「今年はクリスマスの招待状を出さなかったの、エヴァおばさま?」 アリッサがレディ・カリスに訊ねた。「お祭りなら0世界大祭をやったばかりでしょう?」 レディ・カリスはため息まじりに応える。 例年、クリスマスの時期には『赤の城』で盛大な晩餐会と舞踏会を催してきたのだが、今年は旅団戦争での人的・財政的被害への配慮や、リチャードの喪中であることなどから、きらびやかな催しは自粛しようというのがカリスの考えのようだった。「それに、エイドリアン卿からはしばらく公式行事への出席も控えたいとの連絡があったわ。奥様のご体調がすぐれないとかで」「うーん。事情はわかるけど、楽しみにしている人も多いし、少しでも明るい話題は多いほうがいいかな、って思うの。ああ、もちろんダイアナおばあさまの捜索も続けるわよ。だから……ね?」「……」「そうだ、今年はナラゴニアの人も招待したら?」「……。もしやるなら、人狼公は招くべきでしょうね」 そう言ってから、レディ・カリスはふとなにかに思い至ったように表情を変え、目をしばたいた。「アリッサ」「なぁに?」「貴女……」 そして、問うのだ。「人狼公のことは、どのように思っているのです」「えっ? どのように……って、どういうこと……?」「……。やりましょう。今年も舞踏会を」「???」 一転して意向を翻すと、そうと決まったら早急に準備をしなければ、と立つ。(そうだわ。なぜ気が付かなかったのかしら) 美しいおもてには出さないが――(図書館と旅団の融和を進めるのに、こんな優れた方法があるかしら……) 静かな“陰謀”が動き出していた。 † † † かくして、急遽、『赤の城』での舞踏会が開かれることになった。 あまりに急だったので、『赤の城』の人員だけでは間に合わず、今年に限っては一般から手伝いが募集されたという。 それでも、催しは格式高く、華やかなものになりそうだった。 招待状は誰でも入手できるので、今年もホールはいっぱいだろう。 今年の趣向は『赤』とされた。 赤の城、そしてクリスマスにちなんで、「装いのどこかに赤を加える」ことが唯一のドレスコードとなった。=============!注意!パーティシナリオでは、プレイング内容によっては描写がごくわずかになるか、ノベルに登場できない場合があります。ご参加の方はあらかじめご了承のうえ、趣旨に沿ったプレイングをお願いします。=============
■ 宴のはじまり ■ 急ごしらえといいながら、大勢の協力者がいたこともあって、夜会は実に賑々しく、華やかに人々を迎えた。 やさしい夜に包まれた赤の城へ、着飾った客たちが訪れる。 ユーウォンもその一人だ。 「はい、コートかお荷物があればお預かりするでやんす」 旧校舎のアイドル・ススムくんがクローク係として、入り口に構えていたが、よく見ればススムくんたちはほかにも大勢いて、案内、警備から給仕まで、およそあらゆる役をこなしているのであった。 本人の弁では300体はいたという話だ。 ススムくん含む、スタッフたちに采配を振るっているのはドアマンである。 「御機嫌よう。どうぞ一夜の夢をお愉しみ下さい」 優雅な挨拶とともに、客をフロアへ送り出す。 ここは本職の面目躍如。スタッフと連絡をとりあうインカムも様になっている。 ドアマンが護る扉の先は、大ホール。 今夜は立食形式で、テーブルのうえには銀食器に盛られた豪勢な料理の数々が並ぶ。 「追加料理出るでやんすよ~」 厨房から新しい料理をもってススムくんがあらわれた。 料理は山のようにあったが、消費のスピードも速いようだ。というのも…… 「ここで食べだめしてお正月までの食費を浮かすですぅ…もぐもぐ☆」 川原 撫子のように、すごい勢いで食べているものがいるからだ。 ちなみに、赤いサンタ服の彼女、サンタの袋の中には空のタッパウェアがたくさんある。もちろん料理を詰めて持ち帰るつもりだからだ。自分へのプレゼントを確保にきたロンリーサンタなのである。なお、本日、ここへは一人で来た(「二人連れの人が羨ましくないって言ったら嘘になりますけど相手も居ないからいいんですぅ☆」)。 「足りなかったら持ってくるから言ってほしいんだぁ」 撫子の食べっぷりをニコニコ見ながら、トレーに載せた飲み物を配り歩いているキース・サバイン。 撫子にグラスを渡す。 「ありがとうございますぅ。メリークリスマス☆」 ヴァージニア・劉も給仕として働いていた。 「食費のかかる居候がいるから稼がねーとな」 空いた大皿を下げつつ、皿のうえの残りものを、人々の目を盗んでぺろり。 「ん。さすがパーティー料理だけあって豪勢だ」 味は申し分ないものだった。 彼もまた、ひそかにタッパウェアを持参していた一人である。 厨房に下がるや、そっと持ち帰りを試みる。――と、気がつけば目の前にドアマンが立っている。 「!」 咎められるかと思いきや。 彼は口のまえで人差し指を立てて、ウィンク。お客の目に留まらなければ、すこしくらいはお目こぼし、というわけらしい。 「失礼。壱番世界の方ですよね」 イェンス・カルヴィネンに声をかけてきた青年は、アンブロシュ・カールニークと名乗った。その連れはデニス・エルロイ。 アンブロシュは最近、0世界へ来たのでまだいろいろなことが把握できていないのだと話す。 イェンスは、アルウィン・ランズウィックが次々に取ってくる料理の皿を受け取り、彼女がもぐもぐ食べたあとの口のまわりのソースをふき取ったりしながら、アンブロシュのインタビューに答える。 「へえ、ライターさんなのだね。僕もすこし文筆業のようなことをしているけれど……こら、アルウィン」 「イェンス、これ美味しいぞ」 「可愛らしいレディですね」 アンブロシュにそう言われて、アルウィンはぱっと頬を染めた。 アンブロシュはいつもの彼女を知らないだろうが、髪をととのえ、ふんわりしたドレスに赤い靴のアルウィンはなかなかだ。 「ア、アルウィンは、もう5さいのおねえさんだからな!」 照れを隠すように、胸を張る。 「写真を撮っても?」 デニスがカメラを構えて、聞いた。彼はカメラマンのようだ。 「もちろん。さあ、アルウィン、撮ってもらおう。さ、笑って」 「皆、ニコニコ顔。イェンスもニコニコ。大好き、たのしい」 パシャリ、と今夜の記念撮影。 「ところで、レディ・カリスというのは?」 「それなら、ほら、あそこの赤いドレスの方がそうだよ」 「どういう人なんだろう。今夜の主催者と聞いたが」 「そうだねえ……。彼女を怖いとか厳しいとか言うひともいるけど、僕は、とても賢明な女性だと思うけれどね」 さて、こちらはジル・アルカデルト。 並んだ料理に目を輝かせている。 「うぅ、美味しそうな料理ばっかりや。さあ、なにから食べる、ビィちゃん。……ビィちゃん?」 いろいろあって彼のアフロ髪のなかにはシェイムレス・ビィが住み着いている。 今夜も、ジルは彼女に美味しいものを食べさせてあげようと来たのだったが、いつのまにかアフロの中にいない。 「!?」 慌てて髪を探りながらあたりを見まわすと、……いた。ケーキ類を中心に、テーブルのうえで甘いものを食い散らかしているビィ。大きなイチゴの乗ったケーキを模した帽子をかぶっているので、ケーキがケーキを食べているかのようだ。 「ビィちゃん!」 「あ? 何か言った?」 すい、とジルの頭に飛んで帰還。 「これ美味しいわよ。こっちのもすっごく甘い!」 「そうか。よかったなぁ」 とりあえず、楽しんでくれてるならよしとしよう。 ビィはその後もジルの頭を母艦にして、食べ物を調達してはそこで食べるを繰り返したので、ジルのアフロのなかにはスイーツがしこたま貯蔵されることになった。 そうこうしているうちに、フロアに流れる音楽が変わったようだ。 むろん、生演奏である。それまで静かなBGMだったのが、より軽快なものに。 ジルは言った。 「よっしゃ、腹ごなしにちょっと踊ろか!」 「え? ちょ、やだ、きゃーーーー!」 かろやかにステップを踏むジルに、振り回されるビィ。まるでボールのように、彼の腕や肩のうえを、弾むようにくるくると回るのだった。 ■ 舞踏会 ■ (テューラの、演奏が、少しでも、舞踏会の、彩りに、なれば、いいな) テューレンス・フェルヴァルトは、そう思いながら、横笛を奏でる。 胸の水晶「カネート」が音楽に反応して色を変え、光を放つ。 今夜は楽団も、有志のロストナンバーが集まった。ムジカ・アンジェロとロナルド・バロウズもバイオリンで参加だ。 ロナルドはきちんと正装しているのに、どこか洒落っけのある空気がつきまとう。ダンスタイムになって曲調がかわるとそれはいっそうあらわになり、とうとう、演奏しながら、自身もくるくる踊り出す。 「やっぱり俺、こういうのが性に合ってるんだよねー」 少し呑んでいるようだ。 だがロナルドの演奏は彼自身の楽しい気持ちが伝わってくるようなもの。ムジカやテューレンスたち、ほかの奏者もそれに応えるようにアドリブをまじえ、音楽は盛り上がってゆく。 そんななか、フロアには何組ものカップルたちが手に手をとって踊りはじめていた。 「ほら、昔話したヴォロスのフラン。よろしく!」 虎部 隆はエスコートしたフラン・ショコラを知人・友人に会うたびに紹介して回っていた。 「初めまして、フランです。えっと……色々とよろしくおねがいします」 フランもたびごとに頭を下げ、挨拶する様子が健気である。 三段のフリルで飾られたスカートがふんわりと広がったサックスブルーのワンピースに、赤い薔薇のリストブーケ。華美ではないが、よく似合っている。 「フラン!」 「はい?」 「今日はフランを会場で一番の女の子にしてやる! 踊ろうぜ!」 隆はフランの手をとり、教会から花嫁をさらったように、フロアへと駆けてゆく。 それから―― ほとんど振り回さんばかりのターンや、ひときわ高いリフトをまぜた、隆のとびきり激しいダンスに、フランは嬌声をあげた。 最後は目を回して彼によりかかってしまうほどだったが、それでも、それは楽しい一夜だった。 「やあ、キミはこの間の」 瀬崎 耀司は、南雲マリアに声をかけられ、微笑を返した。 左目の赤が閃く。 「よかった。知ってる人がいて、心強いです」 「そう? きみは場慣れしているように見えるけれども。僕は舞踏会なんて初めて参加したよ。ワルツなんてものはまったく知らなくてね。キミは踊れるのかい?」 「いいえ。でも憧れます」 すでにフロアでステップを踏んでいる人々へ、マリアは視線を向けた。 「では、やってみよう」 「えっ」 「何事も、やってみなくてはね。僕でよかったら、こちらからもパートナーをお願いしてもいいかな?」 そう言って、耀司はマリアの手をとるのだった。 「こういうのやってみたかったの。付き合ってよ仁科」 「ドアマンさんやモリーオさん誘えば良いのにー」 「バカね」 脇坂 一人に誘われ、口ではそう言いながらも、まんざらでもない仁科 あかりだ。 ふたりのセクタンたちが真似して足元で踊るので、思わず踏んでしまいそうになり、避けたらパートナーの足を踏む。だがそれさえ楽しくて、きゃあきゃあいいながら、踊るふたりである。 一人の、赤いアスコットタイをあしらったスーツ姿は様になっている。あかりは、ちょっと気恥ずかしくて、目を伏せた。 「仁科」 そんなあかりに、一人は、そっと告げる。 「何があっても傍に居るわ、仁科。私達、親友よ」 「かっちー、有難う。何かあったらわたしが守るよ」 ファルファレロ・ロッソはベルダと踊る。 「あんたとは、ホントに腐れ縁だねぇ」 ベルダが言うと、ファルファレロはふん、と鼻で笑った。 「こっちのセリフだ。……ターミナルで会った時ゃたまげたぜ」 十年来の知己と、ロストナンバーとして0世界で再会した。 まれにだがそういう話は聞かないでもなく、それは運命というものの存在を思わせる。 「少しはダンスもできるようになったみたいね」 「いつまでもガキ扱いはよせよ」 ファルファレロの笑みが、不敵なものにかわる。 ぐい、とベルダの腰を引き寄せ、耳元でささやくように、低く言った。 「一つ賭けねえか。この曲が終わるまでにてめえを落とせたら俺の勝ち、俺がてめえに落ちたらそっちの勝ちだ」 「面白そうね。けど、私のテーブルのレートは高いけど、いいのかい?」 「あ、あの……っ」 「うん?」 「も、もうすこし、ゆっくり」 「よし。……しかし初めてにしては上手いんじゃないか」 有馬 春臣に言われて、氏家 ミチルは真っ赤になる。 今夜は料理目当てでやってきた。とりあえず赤いドレスは着てきたが、春臣に「君も若い女の子である事だし、こういうものを経験しておくのも悪くなかろう」と言われたときは思わず噴出してしまった。まさか本当にフロアに連れ出されると、あとは緊張で、なにがどうなっているのかわからない。 「ほら、あまり離れると様にならんぞ。くっついても今日は怒らんよ。楽しみたまえ」 「は、はい……」 春臣の手はあたたかい。 (神様、死んでもいいです……) もっとゆっくり、と言ったのは、ペースが速くて着いていけないからだけではない。 この輝くような時間が、終わってほしくないからだ。 「あら、私なんかを誘ってくれるの?」 それがクローディア・シェルの第一声だった。 彼女にダンスを申し込んだコージー・ヘルツォークは、トレードマークの眼鏡はなく、赤いチーフを胸に挿した白の正装。 「私なんか、だなんてずいぶんだな。そんなに綺麗なのに」 コージーは穏やかに微笑む。表情はやわらかく、振る舞いもいつもより優雅だった。 「いつも以上にドレスが映えるね、姫様。一曲、お相手お願い出来るかな?」 「……。いいわ」 承諾したクローディアを、コージーはエスコートする。 曲に乗せて踊りはじめれば、存外に巧みなことに、クローディアは意外そうだ。 どう?驚いた?と言わんばかりの、どこか大人びた微笑に、彼女は思わず目を伏せる――。 アルド・ヴェルクアベルは飛天 鴉刃と。 赤薔薇の簪を飾った鴉刃をタキシードのアルドがリードする。鴉刃はある程度は練習したようだが、付け焼刃だから、と言って尻込みするのへ、アルドは「その場のノリでなんとかなるものだから、そんな緊張しなくてもいいよ」と笑ってみせた。 あきらかに照れる彼女を微笑ましく見つめながら踊るうち、鴉刃もダンスに慣れてきた様子。 「ん、ここから先は何となく分かるぞ。こうで、こうして……こうか!」 「え? って、ちょ、あれ?」 なにがどうなったのか、鴉刃がアルドを抱え上げてしまった。いわゆるお姫様抱っこの姿勢だ。 「……ん。何かがおかしい」 「男女逆!逆!」 く……ふふふ……。思わず笑いが漏れた。 「ちょっと、鴉刃ぁ~」 しばらくそのまま。 人前でも堂々と、身を寄せていることの、すこしの気恥ずかしさと、反対にどこか誇らしいような気持ち。 抱かれる形になったアルドはちょっとぴり複雑だけれど、鴉刃が嬉しそうなので、まぁいいか、と思った。 「あ――」 エレニア・アンデルセンの足がもつれそうになるのを、イルファーンが背中に回した背で支える。それさえも優雅なダンスの一部のようで、かけられた微笑みに、エレニアもまた微笑みを返す。 (西洋風のダンスは初めてなんだ。上手くできるか自信がないから教えてくれると有り難い) そんなことを言っていたくせに、イルファーンの振る舞いは礼儀の面でも技巧的にも申し分ないものだった。 「本当に素敵なパーティーですね」 エレニアは言った。 彼女の装いが赤であるように、今夜のドレスコードに従い、参加者たちはそれぞれに趣向を凝らして『赤』を持参してきている。それが、まるで赤い花びらが舞うように、フロア中に点在している。 「イルファーンさんの瞳も、同じ色ですね」 見ていると、引き込まれそうな深い、赤――。そのなかに、エレニアの意識も、夢のように溶けていってしまいそうだ。 「寄り添い踊る君の心臓の鼓動を感じる……」 イルファーンは言った。エレニアはそっと頬を染めた。 「この瞬間が永遠に続けばいいのに」 「私も……そう思います……あっ――」 かろやかな一陣の風のように、イルファーンの唇がエレニアの唇を奪った。 「時よ止まれ。君は美しい」 アクアーリオ・ガウリコは、壁にもたれて、フロアをぼんやりと眺めていた。 レースとリボンがいっぱいの青いドレスだ。髪にもレースの花の飾り。約束の『赤』は手首に巻いた赤いリボンと、薔薇のブローチである。着飾ってはいるが、なかなか場には入っていけない様子だ。 「退屈してんなら一緒に踊らねえか?」 そんなアクアーリオに、リエ・フーが声を掛ける。 「あ…あなたはいつかの……うん、いいよ」 戸惑った様子ながら、はにかみとともに、申し出を受ける。 ふたりはフロアの隅でゆっくりと踊りはじめた。 「リーラは元気にしてるぜ。見違えるようないい女になった。銀鳳も銀凰も」 おもむろに、リエは言った。 アクアーリオは驚いたようだったが、やがて、表情がやわらかにほどけ、明るいものに変わった。 「リーラおねぃちゃんが…? 本当? よかった。 あれから元気だったんだ」 「お前さえよけりゃ、弓張月に連れて行ってやりたいんだが」 「本当? ボク、おねぃちゃんに会いたい。会わせてくれるの?」 「リオ。俺はな」 いつになく真剣な面持ちで、彼は語った。 「いつか、インヤンガイに帰属できればと思っている。そうできたら、弓張月の用心棒になりてぇんだ。……あそこは行き場をなくした娼婦達の受け皿だ。そのときは、リオも来るか。あそこならお前も姉貴と水入らずで過ごせる」 「帰属……? そうか…そういう方法があるんだね?」 アクアーリオは、じっと考え込むように、おし黙った。 「随分お上手ですね」 ユリアナ・エイジェルステットは、ニコ・ライニオのダンスに感心したようだ。 「ありがとう。舞踏会でユリアナちゃんと踊れるなんて、夢みたいだよ」 と、ニコ。 ユリアナは薄桃色のドレスだ。ネックレスについた赤い宝石が今宵の『赤』。 もう一つ、ユリアナの胸には赤いバラが一輪、咲いていた。それはニコが彼女にダンスを申し込む際、跪いて捧げたもの。 ニコの振る舞いはいつも手馴れていて、それがかえって心配になることもある一方、決して嘘は感じられないがゆえ、惹かれる気持ちは止めることができない。 ふたりはもはや言葉はいらないとばかりに、その夢の時間を存分に楽しんでいる。 そしてこちらは異色のふたり。 赤いドレスのアマリリス・リーゼンブルグは、優雅にして凛々しく、男女問わず見るものの目を惹きつけ、とらえずにはいられない。 そして相手役を務めるのはガルバリュート・ブロンデリング・フォン・ウォーロードだ。 例によって胴体部分は下穿き以外身につけていない。いや、違った。今夜は赤い蝶ネクタイを締めていた。 だがこの巨漢、これでも王宮に仕える騎士であった。ダンスのステップはスムーズで、アマリリスをリードする所作はそつがない。そうすると、剥きだしの筋肉すらエレガントに見えてくる。 この男、ただの変態ではなかった……!と彼を見直したものも多かった。 「なかなか上手いな」 とアマリリス。踊ろうと声をかけたのは彼女のほうだ。なかば戯れの気持ちもあったのだが。 「恐悦至極。社交の場もまた、騎士の戦場のひとつなれば、これもまた嗜みであろう」 ふたりのダンスはいろいろな意味で周囲の注目を集めていたので、次第にガルバリュートの肉体はてらてらと艶を増し、兜の下で吐息が荒くなってゆくのであった。 「嬉しい! くまさんと踊るの夢だったの!」 メアリベルははしゃいでいる。 ヴァン・A・ルルーと踊れるのが嬉しくて仕方がないようだ。 あどけない少女がくまとダンスする様子は、傍目にもどこかメルヘン。人々は微笑ましく目を細めたが、きゃっきゃと笑いながらしきりに話しかけているメアリベルの言葉をすれ違いざまに拾えば、「頭がベッドの下に……」とか、「41回めったうちにして……」とか、物騒な言葉が聞こえてくる。 「どうしてくまさんはそんなに真っ赤なの? 頭から血を被ったみたいね」 メアリベルは、ルルーに訊ねた。 「この赤はすべて“罪”の色ですよ、……なんて答えられたのならロマンティックなのですが」 「あら、違うの? メアリの髪も赤くておそろいよ。カップルに見えるかしら」 「赤いくまと赤毛の女の子のカップルに見えると思いますよ」 なぞなぞのような言葉遊びは、ダンスとともにいつまでも続く。 「ねえ……もしよかったら……」 ニワトコは、夢幻の宮をダンスに誘った。 赤の城の舞踏会は、ニワトコにとって初めて目にするものばかり。きらびやかに着飾った男女のダンスを、咲き乱れる花か、満天の星空を眺めるように、瞳を輝かせて見入っていた。そして夢幻の宮は、傍らでそっと、そんなニワトコの様子を見守っていたのだが。 「お受けします」 彼女は誘いに応じた。 今夜は、いつもの装束ではなく、場にあわせて白いマーメイドラインのドレスだ。胸元に赤いコサージュをつけ、雰囲気が違う。それでも、たおやかで控えめで、かつ、丁寧な振る舞いは普段と変わりない。 見よう見まねでリードをするニワトコにさりげなく合わせて、彼女は踊った。 「うれしいな」 ニワトコは微笑んだ。 「へたなダンスでごめんね。でもこうして手をつないでるだけでうれしいよ」 「ふたりでこうしているだけで幸せですね」 「うん、ふたりだものね」 ふわり、ふわり、とリーリス・キャロンのスカートが空気をはらむ。 まるで独りで踊っているようだが、よく見れば、黒猫が一匹、彼女のお相手を務めているのだ。 世界司書の黒猫にゃんこである。 「こんど、リーリス、ナラゴニアに行くの。あっちでもクリスマスやるらしいから面白そうでしょ? にゃんこも一緒に行ってみる? ちゃんと内緒で連れ帰ってあげるわ」 「うーん、ばれたらリベルにおしおきされるからいかにゃいー。ごめんにゃあ」 「そうなの?」 リーリスはちょっと残念そうに唇を尖らせたが、すぐににこりと笑って、 「うふふ、大好きよ、にゃんこ……またいっぱい遊べると嬉しいな。今度遊びに行ったら、お菓子ちょうだいね」 と言った。 「うん。一緒に遊ぼう。お菓子とまたたび茶用意しとくにゃあ」 ビクトリア朝ゴシック様式の深紅のボールガウン。豪奢にして可憐。それはまさに今宵のような舞踏会にふさわしいいでたちだ。 その令嬢は、吉備 サクラだった。眼鏡はコンタクトに変え、三つ編み解いてゆるやかに流している。 「1度着てみたかったんです! でも赤のボールガウン選んだ段階でカリス様と被って見劣りです貫禄負けです鼻で笑われます! でも、舞踏会は女の子の夢なんです」 サクラは、シオン・ユングが口を開くよりも先に、聞かれもしない言い訳を述べた。 パールベージュのロングタキシードを着て、胸元に紅薔薇のつぼみを飾ったシオンは言った。 「ははん。それをいうなら、サクラのほうが若いんだから、負けるのはあっちだろ?」 「それでも我慢して踊ってくれそうなのはシオンさんしか思いつかなくて……。ごめんなさいっ。踊りたくなかったですよね……。気が利かなくてごめんなさいっ」 「謝ってもらっちゃ、困る。おれのサービス精神をなめんなよ」 そう言って踊りに加わるふたり。 シオンは昨年、別の女性――今はもういない女性と踊った。そのときはおぼつかなかったダンスの腕前がずいぶん上達したようだ。なんでも、前回の舞踏会の後、ラファエル・フロイトに、「ダンスを申し込んでくださった女性に、それでは申し訳がない」と、それはそれはスパルタな、過酷なレッスンが施されたらしい。 「いろいろありがとな、サクラ」 上達したダンスを、昨年のパートナーには見せられなかったけれど。 胸の紅薔薇を、サクラの髪にそっと挿した。 「サクラは、幸せになれよ」 「前回は七夏さんからお誘いいただきましたが、今回は私から。……踊っていただけますか?」 「えっ――、あ、はい」 七夏は頬を染めながら、ヒルガブの手をとった。 「もう、平気なんですか」 「ええ、すっかり。少し疲れをためこんでしまっていたようです。ご心配おかけしました。もう大丈夫です」 つい先日まで、昏睡の床にあった司書を気遣えば、そんな言葉が返ってきた。 「すみません、私……大変なときに傍にいられなくて。思えば、ヒルガブさんとお会いしたのは昨年のこの場でした」 そうでしたね、と、ヒルガブは、七夏の言葉に深くうなずく。 踊りながら、彼女が訥々と話す言葉ひとつひとつに、ていねいに、うなずくのだった。 「……夢で七夏さんに会ったような気がするんです」 ヒルガブは言った。 「気がついたら七夏さんにひどく会いたいと思っていました」 だから、今夜ここへ来たのだと。 ここでまた、七夏に会えるような気がしたから。 赤い羽根飾りを髪に飾った黒嶋 憂は、ラファエル・フロイトと踊る。 「先日は、ありがとうございました」 「こちらこそ」 「お怪我は……?」 「いただいたお薬のおかげもあり、このように快癒いたしました」 「あの……。お許しいただいたので、また誘ってしまいましたが……。上手いダンスでなくて恥ずかしいです」 「いえ。とても光栄です。憂さまと踊りたいであろう殿方には、申し訳ないですけれども」 流れ出るようにささやかれる言葉に、憂ははにかむしかない。 「その髪飾り、素敵ですね」 「羽根が空きなんです。……憂にも翼があったなら、ラファエルさまとお空へ散歩に行けたでしょうか?」 「参りましょうか?」 「え?」 「一度、赤の城を、上空から見てみたいと思っておりましたので。よろしければ、ご一緒に」 ダンスのステップのまま、フロアを横切って、バルコニーへ。 「あ、あのっ……!」 ラファエルは、憂を抱え上げると、バルコニーから夜空へ向けて、翼を広げた。 バルコニーには踊り疲れた人々の姿がある。 「やっぱり僕のパートナーは君だね」 「クージョンとは何度も一緒に踊ったけど、どれもとても楽しかった。今も楽しい。クージョンと一緒にいると、カンタレラはとても幸せなのだ」 クージョン・アルパークとカンタレラは、先ほどまでフロアの中心で、それは見事な踊りを見せて、人々の注目をさらっていた。 今はバルコニーで、夜気にふれ、火照りを冷ます。 「……どうした、カンタレラ? 酔いでもしたかい?」 クージョンは、カンタレラはうつむいているのに気づいて、声をかけた。 彼女はかぶりを振る。 「幸せすぎて、こわくなっただけなのだ。カンタレラは、こんなふうに幸せになる権利なんてあるのだろうかと……。カンタレラは本当は、クージョンが思ってるより、汚れていて、それで……」 「カンタレラ」 クージョンは、彼女の肩を抱き寄せた。 「僕は君が汚れていようと構わない。過去の汚れなんかこれから見つけるたくさんの綺麗なものに比べればちっぽけなものさ」 「カンタレラはクージョンに心配ばかりかけている。でもカンタレラはきっとクージョンのところに戻ってくる。この先、なにがあっても」 カンタレラは彼の首に腕をまわし、そこにそっとくちづけた。 「必ず戻ってきてくれ。君がいないと僕は僕の意思で破滅してしまうんだ」 クージョンも、腕に力をこめて、彼女を抱き返すのだった。 「上手くなったでしょ。アナタと釣り合う女になりたくて特訓したの」 数曲踊って、バルコニーへやってきたのはヘルウェンディ・ブルックリンとカーサー・アストゥリカ。 カーサーは、彼女の耳に光るピアスが、昨年のクリスマスに彼が贈ったものだと気づいている。健気な娘だ。思わず頬がゆるんだ。 「あ、そうそう」 いかにも思い出したような声音で、ヘルウェンディは言いながら、小さな箱を突き出した。 「なんだこりゃ」 「私からのクリスマスプレゼント」 「ほほぉ~」 「なによ! ニヤニヤして! なんていうか……日頃の感謝の気持ち、っていうか……」 箱の中はチョーカーだった。 「ありがとよ」 カーサーはぐい、と彼女の腰に手を回して、引き寄せた。 「……大事にしてよね。浮気したら承知しないんだから」 つぶやくように言いながら、横目で、彼を盗み見る。 贈り物に目を落としている隙を見計らい、ヘルウェンディは、その頬にすばやくキスをした。 ■ 『ファミリー』たち ■ 「まさかプレゼントをもらえるとは」 白いタキシード姿のロバート・エルトダウンは蓮見沢 理比古からの贈り物に礼を述べた。 「冬の寒い夜は暖かいにこしたことはないから」 理比古が贈ったものは澗に適した清酒、ホットワイン用のスパイス、自家製柚子茶、膝掛けなどを詰めたもの。 「それと、ホテルのお礼も」 「ああ、なんでもないんですよ、あんなことは」 今年、蓮見沢家関連のリゾート会社がドバイにホテルを建設するにあたってはロバート卿――アーサー・アレン・アクロイドの口添えを受けた。 「そういえば、ホテルで和風のもてなしをしたらとても好評で」 「それはよかった。日本式のホスピタリティは世界で評価されています」 「和と言えばロバートさん、あんた日本酒イケるんだろ。イイ酒置いてる飲み屋を知ってんだ、今度一緒にどうだい」 理比古に付き従っている虚空が、彼を誘った。 虚空にしては珍しい態度だ。理比古は微笑ましく思いながらも、 「ロバートさん。お疲れなんですか?」 と、訊ねずにはいられなかった。 「……そう見えますか?」 「あの……宜しいでしょうか」 そっと会話に加わってきたのはジューンだった。 彼女が持参した「赤」は左手首の赤いリボン。それをロバートにあげたいのだという。 「壱番世界ではこれが身を守るお守りと聞きました。私よりもロバート様に必要そうです」 「おやおや、私はどうしてまた、みなさんにご心配をおかけしているのかな」 ロバートはそう言って笑ったが、理比古はただ、無理はしないで――そして何かあったら、遠慮なく言ってください、と言葉を付け加えた。 ジューンは穏やかに見守るだけだったが、理比古が直感的に感じたものを、彼女は心拍数や呼吸といった情報によって計測していた。すなわち……ロバート・エルトダウンが、なにかとても気がかりなことがあって、不安を感じているということを。 「こんばんは。もてもてですね、ロバート卿」 相沢 優だ。 「よってたかって病人扱いされているのですよ」 「じゃあ、元気なところを見せなくちゃ。ダンスでもどうです」 「……きみとかい?」 「ち、違いますよ! あ、ほら、あそこにレディ・カリスが」 「……」 ロバート卿は苦笑のようなものを浮かべたが、まんざらでもないふうだ。 「あ。ちょっと待ってください。こんなものが」 優はロバートの胸ポケットに手を伸ばすと、そこから一枚の6ペンスコインを取り出してみせた。 「……練習したね」 「これは俺からのクリスマスプレゼントです。幸運を。ロバート卿」 フロアの隅の長椅子で、ヴァネッサ・ベイフルックは華月と話している。 「こんなに大きな猫目石は初めて。この黄玉も素晴らしい透明度」 華月の目には、ヴァネッサが身につける宝石のどれもが、極上の品質のものであることがわかる。総合的に見て、過剰な華美さというそしりは免れないかもしれないが、ヴァネッサの物腰は宝石の価値に負けぬだけの余裕がある。 華月は、いぜん、トルコでヴァネッサとともに訪れた市で入手したトルコ石を、手製の銀細工のブレスレットに加工して今日も身につけていた。ヴァネッサは目ざとく見つけて出所を尋ねる。 「ただの趣味なので……僭越なのだけれど……もしよければ、いつか貴女のためにも品をおつくりしても――?」 「あら。私に? そうねえ。見てみたいわ。裸石や原石がそれこそ山のようにあるのよ。いくつか見繕って仕立ててもらおうかしらね」 ヴァネッサが言うのへ、華月は安堵したような笑みを見せた。 それにしても未加工の宝石が山のようにあるとは、どれくらいだろうか。おそらく比喩というより文字通りの意味なのだろうと思うと、期待と不安がないまぜになったような気持ちを華月は感じた。 「俺もその宝石の山とやら、見せて貰いたいもんだね。そういやアンタの財産、また増えたんだって?」 いつのまにか長椅子のうしろにいたジャック・ハートが背もたれのうえから身を乗り出し、ヴァネッサに言った。 「なんのこと?」 「ダイアナたちの持ち物を継いだんだろ?」 「ああ……。リチャードお兄様が亡くなって、ダイアナ卿が権利を失ったので、順位どおりに私が相続しただけよ。妖精郷なんて壱番世界の資産価値ではさほどでもないわよ。だいたい、お金なんてあったところでねえ」 「金持ちはみんなそう言うよな」 「人間なんてその程度のものということよ。異世界のロストナンバーは1000年だって生きるものもいるでしょう? 私はたかだか200年で飽きてしまったわ。お金なんて無聊を慰めるくらいにしか役に立ちやしない」 「独り長く生きるのが嫌なら捨てちまや良いじゃねェか……ベンジャミンみたいにヨ」 「見くびらないで頂戴な。私は今ここから逃げ出したいからだとか、この世界に居場所がないからだなんていう理由でよその世界への帰属を目指すほど恥知らずではないのよ」 ヴァネッサはたたんだ扇で、肩へと伸ばされてきたジャックの手をぴしゃりと叩いた。 ジャックは笑って、 「俺ァアンタみたいな可愛い女は嫌いじゃねェゼ、茨姫」 自身の胸に挿していた大輪の赤い薔薇を、彼女にささげるのだった。 この日の夜会には、『ファミリー』以外にも要人が出席している。 ナラゴニアの《人狼公》リオードルだ。 「なんでチャンの店来てくれなかったね!? メン☆タピなんて猥雑な店よりずっとずっと楽しいアルヨ!」 リオードルに食ってかかっているチャン。 「ホストクラブというのは男が女をもてなす店のことだろう。なぜ俺が行く必要がある」 リオードルはそう言うが、チャンは自分の名刺と店の無料券を渡し、とにかく一度来てほしいのだと熱く迫った。 「人狼公ならナンバー1になれるある」 「どういう意味だそれは!?」 「あっ、肩でもお揉みするある。それから料理と……飲み物もいるあるね! ウェイター!!」 ご機嫌をとるのにも忙しい。 チャンに呼ばれて、給仕にあらわれたウェイターは音成 梓だ。 「お客様、ヴォロス産のシャンパンはいかがでしょうか」 「いただこう」 「こちらもお注ぎしましょうか?」 傍らに知人がいるのに気づき、サービスを提供する。 梓に酒を注いでもらいながら、一二 千志はリオードルに話しかけた。 「その後は……調子はいいのか」 「なにがだ。コロッセオでの傷のことなら、あんなものあの日のうちに癒えている」 「あー、コロッセオ! そういや俺がいないときに狼サマに遊んでもらったんだって? 何勝手に楽しそうなことしてんだよ、すげー見たかったのに」 千志の連れの古城 蒔也がからんできた。 千志はグラスを満たし終えると営業スマイルを残して離れる梓を見送りつつ、無言で蒔也をおしのける。 「人狼公、……今夜の宴はあんた以外にも『狼』が紛れてるみたいだぜ。くれぐれも、食われねぇように気をつけろよ?」 「うるせぇテメェは黙ってろ」 くちばしを突っ込み続ける蒔也に凄んで、あらためてリオードルに向き直った。 「今のあんたは、ターミナルをどう見ている? 視察をして何か変わったか?」 「だいたい思ったとおりだが、まだ一度来ただけだからな」 シャンパンの気泡を眺めながら、リオードルは言った。 「時に、あの男も来ているようだな」 「あの男?」 「これだ」 リオードルは耳を澄ますしぐさをした。気づけばフロアにはバイオリンの独奏が流れていた。 少しして曲は終わり、やってきたのはムジカ・アンジェロだった。 「変わらず良い腕だな」 「今の曲は、ターミナルの貴族がつくった曲だ」 「ほう」 「あなたに聴かせたくて。先日はありがとう」 ムジカは笑みを見せた。 「いつか、あなたの城に行っても構わないだろうか。演奏ならいくらでもするし、おれはあなたの知る音楽にも触れてみたいんだ」 「構わんよ。ナラゴニアで人狼城と聞けばすぐにわかるだろう」 そう応えてから、リオードルはふと、すこし離れた場所にいた雪・ウーヴェイル・サツキガハラへと目を向けた。 「俺になにか用かな。前にも会ったな。コロッセオでも見かけた」 「雪・ウーヴェイル・サツキガハラ。……主君を思い出していた」 雪は答えた。人狼公の姿に、どこか郷愁を感じるのだと彼は言った。 「もしよければ、一度どこかで手合せをお願いできないだろうか」 「ターミナルの戦士たちは勇敢だな。ナラゴニアでは俺を恐れてそんなことを言い出す輩はおらんぞ。いつでも来い。相手をしてやろう」 別の場所。 アリッサがかける長椅子のクッションのうえで、一匹のセクタンが身振り手振りでなにかを訴えている。 「『配達ミスはやむをえなかったんだ! 直前でパイプに詰まって!』」 エミリエがその動作に裏声でアテレコするのに、アリッサは笑った。 「アリッサさん」 藤枝竜が、料理をいっぱいに盛った皿片手に話しかけてきた。 「平和になってよかったですよねー」 「本当ね」 「次は皆さんの故郷探しでしょうか?」 「そうね。ダイアナおばあさまの件がどうにかなったら……いろいろ考えていることもあるの」 「ダイアナさん……」 ぽつり、と言ったのは黒葛 小夜。 「小夜さん。去年の招待状のこと、まだ気にしてるの? 仕方がなかったのよ。こうなる運命だったの」 昨年のクリスマスの夜会への出席をもとめて、妖精郷へ招待状を届けたのが小夜だった。 結局、リチャード夫妻だけが出席を断った。 それを気に病むというより、あれからさまざまなことが変わってしまったことに小夜は愕然とするのだ。 「あの……私……」 おずおずと口を開きかけては、言葉がうまく出てこない。でも。 「大丈夫よ。小夜さん。気遣ってくれてありがとう。……あっ、エミリエ、セクタンに何してるの!?」 「ザクロジュース絞った~。だってこの子、青いんだもーん。今夜の決まりは『赤』でしょ~?」 「リベルに怒られちゃうよ」 エミリエのいたずらに、アリッサも、小夜も、竜も笑った。 竜はもぐもぐと食べ物をほおばっていたので、喉を詰まらせて悶え苦しみ、その様子にまた皆が笑った。 なごやかな一幕である。 だが、その裏で、ひそやかに陰謀が進行していたのだ――。 ■ レディ・カリスの陰謀 ■ 「……!!」 「どうかしたか?」 柊 白は、調理の手を止めて、顔をあげた。 そこは厨房。パーティーも後半に差し掛かり、料理人の忙しさも落ち着いてきた頃合だ。柊は今夜の助っ人料理人の一人である。手馴れた様子で下ごしらえから盛り付けまでをテキパキとこなした。 「あ、いや……」 同じ調理台で作業していたのはアキ・ニエメラである。彼もまた念動力まで動員して調理に協力していたのだったが。 「ちょっと気になることがあって……」 アキはフロアのほうへ目を遣った。 「すまない。少し外す」 「いいんじゃないか。そんなに忙しくないし」 柊は快く場を引き受けてアキを送り出す。 アキは、会場に飛び交うさまざまな人の思念のなかから、偶然、受信してしまった情報に困惑していた。 思わず飛び出してきたものの、それをどうしたいと思うわけでもなかった。 ただ、気になるのはひとつのことだ。 (それってアリッサは幸せになれんのか?) 「えーっ! カリス様はアリッサと人狼公を結婚させようと企んでるの!?」 「しっ、声が高い」 「わっ、ごめんなさい。それ本当なんですか、ロキ様?」 「どうやらな。俺は……反対だ」 礼服に深い赤のアスコットタイのマルチェロ・キルシュは、苦々しげな表情を浮かべた。 「政略結婚なんて方法を取らずとも、ロストナンバー同士手を取りあえると俺は信じている。それに望まない結婚なんて」 「そんなの絶対にダメ! 大変、なんとかしなきゃ。カリス様に逆らうのは恐ろしいけど……」 「粋じゃねえよな、そんなの」 話を聞いていた清闇が口を開いた。 「確かに昔から使われてきた手だが、双方に愛情がなきゃ意味がねえ」 だがそのときすでに、レディ・カリスの意向を汲んだもとたちが、アリッサ、リオードル双方のもとに近づいていた。 アリッサのまわりにいるのは南河 昴、舞原 絵奈、そして黒燐。 昴はアンタレスに見立てた赤い星のブローチを身につけ、アリッサの体調を気遣ったり、パーティーの華やぎを褒めたりしつつ、機会をうかがっていた。 「ね、アリッサ。リオードル卿のことはどんな印象?」 口火を切ったのは黒燐だった。 「え? どうしたの、突然」 「いや、僕はナラゴニアの会談の場にはいなかったし、融和政策について考えていることを聞きたいと思って」 「そうねー。率直な人かな、とは思ったわ。そういうの、とてもありがたいことよ。裏の読み合いをするのって疲れるから」 「なるほど~」 「アリッサさん! それでですね、旅団の方々と親睦を深めるため、リオードルさんと踊ってみるのはどうでしょう?」 ふいに、絵奈が言った。 「うーん、どうしようかな」 「トップのお二人の仲がいいと、きっと皆さんの励みにもなると思うんです」 「さ、賛成!」 昴も同意をあらわし、ふたりしてこくこくと頷いた。 「……。でもはじめにレディ・カリスが踊るべきじゃない? いちおう、夜会の主催はレディ・カリスなのだし」 「カリス様はお忙しそうだし、やっぱりアリッサさんが図書館の代表として、ね」 レディ・カリスはどうせならもっと世慣れたものを使うべきだった。昴と絵奈のぎこちない誘導は今いち効果をあげていない。 そこへ、マルチェロたちが助けに(?)入る。 「アリッサちゃん! きっぱり断った方がいいよ!!」 「え。なにが?」 「ああ、いや、ええと……お見合い結婚と恋愛結婚ならどっち派?」 「サシャさん、どうしたの?」 一方、その頃、リオードルのもとにも。 「あのっ……ご趣味は!?」 「?」 「それから、年収はおいくらほど――って、ちょっ」 リオードルに矢継ぎ早に質問を投げかける一一 一を、奇兵衛がひっぱって、会話の輪から連れ出す。 「お嬢さん、あんたがお見合いするんじゃありませんぜ」 「わかってますよ! ただアリッサに相応しい男かどうか見極めてやらないとですね!この私が!」 謎の使命感に燃える一をよそに、メルヴィン・グローヴナーはなめらかに会話を続けている。 「ナラゴニアでもこうした夜会はよくあるのかな」 「多くはないな」 「公は今夜はお一人で? どなたエスコートされるものとばかり」 「あいにくそういった連れはいないのでな」 メルヴィンが聞き出す話に、奇兵衛たちが耳をそばだてる。 「聞きやしたか。言い交わしたお人はいねぇご様子。こいつぁ吉報、レディ・カリスに報告ですぜ」 「結婚後も奥さんが仕事を続けることはどう思いますか!?」 「……さっきからおまえは何を言ってるんだ」 陰謀のぬしであるレディ・カリスにも近づくものがいた。 「レディ・カリス、率直に言うが貴女ご自身が人狼公との縁談に臨まれては?」 ジョヴァンニ・コルレオーネは単刀直入に告げた。 「まあ。私が?」 「館長は年若い。まだほんの小娘で人狼公の好みに合致するとは思えん。年齢的にも役職的にも君の方がふさわしかろう」 「アリッサは適齢期だわ。ひきかえ私はオールドミス」 「それは十九世紀の基準じゃろう。ごまかすでない。儂は政治ではなく人の心の話をしている。恋は人に強制されてするものではない。色恋に大義を押し付けるのは君の嫌う野暮の極みじゃ。そのことだけは伝えておくぞ」 ジョヴァンニのあと、カリスに飲み物のグラスを差し出したのは坂上 健。 「俺も同意見かな」 カリスが目で続きを促すと、 「純粋に不思議なんだ。なんでアンタが立候補しないのかと思ってさ。美人で政治的手腕もあって、適任なのはアンタだろ。自分に出来ない事を他人に押し付ける卑怯者でもなかろうに」 と言った。 「みな勘違いをしているようね」 カリスは答える。 「私は『レディ・カリス』。この称号の意味を考えればおのずとあきらかだわ。私は、この件はアリッサでなくてはならないと考えているのよ」 3人目は由良 久秀。 「首尾は?」 との問いに、 「まだだ。なかなか二人が近づかなくてな」 と答えてデジカメの画面を見せる。アリッサとリオードル、ひとりずつの写真はあれど、ツーショットは撮れていない。 「……聞いてもいいか。エイドリアンは体調が悪いと聞いたが」 「奥様がね」 「直接渡したいモノがあるんだが――」 「なら訪ねてゆくしかないでしょう。奥様の具合が悪いのはいつものこと。先方が会ってもよいと思うなら会うでしょう」 「ダンスをお願いしても良いかしら、人狼公? 独りで壁の花をしているのは寂しいの」 その頃、臼木 桂花は大胆にも渦中のリオードルその人に踊りを申し込んでいた。 正式に申し込まれれば、貴公子のたしなみとして断ることなどない。 リオードルも貴族である以上、ダンスのレッスンも受けてはいるようだ。白地に赤い刺繍の入ったチャイナドレスの桂花と一曲踊った。 「迷惑だったかしら?」 「舞踏会で踊りを申し込むのが迷惑ということはなかろう」 「でも私よりもふさわしい人はいたかも。たとえばカリス様……エヴァ様はダンスがとてもお得意ですって」 「館長の後見人だな」 「そうよ。もう話した? 今夜はターミナルの要人はみなここにいるわよ」 「おまえは詳しいようだな」 「少しはね」 リオードルは桂花が問われるままに話す、『ファミリー』の顔と名前、一般的な情報を聞き終えると、なにごともなさげに席へ戻った。 ――と、待ち構えていたようにイテュセイと山之内 アステがあらわれる。 「ねえリオドールぅー。アリッサのことどう思う? かわいいわねー。憎い!!!」 ハンカチをがじがじ噛みながら、イテュセイは続けた。 「あら、レディ・カリスよ。ほらあそこ! 知ってる? カリスったらアリッサの後見人だけど、館長をいじめまくってたのよ。夕食に泥まんじゅう出したりとか! きっと自分が館長の座を狙っていたからいびってるのね」 「そうなのか?」 「悪女ってああいうのをいうのよね! リオードル、踊ってきたら? 『悪女って聞いてたけど、実際、話してみたら意外といい人じゃん』って思うかもよ!」 完全に思惑が漏れていた。 「公は強いお相手がお好みでしょう?」 アステはにこにこしながら言った。 「レディ・カリスなんかお好みじゃないですか?」 「女に強さは求めん。それよりおまえ……血の匂いがするな」 リオードルは鼻をひくつかせた。 百田 十三はアリッサに刺繍の入ったハンカチを贈った。 「ありがとう。大事にするわ」 「覚えておいてくれ。いつでも力になる」 「ええ」 赤いレイバンの百田はそのままそっと傍らに控える。そうしているとSPのようだ。 ひそかに護法童子を飛ばして、リオードルやロバート卿の様子を探らせているが、今夜は特に事件は起こらぬようだ。 結局、レディ・カリスのたくらみも、この一夜だけではそう進展しそうもなかった。 ただ、ジュリエッタ・凛・アヴェルリーノが、ノートを通じて大勢のロストナンバーに伝えたので、ふたりの縁談があるかもしれないという話だけは、広まったようである。 (「水面下で進めようとするからいかんのじゃ。正式な縁談なら、断るにせよ受けるにせよ、それはそれで双方の合意というもの」と、後のジュリエッタは語った) パーティーも後半に差し掛かり、ティリクティアが訊ねた。 「レディ・カリスの考えている事、わかっているんでしょう?」 「まあ、だいたいね」 「それで、アリッサはどう思うの?」 「一般論としてはレディ・カリスの考えは悪くないと思うわ」 「アリッサの気持ちを聞いてるのよ」 「ふふふ、急には決められないわ。ただ……現実的には難しいかもね」 「そう。なんであれ、アリッサはアリッサがしたいようにすればいいと思うの。きっとレディ・カリスもアリッサの意思を無視はしないと思うから……」 そこへ、シーアールシー ゼロがアリオをともなってやってきた。 「ちょ、押すなって!」 「ゆうしゃアリオよ、レディ・カリスの陰謀を阻止するため今こそ立ち上がるのです!」 「だから何がだよ」 「このリリイさん作の『いけめんりあじゅうタキシード』をまとい、アリッサさんをデートに誘うのです! 影の薄さの下に隠された、主人公パワーの力のエネルギーを見せるときがついにきたのです!」 「なんだそりゃー!!」 その夜、最後にレディ・カリスのもとにあらわれたのは三ツ屋 緑郎だった。 「踊って戴けますか?」 フロアをただようふたりの姿は意外に映ったかもしれない。 ダンスのあいだ、緑郎は終始無言だ。ただ穏やかな微笑を絶やさぬだけ。 踊りおえると、手の甲にくちづける。 古式ゆかしい振る舞いだった。 「今の僕は小さいけれど、いつか必ず貴女に相応しい紳士になります。その時にはまた一緒に踊って下さい」 「まあ」 「待っていてとは言いません。僕の図々しさは御存知でしょう? たとえ貴女が僕を忘れてしまっても押しかけます。一緒に歩むと決めたのだから、離れません」 「酔狂なこと。私、貴方はアリッサが好きかと思っていたのよ」 レディ・カリスは言ったが、緑郎はカリス――エヴェ・ベイフルックを見て、微笑んだのである。 † † † さまざまな人々の、さまざまな思いをはらみながら、舞踏会の夜は更けてゆく。 警備として参加していたヌマブチは、フロアの隅に彫像のように立ち、ただ傍観者として一部始終を見るばかり。 ターミナルを留守にしていたあいだ、ここは変わったろうか。ヌマブチの赤い瞳にどう映ったかは、彼にしかわかるまい。 やがて交替して、そっと会場を離れる。離れぎわに、お土産を拝借。高級なワインを一本、くすねてきた。 あとで独りで一杯やろう。 クリスマスが過ぎれば、年が明ける。 新たな時代を迎える0世界のゆくすえは、いまだ杳として見渡せなかった。 (了)
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