既に『フォーチュン・ブックス』は阿鼻叫喚の渦に叩き込まれていた。ぎゃあああとかほえええとか、いやあああとかやってやるーとか、その合間にどがんぐしゃんぼうっばきばきとか、ありとあらゆる物音が2階、3階に満ちている。
「ふううム」
一階玄関を入った所で、いきなり出張占い店を開いているワイテ・マーセイレが、被ったロープの陰から天井を見上げ、降り落ちてきたゴミを払った。
隅の階段を上がっていったはずのシーアールシー ゼロが、階段を下りてきていないのに、衣服も髪もくしゃくしゃにしてなぜか玄関から再び飛び込んできたり、魔女っ子衣装、パウンドケーキ持参で、「エヘヘ。いつも貰ってばっかりだから。コレはホントに自信作なんだよ? 良かったら主催者さんたちで分けて食べてね? ハオさんたちにも、幸運を」なんて微笑んだ日和坂 綾が、仲間に引きずられて上がったかと思うと、血相を変えて駆け下りてきたりと、慌ただしい。
「いろいろ凄いことになってそうだネ」
そういうワイテも、占い関連まじない関連の本を積み上げ、いつもより暗くしてある照明に踞る謎の占い師、けれど、呼びかける声は明るい。
「今日は特別料金! タダで占ってあげるヨー」
「…何だか既にマジックみたいな状況ですね、出鼻をくじかれた謎の男は、まったりティータイムがベターな選択、メルシー、クッキーでも貰いましょ」
Mrシークレットは肩を竦め、するすると奥へ入っていく。案内された席に座って笑みを深めながら、
「ところでご存知ですか店主? ハロウィンの時期はこの世と霊界との間に目に見えない「門」が開いて、この両方の世界の間で自由に行き来が可能となると信じられていたんですよ、特別な日ほど、人間は少し解放的になるもの、霊界と言うものは、人の心の世界を示しているのかもしれませんね」
「フェイも似たような話をしてくれると言ってました……もっとも、その前に、ここが潰れそうだけ…」
どがどがどっしゃん!
ハオのことばを遮り、隅にあった棚がいきなり口を開いて、坂上 健を吐き出す。
「ちっくっしょおおお! こうなったらやってやる、とことんやってやるぞ!」
叫びながら健は周囲を振り向きもせずに、階段を一気に駆け上がっていく。
「あ、ぼく、バナーテイル。よろしく。冷たい飲み物、ないかな? ミルクでもジュースでもいいんだけど」
出されたミルクピッチャーのジュースはひんやり新鮮りんご味。飲み干してテーブルを蹴り、いそいそと3階へ向かう。
「本がいっぱいあるけど、大きすぎて、持てないし。もっと悪戯しちゃうかな」
コイン目指して突っ走るのも楽しいが、脅かし脅かされることに心が弾む。
「これが、ハロウィーンなんだね」
夕篠 真千流は別テーブルで読書中だ。手近に大きなキャンディやクッキーの袋を置き、お菓子をねだる参加者に渡しているが、目の前のかぼちゃお化けプリンには手をつけていない。実はついさっき、にこにこと怪しげなデザートを配っている南雲 マリアの背後に気配を消して回り、トリックオアトリート、と静かな声で囁いて脅かした。見事に悲鳴を響き渡らせて、格好の効果音を提供してくれたマリアが、お返しです、とよこしたのがこのプリン。見かけは可愛らしいが、中身はとんでもないものだ。
「トリックオアトリックッス! ギャハハ!」
ジャン=ジャック・ワームウッドの相方、オウムのビアンカが大騒ぎしたのを捕まえ、図書館で騒いだら駄目、とお化けプリンの一さじを突っ込んだところ、グギャギャギャゲハハハ! と叫びつつ、目を回しながら飛んでいった。
ハロウィン装飾の中に溶け込むように読書を続けるジャン=ジャック・ワームウッドは黙々とページを捲っている。棚から丹念に選んでいた書物は書き手の主観や感情が色濃く出た作品群、周囲の喧噪には目もくれない。
「僕が、アクティブに活動すると大惨事になっちゃいますからねぇ」
その隣のテーブルで、参加者達をにこにこ眺めているのは榊原 薊、正真正銘のゾンビ。雰囲気を出すために、水の入ったカップを持っているが飲み食いは出来ない。傍から見ると、縁側から庭で遊ぶ孫たちを見守るお祖父ちゃんポジションで、あんまり身動きしないのもなあ、とかぼちゃクッキーを一つ摘んでみた。そこへ、
ふゅろろろろろろろおるるるる…っ。
壁際から突然奇怪な音が響き、物陰からばっとテューレンス・フェルヴァルトが現れた。場に合わせたのか、紫色のマントを着用していて、声を震わせる。
「お菓子を、くれないと、悪戯、するよ。…こう、言えば、いいの、だったかな?」
振り向いた薊のクッキーを摘んだ手が、手首ごとぼとりと落ちる。テューレンスが目を見開いて固まった後、
「…驚かせて、ごめんね。けど、楽しげな、雰囲気、だよね。」
そこはそうじゃないだろう。誰もがそう突っ込みたくなる返答に、
「あ…いやいや、まあ、どうぞ」
こういう場合は、じゃあこれを差し上げればいいのかな?
薊は落ちた手首ごとかぼちゃクッキーを差し出して微笑む。
「あの、ハオさ………ぎゃああああ!」
何か話したいことがあったのか、テーブルに紅茶を運んでいるハオに話しかけようとした綾が、恐怖の光景に絶叫しながら身を翻した。
ハオはくすくす笑いながら異色まったりな二人に紅茶をサーブする。それから、ゆっくりと奥まったソファの二人に近づいた。
一人は三ツ屋 緑郎。かぼちゃのピンを髪に止め、ポケットからこうもりのキーホルダーを覗かせているが、参加しているのではない。あそこの罠がああだとか迷路がくるくる変わってんだとか、変なものが飛んできたよなとか、何か首に触ったよなとか、肌を泡立たせたり唾を飛ばしたり、強がって笑ったり引き攣って泣きそうだったりする人間達を、役者志望として丁寧に観察し続ける。
その隣で全白髪、一回り小さくなった風体で埋まり込んでいるのは百田 十三だ。
『流石に俺も、人恋しくなってな。今日はフェイは…あぁ、呼ばなくていい。それより茶を一杯貰おうか』
ハオを呼び止めて、だが首を振る、その気弱さがひっかかった。紅茶を出しかけたが、濃く強いコーヒーを提供した。まるで苦い毒を煽るように一気に飲み干した十三に、今度は柔らかな色合いのカフェオレを渡す。
「…自分の大事な人間が、自分のせいで3人とも死んでいたと知ったら、どうする。今度ばかりは…流石の俺も死にたくなった」
ハオを見ようともしない。また一気にカフェオレを飲み干す。
「死んで詫びたら、それこそ師匠は怒るだろう。生きて勤めを果たせとな。知らぬまま死ぬよりは百万倍マシだったが…」
白髪の下で虚ろな瞳を瞬いた。
「繰言だ…忘れてくれ。馳走になった」
今何を出しても、たとえ猛毒を出そうとも、ためらわずに十三は飲み切るだろう。そんな相手に無闇に何かを与えてはいけない。
ハオはマグカップを温めてきた。飲み干したカップを取り上げ、代わりにマグカップを伸ばされた掌に包み込ませる。傾けようとした十三が動きを止める。
「…?」
カップは空だ。何も入っていない。十三は不思議そうにハオを見上げた。
ハオは微笑む。静かに立ち去り、また戻ってくる。包み込むようにして持っていたマグカップを、冷え始めた十三の掌のものと交換する。
また空だ。十三が確かめるように覗き込む。本当に何も入っていない。戸惑いながらも掌で包むのに、冷めた頃にまた、新しく温めたものと交換する。訝る相手に、繰り返し、繰り返し、取り替え続ける。
「ハオ…これは一体…」
言いかけた十三がはっとしたように掌を見た。両掌で包んだ空のカップ。その形は、いつか拾い上げた何かにとてもよく似ているだろう。カップで温められた十三の指先が、離すまいとするように固く強くカップを握り締めた。
「……不甲斐ない」
俯いたまま、振り絞るような呻きが一声。
「己一人…救えぬのなら………人の命など、救えぬよな」
フェイが聞いたら笑うだろう、いつかの泉でのことばは戯れ言か、と。
「…あいつには内緒にしておいてくれ」
ハオは微笑んで、今度は熱い茶を満たしたカップを差し出した。
3階に比べれば、ここ2階はまだ静かな方……のはずだった。
「うあっ」
思わず悲鳴を上げたのはジュリエッタ・凛・アヴェルリーノ。
「きっと思いもつかないトマト料理レシピがあるに違いない!」と2階の料理本捜索中に、友人のサシャ・エルガシャと出会ったのだが、『好きな人に手料理を作ってあげたいんです』とはにかむ友人に一瞬ことばが出なかった。それとなく、いやそれなりにしっかり、ついこの間ターミナルでデートしたという彼ののろけを聞かされ、じんわりと焦りが滲むけれど、好きな人ができて、その人においしい手料理を食べさせてやりたい、それは素直でまっすぐな気持ちだ、よくわかる。
「よし、それなら私も協力するぞ」
ついでに自分の、いつか巡り逢うはずの伴侶のためにも、これはと思える料理を見つけておきたい。どうせなら、大好きなトマトとカボチャを組み合わせた料理なら、なおいい。目についたのは『わくわくどきどきトマト大好き!』という本。これだと開いた瞬間にあらゆる形、中にはお化け型をしたかぼちゃとトマトが噴き出した。
「うわわわわわ」
悲鳴を上げながら、それでも必死に掴んだノートに何とかポイントをメモする。
「こ、これでよし…わわわわ!」
「こんちわー! なんか、楽しそうなことしているね? ぼく、バナー…わー!」
入ってきたバナーは、トマト塗れ、一歩間違えば血まみれと見えるサシャとジュリエッタにびっくりした。機械的なトラブルなら、即座に解除もできるが、こういう魔法的なものには手がでない。
加えて、その隣で黒く分厚い本を開いていたイテュセイが「いんのみねー、いんぼかたるす…」と中身を読み上げてしまった。実はその本、表紙が鉄製、1542年にケルンで出版されたラテン語の魔導書類似、知る人ぞ知る古い邪神について書かれた本の一種で、周囲に出現したものは。
「あれー!! うひゃああ!!」
ゾンビだの何だのの一群れにバナーの悲鳴が響く。ギアを抜き放とうとするジュリエッタ、展開に青ざめるサシャ、トマトだわカボチャだわゾンビだわモニュモニュだわ、とんでもない事態になりそうなのだが、イテュセイは構っちゃいねえ。
「ところでザパ∞ネω≠ラどこー? ネクロノミコン? こんな本と違うわよー!」
手にした本を放り投げ、それがパカリと口を開いて、さらにとんでもないものが零れ落ちようとする。
「ちっ…」
グレイズ・トッドが本を閉じ、舌打ちした。飛んできたトマト、ついでにゾンビの首を氷が纏わりついた腕で一閃し、混乱を極める周囲を氷漬けにする。
彼は氷に関する魔術書と、氷そのものについて書いてある本を読みにきた。目的を果たすためには強くならなくちゃならない。そのためなら、慣れてなくて苦手だが、何でも読むと決めている。だがこううるさくされると気が散るし、何より、まだ読めていない本が傷む恐れがある。
「あ、…ありがとう!」
降り注ぐトマトとかぼちゃとゾンビの動きが止まった隙に、慌てて本を閉じたジュリエッタとサシャが礼を告げたが、グレイズは知らぬ顔で奥へ消える。同時に周囲に溢れていた異形も幻のように消えた。
「どうなることかと思った」「ほんと……じゃが…」
今の少年は、とジュリエッタは本を散らばった本を拾い上げて片付けながら、気遣わしげな視線をグレイズの背中に向ける。
「……殺意しか…なかったのう…」
「からくり屋敷とかの探索って、一度やってみたかったんだ!」
Marcello・Kirschは紅茶派、ゲームと聞くと挑みたくなるのが性分、金髪に馴染み切った金色ケモミミを振り立てて、マッピングしつつ屋敷探索の真っ最中だ。
「これで2階はほぼクリア、っと…ん? 『紅茶シフォンレシピ99』?」
あれってそんなにバリエーションがあったの、と見つけた料理本を開いてレシピもメモする。頷いて読み込み、隣に似たことをしている仲間に気づいた。
「あんたもメモ?」
「い、いやこれは……いいかな…」
大型本を開いたとたんに立ち上がったゴーヤ胡麻風味マシュマロ和え、いちごフレークトッピングに相沢 優は目を白黒させて慌てて閉じる。これならどうだと別の一冊を開いてみれば、こってりとしたシチューがほかほかと湯気を上げて出現、いそいそとメモしようとしたが。
「ブグラスの肉300g? オリンゴ・マッサ、一株、ただし赤と紫以外……って何だろう……それに、シュバガイヤは叫ぶ前にみじん切りって…」
読めはするが素材がよくわからない。いろんなものを味見したけれど、これは食べると何だか怖そうだ。タイムは3階で狐火繰りで活躍しているはず、かなりレシピもメモしたことだし、そろそろ下へ降りて紅茶とタルトで一休みしてこようか。
「? 君は格闘技のメモ…?」
ふと隣のヘルウェンディ・ブルックリンの手元が視界に入った。外側は「撃滅!コレで仕留めろ 特別号」なのに、中身は料理本、右端に『初めての愛情手料理』とミニタイトルがある。はっとしたヘルが慌てて優を振り仰ぐ。
「! この事は絶対内緒にして! ね! お願い!」
実はヘル、実父に手料理を酷評され、そのリベンジを考えているのだ。
「だってその、こういうのキャラじゃないし……」
もじもじしながら赤くなる。「へえ、意外にやるんだな」と薄笑みでも浮かばせられたら大勝利、黙ってどんどん食べれば逆転カウンターだ。
「いいんじゃない? おいしい御飯は人を幸せにするんだし」
「キャラなんて関係ないよ」
励まされてヘルは頷きメモを続ける。そのほのぼのとした一角の向こうでは、
「ムハハハハハ!」
黒いカクテルロングドレスと黒マント、手製の牙で吸血鬼となったカンタレラが、角を曲がってきた虎部 隆の前に飛び出していた。さっきから数人、気持ちよく驚かしていたが、ふと見ればやってきたのは隆。これを外すような彼女ではない。
「出たな、吸血カンタレラ! 正義の鉄拳『強襲の炎(ブレス・ファイア)』!」
もちろん、隆も受けて立つ。台詞はヒーロー、見かけは頭に斧をめり込ませたフランケンシュタインコスプレ、があああっと両手をかざして向かえば、
「宿敵『墓守り斗羅腐』! 食らえ、『終末の掟(ドラゴニア・デス)』!」
カンタレラがガバリと持っていた本を掲げて開く、その瞬間。
ギョエエエオアアアアア!
「げ!」「ぎゃ」
轟く雷鳴、響く怪声、空間を裂く叫びを上げて現れたのはまさしく青銅色の竜。くねる鎧のような鱗、本を押し破ろうとするように身悶えて隆の顔に食らいつこうとする。迫力に腰を抜かすカンタレラ、あわや隆も一巻の終わりと思いきや、とっさに身を引いて振り抜いた片足の旋風脚、爪先が本を見事に蹴り飛ばす。閉じかけた表紙に歯がみするように唸った竜が、棚に当たって跳ね返ってくる、その瞬間。
「イッタダキマース!」
天井近くをわさわさ這って移動中だったアルジャーノが、振り返りざま、ばくりと竜ごと本を丸呑みにした。
「んー、まったりとしてそれでいて歯ごたえあり、ジューシーですネ!」
「「お前の方が怖えー!」」
隆とカンタレラが身震いする。
「…なんか凄い音がしてたけど」
タイムは本棚の向こうを覗いた。何だかそこら中でどすんばたんと音がする。
「ま…いいや。折角だから、本を読もう。俺、こういうところ好きなんだよなー」
家の書庫に似てるし、去年もここ来たけれど、読んでなかったし、ちょうどいいや、と眺めていた棚を再び見上げる。
「魔術書! 光の魔法について何か書かれてないかな?」
本はさまざまだ。金属表紙、布表紙、蔦が絡んだような表紙、開き方がよくわからないもの。とにかくタイトルを追っていく。
「光の回復魔法は使えるんだけれど、攻撃魔法が使えないんだよなあ……使えないのは、仕方ないんだけれどなー……『虹のクァタル』『銀色湖への道筋』『エネルギー変換と空間転移』『詠唱による時空圧縮とディアンガグラガガ』………?」
「…君ノ本モ見セテ…?」
話しかけられて振り向き、タイムは固まった。本だけが宙に浮いてページが捲られているようにしか見えない。
「だ…誰か…いるんだよね? えっと…どんな魔法なのかな」
ぼやぼやと現れてきた姿にタイムは一層ことばを失う。
医務室で毒々しい蛍光紫に塗装された幽太郎・AHI/MD-01Pが、ロボットの自分にも使える魔術はあるのかと2階で魔術書の立ち読みをしていたのだ。だが、あまりにも凄い色味になったので、光学迷彩を全力稼働中だった。タイムが呆然としたのに、再び光学迷彩を復活させる。
「また消えた……光を操ってるんだよね? この本見せるから、教えてよ」
そうか、見る視点が違えば、自分はもう魔術を使っているようなものなのか。
幽太郎はこそばゆく感じながら、渡された本を見る。『魔法とは何か〜波動と生体感知の関係性』…全ては解釈次第というのだろうか。それでも。
「使ッテミタイヨネ………魔術」
同じような思いで本棚を挟んで、飛天 鴉刃は本を取り出しては開いている。
「魔法の心得はないが興味はある……使えずとも知識は多い方が対処法も増えるであろうしな……しかし」
『暗黒ダンジョンはこう踊る』『飴を止ませるには籠がいる』『楽しいグボグリンガ』。タイトルだけでは内容がよくわからない。というか、ダンジョンを踊るとは? 飴なのか、雨ではなく? グボグリンガというのは何だ?
「……教えてくれる者がいれば喜んで受けようぞ。流石に1人で理解するのは時間がかかりそうだ…」
魔法の基礎知識がある程度ないと読むことさえできないのだろうか。
「ここの本は……持ちだし不可であったか? できるのならば借りて、書かれている魔法が使えるか試してみたかったが」
「…ん? お前さん、何か分からなさそうな顔をしているな。分からない魔術用語があれば答えるぞ?」
やってきたフブキ・マイヤーはにこやかにことばを続ける。
「今宵は魔道書立ち読みし放題。色々な魔術手法を学ぶには最適だ。丁度ヴィクトル氏もいる。分からんところは互いに補えるだろう」
とりあえず、詠唱を最適化、あるいは圧縮できる技術や、消費マナを抑える技術関連の専門書でも探してみるか、と側の棚に手を伸ばしたフブキに、鴉刃はいそいそと手にしていた一冊を読み上げた。
「有難い、ならばこの、グボグリンガ・インパルフィグ・バラボ…」
「あ、待て」
それは読み上げては、とフブキが止める間もなく、ぼこりと鴉刃の真横の床が暗黒色に抜け、そこからぞぞぞぞと不気味な音を立てながら真っ黒な柱が立ち上がった。驚きに目を見張る鴉刃が身を引いたとたん、その柱から真っ白な三つ又に別れた腕が伸びて、がちりと鴉刃を掴む。
「食魂鬼召喚だ、お若いの!」
フブキが急いで対抗呪文を詠唱しようとしたとたん、銀色の爪がついた鋼線がどこからともなく飛んできて、三つ又の腕に絡み付いた。ねじ上げて鴉刃の腕からもぎ離すと同時に、黒い柱そのものがふっと掻き消える。
「狭い上に入り組んだ通路だ……室内でも迷うとは不覚……!」
やってきたのは青いローブ姿のエリマキトカゲ、もとい、ヴィクトルだ。魔術書から何が飛び出ても驚くことなどないが、入り組んだ書庫にすっかり迷っていた。ようやく何とかフブキを見つけたと思ったら妙なものを召喚しており、しかも主が素人だと見極めてさっさと送還してしまったのだが。
「魔術に興味があるのか、少々手解きをしようか」
「そうしてやってくれ」
フブキが小さく吐息をついて、本棚を見上げた。
「いずれにしても、ここは少し離れよう。練習にしても物騒な本が多いようだ」
さきほどあちらでとんでもない本が読み上げられていたしな、と指し示すと、ヴィクトルも苦笑しながら頷き返す。
「『鍵』もかけず、『管理番号』も与えずに、こんなものまであったぞ」
見せたのは今にも崩れそうなぼろぼろの灰色の本、一見した限りは古本屋の底で腐りかけている小冊子としか見えない厚みだが、フブキが僅かに目を見開く。
「まさかそれは『デオ・ガルディアの住所録』か?」
「しかも初版だ」
「何」
「危ない危ない」
店主を説得して譲り受け、しかるべき『管理番号』を与えよう、とヴィクトルは本を持ったまま歩き出す。その手に掴まれた冊子が小さく身震いして破れから真紅の液体が走り、ヴィクトルの指に喰らいつこうとするように絡み付く。それを意に介した様子もないヴィクトルに、フブキが声をかける。
「ヴィクトル」
「うむ? 大丈夫だ、仮の『拘束』を」
「そっちは3階方向だ」
「……すまん」
ヴィクトルは慌てて戻ってきた。
3階の古めかしい木の扉は普段固く閉ざされているが、今は開け放たれていて、しかもそこに陣取っているのは、フランケンである。吸血鬼である。狼男である。
壱番世界では超有名なビッグ3が、天空寺 光のギアの力で3D立体画像となり、入り口を遮るようにのしかかってくる。
「いにゃぁぁ! イイのぉ、私はずっと1階に居るぅ~」
その前でじたばたしているのは日和坂 綾、「うぅぅ、そりゃロンさんの参加賞欲しいけど~」と叫びつつも、腕を掴んでいる虎部 隆に素早い一蹴を食らわせる。
危ねっ、とそこは反射的に回避した隆は、攻撃を避けつつ綾を引きずる。
「たまには驚かされる側でもいんじゃね? せっかくだしやらなきゃな!」
「け、蹴ってイイなら怖くないもん。蹴れないから困ってるだけだもん」
「理由になってねー!」
「そうだとも、日和坂、この私の『終焉の轟音(ドミヌ・エル・パトス)』と、隆の『奇跡の爆雷(ビシュヌ・ガムド)』、それにそなたの『崩壊の瞬撃(ホイ・ロイ)』があれば、あのような者どもなど!」
2階から隆に引きずられてきたカンタレラが覚悟を決めた風のこれみよがしな悲壮感を漂わせながら綾を覗き込む。
「ホイ・ロイって何ーっ、意味わかんないからーっ!」「ぎゃぶっ!」
ついに入った一撃に隆がよろめく横を、シーアールシー ゼロはとことこと3D立体画像の間を擦り抜けていく。
「お化け屋敷に挑むのです。奥の部屋の金貨を取りに行くのです。お化けは怖くないけれど、仕掛けにひっかかるのには対策が無いのです。引っかかっても周囲のものを巻き込まないよう巨大化はせず、まず放り出されてそれから3階へ戻り再挑戦なのです」
入るや否や左右に迫る、かろうじて人が擦り抜けられるぐらいの本棚をゼロが見上げた時、「どぅわっ?」と目の前の人間がいきなり倒れた。
よく見ると、真っ暗な通路に並べられたクッション、その向こうの本棚の陰でハイユ・ティップラルが薄笑いをしている。
「本の雪崩起こすとか床板はずしとくとか、実ダメージ出そうなトラップも考えたけど、今回は一番甘口のやつで」
嬉しそうなハイユ、舌打ちしながら立ち上がったのは坂上 健、
「こ、この野郎~、なんちゅう姑息な罠を…おぶっ!」
勢いよく歩き出した矢先、姿が消えた。続いて、またかよー、ああああーと見る見る下へ遠ざかっていく悲鳴。
あらまあ、落とし穴はあたしじゃないからね、とハイユはくすくす笑う。
その前方で、いきなりばらばらばらっと降ってきたのは書棚の本、バナーテイル・シートンが棚の上を駆けながら、後ろ足で蹴落としたのだ。
「迷宮? ぼくには問題ないよ。登って降りればいいんだし」
前後して悲鳴が上がり、ばきょっ、ととんでもない音が響く。
「て、てへっ☆」
川原 撫子は驚いて力任せに殴った壁が大きく陥没したのに引き攣った。
「うっかり本気で殴っ…ちょっと、壁がもろくなってたのかなぁ☆」
周囲を見回し、凹んだ所に置かれている古風な箪笥に気づいた。もう少し手前にあれば動かして隠せるのにぃ、とがっかりして行き過ぎようとし、いきなり出て来た青年にびっくりする。しまった。この人がフェイだったっけ。
「ね、カッコイイお兄さん☆ 今度おうちのお掃除とか、手伝うからぁ…許してね☆」
ウィンク一つ、身を翻して先へ走っていく撫子を、はあ、と見送ったのは、さっきまで箪笥だった伊原だ。落ちていた本や品物、つい性分で内懐に片付けながら、ふと本棚の隙に気がついたのは、やはり収納器具としての感性か。
そちらへ歩み寄ってみると、本棚の重なり方でそこに通路があるとは見えにくいが、右に入り左に入りしていくと、彼方の正面に一番奥にあるはずの、金貨が積まれたテーブルがある。なるほど、こんな入ったばかりのところに抜け道があるとは誰も想いもしないし、気づかない。少し考えて、伊原はその通路に背中を向けて立ち塞がって箪笥に戻った。せっかくの遊び、楽しむのが本質だろう。小さく笑みを浮かべて一息ついたところで、
「ね、お姉ちゃん知らない?」
カンテラを灯した南河 昴が尋ねてきた。今の伊原はどう見てもただの箪笥なのだが、少女は片手に異世界の本を抱えて首を傾げる。当然のように答えを待つ姿に、伊原は仕方なく応じた。
「ごめんね、見てないよ」「ありがとう」
箪笥の答えを不審に思うこともなく、昴はそのまま通り過ぎていった。だって、ここはお化け屋敷なんだから、箪笥がしゃべろうと本棚が笑おうと不思議じゃない。それよりも姉はどこへ行ったのだろう。
「っ、あぶねーっ!」
いきなり倒れてきた本棚がどさどさと本を吐き出すのかと思いきや、そのままがったんと再び戻り、隆はほっとしながら前へ進んだ。綾を引きずり込めなかったのは残念だが、カンタレラが一階に連れて降りてくれたし、せっかくだから楽しんでいこうと入ってきたものの、正直、迷ってしまった。出口さえわからない。
「こんなに広かったか?」
と、向こうから一人、こちらに駆け寄ってくる相手がいる。
「すいませーん、迷っちゃったんすけど一緒に行きませんー?」
「あ、よかった、実は俺も…」
にこやかに手を振り返しかけた隆の前に、見る見る近づいたゾンビが何か得体の知れない造形になった顔を突き出してきながら、手を伸ばしてきた。
「一緒に逝こうよぉぉ」
「うぉ! ええい、くらえ、今必殺の最終奥義、ファイナル・スペシャライズ・トリート!」
叫びながら開いた本は、何かの時にと2階から拝借してきた一冊、開けたとたんに閃光が走ってゾンビを見事撃退する、かと思いきや。
ぷああああああんんっv。
怪音とともに現れたのはクリームと果実とゼリーらしきもので組み立てられた巨大なケーキ。
「出来上がりいいっ、ナレッジキューブの竜刻クリーム、物言う果実添えですっ! あたし達を食べて食べて食べて食べてっv食べてっv食べ…」
ゆらゆら揺れる果実がそれぞれに口を開いて騒ぎ出すのを挟んで、向かい合ったフランケンシュタイン隆とゾンビ、もとい、ハギノ。ばふんっと本を閉じたのは、さてどちらだったのか。異口同音に料理の感想を唸る。
「絶対食いたくねえ…」
落とし穴もクッション通路も、棚から落とされた本もいきなり取れてくる本棚も何とかクリアした。順調なのです、そうゼロが気を抜いたのがまずかったのか。「ヒャヒャヒャヒャヒャ。こォンな適役、俺サマ以外居るかッつうノ。ギャハハハハ」
おそらくは『フォーチュン・ブックス』の屋根の上、パンプキンヘッドにマントをつけたジャック・ハートは、さっきから透視で下を見ながら首筋に生暖かい風を吹かせたり蒟蒻をペトッと当てたりしていたが、通路を順調に進むゼロを、あっさりアポーツとテレキネシスで放り出した。そのままくるくると空中遊泳、あっという間に一階玄関に戻す。
「怪我するようなヌルイ遊びなンてすっかよォ。俺サマはジェントルだゼ、ゲヒャヒャヒャヒャヒャ」
腹を抱えて笑う相手が、あまりにも楽しそうで怒る気にもなれない。
「仕掛けが無限にあるわけも無く、ハロウィンはまだ長いのです。根気強く挑み続けるのです」
ゼロはこぶしを握って、またとっとこと2階への階段を駆け上がっていく。
「不思議な生物の記録…良い参考資料になればいいんだけど。あっ…ケロちゃん、ワタシはもう大丈夫だよ。楽しんで来てね」
松本 彩野は新キャラ開発のために資料を集めて本棚を見回っている。気づいて、護衛してきたケロちゃんに声をかけると、相手は白い布を頭からすっぽり被った。
『おうっ!そんじゃ、ちょっくら行ってくるぜ! 彩野ー、気をつけろよ? 此処いらにはトラップが仕掛けられてるみてぇだ。…嵌んじゃねえぜ?』
いそいそと出かけたケロちゃんは脅かして回る気満々だったが、見かけはどうにもてるてる坊主風の可愛らしさ、だが、要するにやり方だ。視界の端にちらちらと動き、相手が不安そうに振り返れば姿を隠し、歩き出せばつきまとうという近づき方、十分頃はよしと見定めたとたん、相手の目の前を突然覆うように迫ってやる。
「……。…………。………………」
『へっへっへぇ、驚いただろーって、おい、動かねえじゃんかよ』
威厳ある立ち姿、堂々たる風貌、しかもしっかり目を見開いていては、まさかそのまま気絶しているとはとても思えない魔王相手に、ケロちゃんはいささか腐る。
『へぇへぇそうですかよ、これぐらいじゃ駄目かよ、見てろーっ』
次なるターゲットに狙いを定めて飛び去った後で、はっと魔王は我に返った。
「む…? 我輩は白昼夢でも見ていたのであろうか…」
我輩は魔王である…故に、少しは恐怖に対して耐性をつけねばならぬと思い始めてな、おばけやしき、というものに参加させてもらおう、そう思ってやってきた。心意気や良し、だが現実には入った時から、もっと地道に夜道を一人で歩くとかから始めた方が良かったのではないかと、密かに後悔していたとは口には出せない。
「とにかく、金貨に辿り着かねば」
魔王は阿鼻叫喚呆然自失の遠い道のりに歩み出していく。
「人を脅かせばお菓子食べ放題と聞きましタ、私頑張りマス!」
アルジャーノの理解はその体と嗜好同様、いささか世間からずれている。だがやることは、心身ともに恐怖を与えること、このうえなしだ。ケタケタ笑うかぼちゃランタンの被り物に擬態、天井に張り付いて移動し、突然下を通る人の頭に被さる。「ぎゃあああ!」「ひええええ!」「うわああ! 呪いのランタンマスクだ!」「取れないーーーっ!」
銀色の笑うかぼちゃだけでも十分恐ろしいが、それが吹っ飛んで襲ってくるのだから壱番世界のGなみの破壊力だ。だが、正直、今回は仕掛けた相手が悪かった。
「…きゃぅ? ご、ごめんなさい!」「ばっしゃうーんんッ!」
いくら可愛らしい白のミニスカ魔女服とはいえ、そして、いくら「お化け役、興味あったけど。でもそれじゃ、ロンさんのプレゼント、貰えないよね?」となお可愛らしい思惑あれど、彼女、ディーナ・ティモネンは選りすぐりの兵士だ。アルジャーノは吹っ飛ばされてびしゃりと本棚に叩きつけられ、そのまま棚を抜けたのだろう、向こう側で改めて悲壮な悲鳴が上がった。
「ぎゃあああ、なんか飛び散ってきたああああ!」
「……ごめんなさい」
思わずそちら方向に深々と頭を下げて、ふと見つけた本に魅かれて開いてみる。
「深き真白の国? 面白そう…」
永久凍土の中で戦う少年兵の話があり、思わずページを捲ってどきりとする。ターミナルで見せている静かな顔とは全く違う激しい表情で、掌の自爆用爆弾を握りしめている少年のイラストはまさか。掌サイズの小品を愛する性癖の源はここか。ディーナは唇を噛む。
少し離れた所で、オルグ・ラルヴァローグはヴォロスの竜刻についての資料を探していた。奥のテーブルの金貨も狙ってみるつもりはあるが、前者が優先だ。
「竜刻使いは竜刻の力を操れる……この力を手にすることが出来れば、いざって時に……」
低い呟きに悔しげな調子が混じる。
「そう、前みたく襲撃にあった時に竜刻を自在に操れれば……仲間を傷付けることにはならなかったんだ。俺にはあの力が必要だ……竜刻の力が欲しい。アレさえあれば、沙羅にだって……」
ゆらゆら揺れながら煌めく瞳が、必死な想いをたたえて本棚を探る。
南雲 マリアの作戦は、お菓子をくれなきゃイタズラするぞ、と回っている人達を逆に驚かそう計画。クッキーやプリンを作って、見た目はそのものなのに味がキテレツなのを作った。自分で味見して悶絶したので確実だ。そのとびきり美味しそうなパンプキンクッキーを差し出したのは、はあはあ言いながら歩いてきた健。
おつかれさまです。一口いかが? あ、ありがとう、それじゃ。
「うぎゃああああ!」
にっこり笑って噛み砕いたそれは、辛みを極めた味がした。まったりするほど濃厚なからし味。慌てて口を押さえて出口を探す。金貨より何よりまず口を助けなくては、神経が焼き切れる。目の前にぬぼっと立った男に涙目で駆け寄っていく。
「見つけたぞ、フェイ! 今度こそ天誅…」
「え? お化けが出た? それは…こんな顔?」
振り返った顔はのっぺらぼう、だがそれに驚いている間もなく、駆け寄った足下が空を踏み、がたんと床が抜け落ちる。
「うぎゃ!」「げっ! えっ何それちょっと待ってそれなしって!」
うわあああああああああ!!
『ふふ、色々勉強しましたからねー? 身命を賭して参加する所存! 乞うご期待★なんつってー。せっかくの店主様のご厚意なわけで。だったら、みんなで楽しんだ方がいーってもんすよね?』
なーんて気軽なことを言ってたハギノは、がしっと健に掴まれた。そのまま、一気に二人で2階へ落ちていく。
レナ・フォルトゥスは落ち着いたものだ。3階を一目見るや、「あら。罠だらけ。即座に潰しておかないとですわ」と大きな仕掛けを破壊してしまい、するする奥へ進みながら、自分はしっかりポルターガイストを仕掛けていく。いきなりがたがた鳴る棚、空中を浮遊する本、飛びかかってくる絵本。
「きゃあああああっっv」
ホワイトガーデンはウィッチローブに身を包んだまま、目一杯悲鳴を上げた。どきどき轟く心臓、竦みかける足、冷や汗が出る感覚も、とんでもなく刺激的、わくわくする。悲鳴を上げてもどんどん手を伸ばし、変わったものには触れてみる。
「きゃあ!」
目の前で開いた本がいきなりホワイトガーデンの二倍はある真紅の虎を吐き出し、次の瞬、水流に撒かれて湯気となった。肌に散った熱気、あつっ、と叫んでも、彼女の顔は楽しそうだ。金貨に辿りつきたいのはもちろんだが、この道筋も十分に楽しみたい。さあもっと! 頬を上気させて進む。
「うひゃああ!」
「ふふ、ここまで驚いてくれると嬉しいね」
劉 谨泽は赤い血のりをつけたキョンシーを演じながら挑戦者たちを脅かしている。隣で脅かしている相手と笑い合い、次の人間を待ち構える。
「お、別の人が来たね。さぁ頑張って驚かせよう」
けれどふと谨泽は思う。一体この隣に居るのはいつから居たのだっけ。そして男だったっけ、女だったっけ、大体いつ知り合ったのだっけ。振り向く谨泽を、あれっ 一人多いぞ、はにんまりと微笑んで見返す。
「わあっ!」
藤枝 竜はぼふっと驚きに思わず火を吹き、剣を振り回してしまった。ここまで元気に駆けてきて、落とし穴も飛び越えた、倒れてきた本棚は蹴り飛ばした、本は燃えるからちょっぴり苦手だけど、異世界の星の本とかは気になるなあと思いながら、とにかく金貨だと走ってきた。
「落ち着け……落ち着け……ほー…ぼっ…あら」
深呼吸すると、呼気で炎が出るのはご愛嬌、来る前に一階のカフェでしっかり腹ごしらえしたから元気はまだまだ残ってる。カフェでまったりの優さん、緑郎さんと話もしたいけど、とにかくまず3階制覇。頑張れそれゆけ竜刻少女。
「頑張って、もう少しよ!」「大丈夫、一緒に行こっ!」
あちらこちらのトラップで捕まって動けなくなっている参加者を助けつつ、ティリクティアは進んできた。得意の第六感、ほとんどのトラップはクリアして、落とし穴にも落ちていないし、ハリセンもしっかり使って、おそらく参加者の中で最短クリア可能と思われたその時。不愉快な振動にとっさに身を翻す。感覚ではない、ほとんど一か八か。だが、その一瞬が運命を決める。すぐ側を走っていた竜の姿が掻き消えた。
「あれーっ!」
窓の外から響き渡る叫びに、窓に絡む蔦の隙間から外を見れば、空中浮遊しつつ炎の乱舞ショーまっただ中の竜の姿と、死にそうなほど笑い転げるジャックの姿。今に見てなさいよ、とティリクティアはハリセンを握り締め直し、なおも進む。
その前方で、ヴァンパイアの変装をしたエドガー・ウォレスが戸惑っている。側にはセクタンのビリケンさん、顔に自分で血糊メイク、おかめの面のようだが、主には十分褒められた。主は血まみれハロウィンメイク、実は他のお化け役にもゾンビメイクや、ヴァンパイアの噛み跡、傷口などのメイクを施し、本物と間違えかねないほどリアルに再現したゆえの、今のこのお化け屋敷繁盛ぶりだ。
おどろおどろしいエドガーを戸惑わせているのが、天倉 彗。誰にどう脅かされようが反応は薄く、魔法も避けられる限りは平静に避け、これだけの混乱の中、淡々とはぐれた妹を捜し続けてきた。
「カンテラを持った女の子を見なかった?」
こういう場合怖がられなかった方としてはがっかりするべきだろうか、それともほっとするべきだろうか。エドガーが戸惑っていると昴がやってきた。
「…お姉ちゃん、どこで遊んでたの?」「見つけた」
微かに笑う彗から漂う安堵、じゃあ金貨を探しに行こうよ、と二人連れ立つのを、血まみれヴァンパイヤはふさわしくない温かな微笑で見送る。
「よ、ようやくここまで」
その前を走り過ぎた健は前方に白いもこもこと並ぶフェイを見つけていた。
「何度も何度も落として飛ばして楽しかったか? ん? 楽しかったか、この野郎ぉ~!」
「ぐあっ」
飛びかかってかけた技は昔なつかしチキンウィングフェイスロック。知る人ぞ知るスーパータイガーの決め技、頬の急所と腕を極める複合技、背後を取ったタイミングの勝利、さすがのフェイががくりと座り込もうとする寸前、
「がおおおおおおっっっっ!!!」
「ぎゃっ!」
鳴り響いたのは大型肉食獣の咆哮。つまりは、すぐ側に大きな白い布を被ってシーツお化けとなって脅かしていた、ジャンガ・カリンバの叫びなのだが。
さすがに健も体が竦んだ。本能的な恐怖がやばいと知らせる。手間ひまかかるチキンウィングフェイスロックかけてる場合じゃありませんよ奥さん。
「あ〜ごめんよ」
だが、その健の様子に気づいたジャンガはすまなそうにそっと謝った。
「でも友達なんだろ、そんなやり方じゃだめだよ」
「とりっく・おあ・とりーと」
ひょいと差し出された手をジャンガは振り返る。真っ白い少女、ゼロが掌を突き出している。
「悪戯されてもいいけど」
大きなシーツお化けはごそごそと顔を突き出してにっこり笑った。
「お嬢ちゃんの笑顔が見たいな。笑ってくれるかい?」
「はいなのです」
にっこり笑ったゼロ、その後方で、
「ああ〜」
もうすぐそこが出口、目の前に金貨が積まれているテーブルが、というところで、バナーの姿が瞬時に消える。ジャックの高笑いが聞こえる気がする。
「あそこがなかなか越えられないのです」
「じゃあ、3人で一気に行くか」
健がぺろりと唇を舐めて立ち上がる。
「俺は?」
「あんたは主催者だろ、フェイ」
首を捻りながら苦笑する相手に健は笑い返す。
「何か雰囲気変わったな、あんた。前よりずっと覚悟決まった顔してる…じゃ、行くぞー!」
ジャンガが走り抜けながらシーツを投げる。シーツが瞬時にジャンガもろとも消える。その隙に、ゼロが、健が、テーブルに辿り着き、金貨を掴む。同時に棚から降り落ちてきたバナーテイルが全身で金貨を掴んだものの、重いよーと悲鳴をあげつつ転げ落ちた。
「フェイ! 取ったぜ!」
高々と差し上げられる健の手に輝く金貨に、フェイが一瞬顔を歪め、それから眩そうに目を細めて笑った。
「上は随分騒がしいね」
深山 馨はカフェで目星をつけた魔術書をゆっくりと読み込んでいたが、紅茶の追加を持ってきたハオに微笑んだ。
かぼちゃタルトを添えて差し出すハオに、猫の妖魔や、吸血鬼に関する伝承、あるいはドッペルゲンガー、もう一人の自分と言った記述のある本を示し、
「出会いたい人が居るものでね。何かの手掛かりが得られれば良いのだが」
「出会えますよ、いつかきっと」
「ハオさんの紅茶もとっても美味しいけどワタシの紅茶だって負けてないんですよ?」
突然背後から、サシャが顔を出した。もう一杯、ハオのカップの隣に紅茶を置く。戸惑った顔の馨に、
「どうぞ、僕のはサービスです」
メインはこちら、と軽く片目をつぶって、ハオはサシャのカップを押しやる。
「ああ…じゃあ頂こう」
探索に疲れたり、ついに金貨をゲットしたりした参加者がぼつぼつカフェに戻り始めた。
「こんばんは」
「ああ、モフトピアの…こんばんは」
通り過ぎながら声をかけられ、ハオは彗を見送る。一緒に居た妹の昴がいそいそとロンの前へ向かい、金貨を差し出した。受け取ったのは掌に入る、銀色の小鳥。ねじを巻くと羽根と嘴が動いて曲が零れる。「可愛い」
ロンが静かに応じる。「痛みを取る歌だそうです」
次はホワイトガーデンだ。透明なガラス球。何も入っていないようなのに、転がすと虹色の少女が中で踊る。
「まあ綺麗」「同じ映像は二度と出ません、お見逃しなく」
竜。「金貨が綺麗で交換したくないくらい! どっちも素敵な商品だから惜しいですよ~!」と唇を尖らせた彼女に、くすりと笑ったロンは「言ったもの勝ちだったね」と真っ黒な箱を渡した。
「何?」「入れてごらん」竜が金貨を入れると、からころからころと音が鳴って、箱の中が金色に光りながら、ぐるぐると金貨が浮遊しているのが見える。「それごとどうぞ」「わあ」
ゼロ。掌サイズの人形。ただし、枕を抱えてくう、くう、と小さく寝息をたてて動き続けている。
「動力はなんでしょう?」「さあ、想像がつきません」
Marcello・Kirsch。銀色の棒が幾重にも折り畳まれているものが、5つほど絡まっている。
「知恵の輪?」「解くと破滅が一つ、回避できるそうですよ」「へえ」
ティリクティア。小さな繊細な網目で構築された扇子。ちゃんと開き、開くとどこかの庭園の風景になる。
「凄いわ」「古い時代の細工もの、もう滅びた世界の光景です」
バナー。どう見たって金色の枝についた二つの木の実、金と銀。
「食べられるの?」「金は命の瀬戸際に、銀は心の瀬戸際に食べるといいとか」
隆。掌に載る真っ赤な一枚の葉。
「? 落ち葉?」「惚れ薬だと」「で何で俺にこれ?」「…」「そこが問題だろ!」
魔王。大きめの紫の石がついた指輪。
「一度だけ変わり身が効くと」ロンは相手の髭についた涙をしみじみと眺める。「あんまり怖かったら逃げていいと思いますよ」「か、感謝する」ぐすぐす、と魔王は鼻をすすりながら、一気に嬉しそうな笑顔になった。
健。薄く青みがかった半透明な石で作られた小さなナイフ。
「真実の扉を開くと言われています」「魔術的に? 現実的に? それとも単に祈りとして?」「…あなたのの質問癖に役立つといいですね」
ディーナ。「トリック・オア・トリート。じゃぁこれ、ロンさんに。後で分けて食べて貰えるとうれしい、かな?」差し出された自作のクッキーに、ロンは固まった。瞬きして眺めるのは、明らかにロンの顔を模したと思われるクッキー。
「…」「だめ、かな」「……いや……だが、申し訳ない」
これに応じて返せるようなものを持ち合わせていなかった、とロンはつぶやき、内ポケットからカードを取り出し、自分のサインを入れた。ディーナに差し出す。
「え?」「また店に来て下さい」
その時、店にあるものをどれでも一つ、選んで下さって構いません。
ロンが珍しく微笑んだ、次の瞬間。
「悪戯したからお菓子チョーダイ!」
「っっっっっ!!!」
突然降ってきたアルジャーノが、明るく楽しく、ロンの頭に覆い被さった。
「皆さん、楽しんでマスカ? まだまだカーニバルは始まったばかりデスヨ!」
さあ、もう一回、頑張ってキテ!
けらけら笑う銀色Gまがいのかぼちゃランタンの大笑いが、次第次第に周囲を巻き込み、恐怖と爆笑を誘発しながら、屋敷全部を揺らしていった。