★ White Dragon in the FANTASIA ―掌中の珠― ★
クリエイター犬井ハク(wrht8172)
管理番号102-4219 オファー日2008-08-23(土) 22:45
オファーPC 月下部 理晨(cxwx5115) ムービーファン 男 37歳 俳優兼傭兵
ゲストPC1 イェータ・グラディウス(cwwv6091) エキストラ 男 36歳 White Dragon隊員
ゲストPC2 ハリス・レドカイン(cwcs2965) エキストラ 男 34歳 White Dragon隊員
ゲストPC3 臥龍岡 翼姫(cyrz3644) エキストラ 女 21歳 White Dragon隊員
ゲストPC4 リシャール・スーリエ(cvvy9979) エキストラ 男 27歳 White Dragon隊員
ゲストPC5 トイズ・ダグラス(cbnv2455) エキストラ 男 23歳 White Dragon隊員
ゲストPC6 ヌール・ビン・カルサーム(cbyx1707) エキストラ 女 44歳 White Dragon隊員
ゲストPC7 唯・クラルヴァイン(cupw8363) エキストラ 男 42歳 White Dragon隊員
ゲストPC8 ジョン・ドウ(caec2275) エキストラ 男 32歳 White Dragon隊員
ゲストPC9 刀冴(cscd9567) ムービースター 男 35歳 将軍、剣士
ゲストPC10 理月(cazh7597) ムービースター 男 32歳 傭兵
<ノベル>

 1.日常、一転

 天気のいい午後。
 月下部理晨(かすかべ・りしん)は、『弟』の理月(あかつき)とともに路地裏を歩いていた。
 目指す、古ぼけたビルまでは、あと十分と言ったところだろう。
「んじゃ、そこに、イェータたちがいるんだ?」
「ああ。皆あちこち出歩いてるみてぇだから、今何人残ってるかは判んねぇけど、基本的には十人以上で共同生活してる」
「傭兵団ってそんなもんだよな。俺はよく洗濯係やってたな、たまにメシも作ったけど」
「そうそう、俺もあそこにいたら洗濯と掃除の係だな、本拠地ではいつもそうだし。あとは菓子を焼くくらいか。イェータはメシ係なんだ、あいつの作るメシはホント美味いんだぜ」
「へえ」
「いっぱい美味いもの作ってやってくれって頼んどいたからな。きっと、腕によりをかけてくれるぜ」
「そりゃ楽しみだな、皆に会うのも楽しみだけど。……でも、ホントは外国で活動してるんだろ、ホワイトドラゴンのメンバーって。それが日本にいるってことは、皆、理晨を追っかけて来たのか?」
「え? あー……そうなのかな。いや、どうだろ」
「そうなんじゃねぇの? ……愛されてんじゃん、あんた」
「それはまぁ、家族だからな。俺だって、あいつらのこと、愛してるし」
「うん、それは判る。――ちょっと羨ましい」
「何言ってんだ、お前は俺の弟みてぇなもんなんだから、だったらお前だってあいつらにとっちゃ家族だろ。羨ましいなんて思ってる暇もないくらいの勢いで大事にしてくれるさ」
「……うん」
 理晨の、最大で二十三年という長い時間をかけて培われた信頼と愛情から来る言葉に、理月がまったく同じ色調の銀眼を和ませて頷く。
 理晨が理月を、家族であるホワイトドラゴンの隊員たちが共同生活を送るビルに連れて行こうと思い立ったのは、何も昨日今日のことではなく、ムービースターとそれを演じた俳優という垣根を越えて判り合うことが出来た瞬間からの願望だった。
 たくさんの家族をなすすべもなく喪った、十二年前のあの日、すでにホワイトドラゴンに在籍していた隊員は、実はそれほどたくさんこちらに来ているわけではないが、理晨が、そして理月が経験してきたすべての痛みは、ホワイトドラゴンの古参メンバーだけではなく、そこに所属する全員が共有するものだ。
 今もまだ少なからぬ苦悩を抱える――無論それは何も理晨だけのことではないのだが――理晨を、生き残った、または新しく増えた家族たちが癒してくれるのと同様に、理月のそれもまた、彼らが和らげてくれればと思う。
「まあ、あいつらに会ったら全部判るさ。もう少しだ」
 言って、理晨は路地裏の角を曲がった。
 三百メートルほど先に、古びた灰色の、それほど大きくはない、武骨で無造作な印象の、五階建てのビルが見えて来る。
「あれか?」
「おう。イェータが手に入れて来て、整備して、住めるようにしたんだってさ。外側はぼろっちいけど、中はかなり綺麗だぜ」
「へえ……イェータって、見てるだけで戦い慣れしてるって判るのにな。戦いだけってだけじゃなくて、生活力満載なんだなぁ」
「ああ、お陰で他の連中は助かってる。俺も含めて、だけどな」
 見れば、出迎えだろうか、何人か、出入り口に立って、こちらに手を振っているのが判る。
「あ、イェータだ」
 金の髪に金の眼の、背の高い男の姿を見い出して、理月が手を振ると、二百メートルほど先にあるビルの前で、彼が手を振り返すのが見えた。
 異様なまでに目がいい理晨には――ということは理月もだ――イェータ・グラディウスが笑っているのが判ったし、その近くにいる何人もの男女が、皆、こちらを見て笑顔になったり、手を振ったりしているのが判った。
「あれが理晨の家族か……楽しみだな」
「だろ」
 言った理晨が、家族の元へ辿り着くべく、更に足を進めようとした、その時だった。
 ――突然、横合いから、大型のヴァンが、凄まじいスピードで突っ込んできた。
 小型の貨物自動車は、ビルからふたりを覆い隠すように停まる。
 交通ルールもくそもない。
 路地裏とはいえ歩行者はあって、何人かが悲鳴を上げた。
 だが特筆すべきはそれだけではなかった。
 両脇のドア及び分厚いシートで覆われた後部の荷台から、銃火器を手にした男たちがばらばらと降りて来て、ふたりを取り囲んだのだ。
「――月下部理晨だな」
 男たちは皆、迷彩服に目だけが見える覆面という出で立ちをしていた。
 呼びかけが質問というよりは確認のように感じられて、周囲を伺いながらも理晨が黙ると、男のひとりが彼と理月とを交互に見比べた。
「おい、ふたりいるぞ」
 日本人ではないと判る訛りを隠しもせず、男が声を上げる。
 彼を理晨と知っているからには過去に何かあった連中なのだろうが、理月のことまでは調査していなかったようで、彼は声に困惑を滲ませていた。中心と思しき男ですら一瞬迷ったようだったが、
「……構わん、ふたりとも捕らえろ」
 彼は、やはり日本人ではないと判るイントネーションで、すぐにそう命じた。
 理晨は理月と視線を交わし、かすかに頷き合う。
 自分たちの身の安全のためにではなく、無関係な人々のために、抵抗は出来ないと判断したのだ。
 こういう類は、自分たちの目的のためならば、平気で他人を巻き込むし、傷つける。それだけは避けなくてはという意識から、
「事態はよく判んねぇけど、素直について行ってやるから、こんなところで銃撃戦とか寒い真似すんなよな」
 両手を挙げながら理晨が言うと、指揮官は一瞬黙ったあと、
「……いい心がけだ」
 そう言って、彼の首筋にアサルトライフルのグリップを叩き込んだ。
「、ッ!」
 目の前を星が飛ぶような感覚。
 素直について行くって言ってんだからそのまま乗せろよ、などと愚痴りつつ、同じような目に遭ったらしい理月が襲撃者たちの腕に抱えられ、車に運び入れられるのを妙に冷静に見遣り、理晨は意識を手放す。
 意識が闇に落ちる一瞬前、ちらと流した視線の先で、ホワイトドラゴンの面々が色をなくしているのが見えた――ような気がした。



 2.暗雲

 ほんの一瞬のことだった。
 わずか数十秒前まで、出で立ちさえ除けばまったく同じ姿かたちのふたりが、路地裏の角から現れ、手を振ったのを、唯(ゆい)・クラルヴァインは微笑んで見つめていた。
 すらりとした四肢のはらむ躍動的なエネルギー、武骨だがしなやかな手指、髪のやわらかさや肌の質感、笑顔の可愛らしさ、眼の色合い、眼差しの強さと静けさ、邪気のなさなどを、唯は、本当にそっくりだ、それは我々にとっても喜ばしいことに違いない、などと思っていた。
 唯はホワイトドラゴンに入団して十五年の古参だから、十二年前の“あの事件”のこともよく覚えているし、その鎮魂のために映画『ムーンシェイド』が作られたことも知っている。
 あの映画の登場人物のひとり、傭兵団『白凌(はくりょう)』で主人公である理月の兄代わりを務めたクロカという男は、唯が“あの事件”で喪った親友がモデルになっているというのもあって、唯にとって『ムーンシェイド』と理月とは、感慨と哀しみと友愛の対象なのだ。
 だから唯は、他の面子もそうだとは思うのだが、ふたりがあと数分でここへ辿り着くだろうという辺りで、横から脅迫的な速度で突っ込んできたヴァンが視界からふたりの姿を遮ったかと思うと走り去り、その場には誰も残らなかったのを見て眉をひそめた。
 あまりにも急で、一瞬呆けたと言うのが正しい。
 油断していたと言われれば返す言葉もないが、銃弾の飛び交う東南アジアの戦場ならばともかく、ここは、武器を携行するのにも苦労する日本なのだし、それに、ホワイトドラゴンで随一の実力を持つ理晨が何の抵抗もなく囚われたのも気になった。
 恐らく、周囲の人々を巻き込まぬために、甘んじて囚われたのだろう。
「一体誰が……?」
 思わず眉根を寄せる唯の横で、真っ先に動いたのはイェータ・グラディウスだった。
「……」
 無言のまま、あり得ないような速度で、ヴァンが消えた方向へと走って行く。
 確かに、戦場では、時折神がかった働きをする男だが、今日のそれは異様で、唯は、あっという間に小さくなるイェータの背を、驚きとともに思わず見送った。
 そのあとを追って、トイズ・ダグラスがハマーH2で飛び出して行く。
 後部座席には、ライフルを手にしたハリス・レドカインと、全身を漆黒のアバヤとヘジャーブに包んだヌール・ビン・カルサームの姿があった。
 恐るべき迅速さだ。
「……どういう、ことだと思う……ツバキ……?」
「ええ、どこの(自主規制)野郎かしらね、理晨に手を出すなんて?」
 リシャール・スーリエと臥龍岡翼姫(ながおか・つばき)がそんな言葉を交わしたあと、ビルへと戻って行く。
 翼姫はハッキングやクラッキングを得意とする後方支援のエキスパートだ。
 様々な端末にアクセスして情報を得ようというのだろう。
 永遠のライバルでありながら何故か呼吸がぴったりというリシャールは、そのサポートのために彼女と同行したに違いなかった。
 それぞれが瞬間的に行動を開始した中、何故か予感のようなものがあってその場に留まった唯の携帯電話が、映画『ムーンシェイド』の主題歌である『In This World』のメロディを鳴り響かせる。
 この着信メロディの相手は、ホワイトドラゴン隊員のみだ。
 発信者を見てみると、サイラス・G・アンダーソンとある。
 ――つまり、国際電話だ。
「はい……ああ、団長ですか。いや、イェータは今ちょっと……ああ、はい、そうなんですか? それは一体……はい、そうですか……ええ、そうです、つい先刻。はい、判りました、ではそう伝えます」
 唯が通話を終えると、ジョン・ドウが唯を見る。
 この、気のいい大型犬然とした美貌の男、時としてホワイトドラゴン内でペット扱いさえされる人物は、表情こそ動かないものの、理晨と彼の『弟』を心底案じているようで、
「どうしたんだ、唯? 何が起きた?」
 どこか途方に暮れたように問いかける。
 唯は、さて、と肩をすくめた。
「本拠地の方にね、電話があったそうです。“黒の鉄槌”を名乗る男から」
「“黒の鉄槌”……それは、ヌールの……?」
「ええ、二年と少し前、我々にあの地域での戦闘から手を引くようにと理晨を誘拐した連中ですね。アラブ系の過激派テロ組織でしたか」
「俺も救出に参加したから、覚えてる。でも、あいつらは、確か……?」
「叩き潰したつもりでいましたが……漏れがあったのかもしれませんね。ともあれ、その“黒の鉄槌”から、理晨を無事に帰してほしければお前たちが奪ったものを返せ、という旨の脅迫があったようです」
「……奪った? 何か奪ったか、俺たち?」
「さあ、私もさっぱり。団長も判らないと仰っていましたが、知らないといって通じる相手ではなさそうなので、理晨たちと引き換えに返却する旨の交渉を行い、二十四時間後に再度連絡をするという内容で一旦決着したようです」
「……と、言うことは」
「ええ、二十四時間以内にふたりを見つけ出して救出しなくてはなりません。団長は、向こうの担当官に、ふたりが五体満足でなければ交渉が成り立たないこと、その場合報復行動を行うことを伝えたようですから、今すぐにふたりが命の危機に晒される確率はそれほど高くはないでしょうが、かといって確立が低いというわけでもありませんから、急ぐに越したことはないでしょうね」
 連中を追った四人のことも気懸かりだ。
 ホワイトドラゴンというのは所属する傭兵ひとりひとりの戦闘能力が高いことで有名な部隊だが、それでも敵側があまりに大人数であれば、数によって圧殺されかねない。
 そこへ、素晴らしいタイミングのよさで、
「唯、ポチ! ヴァンは郊外の工場地帯へ入ったわ、追うわよ!」
 唯とジョンの銃を手にしたリシャールを従え、翼姫が出て来る。
「理晨の携帯電話、GPS機能つきだから手っ取り早かったわ。電源を切ったくらいでこのわたしから逃げられると思ったのかしら、まったく(自主規制)野郎どもはこれだから困るのよね」
 リシャールに礼を言って銃を受け取りつつ、四人で、もう一台のハマーH2が収納してある車庫へ足早に向かう。
 途中、翼姫がプリントアウトしてきた情報にざっと目を通し、
「団長から電話があったみたいだけど、こっちでも特定したわ。これ、入国記録。こっちは市内の監視カメラの映像。偽造パスポートを使って入国したみたいだけど、このパスポート、ブラックリスト入りしてるヤツよね」
「ああ、見覚えがありますね、この男。……そうですか、司令官は生き残ったんですね、前回の戦いでは。詰めが甘かったようです」
「どうせ、ひとりだけさっさと逃げ出して無事だったような(放送禁止用語)野郎だったってことでしょ。そんなヤツにわたしの理晨が危険な目に合わされるなんて耐えられないわ」
 車庫にある二台のハマーH2は、理晨の恋人が、理晨が冗談で欲しいと言ったらぽんと買ってくれたという代物だ。
 そのことを考えるたびに複雑なジェラシーが湧き上がるので、皆、あまり積極的には使わない、使いたがらない車だが、今に関しては、贅沢は言っていられない。
「ポチ、向こうに着いたらイェータを探すのよ。向こうはかなりの大所帯みたいだから、全員揃ってから一気に行動を開始した方がいいと思うの。――もう、ここではあいつが一応わたしたちの指揮官のはずなのに、何ひとりで飛び出して行ってんのよって話だわ」
 唯が運転席に滑り込むと、その隣に翼姫がぶつぶつ言いながら陣取る。
 翼姫が、リシャールとともに後部座席に乗り込むジョンに向かって言うと、彼は翼姫より十以上年上のはずなのだが、翼姫にポチ呼ばわりされても、居丈高な物言いに怒りもせず、従順に頷いている。
 その辺りが、ジョンがホワイトドラゴン隊員たちに、毛並みのよいレトリーバーなどと呼ばれる所以だろう。
「判った。……早く、理晨を助けないと」
「当然よ、連中の汚い手で理晨に触られちゃたまんないわ。……ああ、でも、助け出したあとにわたしが消毒してあげるって言うのもときめくわよね」
「ときめくかどうかは……俺には判らない、けど、理晨が心配だ。理晨の、『弟』も」
 車両が滑るように走り出す。
「わたしは別に、理晨以外どうでもいいけど、理晨が大事だって言うなら、ついでに助けてもいいわよ」
「え……何を言ってるんだ、ツバキ……俺、アカツキに会うの……すっごく、楽しみにしてたのに……。アカツキの、抱き心地って……リシンと、一緒なのかな……?」
「……あんたがそう言うんだったら、わたしも理月に抱きついてやるわ。あんたなんかに理晨の『弟』を渡すもんですか」
「ホント……大人げないな……ツバキ姫は……」
「あんた人のこと言えると思ってんの!?」
「どうでもいいけど、このふたりのやり取りを聞いていると寿命が縮むような気がする」
「ポチは黙ってなさい」
「……はい」
 いつも通りのやり取りを繰り広げつつ、車中に満ちるのはぴりりとした緊張感だ。
 彼らにとって理晨は、魂の奥底で光る星だ。
 彼がいるから、ホワイトドラゴンはホワイトドラゴンなのだ。
「少し……飛ばしますよ……!」
 理晨を助け出し、抱き締めて、早くあの笑顔をもう一度見たい、と、唯はアクセルを踏み込む。
 当然、他の隊員たちも、まったく同じことを考えているだろう。



 3.追跡、冷眼

 市街地を抜け、廃棄物だらけの工場地帯に踏み込んだ辺りで、銃弾が飛んでくるようになった。
 市街地での発砲がなかったのは、無関係な人間への配慮と言うよりは、日本という遠くはなれた、無防備であるがゆえにやり辛いという独特な国で面倒ごとを起こし、出国し辛くならないように、という思いからだろう。
 後部座席にはハリスとヌールがいるから、応戦は不可能ではないのだが、あの荷台に理晨と理晨の『弟』がいると思うと不用意に発砲は出来ず、銃弾が脇を避けつつ追跡することしか出来なかった。
「――……来るぞ、トイズ!」
 ハリスが低く警告を発する。
 誰かが手榴弾を投げたのだ。
「ちっ」
 トイズ・ダグラスは小さく舌打ちをして急ブレーキをかけた。
 ハリスがライフルを構え、手榴弾を撃つ。
 通称アップルグレネードと呼ばれるそれは、弾丸に弾かれて大きく飛び、廃工場の一角で派手に爆発を起こした。
 砂煙を伴った爆風がここまで吹きつけて来て、視界を遮られ、三十秒のタイムロスをする。
「……くそっ!」
 どこかの角を曲がったらしく、その間にヴァンは見えなくなっていた。
 猛烈な焦りが込み上げて、ハンドルに突っ伏して歯噛みする。
 落ち着け、と自分に言い聞かせ、考える。
「俺だったらどうする。俺があいつらだったら」
 トイズは、必要とあらばヘリコプターでも戦闘機でも大型トレーラーでも大型フェリーでもジャンボジェットでも運転出来るという、乗り物という事物に特化した技能の持ち主だが、戦闘能力は、ホワイトドラゴンという集団の中で言えばそれほど高くない。
 だから、今のトイズがすべきなのは、あのヴァンを追跡し、理晨と理晨の『弟』が連れて行かれた位置を特定して、トイズには化け物としか思えない戦闘能力を持つ非常識な連中に知らせることなのだ。
「多分……位置は、翼姫が特定してる」
 トイズが呟くと、ハリスが頷いた。
「翼姫の現在位置、判るか、ハリス」
 こういう時のために、ホワイトドラゴンのメンバーは、皆、自分の位置を知らせるGPS機能つきの携帯電話を所持している。
「……まっすぐこっちに向かっているようだな。俺たちが通ってきたのと同じ道を使っているようだから」
「そっか……ってことは、目眩ましにこっち来たわけじゃないみたいだな、あいつら。なら、もう少し奥の方に行ってみるか」
「そうだな。ひとまず向こうに連絡を入れてみるから、少し進んでみてくれ。くれぐれも用心しろよ」
「当然だ、俺たちが怪我をしたって、理晨は哀しむ。だから、俺たちは、自分の身の安全にも気を配らなくちゃならないんだ」
 答えて、ハマーH2を発進させる。
 焦りは治まっていた。
 理晨は自分たちが来るのを待っているのだ、という思いが、トイズに、彼を攫った連中に対する怒りより強い、絶対に助ける、という意志を与える。
 ――トイズにとって理晨は、自分を許し受け入れてくれる安らぎの体現だ。
 トイズの首から下がるドッグタグには、彼が理晨に出会った時の日付と、彼がホワイトドラゴンに入団した日付とが刻印してある。
 それは、彼の人生が劇的に変わった記念日だ。
 理晨のお陰で、トイズには家族が出来た。
 理晨のお陰で、トイズは自分を確立することが出来た。
 理晨はいつも、分け隔てない愛情を、トイズたちに注いでくれる。
 理晨の向けてくれる笑顔と、偽りのない、深くて強い、そして温かい心根が、トイズの胸を、常に打ち抜き続ける。
 理晨がいるから、ホワイトドラゴンはホワイトドラゴンとして機能することが出来るのだ。
 すなわち理晨とはホワイトドラゴンの心臓、もっとも大切な、重要な存在ということだ。彼に手を出すことが何を招くのかを、トイズたちは、愚かな略奪者に、骨の髄まで教えてやらなくてはならない。
 怒りを抑え込み、ひたすら意識を集中させて、わずかな変化も見逃すまいと周囲に気を配りながら、廃工場群の細い道を行く。
「翼姫か? ああ、ハリスだ。……何? ああ、そうなのか、判った。では、進路はこのままで問題ないな?」
 ハリスが何ごとかを話している。
 翼姫の声が、ほんの少しだけ聞こえて来る。
 トイズはそれを意識の隅に聞きながら車を進めた。
「“黒の鉄槌”だそうだ」
 通話を終わらせたハリスの第一声がそれだった。
「それ、まさか、二年前の……?」
「ああ」
 肯定が返る。
 トイズはバックミラーでヌールを伺った。
 とはいえ、そもそも表情が少ないという以前に、顔の大半を布で覆われた彼女から、感情を読み取ることは難しいのだが。
「なら、話、簡単」
 ぼそり、とヌールが言う。
 母国語がアラビア語で、日本語や英語はあまり胆嚢ではない彼女の言葉は、体言止めの多い、たどたどしいものだが、
「奴ら、愚か。自分たち、正しい、絶対、思ってる。――この辺り、一番奥、一番広い、建物大きい、ところ、いる」
 実は、かなりの高確率で毒を吐く人物でもあるのだ。
「なるほど。だったら、翼姫たちからの連絡を受けながら奥を探せばいいか」
「見張り、いる。必ず。捕らえる。『情報処理』、する」
「だな。よし、じゃあ、行くぞ」
 頷き、トイズは再び車を発進させる。
 理晨の恋人が、理晨が欲しいと言ったからと冗談のような気安さでくれたというこれは、贈り主が理晨の恋人という部分さえなければ、非常に運転しやすく、騒音も揺れも少なく、扱いやすい。
 団長が孤児院を運営しているのと、金銭のためだけに戦うわけではないホワイトドラゴンの性質上、副団長が貿易会社を経営し、理晨や刃が俳優稼業で少なからぬ金を稼ぎ、その他の隊員たちも副業でそれなりに現金収入を得ているのに、ホワイトドラゴンはあまり裕福ではない。
 ホワイトドラゴンがヘリコプターや小型輸送機、大型の重火器を持っていないのは、ひとえに金銭的な問題からなのだ。
 理晨を追ってこちらに来るのでも、事前にかなり無理をして金を貯めた彼らにとって、自動車、しかもハマーH2などという高額極まりない贈り物は確かにありがたかったが、贈り主のことを考えると嫉妬が湧き上がるので、運転していても複雑だ。
「まぁ……でも、今は、素直に、あってよかった、って思おう」
「? どうした、トイズ?」
「ん、いや、何でもない」
 車両は静かに滑り出し、トイズは、意識を集中させ、周囲に気を配りながら、ヌールの言った条件に合う廃工場を探す。
 彼らが来たことを勘付かれて、理晨たちを危険に晒しては意味がないため、細心の注意を払う。
 とはいえ、いつものことだが、例えば監視カメラがあったとして、襲撃者が特定されているのだとしたら、翼姫が向こうの電子機器を密かに制圧し、こちらに不利な情報を与えないようにしている可能性が高いので、用心しすぎて行動が鈍るほどではない。
 似たような、打ち捨てられ錆び付いた鉄や機械で埋もれた廃工場を、息を殺して観察しながらゆっくりと通り過ぎる。
「ヌール」
 化け物クラスに視力のいい目を活かして、わずかな違和感も見逃さぬようにと外を見据えながら、彼女を見ずにハリスが声をかけると、ヌールは無言という反応で先を促した。
「奴らは、二年前にホワイトドラゴンが奪った何かを返せと言っているらしい。理晨を、それと引き換えに返す、と。――心当たりは、あるか?」
 ヌールは時に“機械的”と称されるほど常日頃から反応が薄い。
 と言っても、理晨と一緒だと幸せそうだったり、仮設駐留所ではぼそりと突っ込んだり、ある一点においては自己主張したり、弄られやすい隊員を無表情に弄ったりすることもあるので、一概には言えないのだが、それでも、普段の彼女はそれほど派手な反応、感情は見せない。
 それが、ハリスがそう言った時、ほんの一瞬だけだが、明らかに、彼女の持つ気配が揺れた。
「“ターギヤ”……」
「え? なんだって?」
「……何も。盗った、違う。だが、奴ら、愚か。それ、判らない」
「平行線ということか」
「電撃戦、一番。じき、皆も追いつく、始末する、一気」
「……そうだな」
 ヌールの反応、言葉から、何かがあったことは察せられたが、彼女が何でもないと言うのならそれを信用するしかない。
 基本的に、様々な事情や過去を抱えて集まったのがホワイトドラゴン隊員たちだ、誰も、本人が言わない限り、強引に聞き出そうとはしない。自分がされたくないのだから、自分もしない。そういうことだ。
 理晨が関わっているとなれば話は別だが、理晨に関することで絶対に嘘をつかない、というのが団内の暗黙の了解でありルールだ。その中で、本人が問題ないと言うのなら、問題はないのだ。
「心配、無用。奴らのやり方、知っている、とても。――逃がさない。リシン救う、奴ら叩き潰す。とても簡単」
 淡々とした、ただ事実を告げる口ぶりに頷き、トイズは再度運転に意識を集中させる。
 早く理晨を助け出して抱きつこう、などと思いつつ、周囲に意識を集中させるトイズの耳に、
『あれは、あの時、始末した。リシンが望んだのだから、あれは、そうなるべきだった。それがリシンを危険に晒すというのならば、私は、その後始末をつけるだけだ』
 彼女のその独白は、確かに聴こえていたのだが、アラビア語で呟かれたため、トイズにもハリスにも伝わらなかった。



 4.邂逅

 そこに到着するまでおよそ一時間かかった。
 距離があったのも確かだが、様々なガラクタがバリケードよろしく積み上げられた廃工場、そしてそれを取り囲む他の工場群が思いのほか入り組んでいて、主に理晨の身の安全を優先した結果、少し時間がかかってしまったのだ。
 そこから、大まかな当たりをつけて先んじていたトイズたちと合流したあと、調査を開始して、すでに二時間以上が経過していたが、彼らはまだ、理晨たちが囚われている場所へは近づけずにいる。
 “黒の鉄槌”が使用している電子機器、特に監視カメラは、彼らが気づかぬままに翼姫が制圧してしまったので、ホワイトドラゴンの面々が機械によって発見されることはないが、人間の目は別だ。彼らの目を、翼姫の技術で眩ませることは出来ない。
 だから、彼らは現在、突入にもっとも相応しい位置とタイミングを測って、慎重に周囲を調査しているのだ。
 ジョン・ドウは、見張りを、彼らより先んじて見つけ出すため、完全な無表情で周囲を探っていた。
 同時に、翼姫から仰せつかった――ジョンにとって翼姫というのは、ホワイトドラゴンで一、二を争う『怖い存在』だ――任務、イェータを見つけて合流するというそれのためにも精神を研ぎ澄ましていた。
 ジョンは、普通の人間として考えれば戦いには慣れているが、ホワイトドラゴンというカテゴリの中では、それほど戦闘能力が高いわけではない。
 彼は“探知犬”で、生きた嘘発見器だ。
 それ以外には、大したことが出来るわけでもない。
 だからこそ、今、与えられた、“黒の鉄槌”の状況を把握し、最善のルートを特定するという仕事を、迅速に、全身全霊でこなさなくてはいけないのだ。
「理晨……どうか、無事で……」
 無論焦りはある。
 表情こそ動かないが、ジョンの内面は繊細で、未だ発達しきれない幼い感情は、理晨という拠りどころ、光を求めて不安げな声を上げている。
 ジョンにとって理晨は、ジョンが囚われ、苦しみ続けている過去を受け入れ、乗り越えて行く上で、なくてはならない大切な存在なのだ。
 しかし、ひとりひとりが動かなくては、事態が進展しないことも知っているから、ジョンは、じわりと足元から這い上がってくる冷たい焦燥を抑え付けて、全身の感覚を研ぎ澄ませ、ヒトの気配を探っていた。
 誰かひとりでも見つければ、あとは仲間たちが何とでもしてくれる。
 それは、決して世の中のことに聡いとは言えないジョンにも判る、絶対の真理だ。
「もう少し、奥に……」
 呟きながら、全身を緊張させ、全身を五感に変換しながら角を曲がった、その先に、長い黒髪を綺麗な組み紐で結わえた男が佇んで、今にも朽ち果てそうな廃工場を見上げていた。
 気配も何も感じ取れなかったので――時に野生の獣にも勝る鋭さを発揮するジョンが、だ――、彼は少し驚いて立ち止まり、男の後ろ姿を観察する。
「……イェータ……?」
 そんなはずはないのに、背後から見ても耳が尖っているのが判るのだからどう考えてもムービースターであるはずなのに、何故か、ホワイトドラゴンの日常生活を担う金目の男の名を呼んでしまい、ジョンは内心で首を傾げる。
「イェータ、って名を呼んでるってことは」
 恐らく、ジョンの存在にはとうの昔に気づいていたのだろう、低くて耳に心地のいい声とともに、男が振り向く。
「あんたが探してんのは、もしかしたら、月下部理晨ってヤツかい」
 宝石のような、という陳腐な表現がぴったり来るような青い目と、身体の左半分を彩る精緻な刺青、腰に佩いた大剣、明らかに百戦錬磨の武人と判る雰囲気。
 外見的には、違うものばかりなのに、やはり何故か、ジョンは彼にイェータの面影を見ていた。
 顔立ちが、ほんの少し、似ているような気がしたから、なのかもしれない。
「……そうだ、けど、おまえ、は……?」
 周囲を伺いながらジョンが問うと、男は肩をすくめた。
「理晨の『弟』の友だちさ」
「! 何故、ここに」
「あいつらが自動車とか言うのに積み込まれんのを見たからだな、当然。徒歩で追っかけんのはなかなかいい運動になったぜ」
「……徒歩で。……追いかけて来られる距離、だったか……?」
 ここまで来るのに、自動車を駆使して小一時間はかかったはずだ。
 あれから三時間が経ったとしても、この男は、疲労の欠片ひとつ滲ませてはいない。
 彼の言の真偽が、ジョンには判断が出来なかった。
 肉体のすべての反応から、他者の嘘を容易く見抜くはずのジョンが、だ。
「おまえ、は、一体……?」
「一体、も何も、普通のムービースターさ。それはあんたにも判るだろ?」
 かすかに笑った男が一歩踏み出す。
 ジョンは瞬間的に全身を緊張させていた。
 敵ではないと思う。
 しかし、あまりにも得体が知れず、底が見抜けず、戸惑ったのと、戦闘に特化していない自分では勝てない、という直感が働き、いつでも次の行動に移れるよう、無意識に身構えてしまったのだが、男はそれを見てまた笑い、肩をすくめた。
「あんたたちが理晨の関係者である限り、俺は敵じゃねぇし、あんたをどうこうしようって気はねぇ、そう警戒すんなよ」
 その、邪気のない笑顔に、また、何故かイェータを彷彿とさせられ、ジョンは首を傾げる。
 警戒心は、少しずつ薄れ始めていた。
「……そうか。俺は、ジョン・ドウだ」
「俺は刀冴(とうご)っていうんだ、まぁ、よろしくな」
「刀冴か、判った。刀冴は、理晨と、理晨の『弟』がどこにいるか、判るのか」
 不思議がっていても仕方がないので、一番大切なことを尋ねると、刀冴は、恐ろしいほどに深く澄んだ青い目で周囲を見渡し、頷いた。
「この奥に、ヤンチャな連中がこういう場所に溜まるにしちゃおかしい数の、しかも明らかに素人じゃねぇ類いの気配がある」
「奥……この工場跡の、か。なら、そこに理晨たちが……?」
「さあ、恐らくそうだろうとは思うが、詳しい位置までは判らねぇな、俺には。ウチの守役を連れてくりゃあ、話は別だが、そんな余裕はなさそうだ」
 一体何があるというのか、朽ちかけた工場の奥を見つめる刀冴の目は、厳しい。
「もーちょっと内部の状況を掴まねぇと、踏み込み難いな、これは。あいつらを危険に晒しても不味いし」
「確かに、そうだ。……全体的な人数は、判るのか」
「百は超えてるな。ムービースターも何でか混じってる」
「それは……やつらが雇った、ということ、か……?」
「多分な。この町について、多少は学習してたってことじゃねぇのか。飛びぬけて物騒な気配が三つあるな、なかなか厄介そうだぜ」
「……」
 ジョンは黙り込む。
 ジョンは、それほどこの町やムービースターたちのことを知っているわけではないが、とても危険な状況だ、と、いうことを、意識の深いところが告げている。
 刀冴の言葉に、仲間たちともう少し作戦を練った方がいいかもしれない、とジョンが考え込んだ時、刀冴が青い双眸を工場の影へと向けた。
 どうした、とジョンが問うよりも早く、
「ジョン? お前も来……」
 金髪に金の目の、ホワイトドラゴンの主夫が姿を現す。
「あ、イェータ、」
 彼は、ジョンがすべてを言い終わるより早く表情を厳しくし、腰から大ぶりのコンバット・ナイフを引き抜くや否や、瞬く間に距離を縮めると、刀冴にそれを突きつけようとした。
 イェータのことだから、理晨を捕らえた連中の中にムービースターがいることを知っていて、刀冴もその仲間だと思ったのかもしれない。
 つくづく、理晨が絡むと短気になる男だ。
 しかし、
「おっかねぇな、おい」
 刀冴は、何と、右手の親指と人差し指と中指でそのナイフを止めた。
 時として、一撃で首の半分まで、刃渡りが長ければすべてを断ち切る膂力を持つイェータの、全力ではなくともそこそこ本気のこもったナイフを、だ。
 俺なら絶対にあんな怖いことはしない、と、ジョンは本気で思った。
 そのまま押したり引いたりの駆け引きを続けることしばし。
 刀冴が呆れたような息を吐いた。
「俺はあんたたちの敵じゃねぇっつの。理晨から聞いてた通りだな、イェータ・グラディウス」
 その言葉に眉根を寄せ、イェータがナイフを退ける。
「……ってことは、おまえが、理月が言ってた刀冴ってヤツか」
「何を言われてたのかは知らねぇけど、刀冴は俺だな」
「おまえも、ふたりを助けにここに来たのか?」
「まァ成り行き上、な」
 肩をすくめる刀冴は飄々として、焦りは感じられない。
「……ずいぶん落ち着いてるな、おまえ。理月はおまえの弟みてぇなもんじゃねぇのか」
「そりゃまァ面倒は見てるしすっかり家族同然だし助けてやりてぇとも思うが、慣れてるからな」
 そんな刀冴を、少々気に食わないといった表情で見ていたイェータだったが、ややあって大きく息を吐き、工場の奥へ金の視線を向けた。
「ふたりがこの奥にいることに間違いはねぇ。兵隊は全部で77人、こっちで雇われたらしいのが30人ほどいる。そのうちの三人は警戒が必要だな、ありゃ多分厄介だぞ」
「ふむ、概ね同じ意見だな、俺も。どこまで一気に攻め込めるかが肝になるんじゃねぇか? 陽動で兵隊を動かして、混乱に乗じてふたりを助け出したあと殲滅、ってのが妥当だろ」
「……だな。となると、やっぱ、もっと詳しい内部の情報が欲しい。おい、ポチ……じゃねぇや、ジョン」
「何でその間違いなんだって詳しく訊きてぇけど、訊かなくても判る気がする」
「どうした、イェータ」
「しかも呼ばれた当人普通だしなぁ」
「こっちに来てんのは、誰だ?」
「俺と、イェータの他に? 唯と、ハリスと、リシャールと、トイズと、ヌール。……あとツバキ」
「おまえ、相変わらず翼姫が怖ぇんだな……まぁいいけど。よし、んじゃひとまず皆と合流した方がよさそうだな、翼姫とヌールなら色々情報を手に入れられそうだ」
「……ツバキ、イェータがひとりで飛び出して行ったから、怒ってた。多分まだ怒ってると思う」
「ああ、そりゃ悪かったな。理晨のことなんだから仕方ねぇだろ。ってことでジョン、代わりに怒られといてくれ」
「え、いやあの、それは……」
 翼姫は多分、イェータに、代わりにこいつを怒れ、とジョンを差し出されたら、自分の前に彼を正座させて、普通に説教を始めるだろう。しかも楽しそうに。
 寿命が三か月分くらい縮むような気がして、勘弁してくれ、と思ったが、イェータがさっさと歩き出してしまったので慌ててあとを追う。
「……大変だな、あんた」
 成り行き上、突入のタイミングを合わせた方がいいと判断したのか、ジョンの隣に並んだ刀冴が、呆れたようにそんなことを言ったので、思わず力強く頷いてしまう。
「いつも、あんな感じだ」
「……愛されてんだな」
「ええと、それは、俺のことか?」
「おう」
「え、そういう、もの、なのか……?」
「ジョン、何やってんだ、置いてくぞ」
「あ……うん、判った」
 イェータに呼ばれ、愛ってよく判らない、などと思いつつ、釈然としないままジョンは速足になる。
 しかし、もちろん、イェータが、いつもの調子を取り戻してくれるのなら、悪いことではなかった。
 仲間が揃い、助っ人まで加われば、あとは情報を仕入れて作戦を決行するのみだ。



 5.虜囚

 頭から派手に水をぶちまけられ、理月は顔をしかめた。
 水が、傷に染みたのだ。
 しかし、それ以上何がどう、ということでもなく、理月は、前髪から雫をこぼしながら、黙ったままで、エキゾティックな顔立ちの、褐色の肌の男たちが、自分の手首から枷を外し、理晨の元へ戻す……という一連の作業を甘受した。
「大丈夫か、理月?」
 手錠をかけられ、鎖で鉄骨と手錠とをつながれた状態で、鉄屑の山を背にして座っていた理晨に問われ、同じように手錠をされて鎖でつながれ、その場に座らされた理月は、不自由な体勢のまま肩をすくめてみせた。
「あんなの、ヌルいぜ。ヌル過ぎて寝ちまうかと思ったよ」
「あー、まぁ、その辺のことはよーく理解してるけど、暢気だなぁお前」
「あんただって同じようなこと言ってたじゃねぇか」
「そりゃ俺だって慣れてるさ」
 わけが判らないままここに囚われて、五時間か六時間は経ったと思う。
 “黒の鉄槌”を名乗る彼らは、どうやら理晨と何かしらの因縁があるらしく、ふたりに、『あれを返せ』『あれをどこへやった』という旨の質問を、肉体的苦痛に訴えながら何度も行い、何ごとかを聞き出そうとしているようだったが、理晨とそっくりで、中身も似ていても、理晨と同一ではない理月には、たとえ答えてやりたいと思ったとしてもさっぱり意味が判らず――そしてどうやら理晨も知らないようだ――、彼らの目的は未だ果たされてはいなかった。
 彼らの方でもそれは薄々感じ取っているらしく、途中から質問はおざなりになり、腹いせめいた、ひどい、しかし致命傷や大きな傷にはならない程度の『尋問』が、一時間に一回程度の割合で、理晨と交互に行われていた。
 とはいえ前述の通り、あちこちでドM認定される理月は痛みには慣れており、肉体を大きく損傷させる類いの拷問が行われないことを鑑みて、ふたりを今すぐにどうこう、という切羽詰った危機も感じ取れず、爪の二三枚は剥がされたし、小骨の何本かは折れた感覚もあるし、打撲痕など何箇所か数える気にもなれないほどで、背にはひどい鞭の痕、肉の抉れた痕が残っているが、基本的に現在の理月は暢気だ。
 そういや腹減ってきた、などと考える程度には。
 呆れつつも、同じ程度のダメージは受けているくせに大した変化がない辺り、理晨も相当暢気だ。
「……悪かったな」
「ん?」
「あいつらは、俺の客だ。二年ほど前に壊滅させた過激派テロ組織の残党だろう」
「ああ、そうなのか。『あれ』ってなんなんだ?」
「それが俺にも判らねぇんだよなぁ。ヌールなら知ってる、か……?」
「ヌール? 背の高い女だったか、確か?」
「ああ、元々はヌールがいた組織なんだ。二年前、色々あって、情けねぇ話だけど、こいつらに誘拐されたんだよな、俺。で、ヌールは俺のことを助けてくれて、それが縁でホワイトドラゴンに来ることになったんだ」
「へえ」
「だから、お前には無関係だったのに、巻き込んじまって、ごめんな」
「いいよ、別に、そんなの。あんただけ攫われてたら、心配で仕方ねぇじゃねぇかよ。逆だって、多分、そうだろ」
「……なるほど」
「そりゃまぁあんまありがてぇ状況じゃねぇけど、俺は、あんたと一緒でよかったと思うし、別に、何も諦めてねぇから」
「ああ、それは、俺もだ」
「だから、おあいこってヤツだろ」
「……だな」
 顔を見合わせてかすかに笑ったあと、
「それに」
 理月がぽつりと言うと、理晨が同じ風合いの銀の眼を彼に向ける。
「……何かさ」
「ああ、どしたよ?」
「状況的には結構深刻なはずなのに、あんま、怖ぇとかやべぇとか思えねぇんだよな」
 穴の空いた天井を見上げ、忙しなく動き回る人々を見遣って、赤い髪と、白い髪と、翠の髪の、明らかにムービースターと思われる、物騒な雰囲気を漂わせた男たちを観察しながら理月は呟く。
「刀冴さんが近くにいる。そんな気がする」
 理晨以外に聴こえないよう、音量を絞って言うと、
「……俺も、皆が近くに来てるって確信がある」
 理晨からも、同じ類いの言葉が返った。
 多分それは、理月の願望のみの、思い違いではない。
 予感めいた、信頼とでも言うべき確信だった。
 だから、多分、心配は要らないのだ。
 理月は、次の『尋問』が始まるまで、そして友人たちが救出に来てくれるまで体力を温存しておこうと、理晨にもたれかかって目を閉じた。
「……ヌールはどうすんのかな。あいつは、何をどういう風に選ぶつもりなんだろう」
 過去を追憶するような口調で言った理晨が、理月のそれに苦笑する気配があって、同じ色調の指先が、まだ重く濡れそぼったままの理月の前髪を梳く。
 理晨とヌール、そしてこの組織の間に何があったのかは知らないが、こんな場所、こんな場面ですら、肩越し、背中越しに伝わってくる理晨の体温が好きだと、安堵のように思う。



 6.過去、鮮明

 意識を失った状態の彼がそこに運び込まれた時、ヌール・ビン・カルサームは、何故か視線が外せなくなった。
 独特の光沢がある濃い黒褐色の肌と、すらりとして力強い四肢、鋭く、理知的に整った容姿の、こんなところで目にするのが不思議なくらい、こんな場所では不似合いなくらい、何もかもが絵になる青年だった。
 だが、自分が彼に釘付けにされたのは、顔立ちの端正さが理由ではなかった、と、後々のヌールはその時の自分を振り返る。
 彼女が属する組織の人間は、ヌールに、彼が、この辺りで行われている戦闘に、敵として参加しているホワイトドラゴンという傭兵団の一員であることを告げて、青年の『情報処理』を命じ、必要な情報が得られたあとも、適度に痛めつけて逃げる意志を削いでおくように命じて部屋を出て行った。
 今、“黒の鉄槌”は、偉大な神に背く連中に天罰を落とすための、“ターギヤ”、即ち暴君と呼ばれる大層なものが手に入ったとかで、少々立て込んでいる。
 そのため、皆が出たり入ったりしていて、本拠地は慌しい雰囲気に包まれていたが、ヌールは、小うるさい連中に口出しされずに済むからむしろありがたい、などと思っていた。
 どうやら青年は、激しい銃撃戦の末に囚われたらしく、腕や脚や肩など、数箇所に銃創があって、傷口からはまだ出血しており、どれも致命傷のようには見えないが、手当てをしてやらなければもしかしたら死ぬかもしれない、それは困る、と、青年とふたりきりの部屋の中で、ヌールは、珍しくそんなことを考えた。
 ここに連れてこられるまでに、すでに気の荒い連中から暴行を受けたようで、青年は、あちこちから血を流し、あちこちを腫らし、また泥で汚していたが、不思議とそれらが彼の姿かたちの端正さを損なうことはなく、浅い呼吸を繰り返す青年の、滑らかな頬や長い睫毛を熱心に見つめていたヌールは、意識を失ったままでは尋問も出来ない、という理由をつけて、ひとまず、簡単に手当てをしてやることにした。
 基本的に、捕虜や人質を生かして返すことのない組織において、情報処理という名の拷問担当員として、無慈悲にヒトを抉って来た彼女が、何故そんな気持ちになったのかは、判らない。
 判らないが、その時の彼女は、絶対にそうしなくてはならないような気になっていたのだ。
 ――あとになって考えれば、結局のところは一目惚れで、もうその時には、逃れようがないくらい夢中になっていたのだろう。
 しかし、その時のヌールは、感情というものに不慣れだったので何のことか判らず、自分を不思議に思いつつ、面倒にも思いつつ、しかし新鮮なことだともぼんやりと感じながら、あちこちが破れて無残な様相を呈している服を脱がせて――彼女は回教圏の女性だが、『仕事』柄見慣れているのと、感情が希薄であること、そしてジェンダーを重視されずに育った経緯から、男性の裸体などに羞恥を感じることはない――傷口を拭き、幸い弾丸は貫通していたので消毒をして血を止め、包帯を巻いてやった。
 適当な理由をつけて、組織の指揮官たちが涼を取るための氷を失敬して来て、それを濡れた布に包んで腫れたところに当ててやっていると、青年が低く呻いて眼を開けた。
 しばらく周囲を彷徨ったあと、ヌールに注がれたその視線は、透き通った灰色にも、怜悧な銀色にも見える印象的なもので、ヌールは、感情の動き難い彼女には珍しく、それを、とても綺麗だ、と思った。
「……?」
 出血の所為かぼんやりとした表情で自分を見つめる青年の背を支えて上半身を起こしてやり、冷たい水の中で氷が泳ぐグラスを唇に押し当ててやると、彼は、不思議そうに、しかし咽喉を鳴らしてそれを飲み干した。
 それでようやく意識がはっきりしたらしく、しゃんと背筋を伸ばしてその場に――ちなみに、『情報処理』を受ける人間を横たえるための、まったくやわらかさのないベッドだ――腰かけた青年の、不思議な風合いの銀眼が、ヌールを真っ直ぐに見つめる。
『敵なのに、助けてくれたのか?』
 発せられた言葉は、ヌールたちの母語だった。
 発音や文法も正確で、伸びやかなその声は聞いていて心地がいい。
 この闊達な声が、苦痛に歪みひび割れるのだろうか、などと想像してから、ヌールは首を横に振る。
『助けたわけではない。私はお前を『処理』せよとの命を受けている。必要な情報を得るまで、お前に死んでもらっては困る。それだけだ』
 実際には、手当てをしなかったからと言って死んだかどうかは判らないが、彼に死なれては困る、と思ったのは確かなので、そう答える。
『ありゃ致命傷じゃねぇよ、あの程度なら十日やそこらは持っただろ、あんたならそれくらいは判ったはずだ。その間に『情報処理』を行うくらいのことは、“黒の鉄槌”の“ムジュタヒド”なら容易いんじゃねぇのか』
 ムジュタヒドは彼女らの言葉で勤勉な、とか熱心な、とかそういう意味で、徹底した、容赦のない彼女の『仕事』ぶりに、組織外の人間たちがヌールにつけた渾名だった。
 青年は、自分がどこに囚われて、誰の目の前にいるのか、きちんと理解しているのだ。そして、自分がこれからどんな目に遭わされるのか判っていて、それに怯えるでもなく、ヌールと向き合っている。
 ヌールの言葉から、彼女が表には出さない、彼女が自分自身でもきちんと理解はしていない真実を感じ取っている。
 不思議な感覚だった。
『……念には念を入れる。そういうことにしておくがいい』
 何となく、見透かされているような気がして、いつもの毒舌も冴えず、ヌールがそれだけ言うと、青年はかすかに笑った。
 ――それどころではないはずなのに、傷は激しく痛むはずなのに、笑ったのだ。
『んじゃ、そういうことにしとく。――でも、ありがとな』
 邪気のない、可愛らしささえ漂う、無防備な笑み。
 そんなものを、ヌールに向けたのは、彼が初めてだった。
 希薄な、未発達なはずの感情が、激しく揺さぶられたのを、ヌールは奇妙な感慨とともに自覚していた。
『……『処理』は明日から始める、それまで休んで、覚悟を決めておけ』
 内心の漣を悟られぬよう、あくまでも冷酷に告げたつもりだったが、それが青年に通じたかどうかは、定かではない。
 彼は生真面目に、判った、と頷き、
『俺たちも譲れねぇから、何したって無駄になっちまうだろうけど、相手があんたなら、まぁ、いいかな』
 などと、もう一度笑ってから、
『あ、俺は理晨っていうんだ』
 と、お前は本当は馬鹿なんじゃないのか、とヌールが反対に心配になったほど――そんな気持ちになったのも、実は生まれて初めてだった――、他愛なく暢気なことを口にしたのだった。

 * * * * *

 結局ヌールは、次の日もその次の日も、そのまた次の日も、そのまた次の日も『処理』を行わなかった。
 行えなかった、が正しいのかもしれない。
 彼は、ホワイトドラゴンという著名で厄介な傭兵団を、“黒の鉄槌”が関与している戦闘地域から撤退させるための人質でもあるらしく、厳しく追求しろという命令と同じく、命令があるまでは絶対に殺すなとも団長から厳命されていて、理晨の怪我の状況を鑑みると、それほど激烈な『処理』は出来ない、と判断したのもあるが、
『あ、ヌール』
 やはり、彼の、無防備としか言いようのない笑顔を、苦痛などで曇らせたくない、というヌールの願望が一番大きな理由だった。
 そして同時に、そこに、ひどいことをして理晨に嫌われたくない、彼に憎しみや恐怖の眼差しで見られたくない、という思いが根ざしていたこともまた、事実だ。
 願望などというものを抱いたのも、実は初めてのことで、ヌールはそれに首をかしげながらも、組織内が慌しいのもあって、『情報処理』の部屋に彼女と犠牲者以外が入らないのをこれ幸いと、理晨の観察に精を出していた。
 以前は監視カメラがついていたのだが、あんな無粋なものがあっては仕事がはかどらない、と、かなり前にヌールが外させたのだ。それが幸いして、今、ここは、おかしなことに、ヌールと理晨の茶飲み場所になっている。
 死すら思うほどの痛みを、死を伴わずに与える、という点において、彼女は芸術家だった。
 “黒の鉄槌”に囚われ、彼女に『処理』をされて、何も吐かず、泣き喚かず、心を挫けさせなかったものは、いない。
 組織の中での彼女は、道具同然の存在だが、代わりがきかないモノであることも確かで、『仕事』に関することならば多少の無理も利く。
 組織に忠実な――というよりは、逆らう理由も必要もなかっただけのことだが――、組織に有用なモノをたくさん集めてくる彼女は、確かに重宝されていて、その機械的な実績のゆえに、監視カメラを外すことも許されたのだ。
 彼女と接することが多い下っ端たちは、機械のように容赦のない、苦痛の体現者であるヌールを恐れていたから、彼らを脅して理晨のための新しい衣装を手に入れることは難しくなかった。
 そして今日のヌールは、他愛ない会話から、理晨がチョコレート好きだということを知り、同じく下っ端たちを脅して、何種類かのチョコレート菓子を手に入れて来ていた。
『……私は一体、何をやっているんだ』
 差し出されるままに、チョコレート菓子を受け取って、至れり尽くせりだなぁなどと喜んでいる理晨の、三十五歳だとはとても思えない邪気のなさに――実は二十代前半程度だと思っていて、実年齢を聞いて呆れすらしたヌールである――、思わず我に返り、ヌールは小さく呟く。
『ホント、何やってんだろうなぁ』
『……お前が言うな、お前が』
 機械的と称される彼女しか知らぬ者が見たら驚きそうな人間臭さで溜め息をつき、ヌールは理晨の隣に腰かける。
 理晨は、ソリッドチョコレートと呼ばれる、板状のものを半分に割って、その半分をヌールに手渡し、自分は残りを口に咥えた。
 本当にお前は私とたった七歳しか違わないのか、と、ヌールは真剣に思ったが、それを口にしてもさらりと流されるだけだということをこの二三日で理解してもいたので、言葉にはしなかった。
 後々のヌールは、自分が理晨に対して突っ込み気質になったのは、間違いなくあの辺りが原因だ、と自己判断をすることになる。
『交渉は難航しているようだぞ』
『へえ』
『ホワイトドラゴンは、我々があそこから撤退しない限り手を引く気はないと言いつつ、お前を見捨てようとも思っていないらしい』
『そりゃあそうだろうな、団員の誰がここにいるんでも、皆そうする。――……でも』
『なんだ』
『俺に関して言うなら、別に、切り捨ててくれて構わねぇのにな』
『……それが出来ぬと奴らが言うから、我々はこうして、チョコレートなんぞを食しているんだろう。お前は、大切にされているんだな』
『ああ、厄介なことにな』
 指先を舐めながら理晨が言い、でもまぁ、とヌールを見る。
『自分に関して言うんなら、俺は、あんたとも会えたし、終わり方としちゃ悪くねぇかなって思ってる。どうしようもねぇときは、あんたに殺してくれって頼むわ』
『また、そういう、わけの判らないことを……』
『判んなくねぇって』
『私は、敵だぞ』
『や、それはそうなんだけどさ。でもヌール、俺のために色々してくれたじゃん。正直なとこ、俺、あんたのこと、好きだぜ』
『……』
『気づいてねぇかもしんねぇけど、ヌール、笑うと可愛いしさ』
 開けっ広げに、何の躊躇もなく好きだといい、笑顔を見せる理晨に、ヌールは思わず黙る。
 ヌールは、物心ついた時には組織の一員として育てられていた。
 慰安婦を母に、誰とも判らぬ団員を――“黒の鉄槌”の団長ではないか、という説が有力だが、ヌール自身にそのことへの興味がないので未だ確認したことはない――父に持つヌールは、男性優位の世界にあって、もののような扱いをされて育った。
 現在の彼女が機械的な性格になったのはそのためで、愛情などというものは、ヌールからは遠かった。
 組織の人間はヌールを便利な道具として扱うのみで、彼女を労わったり、慈しんだりすることはなく、ヌールもまた、それを求めたことはないし、必要だと思ったこともない。
 それなのに、出会ってたった五日の、しかも敵対関係にあるはずの男が、彼女に好きだと言い、笑顔を見せるのだ。
 そして、その彼に対して、ヌールは、自分でも気づかぬままに、笑っていたというのだ。
 それは、ヌールにとって、世界が揺らぐかのような衝撃だった。
『……組織はお前を始末する気だ、リシン』
『だろうな。そろそろ痺れを切らす頃だと思ってた』
『お前を始末して、お前の家族と戦うつもりらしい。――お前は、それでもいいのか』
『仕方ねぇだろ、俺ひとりのために、皆を危険に晒すわけにもいかねぇし』
『恐ろしいとは、思わないのか?』
『何を?』
『己の死や、痛みを』
『そりゃ、全然怖くねぇ、なんて言わねぇけど。でも、俺は……俺たちはさ、世界中が平和になって、俺たちのすることが何もなくなりゃいいと思って、ここにいるんだ。そのために死ぬんなら、そのための小さな力になれるんなら、悪くねぇと思う』
『平和……そんなものが、やってくる日が、いつか訪れるんだろうか? お前たちは、訪れると、思っているのか?』
『いつか訪れるとか、そんなんじゃなくて、それが見てぇから、ホワイトドラゴンはあるんだよ』
『だが……私は、』
 言いかけて、何を言おうとしたのか判らなくなり、黙る。
 そもそも、本来のヌールは、それほど饒舌なわけではないのだ。
 理晨と一緒にいると、ついつい喋らされてしまうだけで。
『俺がいなくなったら、ちょっとでも寂しいか?』
『寂しい……?』
『……だったら、ここで死ぬのも悪くねぇなぁ。誰かが、俺の最期を覚えててくれるんなら、まったくの無意味ってわけでもねぇんだろうから』
 寂しいとはなんなのかと考えて、理晨がここから消えてしまうことなのだと悟った瞬間、ヌールは息が止まるかと思った。
 初めてヌールに笑顔を向けた人間。
 初めてヌールを人間として、女として扱ってくれた男。
 初めてヌールが好きだと言ってくれた人間。
 ――初めて、ヌールが、何かしてやりたいと思った男。
 それを、彼女は、一度に、喪うのだ。
 得たと思ったら、喪失を味わうのだ。
 私は、の、あとの言葉を、ヌールは唐突に理解した。
 たとえそれが世界平和の礎となるのであっても、そのために理晨が喪われるのは嫌だと、彼女はそう思ったのだ。平らかになったあとの世界に、理晨がいないのでは意味がないと、そう思ったのだ。
『ヌール? どしたよ?』
 寂しいとは何なのかがよく判った。
 自分はそれを耐えられるのだろうか、と思う。
 そう思ったら、声が出なくて、ヌールは壁の染みを凝視しながら黙り込むしかなかった。
『なんだ、もしかして、本当に寂しいって思ってくれたのか?』
 本気で言ってはいなかったのか、驚いたような声がして、
『……気にすんなよ、本当は、今こうしていられることの方が、奇跡なんだから。俺は、最後にヌールに会えて本当によかったって思ってるから。な?』
 伸ばされた手、武骨なくせにやさしいそれが、ヌールの、漆黒のヘジャーブに覆われた頭を撫でる。
 慈しむように、労わるように、惜しむように。
 それもまた、生まれて初めての経験で、ヌールは呼吸をすることすら忘れた。
 七つも年下のくせに、などとは、思わなかった。
 ただ、覚悟だけを、決めた。
 ――何もかもを裏切り、何もかもを喪ってでも、我が身を犠牲にしてでも理晨を救うのだ、彼を、彼を愛するものたちのところへ返してやるのだという、覚悟を。



 三日後、ヌールが理晨を逃がそうと『情報処理』室を開け放ったのと、動向が普段と違うことからヌールの裏切りを知った“黒の鉄槌が”、理晨と彼女をもろともに始末しようとしたのと、組織が痺れを切らすことを見越してホワイトドラゴンの精鋭たちがアジトを襲撃してきたタイミング、それらが完全に一致していたのは、運命というしかないのかもしれなかった。
 結果、千人近い団員が在籍していた“黒の鉄槌”は、数でいえばその一割にも満たない、怒り狂った白竜たちによって壊滅させられ、ヌールはその混乱の中、“ターギヤ”の重要な部品を奪い、破棄した。
 その後、自分も誘拐犯の仲間として彼らに始末されるのだろうと思っていた彼女は、『理晨を助けてくれたのなら俺たちにとっても恩人だ』と、青天の霹靂のようなことを言われて、ホワイトドラゴンに籍を置くことになった。
 その、不思議で深い流れに、そして自分が理晨の傍にいることを許されているのだという事実に、ヌールは、今になっても感慨を覚え、また、ヌールにこの運命を与えた、『何』とも知れぬものに感謝するのだ。



 7.縛鎖

 見張りの兵隊を、二三人ばかり見繕って捕らえてきたのは、ジョンとイェータと、それから刀冴という名前の、どこかイェータと似た雰囲気を持つムービースターだった。
 彼らに『情報処理』を施して――施されたそいつらがどうなったのかは知らないし、興味もない――、廃工場内部の詳しい見取り図と、兵隊の配置、そして“黒の鉄槌”に雇われたムービースターたちの詳細を引き出したのは、勿論、ヌールだ。
 彼らは今、作戦の最終チェックに余念がない。
「ここの、二階部分に太い管が通ってるだろ、ここと、こっちの排水溝と、こっちの倉庫、あと南階段付近にプラスティック爆弾を設置してきた」
 イェータが、地面に即席で描いた地図を指し示して説明すると、唯が頷く。
「では、それを一斉に爆発させると同時に、一気に潜入、ですね」
「ああ。じゃあ、俺とジョンはそろそろ移動するぜ?」
「はい、気をつけて」
「じゃあ……始めるわよ。潜入班は、A方向がイェータとジョン、B方向がヌールとトイズ、C方向が唯とリシャね。わたしはここに残って全体的な統括と、やつらの電子機器に侵入しての撹乱を行うわ」
「……ツバキ姫に使われるのは……不本意、だけど……リシンのため、なら……まぁ、我慢してあげるよ……」
「当然よ」
「なら、俺はD方向……この地点からの狙撃を。連絡をくれれば、移動して援護にも回る」
 イェータとジョンが建物の影へ消えてゆくのを見送ってから、ハリス・レドカインはそう言い、地図の一点を指差した。
 現在、彼の手には、シグザウエル SSG−3000と呼ばれる、あらゆるライフルの中でもトップクラスの射撃制度を誇る狙撃銃があって、出番を待ちかねている。
 ハリスは、理晨の無事を確信しながらも、一刻も早く無粋で愚かな連中から彼を救い出したい、早く理晨の笑顔が見たい、抱き締めたい、などと、切実に思っていた。
 雇い主の裏切りで、前に籍を置いていた部隊が全滅したという過去を持つハリスにとって、ホワイトドラゴンと理晨は、ひどく近しい、痛みを分かち合える存在だ。
 もちろん、彼が理晨を愛するのは、傷を舐め合うためではないが、未だ過去のトラウマから逃れられず、時折狂気と絶望の狭間を行き来し、我が身を傷つけることでしか正気を保てないハリスには、重苦しい荷を背負いながらも前向きに、絶望せず、人を愛し愛されて生きることの出来る理晨は、憧れであり、支えでもあるのだ。
「ハリス」
「どうした、トイズ」
「俺、ヌールを奥に送り込んだら、こっちから、こう、連中の車とかかっぱらって来てぶつけてやろうと思うんだけど、車が建物にぶつかる一瞬前にガソリンタンクを打ち抜くって、出来るか?」
「無論だ」
「じゃあそれ、頼むわ。迎えが来たぜって、派手に教えてやりたいしな。理晨、待ってるだろうな。……早く、迎えに行ってやらないと」
「ああ」
 狙撃兵であるハリスは、スタミナ的な問題から言っても、近距離戦はあまり得手ではない。だから、本当は、アジトの奥まで踏み込んで行って、直接理晨を助け出したいという願望があるのだが、この場面においては自重するしかない。
 その無念さと怒りとを弾丸一発一発に込めるつもりだ。
 もちろん、ハリスにとって一番大事なのは、理晨を無事に助け出すためならどんなことでもする、という気概なのだが。
「うーん」
「どうしましたか、翼姫?」
「……正直、もう少し派手な陽動とめくらましが欲しいところね。ここにいるのは九人です、なんて、知られちゃったら不味いから」
 図面を見下ろしながら翼姫が言う。
 それへ、
「ああ、それなら、俺に考えがあるんだが」
 声を上げたのは、刀冴だった。
 彼の、美しい刺青に彩られた左腕には、いつの間にか、白鳥くらいの大きさの、翼のある漆黒の蜥蜴、そう、つまりはドラゴンがいて、ルビーのような赤い眼を煌めかせ、刀冴にじゃれかかっていた。
「もう、突入準備は完了ってことでいいのかよ?」
「ええ、いつでもやれるわ。これ以上先延ばしにするのも危険だもの。――それで? どんな考えがあるって……なに、そいつ?」
 勝気な口調で言った翼姫が、刀冴の腕に止まった生き物を見て眉をひそめる。
「エルガ・ゾーナ」
 ぼそり、とつぶやいたのは、映画通のヌールだ。
「知ってるのか、ヌール」
 トイズの質問に、ヌールが小さく頷く。
「『星翔国綺譚』の常勝将軍。黒竜、守役の半身。――なるほど、了解した」
「どういうことだよ?」
「――……こういうことさ」
 にやりと笑った刀冴が、黒竜を空高く舞い上がらせる。
 漆黒の鱗がきらりと輝いた。
「それがいった、い……ッ!?」
 トイズの声が裏返ったのも、無理はない。
 エルガ・ゾーナと呼ばれた黒竜は、空をぐるりと一周するや否や、唐突に、全長二十メートルもの巨大な姿になって、おまけに火まで吐いたのだ。
 何かに引火したらしく、小規模な爆発が起こる。
 遠くの方から叫び声が聞こえてきた。
 銃火器を手にした兵隊たちが飛び出して来て、エルガ・ゾーナに驚愕の声を上げ、一斉に攻撃を始める。
 エルガ・ゾーナの咆哮と、吐き出される火、怒号、銃声。
 辺りは一気に喧騒で満たされた。
「集中攻撃、されてるけど……、あいつ……大丈夫なのか……?」
「ん? 人間の作った鉛の弾ごときが貫けるようなもんじゃねぇぞ、三千歳級の竜の鱗なんて」
「……了解、じゃあ……俺たちも、始めようか……」
 唯と目配せを交わし、リシャールが奥へと潜り込んで行く。
 トイズとヌールがそれに続き、翼姫が物陰に身を潜めて、パソコンを開いた。
「さーて」
 かすかに笑った刀冴が、腰から、深紅の刃が煌めく大剣を引き抜く。
 剣で銃に勝てるのか、とは、誰も言えなかっただろう、こと、この男に関しては。
「派手に引っ掻き回してやるとするか」
 それらを見届けて、ハリスもまた、自分の勤めを果たすべく、持ち場につく。
「リシン……待っていてくれ……」
 呟き、シグザウエル SSG−3000のグリップを握る手に力を込める。
 ――もちろん、正直なところ、ホワイトドラゴンの勝利を疑っているわけでもなかったが。



 8.熱波

 リシャール・スーリエは、唯・クラルヴァインとともに、“黒の鉄槌”の仮アジトを駆け抜けていた。
 シビアな現実世界に生きる“黒の鉄槌”には――それはリシャールとて同じことだが、日本のサブカルチャーに詳しい、むしろマニアである彼にとっては、まったくの想定外というわけでもない――、小山のようなドラゴンが襲撃してきた、というのは相当なインパクトだったようで、戦闘員たちは浮き足立っている。
 刀冴と名乗ったムービースターが陽動を命じたからか、ドラゴンが工場内に入ってくることはなかったが、全長二十メートルの、しかも火を噴くドラゴンなど、組織の連中にしてみれば、脅威以外のなにものでもないだろうし、これ以上アジトに侵入されないよう、必死で防衛するしかないだろう。
 聞こえて来る悲鳴や怒号、そして一塊になって表へと駆け出してゆく兵隊たちを脇目に見遣りつつ、ばったり出くわしてしまった場合は問答無用で瞬殺しつつ、リシャールと唯は、物陰に身を隠しながら奥へと進む。
 工場のあちこちから、爆発音が聞こえて来る。
 イェータとジョンが仕掛けて回ったというプラスティック爆弾と、奪った車両をトイズがあちこちにぶつけて回っている音だろう。
「……なかなかに……盛大、だな……」
 派手な襲撃があれば、兵隊をそちらに回さざるを得なくなり、結果、理晨たちを救出しやすくなる。
 同時に、ふたりの身の危険は増すが、連中の要求する『何か』をこちらが持っている、と彼らが思い込んでいる限り、そしてその『何か』が彼らにとって大切なものであればある限り、すぐに始末されることはないだろう、と踏んでの一連の行動だ。
 とはいえ、到底楽観視は出来ないので――何せ向こうの人々というのは、リシャールたちとは根本的な考え方が違う――、これは賭けでもある。
 迅速に動くこと、それだけが、ふたりを確実に取り戻す方法だった。
 電子機器を用いた監視装置やトラップは、翼姫が完全に解除してしまっているので、恐れる必要はない。
「リシャール」
「ああ……どうした、唯……?」
「逃がすわけにはいかないものを複数、捕獲しているとき、それを誰かが奪還に来たら、貴方ならどうしますか」
 ふたりは分岐点に辿り着いていた。
 奥へ行くか、彼らが侵入したのとは反対の、エントランスへ向かうか。
 唯の問いに、リシャールは、悩むでもなく即答する。
「それが、ふたりなら……ひとりずつに分けて、別々の……場所に、移す」
「でしょうね。翼姫は、奥の方から理晨の反応があったと言いましたが」
「……気づかれている、と踏んで……移動させる、だろうな、俺でも……」
「では、こちらへ」
 侵入しながら慎重に探ったが、理晨らしき人物は見かけなかった。
 ホワイトドラゴン随一の実力を誇る理晨は、戦闘部門の双璧をなすイェータと同じく、たまに、実は人間じゃないんじゃないか、という働きをする。
 その理晨を、わざわざ狙って誘拐したのだから、当然、《RICIN》についても調べてあるだろうし、その実力を理解していれば、移動の際には、複数の人間をつけるはずだ。
 しかし、これまでに、ひとりの人間を複数で囲んだ集団には行きあっていないし、それらしい、怪しい動きをするものもいなかった。
「交渉の場所を変えるつもりかも知れませんね。この町を出て行かれると、またややこしくなる」
「唯の……言う通り、だ……。だと、すると……一刻も早く、リシンを、見つけないと、な……」
 ぼそぼそと言って、リシャールは、以前どんな使い方をされていたのかも判らない、錆び付いた機械の横をすり抜ける。
 ――焦り、は、ないと思う。
 リシャールの心の動きは、ひどく緩慢で、それがどんな惨事であっても、動じるということがないが、しかしそれは、理晨が心配ではないということでは、断じてない。
 むしろ、心配でたまらないからこそ、リシャールは冷静になる。
 そうでなくてはならない、とも思う。
 リシャールにとって理晨は、身近に在ることを許した稀有な存在だ。
 理晨は、人嫌いではないが人好きでもない、退廃的な空気を身にまとったリシャールが、唯一、ごくごく近くにいても不快ではないと感じる、一緒にいても疲れない人物なのだ。
 とはいえ、リシャールは別に、理晨とどうこうなりたいと思っているわけではない。理晨にすでに相手がいるいないの以前に、リシャールは、そういう感情に対して熱くはなれないのだ。
 もちろん、欠片も邪まな気持ちがないかと問われたら、首を横に振るしかないのだが、それだって、愛だ。多分。
「……いました、あそこです!」
 不意に、唯が低く声を発し、鉄骨の影に身を隠す。
 リシャールは身を低くし、唯が指し示す方向を見遣った。
 手錠をされ、連中から手荒な尋問を受けたのだろう、あちこちに血を滲ませた理晨が、アサルトライフルを持った二十数人の男たち、恐らく“黒の鉄槌”に、何名か同じような世界観から実体化したと思しきムービースターが加わった面子と、飛びぬけて物騒な雰囲気を持つ赤い髪のムービースターに囲まれて、突き飛ばされるように歩いている姿が、前方およそ十メートル先に展開されている。
 たったひとりの人間に、これだけの人員を割いたのは、彼らが理晨を警戒しているのと、何が何でも奪われるわけには行かないからだろう。
「リシン……」
 呼んだところで声など届きはしないと知りつつ、大切なものに触れるような静けさで、名前を口にする。
 理晨は、背に幾つもの銃口を突きつけられながらも、綺麗に背筋を伸ばした、傷のダメージも、銃への恐怖も一切感じさせない様子で真っ直ぐに歩いていて、リシャールは無性にホッとした。
 ここで飛び出したところで理晨を危険に晒すだけなので、用心深く、気配を殺しながら近づき、チャンスをうかがう。
 ――それは、唐突に訪れた。
 背中を強く小突かれて、バランスを崩した理晨が薄汚れた床に膝をついたのを、兵隊のひとりが顔を歪めて口汚く罵り、アサルトライフルのグリップで殴り倒した。
 がつ、という鈍い音。
 低い呻き声を漏らして床に倒れた理晨の髪を掴み、理晨を殴り倒した兵士が、唇の端から血を滲ませた彼を無理やり引き起こす。
 他の兵士たちは、殺すなよ、などと言いつつ、にやにやと笑っている。
 ぎちり、と音がして、ふと見遣れば、唯が壮絶な殺意を滲ませて微笑んでいる。音は、奥歯が噛み締められた時のものだろう。
 リシャールもまた、腹の奥底が煮えたぎるのを感じていた。
 その時だった。
 ばしゅ、という音とともに、理晨の髪を掴んでいた男の眉間に穴が空いたのは。
「……ッ!?」
 男の身体が床に崩れ落ちると同時に、もうひとりの兵士が、後頭部を撃ち抜かれ、驚愕の表情とともに倒れる。
 兵士たちがどよめいた。
「……ハリス、か……」
 裸眼で四百メートル先の空き缶を打ち抜く《鷹の目》が、こちらに来ているのだ。
「なら……頃合、……かな……」
 ハリスの扱うライフル、シグザウエル SSG−3000は、大抵のライフルがそうであるように、装弾数は五だ。
 ――それは即ち、わずかな時間で、死体が五つになることを意味していた。
「相当怒っているようですね、ハリスも」
 折り重なって倒れる兵士たちの姿に、くすり、と笑い、唯がシグザウエル P226を構える。
「……当然、だろう……けどな、そんなの……」
 リシャールもIMIデザートイーグル.50AEを手に、身構えた。
 そして、唯が走り出すのを見届け、次の瞬間、狙い定めて引鉄を引く。
 物陰を走りぬけながら、唯もまた引鉄を次々と引いていた。
 轟音に次ぐ轟音。
 ばたばたと人が倒れ、また、吹き飛んで行く。
 唯もリシャールも、ホワイトドラゴンでも有数の前衛隊員だ。
 彼らが本気になって、しかも狙撃手の援助があるなどという状況下で、獲物を逃すわけがない。
 辺りは騒然とした。
 金切り声を上げた男のひとりが、理晨に銃を突きつけるより早く、彼らの真ん中に飛び込んだ唯が、その男を蹴り倒して理晨を抱きかかえ、素早くその場から離れる。
 リシャールはそこへ、次々と銃弾を撃ち込んだ。
 遠方からは、途切れることなくハリスの援護射撃が来る。
 結局、周囲が静けさを取り戻すまで、ものの十分もかからなかった。
 辺りには、命を、もしくは意識を失った兵士たちと、プレミアフィルムとが、無造作に、ごろごろと転がっている。
「大丈夫ですか、理晨。遅くなって、すみません」
 理晨に微笑みかけ、唯が、銃で手錠を破壊し、彼を自由にする。
「ん、平気だ、来てくれてありがとう」
 彼らが来ることを微塵も疑ってはいなかった様子で笑う理晨の姿に、ホッとしかけたリシャールだったが、視線の先に、赤い髪の男が佇んでいるのが見えた瞬間、走り出していた。
 いつの間に銃弾の雨から逃れ、ハリスが狙撃しにくい位置まで逃げていたのかは判らないが、彼の周囲には、刃渡り10cm前後の小さな、しかし鋭いナイフが無数に浮かんでいた。
 不思議な、特殊能力を使うムービースターがいることをリシャールは知っていたが、実際にそれを目の当たりにするのは初めてだった。
 にやり、と、男が笑う。
 彼の視線の先にいるのは、理晨と、唯だ。
 男がふたりを――恐らくは、理晨を――指し示すと同時に、ナイフが、解き放たれた矢のように飛んだ。
 ――危ない、と思った時には、ふたりの、理晨の前に飛び出していた。
 咄嗟に、手にした拳銃でナイフを打ち落とし、急所を庇ったので、致命傷を受けることはなかったが、それでも、十本以上のナイフが、リシャールの身体に潜り込んだ。
「り、」
 表情を凍らせた理晨が目を見開くのを、妙に冷静に、あんな表情も可愛いけど、あんまり見たくはないかな、などと思いながら、厳しい表情の唯が、赤髪の男と対峙するのを横目に見遣り、リシャールはゆっくりと崩れ落ちる。
 じわじわと痛みが込み上げて来た。
 しかし、これでは死なないだろうという確信は、ある。
 ――別に、リシャールは、理晨の恋人になりたいとか、理晨と恋愛をしたいとか、そんなことは思っていない。
「リシャール!」
 色恋や、激しい感情とは無縁なのが、リシャールだからだ。
 しかし。
「馬鹿、何やってんだ……!」
「……急所は、外れてる……し、どれも、……それほど深くも、ない……から、大丈夫、だけど……?」
「そういう問題じゃねぇだろ、馬鹿!」
 リシャールを抱き起こし、ナイフを引き抜いて傷の具合を確かめながら理晨が怒鳴る。
 自分のシャツを裂いて――お気に入りの一枚だと言っていたはずなのに、と、それどころではないはずなのに少し申し訳なくなった――、手早く傷口を縛る理晨の、首筋や厳しい眼差し、長い睫毛を、冷静に、しかし陶然と見上げる。
 リシャールは、色恋とは無縁だ。
 そんな激しさ、熱さは、彼にはない。
 ――それでも、この感情は、惚れている、以外では、表現できない。
 何が、どう、どれだけ、と、言葉にすることは難しいけれど。
「あっちは……唯が、何とか……しそう、かな……」
 唯は、強者と戦う激烈な喜悦を神秘的な美貌に張り付けて、赤髪の男と渡り合っている。
 実力は拮抗しているようだが、双方、終始楽しげだから、多分、問題はないだろう。
「ヌールは……どうするのかな」
 リシャールを抱き起こしたままで、唯とムービースターの戦いを見守りながら、理晨がぽつりと呟く。
「あいつを、探さねぇと」
 まだ、事件は終わりではなさそうだ。
 しかし、何にせよ、理晨がこうして戻ってきた以上、リシャールの心に翳りはなかった。



 9.決着

「やれやれ」
 およそ二十人の兵士を、有無を言わさず斬り倒して奥へ到着した刀冴は、三人の兵士に銃を突きつけられて床に座り込んでいる理月の姿に小さな溜め息をついた。
 刀冴を見つけた兵士たちが、よく判らない言葉で刀冴に何かを言っている。
 恐らく、止まれとか、武器を捨てろとか、捨てないとこいつの命はないとか、その辺りだろう。
「知らねぇよ」
 かすかに笑うなり、刀冴は、十メートルほどの距離を瞬時に移動し、兵士たちの背後へ回り込んだ。
 当然、覚醒領域を解放してあったのだ。
 故郷での刀冴は、自分は人間だと頑なに思っていた部分があって、よほどのことがない限り、天人としてのこの能力を使いたがらなかったのだが、銀幕市での、多種多様な生命、存在が暮らす、様々な在りようを許された日々の中では、それほど抵抗感もなく展開するようになっている。
 覚醒領域解放後の刀冴は、普通の人間や、普通の人間が使う銃火器などで、太刀打ち出来る存在では、ない。
 彼らに驚愕する暇すら与えず、
「悪ぃな、あんたたちに構ってる暇は、ねぇんだ」
 男たちの首筋に、手刀を叩き込み、あっという間に三人を昏倒させると、ばたばたと倒れ伏してゆく彼らには興味も見せずに、覚醒領域の展開を終了し、わずかに胸の奥が重苦しくなったのを認識しながら、理月の元へ歩み寄る。
「刀冴さん」
 拷問でも受けたのか、あちこちに傷をこしらえつつ、痛みには頓着していない風情の理月は、刀冴が来たことに対して何の疑問も持っていないのか、非常に嬉しそうだったが、同時に、また怒られるのではないかと戦々恐々としてもいるようで、刀冴を見上げるのも妙に上目遣いだった。
「お、怒ってる、か……?」
「何でそう思うんだよ?」
「いや、その……迷惑、かけちまったし……」
「迷惑かけられた、とは思ってねぇけどな」
「けど、ってとこがおっかねぇよ」
 これまでに、無茶をしては重傷を負い、皆に心配をかけた理月を、ことごとく締め上げてきた刀冴なので、理月のびくびく感は本物だ。もう少しつついたら涙目になるかもしれない。
 とはいえ、それどころではないのも現状なので、
「……まぁ、今回に関しちゃ、一般人を巻き込まねぇように、って捕まったんだろ。だったら、仕方ねぇ」
 そう言って、理月の手錠を、【明緋星(あけひぼし)】の切っ先で破壊する。
 刀冴が主人から下賜されたこの剣、三千歳級の竜に傷を負わせ、不死の存在にも死をもたらす神代の金属で出来ている【明緋星】にとって、鉄の枷などというものは、ほんの少し硬い木切れ程度でしかない。
「あー、窮屈だった……」
 理月が盛大に溜め息をつき、立ち上がる。
 それから彼は、周囲をぐるりと見渡し、鉄骨の影に無造作に放り出された『白竜王』と、理晨のものであるらしい拳銃とナイフを拾い上げた。
「理晨が連れて行かれちまったんだ。あの、派手な爆発が起きた時に」
「ああ、一箇所にふたり置いとくより確実だよな、そりゃ。だがまぁ……大丈夫じゃねぇかな、あいつの『家族』が、今頃見つけ出して、助けてるだろ。あのイェータとか言う奴、相当張り切ってたみてぇだしな」
「あ、刀冴さん、イェータに会ったんだ。……うん、俺もそう思うんだけどさ、やっぱ、心配じゃん」
「まあ、そりゃそうだな。手は足りてねぇだろうし、手伝いに行くか。どうやら痛い目に遭わされたみてぇだが……行けるな?」
「おう、当然だぜ」
 あんなの痛ぇ内に入らねぇよ、などと胸を張る理月に、それもどうなんだろうと思いつつ、刀冴が走り出すと、まったく危なげのない足取りで、その隣に理月が並んだ。
 気配を探りながら、入り組んでごみごみとした廃工場を走ること数分で、理晨と、理晨を守るように寄り添う気配が、工場の奥へ向かっているのが、覚醒領域の端っこに引っかかる。
「奥の方に……気配が四つ、いや、五つか。イェータはそこだな。忘れ難ぇ『気』だ」
「そういうもんか?」
「ああ、なんだろうな、なんでか、あいつと俺はちょっと似てる気がするんだが、あいつも同じようなことを思ったみてぇなんだよな」
「ああ、それ、俺も思った。何でかなぁ」
「さあな、どこかに、何か接点があるようにも思えねぇんだが。あいつに、でも自分の方が幸せだ、って断言されてな。あんまり幸せそうで、すげーインパクトだったから、気配を覚えちまった」
「幸せ……って、何がだろう?」
「お前には何もねぇけど、俺には理晨がいる、ってさ」
「あー、なるほど」
「理晨のいねぇ世界なんか滅んだ方がいい、って言われたからな。俺にはそれ、いまいち理解できねぇ感覚だけど、言われてみりゃ、幸せなのかもな」
 刀冴は、百や千のために一を殺す立場の人間だ。
 だから、理晨のためならば、百をも平気で手にかけるだろうイェータの考え、在り方が正しいのか間違っているのかは判らないし、理解する必要はないとも思っている。
 武人、軍人としての本分が、刀冴の矜持だからだ。
「そういうの……羨ましいって、あんたでも、思うか?」
「さあな」
 理月の問いに、走りながら肩をすくめる。
 羨望というよりは、憧憬かもしれない。
 自分の矜持すら振り捨てて、たったひとりだけのために生きる、生きたいと願える、そんな唯一絶対の『誰か』に出会えることは、確かに幸せだろうと思うからだ。
 もちろん、それがたとえ銀幕市であっても、今の刀冴には、不可能な話だが。
「刀冴さん、あれ……」
「おう」
 話しながら走っているうちに、目的地に着いていた。
 どうやら劇的な局面が訪れた瞬間に到着したようで、イェータが大きなコンバット・ナイフを白い髪のムービースターの首筋に叩き込んだのと、本当にただの人間なのか判らない速度で翠色の髪のムービースターの背後に回り込み、彼の首に腕を回した理晨が、その猪首をありえない方向に捻じ曲げたのとは、ほぼ同時だった。
 ガラガラと音を立ててプレミアフィルムが転がる、その奥では、刀冴よりも長身の、黒い衣装に身を包んだ女、ヌールが、ターバンを頭に巻き、長い髭を蓄えた、激情を宿した暗褐色の目で己を見上げる老人に、銃を突きつけている。
 ジョンと唯は銃を老人に突きつけ、あちこちを布で覆われたリシャールは、地面に座り込んで彼らを見ていた。
「……あいつら、結構厄介そうな連中だったのになぁ。何か、世の中って、よくわかんねぇや」
 戦闘系と思しきムービースターを瞬殺してしまったふたりの姿に、理月がしみじみと呟く。
 刀冴は肩をすくめて成り行きを見守る。
『ヌール……まさか、生きていたとはな』
 不思議な言葉が、簡素な椅子に腰かけた老人の口から零れ落ちる。
 知らなくとも意味が判るのは、刀冴たちが、魔法の力でこちらの世界に顕現した存在だから、だろうか。
『あれをどこへやった?』
 老人の暗い眼差しが、ヌールを見据える。
『棄てた』
 返る言葉は端的だ。
 そこに感情らしき感情は伺えない。
『……どこへ、だ』
『黒海に。詳しい場所は、忘れた。覚えていたとしても、言う気はない』
『貴様……自分が何をしたか、判っているのか』
『判っているとも。リシンがそう望んだのだから、あれは、当然のことだった』
『あれが何で、どれだけ大切だったかも判っていて、そうしたというのか、貴様は。――道具ごときが』
『無論だ……リシンと出会い、彼と暮らして判った。“ターギヤ”、否、核ごときで、世界は変えられない。あれは無意味な、あってはならないものだった。私は、あの時の私の判断を全面的に支持する』
 ヌールが、淡々と、しかしきっぱり言うと、老人はぎりりと奥歯を噛み締めた。
『神の怒りを恐れぬ、愚かものめ……!』
 彼の語調は厳しく、憎悪すら含んでいたが、ヌールには一片の揺らぎもなかった。
 ただ、彼女はかすかに嗤い、
『愚かで憐れなのは、お前たちだ』
 銃口を、老人のこめかみに突きつけた。
『神の在不在を云々する気はない。私は、神とはどこにでもおわすものだと知ったからだ』
『なんだと……?』
 老人が訝しげな表情をする。
 ヌールの視線が、ほんの一瞬、理晨に注がれた。
『私の神はここにいる』
 彼女の眼差しが、ほんの少し、やわらかくなる。
『ゆえに私は強く、私は正しい。――そして、それゆえに、お前は死ぬのだ』
 ヌールの指が、引鉄にかかる。
 老人が顔を歪めた。
『儂を殺すのか。お前が。儂はお前の、父――……』
『知らん。どうでもいい』
 ヌールが老人の言葉を遮ると同時に、銃声が響き渡る。
 老人の身体が、ゆっくりと椅子から崩れ落ちていく。
 沈黙が落ちた。
 ヌールは、銃を降ろしたあとも、特に変わりなく、表情のない目で、老人の骸を見下ろしているだけだったが、
「……ヌール」
 理晨が呼ぶと、ゆるゆると振り向き、つかつかと彼に歩み寄って、いきなり理晨を抱き締めた。
「あ」
「え」
「おや」
 ジョン、リシャール、唯が、不思議そうな、驚いたような声を上げる。
 ヌールという女は、普段はこういう行動は取らないのかもしれない。
 理晨は、されるがまま、ヌールに抱き締められながら、
「……ヌール?」
 濃い黒褐色の手で、慈しむように、彼女の背を撫でていた。
 ヌールが、わずかに瞑目し、呟く。
『私の神はここにいる。――だからこそ、迷わない』
 刀冴は、それを、不思議な感慨とともに聞いていた。
 それほどまでに他者を愛せるとは、どんな心地がするのだろうか、などと、思う。



 10.帰還、抱擁

 臥龍岡翼姫は、制圧した監視カメラの映像から、理晨が救出され、首謀者が倒されたことを知って、ホッと息を吐いた。
「まぁ……上出来、かしらね……?」
 パソコンの画面を閉じ、呟く。
 翼姫は、ハッキングやクラッキング、電子機器の操作こそお手のものだが、戦闘能力自体は高くない。
 危険な地域での任務が多いホワイトドラゴンに在籍しているのだから、自分で自分の身を守るくらいの訓練は受けているものの、それも、前線で戦えるようなレベルではない。
 大好きな、大切な、傍にいるだけですべての負が氷解していくような、ただただ幸せばかりをくれる理晨を、自分の手で救出できないことは歯痒かったが、自分に出来ることをやるしかないこともまた、理解はしている。
「……まぁ、いいわ。戻ってきたら、抱きつくんだから」
 言って、微笑み、皆を出迎えるべく、翼姫がエントランス方面へ歩き出そうとした時、
「――動くな」
 低い、憎々しげな声とともに、彼女の足元付近の地面に、銃弾が撃ち込まれた。
 眉をひそめ、翼姫が声のした方向を見遣ると、そこには、褐色の肌に黒い髪の、頭にターバンを巻き、髭を伸ばした、恐らくまだ若い男が、褐色の目を瞋恚に燃え立たせながら、立っている。
 男の手には、アサルトライフルがあった。
「よくも……やってくれたな……!」
 どろどろとした怨嗟を滴らせながら、男が翼姫に銃口を向ける。
 翼姫は唇を引き結んで一歩下がった。
 周囲を確認したが、味方の姿は、ない。
「貴様らの所為で、“黒の鉄槌”は終わりだ」
 男の眼差しは、今にも火を噴きそうだ。
「神をも恐れぬ異教徒どもめ、呪われるがいい……!」
 激しい怒りと殺意に、背筋が粟立つのを感じる。
 ――わたしはここで死ぬんだろうか、と、思い、わたしが死んだら理晨は泣いてくれるだろうか、などと、思う。
 死ぬことに、それほど恐怖はなかった。
 ただ、理晨に会えなくなることだけが哀しい、と思う。
「神さまなんてものがいるのだとしたら」
 気丈に男を睨み据え、翼姫は断言する。
「それは、びっくりするほど愚かで、役立たずなんだわ」
「なん、だと……!?」
「だから、そんな神さまを、恐れるなんてことが、出来るはずもない」
 神や、敬虔さや信仰心などというものは、翼姫からはもっとも遠かった。
 それは別に、彼女が、宗教とは無縁の日本人だから、というわけではなく、 翼姫のこれまでに歩んできた道が、そう思わせるだけだった。
 ――生きたかったからというよりは、死ねなかったからここまで来た。
 彼女は、本来なら、戦闘員でもなんでもなかった。
 大使館の職員だった父のお陰で、世界各地を転々としてきた。
 不仲な両親には顧みてもらえず、あまりにも転勤が多くて友達も出来なかった、愛情とは無縁だった少女時代、内戦に巻き込まれて両親が死に――ということになっている――、呆然としていたところを通りかかったホワイトドラゴン隊員に拾われ、行くところも、帰る場所もなかったので、ホワイトドラゴンの団長が経営する孤児院に入った。
 孤児院に遊びに来ていた理晨に出会って、ホワイトドラゴンに入ろうと決めた。
 たくさんの寒々しさ、孤独、絶望を抱えて生きてきた。
 けれど、理晨がいれば、理晨が笑って翼姫の名を呼んでくれれば、たかがそれだけのことで、滑稽で醜い負の感情は、馬鹿馬鹿しいほどあっさりと、緩やかな許しの中に解けて行く。
 理晨がいるだけで、翼姫の世界は成就する。
 翼姫は自分が嫌いだが、理晨を大好きな自分のことは、悪くないと思っている。
 そして、実を言うと、本当は、ホワイトドラゴンに在籍するすべての隊員を、翼姫は大好きだったが、こんな、狡猾で醜悪な自分に、彼らを好きだと言う資格はないように思え、また、彼らも嫌がるのではないか、などと思ってしまい――実際には、そんなことがあるはずもないとも、心の奥底では判っているのだが――、素直にはなれずにいる。
 それでも、彼女は、銀幕市での、『家族』とのやり取りを、心底楽しんでいたし、この日々を愛しく思っている。
「わたしを殺したって、無駄よ。理晨に手を出したのが馬鹿だったの。あんたたちは、今日を限りに、世界から消えるんだわ。――思う存分、後悔するといい、理晨を傷つけたことを」
 監視カメラから受け取った映像では、酷い尋問を受けたらしく、理晨は怪我をしているようだった。
 理晨が、肉体の傷になど頓着はしないと知っていても、翼姫は、理晨に傷ついて欲しくないと思うし、傷つけた人間を憎悪する。
「さよなら、おばかさん。わたしのことは好きにすればいい、先に逝って、あんたのことを、嗤いながら待っていてあげるから」
 憐憫と侮蔑を込めて、きっぱりと断じる。
 男の顔が、どす黒い怒りに染まった。
「ならば、貴様の望みどおりにしてやる……!」
 引鉄に指がかかる。
 死を覚悟した翼姫が、理晨にもう一度だけ会いたかった、そう思った瞬間。
「翼姫ッ!!」
 待ち望んでいた声が響き、同時に何か鈍い音がして、男が悲鳴を上げて吹っ飛んだ。
 ガラン、と地面に転がったのは、この街ではお馴染みという、プレミアフィルムだ。
 どうやら、これを投擲して、男を吹き飛ばしたらしい。
 男が体勢を整えるより早く、駆け込んで来た理晨が翼姫を庇うように抱きかかえ、その前に、ハリスとジョン、そして唯が立ちはだかる。
 理晨に数秒遅れて突っ込んで来たイェータが、
「ウチの団員に手ぇ出すとか、あり得ねぇし」
 刃渡りの大きなコンバット・ナイフを閃かせる。
 ――『作業』は、一瞬のことだった。
 悲鳴すら上げることを許されず、男は自分自身としての時間を強制終了させられ、物言わぬ物体となって、赤褐色の液体とともに床にわだかまる。
 それで、すべてが、終わった。
 あまりにもあっという間のことで、理晨の腕の中で呆然としていた翼姫は、彼女をゆっくりと立たせた理晨が、銀の目で彼女を見下ろし、
「大丈夫か、翼姫。遅くなって、ごめん」
 そう笑ってくれて、ようやく己を取り戻した。
「もう……遅すぎるわ、理晨……!」
 ぷくりと頬を膨らませてみせ、理晨に抱きつくと、理晨の力強い腕が、翼姫を抱き締めた。
 それだけで、翼姫の胸は、幸せでいっぱいになる。
「ごめんな、翼姫。それと、助けに来てくれて、ありがとう」
「本当よ、大変だったんだから。でも……そうね、ただいまのキスをしてくれたら、許してあげる」
 つんと澄まして言うと、理晨は無防備に笑い、頷いて、彼女の額にそっと口付けた。
 その時の幸福感は、いかんとも表現し難い。
 一瞬、光り輝く楽園が脳裏をよぎったような気すらしたほどだ。
「ったく、心配かけやがって」
 翼姫から離れた理晨の背を、大きな溜め息をついたイェータが叩く。
「悪ぃ。……ありがとう」
 はにかんだ笑みをみせる理晨に、正面からはジョン、背後からはトイズが抱きついた。
「よかった、理晨。……無事で、本当に、よかった……」
「心配したぜ、理晨。もう、あんなこととかこんなこととかされてないかと、気が気じゃなかった……!」
 翼姫は、理晨に抱きついていいのは自分だけだと主張したかったが、ごめんな、と言った理晨が、ものすごく優しい目をしていたので、それを邪魔したくなくて、黙る。
 ひとしきり再会を喜び、唯が本拠地で待つ団長に報告を入れたあと、
「そういえば、ここの後始末はどうする? 死体を放ってはおけないだろうけど、正直、届け出んのも面倒――……」
 言いかけたトイズの目が、点になる。
 翼姫が、皆と一緒に振り向くと、彼の視線の先には、刀冴という名のムービースターがつれて来た巨大な黒竜がいて、――何故か、口をもぐもぐと動かしている。
 ――黒竜の、凶悪な牙が覗く口の端から、血の気を失った腕が覗いていたような気がするが、きっと気の所為だ。そうに決まっている。
 輝くような鱗に覆われた尻尾が、楽しげにぱたぱたと動いていた。
「……」
「……」
「……」
 一同、無言になる。
 うん、あんだけ大きい竜なら、人間くらい食べるよね。
 結論としては、それだ。
 手間も省けて、一石二鳥。
「じゃあ……」
 理晨が肩をすくめた。
 視線が、彼に集中する。
「帰ろっか」
 邪気のない、端的な物言いに、イェータが笑って頷く。
「おう、皆も待ってるだろうしな。メシの準備しねぇと、餓死するやつが出るかもしれねぇ」
 気づけば、太陽は、西へと帰って行こうとしている。
 半日も経っていないのに、ずいぶん長い時間、緊迫した空気の中に身を置いていたような気がして、翼姫は重い疲労を感じた。
 しかしその疲労は、自分たちの手で理晨を助け出したのだという誇らしさを伴っていて、全員で自動車の元へ戻る道すがら、翼姫は、きっと今日は、睡眠薬なしでもぐっすり眠れるだろうと思った。



 11.再びの、日常

 イェータ・グラディウスは上機嫌だった。
 今日は、理晨と理月が遊びに来るのだ。
 先日の誘拐騒ぎで駄目になってしまった一日の仕切り直しなのだが、何故か、どこか自分と似ているような気のする、しかしある一点に置いてまったく違う、刀冴という名のムービースターまでがついてくることになったのは、少々不本意だ。
 何故不本意と感じるのか、何故妙に近しく感じるのかは、イェータにも判らないし、どうでもいいことだとも思うのだが、とはいえ、彼がいたお陰で救出がスムーズだったことは事実だし、理月が、せっかくだから一緒がいい、などと言うので、仕方がない。
「よし、腕によりをかけるとするか……!」
 広いキッチンで、イェータは大張り切りだ。
 今日のメニューは、スペアリブのスパイス焼き、子羊の塩シチュー、とっておきのスモークサーモンのサンドウィッチ、じゃがいものグラタン、シーフードカレーグラタン、温野菜の山盛りサラダ、茄子とトマトのにんにくパスタ、アンチョビと花ズッキーニとモッツァレラチーズの重ね焼き、生ハムのグリッシーニ巻き、野菜スティック、海のようなビールにワイン、絞りたてのオレンジジュース、そしてデザートには、チョコレートアイスクリームとフルーツたっぷりのデコレーションケーキだ。
 豪華で、豪快で、賑やかな食卓にしよう、と、イェータが目まぐるしく動き回っているキッチンのすぐ傍では、
「そういえば……ジョン。じゃなかった、ポチ」
「翼姫、逆じゃないですか、それ」
「……ええと、なんだろう、ツバキ……?」
「ジョンは気にしていないようだから、いいんじゃないのか、唯」
「そのようですね、ハリス」
「あんた、あの時、どさくさに紛れて理晨に抱きついたでしょ。滅茶苦茶腹立たしいから、今度ホラー映画鑑賞会やるからね、絶対来るのよ」
「え、いや、そ……そう、だけど……べ、別にどさくさに紛れて、とか、そういうのじゃ……! ホラー映画は嫌だ、絶対に、観ない……!」
「駄目よ、強制参加。ポチの分際でわたしの理晨に抱きつこうなんて、百億年早いの」
「そこまで早いんだ。じゃあ、ジョンが理晨に抱きつけるようになるまで、宇宙がひとつ出来たりするんだなぁ」
「トイズ、あんたもよ!」
「はぁ? 俺が、俺の理晨に抱きついて、何が悪いんだよ?」
「馬鹿言うんじゃないわよ、理晨はわたしのなの。それ、理晨が世界一可愛い、っていうのと同じくらいの真理なのよ? 判ってる?」
「その……可愛さの、真理には、……賛成、だけど……残念、ながら……リシンは、ツバキ姫のじゃ、ないよ……?」
「うるさいわよ、リシャ! あんたなんか、理晨に手当てまでしてもらっちゃって……!」
「はは、いいだろ……? 思う存分、……嫉妬すると、いいよ……?」
「あああ、こいつ、捻り潰したい……!」
「で、でもツバキだって、理晨に助けてもらった、」
「ポチは黙ってなさい!」
「……はい……」
 いつも通りのやり取りが繰り広げられている。
 本人たちは多分、必死だが、賑やかで平和で、暢気でいい、などと、イェータは思っていた。
 理晨を巡っての諍い……というか、無表情なのに泣きそうな、すっかり腰が引けているジョンいじりは、キッチンから徐々にいい匂いが漂い始め、テーブルの準備が整い始めても続いていたが、何にせよ、皆、理晨たちが遊びに来るというので、嬉しげだ。
 もうそろそろ来る頃かな、などと思っていたイェータの近くで、椅子に腰かけて、じっと理晨を待っていたヌールの、片方だけの視線が、窓の外に釘付けになる。
「リシン」
 外を見て、ぼそり、と言ったヌールが、不意に、アンニュイな――淡々とした彼女から、そういう雰囲気を感じ取れるようになったのは、やはり、絆が深まっているからなのだろう――溜め息をついて視線をそらす。
「え、どした、ヌール……」
 言いながら窓の外を見遣ったトイズもまた、何とも言えない表情で沈黙する。
 つられて目をやった面々が、同じように沈黙したり、溜め息をついたりするのに首をかしげ、自分もまたそちらを見て、イェータは納得した。
 古ぼけた、しかし居心地のいいホワイトドラゴン仮設宿泊所まであと二百メートルという辺りに、衣装以外何もかもが同じ、理晨と理月の姿がある。
 理月の隣には、刀冴がいて、――それはまぁ、仕方がない。
 が、
「あれって……理晨の……?」
「そのようですねぇ」
 ちょっと震える声で、泣きそうな顔のトイズが言い、苦笑した唯が返すように、理晨の隣には、背の高い、プラチナブロンドとアイスブルーの目の、怜悧でノーブルな美貌の男の姿があるのは、何故だろうか。
 ――理晨は、なんだか、幸せそうだ。
 銀色の眼を和ませて、幸せそうに笑っている理晨は、とても、可愛らしい。
「ちょ、え、何アレ……肩とか抱いてないか!?」
「あ、今度は手をつないだな」
「ちょっ……理晨、振り払って振り払って! って、照れてるし!?」
「……ああ、照れている理晨は可愛いな……」
「ポチは黙る! 捻るわよ!」
「はい、すみませんごめんなさい」
「……というか、嬉しそうですねぇ、理晨」
「そうだな、幸せそうだ。リシンが幸せそうだと、俺も幸せな気分になる」
「ああ、それは、判ります」
「冷静すぎるって、唯、ハリス! 俺なんか、これ以上ふたりが密着したら、嫉妬のあまり変なとこの血管が切れそうなのに……!」
「その気持ちも判りますよ、トイズ。でも、あんな表情は、我々では、させられませんからね」
 部屋が賑やかさを増す。
 むしろ、大騒ぎだ。
 嫉妬心全開のもの、でも理晨が幸せなら……と身悶えながら懊悩するもの、妙に冷静なもの、ちょっと泣きそうなもの、純粋に客が増えたことを喜ぶもの、反応も様々だ。
「イェータ、イェータも何か言ってやれよ!」
「ん? ああ、まぁ、材料は多目に仕入れてあるから、問題ねぇ」
「俺が言いたいのはそこじゃなくて……ッ」
 バンダナに覆われた頭を抱えてトイズが蹲る。
 イェータはちょっと笑って、スモークサーモンのカットに取り掛かった。
「俺は、あいつが幸せなら、それで別に構わねぇからさ」
 少しずつ近づいてくる、理晨たちを、金の眼を細めて見遣りながら呟く。
 イェータにとって理晨は世界そのものだ。
 彼が幸せなら、イェータは満たされる。
 イェータにとっての世界は、その程度の単純さで成り立っている。
 そして、イェータにとっての世界を、たくさんの人々が、イェータとは違うやり方で愛してくれるなら、それは得難く素晴らしいことだとも思っている。

 ――ビルの入り口に取り付けた、簡易ベルが鳴った。
 団員たちが、めいめいに顔を見合わせ、何とも言えない表情をする。
 イェータは、最後の仕上げを始めたところだ。
「おーい、皆、来たぜー」
 ドアが開くと同時に、理晨の、弾むように闊達な声が聞こえた。
 昼食までは、あともう少しといったところ。

 唯一絶対の存在と、大切な人々と過ごす、賑やかで平凡な午後を、イェータは全身全霊で愛する。

クリエイターコメントオファー、どうもありがとうございました。
総勢11名様でのノベルをお届けします。

今回は、愛され傭兵さんたちの救出劇、ということで好き勝手にやらせていただきましたが、賑やかで温かい、強い絆で結ばれた傭兵団の皆さんを書かせていただけて、とても楽しかったです。

色々と捏造してしまった部分がありますので、「うちの子はこんなことはしない・言わない・考えない」といった部分がありましたらご申請くださいませ。可能な範囲で訂正させていただきます。

それでは、どうもありがとうございました。
また、何か機会がありましたら、ご用命いただければ幸いです。

ホワイトドラゴンの皆さんが、末永く仲良く、幸せであるよう祈りつつ。
公開日時2008-09-15(月) 22:50
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