「館長。お話があります」 レディ・カリスが直々にアリッサの執務室を訪れたのは、ヴォロスでの烙聖節が無事に終わった頃のことだった。「そろそろ、『世界樹旅団』に対して明確な方針を打ち出すべきではないでしょうか」「うーん」 アリッサは考えこむ。 当面、ターミナルで暮らすことになったハンス青年は、おそらく無害な普通人である。一方、世界群ではいまだに、旅団のツーリストが引き起こす事件の報告が入ってきているのだ。「そうよね。ちょっと考えさせてくれない?」 アリッサは言った。 レディ・カリスは、アリッサが旅団に対して積極的な攻勢に出るなどとは期待していなかった。そもそもできることはと言えば、せいぜいが各世界群での警備に力を入れるくらいだろう。それでもまったく手をこまねいているよりはましだ。 だが、カリスは忘れていたのだ。 アリッサの思考がときとして、そんな常識的な判断をはるかに凌駕することを。 数日後、世界司書たちは図書館ホールに集められていた。なんでも館長アリッサからなにかお達しがあるというのである。すでに、レディ・カリスがアリッサに面談したことは噂になっている。場合によっては、世界樹旅団への正式な宣戦布告があるかもしれないという予測もあって、緊張する司書もいた。「みんな、こんにちはー。いつもお仕事ご苦労様です」 やがて、壇上にあらわれたアリッサが口を開いた。「今日集まってもらったのは、今度行う行事についてです。ロストナンバーのみんなが参加できる『運動会』をやりたいと思います!!」 運動会……だと……? 予期せぬ発表に司書たちは顔を見合わせた。「会場は、壱番世界、ヴォロス、ブルーインブルー、インヤンガイ、モフトピア。5つの世界をロストレイルで移動しながらいろんな競技をやるの!」「楽しそう!」 最初に反応したのあはエミリエだった。「でも運動会ってことは、チーム対抗? 組み分けはどうするの?」「図書館チームと旅団チームの対抗戦です!」「あ、そうなんだ。旅団チームと対戦かぁ…………。え……?」「館長」 リベルがおずおずと挙手する。「念のため、確認しますが、旅団とは世界樹旅団のことでしょうか」「そうだよ。ほら、これ」 アリッサが手にしてみせたのは、ウッドパッドと呼ばれるかれらが通信手段として用いている機器だった。「どうにかつながりそうだったから、これでメールを送ってみたの」 見れば、ウッドパッドからケーブルが伸びていて、宇治喜撰241673に接続されており、茶缶に似た世界司書からは白い煙が上がっていた。「ちょっと待て! 返事は来たのか!?」「ううん。でも時間と場所は伝えてあるから」「旅団に開催地と時刻を知られている状態で運動会をするのですか? もし、敵が攻撃してきたら!?」「応戦するよ。当然じゃない」「で、でも運動会は旅団とやるって」「参加してくれるならやるよ。攻撃してきた人もお誘いしてみて」「ま、待ってくれ、よく理解が……」「要するに、同じ日時・同じ場所で、戦争と運動会の両方をやるの!」 ざわざわざわ。 図書館ホールはどよめきに包まれている。「……カリス様?」「……わたくしはしばらく休養します」 ウィリアムは、そっと話しかけたが、レディ・カリスはかぼそい声でそう言っただけだった。 * 一方、その頃、ディラックの空のいずこかにある、世界樹旅団の拠点では、ウッドパッドのネットワークに送られてきた謎のメッセージが話題になっていた。「これは一体?」「罠にしても、あんまりだしな……」「とりあえず、偵察に行ってみたらどうだ?」「この日時に、この場所に連中がいるのが確実なら、一掃してしまえば、あとあと活動がやりやすくなるしな」「よし、いくか!」 そんな様子を横目に、ドクタークランチは我関せずと言った顔だ。「……よろしいのでしょうか」「くだらん。悪い冗談だ。行きたいやつは行かせておくがいい」 *「この運動会にはふたつの意味があるの」 アリッサは、続けた。「ひとつは、文字通り、運動会にお誘いしてみて、旅団の人たちの中で、私たちと交流してもいいという人を見つけるということ。もうひとつは、どの世界にでも私たちはいつでも大軍を送り込むことができるということを知ってもらう、一種の示威行為ね。だから、みんなには、思いっきり派手に暴れてきてほしいの」 * * *「……と、いうわけで、モフトピアでは『ロストレイルでGO!』が行われることになったわ」 ティアラ・アレンは眼鏡の位置を指先で整え、資料に目を落とした。「これは三人一組になって、それぞれをロープでつなぎ、みんなで走ってゴールを目指すという競技よ」 そして、彼女は資料をこちらへと見せる。「コースの途中には丘、川、谷があって、それを越えた後、浮雲に乗ってゴールのある別の島へと移動することになるわ。モフトピアだから、そんなに険しい道ではないけど、ロープがあるし、三人の息が合わないと中々厳しいはずよ」 そこに貼り付けられた写真には、キャンディのようなカラフルで丸い石がごろごろと転がっている丘や、葉っぱの形をしたボートが岸に並べられている川、お菓子のようにも見える吊り橋がかかっている谷が映し出されていた。「みんなで協力して、頑張ってゴールを目指してね。世界図書館の結束力を見せてやりましょう! ……あ、そうそう。運動会はアニモフたちも楽しみにしてるし、見に来るアニモフもいると思うから、あまり過激なことはしないで、ゲームで勝負しましょう。旅団の方はどうかわからないけど……」 ティアラは腕を組み、視線を横へと向けたが、やがて大きく息をつくと、笑顔でこちらを見た。「でも、きっと大丈夫よ。あんまり心配しすぎてもしょうがないしね」 * 雑然とした部屋だった。 所狭しとおもちゃやゲームが散らばり、派手な色彩を作り出している。それ以外の物は大量の玩具に遮られて見えなくなっているのか、それとも最初から全くないのか、生活感のない空間だった。 その中に埋もれるようにして、緑のカエルとピンクのウサギが揺れ動いている。「運動会……ゲーム!? 面白そう!」 ウサギの帽子を被った少女が、目を輝かせ、カエルの帽子を被った少年の持つウッドパッドを覗き見る。 ゲームと聞くと、いてもたってもいられなくなるようだ。「何だ、興味があるのか。この前散々文句を言っていた癖に」 少年が口を開く前に、二人の背後から低い男の声がした。 そちらを見ると、黒髪を撫でつけた浅黒い肌の男が、サボテンのようなぬいぐるみの隣から顔を出している。「おじさん、また来たの?」 少年が呆れたように言葉を吐き、少女は口を尖らせて男を見る。「それとこれとはベツなの! ゲームで挑戦されたんだから、受けて立つの!」 男が断りもなく部屋に入って来たことには文句を言わないようだった。いつものことなのかもしれない。 男はしばらく考えるようにした後、再び口を開いた。「ふん、俺も行ってやろうか」 そうして口の端を上げる彼とは対照的に、少女は露骨に不機嫌そうな顔を見せる。「へん、えらそーに! あーあ、メムってどうしてこうオヤジばっかりに人気があるの!? もっと若くてカッコいい人がいいのに!」「調子に乗るな馬鹿。大人は餓鬼を心配するもんなんだ。危なっかしいからな」 今度はムッとした表情で答えた男に対し、少女は目を細め、口の端をくいっと上げた。「そんなこと言って、ホントはようじょが好きなんでしょ!」「可愛くねぇ餓鬼だな! 余計な事ばかり覚えやがって」「まーまーまー」 言い合う二人に、少年が割って入る。「せっかくだからさ、来てもらおうよ。だってゲームには三人必要なんだよ? メムはほかに当てがあるの?」「それは、ないけど……」 少女はもごもごと言葉を濁すと、頬をぷうっと膨らませる。「あと、おじさんも世界図書館に攻撃したりしないでよ? あくまでゲームで勝たないと意味がないんだから」 男はそれを聞き、思わず、というように破顔した。「ああ、勿論だ。俺は少し様子を見たいだけなんでな。戦うつもりなら、別の所に参加するさ。……ま、向こうが攻撃してくるなら、別だがな」 少年はその答えに満足したように頷いた。少女も、もう納得したのか、ウッドパッドの方に見入っている。「じゃあ、リベンジといこうか!」========<ご案内>このパーティシナリオは11月23日頃より行われるイベント『世界横断運動会』関連のシナリオです。同イベントは、掲示板形式で世界群でのさまざまな運動会競技が行われます。つまり今回のシナリオで行われる競技+掲示板で行われる競技からなるイベントということです。シナリオ群では、競技のひとつと、「その競技を襲撃しようとする世界樹旅団との戦い」とが描写されます。このシナリオの結果によっては、掲示板イベントでの競技が中止になったり(攻撃により競技ができなくなった場合など)、競技の状況が変わることがあります。シナリオ群『世界横断運動会』については、できるだけ多くの方にご参加いただきたいという趣旨により、同一キャラクターでの複数シナリオへの「抽選エントリー」はご遠慮下さい。抽選が発生しなかった場合の空枠については、他シナリオにご参加中の方の参加も歓迎します。========
「でもさ、優勝すれば勝ちってことみたいだし、オレたちはもちろん優勝するけど、世界図書館のチームの方がめちゃくちゃ多いよな」 イムがそう言って口を尖らせると、男――ジルヴァは笑った。 「ちゃんとチームは増やしてやるよ」 彼は懐から巾着袋を取り出し、その中から小さな玉を一つつまむと、何事かを呟いて息を吹きかけ、地面へと落とした。 すると、それは見る間に形を変え、やがてもこもことした人の形になる。 「かわい!――くはないか。キモかわ?」 「へぇ、おじさんやるじゃん! なんか見た目がモフトピアっぽいかも」 「ここの世界の力を利用してるからな」 顔を輝かせる二人にニッと笑い、ジルヴァは次々と人形をつくり出して行く。 ◇ ◇ ◇ スタート地点の広場には出場選手たちが集まり、賑わいを見せていた。 チームは、組みたい相手を指名する者もいれば、抽選を選ぶ者もいる。チーム名は申請した言葉や、あらかじめ用意された言葉の中からランダムに選ばれ、組み合わされて決まるようだった。 * こちらは【ケーキとクレヨンがある本屋号】。 「ゼシ、走ったり跳んだりあんまり得意じゃないけどがんばる。みんなの足引っ張らないようにするね」 ゼシカ・ホーエンハイムはそう言うと、決意のまなざしで道の先を見た。 その後ろにティリクティア、そして二人を護るようにハクア・クロスフォードが続く。 「そうだ! みんな、手を出して」 ゼシカはぽんと手を叩くと、ポシェットからクレヨンを取り出し、言われるままに手を出した二人の手のひらに、大きくはなまるを描いた。 「孤児院の先生が教えてくれたおまじない。これで元気百倍よ」 にっこりと笑みを浮かべたゼシカの頭に、ハクアは丸を描かれたのとは逆の手を優しく置く。 「そうだな。ありがとう」 そのやり取りが何だか微笑ましく、ティリクティアも笑顔でゼシカに礼を言ってから、ハクアに言葉を投げかけた。 「ハクアってロリコンね」 すると、何故だか急に空気が硬くなった気がする。 (ロリコンって褒め言葉じゃなかったかしら?) ロリコンの意味を勘違い気味のティリクティアであった。 * 「皆で頑張ろうね!」 三人で協力し合うのが大事と聞き、負ける訳にはいかないと、墺琵 綾のやる気はみなぎっていた。 アニモフに危害が及びそうになった時の用心のために、式神も呼び寄せておく。何かあった時に一番被害を受けるのは、無邪気で無抵抗なアニモフだ。 「ね、息を合わせるなら、声を掛け合ったらいいんじゃない?」 「それは良い案だと思うのです」 シーアールシー ゼロも、のんびりと言う。 「あっ、それならわたし、ホイッスル持って来たんで、それにタイミング合わせてもらってもいいですか?」 仁科 あかりがポケットからホイッスルを出して見せた。 それはいいと、二人とも頷きを返す。 「モーリンも前方確認、宜しく!」 あかりはフォックスフォームのセクタンにも親指を立てて見せると、たすきを肩からかけ、ピーっとホイッスルを鳴らした。 「それでは【元気にまどろむツェッペリン】号!」 「出発!」 「なのです」 * 「出発進行じゃ! 皆の衆ついてまいれ!」 意気揚々と出発しようとしたネモ伯爵を、「待て」とジュリエッタ・凛・アヴェルリーノが引き止める。 「わたくしが前の方がよかろう。マルゲリータの視覚能力も使えるしの」 「何を言うか! おぬしは黙って後ろをついて参ればよいのじゃ!」 そうして睨み合う二人の隣で「いやァ、モフトピア! 憧れの地で御座いました。アニモフ様方があんなにたくさん。眼福で御座います」という穏やかな声が上がる。 視線が集まると、声の主であるドアマンは少し笑み、小さく頭を下げた。 「これは失礼致しました。……ところで、わたくしは後ろでお二人をサポートさせていただきたいと考えておるのですが、ネモ伯爵にわたくしの前に来ていただければ、お疲れになった時にもお役に立ちやすいかと存じます」 その言葉に、しばらくネモ伯爵は考えてから、小さく鼻を鳴らすと頷いた。 「おぬしがそうまでしてわしの役に立ちたいと申すなら仕方ない。わしは大将らしく中央にしよう」 「ありがとうございます。ではロープはわたくしめが」 「では、改めて出発、じゃな」 ジュリエッタは【トマトでなごむ下僕号】というたすきを肩からかけ、オウルフォームのセクタンに合図を送った。 * 「小さいけどがんばるから、よろしくね!」 ハルシュタットはそう言って大きな目をぱちぱちと瞬かせる。 「皆さんと力あわせてがんばります! アニモフさんたちも見てて楽しい競争にしましょう!」 アンナ・キャンベルも、そう言って意気込みを見せた。 「よし! 仲良しして頑張ろうな!」 アルウィン・ランズウィックも拳をぐっと握り、第一関門の丘のほうを見ると、再び声を上げた。 「んじゃ、達者しまーす、ぽっぽー!」 そして、【にこにこかなでる青号】は出発する。 「発車じゃ……?」 誰かのツッコミは風に流れていった。 * 「たまには別行動もいいかもしれませんね」 抽選用紙を確認し、黒羽 アゲハはネクロリア・ライザーへと静かに告げた。ネクロリアも穏やかに笑みを浮かべると、踵を返し、そのままその場を離れる。 アゲハも彼とは反対の方向へ向かった。 その先には、川原 撫子とスイート・ピーの姿がある。 「あの葉っぱ……美味しそう!」 周囲を見回して感嘆の息を漏らしていた撫子が、唐突に近くにあった木の葉をちぎって口に入れた。 「すっごい……モフトピア、初めて来たけど……ここの浮島のものは本当にお菓子で出来てるのね。後はここに最先端のマシンがあったら、永住しちゃうのに~!」 「あ、ほんとだ。あまーい」 スイートもつられて葉っぱを口にし、にっこりと笑顔を見せた。 「でも、あんまり食べるとアニモフちゃんが困っちゃうかもしれないから、スイートの飴もあげるね!」 それからスイートは、アゲハにも飴玉を渡す。 「これはご親切に」 彼は丁寧な物腰でそれを受け取ると、ロープを準備し始めた。 【最先端マシンはママ命号】は、和やかなムードの中、スタートする。 * 「この縄で繋がってゴールまで行けばいいのか」 「モフトピアで運動会とはとても楽しそうだね」 渡されたロープをしげしげと眺めていた雪・ウーヴェイル・サツキガハラの言葉に、ネクロリアが反応を返す。 雪自身は覚醒したばかりであまり事情も判らず、成り行きで参加したのだが、確かにこんなほのぼのした世界で何かを行うというのは楽しいのかもしれない。 「あっ」 そんな二人の前に、ほんわかとした雰囲気の少女――南河 昴が現れ、当たり前のように転ぶ。 「大丈夫か?」 雪に支えられ「ありがとう」と礼を述べてから、昴は抽選用紙と二人を交互に見た。 「ここ、だよね? 【本の虫が絵本で見た流れ星号】」 「中々ユニークなチーム名だね」 ネクロリアがそう言うと、「そうだね」と昴は笑い、続けて言う。 「わたしはポジションは後ろ希望で……前にするとたぶん転んじゃうよ?」 「きみならば、後ろでも転びそうではあるが」 だが、自分でも思っていたことを、雪にも指摘された。 「私が後に行こう。いざとなったら支えられる」 「では、僕が前かな」 ネクロリアもそう言うと、ロープを体に結び始める。 「ありがとう」 昴は再び礼を言い、ぺこりと頭を下げると、自分もロープを手に取り、近くで待機していたオウルフォームのセクタン、アルビレオの頭をそっと撫でた。 * 「そういやモフトピアって、ちゃんと見て回ったことねえな」 清闇はそう言うと、チームメイトを探す。その先には、七夏とツリスガラがいた。 「アンドレアって誰……?」 「スタッフの誰か、だろうか?」 【家族と賑やかに過ごす、その名はアンドレア号】というたすきを見て、七夏が漏らした言葉に、ツリスガラが返事をする。 「ところで、進む時に掛け声を使ってみないか?」 スムーズに進んでいくため、息を合わせることが重要だと過去の経験から考えた提案だった。 「音があるならば、私は合わせられる。これも一つのセッションみたいなものだ」 「それ、いいと思います!」 同じく皆と息を合わせたいと考えていた七夏も、頷いた。 「えへへ、頑張りましょうね!」 「ああ、それはいいんだが」 盛り上がる女性陣の隣で、清闇がぽりぽりと頭をかく。 「これ、勝敗を決めて何になるんだ?」 清闇の真面目な面持ちに、ツリスガラと七夏は返答に困るのだった。 * 「宜しく!」 トリシマ カラスはテンションが上がり気味の声で挨拶をした。 動物好きの彼にとっては、もふもふは大好物である。つい触りたい衝動にも駆られるが、流石にそれは失礼だと思い、ぐっと堪える。 「ん?」 「あ、カラスさん」 どこかで見たようなもふもふだと思ったら、振り返ったのはルークだった。 「奇遇だなぁ。今度はチームメイトなのか」 「そうみたいですね」 彼らは以前、別の場所で運動会をした時に、対抗チームとして戦ったことがあった。 「ぼくも、よろしくだよ」 「おおっ! ――宜しく!」 そこへひょこっと頭を下げて挨拶をしたバナーを見て、チームメイトが二人とももふもふだと知り、カラスのテンションはさらに上がる。 その様子を、ルークとバナーは少し不思議そうに見ていたが、実のところルークもホッとしていた。 「チームメイトが肉食獣じゃなくて良かった……」 先ほどとっても不吉な影を見かけた気がするのだが、彼は頭を何度も振ると、それを急いで追いやる。 「とにかく、頑張って行こうねー」 バナーはそう言うと、【絵筆がどんぐりをキック号】と書かれたたすきを身に着けた。 * 一方、噂の肉食獣、大きな灰色熊のワーブ・シートンである。 彼はその巨体に、【はちみつのお菓子とオペラ号】というたすきをかけていた。 「頑張るのですよぅ」 二番手に音成 梓、そして最後尾にリーリス・キャロンが続く。 背の高い梓が後ろに行くことも検討されたのだが、「リーリスはちゃんとみんなのペースに合わせて飛んでくから、気にしないでね?」とのことで、一番自由に飛べそうな位置になったのだ。 「応援ありがと~! ガンバルから、最後まで見てってね~!」 リーリスは空中にふわふわと浮かびながら、スタートを見届けようと集まっているアニモフたちにも愛嬌を振りまいていた。 魅了の力を常時全開にしているためか、アニモフたちの応援にも熱が入っているように見える。もちろん、周囲はそんなことを知る由もない。 リーリスの、『世界図書館の善良さをアピールする作戦』も開始である。 * 『運動会、本当なら、ブルーインブルーで……でも、海に入った瞬間、失格とか。だから、ここで参加するよ』 北斗がテレパシーを使って呟く。 彼はトドなので、海を泳ぐのは得意であるし好きだが、海に入った瞬間に失格ならばどうしようもない。 「まあ、ここは素敵っぽい感じのチーム名に免じて頑張りましょうよ!」 何だか微妙な言い回しをしつつ彼を励まそうとするティアラ・アレンの隣で【飛び出せ! 美味しい魚号】と書かれたたすきを見た春秋 冬夏はくすりと笑った。 「ちょっと魚屋さんっぽいかも?」 とりあえずロープでそれぞれを繋ぎ、準備をする。 「うっかりアニモフにモフモフしたりしないか、ちょっと心配」 「その気持ちはわかるわね」 冬夏の言葉に、ティアラも賛同する。 『とにかく頑張ってみるよ』 北斗はたすきを首にかけると、フゥーと大きく息を吐いた。 * 「異なる世界でも、この三人でチームを組むことになるのね。まるで童話に出てくる仲良し三人組みたい」 ドミナ・アウローラはそう言って、ブレイク・エルスノールとニッティ・アーレハインに微笑んだ。 だがそれも、悪い気はしない。 「モフトピアってすっごいふわふわーっとした雰囲気だね。こんなトコに前線基地とかがあったとか信じられないよ、フツーは」 ニッティも笑んで、周囲を興味深げに見回した。 モフトピアに降り立つと、本当に童話の主人公になったかのように錯覚しそうだった。 木陰からこちらを興味深げに見ているアニモフたちの存在も、それを強調している。 「アニモフが見に来ているようだし、あんまり派手なことは出来ないね」 ブレイクは改めて決意をするように頷くと、ロープの強度を確かめ、【黒猫輝石協奏曲号】というたすきを身につける。 * 「うーん……」 岩髭 正志は、渡されたコースの地図と丘のほうを見比べ、唸った。 運動競技といっても、モフトピアであればそんなに激しくないだろうと思ってやってきたのだが、体を動かすことが苦手な正志にとっては、案外大変そうだ。 「あの、どこか具合でも?」 「え……? あっ、あのいえ、そん……なことは、け、決して」 気がつけば神園 理沙が隣にいて、正志の方を見ている。 思わずしどろもどろになってしまったが、大きく呼吸をし、気持ちを落ち着かせた。 そして、せっかく参加するからには頑張ろうと気を取り直し、挨拶をする。だが、仲間に女性がいることにも少なからず動揺していた。 「よう、二人ともよろしくな」 シオン・ユングも加わりメンバーが揃うと、ロープでそれぞれの体を繋ぎ、準備をする。シオンが先頭、続いて理沙、正志の順だ。 理沙は皆の息を合わせられるよう、掛け声や応援をしていくつもりだったので、少しそのイメージをしてみた。 ゆっくりと深呼吸をひとつ。 会場全体が競技前の独特の緊張感に包まれ、やがてスタートの合図が切られる。 「行きましょう! 1・2、1・2!」 理沙の掛け声と共に、【メロメロ友情一番星号】はスタートした。 ◇丘 こちらは【静かな夜のコウモリ号】チーム。 「綺麗な石だなぁ」 丘に着いて早々、レヴィ・エルウッドの意識は、きらきらと陽光を跳ね返すキャンディのようにカラフルな石に向き、気がつけば観察や収集に夢中になっていた。 ヴァリオ・ゴルドベルグも同じく、石を物色している。 この運動会を、友達作りの好機と勧めてくれた同居人の土産にしようと思ったのだ。指に触れる感触はすべすべとしていて、研磨された宝石のようにも見える。 ルイーゼ・バーゼルトは競技を気にしつつも、石を無心に集める二人に倣っているうちに、同じように石の魅力にのめり込んでいた。 「モフトピアの景色を、お菓子や料理で再現したら、きっと素敵なものが出来るわね」 顔を上げて少し遠くを見ると、この丘自体も、まるでデコレーションされたケーキのようだった。 「実際に食べられたりするみたいだね。この石も食べられるかな?」 「見た目は石のようにも見えるが……ここは不思議な場所だな」 そう言う二人に微笑み、ルイーゼも石をじっと見る。 主人に、たまには自分の事は気にせず羽を伸ばすよう言われ、参加してみたが、ここはとても安らげる場所だった。 * しばらくは、ただなだらかな道が続き、ロープで繋がれた【黒猫輝石協奏曲号】の三人は至って平穏に進んでいたが、やがて、第一関門の丘が見えてくる。 事前の情報通り、キャンディのようにカラフルな石が点在し、日の光を反射してきらきらと光を放っていた。大小さまざまではあるが、大きいものは小柄な人間の大人くらいの大きさはあるだろうか。 「結構な大きさがあるなぁ」 最前列のブレイクの目は、同時にふわふわとした影も捉えた。ここでも木の陰に隠れるようにして、アニモフたちがこちらを見ている。彼はそちらに微笑みかけてから、振り向いてドミナに向かい、手を差し出した。 「足元ご注意」 「ありがと」 ドミナは感謝して手を借り、足元に注意を払いながら進んだ。ニッティもそれに続く。 ドミナ自身『戦の鍵束』として、身体能力はそれなりだと自負しているが、男二人には少し敵わないということも自覚している。自分に出来ることといえば、怪我をした時に回復魔法を唱えることくらいかと思うが、それはよほどの時だろう。 競技だということもあり、ゆったりと笛を奏でる時間がないことが残念だったが、とりあえず今は歩くことに集中しようと自分に言い聞かせ、足を動かした。 * 「しかし何とかならんのか、このチーム名は」 『【走り抜け! 運休蒼月号】』と書かれたたすきを身に着け、シュマイト・ハーケズヤは眉をひそめる。 「でも、急がば回れって言うし、焦らずに行く気持ちって大切よね」 実際このチームでは、女子が二人いるということもあり、シュマイトの提案で、なるべく平坦な道を選んで進んでいた。ぽかぽかとした陽気は、気持ちものんびりとさせてくれる。 サシャ・エルガシャはマザーグースを唄う口を一旦休め、シュマイトの背中と、後ろのMarcello・Kirschを見ると、ポットを掲げた。 「喉が渇いたら遠慮なく言って。よく冷えたレモネードがあるから」 すっかりピクニック気分の彼女を微笑ましく見ながら、ロキは世界樹旅団、そしてメムとイムのことを考える。 彼らと会ったのは一度きりだが、やはりそれでもゲーム仲間だ。何とか世界群への侵攻をやめさせたい。 ただ、スタートした時から姿が見えない。参加しているのは確かだと思うが、どこかで会えないだろうか。 * 「ワン・トゥ・スリー・フォー、ワン・トゥ・スリー・フォー」 ツリスガラの掛け声が響く。 彼女の掛け声のテンポは正確で、そして心地良いリズム感があった。 「ダンス……というより、自分が楽器になったような気分かも」 七夏はそう感想を述べ、笑みを浮かべる。 「面白いことを言う」 ツリスガラは、表情を変えずに言った。 そこで突然、清闇が立ち止まる。それにより前にいた七夏は引っ張られ、ツリスガラは追突を避けるために急いで止まる。 「どうかしたか?」 遠方を眺めている清闇に、ツリスガラが問う。彼の表情は穏やかで、特に危機感は感じられなかった。 「いや、イイ景色だと思ってな。つい」 「もう、ビックリしました。いきなり止まるから」 「すまん」 面目なさそうに笑う清闇に、七夏も思わず笑い、同じように景色を見た。モフトピアの景色は色彩に溢れていて、見ているだけで気持ちが優しくなるようだ。 「何か来る!」 その安らぎを破り、ツリスガラの声が発せられるのと、清闇が前後の二人を掴んで高速移動するのとは同時だった。 その後を、緑色の人形が転がり落ちていく。 「あれ、旅団チームですよね。確か」 「魔法の類のようだが、あまり出来が良くないみてぇだな」 ちゃんと競技に参加している辺り、邪魔する意図はなさそうではあるが、どうにも動きがぎこちないようだ。 「気をつけていくとしよう」 ツリスガラはそう言い、再び掛け声を開始する。二人も頷き、また歩き始めた。 * 【黄色いおひさまもっふもふ号】の先頭で、兎は何かあればすぐに状況を知らせられるように、前方に注意を払いながら進む。 ぽかぽかと照らす太陽の光を浴びながら、続くニワトコは観戦しているアニモフたちに手を振り、もふもふ好きのムシアメも、アニモフたちがぴょこぴょこと手を振り返す様を楽しんでいた。 しかし、そんなのんびりとした空気を壊す気配が唐突に訪れる。 「危ない!」 それを敏感に察知し、兎は後ろの二人に警告をしてから自らも動いた。ニワトコの反応は遅れてしまったが、ムシアメが彼を抱えて一緒に横に跳ぶ。 その場所を、もふもふした人形が転がり落ちていった。世界樹旅団のチームだ。 「ずいぶんと派手に転がったねぇ」 ニワトコがのんびりと感想を述べると、「どんくさそうやもんなぁ」とムシアメも言う。確かにあの形状やバランスは、こういう競技には向いていないようにも思える。 「アニモフさんたちは大丈夫かな……?」 「さっきからずっと陰に隠れてるから……スタッフが、あれ以上は近づかないでって言ってあるのかもしれないね」 兎が口にした心配に、ニワトコが答える。彼の言うように、皆木や茂みの陰に隠れていて、それ以上は近寄って来ようとはしない。今の出来事が恐かったのか、尚更出てくる者はいなかった。 そのことに少し安心した兎は、またおずおずと口を開く。 「あの……良かったら、もう少し急ぎません? 今みたいなことがまたあると、危ないですし」 「そやな、わいもちゃんと動くで。勝負は正々堂々とな!」 その言葉にムシアメは力強く応え、ニワトコはにっこりと微笑んで頷いた。 * こちらは【そよ風と緑の戦闘料理号】。 「綺麗な石が仰山落ちてるで。転ばんよう気ぃつけやー?」 最後尾のシャチの言葉に頷き、福増 在利とカルム・ライズンも注意しながら斜面をのぼる。 時々転がってくる石はカルムが風魔法でどかせたり、皆でいったん止まって取り除いてから進むなど、慎重を期した。 もし前の二人がバランスを崩した場合は、体の大きなシャチが受け止められるように準備している。 これだけ慎重だと、どうしてもスピードは遅くなってしまい、いくつものチームが脇を通り過ぎていくことになるのだが、点在するキャンディのような石は、埋まっているように見えても簡単に取れてしまうこともあり、また形状からして転がりやすいので、転んだり、斜面を一緒に転がっていくチームもあった。 そのほとんどは旅団の者が作り出した、ふかふかした人形のチームだ。 「石よりもアレの方が危なないか?」 シャチの呆れたような声に、二人もうんうんと頷いた。 * 【にこにこかなでる青号】は、のんびりと進んでいた。小柄の猫の姿のハルシュタットは歩幅が狭く、どうしても遅れてしまう。本人が勝負ということをあまり気にしていないことも関係しているかもしれない。 「楽しく競技するのも大事だよね」 アンナは観戦しているアニモフたちにも手を振る。そして、父らしき人物がいないかも、必ず確認する。 運動会に参加したのは、まだ見ぬ父を探す手がかりがないかという理由もあっての行動だった。 そこへ、世界樹旅団のチームが現れる。先頭はイム、続いてメム、最後にジルヴァという順だった。 「一緒に楽しくやろうね!」 アニモフたちも見ていて楽しめるような競技にしたいし、もちろん、旅団の皆も楽しめたほうがいい。 「もちろん楽しくやってるよ! ――うぉぉぉぉぉぉっ!」 イムはそう言いながらも、闘志をむき出しにしながらスピードを上げ、三人を追い抜いていった。メムは「イム、はやいよ!」と悲鳴を上げているがお構いなしだ。 「ふふふ、旅館もなかなかやるな!」 「「旅団」」 こちらもやる気に火がついたアルウィンに、今度ははっきりと二人からのツッコミが入る。 【にこにこかなでる青号】のスピードも、次第に増していった。アンナも頑張ってそれに合わせようとする。 ハルシュタットも合わせよう――とは一応したのだが、限界はすぐに訪れ、体が宙に浮きだすと、慌てて前のアンナの肩に掴まった。 ふう、と安堵の息をつくが、正直非常に楽である。 「自分で走らなくても、こうするのもいいかもねー」 そんなことを思うハルシュタットであった。 * 「メムちゃん! イムちゃん!」 道の先にメムとイムの姿を認め、スイートは思わず声をかける。自分たちの名前を呼ばれるとは思わなかったのか、彼らは驚いたかのようにこちらを振り返った。 「あっ」 「ね、スイートの事覚えてる?」 「お……覚えてるわけないじゃん! 図書館のやつの顔なんて!」 「おい、嘘つくなよ。何だ? ダチか?」 明らかに嘘とわかるメムの態度だったが、それを指摘したのはジルヴァという男だった。 「おじさん! どっちの味方だよ!」 怒ったように言うイムに、ジルヴァは笑う。 「スイート、メムちゃん達とお友達になりたいの! そしたら沢山沢山ゲームできるし……ダメ?」 移動しながらの会話になるため、中々難しかったが、アゲハも撫子も合わせてくれる。 アゲハ自身、旅団に攻撃する意思がないのなら手出しする必要は感じていなかったし、主人であるネクロリアも同じ考えだった。懐柔するという方向性や、出来るだけ友好的に接してみようかということを口にしていた分、彼の方がより積極的なかかわりをよしとしているかもしれない。 そして撫子はというと、手の触れる場所にあった美味しそうな石や木を器用に掴み取り、もきゅもきゅ口に入れ、幸せを噛み締めていた。 「オトモダチになってくれるってよ? なって貰えよ」 「おじさんはだまってて! そういうことはゲームで勝ってから言ってよね! 言っとくけど、メムたちは負けないから!」 揶揄するようなジルヴァをきっと睨みつけ、メムは先ほどよりも大きな声を出す。 「こっ……転びたくないよぉぉ! うわぁぁん! ごべんなざいぃぃぃ!!」 その時、どこからか悲鳴が聞こえて来た。 オメロ、一花・藤林・サザーランド、オルソの【爆熱大鍋祭号】チームだ。三人一丸となって、丘を駆け下りてくる。 そして、その行く先には、大きな石が鎮座していた。 「ちょっとぉ! よけてよぉぉぉ!!」 オルソは再び悲痛な叫び声を上げながら咄嗟に左へ、オメロは右へと避ける。そのまま中央の一花が石に激突――かと思われたが、彼女の痛烈な蹴りと共に石がころんと動き、斜面を転がりだす。 「なんでぇ!? 嘘でしょぉぉぉ!?!?」 勢いづいた三人も、丘を物凄い勢いで降りてきた。 「ちょっと!? なにあれ!?」 「急ぐぞ!」 メムとイムも大声をあげ、ジルヴァも頷くと、一気に足を速めた。 「私達も急いだ方が良さそうですね」 アゲハの冷静な言葉で、呆気に取られて見ていたスイートと撫子も我に返り、足に力を込めた。 ◇川 「ムリかな?」 「ムリかも」 「ムリなの?」 「ムリだな」 「何が無理なんだ?」 川を眺めて言い合っているルークとバナーに、カラスが問いかける。 「うん、ルークに一気にジャンプして、向こう岸まで渡ってもらえないかなーと思ったんだけど」 バナーの返事を聞き、カラスも川を見た。向こう岸まで、かなりの距離がある。しかも、ロープは繋がったままでなければいけないから、ジャンプ力があるルークでも、この距離を、二人を抱えてジャンプするのは難しいように思えた。 「難しいだろうな。まあ、地道に行こうか」 そう言うとカラスは、葉っぱの形をしたボートを引っ張ってきた。『葉っぱの形』というよりは、大きな葉っぱそのものなのだが、ここの辺りにはそんなに大きな葉をつけている木はないから、どこか別のところから運んできたのかもしれない。 一人でも軽々と持てるような重さなのに、水に浮かべるとちゃんと浮き、三人が乗ってもびくともしない。モフトピアの物質というのは、つくづく不思議だ。 「へー、すごい。ちゃんと進むね」 バナーがペロペロキャンディーのような木の枝を使って水をかくと、葉っぱのボートは滑るように進んだ。 「仕方ない。頑張ろうか」 ルークもそう言うと、オールを手にし、くるくると回した。 * こちらは【黄色いおひさまもっふもふ号】。 「水がかからないように気をつけないと――って!」 言っているそばから水がかかり、兎は少しげんなりする。だがあまり濡れてはいないので、めげずに頑張ろうと気を取り直し、オールを再び動かし始めた。 ムシアメもニワトコも、緩やかに流れる水や、ふわふわと和む景色を楽しみながらボートを漕ぐ。 ニワトコは手の先をそっと水の中に入れてみた。彼はそうやって水分補給をすることが出来る。この島の水は、ほっとするような優しさがあると感じた。 「また何や流れてきたりしてな!」 ムシアメが冗談めかして言うが、緩やかといえど流れはあるし、先ほどの斜面のことを考えると、何が起きるかはわからない。 三人は、周囲に注意しながら進む。 * 【本の虫が絵本で見た流れ星号】は、それなりに順調に進んでいた。 足場の悪い丘では、昴は何度も転びかけたが、雪がしっかりとサポートをしたため、大事には至らなかった。 その他、ロープが解けて困っていた旅団チームの人形のロープの結び直しを雪が手伝ったところ、無意識に亀甲縛りにしてしまい、そのまま動けなくさせてしまうということもあったが、今では良い思い出だ。 「川は、大丈夫」 流石に、ボートに乗っていて転ぶ心配はない。 昴は葉っぱのボートの上にちょこんと座ると、ほっと息をついた。 ネクロリアもそれほど積極的には表現しないものの、モフトピアのほのぼのとした空気を楽しんでいたし、雪もその空気には戸惑いつつも、次第に打ち解け、楽しめるようになってきた。 昴がアルビレオの頭を優しく撫でると、アルビレオも気持ち良さそうに目を細める。 「さぁ、行こうか」 ネクロリアの言葉と共に、ボートはそっと動き出した。 * 「二人とも、気をつけるんだぞ」 ハクアはゼシカとティリクティアの手を引き、葉っぱの形をしたボートの方へと導く。 ちなみにあの後、ティリクティアの勘違いは冷静に指摘し、きちんと説明をしておいた。 競技を観戦するアニモフは、この川辺付近にも集まっている。ゼシカはそんなアニモフたちに、笑顔で手を振った。アニモフたちも嬉しそうに手を振り返してくれた。 ボートをセッティングし、川面へと滑り出す。 ティリクティアは張り切ってオールを漕ぎ、ゼシカもそれに続く。ハクアは二人に合わせ、それを補佐するように動いた。 「右によけて!」 しばらく順調に進んだ時、ティリクティアが何かを感じ取り指示を出す。急いで方向転換したところを、旅団のチームが猛スピードで追い抜いていった。 「こんどは赤ね」 ゼシカが機敏に動く人形を見て言う。人形には様々な色や形があり、それによって動き方が異なるようだった。 「絶対負けないんだから!」 ティリクティアの闘争心には火がつき、オールを持つ手に力がこもるが、ハクアは静かにそれを制した。 「焦りは禁物だ。思わぬ失敗をすることもあるからな」 その言葉が終わるか終わらないかのうちに、先ほどの人形のボートが転覆し、ティリクティアとゼシカは思わず顔を見合わせて吹き出したのだった。 * 「ああ、うまい!」 「うん、流石にうまいな」 レモネードを口にし、ロキとシュマイトは感嘆の声を漏らす。それなりに歩き、休憩したいと思える時間を計算したかのように、絶妙に体に染み渡る味わいだった。 「ありがとう」 サシャは喜ぶ二人を見て嬉しそうにし、自分もレモネードを口にする。 「サシャの淹れる紅茶は絶品だけど、レモネードもいいな」 「そんなに気を遣っていただかなくても……!」 「いや、ホントだって!」 いつの間にか二人の世界に入っている二人を眺めながら、シュマイトは静かにレモネードを味わう。二人の甘い空気の邪魔をするほど、彼女は野暮ではない。道中、ノロケ話を聞かされたりもするが、それはそれで興味深いものだ。 「そういえば……ロキさまから聞いたけど、そのメムちゃんとイムちゃんて悪い子じゃないみたい。仲良くしたいな」 サシャの視線が、再びシュマイトの方にも向けられた時だった。 「そこっ! なにくつろいでんの!?」 突然、怒声が振ってくる。 ロキにとっては、聞き覚えのある声だった。 「メムとイムじゃないか!」 「この方たちが?」 名を呼んだロキに、サシャとシュマイトは目を瞬かせる。 「ん? こいつらもオトモダチか?」 「ちがうからおじさんはだまってて! ――あんたたちの仲間のせいで、メムたちはひどいめにあったのに、何のんびりしてるの!」 事情は良くわからないが、何かトラブルでもあったのだろうか。サシャは少し考えてから、笑顔でポットを差し出した。 「あの、良かったら、皆さまもレモネードいかがですか?」 「えっ――」 「どいてぇぇぇぇぇっっっっ!!!」 思わぬサシャの提案に戸惑うメムとイムの背後から、何やら悲鳴が聞こえてくる。 「おい、またあいつらだぞ!」 「もう丘はおわったのに!?」 【爆熱大鍋祭号】チームの面々だ。だが、今回はその後ろに何かが迫ってきている。 ――巨大なボールだった。 よく見ると、人型のものが絡み合って出来ているようだ。 「あれ、おじさんが作った人形じゃん!? 何とかしてよ!」 どうやら、斜面を転がり落ちるうちに、ボールのようになってしまったらしい。 「ありゃ安い材料で作ったから、俺の方でコントロールすんのはムリ! ――つーことで逃げるぞ!」 慌てて走り出す旅団チームを追いかけるように、巨大ボールは転がっていく。 「よっしゃぁぁぁ! 一等賞はオレ達が貰ったぁぁぁ! ぅおぉるぅりゃぁぁぁっ!」 巨大ボールから解放された【爆熱大鍋祭号】チームは、川岸にあったボートに飛び乗ると、そのまま滑るように川に降り、男二人でオールを漕ぎだす。 「よし! いくぞオルソ!! 燃えるあぁぁっ!!」 そしてオメロはもっと早く進むためと弟と同化しようとし、オルソも頷いて、二人同時にボートの上に立ち上がり――バランスを崩したボートは、あっさり転覆した。 「ななな何いぃぃっ!? どうしてこーなったぁぁぁっ!!」 そして三人とも、川を仲良く流されていく。 「さて、わたしたちもそろそろ進むとするか」 「そ、そうねっ!」 「……そうしようか」 シュマイトの冷静な一言で、それを見守っていた三人も立ち上がる。 * 丘を抜けた【静かな夜のコウモリ号】チームは、ボートを皆で協力して漕ぎ進めた。 「あっ」 だがその最中、ルイーゼの手から丘で拾った石が零れ落ちそうになり、彼女は慌ててそれをつかみ直した。 ほっとしたのもつかの間、彼女が身を乗り出したことでボートのバランスは崩れ、あっけなく転覆してしまう。 三人とも、水の中へと身を沈めた。 それほど深さはない川なので全く危険はなく、体も十分水面に出る。 「ごめんなさい」 だが、ルイーゼは申し訳なさで身を縮こまらせた。そんな彼女の顔に、水しぶきがかかる。 はっと顔を上げると、そこにはレヴィの屈託のない笑顔があった。 「せっかくだから、水遊びでもどう?」 「でも」 「こういうのも楽しいよ。気にしない気にしない! 流石モフトピアの水だね。とっても快適だ」 そう言ってレヴィはヴァリオにも水をかけた。すると、ヴァリオも大量の水をかけ返してくる。 「ヴァリオさんもやりますね」 自分の失敗を責めないでいてくれる二人に感謝しながら、ルイーゼもいつの間にか、水遊びに加わっていた。 ◇谷 「吊り橋は恐いからそっと行く?」 あかりの言葉に、綾も頷いた。 綾としては川さえ過ぎればどうということはないのだが、皆それぞれ恐いものがあるのは当然だし、揺れる吊り橋を慎重に渡るのは、良い案でもあるだろう。 「モフトピアの、のんびりした雰囲気を味わいつつゴールを目指すのも良いのです」 ゼロもにっこりとそう言うと、三人は吊り橋を渡り始めた。 * 「誰もいないかな?」 在利はあたりをきょろきょろと見回した。 あの頼りない橋を渡るならば、他の者が近くにいない時に行きたかった。激突や揺れは勘弁して欲しい。 幸いなことに、現在は誰もいないようだ。 「揺れに気をつけて、慎重に行こう」 カルムもそう言うと、吊り橋へと進む。 「下は見るんやないで……」 先ほどの川では流れを見極め、ボートの抵抗が少なくなるルートを指示し、張り切ってオールを漕いでいたシャチは、すっかり大人しくなっていた。 実は彼、高所恐怖症なのだ。 だが、自分が一番年上という思いもあり頑張って足を一歩一歩踏み出していく。 * こちらは【はちみつのお菓子とオペラ号】。 「うぅん……困ったねぇ」 ワーブは吊り橋の前で立ち止まって思案する。 丘は普通に歩けたし、川はそのまま渡って何とかなったものの、お菓子で出来たかのような橋は、彼の巨体の前には小さすぎた。梓はワーブの背中越しに吊り橋を見ると、首を竦めるようにして引っ込める。 進めないのは困ったものだが、あの橋を渡らなくて済むのなら、それも良いのかもしれない。 「通れないなら仕方ないよね?」 そんな二人の思いをよそに、リーリスはワーブをあっさりと空中に浮遊させ、移動を開始する。それに伴い梓の体も引っ張られ、足が自然と前に出た。 「ちょ、ちょっと待って、待ってせめて深呼吸する時間くださいお願いしますっ!」 突然展開した事態についていけず、梓は悲痛な声を上げるが、それは揺れる吊り橋の上で、すぐに悲鳴へと変わった。 「ぎゃぁぁぁぁぁぁっっっっ!!!!!」 「あ、あそこに旅団の人たちがいる! 大丈夫~?」 リーリスは吊り橋の途中に引っかかり、ぶら下がっていた旅団チームの人形も浮遊させて助けると、そのまま一緒に対岸へと連れて行く。 「うどぅわぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっ!!!!!」 梓の悲鳴は谷に響き渡る。 それが楽しそうに見えるアニモフもいたのか、何故か盛り上がるギャラリーであった。 * 「……美味しそう! 一口だけなら、壊れないしばれないよね?」 そう独り言を言うと、撫子はお菓子の橋にかぶりついた。口の中に広がる甘い味に体が震え、恍惚とした表情を浮かべる。 「撫子様、おやめください」 気づいたアゲハがすぐに引き離すが、橋にはくっきりと歯形がついていた。 「これ以上被害が拡大する前に急ぎましょう」 アゲハとスイートは、お菓子の橋に未練たっぷりの撫子を引きずるようにして橋を渡る。 * 「しかしこの光景はなんと美しい。いつか良き人と巡り逢えればまた訪ねてみたいのう」 ジュリエッタはそう言いながら、周囲の景色をうっとりと眺める。 すると、唐突に雷が走った。彼女のトラベルギアの能力だ。うっかり発動させてしまったらしい。 やがて橋の上に、雷雨が訪れる。そのせいで歩きにくさが増してしまった。 「何てことをするのじゃ!」 ネモ伯爵がピピーッとホイッスルを鋭く鳴らし、ジュリエッタを指差す。 「すまん」 「むむっ」 そこで、しばらく周囲を観察していたドアマンが声を上げた。 「わたくし嫌な予感が致します。さ、お二人とも、お手を」 彼はそう言ってジュリエッタとネモ伯爵の手を引き、焦らず、ゆっくりと歩みを進める。 そして皆が無事に渡りきったことを確認すると、ふうと息をつき、また先へと進んだ。 * 「正志ー、大丈夫かー」 何だか妙に疲れている正志に、シオンは声をかける。 「は、はい……大丈夫です……」 正志は俯かせていた顔を上げ、口の端を上げて見せたが、やはり表情は硬い。 彼としては、苦手な運動というだけでも疲れるのに、慣れていない女性の仲間が前にいて緊張し、シオンにも着いて行かねばと必死になり、かなり無駄なエネルギーの使い方をしてしまっていた。 途中集中し過ぎて、そういうことはすっかり頭から消えていたが、もう後半になり集中が途切れてくると、一気に疲れが押し寄せてくる。 「少し休憩しません?」 理沙の提案で、皆近くの岩に腰を下ろし、水分補給をした。 「言ってくれりゃ、もっと休憩取ったのに」 「すみません……」 シオンが言うと、正志は申し訳なさそうに頭をかく。 「でも、頑張りたい時ってあるんですよね」 理沙の言葉に、シオンも「まあな」と頷いた。 彼女は先にある吊り橋の方を見る。 「あの橋みてると、お腹がすいてきますね」 「そうですね」 少し休んで余裕が出てきた正志もそちらを見ると、理沙が明るく声を上げた。 「バランスを崩さないように慎重に歩いていきましょう!」 「ゆっくり、焦らずな」 「はい。ゆっくり……がいいです」 正志がそう付け足し、皆それぞれに笑い声を上げた。 * 「こーゆー吊り橋ってね、ゆーっくり行くからコワイんだよぉ?」 一花はそう言ってオメロとオルソを見、不敵に笑った。 「あーっ!? ちょっとあんたたち! さっきはよくもやってくれたわね!! あんたたちのせいでコースからハズレ――」 「だ・か・ら、ダァーッと行っちゃえば良いんだよぉ!!」 何か聞こえた気もしたが、一花は気にせずに同行者を引きずって一気に走った。悲鳴や怒号も聞こえる気がするが、それも無視する。 「きゃはははっ!!!」 それが、致命傷となった。 お菓子の橋は、度重なるダメージについに降伏し、端の方からぼろぼろと崩れ始める。 それに気づいた一花がさらにスピードを上げ、何とか向こう側までたどり着いた時には、すっかり橋はなくなっていた。 「ひっでーっ! なんてことすんだよっ!」 手足をじたばたさせながら怒りの声を上げるイムの横を、すっと大きな影が通った。 トド――北斗だ。 背中には、冬夏が乗っていて、ティアラも掴まっている。三人はそのまま橋の無くなった谷の上を、滑るように進む。 本来北斗が乗せられるのは人間一人くらいだが、ティアラは自らの浮遊の魔法で体を浮かせ、北斗に引っ張ってもらっていた。不完全な飛行の魔法だが、こういう使い方も出来る。 「ずるーい!」 抗議の声を上げるメムに、冬夏が視線を向けた。 「ねぇ、あなたたちは好きな食べ物ってある?」 唐突な問いを理解できずにいる彼女たちに、冬夏は続けて聞いた。 「運動会ならお弁当も楽しみの一つだよね。良かったら、一緒に食べない?」 ぽかん、とした表情のメムとイムが、ゆっくりと遠ざかっていった。 ◇浮雲~ゴールへ 「浮雲が見えたのです」 ゼロの言葉を聞き、あかりと綾の足にも力がみなぎってくる。 「ラストスパート!」 ピッ、ピッ、ピッ、ピッと鳴るあかりのホイッスルの音も、少し速さを増した。 タイミングを計り、乗った浮雲は、上質な綿のように柔らかく、肌触りがとても良い。 振り返れば眼下に、今まで通って来たコースが見え、遠ざかっていく。競技をしている選手や、アニモフたちの姿も小さくなっていった。 「あれ、ゴールじゃない?」 次第に近づいてきた島に、大きな看板が立っていて、その周囲に人やアニモフが沢山集まっている。 「勝ててるかも気になるけど――楽しかった!」 綾の言葉に、ゼロとあかりも笑顔で頷き、モーリンも耳をぴょこんと動かした。 * 「……ゴールした人は、図書館側でも旅団側でも讃えるのです。みんなとても頑張ったのです。これは壱番世界でスポーツマンシップと言われる精神の有り方で、勝敗のある何かに対峙する際世界の安寧を増加させるものとして広く推奨されているものだそうなのです」 優勝したのは、【元気にまどろむツェッペリン号】。 そして2位は【そよ風と緑の戦闘料理号】だった。 あかり、綾、そしてゼロがインタビューに答え終わり、ぺこりと挨拶をすると、今度はカルムにマイクが向けられた。 在利も嬉しそうにしているが、吊り橋の後はさらに高い雲の上だったということで、シャチは何だかぐったりしている。 ちなみに、世界樹旅団の人形チームも1組、4位に入賞していた。 だが、何のことはない。それはリーリスが助けたチームで、【はちみつのお菓子とオペラ号】が3位だったため、4位になっただけである。 ジルヴァは「材料費ケチらなきゃ良かったな」と苦笑いを浮かべていた。 競技の結果、世界図書館の圧倒的勝利。 「負けちまったから罰ゲームだな」というジルヴァの一言により、三人は世界図書館の皆と弁当を一緒に食べることとなった。贅沢なことに、ドミナの笛の演奏つきである。 イムとメムは悔しがり、世界図書館と弁当を食べるなんてヤダ! と、少し離れたところで食べていたが、それなりに楽しそうではあったという。
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