘れちゃっても大丈夫、今のスイートにはお友達がいる) 竜ちゃんは、ロストメモリーになるって言ったら泣き出しちゃった。バカね。これからも会えるし、お友達なのに。 異世界には滅多に行けなくなるから、セリカちゃんとはなかなか会えないと思うけど……お手紙くらいなら送れるわ。元気にしてるかな。 友人たちのことを思えば、心が強くもてるのを感じた。 (これからはターミナルがスイートのおうち) (今度はスイートが「おかえりなさい」を言ってあげるの) ぱたん、と小箱を閉じるように。 かれらの記憶は、記憶宮殿の中に封印された。 頭上に浮かび上がる真理数「0」。 全員が、真理数を獲得したことを確認すると、8名はすみやかに運び出される。 儀式は無事、終了。 ミルカたちも救出された。 ルイスはこのままチャイ=ブレの体内で果てることになるだろう。 あとは『流転機関』の探索に赴いた部隊の帰還を待つばかりだった。
このライターへメールを送る