★ フェイズ2:決戦!タナトス神殿 ★
イラスト/モロクっち・桃月りな


 結界は破られた。翼が落ち、空の孤島であったはずの神殿には、いま、地上からの橋がかかっている。それは神と兵団にとり、まったく想定外の戦況だった。
 しかし、相手はただの人ではなく、神の力によって現された奇跡たちと、夢みる人々だった。死の神の子が相手取らねばならなかったのは、夢の神の子だったのだ――。


 ギリシア様式の神殿には、扉がない。短い石段を上れば、大列柱室に直接入れる。しかし、タナトス神殿を目前にしたシャノン・ヴォルムスは、眉をひそめた。ずらりと並んだ巨大な柱の間は、まったくの闇なのだ。いまは空が不自然に暗いが、それにしても。
「ちょっと待って。一人で偵察になんか行かせないわよ」
「誰がいつ一人で行くと言った?」
「何にも言わないで今にも飛び出しそうだったじゃない」
 シャノンの横に立ったのは、リカ・ヴォリンスカヤだ。シャノンと同じ通信機を持ち、チャラチャラと得物のナイフを左手の中で転がした。
「やけに静かだ。中も見えない」
「嵐の前の静けさっちゅうやつか。偵察役もおることや、先手打たれる前に行かなあかんな」
 竹川導次が、ポンと手際よく灰を落とし、いつもくわえている煙管を懐にしまった。顎をしゃくるように背後を振り返り見て、彼はいつも以上に低い声を出す。
「おウ、覚悟はええか?」
「ああ」
「うん」
「もちろん」
「よし、行ったれ!」
 導次の『号令』に真っ先に応じたのは、悪役会のチンピラやヤクザたちだった。それは結局、この神殿攻略に挑む者たちすべてに対する号令になった。
「セーラちゃん、奥にいる……」
 にわかに騒がしくなった神殿の前でリオネがつぶやいた。すいっ、と宙を泳いでやってきた青いイルカが、リオネに向かって頭を下げる。
「のって。走るのより快適だよ」
「イルカさん、でも……」
「コーディ。大丈夫、心配しないで。みんなついてるから」
 リオネは強張った顔で頷いた。コーディの言うように、安心してはいられないようだったが。


 巨大な列柱をくぐれば、空気はたちまち一変する。
 闇には、温度がなかった。あらゆる生命の息吹も。
 蟻や羽虫の1匹すら暗黒の中にはなく、まったくの無風で、音と言えば自分たちが生んだものだけ。住民たちは、五感が一度に麻痺してしまったかのような錯覚に囚われた。  最初に神殿の中に飛びこんだのは、導次の号令に発破をかけられた悪役会の下っ端たち。それにつづいていたのは、レミントンを携える柊木芳隆。柊木はそこで――列柱の半ばで、唐突に足を止めた。
 待て。
 悪役会の下っ端たちを、彼は止めようとした。

 ぢゃ、

 らららららるららららららッ、ざシん!

 そして数十の断末魔!

「止まれ!」
「待って!」
「なんだ、どうした!」
「照らせ! 暗くてわからん!」
 シュウ・アルガとバロア・リィムが、誰のものなのかもわからない指示を受け、魔法で虚空に火を灯した。天井から……長く、太い鎖が、無数に……床に向かって落ちていて……鎖の先に……巨大な錨のような、ギロチンの刃のようなものが……そうだギロチンだ……ギロチンの刃が……ついていたのだ。
 真っ二つにされたムービースターたちが、黒い鉄塊の下敷きになっていた。

 かキ、かキ、かキ、か・か・カ・カ・カ。

 鎖が巻き上げられ、凶悪な処刑具がゆっくりと天井に戻っていく――

「かかれッ!!」

 柊木の号令が響き、神殿の入口をずらりとSATの一個小隊が固めた。出現のコンマ5秒後には、レミントン×約20が一斉に火を噴き、巻き上げられている途中のギロチンが、木っ端のように吹き飛ばされていた。
 そして、列柱室にずらりと並ぶ柱の陰という陰から、屈強なタナトス兵が現れたのだ。かれらは獅子の咆哮のようなときの声を上げ、槍と盾を構え、大挙して挑戦者たちに襲いかかってきた。
「そう来ないとな! ククク……俺はしぶといぞ!」
 シャノンが牙を見せて笑い、2丁の銃を前に突き出した。


 バラの香りだ。それに初めに気づいたのは、アルだった。正確に言えば、彼の使い魔の黒猫。香りはざわざわと音を伴い、近づいてきているようだ……。
『神に刃を向ける咎人ども。無粋にして無礼であるか。或いは無頼か。殿中である。粛然とせよ』
 すべての戦う住民の頭の中に、さざなみのような低い声が、割りこんできた。
『それとも、死して沈黙を捧げるか』
「おことわりだよ」
 レナード・ラウは口の端を吊り上げ、ポーランド製のサブマシンガンを闇に向けた。引き金を引いた。軽快な音が、高い天井で跳ね返る。そして、筋肉を武装とする兵士たちの身体から血がしぶく。
 だが、彼らはひるまないのだ。肉は爆ぜ、血は霧のように飛び散り、石畳に滴り落ちているのだが――彼らは死や負傷を恐れていないらしい。
「死が恐ろしくないのは……こちらも同じだ」
「しかし、面倒だな。壁が迫ってきているのと変わりない」
 ラウはウォンのそばにいる。ちらりと周りを見回せば、リカとシャノンも、充分「近く」にいるとわかる。彼らは神殿内を先行して進み、構造や罠、敵の位置を偵察する手筈だった。現実はこうだ。後続であるはずだった仲間とともに、一進一退である。
 そしてバラの香りは、ゆっくりと彼らに近づいてきているのだった。
「――ミダス!」
 鬼と化したランドルフ・トラウトの咆哮。そしてバラの香りは、いまや彼らの足元にある。
 黒いバラだった。かさかさ、ざわざわと、その棘のついた茎、葉、黒い花びらは繁茂し、枯れていく。彼が歩くと、黒いバラが生えて、枯れていくのだ
 白髭をたくわえ、布と冠で髪と耳を隠した老人。彼はミダス。目を閉じたまま、歩いている――。
「大将が来やがったッ! おい、交渉係! あいつは俺様が……じゃなくて、俺たちが引き受けるぜ。リオネ連れて、早く行け! お嬢ちゃんにビシッと言ってこい!」
 ごゥ、と烈風を喚びながら、シュウが叫んだ。ひらひらと、赤や青の伝令蝶が、紙ふぶきのように舞った。
「シュウ、あなた、リオネの護衛でしょ!」
「まあまあまあ、かたいこと言うな。ミダスを止めるのも護りのうちだろ!」
 ツッコミを入れたリカに、シュウは豪快に笑って返す。彼と彼女の隣を、リオネを伴う仲間たちが駆けていき――バラの主が、ため息をつく。

『死して沈黙を捧げよ』

            ゴ   。


 っ。


「!!!」
 幾本もの黒い光の鞭が、バラと銀幕市の住民を薙ぎ払う。漆黒の神父――クロスが瞬時に繰り出した対魔法防御壁が、何人か救った。クロスも含めて、壁の後ろにいた者は無傷ですんだが、次の瞬間には兵士の槍を避けねばならなかった。
 ランドルフは堪えた。獰猛な唸り声を喉の奥から漏らしつつも、その一撃では倒れない。彼の後ろには、流鏑馬明日がいる。彼女にとっては、ランドルフが壁だった。
「人を救うためにここに来てるのに、助けられるなんて……全然ダメね、私!」
 ランドルフの脇腹の横から拳銃を突き出して、明日は撃った。命中した。ミダスの前に立ちはだかった兵士の、左胸に。ランドルフが拳で追い討ちをかける。オーガに殴りつけられた兵士の兜は、大きく陥没した。死の尖兵はものも言わずに倒れ、もう起き上がらなかった。
 いつもより、力がみなぎっている気がする。ランドルフは首をかしげる。その疑問には、いいタイミングでクロスが答えた。ちりん、と笑顔で鈴を鳴らしながら。
「失礼ながら、皆様の力を増幅させていただきました」
『天晴れ。しかし、その程度ならばこのミダスにもできる』
 きュ、イん!
 騒々しい戦場を、耳ではなく感覚が捉える高音が馳せた。
 タナトス兵の動きが、一瞬にして倍速になった。ひとりの兵と対峙していたアルの右腕が飛んだ。次の瞬間には脇腹に風穴を空けられ、蹴り飛ばされていた。
「ミダ、ス!」
 しかし、吹き飛ぶその一瞬の間に、アルの傷口はふさがり、腕は再生した。彼はミダスを呼び、赤い魔眼を見開いていた。ミダスが振り向く。だが将は目を閉じていた。
 だめか!
 いや! 無駄ではなかった!
 ごうっ、と唸りを上げて、アルを見たミダスの背に、大剣が迫る。動く漆黒の全身鎧、いや大鳥明犀の、死神としての姿であった。
『認むるべきは、夢の力の強さか』
 大鳥の背後に転移したミダスであったが、静かに笑みをこぼす彼のローブの下に、ぼとりと血を噴く右腕が落ちた。


 リオネを護りながら走る彼らの視界が、突然開ける。灯らしい灯もないが、そこはうすぼんやりと明るく、ドーム状の高い天井や、正面の黒い玉座が見えた。
「セーラちゃん!」
 玉座には、白い顔の少女神が座している。玉座の周囲を囲むように、黒い丸鏡が浮遊していた。鏡の中に映りこんでいるのは、地上や神殿内の様子だ。コーディの背から飛び降りたリオネは、鏡の映像を見て凍りつく。
 李白月が、リオネよりも前に飛び出した。円形の玉座の間の中央へ。もっと前へ。罠はなく、兵士もいない。トゥナセラも白月や、彼同様に前進する者たちを、止めようとはしなかった。
「ミダスを突破してくるなんて、らんぼうね」
 神の子が右手を動かすと、鏡のひとつが動いて、正面を向いた。列柱室の映像が、鮮明に映りこんでいる。ミダスは倒れていないが、住民側がおしていた。床には、動かなくなったタナトス兵とプレミアフィルムが、累々と転がっている。
「乱暴なのはお互い様だろ」
 白月が吐き捨てた。
「リオネがやったことは確かに罪だ。迷惑してる奴もいるし、悲しんでる奴もいる。でも今、お前だって神の力で大勢に迷惑かけてるんだ。お前のやってることは罪じゃないのか?」
「わたしは、今すぐこの街のバランスを正すべきだと思ったの。世界はせんさいなのよ。ひとつが狂ったらとなりも狂うの。はぐるまみたいに」
「いや、世界はきみが思ってるより強い。ゆっくりもとに戻っていくさ」
 そう言った取島カラスを、ぎろん、と死神が見つめた。黒い目は動いた。カラスのとなりのユージン・ウォンへ。
「死がすべてを丸く片づけられると思うな。俺はリオネに墓を暴かれた死人だからわかる。死は万能ではないし、神聖なものでもない。それとも、一度も死んだことがないお前にはわからないか」
「あなた、なに言ってるの。もしかして、『自分が本当に生きてると思ってる』?」  トゥナセラはわずかに笑んだ。ウォンを嘲っているようにも、憐れんでいるようにも見えた。
「パパもママもないあなたたちムービースターに、ちゃんとした『生命』があるわけないでしょ。……見なさい、リオネ、狂ってる。あなたがせつりを狂わせた世界の結果よ。この『存在』が!」
「ね、ねえ。りおねがわかってないこと……まだあるんじゃない? せーらがわかってるなら、ちゃんとおしえてあげてよ」
 意を決したようなトトの問いに、トゥナセラは明らかな反応を示した。トトを――、いや、リオネをキッと睨みつけたのだ。
「わかったわ。……わたしたちは、『たったひとり』のお願いをむやみにかなえちゃいけないことになってるの。えこひいきする気持ちがなくたって、混乱をまねくことがあるからよ。……わたしね、昔、お願いを聞いてあげたの……死にたがっていた人がいて、かわいそうだから、殺してあげたの」
 トゥナセラの声は震え始め、それを聞くリオネは、目を次第に大きく見開いていく。
「大変なことになったわ。その人が死んだせいで戦争が起きて、世界がめちゃくちゃになった。わたしが殺してあげたばっかりに。……わたし、すごく怒られた。10年間タルタロスでぶたれたわ。そ、それなのに……それなのに、リオネはどうして……」
 トゥナセラの両目から、いつの間にか、どろどろと涙が流れ出している。
 赤い涙だった。
 ただの血とも言えるだろう。
「リオネはどうして……、『たったひとり』のお願いをかなえて、街ひとつ滅ぼしかけてるのに……、どうして! ずるいわ! なんで、あんたは! あんたはぁああ!!」
 ごぅ、っ!
 トゥナセラの怒りが爆発して、幼い金切り声がドームの中を跳ね回った。ついこの間、銀幕市を動く屍で埋めつくしたときの、あの黒い衝撃も走った。

 見よ、夢の力に斃れた兵どもが、傷口はそのままに、立ち上がる。

 ドームの入口や、神殿内だけにとどまらない。黒いオーロラは銀幕市を蹂躙した。討たれた将が、兵が、銀幕市中央病院の前で……蔦の道を維持する女王のまわりで……むくりむくりと、立ち上がる。
 首のない兵も、腕や足が飛んだ兵も、傷から骨をのぞかせている者も。
 立ち上がる、よみがえる。落とした得物を拾い上げ、疲労の色を隠せない住民たちに、ゆっくりと迫る……。

「お願い、……神様。皆を殺さないで」
 震える唇で、三月薺が『願う』。それは、たったひとりの願いだったわけではない。

「セーラちゃん、おねがい、やめてぇ! おねがい!」




 はっ、とトゥナセラがドームの高い天井を見上げた。
 今まで彼女が一度も見せなかった感情が、黒い目の中で揺らいでいた。恐怖だ。
 カラスとコーディが弾かれたように動いていた。トゥナセラを守るためだった。玉座に座したままの少女神に――
 無数の鎖が、降る。

 時計の針を止めたかのような、見事な一瞬だった。
 タナトス兵の動きが、ぴたりと止まっていた。槍を突き出し、あるいは盾で攻撃を受け止め、あるいは今にも走り出そうとしている体勢のまま、まるで彫像のように。
「ほ、ほ。間に合ったようじゃな」
 トゥナセラの前に、黒いローブを着た人影が、突然――姿をあらわしていた。
 フードをすっぽりとかぶったその顔は、不自然なほどに完全な暗黒の中に落ちていて、目鼻立ちはおろか、口元さえもうかがえない。ただ、そのフードの闇からは、年経た男のため息と、声が漏れてくるのだった。
「儂の孫が、とんだ騒ぎを起こしてしもうた。この子にかわって儂が詫びよう。セーラには罰を与える。この子の気持ちもわかるがの……これはさすがに、やりすぎじゃて。オネイロスが血相を変えて儂にもとにやってきたぞ。リオネ、おまえさんが受けるべき罰を成就させるためにのう」
「ま、待ってくれ。セーラ……トゥナセラには、どんな罰を?」
 カラスが思わず神に尋ねた。玉座の前に、トゥナセラが倒れている。重そうな鎖に絡め取られて、気を失っているようだった。刃の翼は折れ、服は破れて、血まみれだ。
「人間は、知らぬほうがよい」
 死の神はゆっくりとかぶりを振り、黒いローブをばさりとひるがえした。彼の手も、身体も、結局何も目には映らなかった。ぢゃらりと重い鎖の音が響き、ぐったりしたトゥナセラの姿は、彼女の祖父と一緒に消え失せていた。
「……セーラちゃん!」
 空っぽになった玉座に向かって、リオネが走る――
「まるで悪夢よ」
 三月薺が、大事に抱えていた箱を、取り落とした。涙が出てきた。結局、渡せなかった。仲直りの記念にするつもりだった手作りのケーキ。壊れた箱から飛び出したケーキは、たったの半日で……
「楽しい夢だけじゃ、バランスが……悪いの」


 ン めぇえええええええええええぇ。


 羊のあくび。
 夢の終わり。
 トゥナセラは……もう、いない。







<登場人物一覧>

リカ・ヴォリンスカヤ シャノン・ヴォルムス コーディ 柊木 芳隆 シュウ・アルガ バロア・リィム アル レナード・ラウ ユージン・ウォン ランドルフ・トラウト 流鏑馬 明日 クロス 大鳥 明犀 李 白月 取島 カラス 三月 薺 





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