<ノベル>
バラバラバラ……と、聞き慣れぬ騒音に空を見上げた人々は、そこに軍用ヘリの姿を見る。――と、まるで雪のように、紙が降ってきた。まるで戦時中の、敵軍からの降伏勧告のようだが、チラシに書かれているのは楽しげなイラストと日付。
チラシを拾った市民は、ダウンタウンの『名画座』がリニューアルオープンするとの情報をそれによって知った。初回の上映作品はロイ・スパークランドの『銀幕★狂想曲』だという。
ヘリからは、夜乃 日黄泉が、眼下の街で市民がチラシを手にするのを満足げに眺める。そして、ヘリは次の目的地へ……。
「へえ、そうなんだ。『名画座』がねぇ。お孫さんが継ぐのか。それはよかった」
「はい。なので、これからも……よろしくお願いしますっ」
緊張気味に頭を下げるクラスメイトP。
やはり市における同業者への挨拶は必要であろうと、『パニックシネマ』へ挨拶に訪れたのだった。
「もしよかったら、これ貼らせてもらえませんか?」
パニックシネマはそれを快諾した。かれらにしたって、映画館業界自体が盛り上がることは歓迎なのだ。あるいは市最大のシネコンの余裕であったかもしれないが――。
ともあれ、『名画座』新装開店をしらせるポスターは、パニックシネマのロビーにも貼られることになった。ポスターのイラストは、取島カラスの手によるものである。『銀幕★狂想曲』の主要な登場人物たちがひとりずつメインになった複数のバージョンがあり、繋げて貼るとつづきものになるタイプもあった。そして、各キャラクターのイラストの上には、本人のサインまで書かれている。
突然、街の一画が、夜の廃校になった。
驚く人々の上にどこからともなく降り注ぐ、エコーのかかった音声。
「古びた廃校、狂った教師の理科授業、邪魔する奴等は皆殺し……!」
そして通行人の頭に、背後から振り下ろされる金槌!
悲鳴。ぐしゃり、と頭を潰されたはずの通行人は、次の瞬間、あたりの風景が元にもどっているのを見て、目を白黒させるよりない。
「続きは名画座で見てネ〜♪」
風景が元に戻っても、ひとり、ホラー映画そのままの姿のクレイジー・ティーチャー。
ぽかん…、と彼を見送る人々のあいだをぬって、トトが空飛ぶ黒と赤の二匹の金魚をともなって、人々にチラシを手渡して行くのだった。
ちょーん、ちょーん、と鳴るトトの拍子木が、銀幕市の通りに響き渡った。
★ ★ ★
そして、その日がやってきた。
「Are you ready?」
銀幕広場に、どこからともなく集まった一団の先頭で、来栖 香介が高らかに叫んだ。
「Let's go,」
人々は、足を止め、お喋りを止めて、その方向へ目をやった。派手に飾りつけられたフロートがそこに準備されている。十分に注目を集めたのを確認して、香介は言うのだった。
「show time!」
ごう――、と彼の頭上を、空気を切り裂くように飛ぶ炎の鳥。
それは広場の高空へ舞い上がると、炎の花を咲かせるように爆発する。
それに呼応するように、花火があがった。
そして流れ出す軽快な音楽のイントロ。
香介はじめ、幾人もの人々を乗せたフロートがゆっくりと動き出した。
パレードの、はじまりだ。
フロートの上にしつらえた電子ピアノを香介が弾く。それが『銀幕★狂想曲』の主題歌だと気づいたものがいただろうか。
マントをひるがえし、どこか「オペラ座の怪人」めいた衣裳で、歌を唄うのは片山 瑠意だ。彼は時おり、フロートから飛び降りて、沿道から見ている人をパレードにひっぱりこんだりしている。
上空では、パレードを追うように、花火が咲いている。いったいどこから打ち上げているのか、不思議に思うものもいただろうが、これらの花火や、冒頭の火の鳥はルイス キリングの魔術によるものだった。彼自身は黒い衣裳の上に銀の胸当てをつけた彼にとって正装で、フロートの上で、ときどき、火を吹いて見せたりして喝采を集めているのだった。「さぁさ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい」
岡田剣之進がそんな口上とともに披露するのは、ガマの油売りのように、紙を細かく切り刻んて紙吹雪をつくる技。その紙吹雪は、浦瀬レックスの巻き起こす風にあおられて、青空へ蝶のように舞い散ってゆく。同時にチラシも宙を舞い、人々の手の中へ。剣之進自身も手ずから観客(おもに若い女性)にチラシを渡していた。
★ ★ ★
「へぇー、映画館のリニューアルねぇ。この街って他にもたくさん映画館あるみたいだけど、儲かるの……?」
チラシを受取ったシュヴァルツ・ワールシュタットが、チラシの地図を頼りに出向いてみると、果たして、『名画座』の前には人だかりができていた。宣伝の効果は出ているようだ。
「新装オープンよ〜!」
と声を張り上げているバニーガール(夜乃 日黄泉)がいるのが、なかなか振るっている。そしてチケットブースを覗き込めば、窓口ではサリー姿の沢渡ラクシュミが微笑んでいた。
混雑を、秋津戒斗が整理して並ばせていく。ひとまず、初日のイベントは盛況だと言えそうだった。
さて、この新生『名画座』、リニューアルといっても、基本的には、もとの古めかしい映画館の造作をむしろ活かすように、なるべく元通りに直されている。そんな中、ロビーの一画を改装して、そこだけは、かつてはなかったものを付け加えた。
すなわち、グッズショップ&カフェ『名画亭』である。
実は『名画座』の修復は、業者に頼んだものではなく、クロノが「時間を戻して」行なったものである。『名画亭』の椅子やテーブルは、そんな内装に合わせて、アンティーク調のものが使われているが、これも、普通の家具を、クロノが「時間を進めて」つくったアンティークなのだ。
「次の上映まで間があります。よかったら寄っていってくださいね」
田町結衣が、腕にバッキーをとまらせて、客引きを行なう。
彼女ら、『名画亭』のウェイトレスは、ティモネがつくったレトロなテイストの制服を着ていた。どこか、大正のカフェーの女給を思わせる。そのティモネ自身は、今日は客に徹すると決め込んだようで、一人掛けの席でのんびり「バッキードリンク」を味わっていた。ちなみにバッキードリンクとは、バッキーカラーと同じ色と種類のあるシェイク(サニーデイなら水色のラムネ味、ボイルドエッグなら黄色でレモン味といった具合である)で、『名画亭』の目玉メニューとでもいうべきものであった。
『名画亭』の壁には、クロノが集めてきたマルパスや導次、レディMら有名ムービースターのサインが飾られ(なぜか柊市長のサインまである!)、人々の話題になっている。
店もなかなかの繁盛ぶりで、店員として手伝っている続 歌沙音、七海 遥、ルカ・へウィトらは大忙しであった。
「きゃーーー」
そんな混雑の中を裂く悲鳴はリディア・オルムランデのもの。
そしてけたたましい音がしたのは、彼女が皿を割ったらしい。
「おわあ、何やってんだー、って、大丈夫かー? ああ、片付けないと」
「ごめんなさい、ごめんなさい!」
厨房から山口美智が飛び出してくるが、リディアと一緒に慌てているだけ。
「大丈夫? 可愛いレディ」
客のヘンリー・ローズウッドがリディアを慰めているあいだに、割れた皿は歌沙音たちが手際よく片付けてしまったようだ。
ショップのほうでは、上映作のパンフレットやグッズなどの他、各種バッキーグッズや、ムービースターのサインの複製などが売られていた。神野鏡示が、訪れた客にぬいぐるみ、ペーパークラフト、ポストカードなどのバッキーグッズを薦めている。そしてその合間にこっそりと、『銀幕★狂想曲』に登場するムービースターの能力をレンタルできるというカードを販売しているのだった。
★ ★ ★
「客入りも上々じゃない。……と、そろそろ時間かな」
窓口で、パソコンを使ってチケットの管理などをやっていた浅間 縁が、時計を見て言った。そしておもむろに、館内放送のマイクへ向う。
『まもなくロイ・スパークランド監督の舞台挨拶がはじまります。チケットをお持ちの方は劇場の方へお急ぎ下さい――』
人々の列が劇場へ吸い込まれていく。入口では、アルや取島カラスが黙々ともぎり係をやっていた。
「『名画座』へようこそ! ……この素晴らしい映画館で、ボクの映画を観てもらえることを、嬉しく思います」
ロイ・スパークランドは、劇場を埋め尽す観客に向って、まずそんな第一声からはじめた。
そして、『銀幕★狂想曲』という奇妙な映画を製作した経緯などが語られる。
「……だから、この映画はボクが見た、この街そのものの姿と言えるかもしれません。この映画を撮ることで、ボクはこの街のみんなと、友人になれたような、そんな気がしました。どうか、映画を観るというより、友人の近況を聞くような気持ちで、リラックスしてスクリーンに向って下さい。……っと、そのまえに、もうひとり、ボクの友人を紹介しましょう。ヘイ、SHIN、おいで」
舞台袖で見守っていた慎太郎はふいに名を呼ばれて硬直する。
ロイが手招きするのに、ぶんぶんとかぶりを振るっていたが、誰かに背中を押されたようで、よろめくように、舞台の上へ。
「『名画座』の新しい支配人、此花慎太郎クンです。彼のおじいさんがつくった『名画座』を存続させるために、彼はやってきました」
拍手が、彼を迎えた。
「あ、あの……」
脂汗を流しながら、ロイが差出すマイクに向って、慎太郎は言った。
「お、俺――、う、うまく言えないッスけど……」
とうてい支配人とも思われない物言いに、会場からくすくすと笑い声がもれる。
「じいちゃんがつくった『名画座』は、すごくいい映画館だった、って思います。その『名画座』に負けない、もっといい映画館に、していきたいと思います。がんばりますのでよろしくお願いします!」
わっ、と、大きな拍手の波が、彼を包み込んだ。
「とっさのアドリブにしてはよかったんじゃない。……ほら、汗ふいて」
萩堂天祢が、裏に戻ってきた慎太郎にハンカチを差出す。
「監督もおつかれさまでした」
「you're welcome. ずいぶん盛況じゃないか」
「立ち見出てますしね。次の入れ換え、会場整理の人員、増やしたほうがいいかな」
事務所では、萩堂をはじめ、慎太郎を事務的な部分でサポートしてくれている面々が集まっていた。
「シフト表あるよ」
風魔銀星が、今日の手伝いの一覧と、配置をまとめた書類を広げた。
「よし、カフェのほうは食事時を過ぎたら落ち着くから、整理のほうに回ってもらうか」
八之銀二が、それを見て、人員の配置の変更を決めていく。
「此花はん、これはどこに置いたらええやろか」
稲見はつ香が持ってきたのは、アンケートを回収するハコだった。これをつかって客の声を集めて今後の運営に活かしてはどうか、というのが彼女の提案だったのだ。
「あー、そうッスね、これは俺が持って立ってて、自分で集めるようにします」
そうして――
『名画座』リニューアルオープンの初日は、慌ただしく過ぎていくのだった。
★ ★ ★
「ふう」
此花慎太郎は『名画亭』のテーブルで息をついた。
照明は半分以上落としたので、周囲は暗い。
手伝いのものはもう帰った時間である。誰もいないカフェの厨房で、自分でコーヒーを入れる。あと一仕事、今日の帳簿の整理だけをしたら帰ろう、と慎太郎は思っていた。
ロイ・スパークランドの新作、それもここ銀幕市を舞台にした作品が観られるというだけでも集客は十分だったが、それに加えての派手な宣伝攻勢。銀幕ジャーナルはもちろんのこと、地元のメディアも取材に来ていたようだから、今日の様子が報道されれば、明日からも動員は見込めるだろう。
全身に、じんわりと、心地よい疲労感。今夜はいい夢が見られそうだ。だが――
「今回はいいとして……」
思わず独り言が漏れる。
「やっぱ『名画亭』をつくっちゃったぶん、ランニングコストはかかるんだなー。『銀幕★狂想曲』はそんなに長く上映してられないし、それ以降もかわらずやっていくには、どうしたらいいか……」
考え込む。今日まで、夢中で走ってきたが、ふと立ち止まって先のことを考えると、やはり不安が先に立つのであった。
「……?」
と、そのとき。
なにか物音を聞いたような気がして、彼は顔をあげた。
まだ誰か残っていたのだろうか。
席を立ち、暗いロビーへ。
そこには、クロノによって修繕はされたものの、もはや時代遅れなので、新しいものと交換した映写機が、インテリアとして飾られている。『名画座』創設の頃から、ここで映画を映し出してきた、いわば影の立て役者とでもいうべきものだ。
慎太郎は、その傍に人影が立つのを見る。それは――
「……じ、じぃちゃん……!?」
リィ……ンン――。
幽かな鈴の音が、どこかで鳴った。
ロビーの奥の暗がりの中に、ぼんやりと灯るのは、カロンの杖についたカンテラの火。冥府の川の渡し守は、ローブの下の漆黒の闇の中から、今は亡き祖父と相対する若き支配人を見つめていた。だが慎太郎はカロンの存在にも気づかず、祖父へ歩みよる。
「『名画座』ができた頃……」
老人は、おもむろに口を開いた。
「世の中には、今ほど娯楽があふれていなかった。……映画が、そんな時代の人々にどれだけ愛されたか、おまえにわかるか、慎太郎」
「……」
「わからんかもしれんな、今の子には」
「そんなことないよ」
慎太郎は応えた。
「そりゃあ、昔のことは、俺は想像するしかできないけど……、今日、お客さんを見てて思った。みんな、すごく楽しそうだったから。映画って……楽しいもんなんだよね。映画館って、すごく楽しいところなんだな。……言葉にしたら単純だけど、そんなこと……あんまり意識したことなかったな。ロイ監督が映画のことにすごく真剣なのも、だからなんだ、って……」
それを聞くと、老人はうっすらと微笑んだ。
「そうだ。それがわかっていればいい。誰かを楽しませたい。その気持ちがあれば、おまえはやっていけるだろう」
愛おしむように、古い映写機になでると、彼の姿は、闇に溶け込むように消えて行った。
「じ、じぃちゃん……」
あとに残ったのは慎太郎一人。
「じいちゃん、俺……」
その先は、もう言葉にならなかった。ぼろぼろと、その頬を涙がこぼれ落ちた。
★ ★ ★
新生『名画座』のロビーには、かつての『名画座』の様子を写した古い写真が額に入って飾られている。
その列の最後に、後日、この日に撮られた写真が仲間入りした。
大きく引き延ばされた写真は、慎太郎と、肩を組んだロイを真ん中に、手伝いにきた面々が収まっているものだ。
写真には、ロイと慎太郎の直筆が添えられていた。
Thanks! my friends.
これからもよろしく!!
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