「ここが『ターミナル』ですか。ようやくたどりつきました。世界図書館のみなさん、こんにちは。僕は世界樹旅団のウォスティ・ベルというものです」 その男は駅前広場に降り立つと、高らかに宣言するように言った。「遅ればせながら正式に――われわれ世界樹旅団は、世界図書館に対して宣戦を布告します。……われわれは貴方がたが『壱番世界』と呼称する世界を、世界樹に捧げる決定を行いました。この件で貴方がたと平和的な解決ができない以上、実力でもって達成させていただくことはやむをえないわけです」 男の手の中に、ちいさな部品のようなものがあった。それは……そう、『スイッチ』だ。「僭越ながら、これはご挨拶。ほんの手土産のようなものです。貴方がたが『わざわざ自分たちの懐に持ち帰った爆弾』という」 カチリ。 男の手によってスイッチは押された。それこそ、世界樹旅団との、もはや後戻りのできない決戦の開幕が告げられた瞬間だったのだ。 * * *「……っ」 小さな呻き声をあげて、キャンディポットはホワイトタワーの石の床に倒れた。 灰色のスカートが、ふわり、と床に広がる。「そう」 ただでさえ白い肌が、さらに血の気を失ってゆく。「やっと押してくれたのね。あの『スイッチ』を。これで……ようやく」 くくく、と、細い喉がふるえた。「ようやく、なにもかも終わり。つまらない世界。つまらない人生。つまらない私。ぜーんぶ、おしまい。あは……はは……はははは」 力ない、渇いた笑い声。それさえ長くは続かない。 キャンディポットの、それが最期だった。 同時刻。 轟音とともに、ホワイトタワーの一角が崩れた。 土煙のなかから、あふれてくる異形。 悪夢のなかにさえ存在しないような、いかなる世界の進化系統にも属さぬ異形のものどもが、ホワイトタワーを取り囲む霧の海と、曇天へと放たれたのだ。 雷鳴が、空気を焼いた。 城壁を駆けのぼる竜に似たそれは、かつてブルーインブルーに帰属したロストナンバーが姿を変えたもの――すなわち、第2次ブルーインブルー派遣隊が遭遇し、キャンディポットによって飴玉に封印されていたファージ化した宰相フォンスのなれの果てである。 と、なれば、あとのものどもについてもおのずと解ろう。それはキャンディポットが所有していた大量の飴玉が、彼女の死によってその封印を解き放たれた姿なのだ。 すなわち、チェンバー「ホワイトタワー」は、今、ファージやワームの大群による脅威に、さらされているのである。
アルジャーノは迅速だった。 騒然となる駅前広場。雑踏のなかへ消えてゆこうとするウォスティ・ベルを追って、瀬尾 光子やアストゥルーゾをはじめ、幾人かのロストナンバーたちが動く。その誰よりも速く、身体を液状化させたアルジャーノがウォスティに追いつき、その身にからみついたのだ。 あまりにあっさりと捕獲が成功したので、1キロ先からウォスティの移動地点を予測してイテュセイが仕掛けた飛び蹴りは完全に空振りでターミナル駅の壁を蹴破ることになった。 「逃がさないです――し、死なせもしませンよ」 アルジャーノの先端は極細のワイヤー状になり、ウォスティの耳穴に侵入していく。 体内は、アルジャーノが知る壱番世界の人体と変わりない様子だ。 「自暴自棄は好きじゃない」 言ったのはニコル・メイブだった。 「自暴自棄?」 「たった一人で堂々と敵地にあらわれる。殺してくれと言っているみたいに」 肉体の自由を奪われたウォスティを、ニコルは冷ややかに見た。 「別に構わないよ。僕の生命になど意味などないのだから」 「ところが私たちにとっては情報源でね」 「何を聞き出したって無駄。だってもうすぐ――」 ふいに、ウォスティの体ががくりと崩れて、完全に無力になった。マドカの即効性麻酔スプレーの効果であった。 「ねえねえ」 よく研がれたメスを手に、彼女は言った。 「どうして死なないのか、この人のお腹開けて中見てもいーい?」 ニコルに答えはなかった。 さて、どうするか。とりいそぎ、館長にでも指示を仰ごうとノートを取り出す。 本来ならホワイトタワーに連れていくところだが、肝心のその場所があのありさまだ。 「ウォスティ君に恨みはありませんが……」 Q・ヤスウィルヴィーネは言った。 「止めないわけにはいきません」 ヤスウィルヴィーネは世界図書館に属し、ウォスティは世界樹旅団に属する。 理由はともかく、両者の間には厳として対立が存在しているのだから。 * そして、ホワイトタワー。 「……最近、オロしてばっかりだな」 雪・ウーヴェイ・サツキガハラは、ホワイトタワーの門前に比較的早期にたどりついた一人だった。 だがそのときすでに、そこでは戦闘が始まっていた。 昆虫のようでもあり爬虫類のようでもある、形容しがたい異形のなにかが、粘液をしたたらせながら這い出てこようとしているところへ、峻烈な見えざる力をまとった雪が挑みかかる。0世界にいかなる神霊があるかは当の雪にさえさだかではないが、どんな世界にもひとがいる以上は蓄積されたなにかがある。 そういうカミをその身に宿らせ、戦うのが彼の能力だ。代償としての消耗を、今は気にしているときではなかった。 「うー、くそっ、酒が足りないわよ!」 忌々しげに吐き捨てているのは臼木桂花。 二丁拳銃でさまざまな特殊弾丸をワームへと撃ち込む。 「音と光、いきます!」 獣人の娘――秋保 陽南が警告とともに放ったのはいわゆる閃光弾的な効果のかんしゃく玉だ。音と光がワームを怯ませたかどうかはよくわからない。が、飛び出してきた肉塊にでたらめに翅をはやしたかのようなワームは武神 尊のカマイタチが斬り伏せた。 「ここは監獄という話だったな」 尊は服こそ軍装ではあったが、近所からちょっと歩いてきたと言わんばかりに、くわえ煙草に雪駄だった。 「俺は世界図書館が絶対の正義だとは思わん。だが、旅団の暴挙を見逃せば、俺の……そして誰かの大切な人達が傷つくだろう。だからこそ絶対に、刺し違えてでも貴様らを此処から出す訳にはいかんのだ」 「ソウダヨ……!」 強く同意したのは幽太郎・AHI/MD-01Pである。 「一匹ダッテ漏ラサナイ……大好キナ零世界…大好キナ友達……絶対二傷付ケサセナイ…!」 センサーの感度を上げ、周囲の情報を収集する。ここで生きたレーダーシステムのような司令塔に徹する。それが、幽太郎がこの状況下でもっとも適していると判断した彼の役割だ。 「わたしも……絶対に退きはしませんから!」 陽南も頷く。 次に駆けつけたのは華月に、ダンジャ・グイニ。 「ここに結界を張ります」 「あたしも手伝う。時間稼いで」 ふたりが支度に入ったところで、門の中からいくつもの小さな影が飛び出してきた。 身構えるロストナンバー。そこへ、 「違ウヨ、ワームノ反応ジャナイ!」 幽太郎が叫んだ。 ――と、その頭のうえに、止まったのは……一羽のカラス。 「落とし子は生き物に憑いて変異させ、同種のものを従僕と化すと聞く。それはしのびないのでな」 カラスの群れを率いて飛び出してきたのは玖郎だった。一足先に中にいって城砦に巣くっているカラスたちを避難させてきたらしい。 カァ、と幽太郎の頭上の一羽が、お礼でも言うように鳴いた。 「できるものは加勢を頼む。あとで馳走しよう。だが無理はするな」 そう言って玖郎はさっと舞い上がる。カラスたちが続いた。加勢を頼む、といったのはカラスに言ったものらしい。 「さァ、できた。いくよ……どっこいしょ!」 ダンジャ・グイニが糸を引く。彼女が特急で「仕立て」た結界が門を包み込む。 さらに、華月の力がその空間を遮断する。 ワームにすべてが通用するかは未知数だが、これでかなり持ちこたえられるはずだ。 「ここの守りは引き受けた。ガンガンおいき」 ダンジャが振り向くと、そこには内部への突入を決意したものたちの顔があった。 およそ三十名近いロストナンバーたちは、決死の覚悟でワームの群れが充満するチェンバー内へ、その身を投じてゆくのだった。 * 「ギガボルト!!」 ロイ・ベイロード渾身の雷撃魔法が炸裂。 巻き込まれた小型のワームを蒸発させる。まだくすぶっている中型へは、 「炎王招来急急如律令! 雹王招来急急如律令! 手段は問わん、すべてのワームを殲滅しろ!」 百田十三の号令とともに召喚された護法たちが躍りかかり、炎と氷の乱舞にて敵を焼き、溶かし、切り裂き、砕き、凍えさせてゆくのだった。 「敵兵は殲滅しマス」 七篠権兵衛は淡々と、巾着袋から飴玉をばら撒く。それはワームたちのあいだで爆裂し、無数のワームがとりついてふさいでいた石づくりの橋梁のうえに道をつくった。 彼の目に、この光景はどう映っていたのだろう。戦場だろうか。 一丸となって、ロストナンバーたちは城砦内へとなだれこんでゆく。 「けっこういやがる」 ティーロ・ベラドンナが呻いた。 風の精霊がもたらす情報は、チェンバー内に相当数のワームがひしめいているという事実だ。 「闇雲に突っ込んでも仕方がねえな。まずは……救助を優先か」 「敵と捕虜の位置を正確に把握する必要がある」 ディラドア・クレイモアが『全感知』の魔法を行使する。 彼とティーロの情報を合わせれば、ほぼほぼ内部の様子は知れる。 アキ・ニエメラがテレパスとしてその情報を全員の意識へ伝達した。 「行こう。救助組は着いてきて」 銃を手に、アキは先導を買って出た。 「俺は反対側に。俺が先を行くから、後ろに隠れて着いてきてほしいんだぁ」 とキース・サバイン。 愛用の槍を手に、巨躯を活かして救助チームの盾となる心意気だ。それにキースの野生の勘は、敵の不意打ちにも強い。 ロストナンバーたちは城内へと散った。 ひしめくワームを倒し、生存者を探すために。 * ホワイトタワーには、なんらかの事情でターミナル内での自由を許されていないものたちが収監されている。 現在、そのほとんどが世界樹旅団の捕虜や、一定の監視期間にある亡命者だ。 広大なホワイトタワーが手狭になるほど、今だかつてないほどの人員がここで起居していた。 ホワイトタワーに飛び込んだロストナンバーたちの中には、そうした収監者たちを助けようとするものたちも少なくなかった。 「ボクは人を笑顔にするのがお仕事! 困った人は助けるのね!」 マスカダイン・F・羽空は、なぜ助ける、という問いにそう答える。 「私は捕虜としても大した価値がありませんよ。カンダータで捨て駒にされる程度ですから」 ミスターバイヤーと呼ばれる男は、自嘲の笑みに頬をゆるめる。 「だからって、ここでみすみすウジムシのエサにはしないのね? その脚、歩けるのね?」 「問題ない」 カンダータで射抜かれた脚の負傷をかばいながら、バイヤーはマスカダインとともに駆ける。 みしり、と崩壊を予感させる不気味な音ともに壁に走る亀裂へ、マスカダインはみずあめの「弾」を撃ち込み、少しでも崩れるのを遅くしようと試みながら走るのだった。 「意外だね」 鉄仮面に顔を封じられた囚人は、落ち着き払った声でムジカ・アンジェロと由良久秀を迎えた。 囚人の部屋がある区画はホワイトタワーの深部。外では乱戦の嵐が荒れ狂っているが、その喧騒も部屋の中にいればやや遠い。 「君たちがやってくるとは思わなかった」 「誰が来ると思ったんだ」 「フフフ。それは私が何故、生かされているのか、という問いでもある。ヘンリー・ベイフルックが何故死ぬことを許されず、エドマンド・エルトダウンが何故執拗に追われたか、という問いとも同義なのだよ」 「興味深い話だが、あいにくそれどころじゃない。行こう」 「どこへ」 「どこへでもだ。ここにいれば死ぬ。死を望むにはまだ早いよ」 「おい」 いくぶん苛立ちをこめた声音で、由良が急かした。 来る途中に見上げた空にはワームの大群。その気味悪い光景を思い出して、由良は顔をしかめる。いつあれらが押し寄せてこないとも限らない。 「私を外へ出すというのかね。それは私がなぜ囚われているかという問いでもある。ヘンリーが何故刺され、エドマンドが何故追放されたのかという問いと同義だ。私たちの運命は相似の図形だ。三人同じく、相反するふたつの理由で否定され、肯定される」 「あとでゆっくり聞こう」 容赦なく、ムジカは囚人の下腹に拳を埋めた。 崩れた体を受け止めたのは由良である。あきれたような表情で彼の体を担ぎ上げる。 ふたりの共犯者は、そうして、牢獄をあとにした。 「おい! なにしてる!」 ジル・アルカデルトは叫んだ。 すんでのところで、メアリベルは斧を振り上げた手を止める。彼女はにっこり笑うと、スカートのすそを翻して、ぱっと走り去ってゆく。楽しげなハミングだけが残った。 「……」 ジルは駆け寄った。 床によこたわるキャンディポット。そっと触れ、死を確かめる。 見たところ死因ははっきりしないが、ドクタークランチが彼女に埋め込んでいたという『部品』がなんらかの作用を及ぼしたことは間違いないだろう。 キャンディポットは敵だ。 彼女の行いは幾多の世界群に災いをなしてきた。けれども。 「……もうええやろう……」 誰にともなく、ジルはつぶやく。 そしてそっと遺体を抱え上げた。彼女は獄中で、孤独に死んだ。放置すればこの骸は、崩れた建物に潰されるか、ワームに踏みあらされるだけだろう。ならばせめて、最期くらいは。 彼女を連れて外へ向かう。 もうメアリベルの姿はなかった。彼女がキャンディポットの遺体に何をしたかったのかは、もし今度会っても聞かないほうがいいだろうという気がした。 「矢部さぁん!? どこですかぁ、矢部さぁん!?」 土煙の中、川原撫子が声を張り上げる。 がれきを必死にどける。ひたすらに名を呼びながら。 「ここにいる!」 いらえがあった。埃まみれだが元気そうな顔。 「他の19人は……!?」 「無事だ。これはいったい何の騒ぎだ。何故0世界にこんなにワームが」 「……銀猫伯爵が殺されて、全面戦争が始まったんですぅ」 「伯爵が!」 「ウォスティ・ベルが潜入して、宣戦布告と同時にここでテロを……。でも、ここさえ出られれば外はまだ大丈夫ですぅ。走れますかぁ? 駄目なら抱えて走りますぅ」 「カロ、ヒロ。怪我はないわね? いらっしゃい、良い子にしてるのよ」 鳩に姿を変えたリーリス・キャロンが。 「……ノア様とヒューバート様ですね?自力歩行出来ますか?」 戦闘力を解放したジューンが。 「戦争が、始まったんです。皆さんに幻覚を被せます。詳しい話は外で」 めくらましの幻影をまとった吉備サクラが、旅団員たちに声をかけ、逃げるように促す。 長手道提督率いる魔法少女大隊は、収監されている旅団員の中でも最大のグループだ。 そして疑いなく、こうした非常時の行動に長けていた。 コタロ・ムラタナが駆けつけたときにはもう、広間の中に集合し、軍隊としての完全な統率を取り戻していた。しかし。 「状況は」 「負傷者十二名」 簡潔な答。 コタロは寝かされている負傷者の容態を確かめる。中には、副官のマーガレットの姿もあった。彼女は瀕死だった。 「……」 コタロはぎり、と奥歯を噛む。彼女たちを捕虜としたとき、その安全を自分は保証したのではなかったか。 「ナラゴニアが来たかね」 提督が訊ねた。 「……何?」 「まだか。だがすぐに来るだろう。……皆は記憶しているだろう」 「ええ、提督」 リシー・ハット曹長が答えると、少女たちはそれぞれに頷いた。 「世界樹の根が下ろされ、世界が吸収されてゆく光景を、よく覚えています。空を埋め尽くしたワームの群れとナレンシフの大編隊も」 「早く退避して下さい!」 コタロに続いて、駆け込んできたのはローナだった。 「この建物はあまり長く持ちません」 コタロとローナ、そして大隊は動き出した。 建物の外に出ると、上空ではロストナンバーとワーム群との激しい戦いがまだ続いていた。 そしてそれだけではない。 戦いのあいだを縫うようにして飛来する翼あるものたち――。 「気をつけて! レイヴンは逃げる人間の区別はついておりやせん」 注意喚起の声とともに、飛び出していくものがあった。 旧校舎のアイドル・ススムくんだ。 無数の人体模型がロケットのように飛び出し、「ホワイトタワーを出ようとする囚人」を阻止すべく飛来するレイヴンへとぶつかってゆく。 幾体ものススムくんが神風アタックにより華々しく散ってゆき、曇天に場違いな花火を咲かせた。 「行こう」 その犠牲に報いるべく、コタロたちはまっすぐ、出口へと走った。 「橋が持ってくれればいいが」 「大丈夫。あそこだけはみなさんが護ってくれています」 ローナが言った。 彼女は来るときに、入り口周辺をあらかじめ破壊し、広げておいた。広くなった城門からなら大勢でもすみやかに出やすい。 とはいえ負傷者を運搬しているため、最速とはいかぬ。 ターミナル市街と城砦をつなぐ石橋では、皇 無音が退避するものたちを援護していた。 無音があやつるトラベルギア――チェスの駒のなかからクイーンが宙をすべり、上空に吹雪を巻き起こした。凍える暴風が、飛来するレイヴンたちをおしとどめる。 そのときだ。ふいに、レイヴンたちが旋回し、退避者を追うのをやめた。 そして一斉にワームたちへと向かってゆく。 「あれは」 「さっきレイヴンの制御を図書館に依頼したんです」 と、ローナ。 「理事会の承認が間に合わないので難しいといわれたんですが、なんとかしてくれたみたいですね。さ、今のうちに」 石橋を渡ると、そこには山高帽にフロックコートの紳士が、ステッキを手に待ち構えていた。 ラグレスである。 彼は騒ぎに乗じて逃げだすものがいないか、そこで目を光らせていたのだ。 チェンバーであるホワイトタワーに他に出入り口はない。ゆえにここに関所をつくれば漏れがなかった。 図書館のロストナンバーが付き添っているものはよしとする。かれらはすぐに然るべきところへ連れて行かれる。 こっそり彼の傍を通り抜けようとするものは―― 「ぎゃーーー!」 悲鳴をあげたのは虎獣人、トラファルガーだ。 ラグレスがおのれから切り離した端末に消化液をかけられ、自慢の毛並みから白い煙があがっている。 「いててて、わ、わかった、わかった! 逃げないから! って、あ、ちょっとビイちゃん、自分だけ逃げないでえ!」 このとき約一名だけ、逃がしてしまうことになったのだが、それ以外に漏れがなかったことは讃えられてよいだろう。 * 戦いは続いている。 「……っ」 思わず身をすくませてしまった。 ドナ・ルシェは小さな身体にいっぱいの勇気をみなぎらせて戦っていた。 ホワイトタワーを浮かべる濃霧は、彼女が故郷で経験してきた恐ろしい記憶を呼び覚ます。だがそれは今は忘れよう。誇り高い翼人の娘として、彼女は必死に戦っていたのだ。 霧の海を望む城壁のうえで戦っていたとき、そんな彼女の前にあらわれたのは、腐り果てた人の身体をでたらめに捏ねて団子にしたような、醜悪なワームだった。 ワームはワームであって、どの世界群の存在とも違う。だが、吐き気を催すような腐臭をまとってそれが襲いかかってきたとき、ドナは思わず身をすくませてしまった。 だが、敵が彼女に触れることはなかった。 「平気か」 目を開けると、隻眼の男が彼女と敵の間に割って入り、攻撃を受け止めてくれていた。 「あ、ありが――」 礼を言い終える間もなく―― 「あたりめえのことに礼はいらん。ま、こういう時に最前線でカラダ張ってなんぼだろ」 清闇は煙管で敵の腐肉を打ち据えると、敵は城壁の外へ投げ出される。驚いたことに、清闇はそれを追って飛び込んでいってしまった。 驚いてドナが下をのぞきこむと、そこには一匹の巨大な竜が、霧の海を悠然と泳いでいるのだ。 「……あ、あたしも、がんばらなきゃ」 勇気を取り戻して、ドナは駆け出していく。 後方から激しい銃声が追いついてきた。硝煙の匂いを撒き散らして、弾丸が空気を焦がす。それに混じって、輝く銀の弾丸が飛ぶ。 スカイ・ランナーと、ハクア・クロスフォードだ。 節足動物の特徴をそなえたワームが、前方にいる。 「任せてください!」 ドナが叫んだ。 「援護しよう」 と、ハクア。 スカイ・ランナーは無言で弾幕を張る。 そこへハクアの銃撃。圧されているワームへ、ドナはすばやく間合いをつめ、一息にトラベルギアを突き立てた。 雷鳴。 宙を泳ぐ海竜のような姿に、ロストナンバーたちははっと気付く。 かつてはブルーインブルーからの依頼を図書館へもたらしてくれていた宰相フォンスのなれのはてだ。 「いた」 ヴェンニフ 隆樹は城壁のうえを走りながら、併走するように泳ぐフォンスへ目を遣った。ぎりぎり飛び移れそうだ。そう思ったとき、城壁を這い登ってきたカニのようなワームが行く手をふさいだ。 舌打ちとともにギアを構える。 ――と、そこへいくつもの光が矢のように降り注ぎ、敵を撃った。 撃たれたワームの甲羅が、さらには氷に覆われてゆく。 「さあ、行って!」 「なにか策があるんだろ」 水鏡晶介と、星川征秀だった。 振り返って、視線だけで感謝を伝えると、隆樹はワームを踏み台に、跳躍した。 その手の中には……『鈍姫』。 かつて世界樹旅団の銀猫伯爵が所有していたそれが切り札だ。 (鈍姫には強制・否定の力がある。……これは持ち主が否定したものだけを排除し、強制は刺したものを復元する力がある) 伯爵はそう語った。 隆樹はそれに賭けたのだ。フォンスの「ファージである部分」だけを否定することができるなら。 全身の力を乗せて、隆樹は鈍姫をフォンスに突き刺す。 竜は暴れた。振り落とされまいとしがみつく。 「……!」 崩壊がはじまるのを、彼は見た。 「駄目か」 たとえばドクタークランチの『部品』を埋め込まれたようなケースなら、『部品』だけを消し去れる。しかしこの場合は、フォンスがディラックの落とし子に変わってしまったのだから事情が違った。 影を足場に、空中へ逃れながら、隆樹はフォンスであったものが、とうとう消滅してゆくさまを眺めていた。 * 次々と、門から脱出してくるものたちがいる。 捕虜は助け出され、中にいるワームたちも駆逐が進んでいるようだ。 大型のワームは中で仕留められているから、バラバラと漏れでてくるのはもはやおこぼれのような小型・中型だけだ。 旋回するラジコンヘリはツィーダが操る。 ラジコンと言っても立派に武装してきて、小型のミサイルランチャーで飛行する小型ワームを撃ち落としてゆく。 AIであるツィーダだからこそ、同時に複数のヘリを操ることができていた。 西迫舞人はフィミア・イームズと息の合った戦いぶりを見せている。 ふたりはツィーダとは逆に地表を這って出てくるワームをとらえ、フィミアが投げ技をくらわせたところへ舞人がハンマーの一撃をお見舞いするという連携だ。 しぶとい敵へはロウ ユエが手足(に、あたる部位)を斬り落とし、再生を防ぐためにその切断面を焼くといった攻撃を仕掛ける。 「いっで~!! 護りがあってもいてぇじゃんか!?」 坂上健は中型ワームに吹き飛ばされ、セクタンの護りでダメージは免れたものの、衝撃に目を回した。それでも立ち上がる。 「大丈夫か」 賀茂 伊那人がすかさず呪符を放ち、健に追撃が及ばぬよう結界を展開する。 「……このくらい。あいつらが戻ってくるまでは……!」 健は振り絞るように言った。 伊那人もその意を汲んで、並びたち、敵を見据えた。 「これで最後!? 間違いない!?」 しだりが聞いた。 最後の一隊が門から駆け出してきた。ばらばらとあらわれた残滓のような小型のワームへ、ロストナンバーたちの攻撃がかかる。 一方でしだりは撤収してきた仲間たちの負傷を回復させてゆく。 そして、重々しい音を立てて、ホワイトタワーの空間へと通じる門が閉じられていった。 * ずしん、と音を立てて門が完全に閉鎖されると、わっと歓声があがった。 ウォスティも捕らえられたし、当面の危機は脱したのだ。 突然の出来事だったが、これにて一件落着―― と、誰もが思った、そのとき。 「あれはなんだ」 言ったのは、誰だったか。 人々は、言葉をなくして、呆然と、空を見上げた。 「……」 コタロ・ムラタナの脳裏に、今しがた魔法少女が語った言葉がよみがえる。 (世界樹の根が下ろされ、世界が吸収されてゆく光景を、よく覚えています。空を埋め尽くしたワームの群れとナレンシフの大編隊も) 彼女たちの故郷たる世界は滅びたのだという。 世界樹旅団の侵略によって。 それは、おそらく、こんなふうにはじまったのだろう。 その日、ターミナルの人々は見た。 いつも変わらぬ平坦な青空を見せる0世界の上空に、巨大な威容がぽっかりと浮かぶのを。 『彷徨える森と庭園の都市・ナラゴニア』がやってきたのだ。 0世界と世界図書館をすべて滅ぼすために。
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