「ヘンリー&ロバート・リゾートカンパニー」から、新たなツアープランの案内があった。 行き先はブルーインブルー。 美しい紺碧の海に、無人島が浮かぶ海域へのマリンリゾートだった。 帆船を使ってのクルーズに、海の幸のフルコース。いかにも楽しい旅になりそうなプランであったが――。「この旅には、ちょっと面白いオプショナルツアーがあるんです」 カンパニーのカウンターへツアーについて聞きにきた旅人は、パンフレットのうえに差し出された別刷りの案内を目にすることになる。「このプランのため下見に行った方が、面白い場所を見つけてきてくれて」 ヘンリー・ベイフルックは笑みを漏らした。 その人物が鼻息荒くオフィスにやってきたときのことを思い出したようだ。「この海域から船で半日ほど行った場所に、小さな海上都市があります。その名はソルベナ。わずかな土地で果樹を栽培し、あとは漁業だけを営んでいる小島の町です。土地が狭いので、ぎっしりと住宅が密集しているばかりですが、それだけに複雑に建て増された都市は迷路のように入り組んでいます。そして……面白いのは、島の地下に縦横無尽に通路が張り巡らされていること。古くから伝わる祭りのためにつくられたそうなんですが」 オプショナルツアーとは、この不思議な立地・地形を用いてのミステリーイベントだという。 地下通路や、果樹園の木立、海に面した断崖、人の住んでいない廃屋といった、この街にあるものはなんでも利用し、即興の推理劇を演じてみよう――、というものだ。 複雑怪奇な路地からなる町並みは風情もあるし、神秘的な地下道や、夜になれば海には蜃気楼も見え、雰囲気づくりの道具立てには事欠かないのだという。「配役などは行く船の中で、カードを引いていただきます」 サンプルが、カウンターのうえに並べられた。 探偵。犯人。被害者。……各自がいずれかに扮して、この絶海の孤島で起きた殺人事件を演じるということだ。「いかがですか? それは抜きにしても、この島も観光地として魅力的な場所です。魚は美味しいですし、島で育てているオレンジのような果実もぜひ味わってみてください」 ヘンリーはそう言って微笑った。=============!注意!パーティシナリオでは、プレイング内容によっては描写がごくわずかになるか、ノベルに登場できない場合があります。ご参加の方はあらかじめご了承のうえ、趣旨に沿ったプレイングをお願いします。=============
■ くしゃみが告げる ■ ぶえっくしょーーーいっ!!!! 一一 一の盛大なくしゃみが、洋館の部屋に響き渡った。 「やっと……やっとわかりました。この島についてからの、この鼻水とくしゃみと涙の正体が!」 「……アレエルギーか何かじゃないんですか?」 相沢優の素朴な問いに、一は頷く。 「そう。アレルギーなんです。殺人者に反応する、特殊な、ね――」 「え」 優の顔から笑みが消えた。 しん、と静まり返る部屋。関係者たちは顔を見合わせた。 「ムジカ・アンジェロさんを殺した犯人。それは、あなたです、優さん!」 びし!と一が優を指す。 「……ムジカさんは自殺では?」 「たしかにムジカさなんは毒に気づいてた。ソルの実の香りでも、青酸の匂いは消しきれない。でもムジカさんのことを調べてわかったんです。ムジカさんはたとえ毒入りと知っていても、誰かが手をかけてつくった料理をムダにはしない人だ。だから食べた」 「そ、そんな……! か、仮にそうだとしても、それは犯人を示す理由には――」 驚いた優に、一はたたみかける。 「ムジカさんが食べたソルの実のソースのソテーはコックの甘露丸さんがつくったもの。給仕をしたのはウィリアムさん。でも、毒を入れたのはあなたです。証拠はありません。でも……っ! そうとしか考えられないんです。私がくしゃみをしたとき、必ず傍にあなたがいた……!」 くすくすくす―― エレナが笑った。 「あのとき、ゆっちゃは席を立ったよね? トイレに行ったっていうけど、部屋を出た後、本当に行ったかわからない。トイレと反対側に行けば厨房だもの。ムジカさんに運ばれる料理に毒を入れることはできたよ。ヒメちゃんは、ゆっちゃの後に、トイレに行ったもんね?」 「あ、そうか。あのときはくしゃみが出なかった。あのとき、男子トイレにあなたはいなかったんだ!」 「……なんです、それ。くだらない。トイレがどうとか……。そんなことどうでもいい!」 がん!と優はテーブルを叩いた。 「ムジカさんがいけないんだ。あの人が、姉を売った。そのせいで、姉さんは死ななきゃならなかった。……こんな家に生まれなきゃよかった。近づいてくるのは財産目当てのやつらばっかり。それに巻き込まれて、姉さんも……」 「ちょっと待ってください! でも……、でも、ムジカさんは、優さんを憎んではいませんで、びぃえぇっくしょーーーーい!!」 一が再びくしゃみをしたとき、呼応するかのように非常ベルが鳴り響いた? 「な、なに?」 「火事だ!」 誰かが叫んだ。 「まさか! ……たしかにすべてが終わったら、この屋敷も燃やしてしまうつもりだった。でも俺じゃない!」 「とにかく逃げますよ!」 一が優の手をとって走りだす。 だが、廊下の先にはすでに火が迫った。 「ひ、ひめさん!」 優は言った。 「……俺にふれて、くしゃみ出ないんですか?」 「あれ?」 「幸せも、悲しみも、永遠のものなんてない」 くすくすくす。 「せっかくの美しい物語もいつか終わっちゃう。でもね。こうすればいいの。そうしたらヒメちゃんも、ゆっちゃも、ムジカさんもぜんぶ永遠。永遠の物語のなかの登場人物のままだよ」 燃え堕ちてゆく屋敷を振り返り、エレナは微笑った。 ■ 時刻表の穴!エクストリーム出社殺人事件 ■ 「おいおい、いい加減にしてくれ。どうやって僕が、死亡推定時刻にこの浜辺に来られるんだい? 不可能じゃないか」 古部 利政はやれやれ、と言った風情で息をつく。 寄せては返す波打ち際――。 その日、そこによこたわっていたのは岩髭 正志の死体だった。 自身の衣服と砂浜を血に染め、その指は砂のうえになにかを書き残したようだったが、残念ながら波に洗われてそれが何だったかを知るすべはない。 そして……砂のうえには彼自身の足跡しかなかった。 それはさながら、砂の密室。 「いいえ。できるんです。時刻表からそれがわかります!」 司馬ユキノが時刻表を広げた。 「時刻表? この島に電車は通っていないよ」 「はい。でも沖合いを船は通ります」 「あのねぇ、きみ。僕の自宅、職場から、この島まで一体何百キロあると思うんだい。その日も翌日も僕は出勤している。彼が僕の隣人だとしても、彼をこの島で殺すなんてことは不可能」 「この島ではね」 「何」 ユキノは次々にファイルから取り出したものを並べて行った。 「まずこれが島の沖合いを通る観光船の時刻表。次に隣の島の飛行場の時刻表。本土の特急列車の時刻表。古部さんの家の近くの私鉄の時刻表。古部さんと被害者宅の裏を通るゴミ収集車の移動記録。古部さんの職場近くを走るタクシーの勤務シフト……そしてあの日、古部さんが乗ったタクシーの常務記録と、最後に古部さんの一日のタイムスケジュール」 「まて、なんだそれ」 「被害者はこの島ではなく自宅で殺害されました! その遺体は窓から、下を通るゴミ収集車の屋根へ! 古部さんは私鉄で3つ先の駅へ行くと高架から飛び降りて屋根の遺体を回収。そのままホームに戻ってくだりの特急で隣県へ向かい、途中の乗り換え駅で駅弁を買い、さらに上り、私鉄、タクシー、地下鉄、山の手線と乗り継げば飛行機に間に合い、観光船からこっそりゴムボートでこの島まで来て、ここに死体を置き、ダイイングメッセージや血痕を偽装、被害者と同じ靴を履いて後ろ向きにあるいて一方向の足跡をつけ、島の反対側から再び観光船に乗り込んで隣県から夜行列車に乗れば翌朝の勤務に間に合うんです!!」 「バ、バカな……!」 がくり、と利政は膝をついた。 「まさか3日間、眠らずに考えたこのトリックを!」 「なぜです。古部さん、あなた刑事でしょう……?」 「ああ、僕は警察官だった。わかっているよ。そこにどんな理由があれ罪は罪だ。見逃されていいはずがない。でも……僕は、ずっと重度の不眠症だった! この僕が眠れないのに。やっと眠れそうだったのに、彼は脳天気な顔して「あー、きのうもよく寝た」って! 気に障って仕方ない。許せないだろう。それはもう罪だ。その罪を僕は裁――」 バタン!と利政は倒れ伏す。 不眠不休の犯行がたたったか、活動限界に達したようだった。 「古部さん……。どうぞゆっくり、おやすみください」 ざぁん……と、波が打ち寄せた。 ■ DEAD or ALIVE ■ 悲鳴。 それは、場に恐慌をもたらすに十分な出来事だった。 なにげなく、誰かが触れた――それをはずみに、椅子にかけていた百田十三の巨躯がぐらりと傾ぎ、そのまま倒れた。そして人々は、彼が胴体に大きな風穴を開けられて坐したまま絶命していたことを知ったのである。 「スタァーーーップ! 誰も! その場を! 動くな!」 坂上健だ。 「どういうことだこれは……なにか見た人は!?」 人々を見回すが、みな首を横に振るばかり。そういえば血の匂いはした、と言ったものもいたが、ではいつから?と問われるとあいまいだ。 「このパーティー会場にはざっと五十人は人がいる。その中で誰にも気づかれずに人を殺す方法……だと? いや、まずはそれが可能な人間とそうでない人間を区別するのが先決!」 健はばっと、床にはいつくばった。 「あの、なにを……?」 「靴跡さ。さいわいここは絨毯。靴で歩けばわずかにでも痕跡は残る。そして! 俺は会場にいる全員の靴の形と靴底の模様を見分けることが可能だ……!」 ドヤァ、と言い放ったが、会場からは「足フェチ?」と冷たいささやきが漏れたのみだった。 それにもめげず、健は十三の周囲の靴跡を見極める。そのままカサカサと床を這ってゆく。傍目には奇怪だが、健の脳内には、会場の見取り図のうえを、無数の靴跡が行きかう様子が手に取るように浮かんでいた。 「十三さんに最後に近づいた靴跡。これは……飛田さん、あなたの靴」 「ええっ、ウソ、俺じゃない!」 「そう、同じ靴がふたつある! これは偽装だ。飛田さんに罪をなすりつけようとする……」 弾かれたように起き上がり、健は向き直った。 「なぜ、男ものの靴を履いていたんですか、ジューンさん」 「……」 きょとり、ジューンの瞳が健を見た。 「殺害方法は何でしょうか。どうすれば流血もなく人の身体に穴を開けられます?」 美しいメイド姿のジューンは、質問には答えずに質問で返した。 「それは……ええと……。傷口を焼けば血は流れない!」 「では凶器は?」 ジューンはからっぽの両手を広げる。 「うう、それは……だな……。あ、あなたの靴跡は歩幅が異様に正確でムダがない。かけられた力も均一。これは不自然だ。あなたはアンドロイドで、手を熱するとかそういう……なんちゃって……」 「本件を特記事項γ2-4、犯行露見時における対立者の排除に該当すると認定。リミッター一部解除」 ジューンの腕が割れ、あらわれた銃口から全方位に銃弾が迸った。 「ええええええ!?」 悲鳴と血煙。阿鼻叫喚の巷を、健は転がるように逃げる。 「マジで!?」 「この地で生き延びるのは私1人で充分です。1人も残さず刈り取ってしまわなければ」 ジューンの冷たいカメラアイが健の背中をロックオンする。 「ちょっとまて、これミステリじゃねぇだろぉおおがぁあああああああああ!!!!」 爆発、轟音――、暗転。 ■ 島からの手紙 ■ 海風がハクア・クロスフォードの髪を揺らす。 岬の突端には一本の樹木が立つ。その幹に背をあずけ、ハクアは手紙をしたためている。 ふと目をあげると、天撃が縄に繋がれ、司直に連れ往かれるところだった。その背筋は伸び、横顔は凛としている。息をつき、ハクアは再び手紙を続ける。 「そんなわけで、すこし帰るのは遅くなりそうだ。すまない。 この島に着いたときは、風光明媚な良い土地だと思ったが、まさか殺人事件に巻き込まれるとは思わなかった。 殺された男はヌマブチという軍人だ。 墓地で、墓石に背をあずけ、喉を切り裂かれて死んでいた。 墓石の文字に血染めの指のあとがあり、ヌマブチが、死ぬ前に触れたらしいことから、同じ頭文字の私が疑われたというわけだ。たしかに彼とは話したし、ほかの村人からすれば、俺はおかしなあやしい旅人に見えただろうから。 けれど、私は遺体を調べ、疑いを晴らしたのだ。 喉の傷は正確な横真一文字。切断面の角度から、真正面に立った同じ背丈の人物が斬りつけたものだと言って。ヌマブチは俺より背が低いからな。 だがそれは詭弁だった。身長差をごまかすトリックなどいくらでもある。 俺は真犯人を見つけなくてはいけないと思った。 現場を仔細に調べ……血しぶきの方向から、切られた瞬間、ヌマブチは仰向けであったとわかった。押し倒されて、真上から切られたんだ。それなら身長は関係ない。 天撃という男を問い詰めたら、実にあっさりと白状した。 彼とヌマブチは同じ戦地にいた。そこで、もうひとりの、共通の友人の戦死が事件の動機だったようだ。ヌマブチが彼を裏切り、死なせた。天撃はそう思っているようだった。 『彼奴は我が友を裏切った。あれは、最期まで彼奴を信じていたものを。あやつの受けた心の痛みと絶望を、わしがこの剣で晴らしたのよ』 ……しかし、ね。 真実はどうだったろう。たしかに、件の人物の死の責任はヌマブチにあったのかもしれない。 けれど、彼は斬られるとき、抵抗した様子がない。そして、その死に顔は穏やかでさえあったんだ。 もしかしたら……彼なりの贖罪の気持ちが、あったのかもしれない……そんなふうに思えてならない。」 ■ 花葬のみなも ■ 「今からちょっとしたお芝居をします」 そう言って、南河昴はランタンに火を入れた。 電灯が消されると、場は静まりかえる。 「すべての発端は、早朝、橘神繭人さんが庭の池で、遺体で発見されたことでした――」 カラカラカラカラ―― それは走馬灯の回る音。壁に映し出されるのは影絵だ。 ホラ、人のかたちをした影が、ゆっくりゆっくり沈んでゆく。あれは冷たい水の中をただよう、繭人のものいわぬ骸だ。 「繭人さんは眠っているような穏やかな表情で、血の気の失せた唇には笑みさえうかべて、水の中をたゆたっていました」 影絵というのに、昴が語るとその情景がまざまざと目に浮かぶようだった。 「池の水面には色とりどりの花が撒かれていました」 ふわり、ふわりと、花の影が降ってきた。 「死因は絞殺と思われます。当時、この屋敷には……」 カラカラカラカラ―― くるくると、場面は変わり、情景は巡った。 ぱたぱたと影絵の背景は組み変わり、影絵の登場人物たちが出入りして、昴の声で証言を述べてゆく。 「以上のことから……その夜、犯行が可能だった人は一人しかいないんです」 誰もが言葉を発しない。 ただ昴の声だけが、物語の結末を指す。 「……ほのかさん」 ぽう、とランタンの灯りの中に、女が浮かびあがった。 女は影絵ではなく、実体だ。 だが、そのたたずまいはあまりに儚い。 「こんな、言い伝えが、あるの」 ふぅ、とけだるげに息を吐きながら、女が朱の唇を開く。はらり、と艶やかな黒髪が白皙に陰をおとす。 「喪が明ける四十九日が過ぎる迄……身籠った女を……死人の出た家に置いてはいけない。……なぜなら、未だ現し世に留まるその死者の魂が腹の赤子に宿ってしまうから……」 黒く濡れた瞳が、人々を見渡したが、誰の顔も闇の中である。 ただ、ほのかの姿だけが、幽冥のさかいに立つように、そこに浮かぶのだ。 「だから。生まれ変わらせることにしたの……」 「まさか」 昴の声がふるえる。 ほのかは、そっと頷き、おのれの下腹を愛おしそうに撫ぜた。 「大事に、大事に育てるわ……今度はわたしを捨てぬよう……二度とそんな気を起こさぬように……わたしの中から出てくる、彼に成った生き物を……」 カラカラカラカラ―― 走馬灯は映す。 つめたい水に沈む繭人の姿を。ゆれる水面を通して、岸に立つほのかの姿が見える。女はたむけるように、水面に、ぱっと花を散らせた――。 ■ まどろみ探偵ゼロの事件簿~孤島ホテル湯煙殺人!牛とサドルの謎~ ■ 断崖絶壁に建つ観光ホテル! その露天風呂で、ハイユ・ティラップルの死体が発見された。 温泉に浮かぶその肉体は、死してなお魅惑的であったが、大事なところは不自然な光によって隠されている。 ホテルは絶海の孤島にあるため、すぐに警察を呼ぶことができなかった。そこで。 「お客さまのなかに探偵の方はいらっしゃいませんかぁ!?」 従業員が呼びかけて回ったところ、偶然にも、鹿毛ヒナタとシーアルシーゼロというふたりの探偵が宿泊していたのである。 「見ろ。被害者は全裸なのに、脱衣場には脱いだはずの衣服がない。これは変質者のしわざか? ……なにしてる」 ヒナタが現場を調査していると、ゼロはしゃがみこんでなにかしている。 見れば、彼女は、アイスの棒を地面に立てているのだ。 ぱたり。 ゼロが手を離すと棒は倒れ、ヒナタのほうを指した。 「……」 すっく、とゼロは立つ。 「あなたが犯人なのです」 「あてずっぽかよ!!」 「あてずっぽうではないのです」 「嘘つけ、アイスの棒倒して決めただろうが!」 「ゼロの推理(?)に間違いはないのです。そのポケットに入っているものを見せてもらうのです」 「うっ」 果たして、ヒナタのポケットから出てきたのは、写真のフィルムだった。 急ぎ、現像してみると、ハイユの死体が写っている! 「嘘だッ! これは罠だ! 俺はこの女を殺していない!」 ヒナタが必死に抗弁していると、従業員が血相変えて駆け込んでくる。 「探偵さん! また死体が!」 断崖の下の海岸に、宿泊中の写真家、由良久秀の死体があった。 「どうやら死後にこの崖のうえ、つまりホテルの敷地から投げ落とされたらしいな」 「ヒナタさん、犯人なのに、なに普通に推理に参加しているのです」 「うるせーよ。見ろ」 由良はカメラを持っていた。そして、中のフィルムは抜き取られている。 「俺のポケットにあったフィルムだな。俺をハメたのはこいつだ。おそらく犯人だろう。しかし良心の呵責に耐えられず自殺したようだな……って、何してる」 ゼロは再び、アイスの棒を倒す。 「ゼロの推理では犯人はこっちなのですー」 「推理じゃねえ……」 だがゼロが導く先、海岸の別の場所に、よこたわる男――Mrシークレットの死体があったのである。 「……」 「ヒナタさん、顔色が悪いのです」 「べ、べつに」 「この人、なにか持っているのです」 それは自転車のサドルだった。 そして、その表面にはマジックで「鹿毛」と名前が書かれているではないか! 「そ、それは……」 脂汗をかいているヒナタ。だが、ゼロは三度、アイスの棒を倒して。 今度の行く先はホテルの裏手から、丘を登った、岬のうえであった。 ちょうどホテルを見下ろせる位置。そこに一頭の野生の牛が草を食んでいた。 「この牛が犯人なのです」 「はァ!? いったい、何言って――」 「ごめんなさぁあああああい」 「!?」 牛は、ソア・ヒタネの姿となって号泣した。 「まさかあんなことになるなんて……!」 「!?!?!?」 「あの女の人、私を食べようとしたんです!」 「ゼロの推理では、ハイユさんは浴衣姿で夜のお散歩をしていただけなのです」 「でも、私を見て『今夜はステーキね』って!」 「『今夜は素敵ね』と言ったのだと思うのです」 「そ、そんな……!?」 「でもソアさんは思わずハイユさんを突き飛ばしてしまったのです。ハイユさんはこの崖から落ち……浴衣は都合よく途中の木にひっかかって脱げ、全裸で温泉に落ちたのです」 「それで脱衣場には服がなかったのか」 「音を聞いたか、落下するところを見たかして、由良さんがやってきて、写真を撮ったのです。でもそのときフラッシュを焚いた。近くにいた別の人間が、自分を撮られた、と勘違いしたのです」 「……」 「Mrシークレットさんなのです。Mrシークレットさんは、撮られてはまずい場面を撮られたと思い込み、由良さんを殺してフィルムを奪い、崖から投げ捨てました。……でもそのMrシークレットさんも、また別の人間に殺されました。その人はMrシークレットさんがフィルムを持っていたので、やっぱり自分を撮られたと同じ勘違いをしてしまったのです」 「……畜生」 「やっぱりヒナタさんが犯人で合っていたのです」 「ああ、そうだよ! 俺はこの島をサイクリングするべく愛車のすなめり号持参で泊まりにきた。それなのに、今朝、すなめり号のサドルが抜き盗られていたのさ……。純粋な俺は何の疑いも抱かず、いつもの調子で流れる様に跨った。半分寝ぼけてたとも言うね。その時の苦痛と羞恥と哀切分かる!? ……ってゆうか寝てるし!」 事件が解決すればすみやかに眠りに落ちる。 それがまどろみ探偵ゼロであった。 ■ 真実ハ箱ノ中 ■ 「ぬう、あれが、『万象一点儀』……!」 「知っているのか、リュカオス!?」 ブランの問いに重々しく頷くと、リュカオスは知るところを述べた。 万象一点儀―― それは一見、何の変哲もない箱であり、突き出たアンテナ状の機関の先端に矢印のついている奇妙な物体である。だが、これこそ、アンティキティラ島の機械の機構をベースに開発された、超高密度因果演算機であり、さまざまな事象のデータを入力すると、その因果の行き着くところを出力するという機械である。具体的には、その矢印が、演算結果の決定的な一点を指し示す。 そのしくみは発明者、シュマイト・ハーケズヤのみしか知るものはなく、内部の機構は一切秘匿されている。だがこの機械により、ハーケズヤ氏が幾多の難事件を解決していることはまぎれもない事実である。 (柴連書房刊『零世界探偵紳士録』より) 「そ、それでは貴方が、発明探偵シュマイト殿!?」 「いかにも。遅くなった。関係者一同の情報を整理して入力するのに手間取ってね」 「そ、それでは……」 「あとはこの犯行現場の情報を入力すればいい。それで答えは出る」 吉備サクラの遺体が発見されたのは、町の小さな広場である。 ソルベナは小さな町だが、それでも人通りのある白昼だ。そこに、遺体は忽然と出現した。誰も不審な人物は見ていないという。 サクラの死因は刺殺――刃物で刺された傷による失血死だ。 「流血の状況から見て、別の場所で殺されて遺体が運ばれたと見られるのですが」 「こんな人目につく場所にどうやって運び込んだものか。女性とはいえ人ひとり運ぶのは簡単ではありませんし」 口々に不可解な点をうったえるブランとリュカオス。シュマイトは構わず、彼女の発明品への入力を進める。 「では演算を開始する」 スイッチらしきものを入れると、箱がブーンと振動し、矢印が凄まじいスピードで回転を始めた。 「あの……、これは一体どういうしくみで……」 「極秘だ」 「はあ……」 きっかり3分。 チーーーーン!という音とともに、矢印は回転を止めた。 「……っ」 息を呑む。彼女へ、人々の視線が集まる。 「さて。……釈明があれば聞こうか。川原撫子くん」 「どうして私がサクラちゃんを殺さなきゃいけないんですかぁ?」 「知らん」 「知らないのか!?」 ブランがつっこんだ。 「『万象一点儀』は結果だけを示す。彼女が犯人であることは間違いないが、その過程はわからない」 「だったら意味ないですよねぇ。トリックを暴くか、それとも動機を突き止めるか。そうじゃなきゃただの決め付けですぅ」 「推理なら可能だ。きみが犯人、という事実が動かない以上、そこから演繹的に考えることはできる。たとえば、きみの怪力なら彼女の遺体を運ぶのは難なくできる。小柄な被害者をカバンに詰め込んで運ぶことも」 「……動機はどうなんですかぁ?」 「さすがにそれは、難しいことを認めざるをえないな。人の心は理論だけでははかれないから。……でも、これもまた、きみ、そして吉備くんというピースがあれば、欠けているピースを類推することもできるのだ。……先般、事故死した村田小太郎という男性に関係あるのかな」 「……」 撫子は沈黙した。 空気が緊張を孕む。 「……きみは彼の死の責任が、吉備くんにあると思った。違うか」 「……」 「私はここへくるまえ、念のために、小太郎くんの死についても『万象一点儀』で演算した。彼は事故死で間違いない」 「!」 撫子の目が大きく見開かれた。そこに、みるみる大粒の涙が盛り上がって―― 「うそ……うそ、うそ、うそですぅ! それなら、なんのためにっ! 私はサクラちゃんを……わああああああ!」 号泣。 「……残念ながら、人は不完全なものだ。たやすく、間違ってしまう。……かなしいものだな」 シュマイトは、静かに、かぶりを振るのだった。 ■ タンスは見ていた ■ もう何年も昔のこと。 あの頃、私は大切に使われる、幸福な存在だった。 丁寧に手入れされ、静かな、居心地のいい場所に置かれていた。そこで、あの家の大事なものを寡黙に守り続けることが私の至上の歓びだった。 あの場所からひきずりだされ、あんな酷い仕打ちを受けるまでは。 その日、虚空の無惨な遺体が、庭木に吊されて見つかった。 背後から刃物で斬りつけられたのが致命傷。しかしわざわざ遺体は鎖を巻かれたうえ、木の枝から吊されている。真下にはしたたり落ちる血が池になっていたが、そこに椿の花が浮いていた。虚空はこの家の書生だった。 「あらあらあら。まあまあまあ」 関係者が集められ、警察が現場検証に駆け回るなか、家政婦・仁科あかりはものかげから現場をのぞいている。 彼女はこの家に派遣されてこの方、家にまつわるさまざまな人間関係、出入り人間の情報をひそかに見聞きしていた。今こそ、探偵となるべきだ。あかりはそう考えた。 そうして彼女がまずしたことは、パイプをくわえ、鳥打ち帽にインバネスを支度することだった。彼女はまず形から入る性格であった。パイプの中身は粉ラムネである。ちょっと威厳が足りなかったのでヒゲでもあったほうがよいと思い、鼻の下に海苔を貼った。 「あのー、私、見たんです」 あやしい出で立ちのあかりは、警察に申し出た。 「奥様はよく、冗談めかして、自分のタンス貯金のことを話していました。あの日もです。ええ、虚空さんも聞いていたと思いますよ。でも知っているひとはもっといたはず」 なるほど、それなら、この状況にも一応の説明がつく。警察は虚空が吊されていた庭に面した部屋の惨状を見やった。すなわち、畳の上に散乱する、壊されたタンスの破片を。 「え? この『伊原』って何かって? それはタンスの名前です。奥様がつけたのか、もともとそういう謂われがあったのかは知りませんけど、このタンスは伊原さんって、呼ばれていました。でもまさか、こんなことになるなんて」 あかりはしんみりと、かつて伊原だった残骸を見る。言うなれば彼はもうひとりの被害者だった。 警察がどやどやと引き上げていく。 一方、勝手口でチャイムが鳴った。あかりが行くと、三河屋のティーロ・ベラドンナであった。 「頼まれてた酒とみりん」 「あらあら。まあまあ。いつもありがとうございます」 あかりはにこやかに応対したが、探偵ルックのままであやしい。しかしティーロはなにも言わなかった。 帰ろうとする三河屋に、あかりは声をかける。 「ティーロさん。わたし、見たんです」 「なんだって?」 「あの日も、ティーロさん、お勝手にいらっしゃってた。奥様と虚空さんがタンス貯金の話をしているとき」 「……」 「わたし、見てました。そこの柱のかげから、こうやって顔を半分だけ――」 言いも果てず―― ティーロが酒瓶を一本、ケースから抜き取ってあかりに向かって降りおろした。だが寸前、台所のドアが開き、銃声が響いた。ひきあげたはずの刑事たちだった。 「ち、くしょう」 ティーロは血を流して倒れる。 「ティーロさん。どうしてなんです。盗みの現場を見られて殺したのだとしても、あんな残酷な方法をとることはなかったはずです」 「るせぇ。あいつ前から気に食わなかったんだ。自分のキャラのかぶってるやつを見ると、俺、イラっとするんだよな」 「……べつにどこもまったくかぶってないですよね?」 いらえは、ない。撃たれた犯人はすでに意識を手放している。 遺体が片づき、気くずが片づくと、庭も部屋もがらんと広くなった。 あかりは縁側にすわり、ぽつりとつぶやく。 「さみしくなっちゃいますね。伊原さん」 ちいさな木片をなでながら、言った。 ■ 果樹園の贄 ■ 「おー、見事に死んでんなー」 夕凪は、まじまじと死体を見つめた。 果樹園で発見されたのはファルファレロ・ロッソ。樹にもたれるようにしている彼の胸には銃創が血の花をほころばせている。 「なんだ、なにか書いてんな。ROSSO……ロッソ、か。……サインをしたのか? 死ぬ間際に?」 被害者の指が最期に記した文字を、夕凪はじっと見た。死者は何も語りはしない。 「この人のことは?」 夕凪は果樹園の支配人――ヒイラギと、従業員のロナルド・バロウズに尋ねたが、ふたりともかぶりを振った。 「突然、訪ねていたんです」 とロナルド。 「おかしなことを言ってました。『マフィアは果樹園に死体を埋める。だから土が肥える』って。一目で危ない人だとわかったし、どうしようかと思って。少し目を離したすきにこんなことに」 ロナルドは肩をすくめる。 「ふーん。ま、いいや。今日のところはこれで」 夕凪はけだるげに言った。 果たして翌日、第二の犠牲者となったのはロナルドだった。 彼は果樹園の木に吊るされ、口の中には石を詰められていた。 「……面倒くせぇ。連続殺人か。あー、もう面倒だなー」 がしがしと夕凪は頭を掻く。 果樹園をうろうろするうち、やがて海を臨む断崖へ出た。 海風に吹かれながら、歩く。歩きながら、ここまでの調べで得た情報を整理してゆく。 マフィアは果樹園に死体を埋める――見るからに危険そうな男――ロッソ――吊るされた従業員――口の中に石――。 「!」 ふいに、天啓が閃いた。 (電波キターーー!) どさり、とヒイラギの机に投げられたファイルから、はさまれていた写真が零れ落ちる。 「……」 写っていたのは凄惨な殺人現場の写真だ。 「被害者はロウ ユエ。地下道を抜けた先、すこし開けた石の広間によこたえられていた」 「……」 うろんな目で見返したヒイラギをよそに、夕凪は続ける。 「見てのとおり現場は血の海。被害者の身体は裂かれ、胴内には花と貝殻が詰められている。死体を囲むようにして赤いロウソク。儀式殺人として捜査されていたが迷宮入り。……儀式殺人じゃあなかったわけだ。カムフラージュなのさ」 「そうなんですか」 「ロッソ。……『赤』だよ。赤いロウソク。赤い血の海の死体。あの男はこの事件の真相を知ってあんたを脅しにでもきたんだろう。あの従業員は怖気づいたんじゃないか。だから殺された。石を食わせたのは口封じの意味か」 くくく、ヒイラギは笑った。 「よく気づきましたね。……貝殻や花を詰めたのは、異様な殺人に見せかけただけ。推理のとおりです。大事なのは身体から抜き取ったもののほう」 「臓器売買か」 「ご明察。その金でこの果樹園を持てたんです」 「死体で土が肥えたな」 「……でもいいんですか、探偵さん」 がたり、とヒイラギは立ち上がった。 「ここには私とあなたの二人きり。あなたを消してしまえばいいじゃありませんか」 その手に、いつのまにかナイフが握られている。 窓からさしこむ夕日を反射して、それはあざやかな赤《ロッソ》に輝いた。 ■ 空白を埋める ■ 「被害者の名は、木賊連治、か。絞殺か? に、してもこれは……」 エク・シュヴァイスは、ランタンを掲げ死体をまじまじと観察する。ふむ、と顎をなでた。 そこは地下道。 被害者は、石壁の窪みにピタリと収まるようにして物言わぬ骸と化していた。 「まるでパズルだ。ずいぶんぴったり嵌ってるじゃあないか。ここはもとから崩れていたのか?」 「はい。修理をしなければいけないとわかっていながら、ずっと手付かずだったと」 助手の言葉に頷く。 足元では、フラーダがうろうろと歩き、死体に寄ってはその匂いを嗅いでいる。 「うきゅ!」 フラーダが鳴いた。 「なんだ? おっ、死体の口の中になにか……カード?」 「ああ、これはこの島の唄札ですよ。民謡の詩歌を書いたカードです。子どもらがこれで唄を覚える」 「ふうん。……おい、フラーダ、どこへ行く!?」 勝手に駆け出していくフラーダを追って、エクは地下道を走った。 地上は、死臭ただよう地下とはうってかわった、うららかな陽気であった。 エクは、屈みこんでフラーダをなでている紳士に近づく。 「やあ、すいません。ご迷惑を?」 「いいえ。可愛い犬ですね」 ぐるるる!とフラーダが唸った。 「ははは、怒っている。こいつは竜ですよ。……貴方はたしか」 「イェンス・カルヴィネンです。しがない物書きですよ」 「こちらがお宅なんですか? 近所の子どもらに読み書きを教えておられると聞きました」 小さいな瀟洒な家だった。 「ええ、まあ。大人にも教えますよ。字も書けない人がこの島には多いですから」 「木賊連治という人を?」 「……。来ていました。でも、勉強には熱心じゃなかった」 「ほう」 「そういう人もいます。彼は多分――妻に会いたいだけだったんです。だからなかなか詩のひとつも覚えない。おっと行けない。こんなことを言っては疑われてしまうな」 イェンスは笑った。 「探偵さん――でしょう? この島は小さいから、よその人は目立つ。よかったらお茶でも?」 「いえ、結構です。まだあちこち回りたいので。では」 会釈をして、歩き出すエク。イェンスも家へ戻るべく門扉を圧す。 フラーダが、その背に向かってきゅんきゅんと吠える。 「やめなさい、フラーダ。……」 ふと、エクは足を止めた。ぶわり、と毛が逆立つ。……そして、彼は引き返したのだ。 「イェンスさん」 「はい? ……あ、ちょっと」 「ここ、修理されているんですね」 敷地に踏み込み、回り込んだ。石壁に塗られたセメントの跡。 「ええ……。がまんがならないんですよ。ほんのちょっとしたひび割れも。埋めずにはいられない」 「……。子どもたちに教えるのも同じですね。貴方は知識で人の教養を埋めていく」 「うまいことを仰る」 「……」 「……」 「……お茶、いただきましょうか」 「ええ、どうぞ。お入り下さい、探偵さん」 ■ 殺人鬼と死者の輪舞 ■ ぐしゃり、と潰れる、ミスタ・ハンプ。 あらら、中身は紫色ね。だから犯人は貴方に決まり。 これがメアリの卵占い。人殺しをあてるときだけ百発百中。 ねえ、なんで殺したの? メアリはそれが知りたいの。 「なぜ殺したか? ……それが僕と彼との運命だったから」 ユニ・クレイアーシャはそう言って微笑えむ。 「これでいいかい。他に何が必要な事が? 彼は偶然と云う名の必然としてそこに居た……君もまた同様だよ。事件の発覚すら予定調和でしかない。君達も何れそれを識る事になるさ」 誰かが綱を切ったように、緞帳は舞台に落ちてくる。 ユニの身体はゆっくりと崩れた。 隠し持っていた毒を呷ったか、唇の端から血がひとすじ。 わかるよ、わかる。 メアリにはあなたの気持ちがわかる。 だから死体は、並べてあげるね。あなたが殺した人のとなりに! 手回しオルゴールがものがなしいメロディを奏でれば、舞台はゆっくりまわってゆく。 さァ、次の場面はどこだろう。 ここは地下道。スポットライトの輪のなかで、ほぉら、誰かが死んでいる。 ねえ、なんで殺したの? メアリはそれが知りたいの。 「何でやったって? えーっと、確か……そんときの気分的にこういう風に壊したかったから、かな! ちょっとした気まぐれってヤツ? そういうことじゃないなら、何が知りたいわけ? あんたって、可愛い子猫を撫でるのにも理由求めるタイプ?」 古城 蒔也は無邪気に笑う。 ピアノ線の蜘蛛の糸にとらえられたのは哀れな蝶。ヴァージニア劉はまるで壊れたマリオネットのように、壁に張り付けられている。 蒔也ははじめて気づいたように、 「あれ? もしかして、『コレ』、壊しちゃダメなやつだった?」 と問い返した。 ううん、ちっとも! ぐしゃり。ぴしゃり。今のは一体、何の音? さぁさ、舞台はまだ回る。 次のセットは大きなお屋敷。地下室にある座敷牢。ろうそくの火を灯してみれば、銀の鎖がきらきら光る。 ねえ、なんで殺したの? メアリはそれが知りたいの。 「はて。あえて言うならば単純な好奇じゃわえ。あまりにも閑であったゆえにのう。足らぬかえ?」 霧花の顔はどこまでも無垢。 死んでいるのは舞原 絵奈だ。両手両足を鎖につながれ、衣服は鞭打たれてすでに形をとどめていない。胸には短剣が突き立ったまま。きっと霧花は知りたかったのだろう。命が失われる、その瞬間を。 ねえ、なんで殺したの? メアリはそれが知りたいの。 憎かったの? 愛していたの? 淋しかったの? 欲しかったの? どれでもあり、どれでもない。 殺人者たちは歌う。首を斬られてなおも歌う。 ズラリと並んだ生首のコロス。犯人と被害者を交互に並べて。 ねえ、なんで殺したの? メアリはそれが知りたいの。 ■ 殺人事件は甘くない ■ 今日も今日とて、宮ノ下杏子はカフェに駆け込む。海を見渡せる日当たりのよいテラス席にいつもいる常連、蓮見沢理比古に助けをもとめるためだ。 理比古は店自慢の自家製カスタードプリンを食べているところだった。 「理比古さん! チョコレートシフォンケーキをおごります!」 杏子が言うと、彼はにっこり微笑んだ。 「ありがとう。困っているのはどんな事件?」 ティリクティアは中庭のガゼボの下で事切れていた。 庭には花が咲き乱れ、テーブルのうえには可愛らしい食器に、焼き菓子と紅茶がサーブされている。なにより彼女自身が美少女であったから、それはメルヘンな光景が、無残な殺人によって中断された残酷な運命だと言えた。 ティリクティアは倒れ、苦しんだようだ。神に助けをもとめたのか、十字架を固く握り締めていた。 「死因は毒物によるもの。でも! お菓子にもお茶には毒は混入されていませんでした。食器にもです。現場は中庭で見通しがよく、彼女以外にガゼボに近づいた人はいません。いわば解放された密室! でもどうやって彼女を毒殺したのか――」 「杏子ちゃん。人が口にするのは食べ物ばかりではないよ」 ふわふわの生クリームを添えた、ふかふかのチョコレートシフォンケーキにフォークを入れながら、理比古は言った。 「彼女は信心深い女性だったようだね。なら食事のまえにお祈りをしたのでは? 僕は十字架に接吻をする女性を見たことがある」 「あっ! じゃあ、毒は十字架に!? 調べてもらってきます!」 お礼もそこそこに杏子は飛び出す。 「理比古さん! わらびもちパフェをおごります!」 別の日だ。再び杏子がやってきた。 理比古はフルーツあんみつをたいらげたところだったが、やさしく彼女を迎えた。 「ありがとう。困っているのはどんな事件?」 被害者の名はニコル・メイブ。 死因はナイフで胸を刺されたことによるもの。現場は自宅で、なにものかによる殴り書きのメモが残されていた。 「不貞は純潔で塗り替えられた」 そしてまるで手向けのように、死体のうえには青い花弁が……。 「不思議なのは、抵抗した様子がないことなんです。ニコルさんは拳法の達人で、虎さえ指一本で倒すほどらしいんです!」 「ふうん。純潔というのは青い花のことかな。見立てのように思えるけど、こういうのは案外単純なんだ。自宅で押し入られた形跡がないのなら、犯人は平和的に訪ねていったんだろう。ということは、被害者のことを知っている。そんな像さえ足の指で倒すほどの拳法の達人相手にナイフで挑もうと考えるかな?」 「た、たしかに」 「ニコルさんは抵抗しなかったんじゃなくて、できなかったんじゃないかな。……現場でなにか香りがしなかった?」 「あっ! そういえばオレンジのような香りが」 「それだ。毒を盛られたんだね。それで殺すつもりだったけど、なにせ豪傑だから毒では殺し切れなかったんだろう。麻痺状態のところをナイフでとどめを刺された。犯人は毒を使える人物だよ」 「というわけで、あなたが犯人です、楽園さん!」 杏子が乗り込んで行ったのは海辺の別荘。 東野楽園は、ニコ・ライニオと、食卓を囲んでいたところだった。 「いきなり押しかけて何を言うかと思えば。証拠はあって?」 「私の眼鏡があなたが犯人だとにらんだからです! この眼鏡っ娘探偵・宮ノ下杏子の目はごまかせませんよ!」 「では動機は何なの?」 「うっ、それは。……ちょっとまってください、苺タルトを餌に聞き出してきますから――」 「いや、それには及ばないよ」 ニコが口を開いた。 そして、まだ口をつけていなかったワイングラスを手にとると、一息に呷ったのである。 あ、と楽園が小さく声をあげた。 ニコは微笑み、ゆっくりと崩れる。 「!? まさか……ワインに毒を……!」 「そう……気づいていたのね。今日、自分が殺されることを」 楽園は息をついた。 「そうよ。私が犯人。動機は……そうね、退屈だったから。長くくだらない人生に韜晦して」 「……」 「……なんてね。厭世家を気取れたらよかったのだけど、本当はもっとささやかでくだらない理由。この下郎は私にあいしてると囁いた癖に違う女を連れ歩いてたの。それも違う女ふたりと」 「え、じゃあ、楽園さんをいれて三股!」 「そう。浮気は去勢か死刑の二択でしょう。即物的な動機で幻滅したならごめんあそばせ。私も一人の女ということよ」 そう言って、楽園は可笑しそうに笑った。
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