どっぱーんと砕ける荒波を背負い、海パン一丁のゴリマッチョなお爺ちゃんが仁王立ちになっている。風間剛志69歳だ。銛はともかく七輪まで携えている辺り、周到さが窺える。
「変身!」
一陣の風が巻き起こる。大天狗・風剛へと姿を変え、剛志は法螺貝を構えた。
「皆の者、突撃の準備は出来たか! いざ行かん!」
勇壮に吹き鳴らされる法螺貝が戦の始まりを告げた。
「これは良い。昂るでござるな」
馴染みのある音色に雪峰時光が武者震いする。しかし彼は昼間のままの格好、つまり褌一丁だ。
「それにしても……リュカオス殿、昼間もあれだけ現地人と戦ったというのに、更にまた海魔と戦うのでござるか……。拙者も負けておられぬ!」
日本刀が、一閃。トラベルギア『風斬』でタコ足を切り落とす時光の姿はサムライそのものである。しかし彼は褌一丁だ。
「祭りの雰囲気に水を差そうたぁ、ふてぇ野郎だ! ぷるっぷる言わせてやんよ!」
五十嵐哲夫が豪快にタコの頭を殴りつけるが、
「うおぉ!?」
ぷるんっと弾む頭部が拳を受け流してしまう。たかがタコ、されどタコ。なかなかに手強い。
しかし、蓮見沢理比古はタコ肉の瑞々しさに目を輝かせた。
「あのタコ美味しいらしいね。それ聞いたらすっごいたこ焼き食べたくなったから、虚空、あの脚の辺り、獲って来て」
「何」
ご主人様の無茶振りに虚空は目を剥いた。
「あっ、海鮮焼きでもいいかもー」
「そういう問題じゃ……」
「――よろしくね?」
「お、おう。アヤの頼みなら!」
輝くような――しかし有無を言わさぬ――笑顔でお願い(命令)され、虚空は最前線へと飛び出した。使い走りかよとぼやきつつ、実はちょっぴり嬉しい虚空である。
「キャロォォォォォル!」
「ボビィィィィィィー!」
「そーいうんは、二人っきりの時にやんなっつーんだよ!」
恋人達に華城水炎の雄々しい突っ込みが入る。昼の祭りの名残だろうか、サラシにホットパンツ姿の水炎は法被を肩に引っ掛けていた。
「でもまー、憂さ晴らしにはちょうどいいってかぁ?」
不敵に笑った水炎はいきなりマシンガンを連射した。弾幕はタコにのみ向かって飛んでいく。ぷるぷるぷるぷる、着弾の度にタコ肉がリズミカルに震える。
「あーやっぱこーじゃなくちゃな! すっきりしたー!」
昼間の負け戦の鬱憤を晴らしてご満悦の水炎である。
(まったく……こっ恥ずかしくて見てらんないラブラブっぷりね……)
今度は草葉の陰から魚が現れた。フカ・マーシュランドである。先刻、恋人たちのデートの様子をチラ見していたのだった。
「……ちっ……タコ風情が、恋路の邪魔してんじゃないわよ!」
馬に蹴られて死んじまいなと毒づき、フカはつかつかとボビーに歩み寄った。
「だけど、ある意味チャンスじゃないのさ。アンタ、ボビーっていったわよね? 彼女を助けてやりなさいよ。男なら良いとこ見せてやんなっ!」
豪快に差し出される狩猟刀――元居た世界で、海獣相手に用いていたゴツい得物である――にボビーは目を剥いた。
「ちゃんと手伝ってやるわよ。援護は任せときな」
ニッと笑ったフカは対物ライフルを担いで後方に陣取った。
カップルを応援しようとする者は他にもいた。イェンス・カルヴィネンである。
「良い子だね……頼むよ」
イェンスは手にした黒髪の束にそっと口づけた。女性の物と思われるそれは彼のトラベルギアだ。絹のようなしなやかさと鋼の如き頑なさを併せ持つ髪の毛がタコの足を拘束し、自由を奪う。
「さあ、今のうちに」
イェンスは穏やかにボビーに微笑みかけた。
「……デジャヴだわ、ちとてん」
一方、月見里咲夜はニヒルに笑い、
「以前もこんな恋人達を見たような気がする。確かヴォロスだったかしら。でも、タコは退治しないと」
びしっと構えた。
……いつもの汗拭きタオルを。
「ふふ……クリスマスは、家族とケーキを食べる日よ。色気より食い気とモフトピア、それがあたしの正義(ジャスティス)、今回はブルーインブルーだけど。……というわけで!」
狐型セクタンのちとてんが咲夜の肩の上でおののいている。
「永遠の愛を誓うのに物に頼るなあああぁあぁ!」
女KIRINの魂の咆哮。ぶわっちぃぃぃん、ぶぇっちぃぃぃんと振り下ろされるトラベルギア(タオル)。この瞬間のちとてんの心情を代弁するなら、「ご主人さま壊れた!」である。
「ぐぎぎ、この馬鹿ップルめぇぇぇ! 行けタコー! 今だ、そこアルよー!」
海上に半透明の何かが浮いている。妖精だろうか。それにしてはファンタジー成分が足りない。ノリン総督という名の彼――性別すら不明だが便宜上そう呼ぶ――は法被に温泉柄のバンダナというフェアリーとは程遠い格好で応援扇子を振り回しているのだった。
「カップルぶっ飛ばせアルー! 総督もカノジョ欲しいアルー!」
「そりゃただのやっかみだろ」
「どすこぉぉぉぉぉぉぉい!」
ノリの妖精は虚空のツッコミを海の彼方に放り投げた。
「フレーフレー、ターコー! 1、2、3、ノリダァァァァァァーッ!」
「ちょっとアンタ! 撃っちまうわよ!」
遠距離射撃に徹するフカがキレた。タコの周囲をちょこまかする総督は正直うざい。
ディガーはそんな騒ぎを完全に無視して掘削作業にいそしんでいた。
(砂、砂、星の砂。せっかくだから変わったのが良いなぁ。大きいのとか、七色のやつとか)
星の砂が珍しくてたまらない。レアな星を見つけ出さんとひたすら砂を掘りまくるが、
「そういえば、何でみんな二人組で探してるんだろう?」
砂探しの主旨は全く理解していないディガーである。
アインスは砂探しに熱中するカップル達に醒めた一瞥を投げた。
「……星の砂は対でなければ効力を発揮しないのだろう? ならば、彼女と一緒でなければ探しても無駄というものさ」
アインスの目的は美しい桜貝――例えば彼女の頬のような――である。イヤリングに加工して贈るつもりだ。
「……おっと、忘れてはいけない。海岸でイチャついている男女がいたら、足を引っ掛けて星の砂を破壊する工作も忘れないようにしなくては……」
くくくと低く喉を鳴らす。Sの皇子様はなかなか良い性格をしているようである。
(戦うのは無理だけど、タコの端っこ貰えないかな……)
春秋冬夏はのんびりと砂浜を散策していた。マイ箸の他にマイ醤油も持参している。勿論タコ用である。お腹が一杯になったら星の砂も探してみたい。桜色に海色、虹色……。カラフルな星を、思い出と一緒に小瓶に詰めて帰ろう。
「とーかちゃーん!」
藤枝竜が元気良く手を振っている。冬夏は目をぱちくりさせた。折り畳み式のテーブルに椅子、金網を運ぶ竜の姿はまるで祭りのスタッフだ。
「もしかして、バーベキュー?」
「はい! 良かったら来てくださいね。手持ち花火もありますよー。火種はご心配なく!」
竜は人懐っこく笑って胸を張った。少女達のお喋りに目を細め、ハクア・クロスフォードが静かに通り過ぎて行く。
(このように夜の海を歩くのは初めてだな……)
海の音を味わうように目を閉じてみる。潮騒の重奏が耳に心地良い。海魔戦の喧騒も今は遠い。波音は雨音と似ているかも知れない。静かで、妙に落ち着くのだ。
再び目を開くと、足許に小さな花びらが落ちていた。白っぽいそれは宵闇の中でしるべのように朧に浮かび上がっている。つまみ上げると硬い感触があった。これも星の砂なのだろうか。
星の砂は失われた文明の遺物だという。生き物であったのかも知れないし、都市の残骸であるのかも知れない。
「亡びて尚残るのだな。……俺も、誰かの中に残ることができるだろうか」
囁くような独り言は星の砂だけが聞いていた。金平糖のような竜と冬夏の笑い声をBGMに、ハクアの心は故郷へと飛ぶ。“彼女”はどうしているだろう。
物思いに耽るハクアを星屑とロウ ユエが見つめている。静謐な顔に覗くわずかな痛みに気付かぬロウではないが、それを指摘するほど野暮ではなかった。
(星の砂、か。色々な色と形があるんだな)
ロウが見つけたのは雪の結晶に似た形の砂だった。琥珀色のそれは本当に琥珀なのかも知れない。儚く溶ける筈の雪が琥珀に閉じ込められて留まっているようで、ロウはわずかに口許を緩めた。
「おっと」
ざざん、ざざんと打ち寄せる波からひょいと飛びのく。上着を脱いだロウは袖なしの中国風の衣服を纏っていた。こういった所で肌を出すのは初めてだ。日光に弱いロウが昼にこんな格好をしたら悲惨なことになる。にもかかわらずうっかり昼の祭りに参戦してしまった辺り、間が悪いものだ。
服の裾を折り、裸足になって波打ち際を歩いてみる。
「不思議な感触だ」
波に合わせてさらさらと引いていく砂。川の流れと同じなのだろう。同じ砂はひとつところには留まらぬ。旅人と似ている、とふと思う。
「出店のほうも楽しそうだが……ん?」
ロウは目をぱちくりさせた。何やら騒ぎになっているようだ。
時間は少し遡る。
「んー、おいし~っ!」
屋台グルメを片っ端から制覇しつつ、一ノ瀬夏也は元気いっぱい舌鼓を打っていた。味の半分は雰囲気だろう。祭りの中、屋台から買う焼きそばや綿あめは格別に美味いものだ。
「姉ちゃん、元気だな! こっちもどうだい?」
「わっ、ひとつ下さい!」
海鮮お好み焼きにぱくつき、持参のカメラで祭りの活気を次々と撮影していく。
坂上健も私服姿で夜店を巡っていた。健ならばトンファーを振るって真っ先に海魔に突っ込んでいきそうなものだが、
「俺は……俺はっ! KIRIN仲間を倒すことなんて出来ないっ!」
握った拳を震わせて力いっぱい宣言した。昼間に出店を回れなかった分、食い倒れと花火見物に徹するつもりだ。
「兄ちゃん、寄ってきな! クラーケン焼きだぜ!」
屋台の親父が手招きしている。海魔焼きなんて珍しいと顔を輝かせながら健は串にかぶりついた。
「美味い! なあなあ親父さん、大雑把でいいから作り方教えてくれよ」
「ほんと……おいひぃ。こういうの作れる人、ちょっぴり尊敬、かも?」
「え? あ」
隣に視線を振り向けた健は固まった。ディーナ・ティモネンがクラーケン焼きを頬張っている。今でこそ浴衣姿のディーナだが、昼間の彼女はまさしく勇者だった。女の身で褌+サラシという完璧な正装をこなしていたのだから。
「お昼の分も、食べる……あ、お酒だ……」
ディーナはふらふらと露店を見物して歩いているようだ。健は鼻を押さえて顔を背けた。昼間に遠くから見かけただけだが、思い出すだけでも鼻血モノである。
「おう、褌のねーちゃん! 浴衣も色っぽいな!」
「こっち来て一緒に呑もうや!」
「わー、ありがとう。うふ、うふふ……ふわふわ~」
船乗りたちの宴会に混じり、ディーナはあっという間にほろ酔いだ。目の縁をぽっと染めて笑み崩れるディーナの姿に男たちが口笛を鳴らした。
「何か、楽しいかもぉ~」
海鮮つくねにナマコの刺身、深海魚の素揚げ等々。見慣れないメニューほど積極的に手を出しながらまた笑う。
武闘派女子高生こと日和坂綾も浴衣を着込んでいた。
「ナンか、ナンかさ……せっかく浴衣着ても、見せる相手が居ないって寂しいね、エンエン?」
花の女子高生の傍に居るのは恋人ではなく狐型のセクタンである。
「みんな海魔退治に行ったりデートしたりしてるのかなぁ? と、とりあえず食い倒れしよっか?」
セクタンのエンエンを両腕に抱え、露店を覗いては目についた食べ物を購っていく。軽く冷やかすつもりが、珍しい海の幸を前に、いつしか本気食いへとシフトしていた。
「あ~、竜ひゃん~、冬夏~!」
友人の姿を見つけ、貝を頬張ったままぶんぶんと手を振る。バーベキューの買い出しに出ていた竜と冬夏も綾に気付いて駆け寄ってきた。ひとしきりお喋りに花が咲く。
真遠歌は鰍に手を引かれながらぼんやりと喧騒を楽しんでいた。隣には歪の姿もある。
「へえ、案外美味ぇもんだな」
大王イカの浜焼きを頬張りながら鰍は感心していた。壱番世界の食べ物は図体がでかくなるほど大味になる傾向にあるが、さすがはブルーインブルーといったところか。
「喉渇いたな。かき氷でも……お、ラインナップは壱番世界と似てるな」
「加ァ持さーん」
そこへ仲津トオルがひょっこり現れた。昼の喧嘩祭りの間はちゃっかり避難していたらしい。
「名字で呼ぶんじゃねぇ!」
「んじゃカジカジさん、ボクの分もお願い。イチゴね」
「イチゴって柄かよ。親父さん、イチゴひとつ……って、あ」
まんまと乗せられた鰍だが、トオルがかき氷を受け取った後ではたと我に返った。
「返せこの詐欺師、っつかむしろ一口くらいくれたっていいんじゃねえ!?」
「じゃあ次はコレ」
「人の話を聞けえぇぇ!」
(仲の良いお友達……なんでしょうね)
鰍に買ってもらった白玉あずきのかき氷を食べながら、真遠歌はひとり納得していた。鰍が聞いたら目を剥くだろうが。
「お前もどう? 抹茶味」
「いや、俺は」
鰍にかき氷を差し出されるも、歪はかぶりを振った。鰍にはただでさえ世話になっている。しかし、ほら食えとばかりに渡されるものだから、断り切れずに受け取ってしまった。
「俺はお前に甘えてばかりだ」
子供のようだと恥じつつも、歪は嬉しそうに礼を言った。
「さてと、ごちそーさま。これ以上家族団欒の邪魔しちゃ悪いし、ボクは消えようかな」
たかるだけたかって満足したトオルは踵を返した――が。
「……何アレ」
ざざざざざ!
ざざざざざ!
二つのつむじ風が近付いてくる。巻き上げられる土埃、どよめく人々。屋台のテントが倒れ、食材が跳ね上がり、親父たちが怒声を上げる。
風ではない。褌だ。褌が二つ、颯の如く屋台通りを駆け抜けていく!
一人目の褌・雀はいつもの笠を外し、刀は布に巻いて背中に括っていた。二人目の褌は地元の巨漢だ。彼らは昼の祭りからずっと追いかけっこを続けていたのだった。
「………………」
雀は不意にUターンし、巨漢へと突っ込んだ。速度を乗せた拳を打ち込む。巨漢は眉ひとつ動かさない。足払いを繰り出す雀。巨漢が身軽に跳んでかわす。互いに本気で逃げてはいないのだ。こんな鬼ごっこが半日以上続いている。
「………………」
「………………」
「ちょ、よそでやれよそで! 見物人を巻き込むな!」
無言で睨み合う二人に健のクレームが飛ぶ。沈黙の末、先に走り出したのは雀だった。巨漢がぴたりと追尾する。追いかけっこはまだまだ終わらない。
「何だったのでしょう」
真遠歌が不思議そうに呟く。その頃にはトオルの姿は煙のように消え失せていた。
「………………」
その頃、黒葛一夜は遠い目をして浜辺に立ち尽くしていた。視線の先にはお化けダコに挑むロストナンバーや現地人たち。入り混じる褌はこの際気にしないことにする。
一体、何が楽しくて花火や屋台を横目に戦闘訓練に赴こうとしているのだろう。
「――だがしかし」
びびびびび。ガムテープを引き出……もといトラベルギアを構えた一夜は、
「其処にバカップルがいる限り、打ち砕きに行かねばならないのですよ。っていうか打ち砕く。ぜってー打ち砕く!」
渾身の雄叫びと共に砂浜を蹴った。目が据わっている。
「遠慮はいらない……? そうか……そうだよな……?」
褌からラフな私服へとチェンジした山本檸於はトラベルギアを握り締めた。
「発進んん! レオカイザアァァァァァァァー! こんのタコ野郎ぉぉぉ!」
いつもより三割増しの雄叫びが機神レオカイザー(全長50cm)を呼び覚ます。笑ってはいけない。トラベルギア起動に必須の行程である。がっしょんと立ち上がったレオカイザーはジェットエンジンを噴いて夜空へと飛び立った。
「レオブレェェェドッ! 潰れろ! 魚肉(?)となれっ!!」
「見てちとてん、山本さんの後ろに何か見えるわ。辛いことでもあったのかしら……」
鬼気迫る形相の檸於に咲夜がおののいている。
(これは涙じゃない……俺は泣いてなんかいない……っ!)
ああ、誰が知るだろう。
キュートなポニーテール少女に肩慣らし代わりにフルボッコにされたことを。
ボロボロになって砂浜に辿り着いたと思ったら唐辛子水を引き当てたことを。
筋肉達磨にハグされて意識が飛びそうになったことを(ひんやりして気持ち良かったが)。
「レオレーザァァァァァ! つ、辛くなんかないぞ!」
言わない。私服に着替えたのも心と体が寒かったからだなどとは。声を嗄らして叫び続ける檸於の姿に、幾人かのロストナンバーがそっと目頭を押さえた。
「みんな頑張ってー、主に虚空。後でかき氷奢ってあげるねー」
浴衣姿の理比古はのんびり綿あめなど頬張りながら観戦している。最前線で奮闘する虚空は半ば涙目だ。といっても、ご主人様の声援はやはり嬉しいのだが。
「おーさすがは虚空。オレの加勢なんかいらねェな」
「手伝え五右衛門!」
「あァ? アヤの護衛もオレの仕事だぜ?」
褌姿の石川五右衛門はにやにやと虚空に応じた。キリリと切れ上がった六尺褌姿の五右衛門はまさしく海の漢である。潮風になびく前垂れが凛々しい。
「ところでアヤは行かねぇのか?」
「だってほら、浴衣汚したら虚空が悲しむじゃん」
虚空謹製の浴衣をひらつかせ、理比古は無邪気に笑うばかりだ。
「アヤ。綿あめが付いているぞ」
そこへ長い指が伸びてきて理比古の頬を愛撫――もとい、丁寧に拭った。
「ありがと、政宗」
「ああ……その笑顔と言葉だけであと百年は生きられる」
まんざら冗談でもなさそうに言い、須郷政宗は相好を崩す。インテリヤクザ然とした眼光の鋭さも今だけは影を潜めている。
「後で一緒にタコを食おう。二人きりで」
理比古の肩に手を回し、囁く。口説き文句のつもりらしい。スキンシップ過多を常とする政宗は先程からひたすら理比古に纏わりついていた。「お前何しに来たぁぁぁ!」という虚空の全身全霊のツッコミは今の政宗には届かない。
「なんだなんだ、随分楽しそうだな」
虚空の姿を見た清闇は何かを勘違いしたらしい。囚われのキャロルとあたふたするボビーには微笑ましげな視線を向ける。清闇は何事にも大らかだ。
「にしてもすげえなこのタコ。何人分の肴になるだろうな?」
こいつで皆と一杯やるかと片刃剣を抜く。着物の片側をはだけた姿で刀身120cmの剣を構える姿は絵画のように様になっている。
荒れ狂うタコ足を軽快にかわしながら、清闇はあっという間に最前線へと到達した。加勢かと期待した虚空だったが、
「よう。下僕ってのも大変だな、報われねえとこが実はいいとかか?」
遠慮も悪気もなく放たれる笑顔と言葉に絶望した。悪意のない奴が一番厄介だ。
「ゲヒャヒャヒャ。真打ち登場だぜェ~」
ぬう――と褌一丁の細マッチョが現れた。ジャック・ハートである。彼はなぜかタコの頭のてっぺんに仁王立ちになっていた。多分加速系ESPを用いて高速移動したのだろう。
「ハッハァ! 喜べ! お前ェら全員、俺サマの引き立て役にしてやるゼ、ヒャーヒャヒャ」
ジャックは酔っ払っているわけではなかった。酒はタコを倒した後と決めている。黒い髪が青銀へ、緑色の双眸が紫へとみるみる変じていくのを見て地元の警備団がどよめく。
「飲みすぎじゃねェのォ? 錯覚錯覚、ギャハハハ! 吹っ飛べ、タコ助ェ~!」
何の迷いもなくESPを全開にしたジャックは一気に放電した。驚いたロストナンバー達が一斉に飛び退く。ぷるぷるぷるぷる、電撃に貫かれてタコ肉が躍る。タコ経由で感電する分には死なないだろうと楽観するジャックであるが、タコに囚われているキャロルは無傷とはいかない。
更なる電撃がタコとキャロル(と、なぜかボビー)に落とされる。ジャックは怪訝そうに辺りを見回した。ジャックの力ではない。ダブルの電撃を受けたキャロルは白目を剥いている。
しかし、そこへ颯爽とヒーロー(体型:肥満)が登場した。
「キミ達! このワタシが来たからにはもう安心だ!」
顔を覆う白いマフラーにサングラス。オッサン用の白ジャージが眩しい。彼こそ武田光雄52歳、商店街・ショップストリートZを取り纏める町長である。しかし町長とは仮の姿、真の姿は――ッ!?
「さあタコ怪物! そのお嬢さんを離したま――ブルアァァァッ!!」
電撃で痙攣するタコ足にブッ飛ばされ、ヒーローは瞬く間に星になった。さよなら武田光雄、ありがとう武田光雄。僕たちは君を忘れない。
ジャックのカマイタチがタコ足をスパスパ切り落とす。その隙に剛志こと風剛がタコに肉薄した。稲妻の如き居合いが、一閃。キャロルを捕える触手を斬り落としてあっという間に彼女を救出した。もちろんお姫様抱っこだ。
「お嬢さん、大丈夫かな?」
きらーんと歯を光らせる風剛にキャロルが頬を染める。ボビーが歯軋りしている。
「大丈夫アルかお嬢さん! ボクが来たからにはもう安心――」
先程までカップルを敵視していた筈のノリン総督がノリで手柄にたかろうとするが、
「ぐあぁ、目がぁ、目があぁアルー!」
タコの墨攻撃を顔面に食らい、ひゅるると海に落下して行く。理比古はまたも顔を輝かせた。
「イカ墨って料理に使うけど、タコの墨はどうなんだろうね。食べてみたいな。ってことで虚空ー、墨もお願いー」
「何……」
「――よろしくね?」
「お、おう。アヤの頼みなら!」
「さすがはシノビ。大したものだ」
虚空の忠義ぶりを政宗が確信犯的に誉め讃える。清闇も闊達に笑った。
「なんだかんだ言って嬉しそうじゃねえか。そういうの、確か……ドMとか言うんだよな?」
「黙れ――――ッ!」
虚空は涙目でブチ切れた。ちなみに虚空と清闇は初対面だ。
「まま~、はだかのおじちゃんいぱいー」
海魔戦のすったもんだを遠目に、ロジーはティモネ・オーランドに手を引かれて砂浜を歩いていた。チャイナ服に身を包み、黒髪を潮風にさらわせながらゆったりと散策するティモネの風情はまさしく大人の女だが、
「あら、とても良い風ね……タコ刺も良いですけどやはりタコ焼きが楽しみだわ」
ティモネはどこに行ってもティモネだった。
息子・ロジーはちょこまかと砂浜を走っていく。星の砂を探したいらしい。あどけない足取りで進む我が子を穏やかな母の眼差しが見送っている。
少し離れた場所で、レヴィ・エルウッドとテオドール・アンスランも連れ立って歩いていた。
(夢のある話だ)
砂を探す男女の姿が遠くにちらほら見受けられる。だが、自分には縁のない話だとテオドールは思う。己に関する男女関係には疎い。
「星の砂、探してみたいな」
くだけた口調でレヴィが言う。友情のお守りにしたいと付け加えるレヴィにテオドールは穏やかに首肯を返した。
しばし、砂をさらう。波打ち際で数種類の星を拾い集めるレヴィを追ってテオドールも素足になった。装飾品に使う貝殻を拾っていると、不意に頬に飛沫がかかった。物静かな筈のレヴィがあどけない笑みを浮かべ、テオドールに向かってぱしゃぱしゃと海水を跳ね上げていた。
「お返しだ」
テオドールも好意的に応戦する。星探しの筈が、しばし水遊びに興じる。
「ああ、楽しそうだね」
二人の姿を遠くに見ながらエドガー・ウォレスは目を細めた。隣を歩くレオンハルト=ウルリッヒ・ナーゲルは目だけで相槌を打った。彼はいつでも無表情だ。
夜の海は空より黒い。全てを吸い込んでしまいそうなほどの暗闇。レオンハルトの視線は自然と空へ向く。同じ闇でも空には星屑が在る。そんなふうに考えてしまうなどレオンハルトらしくないが、ほんの少し、物思いに耽ることくらいなら許されるだろう。
レオンハルトの様子を察し、エドガーは沈黙を保っていた。レオンハルトを誘ったのはエドガーだった。夜の浜辺なら、騒がしい場所を好まない彼にも向くだろうと。
「レオン。せっかくだし、星の砂を探してみないか」
頃合いを見計らって静かに声をかける。レオンハルトは黙って肯いた。
星の砂を探す二人の傍らでエドガーのセクタンが砂遊びを始めた。レオンハルトの使い魔・ブラックウィドウが無愛想な一瞥をくれる。今夜のブラックウィドウはセクタンサイズの蜘蛛の姿をしていた。
セクタンが蹴立てた砂がブラックウィドウへと飛ぶ。プンスカ怒った蜘蛛は猫パンチの如き手さばきでセクタンを叩いた。ブラックウィドウはいつもこの調子だ。
「これをやろう」
落ち込むセクタンにレオンハルトが星の砂を差し出した。金と銀が入り混じった、小石ほどの大きさの粒だ。セクタンは嬉しそうに受け取ったが、すぐにブラックウィドウに渡した。今度は仲良くなれるだろうか。
「ありがとう、レオン」
「……君に渡したわけではない」
「そうだったね。でも、ありがとう」
無表情に応じるレオンハルトにエドガーは大らかに笑った。
「奇妙な出来事に巻き込まれたけど、これが冒険ってものだよね」
最近ロストナンバーになったばかりのエリオット・フレイザーも浜辺を訪れていた。突然の覚醒を少しだけぼやきつつも、冒険家としての好奇心は抑えられない。
「皆、何を探しているのかな……? 落し物でもしたのかな」
「星の砂だよ」
近くに居た現地人がエリオットの疑問に答える。星の砂とそれにまつわる伝承を聞き、エリオットは目を輝かせた。
「自分だけの星っていうのも、なんだか宝物みたいでいいよね。どうせなら大粒のキラキラした星がいいな」
ゴーグル付きのキャスケットをかぶり直し、早速砂をさらい始める。そんなエリオットの姿をルーノエラ・アリラチリフが微笑ましげに眺めていた。
「同じ星、かぁ。恋人とじゃなくて……母さんや、陽と同じ星、見つからないかな……」
足の下でさくさくと鳴る砂が心地良い。潮騒と一緒に、人々の笑い声が遠く、近く響いている。星の砂が見つかっても見つからなくても、幸せそうな人の姿を見ているだけで嬉しい。幸せを分けて貰える気がするのだ。
「これでよし、と」
ファーヴニールは一仕事終えた顔で海魔戦の様子を眺めていた。先程、カップルもろともタコに電撃を叩き込んだのは彼である。
(遅いな。着替える場所、ちゃんとあるといいけど)
昼間のシルバーメタリック褌からブルーの水着にチェンジしたファーヴニールは、波打ち際である少女を待っていた。
「お待たせ、ファーヴニールさん」
コレット・ネロが駆けてくる。夜の帳の中、白い水着が眩しい。上半身には同じ白のレース編みボレロを羽織っている。
「早く行こ!」
いつものように微笑んだコレットはファーヴニールの手を取った。彼女はレース編みのボレロを羽織っている。袖口の辺りに傷痕のようなものが見え隠れするが、ファーヴニールは優しく目を細めただけだった。
「綺麗ね」
楚々とした月光を弾き、海面がきらきらと煌めいている。空にも海にも星と月がある。贅沢な美しさだ、と思う。コレットは不意にしゃがみ込み、白い手の中に何かを掬い上げた。
「見て。月を捕まえたの」
「ええ? どれどれ」
言われるがまま、ファーヴニールがコレットの手元を覗き込んだ時。
「うわっ! やったな」
「うふふ。ごめんなさい」
掬った海水をファーヴニールの顔にかけたコレットは小さく舌を出した。コレットの言葉は間違いではないだろう。彼女の手の中の海水には確かに月が写っていたのだから。
「楽しいね」
「そうだね」
「また来たいね」
「そうだね……」
無垢な微笑の前で、ファーヴニールは曖昧に答えるばかりだ。胸の奥がことりと疼いた気がする。コレットもファーヴニールも傷を抱えている――。
一方、人気のない浜でハンマーを構える者がいた。鵜城木天衣である。
「そぉーれぇ!」
化石にハンマーを振り下ろす。掛け声とは裏腹に表情は真剣、精神力も充分だ。
「うふふふ……夜の海ならぁ、こっそりでっかいの出しても怒られないわよねぇ……」
悪戯っぽく笑いながらストップウォッチを作動させる。トラベルギアで蘇らせた古代生物をこっそり海に投下し、復活継続時間を測るつもりだった。
「……星ノ砂……色々ナ色ト形ノ物ガ、アルッテ聞イタヨ……僕、頑張ッテ探スヨ……」
「うふふ、ヘッドアクセよぉー」
「珍シイ砂、見ツケタラ……天衣ニモ、アゲルネ……」
アンモナイトを頭に乗せてくる天衣を大らかに受け止め、幽太郎・AHI-MD/01Pは静かに微笑む。
幽太郎は魚形の砂を探していた。青い魚と、茶色い鮫の形である。大切な恩人達にプレゼントするつもりだ。
「ほらぁ、遊んでおいで」
天衣はやりたい放題だった。シンダーハンネスのシンちゃんを幽太郎の後頭部にじゃれつかせる。ぴこぴこと動くシンちゃんに幽太郎は目を細めた。珍しい化石の欠片が出て来たら天衣に贈ろう。
しかし、一つだけ問題があった。
「分析完了……条件ニ、不適合……次ハ……」
ロボットらしく砂粒一つ一つを調べながら歩いているため、凄く……遅い……。
「あれれ? クロちゃんはぁー?」
幽太郎の背中に寝っ転がった天衣は海面を見つめて首を傾げている。
その頃、幽太郎の恩人の一人であるフカはボビーに詰め寄っていた。
「ちょっとアンタ! グズグズしてるから美味しいところ持ってかれたじゃないのよ。彼女が無事で何よりだけどさ」
風剛が華麗にキャロルを助け出し、彼女をボビーに救出させるというフカの目論見はパーになってしまったのだ。
「こうなったらせめてタコを倒しな! 格好いいとこ見せつけんのよ!」
「そ、そんなこと言われても……ぐぇ」
尻ごみするボビーの後頭部にごぃんとガムテープロールが当たる。一夜だ。彼は海魔海魔時々カップルの割合で黙々とガムテープ(トラベルギア)を投擲し続けていた。
「何すんのよ! 味方でしょ!」
「だってほら、人間自分の感情には素直になったほうが精神衛生上いいですから」
「何しに来たのよアンタ!」
鉄壁の笑顔できっぱりはっきり断言する一夜にフカがキレた。その後ろで檸於がおののいている。
(これは……彼女持ちとかバレたら最後、二度と壱番世界の土は踏めないな……)
しかも彼女は美人ときている。
「ちょっとイェンス! 何とか言いなさいよ! アンタ、二人の護衛に来たんでしょ!?」
「済まない、眼鏡を落としたからよく見えなくてね。メガネメガネ……メガネメガネ……」
イェンスはひたすら眼鏡を探している。無心に。真剣に。ちなみに眼鏡はイェンスの額の上で輝いている。そこへ新たな刺客が現れた。爽やかに黒い微笑を湛えた彼の名は確信犯ことルゼ・ハーベルソン。
「やあキャロル、こんな場所で会うなんて奇遇だね。……ん? その男は誰だい?」
いかにも今気付いたといった風情でボビーに目を向け、ルゼは芝居がかったしぐさで目頭を押さえた。
「キャロル……もしかして、俺という男がありながら浮気をしていたのか? こんな形で君に裏切られるなんて……」
「え、あの」
「俺はあれだけ君に尽くしたじゃないか。フィッシュサンドだって七百個は作ってあげた、レストランだって連れて行った。それなのに君は俺と付き合っている間浮気をしていたんだね。酷いよ……」
「ど、どういうことだいキャロル」
ボビーの問いにもキャロルは答えない。ルゼの容姿と色香に心を奪われているらしい。
「オォーマイガァァァァァーッ!」
「うるさいわね! ったく、どいつもこいつも!」
絶望するボビー、ブチ切れるフカ姐さん。そんな中、普段着姿の相沢優はトラベルギアを駆使して至極真面目に戦っていた。もちろん苦笑混じりで。
「タコ……食べたいなぁ。美味しそうだ」
トリシマカラスも積極的に戦っていた。ただし思考は食欲に占拠されている模様だ。
「焼きダコがいいよな、うん」
赤と黄色の絵の具で炎を作り出し、噴射する。じゅっと焦げるタコ足、立ち上る香ばしい匂い。咲夜のセクタン・ちとてんが果敢に火炎弾を吐き出す。更に立ちこめる香りにカラスの腹がぎゅるるると鳴る。ところで彼は褌の上にYシャツを羽織っていた。シャツの裾からチラ見えする褌が何とも言えない。
その時である。
ずごごごごごご。
ざっぱーんと上がる水柱。タコの後ろから現れたそれは新手の海魔なのか。体長は壱番世界の単位で9mから12mほど、姿はワニを彷彿とさせ、しかし四本の足ではなく前後二対のヒレを備えている。
クロノサウルス。天衣が蘇らせた古代生物だ。顎の力はあのティラノサウルスよりも強いと言われる、恐るべき首長竜である。虚空は遠くを見た。理比古が「爬虫類って案外美味しいらしいね。食べてみたいな」などと言い出したらどうしよう。
「うおぉ、それ行けアルー! わっしょいアルー!」
ノリで復活したノリン総督が扇子を振り回しながら声援を飛ばしている。それが力になったのかどうか、クロノサウルスはざばざばと波を掻き分けてあっという間にタコ戦域へと乱入した。驚いたタコがびちびちと逃げ惑う。その先に居たのは日和見を決め込んでいた蓮見沢一家だ。
「わあ美味しそう。五右衛門、食べたいな」
「仕方ねぇなァ」
理比古の他愛ない我儘に楽しげに笑い、五右衛門はサバイバルナイフでタコ足を断ち落とした。そのまま前線へと飛び出す――が、尋常ならざる気配を感じてたたらを踏んだ。
「……あンだァ?」
ざざざざざ!
ざざざざざ!
二つの褌が戦場を駆け抜ける。雀と巨漢だ。彼らはまだ追いかけっこをしていたのだ。
「………………」
目の前の混沌に雀はわずかに眉を持ち上げた。戦闘狂の思考はただひとつ。
――海魔も首長竜も邪魔。
走り抜ける勢いのまま、ボビーを足場にして跳躍した。足の下から「ぐぇ」とか聞こえたような気がするがどうでもいい。刀を解き放ち、一閃。荒ぶるタコ足を斬り落とす。更に跳び上がった雀はクロノサウルスを一刀両断にした。
「あぁー、クロちゃんー!」
断末魔の悲鳴を上げるのはクロノサウルスではなく天衣である。
またつまらぬ物を(以下自粛)と言いたかったかどうかは定かではないが、静かに刀を収めた雀は迅速にその場を離脱した。巨漢がぴたりと追尾する。おかしな追いかけっこはまだまだ終わらない。
「何あれ……って、え?」
呆然と二人を見送り、優は首を傾げた。
海魔と首長竜の様子がおかしい。力が抜け、くたりとしている。それに、どこからか赤紫色の煙が漂ってくるのはどういうわけなのだろう?
「好機!」
へたり込んだタコの脳天目がけて風剛が銛をブン投げる。五右衛門の三叉鉾がタコ足をまとめて薙ぎ払う。ロストナンバー達が次々ととどめを刺しにかかる中、視線を巡らせた優は息を呑んだ。
風上の岩場に、マフィアのように冷酷な眼をした紳士が立っていたから。
スタンリー・ドレイトンはいつものブランドスーツとロングコート姿で祭りを冷やかしに訪れていた。暑くないのかというツッコミはなしだ。スーツとコートは紳士の嗜みである。
潮騒を聞きながら星の砂でも拾おうと浜辺に足を向けたスタンリーだが、
「……気色が悪い」
海魔が人々と戯れる場面に遭遇するや否や、唾棄するように言い捨てた。
社会の表も裏も知り尽くした大富豪にも嫌いな物があった。タコである。アメリカ人だからだ。その上、昔、地中海で豪遊した際にタコ料理にあたったことがあるのだ。
指を鳴らし、葉巻に火をつける。ゆったりと煙をくゆらせる姿は舞台俳優のよう。背後から吹く夜風が芳醇な香りと赤紫色の煙を海魔の元へと運んでいく。狸型のセクタンが何か言いたそうにスタンリーを見上げている。
「巻き添えが出たらどうするのか、だと? ……知らないな」
この葉巻の煙を吸った者はすぐに眠りに落ちる。しかし海魔が眠ったかどうかなど確認しない。タコの寝姿などきもちわるいだけだ。
「行こうカンザス。星の砂を探すのだ」
セクタンを抱き上げて歩み去る大富豪の姿を潮騒だけが見送っている。
「キャロル! 起きて説明してくれキャロォォォォル!」
「俺の胸でお眠りキャロル……君の寝顔は天使のようだね……」
「三角関係か。しかし、愛というのは美しいものだな」
見事に巻き添えを食ったキャロルを前にボビーとルゼの熾烈な争いが繰り広げられ、それを見た政宗が何か分かったようなコメントを発していたが、スタンリーの知った事ではなかった。
ぼっ、と炎が宵闇を照らし上げる。波打ち際の一角に賑やかな空間が出来上がっている。
「皆さーん、ご一緒にいかがですかー?」
炎を吹いて食材を焼きつつ、竜が元気いっぱい手を振っている。プチバーベキューの始まりだ。人間の姿へと戻った風剛こと剛志も七輪で焼いたタコを皆に振る舞っていた。刺身にしたいところだが、損傷が激しいので仕方がない。
「お待たせー」
「竜さん、お願い!」
「食材持ってきたー!」
両手いっぱいのタコ肉を抱えた哲夫と優、水炎がやって来る。冬夏はふーふーしながら焼きたてのタコにぱくついていた。
「竜ひゃん~、少しはお祭りを楽しめばいいのに、モゴモゴ」
「あ、今、お祭りに参加してるっていう空気を共有してます!」
口いっぱいにタコを頬張る綾に竜はにぱっと応じた。
「お疲れ様ー。喉渇いてませんか?」
疲労困憊の面々には仁科あかりが飲み物を配っている。人々の様子をスケッチしていたカラスはレモネードを受け取り、一息ついた。
「あの世界司書、可愛かったなぁ」
焼きダコ片手に、インコ司書を思い出してぽわんとする。カラスは大の動物好きだった。
「ヲイ、酒足んねえぞ~」
タコ足をくわえたジャックは既に鯨飲馬食な酒宴に突入していた。
「ヒ~ック。花火はまだかよォ? 夏っつったら花火なんだろォ、ヒャヒャヒャ」
「花火! 夏の夜の祭りって感じだなー! こりゃ参加しねぇと損だろ!」
新鮮なタコ焼きを頬張るツヴァイは相変わらずの完全装備だった。即ち『祭』の字が躍る団扇、『わっしょい』と書かれた鉢巻き、群青色の法被にひょっとこ面である。
せっかくだからと、ツヴァイは花火師達の船に同乗した。自分も花火を打ち上げる気満々である。熟練の花火師達は苦笑していたが、むげに断らない辺りは何とも大らかだ。
(火薬を三倍にしたら、きっと打ち上がる花火も三倍大きくなって綺麗なものになるに違いない!)
花火師達の目を盗み、尺玉に細工を施し始める。
「ツヴァイ花火、点火!」
うまく火が付いたようだ。短くなる導火線をわくわくと見つめるツヴァイだが、
「……ん? もしかして逃げ遅れ――」
どーん、という炸裂音がツヴァイの声を掻き消した。
「わあ、たーまやー。……何か、悲鳴が聞こえなかった?」
特大の花火に冬夏が首を傾げる。次々と天を打つ花火の下、優がネズミ花火に火をつけた。しゅるるると回転しながら飛び跳ねる花火に少女たちの歓声が上がる。噴火花火、煙花火、蛇花火、線香花火、ロケット花火。優が持ち込んだ花火に竜が火をつけ、地上でも次々と煌めきが生まれる。
大輪の花火が絶え間なく咲き、散る。どーん、どーんと天球が打ち鳴らされる度、アメジストのようなレヴィの瞳がいっぱいに見開かれる。音に驚く彼の姿を微笑ましく見守りながら、テオドールはそっと金眼を細めた。
結局、同じ星の砂は見つからなかった。だが、テオドールは紅に金粉が散った様な球状の星を、レヴィは乳白色地に紫のマーブル模様の楕円形の星を見つけた。偶然にも互いの容姿を表したかのような色合いだ。今、テオドールの星はレヴィの手に、レヴィの星はテオドールの懐に在る。
「楽しかったね。参加できて良かった」
旬の果物とシャーベットの盛り合わせを堪能しながらレヴィが微笑む。テオドールも肯いた。鮮烈に咲いては散る花火の下、二人は静かに感謝を捧げた。
健も花火を見ながら星の砂を集めていた。
(渡したら喜ぶかな。遊ぶのに夢中で、そういうの忘れてるっぽいからさ。女って、お揃いが好きなんだろ)
持参した小瓶に星をさらさらと流し入れる。健の心が誰に向けられているのか、降り積もる星だけが知っている。
が。
「キレイ……着物の、柄みたい……」
という声に思わず鼻を押さえて目を逸らした。酒とおつまみを握り締めたディーナが、髪の毛や浴衣を星の砂まみれにしながらうとうとしている。一応花火見物に来たものらしい。
(母さん、今頃何をしてるかな……陽も、同じ星を見上げているかな……?)
ルーノエラも夜空を仰いでいた。空は繋がっているという。ならば、弟と母もこの空の下に居るのだろうか。
「ルーノエラさん?」
という声に慌てて振り返ると、真遠歌が立っていた。歪と鰍の姿もある。
「一緒に食べませんか」
差し出される綿あめ。頬張れば、優しい甘さがほんのりと広がっていく。
真遠歌はルーノエラの手を取り、花火の下へと進み出た。極彩色の花に合わせて舞う真遠歌に歪がトラベルギアを解放する。伴奏のように打ち鳴らされる刃鐘に真遠歌は驚いたが、兄の粋な計らいと知って嬉しそうに微笑む。歪も穏やかに笑み返した。故郷の祭りで剣舞を奉じる少年達の姿が脳裏で重なる。
刃鐘の音を遠くに聞きながら、時光はタコ焼きを頬張っていた。とれたてのタコ足を屋台に持ち込んで調理してもらったものである。
「コレット殿と食べたかったでござるが……」
彼女の姿は見当たらない。憂いを帯びたサムライの横顔を明滅する花火だけが照らし上げている。
「コレ、ひとりで持っててもしょーがないだろ……」
一方、ぷらぷらと浜辺を散策していた水炎は偶然対になる星を発見した。恋のおまじない。そう聞けば、胸が鈍く痛むけれど。
「……ま、あいつらにでも渡してやるかー」
苦笑ひとつで疼痛をやり過ごし、二つの星を小瓶に閉じ込めた。
少し離れた場所ではイェンスが無言で花火を仰いでいた。節くれだった指先は行き場を求めるようにトラベルギアを愛撫している。
「ご覧。綺麗だね……」
咲く傍から散る輝きを、かつて妻と一緒に眺めたことを思い出す。
冒した罪は消えない。悔いて生きるべきだが、優しい思い出もまた消えることはない。自分も彼女も笑っていた。
「……身勝手と思うだろうが、君の事を語り続ける為にも忘れたくないんだ」
独白めいた呻きは見物人の歓声に掻き消された。
花が咲く。花が散る。宵闇に弾けるドラゴン花火に竜が目を輝かせる。
「お祭りってこの最後の空気もいいですよね~」
余韻に浸りながら、今度は線香花火に火をつける。同じ花火を手にした優が竜に並んだ。自然と、どちらの花火が長くもつかの勝負が始まる。
「――来年もまたみんなで騒げるのかな?」
竜の呟きに優は静かに目を細めただけだった。
じじ。じじじ……。
小さな火の球が爆ぜ、震え、やがてぽとりと落下した。ふっと暗闇が戻ってくる。
「ん。楽しかった」
「うん」
二人はどちらからともなく笑い合った。
あかりはひとり星の砂を探していた。恋の言い伝えは考えず、親友への土産にするつもりだ。彼からは喋るスミレを貰ったから、そのお返しがしたい。
(会う勇気はなかなか出ないけど……必ず向き合うから)
ヘタレー、自分勝手ー、と思わず苦笑が漏れる。
やがて見つけたのはスミレ色の星だった。小さいが、楚々とした色合いは星屑に劣らず美しい。古来、スミレの美しさは星に喩えられた。今度は自分が星を贈ろう。
「……待っててね」
花が咲く。花が散る。いまわの際の炎の如く、黄金の大輪が次々と花開く。
極彩色の光の下、あかりはちょっぴり切なげに笑った。
数日後。
「これでよし、と」
夏也は自らが撮った写真を世界図書館のホールに掲示していた。
夜店が並ぶ通り。荒海と海魔に挑む褌の群れ。花火やバーベキューに興じる人々……。楽しそうな祭りの様子が切り取られているが、端のほうに妙な物が写り込んでいる。
理比古にかき氷を買ってもらい、複雑な表情をしながらもやっぱり嬉しそうな虚空。
涙目でクロちゃんの欠片を掻き集める天衣。
クロちゃんの破片を見つけ、「これが星の砂? 星ってこんな形してたっけ?」と首を傾げながらも嬉しそうにしまい込むディガー。
キャロルからラブレターを貰って戸惑うフカ。惚れっぽいキャロルは剛志でもルゼでもなくフカの姐御っぷりにキュンとしたらしい。
砂の中から褌を拾い上げるロジーと、青ざめるティモネ。
砂浜にめり込んでいたところをロジーにつんつんされ、くりくりおめめを慌ててサングラスの下に隠しながら走り去る光雄……。
「これも思い出よね」
細かいことは一切気にせず、夏也は爽快に笑った。
ちなみに、砂を一粒ずつ分析していた幽太郎は明け方に保護され、泣く泣く星の砂探しを断念したという。
(夜の部・了)