ブルーインブルー深海に棲息する種族アビイス。 その王が、「世界計の破片」を手に入れたことで、ブルーインブルー辺境海域には、海に住むふたつの種族の戦争が起こった。 ロストナンバーたちは、海賊王子ロミオとともに一方のネレイス族に加担し、同時に、アビイス族の都市に潜入部隊を送り込む。 ロミオとともに、占領されたネレイスの王都リーフディアを解放したロストナンバーに、深海に向かった潜入部隊からの報せが届く。それは、アビイス族の王城内で起きたクーデターの最中、破片の力で王が異形化したというものだった。 だがそれは、さらなる騒乱へのほんの序章に過ぎなかったのである――。 * * * リーフディア解放戦で、ロストナンバー相手に敗走したアビイス軍は、そのままヌ=ンヴヴへと帰還した。 状況を報告し、すぐさま軍を立て直さねばならない。深海にアビイスを脅かすものはなく、よって軍の半分近くはリーフディアに赴いていた。それがほぼ壊滅したのであるから、かなりの打撃である。 だが、たどりついた深海の王都で見た光景は、敗軍に驚愕と絶望をもたらす。 この世の終わりだと、かれらは思ったに違いない。 海溝に築かれた石造りの建物が崩壊する。 海中に巻き上がった海砂。その中に巨大な影が動いた。ゆっくりと、それが姿をあらわす。発光植物の淡い光に照らされ、重々しく歩みはじめたのは、鉄の巨人であった。身の丈5メートルほどの、動く甲冑のような存在だ。 それが、ヌ=ンヴヴ各所から、地を割って出現しつつある。 海魔を連れたアビイスの衛兵が近づくと、鉄の巨人は目にあたる箇所から、怪しい光線を照射する。光に貫かれたサメ海魔はただちに絶命し、光線にふれた海水は沸騰して泡立った。 この状況が、いまだヌ=ンヴヴ内にいる潜入部隊からもたらされると、司書たちにも驚きが広がった。 ヌ=ンヴヴの地下はブルーインブルーの古代文明の遺跡である。潜入部隊の目撃証言によると、異形化したアビイス王ダールが、地下へ潜ろうとしていたという。王が地下の遺跡に達したことが、この鉄の巨人の出現に関係していることはあきらかだろう。 潜入部隊は今のところ無事だし、混乱をついて都市を脱出することは容易いが、この惨状を捨て置いていいとは思えない。そもそも、当初の目的であった世界計の破片の回収を果たしていないのだ。 情報は、図書館を経由して、リーフディアにいるロストナンバーたちへ伝えられた。「よし、わかった。フェルムカイトス号なら深海へも潜ることができる。協力しよう」 ロミオからそのような申し出があり、リーフディアにとどまっていたロストナンバーたちは、ロミオとともにフェルムカイトス号で深海へと向かうこととなった。 出立の直前、第77王女シェヘラザードがロミオを呼び止める。 不思議な直感で、予言をなすという人魚の姫は、ロミオとロストナンバーに、こう言うのだった。「気をつけて。禁じられた地を侵せば神罰がくだるわ。『鈴の音』に気をつけて」
■ 開戦 ■ 鉄の艦(ふね)はその巨体をゆっくりと、海溝の底へと進めてゆく。 「水圧上昇中。各所、問題あれば報告せよ」 「艦内気圧、問題ありません」 「外部装甲、問題ありません」 「機関部、問題ありません」 「了解。このまま潜水を続行」 クルーたちの声に割り込むように、警報が鳴り響く。 モニターには、深海の風景と、それに重なるいくつもの図式。そして星のような光点が灯った。 「敵影を確認。各員、戦闘配置へつけ!」 ロミオの声が放送設備を通して艦内に響いた。 「すげー、超古代の兵器マジすげー! 砲手したい砲手、俺!」 すっかりテンションの上がった坂上 健が挙手するのを、ロミオは笑う。 「外すなよ」 「わかってる! ……ってかさ。甘いかもしれないけど」 健は言った。 「直接当てなくても、衝撃で一時的に自由は奪えると思うんだ。戦争だって分かってるけど生活の場も命も全部奪うなんてしたくないんだ」 「先にネレイス族の生活の場も命も奪ったのは連中なんだぞ。……とはいえ、言いたいことはわかる。なんにせよ、全滅させる必要はないわけだしな。それにそもそも」 ロミオはおもてを引き締めた。 「全滅なんて可能かどうか」 モニターに映しだされるのは、文字通り背水の陣でかれらを迎え撃とうとするアビイスの軍であった。巨大なクジラ級の海魔の姿さえあり、窮鼠と化したかれらの抵抗は相当、激しいだろう。 「あ、あの」 おずおずと、華月が声をかけてきた。 「この船に……、結界を張ります」 「助かる」 「そ、それから」 艦のクルーは大半が男性――それももともと海賊であった荒くれ男どもばかり。ブリッジは華月にとって居心地のよい場所ではないようだった。気力を絞るようにして進言する。 「まず、なにか大きな一撃を……、この船から……出せませんか。……威嚇で、いいんです……それで、あの」 「相手の出鼻を挫く。そうだろ」 健の言葉に、華月はこくこくと頷く。 「それで、とにかく突破口を開く。そこから主力を街の中に突っ込ませる。ここの敵は全滅させる必要なんてないんだ。そうだろ?」 「よし、それでいこう。主砲を用意! ……こっちへ来い、撃たせてやる」 健がガッツポーズをした。 フェイルムカイトス号の装甲の一部が開き、ものものしく姿を見せたのは巨大な砲であった。 そこに白熱するエネルギーが蓄積すると、周辺の海水が熱せられて陽炎のようにゆらいだ。 そして発射! 光の砲撃は海溝の岩棚の一部を広範囲にわたって蒸発させた。その余波に、迎撃部隊の陣形が大きく乱れる。 「行くぞ!」 斬り込み隊を買って出たロストナンバーたちが、一斉に突撃してゆく。 阮 緋はネレイスの騎士団からシーホースを借り受けての参戦だ。 シーホースは壱番世界でいうタツノオトシゴのような生き物だが、海中では頼もしい駿馬である。 阮 緋は曲刀をあやつり、混乱するアビイス兵へと向かってゆく。 「殺してはならぬとは面倒な話だ」 峰撃ちで殺生を避けるのは簡単ではないとこぼしながらも、彼の太刀筋は陸でのそれとさして変わらない。シーホースを駆ることもすぐに慣れたようだった。 アビイス兵は、リーフディアでの敗戦と、ヌ=ンヴヴの異変とで疲弊しており、そもそも一対一ではロストナンバーに遅れをとっている。 ゆえに負ける戦いではなかった。 ただ…… ロストナンバーにとって、迎撃部隊を切り崩すことは戦いの端緒であり、あくまで本丸は海底遺跡に逃げ込んだアビイス王、そして世界計の破片であった。 一方で、アビイスにとっては、ここの護りこそが種族の命運を賭けた最後の砦であったのだ。 その差異は、戦力の配分にあらわれており、結局、ロストナンバーの一陣がここを突破して都市内に突入できるまでには、最初の砲撃からかなりの時間を費やしてしまったのである。 ■ 深海の暴虐 ■ 「ひどい」 理星のつぶやきは、とても小さなものであったが、清闇はたしかに聞いていた。もっとも、今は巨大な黒竜の姿である清闇は、ただ、背に乗る理星をわずかに振り返ったにすぎなかったのだが。 それでも意は通じたようで、理星は、清闇の艶やかな鱗にそっと手のひらを置く。 「大丈夫。出来ることをやるんだ。俺は自分が沢山戦えるって知ってるから。大事な人を亡くして誰かが泣かなくてもすむように」 そして意識を集中する。 周囲はすべて水。そこにはたらく精霊の力を呼び集めてゆく。 理星が衝撃を禁じえなかったのは、ロストナンバーたちが駆けつけたとき、ヌ=ンヴヴの市街はほとんど壊滅に近しかったからである。 鉄の巨人たちは一体いかなる残酷な神に命じられたというのか、破壊の限りを尽くし、それでも止まることはないようだった。 そのうちのひとつへ、理星たちは狙いを定める。 理星が、海水を操って、その動きを抑え込んだ。清闇が容赦なく突撃する。咆哮は、空間を断裂させ、海水ごと巨人の身体を裂く。 二度と動くことのないように、黒竜の鈎爪が鉄の装甲をバターのように裂いてゆく。 まずは一体。 周囲を見回せば、あちこちで、ロストナンバーと鉄の巨人との戦いがはじまっていた。 ローナの放つ魚雷が、市街の上を飛翔してゆく。 それらは的確に巨人に命中し爆発したが、巨人からは反撃の光線が返ってくる。 「!」 ローナの一体が光線をくらって半身を失い、沈んでゆく。 ――と、物陰から飛び出してそれを抱きかかえるようにキャッチしたのはヌマブチであった。 「大丈夫か。敵にあの光線があり、一方、こちらは水中での戦いを余儀なくされる。遠距離での交戦は不利だ」 「そのようですね。でもあいにく接近戦は得意ではなくて。あ、これコピーですからお気遣いなく。置いといてくださったら味方を巻き込まないタイミングで自爆しますから」 「む。そうか」 「接近戦のほうが有利とな。然り!」 それは良いことを聞いた、とばかりに、大股に歩み出すガルバリュート・ブロンデリング・フォン・ウォーロード。その行く手に巨人が立ちはだかる。 「待て。だからといってむやみに」 ヌマブチの警告もむなしく。巨人がガルバリュートを踏み潰した! 「ガ……!」 しかし。 その足が、徐々に持ち上がってゆくではないか。 巨人は相当な重量があると思われるが、海中では浮力もはたらく。だからといって、生身の肉体で、その足を支えあげるガルバリュートの怪力も尋常ではなかった。 「フヌン……ヴヴヴ!」 まさかそれは洒落で言っているのか……!?と、ガルバリュートの唸り声にヌマブチが白目を剥くのをよそに、戦場に勇壮な歌声が流れた。 近くの、家屋の屋根の上に氏家ミチルが立つ。 いや……ミチルではなかったのかもしれない。その瞳はひややかで、敵への容赦が微塵も感じられない。 それでも、彼女の歌は、味方に力を与えるものであった。 ガルバリュートが全身の筋肉をばねに巨人の足を押し上げ返し、バランスを崩した巨体がぐらりと崩れる。 「古代の機兵よ、神秘と共に再び眠りにつくがいい」 ガルバリュートは倒れ往く巨人の足を掴むと、そのまま回し投げるという、ありえない怪力を発揮した。 巨人は別の巨人とぶつかって、諸共に倒れてゆく。 「っと、あぶねぇな」 巨人の放つ光線を、朧・ノスタルジアは体を変形させることでぎりぎりのところでかわした。 鉄の巨人に意志のようなものは感じられない。ただ無機質に、無差別に破壊を行う。再び光線を射出。今度は命中するに見えたか、朧は胴体に穴を開けて光線を素通しする。不快そうに、眉を跳ね上げた。 「潰してやる」 跳躍する。同時に、手が鋭い槍のように変形。巨人の首筋に突き刺さった。 巨人は腕を動かして、朧を捕らえようとするも、動きはあまりスピーディではないので、捕まえることはできなかった。 朧の視界の端を、動くものがある。それはシーホースに騎乗した星川征秀であった。 巨人はふたりの敵を相手どることになった。 「あっちだ」 征秀が叫んだ。 「あいつの頭を、十時の方向へ」 朧は視線を投げて、征秀の意図を理解する。 挑発するように、シーホースを駆って動き回る征秀。それを捕らえようと動き出す巨人。その瞳に、光が灯る。その機をとらえて、朧は首筋に槍と化した手をつっこみ、梃子を利かせて首の向きを捻じ曲げる。 意図せぬ方向に放たれた光線は、その方向にいた別の巨人に見事に命中した。 (なるほど。あれはいい手だ) それを見ていたのはゲーヴィッツ。 先ほどから黙々と巨人と取っ組み合い、組み伏せていた彼である。 手近な巨人に飛び掛ると、四肢をからめて動きを封じ、ぐきり、と首を捻った。発射される光線を別の巨人にあてる。これはいい、と調子に乗ってさらに首をねじったら、そのままねじ切れてしまった。 なんだ、つまらん、と首を投げ捨てると、まだ動いている別の巨人と力比べをするべく、のっしのっしと歩き出すゲーヴィッツであった。 「マグロ! もう一丁いくわよ! カッコイイとこ見せてやんなっ!」 フカ・マーシュランドの檄が飛ぶ。 彼女と、妹のマグロ・マーシュランド、そこに七代・ヨソギを加えた3人は、息の合った連携で巨人を仕留めていっていた。 「はーい、いっくよぉ~、ヨソギン見ててねーー!」 「マグロちゃん、無理はしないでね!」 マグロが飛び出していく様を見送ると、ヨソギは少しはらはらする。またあのときのような……と気持ちが傾くのを振り払って、目の前のことに集中しようとした。 「ヨソギ」 そんな思いを読み取ったように、フカが言った。 「あれから私らも成長したのよ。……安心しな。今度は絶対にしくじらない」 「あ――」 前方では、マグロがすばやい動きで巨人の腕をかいくぐりながら、銛を撃ち出している。 巨人の鈍重な動きでは泳ぐマグロを捕らえられない。そして、腕の付け根や肘といった、間接部の隙間を狙えばいいと看破したヨソギの助言どおり、マグロは的確に敵の急所に銛を撃ってゆく。 そこへマグロが援護の射撃を。 マグロが銛を当てたところへ銃撃を食らわせ、傷を広げる。 「さぁ、頼んだわよ」 「はいっ!」 とどめはヨソギの削鋼機榴弾発射筒。高速回転する鋼鉄のドリルが付いた機械榴弾が姉妹の開けた口から巨人の内部へ入り込み、そこで爆発する。内部機関を破壊された巨人はなすすべもなく膝をつくのだった。 「やったーーー!」 マグロが無邪気な歓声をあげれば、フカとヨソギの表情もやわらぐ。 と、そこへ。 「おーーい」 と追いついてくるものがいる。 「助太刀に来たでー」 「……んぅ?お兄ちゃん、だーれー?」 「……アンタ誰よ?同業者かしら?」 やってきたのはロストナンバーには違いない。 「アンタ誰って、つれないなぁー。ワイは姉ちゃん達の事、よ~知っとるで。同じ世界出身の美人姉妹やもん、見逃すはずあらへんわ」 「シャチさん! お久しぶりですぅ」 ヨソギが声をあげた。 「おっ、大将も覚醒しとったんかー。こんな所でまた会えるとはな~」 シャチは豪快に笑った。 「ボクの鍛えた包丁の調子はどうですかぁ?」 「包丁は、えぇ感じやで。切れすぎて怖いくらいやわ」 「ちょっとアンタ、そんな話は後、後! 手伝ってくれるんなら別にいいけど、やるならしっかりやんな!」 フカが叱咤しつつ、武器を構える。すでに、新手の巨人が姿を見せていたのだ。 「わかってるでぇ。ほな、いこか!」 すらり、と包丁を抜き放って、シャチは敵を見据えた。 ヌ=ンヴヴ市街地での戦いは、巨人とロストナンバー、そしてアビイス軍との三つ巴になるものと予測されていた。 だがアビイス軍は、ここでは必ずしも戦うべき相手ではないから、その対処をどうすべきか考えるべきところであったが、蓋を開けてみれば、幸か不幸かその心配は必要なかったと言えた。 このときすでに、アビイス軍はほぼ壊滅していたからである。 かつてアビイスたちが使役していた海魔の死骸が漂うなか、秀麗なおもてをわずかに曇らせ、アマリリス・リーゼンブルグがゆく。幻術でロストナンバーたちの姿をアビイスに偽装するつもりだったが、その必要もなさそうである。 巨人たちによって破壊された市街地を見下ろしながら飛んで(泳いで)いたアマリリスは、眼下に動くものをみとめた。 がれきの陰に、ひとかたまりになっているのはアビイスたちのようだ。かれらがロストナンバーに遭遇した様子である。 「今度は敵じゃねえんだってば!」 鰍だった。声をあげるも、追い詰められたアビイスには通じそうもない。手に武器を構え、向かってくるアビイスたち。そこへ割って入ってきたのはルンだ。手にした弓で、アビイスの槍を弾いた。相手が怯む。だが、ルンは、 「戦う相手、違う。ルンたちは違う」 と、そっぽを向く。 地響きが近づいてきた。鉄の巨人だ。アビイスたちは恐れてわっと逃げ惑う。 そこへ容赦なく、巨人から光線は発射された! 「っと!」 鰍がトラベルギアを用いて結界を展開。光線を遮断する。 同時に、巨人の突進が止まった。目を凝らせば、細い糸が巨人の全身に巻き付いていた。 「おい、おまえら」 周辺のがれきのあいだに、同じ糸が張り巡らされている。そのうえを、鮮やかな毒蜘蛛よろしく歩いているのが糸の主、ヴァージニア・劉。ちょっとだるそうに語りかけた。 「あとは任せてもいいか? 巨人はまだまだいるからな。面倒くせえことだよな」 そう言うと、返事は待たずに、糸から糸へ飛び移ってどこかへ行ってしまった。 「よし!」 「ルンは狩人。任せろ」 ふたりは(鰍の背中にずっとしがみついているホリさん――なぜか海中でもフォックスフォームのまま――を数えればふたりと一匹は)動きを封じられた巨人に向かってゆく。 アビイスたちが戸惑った様子で、それを眺める。 そこへ、ひらりと舞い降りてきたのがアマリリスである。 「戦えるものはいないのか」 アビイスたちに凛とした声を張る。 「お前達の故郷を護りたいのならば、ともに戦おう」 そう言うと、剣を手に、鰍たちに続いた。 そのあとを……何人かのアビイスが、動き、加勢に加わろうとする。それが呼び水となって、動きを封じられた巨人は、ロストナンバーとアビイスの集団に一斉にたかられ、破壊されることになったのだった。 戦いは終わろうとしていた。 アビイス勢は巨人に壊滅させられ、その巨人は、ロストナンバーが駆逐していったからである。 今も、ブレイク・エルスノールの命令を受けたガーゴイルの群れが巨人を引き倒し、蹂躙しているところである。 少し離れて、ブレイクがその様子を見守る。 「アビイス族も災難だよね。王様は怪物になって、鉄の巨人の群れに襲われて」 誰にともなく、彼はつぶやく。 いや、誰にともなく、ではない。彼はこう続けたのだから。 「世界図書館の諸君、この惨状を忘れてはいけないよ。災禍の種を撒いたのは、他ならぬ僕達なんだ」 それを聞くのは、傍に控えるレイド・グローリーベル・エルスノールのみ。 レイドの役割はブレイクが巨人を駆逐する傍らで、乱入してくると思われるアビイス兵を退ける予定であったが、もはやその任も必要なさそうだった。 ブレイクの言葉を受けて、レイドが思うのは、これだけのことを引き起こしたのが、小さな欠片ひとつであるという事実だ。 破片回収のための部隊は都市の地下へ向かった。 今頃、王に接触しているだろうか。 ■ 深淵にて破滅は目覚める ■ ヒャハハハハハ―― ジャック・ハートの哄笑が地下に反響する。すでに異形の怪物と化したアビイス王の肉体を、ジャックのウインドカッターが斬り裂いてゆく。再生していこうとする肉体を、斬って、斬って、斬ってゆくのだ。 「どこだ、さっさと破片を吐き出しやがれ!」 『回復のスピードが速すぎます。おいらが抑えますよぅ!』 北斗が重力でプレッシャーをかける。 いくぶん動きは鈍ったようだが…… 「皆様」 ジューンが声をあげた。 「各自、耐衝撃防御をお願いします」 言いも果てず――彼女の仕掛けたC4爆弾が爆発した。 ジャックはサイコシールドで、北斗は反重力で爆破から身を護る。 あとに残ったのは、原型をとどめていない肉片の、そのまた名残だ。 『世界計の破片……ありませんよぅ!?』 「どういうこった!?」 「……帰結する結論はひとつです」 淡々と、ジューンは告げた。 「これはアビイス王ではありません」 「あァ!?」 ジューンのセンサーが遺跡をサーチしてゆく。 「この構造物はまだ奥へ広がっています。私たちの到達時間から考えて、この浅層で追いつけるはずもありません。一種の分身のようなものでしょう。……みなさんにお伝えしましょう、でないと無駄な戦闘が発生します」 ロストナンバーたちは、都市の下へ広がる暗黒の空間へ潜入していた。 複雑に入り組んだ構造は、それがあきらかな人工物であること、そして高度な機械文明の産物であることを示している。だが今は悠長に調査をしている暇はなかった。 「!」 異形のものが、その行く手にたちはだかり、触手をふるって襲い掛かってくる。 ファルファレロ・ロッソの二丁拳銃が触手を撃ち抜き、そのまま後方の壁や天井に弾痕を穿った。長年海中にあった遺跡は脆くなっている箇所もあり、たやすく崩落する。 ルサンチマンが崩れたがれきを武器としてアビイス王へ投げつけてゆく。 村崎 神無は、できれば遺跡の破壊は避けたいと考えていたが、穏やかには終われないようだ。 がれきに半身を埋められたアビイス王の首筋へ、神無が刀を振り下ろす。ファルファレロがその斬り口に続けさまに弾丸を撃ち込む。 「なんだ……破片がねぇぞ!」 「あ――」 神無はノートに飛び交う情報を拾って、声をあげた。 「偽者なんだわ」 「何!?」 「危険です。退避を」 ルサンチマンが警告する。 ひときわ大きな崩落。神無は思わず身をすくませるのを、ファルファレロは舌打ちしながらその首根っこを掴んでともに飛びすさる。かれらの眼前で、アビイス王――その分身の一体が大きながれきに潰されてしまった。 「どういうことだ、偽者って」 「……分身を、生み出しているって。分裂しながら……本体は遺跡の底へ――」 神無はかすかにふるえる声で、得た情報を伝えた。 この遺跡にはなにがあるというのか。世界計を得た、その王が追い詰められてすがるほどの何かであるのか。神無は畏怖を禁じえない。 「ええ~世界計の欠片、ないんですかぁ!?」 川原 撫子は釘バットを振るう手を止めた。 コタロ・ムラタナが海水を凍らせつくりあげた氷柱で王を貫き、磔にして動きを封じてから欠片を取り出すという連携も、肝心の欠片がないのでは致し方ない。 「欠片を持っているのは本体だけ、か。なら、ここまで来るのが遅れた俺たちより、先に行っている潜入部隊のほうが当然、速い。俺たちは退路の確保をしたほうがよさそうだぜ」 と、ティーロ・ベラドンナ。 「……いつになく弱気だな」 「海の中はマジ苦手なんだ。それに」 コタロの言葉に、ティーロは眉をひそめた。 「来る前に海のうえで精霊から聞いたんだが。……『鈴の音』ってのはやばいらしいぜ。それが鳴ったときは、島や町が消えるときなんだとさ」 「どういう……ことだ。音に……そんな力、が」 「いや。音そのものじゃない。すげぇ力が、降ってくるそうだ」 「降って……?」 「碧さん……!」 吉備サクラの制止も聞かず、碧はサクラの幻術が覆い隠す範囲から果敢に飛び出してゆく。 彼女たちは異変のはじまりと同時に王を追ったため、最深部にもっとも早く到達することができていた。だがそこで見たものは、もはや不定形の肉塊と化して膨張を続ける、かつてアビイス王ダールであったものの姿だ。 最深部の、機械の群れを半ば取り込むようにして青灰色の粘液の海と化したものは、でたらめに触手や手足を生やしては溶かし、無数の分身を生み出しては、自らそれを捕らえて貪り……まれにそれを免れた分身体が遺跡の浅層に逃げてゆく(これが、後から来たロストナンバーの遭遇した分身であろう)。 サクラたちは、とにかく破片の位置を特定しようとしていた。傷が即座に回復するという特性上、部位へのダメージを再生より速く与え続けることしか、破片を取り出す方法がないからだ。しかし、王の肉体がどんどん広がってゆくこの状況では。 碧が業を煮やしたのも無理からぬことである。 彼女は、王であったものにまだ飲み込まれていない機械の上から上へ跳びわたりながら、彼女へ押し寄せてくる触手を斬り裂き、灰色の不気味な粘液の海を攻撃していた。そこへ、スピアが、援護に駆けつけ、碧を手伝うが、この海の中から小さな破片がどこに埋まっているのか探すのは至難の業と思われた。 ジョヴァンニ・コルレオーネの杖から、蔦が伸びる。それは粘液の海の中にもぐりこみ、なおも深く伸びてゆく。 「硬度は最強に。かつ、回復を妨げる毒を流し込んでおる。そうしながら、どうにか破片を探す。今すこし待ってくれい」 ジョヴァンニの言葉に、サクラは頷く。 破片の回収は自分たちの使命だ。なんとしてもやり遂げなくては。 そのときだった。 機械類が、低い唸りをあげるのを、サクラは聞いた。 モニターに光が灯りはじめる。 そして―― 「なにこれ。……鈴の――音……?」 「この音は!」 相沢優は響いてくる音に息を呑む。 「はじまってしまったか」 ムジカ・アンジェロは手にした通信機へと語りかけた。 「ベヘル。聞こえるか」 『……。音は採取した。皆にも伝える。……どうする? 姫の警告を信じるなら退避を推奨するけれど』 「いや。もう少し様子を見る」 足早に、先へ進んだ。 「急いだほうがよさそうだね」 イルファーンが言った。言わずもがなだ。 一同は最速で海底の遺跡を駆け抜け、王とジョヴァンニたちのいる深層の広間へ出る。 そこでは、粘液の海になかば沈みながら、遺跡の機械が煩いほどの音を立てていた。モニターには絶え間なく、なんらかの情報が映し出されては明滅している。 「めっこの異形度チェーーーック♪」 イテュセイがあらわれた。 「ん~、『めっこ2つ』!と思ったけど、聞いた話よりすごくなってるからもう1つおまけ! この中から破片を探せばいいのね? てぇええい!」 奇声とともに、粘液の海へダイヴ! 通常の人間が、あの、王の身体だったものに全身を浸してどうなってしまうのか、想像もしたくないことだが、イテュセイはその中を自在に遊泳して世界計の破片を探しているようだ。 一方、周囲にでたらめに浮遊している虹色の不定形ななにかはエータが放った彼の器官。遺跡の機械にとりついて情報の解析をはじめる。 「どこかと通信しているようだね。なにか送信してる。ココの……位置情報かな?」 ほかに蓄積されている情報がないか探ったが、ここにある機械からは取り出せなかった。 できれば世界計の破片そのものもどさくさにまぎれて解析したいところだが、大勢のロストナンバーがこの場にいてその意識の焦点となっているものにはそうそう近づけない。 「とったどーーーぉあわぶごばぁ」 粘液の海から、イテュセイが顔を見せた。その手の中にはまさしく破片が……と見えたのも一瞬のこと、周囲の粘液が触手の束と化してイテュセイもろとも破片を呑み込んでしまう。 しかしこの一瞬で、場所が特定できたのだ。 ジョヴァンニの這わしていた蔦が、その場所にすばやく収束し、破片をとらえた。イテュセイもろとも、破片を含む組織を絡めとり、持ち上げる。 それが粘液の塔として立ち上がった。 その機を逃さず、碧が切断。本体を離れた肉片を、ピアスが蹴った。 はじけとぶ肉片。あらわになった破片が放物線を描き―― 「キャッチ! キャッチしました!」 サクラの手の中に収まった。 「……テロリストK、ミッションコンプリート」 衣裳のままに、アニメキャラの決めセリフでポージング。 「よし、回収完了だ」 アキ・ニエメラが状況を確認し、テレパシーでロストナンバーたちに情報を伝達。 「撤退しよう。すごく危険な予感がする……ハルカ、深入りするなよ」 ハルカ・ロータスは粘液の海を念動で押さえつつ、加熱して蒸発させることを試みていた。世界計の破片を失った肉体はすでに崩壊をはじめている。もはや、かつてのアビイス王の知性もそこには残されていないようだった。 撤退が始まった。 ハルカが超能力で、イルファーンが転移の魔術で、目につくロストナンバーをかたっぱしから転移させ、遺跡外へ送っている。 「ムジカさん、ここを離れましょう」 優は、ムジカを促す。 ムジカはああ、と生返事を返したが、口惜しそうだった。 十分な時間と、準備があれば、この遺跡からなにかがわかったかもしれない。 モニターに映し出されるのは古代の文字であるため、チケットの効果があっても読むことはできなかった。 ただ、いくつかのモニターがあからさまに警告と思しき赤い色で明滅している。そのうちのひとつをムジカは指した。 「あれは数字じゃないだろうか」 「数字……?」 ふっ、と頬をゆるめる。 「カウントダウンさ」 「えっ」 勘だったが、おそらく正しかっただろう。 ■ 終焉 ■ リィィィィ……ンンン――。 ベヘル・ボッラがムジカに渡した装置を通じて、その音を、フェルムカイトス号でも聞くことができた。 「鈴の音。これが姫が予言した」 「似ているけれど、実際の鈴ではないようだね。なんらかの装置が立てる音が、鈴に似ているということだろう。分析中だけれど、この音自体には何の情報も含まれていない。単なる現象なんだ。けれどなにかが作動を始めたことは間違いない」 とベヘル。 「鈴の音っていや、『海神祭』だよな」 ロミオの言葉に、ベヘルは微笑む。 「同じことを考えていた。神に、鈴の音。海神祭の伝承は気象を操る力がかつて存在したことを伝えていた。これも同種のものと見ていい。周辺の情報のモニタリングを怠らないで」 「よし。センサーをすべて動かせ」 「というか、逃げたほうがいいんじゃないのか」 由良 久秀が言った。 艦を降りそびれて着いてきてしまったが、先ほどから由良天性の「なにかまずいことになりそうなアンテナ」がマックスに振り切れているのだ。 「破片も回収したし、巨人も片付いたみたいだ。戦いは終わりってことでいいよな? アビイス族にそれを伝えられないか?」 と虎部 隆。 提案を受けて、フェルムカイトス号がヌ=ンヴヴの上を通過しながら『停戦』の旨をスピーカーで流すことになった。同時に、都市に散っていたロストナンバーたちが撤収してくるのを回収してゆく。 ヴィクトルが、準備してくれていた緊急避難用の魔術が役になった。「招来術」により、ロストナンバーたちをどんどん艦内に呼び戻す。 「ちょっと行ってくるのです」 今に至るまでどこかでまどろんでいたらしいシーアールシー ゼロが、むくり、と起き出してきて言った。 「戦いなら終わりましたよ」 「神罰がくるのです」 ドアマンが優しく言ったのへ、ゼロは淡々と返す。 「ロストナンバーは自力でどうにかなるのです。ヌ=ンヴヴの人たちはそれができないのです」 「なるほど。承知。よろしければこのドアマン、微力ならお手伝いしましょう」 「わっちらも協力するでやんすよ~」 旧校舎のアイドル・ススムくんの30体が声をそろえるなか、ドアマンは外へのドアを出現させた。 リィィィィ……ンンン――。 かつて、その世界には高度な文明が栄えていた。 気象さえ制御し、圧倒的な力を秘めた兵器を製造することのできた、高い技術をもつ文明であった。 太陽と月を天秤に載せた意匠をシンボルとしたのも、おそらく世界のすべてを意のままにすることの暗喩であったのかもしれない。 その時代、この世界にはまだ多くの大地があったと考えられる。 しかし、あるときを境に、その文明を築いた人類は地上から姿を消した。 そして、大陸は海の底に沈んだのである。 それから幾星霜を経たのだろうか。 海は、人魚や魚人などの亜人の領域となり、海魔と呼ばれる異形の生物たちが支配する地となっていた。 人類は……わずかに残された陸地や、海の上に浮かぶ都市に暮らすことを余儀なくされた。 この世界を発見した世界図書館は、どこまでも続く青い海からなるこの世界を、「無限の海洋・ブルーインブルー」と名づけた。 リィィィィ……ンンン――。 その日、ブルーインブルー、さいはて海域に近い地域に住まうひとびとは、さいはて海域の果ての方角で、空が真っ黒に曇るのを見た。そして曇天の空を、行く筋もの光が走っていった。まるで、その空になにかが集まるように、だ。 集まった光は、雷のように、まっすぐに降下した。 波を貫き、深い海溝の奥底まで到達する。 その「第一波」だけで、アビイスの王城があった地域に数百メートルの穴が穿たれた。そこにあったものは、自然の岩盤も、アビイスの都市も、古代の遺跡も、等しく消滅した。 「第二波」がくるまえに、シーアールシー ゼロが急速に巨大化し、ヌ=ンヴヴの都市そのものを海底が剥がすという荒業に出た。 ゼロの能力の性質により、このことで死傷者が出る心配はない。 物理的にこぼれおちた住人もいたが、これはススムくん部隊と、ドアマンがドアから召還した眷属により救助されていった。 ススムくんは木彫りの像であるため、ここまで携行していた重石を棄てることで自らを「浮き」にすることができた。 いちど撤収したロストナンバーたちも、可能なものは救助に協力した。 そうして人と都市とが取り去られた、かつてヌ=ンヴヴのあった場所に、天から雷が襲来した。 海溝は容易く崩壊し、動作を停止した鉄の巨人も、遺跡の機械群も、すべて蒸発し霧散していった。この遺跡に、ほかになにが眠っていたとしても、それもすべて、海の藻屑と消えたのである――。 その夜。 さいはて海域の夜空に無数の流星群が観測された。 むろん偶然ではないだろう。 おそらくは……あの「雷」は、遺跡から伝令を受けて、狙った場所へ落とされる兵器であったはずだ。今回はそれが自らを消滅させた。きっと何百年、あるいはそれ以上も稼動しなかった「雷を生み出した装置」は、それを最後に、おのれの役目もまた、終えたのではないだろうか。 そして星となって、海に降り注いだのだろう。 アビイスの都市は、崩壊した海溝のうえに、そっと下ろされた。 ほとんど壊滅に近いが、それでも命さえつないでいれば、また立ち上がれる日はこよう。 もちろん戦争は行える状態ではないので、アビイス・ネレイスの種族間戦争はこれで終結した形になる。王は死に、もしかしたら、打撃を受けたアビイスにネレイスが手を差し伸べることで、両種族の友好も育てられるかもしれない。 フェルムカイトス号は無事であった。 雷の落ちた衝撃で、艦が一回転したので、艦内はひどいことになったがその程度で済んだ。 ロミオは、このままネレイスの王国にしばらく逗留するという。 ブルーインブルーの海に、平穏が戻った。 やがて、朝日が昇る。 無限の海洋は、今日も、どこまでもどこまでも――青い。 (了)
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