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<ノベル>
私は清掃用アンドロイドである。よって名は秘す――というか、固有名詞がないのだ。
にも関わらず、DP警官たちは私のことを「メイドのマリちゃん」と呼ぶ。
それはおそらく、私の外見や服装が19世紀ヴィクトリア朝時代の家事使用人風に設定されているからであろう。自分が心を持たぬ機械であること、清掃コマンドしか実行しえぬシンプルな動作環境しか持ち得ぬことは、私が一番よく知っているのだが、親しみを込めてそう呼んでもらえれば作業も迅速に進行するため、特に異は唱えていない。ただ、他に名前はあろうになぜ「マリちゃん」なのかは、小一時間問いつめたいところだ。
ともあれ、私は「Division Psychic」に支給された専用機である。彼らが日々巻き起こすトラブルで散らかり放題になるこのオフィスを、せっせと掃除し、ぴかぴかに磨き上げるのが仕事なのだが……。
これがなかなかどうして、一筋縄ではいかない業務であって――
このオフィスは、他部署への影響を最小限に食い止めるべく、きっちりと隔離されている。当局は否定するだろうが、誰が見てもそうとしか思えない仕様の建物の中にある。
外壁も内装も、現代に於ける最高強度の特殊金属でコーティングされており、備品類もそれに準ずるしつらえになっているのだ。当局のお偉方が、能力者たちのちょっとした暴走を恐れ、如何に脅威を感じているのかが伺いしれる。
しかしながら、その技術の粋を尽くした特殊金属さえも、彼らにかかっては形無しなのだ。新築してからさほど経っているわけでもないこのビルは、外壁にはヒビが入り、内装はところどころ剥がれ落ち、備品類に至っては、ひしゃげてないものを探すほうが難しいというありさまだ。
私は、このオフィスの床に幾何学模様を描いている強化人造大理石が、磨けば磨くほど輝きを放つのが気に入っていて、いつもいつも、せっせとモップがけをしているのだが。
磨くそばから、獣化した誰かが書類を破いた誰かを追いかけたり、誰かが全てをすり抜けて走り去ったり、巻き込まれてお気に入りのカップを割られた誰かが空中に散る書類を燃やしたり、日本刀の手入れをしていた誰かにお茶を持ってきた誰かが中の液体をぶちまけたり、うっかりその下にいたペットポトル似の誰かが被害を被ったり、喧噪に切れた誰かがデスクをぶんなげたり、誰かが誰かを眠らせたり、誰かがそれを中和したり、誰かが吸っていた煙草を誰かが吹っ飛ばした拍子に、剥がれて露出した内装の素材に引火して小爆発が起きたりするものだから、私は未だにこのオフィスの床を隅々まで清掃できたためしがないのである。
★ ★ ★
「ただいまマリちゃん。今日はいちだんと可愛いなぁ」
「そんなはずはございません。外見の変化はアンドロイドにあり得ぬことです」
リョウ・セレスタイトが、くわえ煙草でオフィスに戻ってきた。ずっとかかりっきりだった事件は、無事解決したらしい。私はゆっくり顔を向け、無表情のまま首を傾げる。
困惑の表情を見せたいところだが、あいにく、そんな高度な感情表現は持ち合わせていない。
「ったく冷たいなぁ。おまえが『おかえりなさいませ、ご主人様』って言ってくれたら最高なんだけどな。笑顔でさぁ」
「リョウ・セレスタイト様。申し訳ございませんが私はそのようなプログラミングはされておりません。臨機応変の対応をご希望でございましたら、喜怒哀楽システム搭載機種への変更を本部管理課に申請くださいませ」
「おっ、そうすりゃマリちゃん、笑顔全開になる?」
「私は既に製造中止となった古い機種ですのでバージョンアップ対象外です。申請が受理されればこちらへは新しい機体が支給されます」
「じゃあマリちゃんは?」
「償却済備品として回収・解体・廃棄されることになります」
「それはいやだなぁ。んじゃ今のナシ。聞かなかったことにしてくれ」
リョウは片手を挙げ、軽く振ってから背を向ける。ふわりと薔薇の香りが漂うのは、誰か――女性からの移り香だろう。他部署の職員か、あるいは、なにがしかの案件を通して知り合った一般人か。
彼はとにかく、女性たちからもてる。一見して警官とは思えぬ容姿は、たとえばモデルや俳優など、その魅力をダイレクトに反映できる職業についたほうが生かせるかもしれない。
「お茶を入れて欲しいときにはメリッサがいるしな。メリッサ、とびきり熱いコーヒーを頼むよ」
「あ、は、はいっ。今すぐに」
リョウからウインクをおくられ、メリッサ・イトウはどぎまぎして頬を染める。
日系三世の彼女は、美しい黒髪と切れ長の瞳の持ち主である。日本人女性にしか見えないが、彼女は全く日本語が話せない。以前、マジックバーで働いていたときにも、よく日本人観光客に日本語で話しかけられて困ったことが多々あったそうだ。
温和な性格ゆえ、オフィス内での雑用やお茶くみは、すっかり彼女の役回りになっている。
メリッサが給湯室――喧噪を避けるべく、脚のないデスクや原型を留めぬチェアをオブジェ風に複雑怪奇に積み重ねてパーティッション化したささやかなスペース――に姿を消すなり、リョウの手には、湯気を放つコーヒーが入ったマグカップが出現した。
同時に、黙々と事務作業にいそしんでいるケビンやラルス・クレメンス、「めんどくせぇ」と呟いてサボる気満々のネロ・クラルテ、解決したばかりの案件について報告書を作成中のベネット・サイズモア、書類整理が一段落したエドガー・ウォレスの手元にも、各自の好みに合わせたお茶が現れる。
「……ありがとう」
癖のある白髪を掻き上げ、ケビンはぼそりとメリッサに謝意を示した。淡い紅の瞳がわずかに細められる――と思いきや、ぎろりとリョウを、正確にはリョウの口元の煙草を睨んだ。
ケビンは 煙 草 が 嫌 い な の だ。
次の瞬間。
軽い破裂音とともに、煙草が消し飛んだ。
そして、その残骸が、入れられたばかりのコーヒーにぱらぱらと落ちる。
毎度のことなので、リョウは予期していたらしい。
散った残骸を目で追い、
「床に落ちたゴミはマリちゃんが掃除してくれるからいいが、せっかくメリッサが入れてくれたコーヒーが台無しだ」
と、冷静に言うのみだ。
私は無言でモップを動かす。
先日のように、小爆発騒ぎに至らず良かったと思いながら。
「あ……、あの、お茶……入れ直しますか……?」
メリッサがおろおろと訊ねる。
ケビンはしばらく、リョウとメリッサを見比べていたが、やがてぷいと背を向け、オフィスから出て行ってしまった。
「ケビンさん。どこへ……?」
「地下の射撃場だろう。あいつはいつもそうだ」
自分の回りにだけシールドを発生させ、報告書作成に集中していたベネットが、パソコン画面から顔を上げる。
巨漢といってもいいほどの長身筋肉質で、いつも無口なため、常に怒っているように見えるのだが、外見に反して繊細な気質の持ち主ではないかと思う。ベネットの能力がシールドと治癒効果であるところからしても。
「射撃場、ですか」
「ひとりになれる空間が必要なんだとうそぶいちゃいるが、なに、本心は誰かに構ってほしいのさ」
「そうなんですね。お邪魔じゃないのなら、ワタシも行きます……! そばで練習を見てます」
メリッサは大きく頷き、後を追いかけたのだった。
★ ★ ★
ベアトリーチェ・ゴッドヘルムが白衣を翻し、他部署でプリントアウトした書類を手に戻ってきた。
ちょうど、メリッサがオフィスを後にして地下射撃場へ行ったのと行き違いである。
ちなみにベアトリーチェがわざわざ他部署の備品を借りる羽目になったのは、先日、ラルスとネロが、広いオフィスを縦横無尽に駆けめぐる追っかけっこをやらかした際、事務処理に欠かせぬ機械をいくつか完膚無きまでに破壊してしまったからだ。
能力者同士の追っかけっこは命がけである。
獣化能力者【ライカンスロープ】であるラルスは、腕を巨大な獣に変え、鋼鉄を破るほどの腕力でもってネロを追うし、「不可触」という特殊能力を持っているネロはネロで、全ての物質をすり抜けることができる。逃げることなど造作もないのだが、唯一、レアメタルのジルコニウムだけはそれが不可能なので、大抵は、とある博士の発明したジルコニウムネットで捕獲される結末となる。
しかし、このオフィスで一番机が綺麗なのもネロなのだ。それは単に机に座ることがないからなのだが、私としては非常に好感度が高い。
「あら。メリッサはいないの? お茶をいただいて、ひと息つこうと思ったのに。……じゃあネロ」
仕方ないわね、と、ベアトリーチェは、見事なプラチナブロンドを揺らし、ネロに視線を合わせる。とある博士の助手でもある彼女はネロの幼なじみだ。紅茶をこよなく愛し、よくネロに淹れさせているのである。
「お茶、入れてくれるでしょう?」
しかしネロは、彼女が現れたとたん、
「ああ忙しい。忙しいったらないね。がんばってデスクワークに勤しまないと。な、ラルスさん。手伝いますよぉ、俺」
などとうそぶいて、しらじらしくラルスの手元を覗き込む。
「……ラルス『さん』ですって……? 手伝いますよぉ、ですって……?」
冷ややかに整った面差しが、驚愕に歪む。たとえば、オーパーツの黒幕が超意外な人物だったとしてもこんなには驚くまいと思うほどの反応を、ラルスは見せた。
慌てて眼鏡を取り、拭いてから掛け直したのは、目の前の人物が確かにネロ・クラルテであろうかと疑問を抱いたからのようだ。しかし何度見ても、ネロはネロである。オレンジの髪、赤い瞳。間違いない。
――…ピーピロロロ……。
突然、電子音とともに、コア・ファクテクスがオフィスの床を移動し始めた。
本日のコアは、いつもの金属性ペットボトル型ではなく、誰が何をどうしたのやら植木鉢型ボディである。ご丁寧にも、上部にはうっすらと土が敷き詰められ、四葉のクローバーが植えられている。
コアは今まで光合成よろしく、日の射し込む窓辺でおとなしくしていた。人間型の他のDP警官と違い、騒がず散らかさず文句も言わず何も破壊せず、私から見れば優等生の良い子なので大好きである。しかし愛情表現が不可能な私は、時折ぱたぱたと特製繊維のハタキをかけることしかできないのではあるが。
小さな車輪を出して、植木鉢はゆっくり動いている。特にあてがあるわけでもなく、ちょっと光合成の場所を変えてみようかという按配のようだ。
多少、車輪と鉢のバランスが悪いようで、とってんかっくんという動きがまた、愛嬌がある。
なんとなく、その場にいた一同の目がコアに集まって、和む。
とってん。かっくん。
とってん。かっくん。
とって……ん。かく、、、ん、、ん!!
しかし植木鉢は、いきなり、とてっと転び、かくんと倒れた。
何かにつまづいたのだ。
「大丈夫……? あら、これは」
障害となったものを、ベアトリーチェは拾い上げる。
胸ポケットに入るサイズの二つ折りで、使い込まれた上質のなめし革だ。
非常に古典的な形状だが、よくよく見れば革にはハムスターのイラストがプリントされていて、大変可愛い。
「お財布ね。男物のようだけど、渋いんだかプリティなんだかわからない趣味」
ベアトリーチェが呟き、ラルスが応じる。
「人物像のプロファイルが難しいですね。誰が落としたのでしょうか」
「俺のじゃないぞ?」
リョウが真っ先に否定する。
「だよな。ケビンかな? 急に外にでたじゃん? その拍子にさ」
ネロは言ったが、ラルスは眼鏡を押し上げ、首を横に振る。
「違うでしょう。私は、射撃場へ向かう彼の後ろ姿を見てましたが、そんな形跡はありませんでした」
「ふぅん。んじゃ、ラルスんじゃねぇの?」
「……ネロ。そこで、どうして私の名前が出てくる!」
「大人げねぇなあ。いきなりキレんなよ。だってあんたの席の一番近くに落ちてたじゃん」
「自分のものならとっくに名乗り出てる。そんなこともわからんのか!」
「あー、あんたのことなんかわかってたまるかっての。……んじゃ、あとは……」
ネロは肩をすくめ、エドガーのほうを伺う。
しかしエドガーは――先ほどから、お茶を飲みつつ日本刀の手入れに余念が無い。
耳を塞ぎたくなるような超絶的音痴っぷりを披露しながら。
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芸ぃぃのぉぉためなぁ〜らぁAAa亭主も泣かすぅUuUUぅぅ〜〜♪
それっがぁどしたの文句があるのぉぉOOooOOぉ〜〜〜〜〜♪♪♪
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〜〜〜〜〜〜♪ ………♪
私に搭載されている教養データベース(応用編)が確かならば、これは古き良き20世紀の日本の演歌『浪速おんな人生劇場』である。エドガーの母、キミエが愛唱していたものと思われる。
我関せずというかスルー全開というか、自分世界に突入しているところをみると、少なくとも財布の持ち主ではなさそうだ。
そして、文字通りシールドを貼り、作業に集中している男はもうひとりいた。
ベネットである。
「うーん。事件概要はもっと簡潔にまとめたほうがいいのか……。だが、この錯綜した事実関係を全て併記してこそ、解決に至る手順が俺たちの選択肢以外になかったことが明らかになり、本部に報告する上では有効なんだが……」
無骨な手で顎を支え、真剣に書類を作成していたので、気づくのが遅れたのだ。
(ベネット。ねえ、このお財布、貴方のじゃないの?)
コアは、消去法により落とし主を特定し、テレパシーを送る。
「……ん? 財布?」
はたと我に返ったベネットは、胸ポケットを探る。
「お。気づかなかった。助かった。ありがとう」
シールドを解いて歩み寄り、礼を述べるベネットに、コアはクローバーを揺らめかす。
(どういたしまして。でもこれ、僕の拾得物だよね。1割ちょうだい?)
権利関係に厳しいところは、やはり警官であった。
★ ★ ★
目には目を。
歯には歯を。
そして、能力者には能力者を。
それが、刑事部能力捜査課――Division Psychicを設置する際の基本理念であったそうだ。
サイキックテロ組織「オーパーツ」が跋扈する現代にあってなお、ハンムラビ法典は有効であるということなのだろう。
これはしかし「やられたらやりかえせ」ということではなく、「目を取られたら、目を取り返すだけに留めなければならない」という、報復が過剰にエスカレートすることを戒める意味合いも持っている。
かつてイエス・キリストは、ハンムラビ法典を引き合いに出し、「山上の垂訓」にて復讐の禁止を謳った。
しかし、私の教養データベース(基礎編)によれば、「右の頬を打たれたら左の頬を出しなさい」とまで言っておきながら、キリスト自身は大祭司の下役に平手で頬を叩かれた時、反対側の頬を向けたりなどはしていないのだ。それどころか「何で殴るんだ」と言い返している(ヨハネ福音書18章22、23節より)。
だが、一介の清掃アンドロイドは、キリスト批判をするつもりなどない。
ただ――
その気持ちはわかるというか……、
「射撃場からケビンさん同伴で戻りましたー。やっぱり皆さんと一緒がいいみたいです。ね、ケビンさん?」
「そ、そんなこと言ってないぞ! お、俺はただ、ひとりじゃ射撃練習も効率が悪いって」
「おかえりなさいメリッサ。やっぱり貴女にお茶を入れてほしいわ。お気に入りの、このカップを使ってね。ネロったらラルスのことばっかり構って、私のことは後回しなのよ。……仲良しねぇ。燃やしたくなるわ」
「違うーーー! ってかラルス、今更鬼ごっこでもねぇだろうーー! 俺が何をしたぁーー!」
「あの財布を落としたのが私だと疑った時点で有罪だゴラァァ!」
「………――…ピーピロロロ……」
「おいこらラルス。マリちゃんにぶつかるなよ! あ、ネロはすり抜けるからいいとしても。この前だって、おまえらの鬼ごっこに巻き込まれて片腕吹っ飛ばしたばかりだろうが! 修理にどれだけ時間掛かったと思ってる。……眠らせるぞ?」
「うわ、言ってるそばからマリちゃんの両足首が……! いい加減にしろ、デスク投げるぞ!」
「ご心配なく、ベネット・サイズモア様。膝上が残っていれば移動できますし清掃業務に支障はありません」
「そういう問題ではないんだよ、マリちゃん。――さあ、そろそろ皆の暴走を中和するとしよう」
理念がどうあれ……、
現場では、いや、日常に於いてさえ……、
どうしても……、
能力者同士の相乗効果でエスカレートしていく局面も……、
ある、の、だろう、と、
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父は来まSHIぃぃTAAAAAaaぁ〜〜今日MOぉぉ来ぃぃぃたAぁぁaa〜〜〜〜♪
この絶壁にぃiiiぃ今日も来ぃぃたぁaaぁ〜〜〜〜〜♪♪♪
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アンチサイ能力発動後、演歌『絶壁の父』を超音波さながらのこぶし回しで唸るエドガーの歌声を聞きながら、
両足首がちぎれ飛んでしまって不便だが、
片腕がなくなったときよりもマシな動きで、
散らかった室内にモップをかけつつ、
そう、思うのである。
――Fin.
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クリエイターコメント | 大変お待たせいたしましたぁぁぁーー! この度は、DP警官の皆様のオフィスコメディをご依頼頂き、どうもありがとうございました。 記録者システムが隠されているんじゃないかと思われる清掃用アンドロイドが片隅におりますが、支給備品ですのでお気になさらず。不都合がございましたら、回収いたします。
日常業務で惜しげもなく能力爆発させちゃう皆様に萌えつつ。 なんだかんだいって、DP警官ズは皆仲良しさんですね。 |
公開日時 | 2009-03-19(木) 18:30 |
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