★ 【終末の日】わらうふじょうり ★
<オープニング>

 その日は何のまえぶれもなく、訪れた。
 いや――
 兆しは、あったのだ。
 不気味に蔓延する『眠る病』。杵間山に出現したムービーキラーの城。青銅のタロスの降臨。そしてティターン神族の最後の1柱となったヒュペリオンの、謎めいた行動――。さらに言うのなら、2度にわたるネガティヴゾーンの出現も、それにともなう幾多の悲劇も、また。意図されたかどうかにはかかわらず、それらはみなこの日へとつながっていたのだろう。

 このままでは、いつか、銀幕市は滅びることになる。

 そうだ。そのことは、今まで、何度となく指摘されてきたではないか。
 そもそもこの魔法それ自体、人間が生きる現実には、あってはならないものなのだから。

「それでも……、人はいつだって生きることを願うもの。そうだろう?」
 言ったのは白銀のイカロスだった。
 タナトス3将軍が、その空の下にたたずんでいる。
 杵間山での戦いが決着した、その報せと時を同じくして、銀幕市の上空に、まるで鏡合わせのように、もうひとつの蜃気楼のような街があらわれたのだった。
 アズマ研究所では、ネガティヴパワーの計測器の針が振りきれたらしい。急遽、ゴールデングローブの配給が急ピッチで進んでいる。
「どう見る?」
 青銅のタロスが、空を睨んだまま、うっそりと訊いた。
『ネガティヴゾーンであろう。本来なら、山にあらわれるはずだった』
「そっちがふさがれてしまったので、別の場所にあふれてきたということか」
「もはやそこまで……猶予をなくしているのだな」
『左様。このままでは、我らの使命が果たされぬうちに、この街が滅びることにもなりかねぬが……』
 そのときだ。
 空を覆う蜃気楼が、ぐにゃりと歪んだ。
 そして、まるで絵を描いた布を巻き取るように、その図案が収縮していく。
「あれは……」
 人々は、戦慄と畏怖をもって、それを見た。
 蜃気楼の街は消えた。
 しかしそのかわりに……市の上空に、あたかももうひとつの太陽のようにあらわれた光球と、そこから、いくつもの小さな光が飛び出すのを。


『非常事態だ。繰り返す。非常事態だ。これは訓練ではない』
 マルパスの声だった。
『あの巨大な光球は、それ自体がネガティヴゾーンであることが判明した。飛びだした光はディスペアーと考えられるが、中型規模で、強いネガティヴパワーの反応をともなっている。この対象を、以後、『ジズ』と呼称する。ジズ群は1体ずつが銀幕市街の別々の場所に向かっており、地上へと降下を行うものとみられる。降下予測地点について対策課を通じて連絡する。至急、各所にて迎撃にあたってほしい。……諸君の健闘を祈る!』

 ★ ★ ★

 ジズ効果予測地点の一つ、タクシー乗り場のある繁華街。そこへの防衛も指示が出ていたものの、未だに対応できずにいた。
 逃げ惑う住人が、多すぎるのだ。飛来してくるジズを発見した一人が、叫んだ。それに伴い、どこかへ逃げようとする住民が我先にと駆け出した。
 何処に逃げるのが得策なのか、どう逃げるのが良いのか、住民達は各々が思うがままに非難を開始し、結局その場は混乱してしまった。
 そんな中、御先行夫はタクシーの運転席から外に出た。道の端に寄せてから避難しようと思っていたのだが、どれだけ待っても人々の動きが切れることはなく、むしろタクシーを動かす方が危ないかもしれぬ、と判断したのだ。
「えっと、キーはつけたままにしているから……」
 売り上げだけは持って逃げないと、とお金を取り出してポケットにねじりこむ。これで、後は自分が避難すれば良いだけだ。
「……おじちゃん、逃げないの?」
 ふと、近くに少女の声が聞こえた。タクシーの傍に、少女が立っていた。じっと御先を見上げている。
「ご両親は?」
「いない。私、一人で出ちゃったから」
 ムービースターか、と御先は納得する。少女の目線に合わせるようにしゃがみ込み、笑いかける。
「それじゃあ、一緒に逃げようか」
「うん」
 少女の返事を聞き、御先は立ち上がろうとする。立ち上がり、少女の手を取り、逃げようと。

――どぉん!

 突如、衝撃が走った。強風ではない。衝撃。
 御先は思わず少女の手を取って抱きしめようとする。が、一瞬の出来事でそれは叶わない。
 暫くし、御先は顔を上げる。衝撃の中心にあった車が飛んできたが、幸い御先はタクシーの陰にしゃがみ込むような形となっていたため、大した怪我を負わずに済んだ。
「危なかっ……」
 御先は、息を呑む。
 少女にお礼を言おうと思っていた。危なかったね、ありがとう、と。少女のお陰で、タクシーの陰に隠れる形となったのだから。
 だが、それは叶わない。少女は出ていたのだ。何も自らの身を遮ってくれるようなものをもつことがなく、立っていたのだ……!
 視線の先に、一枚のフィルムが落ちていた。御先は震える手でそれを取り、強く握り締める。
 衝撃の中心から、薄気味悪い赤い空気が広がり始めていた。まるで夕焼けのような、いや、もっと重苦しくじめっと湿っている、不愉快な空間。
 そうして、真ん中にはジズがいた。その体を徐々に変化させ、それはオウムのようになった。ただし、羽はぬめっている触手でできている。うねうねと動き、逃げ惑い、恐怖に震える住民を狙っている。
 御先はフィルムを一層強く握り締め、蠢くジズを見つめた後、道の端に吐いた。
 オウムの形をしたジズは、けけけけけ、と高音波で笑っていた。

!注意!
イベントシナリオ「終末の日」は複数のシナリオが同時に運営されますが、一人のキャラクターが参加できるのはいずれかひとつになります。

種別名シナリオ 管理番号987
クリエイター霜月玲守(wsba2220)
クリエイターコメント<補足>
 募集日数が短いですので、ご注意下さい。
 皆様には、繁華街の防衛に当たっていただきます。既に小ネガティヴゾーンが展開中ですが、未だに逃げ惑う住民がいます。

<WRより>
 こんにちは、霜月玲守です。
 折角のイベントなので、いつもよりも参加枠を増やしてみました。
 皆様のご参加を、心よりお待ちしております。

参加者
十狼(cemp1875) ムービースター 男 30歳 刀冴の守役、戦闘狂
晦(chzu4569) ムービースター 男 27歳 稲荷神
マイク・ランバス(cxsp8596) ムービースター 男 42歳 牧師
フレイド・ギーナ(curu4386) ムービースター 男 51歳 殺人鬼を殺した男
神凪 華(cuen3787) ムービーファン 女 27歳 秘書 兼 ボディガード
レオ・ガレジスタ(cbfb6014) ムービースター 男 23歳 機械整備士
レイ(cwpv4345) ムービースター 男 28歳 賞金稼ぎ
那由多(cvba2281) ムービースター その他 10歳 妖鬼童子
マリウス(cppz4036) ムービースター その他 18歳 盗賊
シグルス・グラムナート(cmda9569) ムービースター 男 20歳 司祭
<ノベル>

 マイク・ランバスは音を頼りに繁華街に駆けつけた。想像以上に、逃げ惑う市民が多い。
 そんな中、座り込んだままの御先を見つけ「立って下さい」と声をかけた。
「死ぬ気ですか?」
 マイクの言葉に、御先は答えない。ただぎゅうっと、フィルムを握り締めている。それを見て、マイクは悟る。御先の目の前で起こった悲劇を。
「幸運不運は、あります。だからこそ、生き延びたものはとにかく、生きることを諦めてはいけないのです」
「生きる……」
「そうです。死ねば、悲しむであろう人がいるでしょう? だから、何があっても、生きなさい」
 さあ、とマイクは声をかける。御先はよろよろと立ち上がる。それを見、マイクは「さて」と言ってジズを見る。まだ完璧に形態が固まっていないのか、未だに動く気配はない。
「今のうちに、避難をさせましょうか」
 ぽつりと呟き、マイクは逃げ惑う市民達に声をかけ始めた。


 ドン、と空砲の鳴り響く音がした。突如聞こえた声に、市民達は一瞬、しいん、と静まり返る。
「落ち着け! 混乱するのは分かるが、とにかく落ち着いてくれ」
 メガホンを使い、神凪 華(カンナギ ハナ)は呼びかける。一先ず辺りが静まり返ったのを確認し、華は再び息を吸い込んだ。
「災害が起きたならば、避難場所に向かえ! 他の降下予測地点から外れた所にある避難所だ。大人数で固まらず、動き続けるんだ」
 華の声に従い、市民達は動き始める。よし、と小さく呟いた時、向こうから「しっかりしろ!」と声が聞こえた。
 レイだ。レイが、足が竦んでその場に座り込んでいた御先の尻を蹴っ飛ばしつつ、激を入れていた。
「そんな暇があったら、さっさと逃げねぇか!」
 声につられ、華はそちらへと向かう。
「おまえ……レイ、か」
「これは、華さん。またご一緒する事になりましたね」
 華に対し、レイはにこやかに言う。御先を相手にしていた時とは大違いだ。華は苦笑交じりに「そうだな」と答え、御先に近づく。
 手にしているフィルムに目が行き、ぽん、と優しく背を叩いた。
「そいつを抱いて、安全な場所に行ってな」
 御先は何も答えない。華はもう一度、ぽんと背を叩き、避難誘導を再開する。
「手伝うぜ、華さん。お前、さっさと逃げろよ」
 レイは御先に声をかけ、華を追いかける。御先はのろのろと立ち上がる。
 抱きしめたフィルムが、手に食い込む。


 御先の目の前に「御先さん!」と声をあげながら近づくバイクがあった。ゆるりと顔をあげると、そこにはレオ・ガレジスタがバイクに乗りながら手を振っていた。
 バイクは御先の隣につけ、止まる。エンジンはつけたままだ。
「御先さん、これを」
 レオはそう言って、御先にゴールデングローブを差し出した。
「御先さん、持ってなかったよね? 対策課の人から預かってきたよ」
「対策課の、人から」
 御先は、のろのろとそれを受け取り、はめた。途端、心が静かに落ち着いていく。
「有難う、ございます」
 レオは「どういたしまして」と言って笑った。そうして、再びバイクのハンドルを握り締める。
「あの中心へ、いかれるんですか?」
「うん。僕にできる事は何だろうって考えたら、やっぱり逃げる人たちを助けなきゃって思って」
「助ける」
 ぎゅう、と御先はフィルムを握り締める。
「僕にはバイクがあるからね。じゃあ、御先さんも気をつけるんだよ。避難、するようにね!」
 レオはそう言い、バイクを走らせる。途中、何処に逃げたらいいか分からない人を見つけると、バイクの後ろに乗せて避難場所に向かって走りだす。
 御先はフィルムを抱き、再びその場にしゃがみ込む。
 目の前で起こった不幸。生き延びなければならぬとマイクに言われ、華とレイ、それにレオにも避難しろといわれた。
 だが、頭で分かっていても体が動かない。
「……フィルム、見せて」
 不意に、御先の後ろから声がかけられた。
 少女の声だ。
 振り返った先には、那由多(ナユタ)がいた。
 那由多は震える手で御先が差し出したフィルムを受け取り、光に透かして確認し、唇を噛んだ。
「……どうして」
 きら、とブレスレットが光る。那由多のゴールデングローブだ。
「お知り合い、ですか?」
「友達。僕の大事な、友達だったんだよ」
 那由多はフィルムを御先に返し、大薙刀を握り締める。
「許さない」
 ぽつりと呟き、走り出す。中心には、ジズが居る。けけけけ、と声がする。不愉快な、あの、気味の悪いオウムの声が。
「気をつけて」
 御先は那由多の背に声をかけた。那由多から返されたフィルムが、心なしか温かい。
 逃げなければ、と御先は決心する。皆から言われ、自らも生きる意志を持った。ならば、ここから逃げ延びねばならない、と。
 御先はよろよろと歩き始める。ジズの居た方向とは、別方向に向かって。そして数メートル歩いた所で、けほ、と後ろから咳き込む声が聞こえた。
 そこにいたのは、フレイド・ギーナ。
「お前、御先」
「フレイドさん。あの、それは」
 フレイドは御先に指摘され、手にしていた雑誌を投げ捨てる。投げ捨てたのは、バイト雑誌。話を聞けば、珍しくバイト雑誌を立ち読みではなく購入していた際、外の異変に気付いたのだという。
「逃げ出そうとしたら、あの衝撃波だ」
 忌々しそうに、フレイドが言う。フレイドは、見てしまったのだ。その衝撃波によって、店の外の人々が死んでいく様子を。
「大変だったんですね」
 御先が声をかけると、フレイドははっとして御先の腕を掴む。
「馬鹿野郎、とっとと逃げるぞ!」
「逃げるって、避難所にですか?」
 フレイドの足が止まる。そうして、小さく舌を打つ。
「お前と居ると、ろくな事がない」
「そうですか?」
「そうだ! 珍しくちゃんと買おうとした結果が、これだ!」
 見てみろ、といわんばかりにフレイドは指差す。気付けば、ジズの姿が見える。形態が固定されてきており、もうすぐ攻撃を開始するだろう事が分かる。
「もういい、手伝え」
「私は、あまり役に立ちませんよ」
「立つように努力しろ!」
 フレイドの言葉に、御先は苦笑交じりに頷く。逃げようと向かっていた筈の方向から、くるりと踵を返す。
 そうして、フィルムをポケットにそっとしまうのだった。


 避難する市民達の間を、子狐が走り回る。きょろきょろと辺りを見回すことにも、余念がない。
(広場、または大きく頑丈な建物がええ)
 子狐、いや、晦(ツゴモリ)は思う。
(これだけ、大量の市民がおるんや。今ある避難所だけでは、足りん可能性やってある)
 多くの住民が避難する為の場所を、晦は探していた。小ネガティヴゾーンから離れ、安全と思われる広い避難場所。それが、必要なのだ。
「……なるほど。他に、公共施設とか学校とかないのか?」
 話し声が聞こえ、晦は足を止める。見れば、シグルス・グラムナートが無線で誰かと話をしている。
「速やかに避難できるルートは。……分かった」
 ぷち、と無線を切り、シグルスは歩き出そうとする。晦は人型に戻り「なぁ」と声をかける。
「今、何処と話してたんや?」
 シグルスは振り返り「ああ」と頷く。一瞬で、同じ目的で動いているのだと悟ったのだ。
「対策課だ。避難場所となりうる公共施設や学校がないか、確認した。速やかに避難できるようなルートも、いくつか候補としては教えてもらった」
「それ、わしにも教えてくれへんか?」
「勿論」
 シグルスは頷き、晦に場所とルートを教える。いくつかの場所とルートを頭に叩き込み、シグルスに「ほな」と声をかける。
「ついでに、他にも避難場所があるかを確認しつつ行こうや。今ある避難所だけで足りるならそれでよし、足りん事が怖いからな」
「分かった。だけど、公共施設はもう」
「ちゃうちゃう、広場でもええんや。建物に拘る必要はない。ともかく、少しでも大きな避難場所が必要やからな」
 晦の言葉に、シグルスは「なるほど」と頷く。そうして、二人は互いに「気をつけて」と声を掛け合い、それぞれが避難誘導を開始する。
 晦は大きな狐の姿になり、駆ける。声をかけ、もし動けない人がいれば背に乗せられるように。
 シグルスは風の精霊に、避難場所と避難ルートを知らせる声を運んでもらうように頼む。そうして自らは、ルート内で一番ジズに近いであろう場所へと急ぐのだった。


 シグルスが運ぶように頼んだ声は、十狼(ジュウロウ)の耳にも届いた。
「分かった」
 短く、十狼は頷く。そして、盟約を結んでいる幻獣や神獣、半身エルガ・ゾーナに「聞こえたか」と声をかける。それぞれに、首輪型のゴールデングローブがつけられている。
「避難場所とルートは、先程聞いたとおりだ。逃げ遅れた人々が小ネガティヴゾーンにいる。彼らを誘導、運搬、護衛するように」
 獣達が頷く。十狼は「頼む」と告げ、彼らを放つ。
 避難誘導に向かった獣達を見送り、十狼は「では」と呟き、中心を見据える。けけけけ、と笑う声が聞こえる。
 不愉快な声の主は、ジズ。オウム型が固定され、ばさばさと触手の羽を動かしている。
 十狼は、すらりと剣を手にする。ゴールデングローブの影響があるため、自らの能力は最大限に発揮されぬ。ならば、対峙するに当たって用いるのは、剣士としての己だ。
 天人としての人智を超えた能力ではなく、三千年に渡って積み重ねられてきた経験、潜り抜けてきた修羅場が与えた、純粋な技量。
「……アンタ、あいつに立ち向かうんだったね」
 ふと声がし、振り返る。そこには、マリウスが立っていた。
「貴殿もだろう?」
「アタイには、人を防護する能力がないから。だけど、すばしっこさには自信があるんだ」
「なるほど」
 十狼は頷き、魔法をマリウスにかける。身体能力と治癒力の底上げだ。
「能力アップだったな」
「どこまで有効化は判らないが」
「いや、有難う」
 マリウスは、その場でとんとんと軽やかに足踏みをする。十狼にかけてもらった魔法で、少し体が軽い。
「空から光が落ちてきて、世界が滅ぶ」
 ぽつりとマリウスは呟く。ジズに向かいつつ。
 十狼が何事かとマリウスを見ると、マリウスは「似てるんだ」と言って小さく笑う。
「アタイの世界に似てる。だから、此処に居るんだ。足掻く為に」
 マリウスは、未来から来た。
 未来の風景によく似ているというのならば、世界の滅びが避けられぬという事も似ているという事。
 しかし、だからこそ立ち向かう。
「この足掻きで、守れるものがある」
 駆け出しつつ、マリウスは言う。十狼は「賛成だ」と頷き、剣を握り締めた。


 市民を避難誘導させていたマイク、華、レイ、レオの四人の耳にも、シグルスの声は聞こえた。市民たちも同様のようで、一時的にざわめきが大きくなった。
 それによって勢いづいた所為で、わあ、と列の一箇所が崩れた。その拍子に怪我をした者が、数人いるようだ。華とレイが対処しに行こうとすると、ふわり、と獣達が近づいてきた。
 十狼の放った、幻獣や神獣たちだ。怪我をした人々をひょいと背に乗せ、それ以上の混乱を避けるために列から外れて避難所へと向かい始める。
 列の上空には、黒竜が飛んでいる。他に何か異変はないだろうかと、確認するかのように。
 それらを見、華とレイはほっと息を吐き出す。自ら対処しに行かなくとも、ここで誘導し続けられる。対処に当たってくれる存在が、ちゃんといるから。
「私たちの他にも、避難誘導をしてくれているみたいだな」
 華の言葉に、レイは「だな」と言い、華にひらひらと手を振る。
「こっちをやる奴が他にいるなら、俺は別に行くぜ」
「別?」
「あいつの所」
 ぐい、とレイは親指でジズを差す。華の顔にも、緊張が走る。
「他にいるなら俺が行く必要はないかもしれないが、こっちみたいに本当にいるかどうかは分からないだろ?」
「気をつけて」
 華の言葉に、レイはくつくつと笑う。
「まあ、気をつけるさ。やれる奴が、やればいいんだからな」
 レイはそう言うと、ジズの居る方向へと向かう。
 やれる奴がやる。避難誘導は華がいるし、他にもやっている者がいることが確実だから、もういい。
 だからこそ、戦闘は戦闘できる奴がいく。つまりは、自分も含めて。
 口元に笑みを携えつつ向かうレイを見送った後、華は再び市民の避難誘導を続ける。
 避難すべき市民の数が、格段に減りつつあった。


 マイクは市民に「聞こえましたか?」と呼びかける。
「避難場所とルートは、先程聞いた通りです。どうか慌てず、進んでください」
 マイクの声に従い、市民達はぞろぞろと歩く。マイクはほっと胸をなでおろす。
 最初は、呼びかけても市民から返って来るのは「どこへ?」や「本当にそこは大丈夫?」などといった、不安ばかりだった。とにかくジズの攻撃範囲から外れるように、と色々な経路を指示したものの、最終的に何処へ行けばよいのかまでは指示出来てはいなかったのだ。ところが、避難場所という明確なゴール地点が分かった今、避難に対する疑問は薄れた。
(これは、大きいですね)
 順調に避難をする市民達を見つめ、マイクは微笑む。他で動いている、同じ目的の仲間がいる。なんと心強い事か。
 マイクはふと、避難途中で足を止める男性を見つける。
「どうしましたか?」
 声をかけると、男性はその場に崩れた。見れば、足に怪我を負っている。マイクは慌ててハンカチで応急処置を施す。
「大丈夫ですか?」
 男性は、黙って頷く。マイクは「無理はいけません」と言いながら、男性を避難している市民の列から少し離す。
「一先ず落ち着いて、休みましょう。いざとなれば、私が連れて行って差し上げますから」
 マイクの言葉に、男性は「ありがとう」と頷く。脂汗をかいており、応急処置を施したハンカチからは血がにじみ出ている。
(早く、適切な処置をした方がよさそうですね)
 マイクがそう思っていると、遠くから巨大な狐が近づいてきた。晦だ。
「怪我人がおるんか」
 晦は蹲ったままの男性を見、言う。
「そうなんです。早めの処置をしてあげたいのですが」
 マイクの言葉に「せやな」と晦は頷き、ひょい、と自らの背に男性を乗せる。
「わしが連れて行ってやるわ。せやから、われは誘導を続けてくれんか」
「分かりました、お願いします」
 ぺこりとマイクが頭を下げると、晦は「いややな」と言って笑う。
「わしはやれる事をやってるだけや。われも、そうやろ?」
 晦はそういうと、地を蹴って駆け出す。背に乗せた男性を落とさぬよう、気をつけながら。他の市民も今のやり取りを聞いていたらしく「やれる事か」「安全に避難しないと」などという話し声が、ちらほらと聞こえる。
「やれる事……そう、ですね」
 マイクは微笑み、再び市民の誘導を始める。やれる事を、やる。だからこそ、マイクは今、避難する市民を誘導している。
「皆さん、押さないようにして下さいね」
 騒がしかった市民も、心は一つにまとまっていた。
 出来る事を、やる。


 レオは、小ネガティヴゾーンの周りをバイクで走る。既にゾーン内に避難すべき市民の姿は殆どない。皆、誘導によって避難場所又はそこへと向かっている。避難誘導がスムーズに行われた結果だ。
 ゾーン内にいるのは、非難ではなくジズに立ち向かい者達が居る。その事を、レオは知らない。知らないが、恐らく居るのだろうと信じている。
「御先さん、ちゃんと逃げたかなぁ」
 バイクのハンドルを握り締めながら、レオは呟く。ゴールデングローブが間に合って、良かったとも。もしあのままだったならば、御先はキラー化していたかもしれない。出会った際、もしキラー化していたら……と懸念していた。
「他に、何も起こっていなければいいけど」
 レオがそういった途端、目の前の道路から光が溢れた。何事かと近づくと、避難に急ぐ市民と、市民達を守ろうと結界を張っている者が居た。
 シグルスだ。
 数ある経路のうち、小ネガティヴゾーンに少しだけ入り込む部分に結界を張っているのだ。
 レオはシグルスに近づく。シグルスはレオに気付き、結界を張りつつ口を開く。
「大方の人は、避難したと思う。避難場所やルートも知らせた。だけど、この経路に向かってくる途中の人がいるような気がする」
 声を聞き、レオは納得する。彼が、あの声の主だったのか、と。そうして、小ネガティヴゾーンをぐるりと見渡す。
 確かに、ちらほらと人影が近づいてくるように見える。
「この場所は、知らせてくれたルートの中で、一番ジズに近づく所だからね」
「そうだ。だからここで守りの結界を張っているんだが……」
「迎えにいけないよね。うん、それは任せて」
 レオは頷き、バイクを走らせる。すれ違う人たちに「あっちに行けば大丈夫だから」だとか「もう少しだよ」だとか伝えつつ。
 そうして、ジズの姿がはっきりと分かる場所まで来て、辺りに避難中の人がいない事を確認する。
「大丈夫、だね」
 注意深く確認し、再びやって来たルートを走る。一番後ろに居た女性を後ろに乗せ、次に遅い人の後ろを用心深く走る。
「後ろ、避けて!」
 突如少女の声がし、レオは慌てて建物の影に隠れる。逃げていた人も、一緒に。その直後、ずぶ、という音がして何かがぼとと地に落ちた。
 うねうねと動くそれは、触手。ジズの触手だ。
「大丈夫?」
 顔を上げると、その先には大薙刀を持った那由多が立っていた。ぶんと大薙刀を降り、刃についた体液を撒き散らす。
「助かったよ、有難う」
「危なかったね。後は僕に任せて、早く行って」
 那由多の言葉にレオは頷き、バイクにまたがる。エンジンをかける際、那由多の背に「君も、気をつけて!」と声をかけつつ。
「うん、気をつける」
 那由多は頷き、ジズへと向かって歩き始める。
「子どもだって、馬鹿にするな」
 バイクのエンジン音が、遠ざかる。
「僕はこの街が好き。出来た友達の事も、好き。家族になってくれた、おじちゃんも好き」
 背後の光が、一瞬弱まる。シグルスが結界を一旦弱め、怪我人の治癒を施したのだろう。そうして再びバイクが走り出す音がした。他に避難する市民がいないか、確認しに行ったのだろう。
「だから、お前を、許さない」
 那由多はきっぱりと言い放ち、走り出す。
 びちびちと跳ねていた触手を踏みつけていくと、やがて動きを止め、空へと消えた。


 マリウスは、走る。十狼に底上げされた己の身体能力により、足取りは軽い。
「こっちこっち」
 どこか楽しげに、マリウスは挑発する。ジズに理解できているかどうかは不明だが、周りをすばしっこく走り回る存在に気を取られているのは確かだ。
「右に、来た!」
 マリウスの言葉どおり、ジズの触手がマリウスのすぐ右へと放たれる。
(アタイには、未来視が、ある)
 マリウスは、逃げるだけでいい。持ち前のすばしっこさを用いて、未来視を使って避けるだけでいい。
 攻撃は、任せればいい。自らは囮になればいいだけ。
(誰になんて、愚問)
 口元に、笑みが浮かぶ。
「左に、来た!」
 今度はマリウスの左側に触手が来る。これも避ける。避けて、そのまま着地。体を、低くする。
「……攻撃が、行く」
 言葉どおり、直後に十狼が剣をジズに振り下ろす。一瞬で、触手は切り落とされた。触手は暫くびちびちと蠢いた後、沈黙して空へ溶ける。
「やったか?」
「いや」
 十狼の問いに否とマリウスが答えようとする間もなく、触手が上から振り下ろされてきた。とっさに十狼が剣を振るおうとすると、触手は剣まで届く事無く切断され、地に落ちた。
「気をつけて」
 切り落とされた触手の先には、那由多が立っていた。大薙刀を握り締めたまま、十狼とマリウスを見て「大丈夫?」と声をかける。
「助かった」
 十狼の言葉に、那由多は首を横に振る。
「まだ、触手を切っただけ。まだ、本体は残っているから」
「それなら、またチャンスをつくればいい」
 マリウスはそう言って、にっと笑う。とんとんと爪先で地を蹴りながら。
「囮は、アタイがやる。攻撃は、アンタ達に任せた」
「能力効果は、まだ続いているか?」
 十狼の問いに、マリウスは頷く。十狼は頷き返し、那由多に向かって能力アップの魔法をかける。
「大して効かないかもしれないことは、承知してくれ」
「ないよりある方がいいよ。ジズに立ち向かう為には、ちょっとでも強い力が必要だから」
 なるほど、と十狼は頷く。すると、反対側の方から豪快な爆発音が響いてきた。
 ジズによる新手の攻撃か、と一同が身を硬くすると、煙の向こうから「無茶はやめて下さい」という焦った声が響いてくる。
「大体、お店から勝手にもって行くって、どういう事ですか」
「非常事態だから良いんだよ! そういうもんなんだって!」
 煙が収まってくると、声の主がフレイドと御先だという事が判明する。二人のやり取りに、身を硬くした一同は、ふっと力を抜く。
「あ、皆さん」
 御先がいち早く気付き、駆け寄る。が、その前にジズの触手が現れる。御先が「うわぁ」とのけぞると同時に、タンタンという銃声が響き、触手がぼとりと地に落ちた。
「……避難しろと、言ったはずだぜ?」
「あ。レ、レイさん」
 構えている銃を下ろしながら立っているのは、レイ。やれやれと肩を竦めていると、突如マリウスが「伏せて!」と叫ぶ。
 皆、その声に従うように体制を低くする。

――ぱぁん!

 ずおおお、と衝撃波が皆を襲う。暴風の中で、皆は見る。
 ジズが、触手でできた羽で羽ばたいている。それが衝撃波となり、円形状に攻撃を仕掛ける形となっているのだ。

――けけけけけけけ!

 きいん、とする高音の声に、思わず耳を塞ぐ。不快な笑い声は今まで度々聞こえていたものの、頭の奥底にまで響くのは初めてだった。
「くそ!」
 小さくレイは舌を打ち、手近なスピーカーを使って音波を相殺する音を出そうと試みる。
 が、肝心の無線ジャックが出来ない。
 繁華街が破壊されている事により、無線機自体が壊れてしまっているのだ。
 音波は暫く皆の耳を侵し、静かに消えていった。
「形が、固定した」
 治ってきた耳から手を離しつつ、ぽつり、とマリウスが呟く。
 先程までは、不規則な動きをしていた触手だが、今ではオウムの羽としての役割を立派に果たしている。たまに跳ねの動きを邪魔するような障害物があれば、それらを触手で叩き潰したり、巻き付けて遠くに投げたりしているだけだ。
「つまりは、今の所攻撃パターンは三つ」
 十狼が口を開く。「触手、衝撃波、音波」
「不意に近づけば、触手がこんにちは、ってか?」
 ごめんだぜ、とフレイドが言う。
「で、近づかなければ衝撃波と音波か。しかも、音波は打ち消せないときやがった」
 ふん、とレイは鼻で笑う。
「なら、触手を接近戦で斬り捨て、本体には遠距離攻撃を仕掛けた方がいいのかな」
 那由多の言葉に、皆「ひとまずは」と言って頷く。
「避難誘導が終われば、人手も増える。勿論、倒せるなら早い方がいいが」
 十狼の言葉に、マリウスが「大丈夫」と言って、にっと笑う。
「人は、増えたから」
 その言葉を合図といわんばかりに、皆が走った。


 華は、迷っていた。
 避難は終了した。誘導する必要はない。既に、小ネガティヴゾーンから離れた場所に、市民はいる。
 だが、このままジズの元に行ってもよいのか。避難場所が襲われるなどといった事は、本当にないのだろうか。
 小ネガティヴゾーンの方を向いていると、十狼の獣達が集ってきた。そして黒竜が華の方を見、こくりと頷く。
「ここは、任せろというのか?」
 尋ねれば、獣達は避難所の前にちょこんと座った。自分達でも、市民を守る盾くらいにはなれるのだと主張しているかのように。
「……分かった。行かせて貰おう」
 こくりと頷く。華は「頼んだぞ」と声をかけ、走り出す。小ネガティヴゾーン内から、音が聞こえてくる。レイを初めとする仲間が、戦っているのであろう。
 暫く走っていると、向こうからバイクの音が近づいてきた。同じく、小ネガティヴゾーンに向かっているようだ。
 バイクは華に気付き、その足を止める。乗っているのは、レオ。
「あなたも、ジズの元に?」
 レオの問いに、華はこくりと頷く。
「お前もか」
「うん。僕にも、何かしらできることがあるはずだから」
「そうだな」
 ふ、と華は笑う。レオは「うん」と再び頷き、バイクの後ろを指し示す。
「良かったら、乗って行かない?」
「ああ、頼む」
 華はレオの後ろに乗り込む。レオはそれを確認し、再びジズの居る場所へと向かって走り出した。
「もう皆、避難は終わったのだろうか?」
「終わったと思うよ。さっきまで別のところで避難の助けをしていたんだけど、避難し遅れた人がいないようだったから、戦闘の手伝いに行こうと思ったんだ」
「別の所?」
「うん。ほら、声が聞こえたよね? 避難場所とルートの」
 ああ、と華は納得する。
「それで、本人は?」
「怪我人が居たから、彼らを治してから行くと言っていたよ。だから、僕が先に」
 華は「なるほど」と頷き、前を見据える。どろりと重い、赤い風景が広がっている。


 レオに避難し遅れた市民がいない事を教えてもらった後、シグルスは結界を解いて避難所に向かう。怪我人が数人いるという避難所へと。
「シグルス!」
 その避難所に、晦とマイクがいた。避難途中、怪我人を見つけて背に乗せたのだという。
「怪我人は、これで全員か?」
 避難所の一角に、ずらりと怪我人がいる。幸い、重傷を負ったものはいないようだが、早めの手当てが望ましい。
 病院に連れて行くのがいいのだが、混乱した今、どうすればいいのか皆決めかねているようだった。
「一応、声かけておいたから、他にいれば……」
 晦はそう言いながら、辺りを見る。すると、向こうから背に怪我人を乗せた獣達がやってきた。十狼と盟約を結んだ獣達だ。見張りを黒竜に任せ、怪我人を連れてきたのだ。
 獣達は怪我人を下ろし、散り散りに走っていく。他の避難所の安全を見回りに行くために。
「ですが、どうするんですか? 病院に運ぶといっても」
「一度なら治療できる。俺の、ロケーションエリアで」
「そうか」
 晦は頷き、小ネガティヴゾーンを見つめる。既に、避難は終わった。怪我人は集め、シグルスが治療する。避難した後の市民は、十狼の獣達が行ってくれる。となれば、後は。
「わしは、先に行かせてもらうわ」
 晦はそう言って、地を蹴る。小ネガティヴゾーンへと向かって。避難が終わった今、避難誘導も援助も必要ではない。必要なのは、ジズと戦う力のみ。
「では、私も先に行かせて頂きます。また、後ほど」
 マイクも軽くお辞儀をし、駆け出した。未だに、小ネガティヴゾーン内から戦闘している音が響いている。人手は多ければ多いほどいいに違いない。ゴールデングローブもあり、どこまで力になれるか判らないとしても。
「ああ。また後で」
 シグルスは答え、ロケーションエリアを展開する。光が降り注ぎ、天使の姿が舞っている。そうして、ロケーションエリア内にいる怪我人達の傷が癒えていく。
(これで、もうロケーションエリアは展開できない)
 ふう、とシグルスは息を吐き出す。ジズと戦闘中の仲間達に使ったほうが良かったのだろうか、と一瞬心を過ぎる。
 だが、その考えをすぐに一蹴する。怪我を負った銀幕市民の数が多かった。一人一人に治癒魔法を唱えていくほどの体力も、魔力も、時間もない。
「俺も、行かなくてはな」
 ぽつりと呟き、何度か深呼吸してからシグルスは駆け出した。


 マリウスが囮となり、駆ける。その動きに触発され、触手が狙う。
「無駄なんだけどね」
 訪れた触手を見、マリウスは呟く。言葉どおり、触手達はばっさりと切り捨てられていく。十狼と、那由多によって。
 タンタン、と軽やかな足音が響き、ばさりどさり、と触手が斬りおとされる。その繰り返し。
 そしてその繰り返しによって、ジズの懐に隙が出来る。
「うおおおお!」
 フレイドが叫び、スプレー缶を拝借して作った火炎放射器で攻撃を仕掛ける。よろ、とジズが一瞬よろめく。
 そこを、レイが無手で殴りかかる。無手とはいえ、レイはサイバー。その一撃は、重い。

――いたいいたい!

 無機質な声が、響く。
 本当に効いているのかと疑いたくなるような、ジズの声。痛いという割に、攻撃に対して着実に反撃をしてくる。
「こいつ!」
 レイは舌を打ちつつ、チタンカッターの爪を伸ばし、襲い掛かってきた触手を斬る。更にやってきた触手は、マリウスが誘導し、十狼と那由多が斬り、フレイドの火炎瓶に燃やされた。
 ジズはといえば、斬られた場所を惜しむ事無く、再び触手をはやした。懐に喰らった炎と衝撃で、動きが多少鈍くなったものの、未だ健在。
「……一筋縄ではいかぬようだな」
 十狼は呟き、襲ってくる触手を再び斬る。
「本当、しつこい!」
 那由多は叫び、大薙刀から二刀へと変化させる。更に、鎧も纏う。ジズの攻撃は形態が固定してから、正確さが増している。いつ、怪我を負ってもおかしくない状態だ。
「本当に効いてるのかよ? どうも、手ごたえってのが感じられない」
 フレイドは言い、今度は火炎瓶を手にする。スプレー缶の火炎放射器の方は、既に燃料が尽きた為に意味を成さぬので、ぽいと捨てる。
「効いてた。アタイの足に、たまについて来れないんだ」
 マリウスは、こんこん、と爪先を叩きながら言う。
「効いているなら、続けるだけだな!」
 ザシュ、と襲い掛かってくる触手を爪で切り裂きつつ、レイは言う。皆で話し合う際にも、ジズの触手がしつこく追いかけてくる。
「本当に、しつこ……」
 再び襲い掛かる触手を斬りおとさんと那由多が構えた瞬間、後ろからドドドドという機械音が響き、空気の弾が触手へと叩きつけられていく。
「はぁぁ!」
 続けて、触手は機械音と共に現れたサバイバルナイフによって斬りおとされた。
「……皆、大丈夫?」
 空気弾を打ち込む機械をジズに向けつつ、レオはそう言って皆を見回す。
「加勢に来た。まだ、ジズは生きているようだな」
 サバイバルナイフを構えながら、華はそう言って皆を見る。
 これで、プラス二人。
「避難は完了したのか?」
 レイが尋ねる。華は「ああ」と言って頷く。
「だから、もう小ネガティヴゾーン内に市民はいない。余程、隠れているなら別だが」
「これだけ騒がしくしていて出て来ぬのだ。恐らく、いないだろう」
 十狼はそう言い、ちらりと辺りを見回す。相変わらず、ジズ以外に姿は見えぬ。
「おい、後ろ……!」
 突如声がしたかと思うと、マリウスは誰かに庇われた。そうして、マリウスの背を狙っていた触手が木刀にはじき返される。
「大丈夫か?」
 木刀を構えつつ、人の姿に戻った晦が尋ねる。マリウスは「もちろん」と言って笑う。
「アンタ達は、ちゃんと来たからね」
「ご無事で、何よりです」
 マリウスを地に下ろしつつ、マイクが笑った。
 更に、プラス二人。
 基本的な戦い方は、変わらぬ。邪魔をしてくる触手を斬りおとし、隙ができれば本体に攻撃をしかける。効いているかどうかは目で見て分からないが、ジズの攻撃が少しずつ鈍っているような感じがした辺り、効いているのだろう。

――いたい、いたい、いたい。

 何度目かの攻撃を仕掛けた後、ジズが静かに言った。
 感情など何も伴わぬ言葉と声に、皆は無視して攻撃を続けていた。だが、その時の声は今までのそれとは少し違う。
 いたい、という言葉が、妙にはっきりと聞こえてきたのだ。
 触手がふるふると震えていた。ジズの全身も震えていた。
「なんや……? 何が起こっているんや」
 晦が木刀を構える。
「今までも、こんな事が?」
 マイクが先に戦っていた五人に尋ねる。答えは、否。
「一度だって無かった。こんなの、初めてだ」
 レイはそう言い、ジズを見つめる。
「もしかして、倒したんじゃねぇか?」
 フレイドが前向きに言う。が、皆の表情は明るくない。フレイド自身も含めて。
「そう、思いたいけど」
 那由多がぽつりと呟く。胸の中を、不安が駆けぬける。
 ジズは、両翼を広げた。ふるふると全身を震わせるのはそのままに、ばさ、と。
「嫌な予感がする。皆、攻撃に備えた方が良い!」
 十狼が叫ぶ。本能が叫んでいる。これは、危ないと。
「何か、物陰に隠れた方がいいかもしれないよ!」
 レオが皆に呼びかける。ジズとの戦闘によって辺りにあったものは大分なくなっていたが、それでも身を隠すくらいの場所ならばいくらでもある。
「これは、危なかった。うん、危なかったよ!」
 マリウスが叫んだ。「アタシは、ええと……ええと……!」と何度も呟く。その後、どうしたんだっけ、とマリウスは何度も繰り返す。未来を思い出す形で見る未来視。
 なのに、肝心な所なのに、思い出せない。危ないという事なら、いくらでも思い出せるのに。
「皆、伏せろ! 物陰に隠れ、じっとしていろ!」
 華が叫ぶ。自らも隠れながら。今までこなしてきた仕事が仕事だから、こういう勘は良く働く。
 とかく、危険な事に関しては。
 ジズはヴヴヴヴ、と震えた後、大きく触手の翼を羽ばたかせる。

――ぱぁんっ!!!

 ずざざざざざ、という強風がジズを中心にして起こる。
 ああ、強風、と一言で言っていいものか。今までだって行われてきた、ジズの衝撃波による攻撃。そう、今までは強風が起こってきた。

――けけけけけけけ!!!

 無機質な声、笑い声。不快な音域、不愉快な高音。
 頻繁ではなかったが、今まで度々それらは皆に襲い掛かってきた。が、突破できた。こんなにもダメージを負うなんてなかった。

 物陰に隠れたのに、全身が気だるく痛い。
 耳を塞いだのに、頭の中がぐるぐるとして気持ち悪い。
 動かねばと思うのに、体が動かぬ。
 立ち向かわねばならぬのに、足が前に進まない。

 なんという、ああ、なんという不条理……!

 暫くすると、ふ、と力が抜けたようにそれらの現象は収まった。ばたり、と一気に皆は崩れる。
「ああ、そうだ。これだった」
 マリウスは唇を噛み締めつつ呟き、立ち上がる。あの不条理な攻撃は一過性。今まで蓄積された疲労以外には、影響はない。
「ジズの動きが止まっている。が、こちらもすぐには動けない、か」
 十狼はそう言って、ジズを見つめる。大技の反動なのだろうか。活発に動いていたジズの触手にも動きはない。
「それに、大分時間がありましたね。あれが放たれるまでに」
 マイクは自らについた埃を払いつつ、言う。徐々に、体が動くようになってきた。
「なら、あれが放たれる前に攻撃を繰り返すと言うんか?」
 晦はそう言って、ジズをちらりと見る。「隠れていて、これやで?」
「でも、放たれた後に動く事はできないよ。それなら、リスクを承知で放つ前に仕掛けた方が良い」
 那由多は、ぎゅっと刀の鞘を握り締めつつ言う。
「なるほど。今までは触手によって攻撃を分断されていた。だが、触手が動かぬのならば、攻撃は一点に集中できる」
 華は頷きながら言う。ひらひらと手を動かす。感覚が、戻ってくる。
「攻撃をする為の道を切り開くんじゃなくて、その手段さえ攻撃にするんだね」
 レオは、機械にそっと手を触れる。放置されていた車やオートバイなどの機械を解体して作った、攻撃用の機械だ。先程の衝撃波で壊れた為、今一度手早く修理する必要がありそうだ。
「攻撃自体も、力いっぱいやらないと駄目だな。長期戦は、こちらが不利だ」
 レイはそう言い、ちらりとあたりに放置されている車を見る。「あれを、投げ飛ばしてみるか」
「車なら、良いのがあるじゃねぇか。な、御先」
 にやり、とフレイドは笑う。何かをたくらむ、悪戯っぽい笑みだ。
「で、ですが。リスクは大分大きいんじゃないですか?」
 御先が慌てて皆に言う。すると、後ろから「俺が、結界を張る」と声がした。
「俺が、皆に結界を張る。そうすれば、リスクは大分減るんじゃないか?」
 シグルスだ。にっと笑い「だから一点集中に、賛成」と付け加えながら。
「その結界とは、どういう類だ?」
 十狼の問いに、シグルスは「物理攻撃軽減を」と答える。
「どういう魔法の種かは分からないから、とにかく物理攻撃を軽減させる。だから、衝撃波自体には、何処まで効果があるかは」
 言いよどむシグルスに、那由多は「やってみようよ」と提言する。
「勿論、無理はしないけど」
「そうですね、無理は禁物です」
 那由多に同意するマイクに、フレイドは「俺も」と頷く。
「俺もごめんだな。死にたくないし」
「ほな無理せん程度に、死なんように、という事か?」
 晦が言うと、一斉に皆吹き出した。そうしてひとしきり笑った後、再びジズに向き合う。
 先程のダメージは、完全に抜けた。今まで積もり積もった疲労は残っているが、あの不条理な攻撃によるダメージは、ない。
 ジズも、動き始めた。ゆるりと。
「来るね、これは」
 レオの言葉どおり、触手が皆を狙おうとしていない。先程の攻撃の前兆と、同じ。
「ならば、行くか。今度は隠れず、立ち向かって」
 華はそう言いつつ、サバイバルナイフを構える。
「多少の破壊も、多分許されるな、今日は」
 くつくつと笑いながら、レイはそこら辺に転がっている鉄パイプを握り締める。先が曲がっているのを見「これは、好都合」と呟きつつ。
「アタイは、認めないからな」
 マリウスはジズを見据えつつ言う。
 ヴヴヴヴヴ、とジズが再び震えだした。

 それが、始まりの合図。

 マリウスは走る。タンタン、と軽やかに地を蹴りながら、走る。
 ヴヴヴ、と震えるジズに近づき、確認する。
「全く、分かってなかった!」
 納得を含む言葉を、マリウスは叫ぶ。そうだ、そうだったではないか。ジズは、分かっていなかったのだ。自分が震えている際、大技を繰り出す際、何も気付かないではないか。
 マリウスがこんなに接近しても、ジズは何も分かってはいない。
 いずれ訪れる未来を、マリウスは知っている。だからこそ、認めない。
 認めてなんて、やるものか。

 十狼は剣を構えたまま近づく。ゴールデングローブの影響下で、使えるものを、最大限に使うために。
 百戦錬磨の剣士。それだけで十分。
 天人としての人智を超えた能力など、必要ない。三千年が、十狼を育てた。培った。
 積み重ねた経験、潜り抜けた修羅場。それこそが、力。
「おおおおおお!」
 十狼は、吠える。ジズに、与えてやればよい。ジズは十狼が近づいている事を知らないのだから、思い知らせてやれば良い。
 だから、放つ。放ち続ける。重い重い、一撃を。

 那由多は二刀を構え、突っ込んでいく。
 頭に過ぎるのは、友人だった少女。御先の目の前でその命が費えたという、幼いムービースター。
 唇を噛み締める。妖刀の柄を強く握ると、ぎりぎりと軋む音がする。
「許すものか、お前を、許してやるものか!」
 街が好きだ。友達が好きだ。家族となった、おじちゃんが好きだ。
 その思いを胸に、那由多は刀を振るう。他に理由は、必要ない。

 レイは、手にした鉄パイプをジズに向かって投げつける。ずぶり、と突き刺さったものの、ヴヴヴと震え続けているジズは、鉄パイプが刺さったにも拘らず、気にする様子はない。
「ダメージは、あるはずなんだけどな」
 レイは肩を竦め、走った。近づいても分からないというのならば、接近戦に持ち込む方が一点集中としてはやりやすいかも知れぬ。
 気付けば、口元に笑みが浮かんでいた。
 やれる奴がやればいい。自分があまり係わり合いになりたくない。そのスタンスは、未だに覆らない。
 レイも「やれる奴」である事に、変わりがないように。

 晦は木刀を構えながら、ジズに向かっていく。途中で鉄パイプが刺さったのを見たが、ダメージの有無は分からない。
「宝玉の出番なくて、ある意味良かったかもしれへんな」
 住民に物理的危害が加わりそうならば、と構えていたものの、避難誘導の的確さと素早さで、辺りには自分達以外にはいない。
「われ、ええ加減にせぇよ?」
 睨み付ける先にいるのは、ジズ。銀幕市に被害を齎した、怪我人も沢山出した、忌むべき相手。
 そう、自分達以外には、ジズがいる。

 マイクは、ジズの胴体めがけて走っていた。触手に意味がない、と踏んでいた。また、ゴールデングローブの有無に関わらず、自分に出来る戦闘方法は胴体への攻撃だ、と。
 ちらり、と壊された街並みを見る。繁華街は、賑わいを見せているはずだった。たくさんの人たちが避難していたのを見た限りでも、今日は沢山の人が、楽しい一日を過ごすはずだったのだ。
「……生きる事を、諦めさせたいようですけれど」
 ぽつり、とマイクは呟く。不条理な状況、不条理な攻撃。それらは全て、生を諦めろと言っているように見える。
「生きる事を諦めません。また、諦めなければ屈服する事はできないんですよ」
 静かに、だが強く、マイクは言い放った。

 華はサバイバルナイフを握り締める。
(戦闘は、一番後回しだと思っていたが)
 避難誘導が、上手く行った。既に、この小ネガティヴゾーン内に避難すべき住民は居ない。
 ならば、と華はジズに向き直る。
「お前に、生を奪う権利はない」
 きっぱりと言い放ち、構える。
 人命が優先。それに変わりはない。だからこそ、市民に避難させた。そうして、同じく戦闘体制に入った仲間達と自分も、人命に変わりない。
 生きるために、死なない為に、華は走る。

 レオは空気弾を放つ機械を直し、再び動かす。今度は自走や自律が更に細かくできるようになっている。
 辺りを見回し、解体できそうな車や機械を見つけ、手早く解体して武器へと変える。そうして、三体がジズへと向かっていく。他の仲間を傷つけぬよう、素早く後ろ側に回って攻撃をさせる。
 レオはそれを見、自らも走る。機械たちを走らせた今、レオが出来る事はあと一つだけしかない。
「すこしは、頑丈だと思うから」
 小さく呟く。使えるのは、体だけ。だから、走る。手を強く、握り締めて。

 フレイドは御先のタクシーに重そうな物を、とにかく詰め込んでいく。
「な、何をしているんですか」
「何って、見りゃ分かるだろ! この車自体を、爆弾にしてやるんだよ!」
「ばばば、爆弾? 私の車ですよ?」
「うるせぇ! 死にたくなけりゃ、経費で落とせ!」
「無茶を言わないで下さい! あーあーあーあー」
 御先ががっくりとうなだれる。フレイドは「いいから、手伝え!」と怒鳴り、御先と共に車に荷を積み込む。
 後はガソリンタンクに穴を空け、助走をつけてジズに体当たりさせる。皆が一点集中攻撃を仕掛けた後、タイミングを見計らって引火させる。それだけだ。
(死にたくない)
 フレイドの頭にあるのは、その言葉だけ。
 死にたくなかった。死んでたまるか、とも思った。何故殺したのか、殺されたのか。そうして何より、どうして生まれたのか。
「その理由が分かるまで、死んでたまるか」
 ぽつりと呟く。御先が「え?」と聞き返したが、気にせずやれ、と叫んで作業を続けた。嫌いな殺人鬼の顔がふと浮かぶが、すぐに頭を振って払う。
 やり方が似ているとしても、今はそれに構っている場合ではない。
 御先のタクシーが、ごとん、と軋んだ。

 シグルスはジズを見据え、結界を張る準備を始める。一瞬の事だ、気を抜く事は許されない。
(どこまで守れるかは、分からないが)
 ぎゅっと、唇を結ぶ。皆がジズに向かって攻撃を仕掛けている。ヴヴヴ、とジズが震えている。怯んでいるようにも見える。だが、分からない。
 シグルスも戦闘に参加するかを迷い、すぐに首を振る。ここで自分が戦闘に参加し、結界を張り損ねたらどうするというのか。
 先程の攻撃を、忘れてはならぬ。身を隠したにも拘らずの、理不尽なダメージ。動けない、動く事さえ許さぬ。そんな状況を、もし身を晒したまま喰らったとしたら。
(それでも、身を隠したらあの程度で済んだ)
 だから、シグルスは結界を張る。物理防御の結界を。身を隠すのと、恐らく同じくらいの効果はあるだろう。
「深追いは出来ない。長引く事も出来ない。だから、勝負だ」
 結界を張る準備は、もう、出来ている。

 ヴヴヴヴヴヴヴ……!!

 ジズが震える。振動が、空気に伝わる。大気を揺るがす。
 マリウスが走る。攻撃の合図を放って。
 十狼が剣を振り下ろす。重い一撃を食らわせて。
 那由多が妖刀二刀を振るう。強き意志を携えて。
 レイが無手で手刀を喰らわせる。常人にはなしえぬ腕力を以って。
 晦が木刀を叩きつける。脳裏に市民を浮かべて。
 マイクが拳で殴りつける。ジズの胴体だけを的確に狙って。
 華がサバイバルナイフで斬り付ける。人命を守る事に繋がると信じて。
 レオが体当たりを試みる。ジズの背後からは彼の機械たちが攻撃しているのを感じ取って。

 ジズが震えている。いや、今までと違う。今までの震え方と、何処か違う。
 皆の中に、確信が走る。
 効いている。ジズに、攻撃が効いているのだ!

「うおおおお、でかいの放つぞー!」
 フレイドが叫んだ。御先のタクシーは、ぎしぎしと重みに耐えるかのように軋んでいる。中に沢山の重い荷が積まれているからだ。物質はより重く、より速いほど、エネルギーを増すのだ。
 フレイドと御先はタクシーを押し、助走をつけさせてから走らせる。どくどくとガソリンタンクからはガソリンが流れている。
「皆、避けやがれ!」
 タクシーが走る。重い荷のお陰で、加速もできている。フレイドが叫ぶと、皆は車をジズの中心へと行くように、すっと避けた。

――どおんっ!

 派手な音と共に、車がジズにぶつかる。それとほぼ同時に、ジズは翼を広げた。震えをぴたりと止め、大きく両翼が広げられた。
「御先!」
 フレイドが再び叫ぶ。御先は「は、はい!」と応え、ライターを投げる。
「皆、こっちへ! 結界を張る!」
 今がその時と、シグルスはそう叫んでから結界を張る。皆も前線から引き、結界内に身を寄せる。

 それはまるで、スローモーション。
 弧を描いて投げられた、火の付いたライターが御先の車に向かっていく。
 ジズの背は未だにレオの機械が攻撃を続けていて。
 皆はジズの広げられた両翼を見つめていて。

――ごおおおおおおお!!

 一気に、巨大な炎がジズを包み込んだ。

――ぱぁ……!

 ジズの声。
 あの不条理な攻撃を仕掛ける際に放っていた、不愉快な声。
 だが、声は最後まで発せられなかった。
 衝撃波も起こらない。
 燃え盛る炎と、鼻につんとつくガソリンの匂いと、びりびりと震える空気と、もわっとした熱。
 シグルスの結界内だから、それらは不愉快なものではなくなっている。

――け、けけ、け、けけけけ……。

 再び、ジズの声。
 超音波を発する時の、不愉快な笑い声。
 しかし、どうだろう。超音波による頭痛は起こらない。何も、ない。
 結界内だから? 否、そうではない。炎の中から聞こえるジズの声に、力がないのだ。

――いたいいたいいたいいたいいたいいたい!

 不愉快な声は、規則的に繰り返され始めた。
 無機質なのは相変わらずだが、その言葉が発せられるのは当然のように思えてきた。
 ゆるゆると、赤く重たい空が薄れてきた。
 小ネガティヴゾーンが消えうせ始めている。
 空の向こうに見える、青い空。それは勿論、本来在るべき銀幕市の空。
 小ネガティヴゾーンの、赤く、重たい、どんよりした空ではない。

――いた……いたい……い……け、けけ、けけ……。

 炎が治まってきた。燃えるもの自体が消えうせようとしているからであり、それは同時にジズが消えようとしている事を指し示している。
 小ネガティヴゾーン外の避難している住民達も、空を見ていた。あの赤い半球体の小ネガティヴゾーンが消えうせ始めている。中心で燃えている炎の煙が、空へと立ち昇っている。青空へと吸い込まれるように。

――……ぱぁ、ん。

 その言葉を最後に、両翼が触手であったオウム方のジズは、完全に消滅した。
 街はぼろぼろになってしまっており、第一波による被害も出ていたが、それでも大多数の住民達は無事だった。避難誘導をしたり、戦闘に携わったりした人々も生きている。
 生きている。
「うおおおおおおおおお!!!」
 繁華街を中心として、大きな歓声が沸きあがった。


 十狼は、避難所の守りに徹した神獣と幻獣たちを労った。黒竜は誇らしげに十狼の肩に乗る。
「ご苦労だった」
 ふ、と表情を和らげながら十狼は言う。
 まだ、手にびりびりと感覚が残っている。己が気付き上げてきた剣士としての腕は、確かに力となっていることを改めて確認する事ができた。
 気付けば、口元に笑みが浮かんでいた。

 晦は、自らが背に乗せた怪我人が気になり、避難所に赴いた。シグルスのロケーションエリアのお陰で、綺麗に治ったようだった。
「良かったな」
「あの時、迅速に助けてくださったからですよ」
 嬉しそうな彼の表情に、晦は「そっか」と言って笑う。何度も礼を言われ、晦は「もうええから」と彼を止めた。
 何処となく、照れくさそうに。

 マイクは、壊れた繁華街を見て肩を竦め、そして小さく笑った。
 生きている。何にせよ、生きている。
 最初の衝撃波の事を考えると残念で仕方がないが、こうして生きている人の方が断然多い。例え、この繁華街が壊れてしまったとしても。
 銀幕市民は、屈服しなかったのだ。
「あんた、あの時は助かったよ。有難う」
 声をかけられてみれば、避難誘導していた市民の一人がいた。マイクは微笑み、こっくりと頷く。
「ご無事で、何よりです」
 浮かんだ笑みは、明るい。

 フレイドは、御先の肩をぽんと叩く。
「落ち込むな。生きているからいいじゃねぇか」
「簡単に言わないで下さいよ!」
 目の前には、燃えカスとなったタクシーがある。御先は思わず叩かれた肩においてあったフレイドの手を払いのける。
 が、どうも力が入った。フレイドはバランスを崩し、ばたり、とその場に倒れてしまった。
 慌てて御先は「大丈夫ですか?」と尋ねる。すると、フレイドは薄目を開け、震えながら「お、俺」と口を開く。
「俺、後処理までしっかり終えたら……まともな職、探すん、だ」
「ふ、フレイドさーん!」
 御先はがっくりと目を閉じたフレイドに呼びかける。そうして、救護所へと運ぶように近くの市民達に頼み込んだ。
 20分後、救護所から「痛い痛い無理死ぬ痛いいやだぁぁぁぁ!」という叫び声が響く羽目になる。

 華は、道に転がった瓦礫を端に片していた。本格的に片付けるのは、今は無理だ。しかし、少しでも交通が上手く回るようにしておいた方が良さそうだった。
「俺も手伝うよ」
 声がかかり、振り返る。そこにいるのは、避難誘導を呼びかけた住民達。
「あんたの誘導のお陰で、怪我もしてないんだ」
 嬉しそうに言う住民達に、華は「そうか」と頷いた。
 皆で片付ければ、交通の便だけでもよくなるかもしれない。せわしく動き回る市民達に、華は小さく微笑んだ。

 レオは体が機械である人たちを直そうと、救護所に行った。生身以外の人も多数いる銀幕市で、レオのような存在は貴重だ。
「あ、あなた、私を乗せてくれた人じゃない」
 救護所を手伝っていた女性が、レオに話し掛けてきた。バイクの後ろに乗せて避難をした女性だ。
「あの時は、本当に有難う。小ネガティヴゾーンに残されてしまって、もう駄目かと思っていたの」
 嬉しそうに笑う女性に、レオは満面の笑みを浮かべる。
「僕にできることを、やっただけだから」
「だからこそ、素晴らしいわ」
 女性の言葉にレオは顔を赤らめ、後頭部をぽり、とかいた。

 レイは道の真ん中に転がっている車を掴み、端に寄せた。重機類が入れない今、レイのようなサイバーの腕力が大活躍している。
「やれる奴が……」
 やればいい、と言おうとしたが、すぐに「まあいいか」と付け加えた。実際にやっているのだから、いいではないか、と。
 ふと街を見ると、女性の市民達が炊き出しを行っているようだった。にこやかに笑いながら、無事を喜んでいる。
「たくさんの女性が無事で、良かったな」
 ふ、と笑う。いや、勿論、男性だって無事で何よりだ。だが、どうしてだろう。目に付くのは女性なのだ。
 仕方ねぇだろ、と自分で呟きつつ、車をひょいと投げた。
 10.00、と言いたくなるほど、綺麗に車は端に並べられた。

 那由多は戦いの後、御先からフィルムを預かった。対策課にもって行くから、と言って受け取ったのだが、未だにフィルムは那由多の手の中にある。
「痛かった?」
 語りかけても、答えはない。
「辛かった?」
 やはり、答えはない。フィルムの中の少女は、ただ微笑んでいるだけ。
 那由多はフィルムを空にかざす。小ネガティヴゾーンではない空は綺麗で、透き通っていて、太陽の光があたたかい。
「僕、忘れないよ」
 答えはないが、フィルムの中の少女が笑ってくれたような、そんな気がした。

 マリウスは、ポケットに手を突っ込んで気付く。
 何か入っている。
 何だろうと取り出してみれば、指輪やらネックレスやらといった貴金属。
「何処で、盗ったんだっけ?」
 思い出そうとしても「知らない」からどうしようもない。
 火事場泥棒を、何時の間にか行ってしまっていたらしい。不思議だ、とマリウスは思う。
 マリウスは、分かっている。知っている。
 この火事場泥棒、後で皆にばれる。その後、どういう事が起こるかも知っている。
 にはは、と笑っても許してくれなかった。それは知ってる。だけど、仕方ない。認めてくれれば良いのに。
 何ていう不条理、とマリウスは笑う。笑って、再びポケットにそれらを戻した。
 その時が来るのは分かっていても、それは、今ではないから。

 シグルスは、避難所を再び巡る。まだ、少しだけ魔力が残っている。ロケーションエリアの展開はできないものの、簡単な治癒魔法なら唱えられる。
「お前、あの時の」
 声をかけられて振り返れば、ロケーションエリアで治癒した男が立っていた。彼はシグルスをがっと掴み、豪快に笑った。
「本当に助かったぜ! あの時は痛くて痛くてたまんなくてよ」
「そ、それは良かった」
 ありがとよ、と繰り返す男にシグルスは苦笑交じりに答え、適度に挨拶をしてから別れた。男は今から、繁華街の片付けに赴くのだという。
 シグルスは今一度「良かった」と呟き、歩き始める。そういえば、救護所があった、と思い返しつつ。


 各々がジズとの戦いの後過ごしていると、銀幕市の空がだんだん赤く染まってきた。
 小ネガティヴゾーンとは違う、美しく透き通った夕焼けの空であった。

<不条理な笑い声はもう聞こえず・了>

クリエイターコメント お待たせしました、こんにちは。霜月玲守です。
 これにて、繁華街でのジズ戦終了です。お疲れ様でした。

 避難誘導の人数によって被害状況を変える予定でしたが、想像以上に避難のために動いてくださった為、最小限に抑えられました。
 また、行動を一本化された方が多くてよかったです。多行動も成否基準に入れておりましたので。

 今回は初めての10人ノベルという事で、皆様のプレイングを拾いきれて居ない部分もあるかと思いますが、ご容赦いただけましたら幸いです。

 少しでも気に入ってくださると嬉しいです。
 ご意見・ご感想等、心よりお待ちしております。
 それではまたお会いできる、その時迄。
公開日時2009-04-21(火) 19:00
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