その日、ヘンリー&ロバートリゾートカンパニーが、クリスタル・パレスで打ち合わせをしたのには理由があった。 ――暇潰しに報告書読んでたら面白そうな記述見つけたっすー! ――『比翼迷界・フライジング』の『ヴァイエン侯爵領』って、クリスタル・パレスやってるラファエルっつーおっさんの故郷なんすよね? ――『豊かな農地を貫く幾筋もの河川、しっとりと水気を含んだ大小の森。透き通った蝶と蜻蛉が行き交う花咲く湖。その領地は、アルトシュタイン王国屈指の穀倉地帯でもあった』。なんかすっげーいいとこみたいじゃねっすか! 個人的には花咲く湖でデートなんか憧れるっす、痺れるっすねー! ――もう何回か冒険旅行行われてるみたいっすけど、あたしまだ行ったことないし、観光がてらカチコミしてみません? なんか今迷卵つーのが沢山見つかって大変みたいっすけど、そういうのぬきにして遊びに行ってもいいんじゃねっすかね? コンスタンツェ・キルシェが提案したリゾート企画内容が、ヴァイエン侯爵領に関するものであったため、ヘンリーとロバートは、直接、領主の許可を得に来たのだった。「いかがでしょうか、ヴァイエン候。担当司書に確認したところ、現在、かの地に『迷宮』発生の兆候は現れておらず、観光に支障はないだろうとのことでしたが」「ご許可いただけるようでしたら、私たちも、現地協力者のヴォラース伯にご挨拶に伺いたいと思います」 礼節に則り、改まった口調で要請するヘンリーとロバートに、ラファエルは恐縮しながらも、しかし、と、逡巡を見せた。「そうですねぇ……。関心をお持ちいただけるのはとてもうれしいのですが、さて、ヴォロスのようなめくるめく神秘と魔法に満ちた光景や、ブルーインブルーのようなダイナミックな海と島々が織りなす景観などがあるわけでもない地にお越しくださったところで、皆様のご満足に添いますかどうか」「リゾートですので、必ずしも、空前絶後の奇観などを求めるかたばかりではないのですよ。こころ落ち着く地でゆっくり過ごしたいかたもおられるでしょう。たとえば過日行いました企画の、遠野の夏祭りなども好評でしたし」「……祭り。……そういえば、今の季節だと、収穫祭が」「収穫祭?」「はい。それこそ、領内でささやかに行われる祭事ですが」 それは、穀倉地帯ならではの、秋の収穫を豊穣の神に感謝する祭祀だという。 その秋いちばんの、見事な穀物や果実を生産した畑から、小麦や大麦、葡萄などが、奉納用の馬車に積み込まれる。馬車は領主が御者となり、湖のそばの教会へと進む。 領民たちが見守るなか、供物を教会に奉納し、領主が祈りを捧げて、儀式は完了する。 その後、ひとびとはヴァイエン侯爵邸へ移動する。 このときばかりは、侯爵邸の庭は開放され、置かれたテーブルは葡萄の蔓と秋の木の実で飾られ、この地特有の料理と、出来上がったばかりの葡萄酒や蜂蜜酒、麦酒などがふんだんに振る舞われるのだ。 酒が飲めぬものや幼いもののためには、絞りたての葡萄ジュースや、収穫したての小麦を使って焼いた菓子などが用意されるので、子どもたちも指折り数えている祭りであるはずだった。「私がこのようなことになったので、ここ2、3年は行っていないはずです。皆、収穫祭を心待ちにしていたと思われるので心苦しかったのですけれども」「開催なさってはいかがですか?」 にこりと、ヘンリーがうながす。「領内のかたがたの笑顔を、ご覧になりたいのでは?」「それはもちろん。しかし私は」「公式には『失踪中につき生死不明』となっておられるようですから、領主として祭事の中心となるのは御無理な状況、ということですね」 ロバートは少し考え、ある提案をした。「たとえばですが、今年に限っては、その役回りをヴォラース伯に代行いただくとか」「……さすがだねロバート。悪知恵が働く」「根回しと言ってくれたまえ。ともかく、私たちでできることでしたら協力させていただきますので」「わかりました。収穫祭を開催いたしましょう」 ラファエルは大きく頷いた。 ヴォラース伯、アンリ・シュナイダーは、快く応じてくれると思います。 何しろ、ヴァイエン領における醸成月(かみなんづき)の収穫祭を、誰よりも楽しみにしているのは、アンリのはずですので。 * *「収穫祭を開催……。主催代行で? 候のご了解が得られているのであれば、はい。……それは、それはもう、喜んで……!」 ヴァイエン邸を訪れたヘンリーとロバートの要請を、アンリは喜色満面で了承した。 傍らに慎ましく控えていたメイドを振り返る。「旅のかたがたの接遇とご案内は、彼女にまかせておけば安心でしょう。幼少のころより侯爵邸に勤めており、領内のことも、さまざまな事情も、良く飲み込んでおりますので。頼むよ、ミリアム」「かしこまりました。おまかせください」 大きな瞳にけむるような長い睫毛を伏せ、ミリアムは一礼した。しなやかな髪と薄紅いろの翼が初々しいヒヨドリだ。まだ若いが、きちんとした物腰の娘である。「では、侯爵閣下とシオンさまは、まだ正式にお戻りというわけでは……?」「ああ。収穫祭の間だけ、一時的に滞在なさるということのようだ」 * * ヘンリー&ロバートと入れ違いに、ずだだだだーー、と、無名の司書が駆け込んで来た。「た、たいへん! い、いま、『導きの書』に、ものすごい極秘情報が」「……まさか、迷宮が?」「ううん、そっちじゃなくて、薄茶いろの鷹、アンリ・フォン・シュナイダー=ヴォラースに関することなんだけど」 じりり、と、司書はラファエルににじり寄る。「アンリさまって、独身よね?」「そうですが?」「ものすごく女性に求める理想が高いのよね?」「……ある意味、そのようです」「そんでもって、あんな端正で上品な顔しといて、すごい酒豪なんですって!? どんだけ飲んでも顔色ひとつ変わらないんですって?」「なぜ『導きの書』は、そんなどうでもいい情報を」「そんでもって、過去の収穫祭は、ヴォラース伯に挑戦する酒豪自慢が殺到して、ヴァイエン候邸の庭は飲み比べ大会の会場と化してたんですって? で、ヴォラース伯以外は全員討ち死にして死者類々」「……まあ、お祭りですので、多少の無礼講は」「そんでもって、アンリさまが『どこかに私を飲み負かせる女性はいないものか』といったとかいわないとか。そんな女性がいれば添い遂げたい、と、いったとかいわないとか」「お酒に飲まれない克己心の強い女性、というほどの意味だと思いますよ」「だったらあたしこそアンリさまの理想の女性……!」「聞いてますか私の話!」「ごめんごめん、今のは前振り。ヘンリー&ロバートリゾートカンパニーは、フライジングのお酒関係のお土産に『おひとりさまにつき瓶2本以内』の規制かけたってホント?」「本当です。私からお願いしました」「ひっどーい! あたしそっち行けないんだから、お土産だけが楽しみなのにー」「限度というものがありますよ。あなたの遠野麦酒への所業を聞き及びましてね」「おねげーしますだご領主さまぁ。あたしだってさ、現地に行ってアンリ伯爵に飲み勝ってあわよくば伯爵夫人に、いやそうじゃなくて、せめて、お土産くらい大盤振る舞いしてくれたっていいじゃないですかぁー!」「ヴァイエン領は地産地消がモットーですので」=============!注意!パーティシナリオでは、プレイング内容によっては描写がごくわずかになるか、ノベルに登場できない場合があります。ご参加の方はあらかじめご了承のうえ、趣旨に沿ったプレイングをお願いします。=============
Wiesn1■湖に映る光景 「フライジングで収穫祭があるんだって。息抜きをしに行こうか?」 相沢優が舞原絵奈にそう言ったのは、彼らがコロッセオで戦闘訓練を行い、しばらくしてからのことだ。 自身の覚悟を問われる、激しい闘いだった。手当は完了したが、まだ多少、傷は残っている。 「ここがラファエルさんたちの生まれ育った場所か。綺麗な良いところだな」 《比翼の教会》を背に湖を見つめ、大きく伸びをする。 紅葉を揺らし、風が吹き抜けた。 ヒトの帝国に、優は赴いたことがある。しかしヴァイエン領を訪ねるのは初めてだった。 「本当に……。私、《迷宮》が出現したときにしか、来たことなかったので」 絵奈はぺこりと、優に頭を下げる。 「あの時のお礼、まだ言ってませんでしたね。ありがとうございました」 「お礼なんてそんな」 「戦って、励まされて、落ち込んでいた心も前向きになれました。優さんは私にとって恩人です」 「そう思ってくれるのなら嬉しいな」 ……うん、嬉しい。とても。 絵奈はどこか、日和坂綾を彷彿とさせるものがある。 「友人」であったころの、綾を。 そう思いながらも、ことばには出さず、優はただ、 「あんまり色々と考えるのはやめて、今は一緒に楽しもうぜ」 とだけ、告げた。 「今度は私が優さんの力になりたいから、何かあったらいつでも言ってくださいね。馬車馬のように働きますから」 「馬車馬って」 「……ふふ、なんだか久々に言いました、この言葉」 でも、優さんに私の力なんて必要ない気もしますけど……、ね? 言って絵奈は、悪戯っぽく笑う。 入口を抜けると広がるアトリウム(前庭)。中央には、手を清めるための小さな泉。アトリウムを抜け、ナルテクス(玄関廊)を抜ければ、円柱が並ぶ側廊の向こうに司教座が見える。 天井のドームは素晴らしく高い。扇状に組み合わされたアーチは、その一番高い場所《天空》で視点を結んでいる。見事なステンドグラスから光が振りこぼれ、『白鳥』の司教、ヴィルヘルム・レヴィンの高潔な白の翼を七色に染めていた。 「こんにちはなのです。ゼロはゼロなのです」 ステンドグラスに描かれた意匠を、ゼロは興味深げに見る。 「この教会のご祭神は《始祖鳥》さんなのです?」 「神話や伝説に、関心がおありですか?」 白い少女の問いに、初老の司教は厳格な表情を緩める。 「原初、この世界にはヒトしかいませんでした。あるとき、空の裂け目より男女の双子の始祖鳥が飛来してヒトと通婚し、我々『トリ』が生まれたのだと伝えられています」 「始祖鳥さんはふたりいたのです?」 「シルヴェストとシュテファニエ。シルヴェストはこの大陸の女王とそれは仲睦まじく暮らし、彼らの子孫が我々ということになっております。ですが、皇帝に嫁いだシュテファニエのほうは、やがてその強大なちからを畏怖され、夫から疎んじられ、いつしか霊峰ブロッケンに隠遁した」 「シュテファニエさんはどうなったのです?」 「『誰か』に殺されたという伝承だけが伝わっておりますが、さて……」 ことばを濁す司教に、ゼロは話題を変える。 「この地は初めてなのです。お土産にはどのようなものがおすすめなのです?」 「これはこれは」 司教は破顔し、今の季節特有の新酒のワインや、この地の草花を使用したポプリなどが良いのではないか、と、告げた。 旅行鞄に入れておけば旅の安全を守る護符にもなるという、教会特製のポプリをひとつ渡され、ゼロは教会を辞した。 「よう、あんたもここに来てたのか」 ワイングラス片手に湖を散策していたらしきティーロ・ベラドンナが、ゼロをみとめ、片手を上げる。 ティーロもまた、この地の風の精霊より、神話となった過去のできごとを聞き取ったところだった。 「ティーロさん。こんにちはなのです」 「綺麗なトコだよな」 どこか懐かしげな表情を、ティーロはしていた。 「ティーロさんのご出身地と似ているのです?」 「少しな。オレの故郷もさ、海があって……、ああ、もちろん湖もな。ちょうどこんなふうに風が吹いていて」 風の精霊との語らいと、この風景は、この気さくな大魔導師に望郷の念をもたらしたようだった。 「やっぱ帰りてえよな」 ぽつりと、漏らした。 有馬春臣と氏家ミチルは、少し離れた場所で教会を眺めていた。 「先ほど、司教さんがこの地の伝説について話されていてね」 雑談がてらに振った話題の返事がない。ミチルはふい、と、姿を消していたのだった。 (どこに……?) 答はすぐに出た。 湖のそばで、小声で歌を歌っていたのだ。 春臣が近づいたことに気づき、ミチルははっとなって歌を中断する。 「自分を見つけるなんて……、愛!?」 つとめて明るく、ミチルは言う。言いながら春臣の身体を撫で回す。通常運転である。 「愛とかいうな! あとさり気なく人の尻やアバラを撫でるな!」 「むふー」 「鼻息荒いのがもう怖い!」 「《迷鳥》って」 「ん?」 通常運転を楽しんでいるように見えたミチルが、ふと声を落とす。 「生まれ変わったり、できるんスかね?」 「どうだろう?」 「先生は自分がみゆきさんの生まれ変わりだから、気にかけてくれるんスか?」 「……知っていたのか」 「失礼しやっス!」 ミチルは思わず走り出した。あとで自己嫌悪に陥るだろうことはわかっているが、今は一緒にいるのが辛い。 春臣は呆然と見送る。 果たして彼女を身代わりにしていたのだろうか、と、思いながら。 ハクア・クロスフォードとゼシカ・ホーエンハイム、そしてキリル・ディクローズは、ゆっくりと教会を見学していた。 「教会、教会……、この世界にも、神様がいるんだね」 どんな神様なのか、聖書などはあるのか、と、無邪気に問いかけるキリルとゼシカに、司教は丁重な説明を行った。 「みゅ、いろいろあるんだね。僕のいた世界にいた神様、会おうと思えば、会えるから」 「そうなの?」 「すまない、ふたりとも。少しだけ、ひとりにしてほしい」 ハクアが静かに言う。この教会の独特な雰囲気に、故郷のギルの教会を思い出したのだ。 妹とギルは元気だろうか。しかしハクアはもう故郷へは帰らない。 ゼシカの成長を見守ると決めたから。 「祈りを捧げたい」 「どうぞ」 ハクアは祈る。おそらくはこれからも、ふたりのために祈り続けるだろう。 その後ろで、ゼシカも小さな手を組んだ。 (郵便屋さんがぶじに故郷に帰れますように) (パパとママが天国で仲良くしてますように) (ゼシと魔法使いさんが壱番世界にきぞくしてずっといっしょに暮らせますように) 「ボートをご用意しておりますので、宜しかったら」 ミリアムに言われ、三人は湖面へと繰り出す。 「綺麗な湖、だね。虹色の葉が水面に写りこんで、とても、綺麗」 「ほんとうね」 湖のそばで摘んだ花を、ゼシカはふたりの髪に挿し、自分にも添える。 「みんなおそろい、おしゃれさんよ」 クアールに借りてきたというお絵描きセットをキリルは取り出し、写生を始める。 ふとヴァイエン邸のほうを見やり、今から酒盛りにいそしむであろうマフを思い浮かべ、 「小さい、って言うと、怒る、すごく怒る。怖い」 ふるふると首を振った。 ハクアは優しく目を細め、穏やかにふたりを見つめる。 紅葉が一枚、ひらりと彼の手に落ちた。 Wiesn2■素足でダンス 葡萄畑が一面に続いている。 「収穫の手伝いって、つまりブドウ狩りだよね。わぁい♪」 到着するなりユーウォンは勢いよく葡萄の房に手を伸ばした。 「葡萄の収穫手伝うっすよー!」 コンスタンツァ・キルシェはやる気まんまんでチェーンソーを構えた。 「届かない枝にあるのは樹木ごと伐採っす!」 慌ててミリアムが止める。 「……あの、葡萄畑の樹は毎年実がなるので」 「切っちゃダメっす? 了解っすー」 コンスタンツァ――スタンは素直にチェーンソーを引っ込めた。 はらはらしている風情のミリアムを見たユーウォンも、 「もしかして、もっと丁重にやんなくちゃかな? ゴメンゴメン。やり方教えてくださいな」 と言う。 ミリアムは頷いて、その場に集まってくれた一同に、収穫用の鋏を配布した。 「こうして、ひと房ずつ、そっと切ってください」 示されたお手本を、スタンもユーウォンもすぐに身につけた。 「ワイン用の葡萄って甘いんだよね? つまみぐいしちゃだめ?」 ユーウォンに問われ、ミリアムはくすくす笑った。 「お好きなだけどうぞ」 「やった!」 「こちらは食用の葡萄より酸味が強い品種のようです」 ジューンは的確に着実に収穫を続けていた。なにしろアンドロイドゆえ疲れしらずである。 「そうなの? すっごく甘くて美味しいよ!?」 すでに葡萄を頬張っていたユーウォンが目を見張る。ジューンの働きぶりと品種の指摘に、ミリアムは感嘆して頷いた。 「ヒトの帝国では、同じ品種を植えても酸味が強くなってしまうそうですが、この地で育てると糖度が高まるようです。土壌の違いもあるのでしょうね」 「ブドウ狩りだー! でも、ハロには届かないよぉ」 そうだ! アギリちゃんの力借りようー! といったハロ・ミディオに、イルファーンは肩車をした。 「えへへ、イルファーンちゃん、ありがとう」 「どういたしまして」 (こうしていると、本当に親子みたいだ) イルファーンは微笑む。僕に娘ができたらこんな感じだろうか、と思いながら。 * * 襟ぐりを深くカットした袖なしの胴衣に木綿のブラウスを合わせ、くるぶしまでを覆うロングスカートに、色鮮やかなエプロンを小粋に結ぶ。 壱番世界にも「ディアンドル」という民族衣装があるが、それによく似ている。可憐な乙女をさらに可憐に見せる、可愛らしいデザインのものだ。 スタン、イルファーン、ハロ、メアリベル、ミルカ・アハティアラ、ジュリエッタ・凛・アヴェルリーノという綺麗どころが民族衣装に身を包んださまは壮観であった。なおイルファーンは女性化して「イルファーラ」となっている。 「おおおおーー! 今だけでも里帰りした甲斐があったぁぁーー!」 シオンはちゃっかり一番前に陣取り、搾汁見学を決め込んでいた。 「あれ? ジューン姉さんは参加しないの?」 「とても楽しそうなのですが、残念ながら」 ジューンは地方色豊かな風習に接するのを好む。可能であれば搾汁も行いたいところだが、重量で什器を壊すかもしれない可能性を鑑み、見合わせることにしたのだ。 「民族衣装、可愛いわね」 今の衣装のままで参加しようと思っていた華月は、皆の様子に心を動かされたようだ。 シオンはその肩に手を置……こうとしたが、さすがに自重して、ジューンの後ろに隠れ、顔だけ出して声を掛ける。 「華月も着ようよー。なーー?」 しばらくためらっていた華月はやがて意を決して、ミリアムに言う。 「あの、私にも」 「ご用意しております」 華月に似合いそうな色の衣装を、ミリアムは差し出した。 * * 「こういう作業は、歌いながらやればリズミカルに効率よく踏めるのじゃ、それ! 1、2、3!」 タンバリンを持ったジュリエッタは、眩しい素足を惜しげもなく晒しつつ、居合道で鍛えた足腰でリズムを取った。 「シオン殿~! 見ておるか?」 「見てまーす。ばっちりです素晴らしいです!」 「葡萄を素足で踏むって不思議ね。でも楽しい」 初めての体験にドキドキしながら、服を汚さないよう、華月はスカートを膝までたくし上げる。 「……!」 ここで鼻血など出したら何もかも台無しだ。シオンはぐっと堪える。 「葡萄踏みはお任せっす。ダンスは得意なんす」 スタンもまたリズムに乗って、ハイテンションにポルカを踊り、コサックダンスをも披露する。 「楽しいな。こういうの、いっぺんやってみたかったんだ!」 ユーウォンはしばらく普通に踏んでいたが、 「あれ……、おれ、軽すぎる?」 やがて思い切って、ぴょんぴょん豪快に跳ね始めた。 「今のイルファーンちゃんはイルファーラちゃんって呼べばいい?」 ハロと「イルファーラ」は、同じ色合いのお揃いの衣装を選び、唄い踊りながら、清めた素足で葡萄を踏んでいた。 「うわわ、ぶにぶにしてるー! すべるー!」 「大丈夫かい?」 「けど楽しいー!!」 「滑りそうになったら掴まっていいよ」 「うん、もっともっとやるー!!」 えへへー、トリルちゃんがブドウ踏みしたらあっという間だろうなー、と、ハロは楽しげに笑う。 Little Jumping Joan. メアリベルはミルカと手を繋ぎ、マザーグースを口ずさんでいた。 スカートをたくしあげてタップ、ホップ、ステップ、ジャンプ! 「葡萄の汁は真っ赤で血みたい。メアリの髪とおんなじね 」 ねえ、みて、みて。わたしジャンプしてるのよ。 ご機嫌なメアリベルに合わせ、ミルカも歌を口ずさみ、満面の笑顔になる。 「地元の民族衣装、着てみたかったの。うれしいな。でも葡萄で真っ赤になっちゃうから、汚したら勿体ないかな?」 甘くて美味しかったな、と、搾汁の前に味見させてもらった葡萄の味を、ミルカは思う。 (わたしはまだ子どもだから、お酒ができても飲めないけれど) ……だけど来年、美味しいワインができたらいいな。 メアリベルは死体ごっこさながらに身体中を真っ赤に染め、ジャンプし続けている。 と。 「Fu~〜」 足元で、悩ましい声がした。葡萄とは違う、何やら踏みごたえのある感触が……? そういえば先ほどの葡萄摘みのとき、メアリが背伸びをしていたら、どこからともなくガルバリュート・ブロンデリング・フォン・ウォーロードが現れて肩車してくれたのだが、彼はいつの間にか姿を消していて……。 あれ……? * * 未だ声の出ぬ吉備サクラは、ひとびとを避けるように、ひとりで行動していた。 目立たぬ場所で、ひたすらにスケッチを続ける。 湖面に映る教会。枝を伸ばす紅葉。馴染みのない種類の花。 搾汁にいそしむ乙女たちの衣装。その軽やかな動作。 何枚も何枚も、何パターンも重ねられるドローイングで、スケッチブックが埋め尽くされていく。 ここへ来る前に書いた手紙は破って捨てた。 すでにシオンに会って話す機会を得たからだ。 その内容は、サクラしか知らない。 Wiesn3■旅人に乾杯 「改めまして、ようこそ収穫祭へ。楽しんでいってくださいね」 「お土産用のワインはこちらにご用意しておりますよー。ヴァイエン地方特産の各種香草や、本日のために焼いた葡萄菓子もございます」 ヴァイエン邸の庭には、臨時の物産販売所が設けられていた。ミリアムともうひとり、見慣れぬグラマラスな女性が待機している。 鮮やかな水色のカワセミ、リンダ・エビングハウスであった。あの堅物で無愛想なロック・ラカンがその店の葡萄菓子を食べるため「 だ け 」に通い詰めたという、『花のかわせみ亭』の女主人である。ヴォラース伯より葡萄菓子の提供と旅人の切遇を依頼され、張り切ってやってきたのだと妖艶に笑う。 真っ先にゼロが話しかけた。 「選りすぐりのワインを2本と、安眠に効きそうな香草があったら、いただきたいのです」 頷いたリンダは、年代物と思われるワインボトルと、ヴァイエンカミツレの花を乾燥させたものを勧める。 「ありがとうなのです。ワインは無名の司書さんに、香草は香り袋にして眠れない人に進呈するのですー」 「ワイン2本ほしいっす!」 スタンのお土産はターミナルで留守番中の劉の分らしい。本当は一緒に来たかったのだが、下戸だからという理由で断られたそうな。 そしてジュリエッタも、火城への土産を求める。 「わたくしにも1本いただけぬじゃろうか? かの御仁が喜ぶじゃろうからのう……」 イルファーンは、ターミナルで待つ伴侶のために極上のワインをと言う。 (ほろ酔い加減の彼女は、さぞ愛らしいだろう) 「やっぱ花より団子だよなぁ、日本人としては」 収穫祭の儀式が行われていたとき、坂上健は、目を皿のようにしてじっくり見学していた。 が、終わった瞬間、さっさと侯爵邸の庭に移動したのだった。 すでに庭は大にぎわいだった。並べられたさまざまな葡萄酒や麦酒、蜂蜜酒などを、グラスに半分ほどずつ試飲してみる。 が、それ以上は飲むのを控えることにした。 「お口に合いませんか?」 心配そうにするミリアムに、健は首を横に振る。 「いや、そんなに酒が強いわけでもないから、節度は保っておこうと思ってさ。ここで何か起こって緊急出動なんてないと思うし、侯爵邸のひとたちがきっちり差配してるとも思うけど……、何かあったら対応できるようにしたいと思うのは、癖かなぁ」 「禁欲的でいらっしゃるのですね」 口元をほころばせたミリアムに、健ははっとする。 「かわいい……。いや俺何も言ってないから!」 鹿肉のオレンジ煮込み、鹿とキノコのコンフィ。イノシシと胡桃のチーズ焼き、猪肉の絹挽きウインナーなど、森の恵みを素材とした野趣あふれる料理が並べられている。 川原撫子は勢いよく飲み比べに挙手した。 「はぁい質問ですぅ☆ 飲み比べの最中にぃ、お料理も食べて良いですかぁ? とっても美味しそうなのでぇ、出来れば一緒につまめるとうれしいですぅ☆ ……駄目ですぅ?」 「そのためにご用意したのですよ。たくさんお召し上がりください」 アンリがにこやかに頷く。 「ヨッシャー! 明日の昼御飯分まで全開ですぅ!」 何せ撫子たん、本気出したら十人前はイケちゃう食欲の持ち主である。しかも酒にも強い。 それを 完・全・開・放 ☆ したのだから、瞬く間に杯は空になり皿は積み上げられる。 「やーん、美味しいですぅ止まらないですぅ☆ 後ひと樽お願いしますぅ☆」 ……お代わりがひと樽単位。おそらく誰も太刀打ちできまい。 百田十三は、その場にいた面々を巻き込みながら延々と飲み続けていた。 撫子に笑顔で乾杯と献杯を繰り返し、料理だろうがお菓子だろうが全てを酒のつまみとし、葡萄酒も蜂蜜酒も麦酒もおかまいなく、足りなくなったら袁仁に樽を抱えてこさせて更に飲んだ。 彼は飲み比べには興味がない。が、飲み続ける事は人生の大命題なのだ。 だから飲む、ガンガン飲む。 顔色が変わらないまま際限なく飲み続けていたが、やがて、咽喉元まで酒を詰め込んだ瞬間……、 倒れるように眠りこけた。 「大丈夫でございますか?」 「大変!」 医龍・KSC/AW-05Sと司馬ユキノが、介抱するために走りよる。 ルンは涙目だった。 彼女の故郷において、酒とは長老や男性が飲むものであるし、酒宴で供される料理にもあまり馴染みがないのだ。 「うー、いろんな匂い、混じってる。美味しそうだ、美味しそうだけど……、うー」 「どうかなさいましたか?」 ミリアムに問われ、ルンは言う。 「山で獲物、とっていいか?」 「『鳥』以外でしたら。この地における鳥の形態をした生き物は、すべて知性と感情を持っております」 「ルン、知ってる。だからシオン、食べなかった」 「そうでしたか。ちょうど、シカ猟とイノシシ猟が解禁となっております。一日に狩猟可能な数は制限されておりますので、それをお守りいただければ」 「ルン、わかった。神様の恵み、守る」 獲物は自分でさばき、火を起こして食べるつもりだと告げるやいなや、敏捷にルンは駆ける。 森へ分け入るまえに、湖にも飛び込んで、魚をくわえて水に上がった。 「冷たくない、ルン平気」 小犬のように全身を振るわせて水切りをし、ルンは満足げだ。 「美味いものたくさん。ここ、いい土地」 「陛下……!? もしや陛下はお隠れになったのではなく、旅に出られただけだったと? おお、何という」 村山静夫を一目見るなり、アンリは恭しく跪いた。どうやら先の国王と静夫は瓜二つであるらしい。それは以前のラファエルと同様の反応だったので、丁寧に否定する。 「否、俺は他所者でさ」 村山は礼節を持って、持て成しに感謝を延べる。 「おいしー!」 ナウラは、葡萄菓子と葡萄ジュースを子供のように喜んで楽しんでいたが、やがてふとリンダに言う。 「この葡萄菓子、友達に持って帰りたいんだけど」 「小さい子なの?」 「ん」 ナウラの口調に、リンダは何ごとかを感じ取ったらしい。 「葡萄のトッピングをおまけしておくわね」 「ありがとう。こんなに美味しいんだ、きっと喜んでくれる」 「姐さん。すまねぇが俺にも、何か土産を見繕っちゃくれないか?」 「わかったわ」 特製のブランデーがあるのよ、お子様には飲ませないでね、と、リンダはボトルを渡す。 はたと気づいたときには、ナウラはジュースと酒を間違って飲んだらしく、村山に絡みだした。 「お前はあれだ、いつかフッと居なくなりそうであれだ。だから何かあったら言え!」 「馬鹿な事言ってら」 「いつも子供扱いするけど、私だってちゃんとやれる時もある」 「へいへい、何かあったらな。頼りにしてるよ」 ナウラは、村山らしき者を殺す未来を回避したいと思っている。 村山は、故郷に帰ったら死ぬだろうと思っている。 なのに、何やらその思いがくすぐったい気もする。 こいつも成長してるな、と、思うからかも……、知れない。 そのうちにすうすうと、ナウラは寝てしまった。 奥のテーブルで打ち合わせをしているヘンリーとロバートの前に、並々とワインの注がれたデカンターと、大皿に盛り合わせられた料理が置かれる。 「裏方に徹したいっつーても、何で友達と呑むのにそこまで遠慮しなきゃいけねぇんだよ」 とん、とん、と、彼ら用のワイングラスをふたつ並べ、虚空は同じテーブルの椅子に腰掛けた。 「おや、虚空」 ロバートが書類から顔を上げ、ふっと笑った。 「本当なら世話焼きたいとこなんだけどな。邪魔しねぇから、一緒に呑むくらいしようぜ」 「邪魔などということではなくてね。気遣ってくれるのはとても嬉しいのだが、せっかく給仕をしてくれる立場のひとびとがいるのだから、そこは彼らにまかせ、たまにはきみもゆっくりと席についてほしい、ということだよ」 「ロバートさんたちは裏方なの? でも俺はあなたと話がしたいから」 蓮見沢理比古もまた、ワインボトルを抱え、おつまみとお菓子を山盛りにしてやってきた。 「こんにちは、ヘンリーさん。ロバートさんにはいつもお世話になっています」 「こんにちは。おふたりにはいつもロバートの面倒を見ていただいているようで。手間がかかるでしょう?」 苦笑するヘンリーに、虚空はぼやく。 「聞いてくれよヘンリー。もっと面倒見たいのに、こいつ全然心を開いてくんないんだよなー。可愛くねぇったら」 「きみたちにこれ以上、どう心を開けと言うんだね?」 大仰にため息をつくロバートに、理比古が微笑む。 「ロバートさんが活き活きしている姿を見ると、何だかホッとする」 「理比古にはかなわないね」 「……いい季節でいい景色で、ここは何でも美味しいから素敵だよね」 「……そうだな」 虚空はしみじみと言う。理比古は旺盛に料理を平らげ、収穫の秋を楽しむ笑顔を見せた。 「お忙しいところすみません、ラファエルさま」 進行の報告をミリアムより受けていたラファエルに、黒嶋憂が静かに話しかける。 「いいえ少しも」 ラファエルは収穫祭用の礼装を身につけていた。こうしていると、たしかに侯爵に見える。 「儀式はアンリに、仕事は館の皆にまかせてしまったので、私は何もすることがないのですよ」 「ここが貴方の故郷なのですね。耳にはしていましたが、羽根を持つ方が多くて……。とても心和みます」 「そう仰っていただけると嬉しいですね。私どもにとっては、翼があるのが自然なことではありますが」 収穫祭は楽しんでいらっしゃいますか、と、ラファエルは問う。 「あっ、今日は、ですね。故郷に立つラファエルさまを、一目見たかったのです」 「……私を?」 「ツーリストが故郷を眺める姿は、あまりお見かけする機会がありませんし、それに……、ラファエルさまもいきいきと楽しそうに見えます」 それが憂にはとても嬉しいです、と、やわらかな笑みを見せ、 「収穫祭、残りの時間も楽しませていただきますね」 頭を下げてから、憂はひとの輪に分け入っていった。 「エルちゃん」 ロバートとヘンリーのテーブルで、虚空や理比古と話していたエレナが、そばに来る。 「エレナさま。ご参加くださってましたか」 「うん。エルちゃんの故郷を見てみたかったから、うれしい」 それに、侯爵としての一面を見られるのも新鮮かもしれない、と、にっこりした。 こういった祭りは、どうしても自分の故郷を思い出す。 それが賑やかであれば尚更だ。 ただ――懐かしさはあっても、まだ帰りたいと思えない。 エレナは、冒険がしたいのだ。 ……それに、ロストナンバーでいるならば、もし今後、ラファエルが帰属したとしても会いに来ることができる。 ふと、オリエント急行の旅を思い出した。 「……ねえ、エルちゃん。どうすれば人魚姫は、泡にならず幸せになれたのかな?」 ヴァイエン候は破顔し、あのときの少年執事を彷彿とさせる表情になる。 「実は私は、人魚姫が不幸だったとは思えないのです」 「どうして?」 「恋ひとつしない人生を送られるかたはたくさんおられるでしょう? 恋もひとつの冒険であり謎解きですよ、エレナさま」 「恋も……、冒険?」 「人魚姫は王子の心の鍵を解く冒険に破れました。しかし彼女の勇気を、私は讃えたいと思います」 エレナが再び、隣のテーブルに移動したのとすれ違いに、ラファエルの前にだん、だん! と、ワイングラスとワインボトルが置かれた。 ファルファレロ・ロッソである。 「ここがお前の故郷か。退屈だけど悪かねえ所だな」 「ありがとうございます」 「……なあ」 ファルファレロは彼らしくもなく、声を落とす。 「お前は何が自分の幸せかわかるか。自分の幸せが何か言えるか」 「どうなさいました? 何かあったのですか?」 「答えろよ」 「正直に申し上げますと、よくわかりませんね。……それで?」 ファレロさん? と、目線で問うラファエルに、ファルファレロはいましましげに続けた。 「俺に幸せになってほしいとかほざく、馬鹿な婿がいてよ。人生の先輩のご意見を拝聴したくてさ」 「『幸せになってほしい』ですか。良いかたですね」 「俺はその言葉に違和感しか感じねえがな。で、おまえこそこれからどうする。NYじゃはぐらかされちまったが」 「はぐらかしたつもりなど、まったくありませんよ。そもそもファレロさんはせっかちに結論を求め過ぎです」 「店を畳んで故郷に戻るのか」 「ですから『まだ何とも言えない』と、何度申し上げればわかってくださるんですか、あなたは」 「……美味い酒が飲めなくなるのは惜しいと思ってな」 「私も、飲み友達と離ればなれになるのは淋しいですけどね。第一、あなたの想像する何倍も、私のほうが淋しいんです」 「何ぃ?」 心底意外そうに、ファルファレロは目を剥いた。 「またNYにお誘いくださるのかと思ったらずっとお見限りじゃないですか。それは、私などより、お嬢さんやお嬢さんの選んだかたと過ごすほうが大切なのはよくわかりますが」 「何だと! せっかく誘っても、てめぇが忙しがって蹴りやがったくせして!」 「逢いに来てください」 「……!?」 「私がいつかターミナルを後にし、この地に帰属したとしても。あなたが『旅人』である限り、訪れてくださるのをお待ちしています。お好みのお酒を用意して」 「餞別に一杯付き合え」 「喜んで」 「今度逢う時はお互い、上手く子離れできてるといいな」 * * 「なんとも極上の美酒じゃ。領主と領民たちの労働の賜物じゃの」 ジョヴァンニ・コルレオーネはワイングラスを夕陽にかざす。 「まことに。ですが収穫祭開催のことほぎは、旅のかたがたのおかげです」 アンリが応えた。 「皆様にご尽力いただきましたので、来年の新酒はさぞ素晴らしいでしょう」 「ところでメイドのミリアム嬢だが、彼女は君に惚れておるのではないか?」 「どうでしょうね。彼女はまだ若いので、引き合いも多いでしょうからなんとも」 「ドン・ファンの勘がそう囁くのだがのう」 「私は一度、報われぬ恋をしたことがありまして。片思いでしたが」 「ほう?」 「彼女はもともとヴァイエン候の許嫁で、今はヒトの皇帝の寵姫になっておりましてね」 彼女を忘れさせてくれるような女性に出会えないものかと思っているのです、と、ヴォラース伯は言った。 バルタザール・クラウディオは、ジョヴァンニの隣で杯を重ねている。 彼は、どれだけ飲もうと酔わないため、その顔色は顔色は青白いままだ。 酒は雰囲気を楽しむもの、というのがバルタザールの主義である。 「ふむ。ここの酒もまた美味い」 アマリリス・リーゼンブルグは、レディファーストなバルタザールにワインを注がれつつ、飲みまくっていた。 やや酔ってきたようで、気分よく羽根をぱたぱたさせている。 「素晴らしい翼ですね」 「……ほんとうに……」 感嘆の声を上げるアンリとミリアムに、 「君たちの翼もまた見事だ。この地は故郷を思い出す」 と、じっと見つめる。 「あの……、そんなに見つめられますと、私……」 ミリアムがぽっと頬を染めた。 アマリリスさん、通 常 運 転 である。 「ワタクシが成竜になった年も、御祝いとして御主人様に御酒を頂いた事がございました」 ジョヴァンニやアマリリス、バルタザールのグラスが空になるのを見計らい、医龍はおだやかにワインを継ぎ足す。 無性別ではあるが、その心遣いはしとやかな女性のものだ。 なお、血液中の医療ナノマシンがアルコールを分解する為、どんなに飲んでも全く酔わない。 「いつもと変わらなくてつまんないと御冗談を頂きまして。あの頃が懐かしいですね」 医龍は微笑みながら、空を見上げた。 バルタザールは琥珀色の目を伏せ、杯を傾けている。 「Fu~、良い汗をかいた」 葡萄の海に沈みメアリたんに踏んでもらってつっやつやなガルバさん(なお当該箇所の葡萄は別に保管され「プレミアムワイン」になるそうな)は、ご機嫌で浴びるように飲んでいた。 「それにしても、また生き延びてしまった様だ!」 杯を高く上げる。チャイ=ブレ胎内からの脱出の喜びを、皆と分かち合うように。 一度死に、世界を失い、そして姫もおそらくは……。 「そのことから死地を求め過ごして来たが、やはり帰る地というのはあるのやも知れぬな。……アマリリス殿」 低く言うガルバリュートに、アマリリスは無言で頷いた。 異国の、……そう、この地にありて、異国の収穫祭を思わせる音楽が流れている。 トバイアス・ガードナーが奏でるリュートに似た弦楽器と、シリル・ウェルマンの竪琴、そして、美しい歌唱によるものだ。 それは彼らの出身世界に伝わる音楽であるらしい。 豊作を祝い、大地の恵みに感謝する歌。 「ハレ」の場に相応しい陽気な曲を、ラファエルもアンリもシオンも、じっと目を閉じて聞き入っていた。 曲の切れ目に、トバイアスはグラスを手にする。 眼前の光景に、故郷の村の収穫祭を思い出す。 酔いも手伝い、懐かしい思いが胸を満たす。少し切なく、温かい……。 「必ず、帰ろう」 シリルが穏やかに伝えた。 「盛大な宴ね。ラファエルやアンリ伯の人望あってこそかしら」 ボルドー色のドレスに身を包んだ東野楽園は、いつもより大人びて見える。 「何かお飲みになりますか?」 「蜂蜜酒を頂くわ」 いい香りね、と目を細め、こくんと一口飲んでから、楽園はほろ酔い加減でアンリに囁く。 「ねえ貴方。花嫁を捜しているのですって? 運命の人は身近にいるかもしれなくてよ」 * * 「ハイユさま。ご注文のワインのお代わり……、きゃっ!」 「ふふ〜ん。メイドさんだから味には敏感なんよ〜。ミリアむんもそうっしょ?」 「ミリアむん……」 「ひとりのオンナとして酔っぱらうのも大好きなんだけどね〜」 ハイユ・ティップラルは酔った勢いでミリアムを取っ捕まえ、キスとハグを繰り返していた。 なお、「マリリとユキのんといりゅーんとで女子トークしたい!」という欲望、もとい、要望をばっち叶えたあとのことである。 しかも、ハグにはオプションでFカップもふもふがついてくるそうだ! 純粋な胸囲ならばガルバさんのほうが上だそうですが、私は(誰!?)や〜らかいほうがいいとおもいますよ。 「収穫祭といやぁ、思いっきり飲み食いしてもいいってことじゃねぇか。よーし、ワインでもエールでもどんときやがれ、宴会だァ!」 ガハハハ! と、マフ・タークスは豪快に笑い、ちまっと飲み、ちまっとおつまみを齧る。 「浴びるみてぇな飲み方する気はねぇし、第一オレ様を酔わせる酒なんてなァ?」 マフさん、またたび酒なら酔っ払うらしいが、そこはそれ。 「お酒のお祭りかぁ。へへへー、いっぱい飲めるねぇ」 キース・サバインは、朗らかにグラスを差し出した。 「壱番世界でいったら20歳以下は未成年かもしれないけれど、俺達の世界では狩りに行く年齢になったら皆飲むから……、飲んでもいいよねぇ?」 「狩りに行くことが可能なかたは、立派な成人と思われます」 アンリは微笑む。 「この地では『飲酒してはならない年齢』を、特に定めておりません。ただ『子どもは飲んではいけない』。それだけです」 「そっかー。いっぱい飲み比べて、一番好きなお酒見つけたいなぁ」 「ご存分に。お好みのものが見つかると良いのですが」 「んー。元の世界では猿酒みたいな酒だったからねぇ」 「キース君はヴォロスに帰属すると聞く」 ジョヴァンニが杯を掲げた。 「心優しき戦士の前途を祝し、乾杯」 「おめでとうございます」 ユキノも祝福する。 キースは照れくさそうに笑い、お返しとして、ワインを注ぎ返す。 「皆でにぎやかに、こうしてお酒を飲んで騒ぐって楽しいよねぇ」 「カワイコちゃんに囲まれて飲むんじゃあああああ!」 アコル・エツケート・サルマはそう絶叫し、トリ急ぎ、ハイユとアーティスティックに絡み合う。 「まぁワシ、女子の方が好きじゃが、綺麗だったり可愛かったりする男子でもええんじゃがな」 この場にはおらんがのぉ、と、遠い目をするアコルの肩を、シオンがぽんぽん叩いた。 「かまってくださいー」 「むほほ、まあ我慢するかのう」 どぉれ、ワシが注いでしんぜよう、と、シオンのことは後回しにして、まずはハイユの杯を満たす。 遠慮するでないぞー。無理はいかんがのー、と、その場にいる皆に注いで注いで注ぎまくる。 「飲み比べするのならワシも参加しようかの! ほっほ、ワシは強いぞー」 「ミリアム。貴女はアンリが好きなのではないの?」 「そう見えますか?」 「ええ。男女の恋に主従の遠慮は野暮だわ。正々堂々酒豪対決で負かしてやればいかが?」 「まぁ……」 「他の女に渡したくないんでしょ? ぐずぐずしてたら略奪してしまうわよ」 「ふふ……。きっと楽園さまは、恋愛に真摯なかたなのですね」 「……?」 「申し訳ありません。私はとても欲張りで、こんな素敵な旅のかたがたとお会いしてしまったら、つい目移りしてしまいます」 そう言ってミリアムは、じっとアマリリスを見る。 * * 「酒豪大会で優勝すると、領内で葡萄ジュース飲み放題無期限パスがもらえると聞いたのね!」 よくわからないガセネタを叫ぶやいなや、マスカダイン・F・ 羽空はぐいいいっとワインをあおる。 「マスダさん、酒に酔えたら、せめて色々な事から逃げられたかもしれないのに……」 暗い人生に拍車を掛けた残念アルコール耐性を見るがいいー! 鬼気迫る勢いで次々にグラスを空にしていく。 「……え? ……え? もしやこれ、女だらけのねるとん玉の輿大会? キャー! ヤダー! マッスーさんはキュートな大和男児ですのねー///」 いきなしマッスーさんはくねっ〜となった。 素 面 で な。 そのファッションから、女子だと誤解されていた実績のある道化師ゆえの発言だが、むしろ「大和男児」宣言に、会場中がざわっざわっとなる。 「Fu~?」 そんでもっていつの間にか、マッスーさんはガルバさんに踏まれてたそうな。 * * ヌマブチの壱番世界換算によれば。 司書室で飲んだ酒2本が1100円。冷蔵庫電気代が500円チョコが950円生クリーム500円器具2000円製作に要した時給を900円として5時間換算で4500円損壊グラス代がおそらく7000円。 とすると。 総計:16550円 ×3 : 49600円 つまりはその金額が、無名の司書がうるさく言っていた「三倍返し」に該当……、すると考えられる。 (三倍返しには遠いが、足しにはなりましょう) 自分の中でヌマブチは納得し、声に出して言う。 「借金が増えてしまったであります。参った参った」 そんでもって。 無名の司書への土産用という建前でワインを2本購入し、しかし内心、1本は自分が飲む気満々だったのだが、ガルバさんに、 「ヌマブチ殿は吞まぬのかな? では拙者特製できたてフレッシュジュースを」 とかゆわれて、筋 肉 ボ イ ン で葡萄汁を絞られて飲まされて、ワインは結局2本とも土産になったそうな。 * * (ロバート卿もヘンリーさんも奥に引っ込んでるのに、私が楽しんでていいのかなぁ……) ユキノは奥のテーブルを気にしていたのだが、そのうち虚空と理比古が向かうのを見てからは、ほっと胸を撫で下ろし、気持ちを切り替えていた。 (よし、誰かが酔っ払って暴走しないように、私が見張ってないと!) そんなユキノに、アンリが声を掛ける。 「ようこそ、ヴァイエン領へ。収穫祭は楽しんでいただいてますか?」 「はい、いっぱいお酒が飲めて嬉しいです!」 「いかがでしょう、この地のワインは」 「とっても美味しいですね〜♪」 「先ほどから拝見しておりましたところ、周囲に配慮なさりながら、抑制して飲んでおられる」 「お酒大好きなんですけど、悪酔いしないようにと思って。誰かが酔っぱらっちゃったら止めたいですし」 あ、でも、と、ユキノは笑う。 「アンリ伯爵に挑戦したいかな、って思ってもいたんです。瞬殺だろうけど」 「たしかに瞬殺ですね。私の完敗です」 「え」 「それはとても『綺麗なお酒の飲み方』だと私は思います。お名前をお伺いしても?」 「司馬ユキノです」 「ユキノさん。よろしければ今度、ヴォラース領にもいらしてください」 息を呑むユキノに、アンリはことばを重ねる。 「ヴァイエン領は春と秋が趣き深い地です。ヒトの帝国の首都メディオラーヌムは夏の風景が鮮やかだと聞き及ぶ。ヴォラースはその領地のほとんどが青い森に包まれた、あまり面白みのない地ではありますが」 ラファエルが加勢をした。 「琥珀と翡翠の産地なのですよ、ヴォラースは。ことに冬が美しい。始めての地はご不安でしょうから、そのときは私が同行しましょう」 何が起こったのか解らずに、 とりあえずユキノは、手元のワインを、ごくりと飲む。 ――Fin.
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