「もう12月ですか。今年も終わりですね」 ある日――、カレンダーを(ターミナルでは壱番世界の暦を使用している)見て、リベル・セヴァンがつぶやいた。「ってことは、年越特別便が出る頃だよね! 今年はどこに行こうかなー。たーのーしーみーーー!」 年に一度だけ、ロストメモリーにも異世界への渡航が許される催しへ思いを馳せ、エミリエ・ミイが瞳を輝かせる。しかし、リベルは静かに指摘した。「そのまえに、やらなくてはならない仕事がありますね、エミリエ?」「え……なんだっけ~?」「とぼけても逃げられんぞ。やれやれだな。しかし」 シド・ビスタークは書類を収めたキャビネットへ目を遣った。「今年は……骨が折れそうだな?」「ええ、例年より量がかなり増えていますからね。来年からは、年に一度といわず、定期的に作業すべきかもしれません」「そいつは賛成だが……ひとまずは、目の前のこれをどうするか、だ」「みんなに手伝ってもらったら? エミリエたちだけじゃムリだよー」 エミリエの泣き言に、それもやむなしか、とリベルとシドは顔を見合わせた。 後日、図書館ホールの掲示板に、貼り紙が出された。 ++++++++++++<お手伝い募集>++++++++++++ 世界図書館保存資料の整理を行ないます。 ロストナンバーの登録資料を整理し、誤りなどがあれば修正します。 司書事務室の清掃なども行ないますので、 ご協力いただける方はお申し出下さい。 ※お昼のお弁当付きです! ++++++++++++++++++++++++++++++++!注意!非常に特殊なシナリオです。クリエイターコメントの内容を熟読の上、ご参加下さい。
「ふん。何を募集しているかと思えば、手伝いか」 狐の尾をゆらりと揺らして、白燐は言った。 「まあ、整頓くらいなら手伝えるぞ」 「しょうがねぇ。掃除の手伝いぐらいは加勢してやる」 そう応えたのは夜兎。 「ホント!? じゃあ、お願いね!」 エミリエは喜色を浮かべた。 あるものは心よく、あるものは仕方なさそうに、そしてまたあるものは昼食付きという言葉に惹かれて、図書館へ集まってくる。エミリエが貼り出した、年末の書類整理と大掃除の手伝いのためである。 同時に、資料の間違いを訂正する作業も行うため、修正を申告したいロストナンバーたちも事務室のカウンターに長い長い列を作っているのだった。 「ふむ……こうなっていたか」 雪深 終は自分自身の旅客登録書類をまじまじと見つめて言った。 手伝いのために来たが、ついでに自分の書類の気になるところも直してしまおう。書類にどう書かれていようが自分は自分。しかし逆に、ずっとかたちとして残る書類だからこそ、気になるところは直してしまったほうが気持ちはすっきりするというものである。 この部屋にずらりと並んだキャビネットには、無数のロストナンバーたちのファイルが収められている。 それらが今、運びだされ、たんねんにあらためられようとしているのだった。 「猫の手も借りたいって言われてきたけど、やっぱり、あたしじゃ、無理だわ。ごめんなさいね」 レオナ・レオ・レオパルドは、言語を解していてもその姿は壱番世界の豹そのもの。 肉球と爪をそなえた手は、獲物を狩ることはできても紙を捲るには適さない。 「できることをすればいいんだよ」 そう言ってレオナを見上げたのはハルシュタット。こちらはなめらかな毛並みの猫のロストナンバー。 大きさは異なるは同じ猫属のあいだに、瞬間、不思議な慕わしさのようなものがうまれた。ハルシュタットは器用に口でペンをくわえ、書類に書き込みをしていたのだが、レオナの言葉を聞くや、「見てて?」とばかりに小首を傾げると、とてとて歩き出していく。 向かった先、訂正の受付を待つ長蛇の列では―― 「おい、早くしてくれ、いつまで待たせるんだよ!」 イライラしたロストナンバーが声を荒らげていた。 そこへハルシュタットは、なぁんと鳴いて近づいていく。 「あら、かわいい」 別の、並んでいたロストナンバーがにっこりほほえむ。順番待ちに疲れたこころを癒すのが彼の仕事……というわけのようだ。 「ンだよ、猫はいいから、司書を出せ。オレはもう一時間も待って――」 それでも語気が荒いままの男は、しかし、のっそりと近づいてきたレオナの姿に息を呑んだ。 ぐるると女豹が低い唸りをあげれば、 「……ま、待ちます……」 と、おとなしくなるのである。 しかし、それにしても、これほどまでに修正希望のロストナンバーが多いとは、世界図書館も予測していなかった。 手伝いに多くのものが挙手してくれなかったら、この作業だけで年が暮れていたかもしれないほどだ。 「これ、そこに置いてあったけど」 黒燐が書類のたくさん入った箱を運んでくる。 「あ、探してたんだよ。よかった。どこに会ったの?」 ルオン・フィーリムが重そうな箱を小柄な黒燐から受け取った。 「そこの、机の下」 「ああ、棚の上ばかり探していた」 「……あー、嘆かわしい」 書類とにらめっこをしていたチェキータ・シメールがふいに顔をあげた。 「?」 「これは私の書類だが……こういう訂正はしたくないんだ。『相手次第では「オマエ(お前)」といった呼び方もする』……前はそんなことはしなかったんだがな。私も随分汚れてしまったな。なんでもいいけど腹が減ったな。昼飯はまだか?」 「まだ始めたばかりだよ」 ◆ ◆ ◆ 「おっかしーなぁ、ちゃんと登録の時に確認したつもりだったのに」 響 慎二はしきりと首をひねる。 「ほら、ここ……俺、ちゃんと書いてるよな?」 「……これはいささか、解釈の幅がある書体ですね。それで間違えたのでしょう」 クアール・ディクローズが応じた。 クアールは要するに間違いは慎二の悪筆が原因――ということを巧みにオブラートに包み、淡々と、修正してやった。 「えと、ここに、置くよ」 キリル・ディクローズがクアールのもとに書類の束を運んできた。 クアールの使役する妖精獣が、ファイルをくわえて、入れ替わりにキリルの手元へ。 「ありがとう、キリル。これを棚に戻してくれますか」 「わかった」 「……ベルゼも何もしてないなら一緒に」 「べ、べつに、さぼってたわけじゃねーぞ!」 実のところ、椅子の上で意識が霧散しかけていたベルゼ・フェアグリッドは居住まいをただし、吠えるように言い返した。 「……一応マジメに手伝うとすっか!」 自分に言われたわけでもない言葉に、背筋を伸ばし、気持ちを入れなおすカーサー・アストゥリカ。しかしそのそばから、たまたま近くを通り過ぎた女性を目で追ってしまうのは、これはさがというべきか。 だがその女性、東野 楽園はカーサーには目もくれない。 「嫌だわ。大掃除だなんて。ドレスが汚れそう」 ぼやきながらも、手伝ってはいるようだが、表情は冷ややかだった。 ――と、そのおもてに、いくぶん笑みがさす。 「ねえそこの貴方、この本をしまってくださる?」 「ここでいいのかい?」 話しかけられたのは、柊木 新生だ。 「ええ。私じゃ届かなくて。背が高いのね」 嫣然とした笑みを、楽園は浮かべた。 「えー、キース全然そんなんじゃないのにゃー!」 「そう言うフォッカーも、全然違うよぉ」 フォッカーとキース・サバイン――ふたりの獣人が、互いの書類をのぞきこんで笑っている。 登録時点の間違いや、その後、実際とかけ離れてしまった点を指摘し合っては声をあげていた。事務作業もたまにすると楽しい遊びのようだ。 一方、司書たちは、さすがに手慣れた様子で、次々に持ち込まれる訂正作業に対応していく。 「エウレカ・テオフラストゥスさん……瞳の色が違う? なるほど、たしかに違いますね」 「パウリアナさん、お待たせしました。どこを訂正しますか?」 「ええとでは、覚醒の経緯については、今お聞きしたのが正しいわけですね、墺琵 綾さんと――隼 蒋吏さんも同様ですか?」 「ようやくであるか。本来の情報に戻せるんだな」 修正を終えたアレクサンダー・アレクサンドロス・ライオンハートが満足気に頷く。 小さなことでも気になっていたというロストナンバーは多かったようだ。 司書たちを驚かせたのは、単に記載が違っていたというだけでなく、どこでどうしてか、登録書類自体が別人と思われるものになっているケースがいくつかあったことである。 「あなたはブランカ・シートンさん、で正しいですか? じゃあ、これは完全に上書きしないといけないわけですね……」 「とすると――、このもとのデータは誰のなんだろう。とにかく、あなたは違うんですよね?」 「わたくしですか? わたくしはアーネスト・マルトラバーズ・シートン。生物学者です」 「それであなたが、マフ・タークスさん。はあ……」 「最近、ロストナンバーが増えてるだろう。それでかな」 シド・ビスタークは頭を掻いた。 「今回は上書きするとして……次回からは、対応を考えないといけませんね。こうなると、本来は新しい書類を発行するのが筋ですから」 とリベル・セヴァン。 「ねーね、リベルー」 「なんですか、エミリエ」 「このひとたち、おかしいんだよ~」 「実は……我々は2人だった!」 「うわー、わざとらしい」 エミリエの前にカウンターを挟んで、屈強な体つきのロストナンバーと、その上にのった頭部に腕が生えただけの謎の存在が、それぞれ別々に言葉を発していた。 「ふたりでひとつの登録でいいのー?」 困った様子のエミリエに、リベルもまた、そっとこめかみに手をやった。 「身長を……『中背』から、『やや低い』に変更ですね。『やや低い』で間違いありませんか、『やや低い』で。たしかに『やや低い』とお見受けしますが」 「何度も……連呼しないでください……」 地味にダメージをうけて、藤枝 竜は崩れ落ちそうになるおのれをカウンターによりかかって支えた。 「身体測定のときに誤ったのかな?」 「うぅ……、身長をごまかしてました……ごめんなさい」 「えっ、ワザと!? 『やや低い』のに『中背』って申告したんですか? 水増ししても『中背』だったんですか!?」 「だーかーらー」 「身長欄を『中背』にしてもらえる? 身長詐称じゃないからねっ、成長期だから伸びたんだ。……あれ?」 竜の最後の心が、三ツ屋 緑郎の悪気のない言葉によってついに折れた! 「どうかした?」 「なんでもありません……」 「あ、できた? ありがとう。じゃあ、僕は修正はこれだけだし、あとはなにかお手伝いしようかな」 「わ、私は……だ、駄目ですよ!万が一燃えちゃうかもしれませんから、お手伝いできないんです……」 紙の書類に火は大敵。図書館に出入りするのにも気を使う竜である。 そのときだ。 「頼まれた弁当はこちらでいいのかのぅ?」 館長公邸の料理番、甘露丸がワゴンを押してあらわれた。 「あー、お弁当着たーーー。みんなで食べよう!」 エミリエの声。 「あ、じゃあ、配るの手伝おうか」 と緑郎。 「そうだ、これなら!」 竜も晴れやかな表情を取り戻す。 昼食の時間になった。 ◆ ◆ ◆ 「人数分あるから、慌てないでねー」 「すまんのぅ、手伝ってもらって」 弁当を求めて並ぶロストナンバーたちに、緑郎が応対する。ひとりずつ、おしぼりに、飲み物も手渡す。 「温めますか~?」 希望があれば竜が火をひと吹き。若干、デンジャラスだが、温かい食事ができる。 甘露丸が用意してくれた弁当は、なかなか豪華な幕の内であった。 さらには、図書館側が手配したこの昼食のほかにも、幾人かのロストナンバーたちから差し入れがある。 まずサシャ・エルガシャがたくさんのサンドイッチを用意してくれていた。彼女はさすがに本職のメイドとして、サーヴする姿もさまになっている。 「うちの畑で採れた林檎なの。しっかり熟しているから、蜜が多くて美味しいわよ」 「午前中がんばったみんなお疲れさま! はい、ご褒美」 そして脇坂 一人はリンゴを、スイート・ピーからは飴が配られた。 「幽太郎様は御名前を修正されたのですね」 「ウン、表記ヲ勘違イ、シテイタヨ……」 「ワタクシも午後から修正しようかと思います」 並んで食事しながら、医龍・KSC/AW-05Sと、幽太郎・AHI/MD-01Pが会話している。 もっとも、幽太郎のほうは持参のエネルギー触媒による補給だ。 彼のぶんの弁当はたぶん大食いな誰かの腹に収まったろう。 食事後の休憩時間――、事務室に、低いバイオリンの音が流れていたことに、気づいたものがいただろうか。 それは修正手続きを終えたロナルド・バロウズのささやかなお礼。 力あるその調べが、作業に携わるものたちの気力・体力をふるいたたせてくれるのだった。 「午後からは、整理や訂正と並行して、掃除もお願いします」 リベルがそう言った。 「大掃除?おまかせあれっ、メイドの本領発揮だよ!」 とサシャ・エルガシャ。 脇坂一人もジャージ姿、頭に手ぬぐいを巻いて、掃除をやる気まんまんだ。 「アルウィン、お掃除のお手伝いする!」 アルウィン・ランズウィックが元気よく言った。彼女の咆哮が事務室内に響くと、掃除にとりかかろうとするものたちの心身のそこから、ふつふつとした掃除にかける情念が湧き上がってくるのであった。 サシャはこれまた本職メイドのあざやかな手並みで、猛然と掃除にとりかかった。 ルイーゼ・バーゼルトもまた、丁寧かつ迅速に、すみずみまで汚れを落としていく。一見、穏やかな表情で粛々と進めているが、その瞳の奥に暗い炎のように、ほこりのひとつも逃しはすまいという執念のようなものが宿っていた。そんな様子を、主人たるレイモンド・メリルは微笑ましく見守るのだった。 クーナ・カグナは手乗りサイズの身体の小ささを生かし、小さなところにまで入り込んで埃を払っているが、もうもうと立つ埃に思わず咳き込む。 「大丈夫?」 と御山守 真弓が、クーナをのぞきこみ、そしてにっこり笑った。 小さなものたちも懸命に掃除をしている姿を横目に、ナウラもまた作業に参加する。 「いつもお世話になっているから、そのお礼だね」 ぎゅっ、とぞうきんを絞り、事務室の机を磨き上げる。 「大掃除なら、このあたし達双子に任せなさいっ!」 「お掃除……大好きだから……」 青海要と棗の姉妹も、姉は元気いっぱいに、妹はものしずかに淡々と、モップがけやら埃はたきやらに精を出す。 長年使い込まれた司書事務室の備品は、古ぼけてはいるが、清拭すればするほど、味わいある艶やかさを得て、内から穏やかな光を発するかのようであった。 ◆ ◆ ◆ むろん、今日の本題は掃除だけではない。まだまだ、整理や訂正をしなければならない書類が山のようにあるのだ。そう――、 「うひゃ~、いっぱいあって、目が回るよ~」 とバナーが声をあげてしまうほどに。 「壱番世界には、コンピュータですべてやってるって聞いてるのですが。手作業って、いろいろ疲れるんだよ~」 ターミナルでコンピュータが使えないわけではないはずなのだが、なぜだかこの事務室はアナログなのである。書類のすべては紙で保存されているのだ。 「ん。これは違うな」 ツィーダが、それでもてきぱきと作業をしているのは、彼の見聞きしたものを完全に記憶する能力による。そうした力がないものは――地道に、手作業で検索や照合を行うのであった。 「まず、資料を、アルファベット順なり、五十音順なりに並べかえたらどうかな」 と、イェンス・カルヴィネンが提案した。 「それから必要な作業内容などで分類しては?」 レヴィ・エルウッドの言葉に、イェンスは頷く。 作家のイェンスに、魔法を学ぶものだったレヴィのアイデアは、作業効率を高めるのに適していると思われた。 「そのうえで、なお量が多ければ手分けして分担しよう」 「分類するの、手伝いますよー」 青燐が手をあげる。 人々は協力して作業にとりかかった。 「じゃ、俺はこっちで訂正漏れがないかチェックしていく。なに、こう見えて俺だって遺跡研究をしていた冒険者だからな」 べつだん誰に何を言われたわけでもないのだが、テオドール・アンスランの精悍な姿は一見すれば事務方よりは外で走り回っているほうが似つかわしいのも本当だろう。 それは、いかにも溌剌とした高校生然とした相沢 優や、王者の風格ただようボルツォーニ・アウグストも、細々とした事務には向いていそうに見えないという点で、同じだったかもしれない。 だがこのふたり、机を並べてする仕事は、存外に手際が良いのであった。 「俺、学校で生徒会やってるし」 優はそのわけをそう説明した。 「でもボルツォーニさんは……」 「領主であった頃を思い出す」 「領主!?」 ボルツォーニが低く応えたのに、思わず唸った。 「領主と言っても私がその座に胡座をかいていただけの無能だとでも思っているなら、それは大きな間違いだ」 ボルツォーニが続けた。 滅相もない、と優はかぶりを振る。 「領主とはあれで存外に多忙なものなのだ。今年の牧草地の具合はどうか。葡萄の出来は。そこからもたらされる、領地の税収。小役人は手綱を緩めればすぐに増長し、締め付けすぎればすぐに萎縮する。……わかるかね、少年」 「はあ……なんとなく」 領主なんていう言葉は世界史の教科書でしか見たことないぞ、と思いながら、しかしその実、優とボルツォーニは長年親しんだ仕事仲間のように、てきぱきと作業を片付けてゆくのである。 「だいぶ減ったな。このぶんだと思ったより早く終わるかも……」 虎部 隆は振り返った。 が――、そこで彼が見たのは、書庫の奥からさらに台車で運ばれてくる書類箱の山積みであった。 「ひぃぃ! まだあんのか! 量多くね?」 「すみません」 リベルが申し訳なさそうに言った。 「あの」 ゼロ=アリスが申し出た。 「よければ、リスト化だけでも、私のナノマシンを使ってよければ」 「なんでもいいよ。役立つ能力全開でいかないと!」 隆の返事に頷くアリス。すると彼女の髪から金色の光があふれだした。 「行って」 命じられるままに、光はキャビネットのあいだを奔流のようにゆく。 光に見えるそれは微小の粒子状のマシンである。それらが収集した情報はアリスに送られ、彼女がPDAを介してリストとして出力していった。 ◆ ◆ ◆ 「こりゃIT革命バンザイだな。このリストでだいぶ調べやすくなった。……次は、おっ、要になつめちゃん――、名前変えるだって?」 隆は、双子姉妹の書類を出しながら、声をあげた。 「苗字の漢字だけね。青梅じゃなくて青海が正しいの。あたしったら、登録する時にテンパって書いちゃったからかな、なんか間違えられてたのよねぇ」 「要の字が汚くて海が梅に見えていたから、ずっと梅のまま名乗らなきゃいけないかと思った……」 恥ずかしそうに言う要の隣で、棗があいかわらずの無表情で言う。 「へへへ、要に急かされて書き損ねた? 漢字よりそのそそっかしいのを直すといいよな」 「なによぅ、別に、あたしのせいじゃないんだからねっ!」 「わはははは。じゃ、ここに名前書いてねー。はい、次のひとー」 「やったわ、ついに訂正できる! よかったー」 ナタリー・斉藤は、名前をナタりーと書かれてしまっていたらしい。 「はい、次の人。……ミドルネームを消すんですか?」 「正確にはミドルネームとは違うのです」 細谷博昭は言った。 博昭・クレイオー・細谷と名乗っていた紳士は、 「『クレイオー』とは歴史を司る芸術の神にもとづいた称号。以前にさる国の要人の方より贈られたもので、国際的にはその称号を含めたかたちで通していたのですが――」 経緯を説明したあと、わずかに表情を変えた。 「ここでは本来の姓名でと」 そのことは、ロストレイルで世界群を旅する暮らしが、彼がもといた世界の日々とはまったく異なっていることを意味するものでもあるのだった。 「ほっとしたわー。じゃ、わたしも自分の訂正が終わったから、整理作業に加わらせてもらうわ。オードリィ! お手伝い開始よ!」 ナタリーがセクタンに声をかけている。 「お願いします!」 次はQ・ヤスウィルヴィーネの順番であった。 「俺、書き間違えて、名前と苗字を間違えて逆にしちゃったんですよー! そう、ヤスウィルヴィーネ・Qが正しいので、そのように――」 ついに念願かなった満面の笑みで書類を差し出そうとしたヤスウィルヴィーネの横面に、 「うりゃーーーー!!」 天地をゆるがす咆哮とともにアルヴィン・Sの肘鉄が、そこにそれが収まることは前世からの運命だったとでもいうようなあざやかさできまった。 「ぐふぉ!?」 真横に吹き飛ぶヤスウィルヴィーネ。とっさに提出書類をつかんだが、ばん!とアルヴィンがカウンターを叩いた手の下に書類が挟まったため、訂正のための申請書類はビリっと破れてしまうのだった。 「ただ飯食わせろー! 貼り紙を見たぞ! 弁当もらえるんだろ!?」 「あー、すみません、もうお昼終わっちゃって……」 それ以前に、アルヴィンからは濃厚な酒のにおいがただよっていた。 酔っぱらいだ。昼間から。 「なにぃ!? 終わった!? てめぇ、ヤス、どういうつもりだ!!」 「ヒィイ! ってか、俺、関係な――ギャアアア」 アルヴィンは床に転がったヤスウィルヴィーネをげしげしと足蹴にした。 踏みしだかれながら、ヤスウィルヴィーネ・Q――いや、まだ訂正されていないのだからQ・ヤスウィルヴィーネは、内心で滂沱の涙を流す。 (ううっ……隊長、わざとですか、俺はいつまで、Q・ヤスウィルヴィーネで過ごす事になるんだ) そんな様子を見るともなしに見ていたのは虚空。 なぜだろう。どことなく、親近感のようなものをごくごくわずかに感じないでもないような気がするのは。今、彼の隣で、自分の書類の訂正を、「ありゃー、結構間違ってるなあ」とかなんとか言いながら、そこそこ楽しげにやっている彼のあるじは、カウンターの外で暴力沙汰になっている主従のそれと比べれば圧倒的に優しいしまっとうだし、真実、虚空は彼に忠誠を誓ってもいるのだが。 ふと、その彼のあるじ、蓮見沢 理比古が書類から顔をあげた。 その澄んだ灰の瞳に、いよいよ司書たちが止めに入っているアルヴィンたちの一幕が映るのをみとめ、虚空は 「アヤ、見るな。目が汚れる」 と(親近感が、とか思ったくせに)言って、座る位置を変え、視線を遮ろうとするのだった。 「ん、そう? なんか仲よさそうなふたりだけど」 「どう見たらそう見える……!!」 しかし理比古の反応はさらに斜め上だった。 「で、それはもう終わったのか」 「だいたい。虚空はいいの? せっかくだし虚空も何か変更すれば? 名前を虚空子にして女の子になるとか!」 「……!」 もはや言葉さえなく、カッと白眼を剥くことで反応にかえた。 ◆ ◆ ◆ 「きゃーーー」 転んだのはスイート・ピーだ。 「おや、大丈夫ですか?」 「うう、ごめんなさい……」 スイート・ピーは運んでいた資料をバラまいてしまった。 拾い集めてくれたのは三日月 灰人。 「いえいえ。ロストナンバーは助け合いですからね。これは私が運びますから――ぶほっ!」 灰人をはねとばしたのは、猛スピードで突っ込んできた台車だった。 書庫から重い荷物を運ぶための備品だったが…… 「あははは、速い速い!」 「これなら運ぶのすぐ済むねー!」 キックボードの要領で台車を動かしているのは臣 雀。台車にはエミリエまで同乗していた。 彼女たちはそれで荷物運びをしていたはずだが……いつのまにか台車で遊ぶのに夢中になってしまったらしい。 「ちょっと、エミリエ! 整理手伝ってくれって言ったのは貴方でしょう!」 ティリクティアが怒気をはらんだ声で、台車の前に仁王立ちで立ちふさがった。 彼女はいつのまにかエミリエに言いくるめられるようにして今日の作業に加わったのだ。案外重労働なのに気づいたときには時すでに遅し。なんで私、こんな事してるのかしら……と思いながらも、いざとなるとそれなりに仕事をしていたところに、彼女を誘った当人が遊んでいれば腹も立とうというものだ。 愛用の花がらのハリセンを、ティリクティアは構えた。 「危ないよ! 急速旋回、回避せよー」 「了解、艦長ー!」 臣 雀が急に方向転換をした。 その先には―― 「大丈夫、神父さん?」 「牧師です」 スイート・ピーに声をかけられ、よろよろと灰人が身体を起こした。 「……ああ、しかし頭を打ったかも。ティーカップに乗った小さなオッサンなどというシュールな幻覚が……」 それは幻覚ではなく、念動力で作業を手伝っているジャスティン・ローリーの姿だったが、灰人がそのことを認識するよりも、再び暴走台車にはねられるのが先立った。 灰人の痩身は宙を舞い、そしてその着地点にはシーアールシー ゼロがいた。 彼女はそこで、先ほどからずっと掃除をしていたのだった。 「世界を越える技術があってもお掃除は手作業なのです……、これが壱番世界で重んじられるという詫び、寂びの心なのですね」 なぜかそういう結論に達し、黙々と掃除をしているうちに、幽玄の境地に至り、どこかしらその姿が荘厳な能舞台のうえをすり足で歩く舞手のように見え始めたところ、小気味良い鼓の音のかわりに、派手な音を立てて飛び込んできたのが灰人だった。 灰人とゼロはそのままキャビネットに激突し、中に収められていた大量の書類が雪崩を起こす。 ふたりはもとより、ジャスティンまでまきぞえを食らってそれに呑まれた。 「こらーーー」 スパーン!の二乗。ティリクティアのハリセンがエミリエと臣 雀にきまったのだった。 「いたーい」 抗議の声をあげるエミリエだったが、そこにリベルの姿をみとめて凍りついた。 司書事務室の気温が、またたく間に冷え込んでゆく――。 ◆ ◆ ◆ そんなハプニングもありながら、作業は進む。 ターミナルに夜はこないが、壱番世界であれば日が傾く頃には、作業も終わりが見え始めていた。 ヘルウェンディ・ブルックリンは、ふう、と息をついて、しばし手を止める。 まったくなんだってこんなこと。ここまで大変だとわかっていれば引き受けなかったのに。彼女は終始、ぐちをこぼしながら作業をしていた。それでも止めないのは、単に投げ出すのもいやだ、というだけではないようだった。 世界図書館――ロストナンバーたちを互助する組織。 世界群から消えたものたちは、ロストナンバーとして世界図書館に保護される。そしてパスホルダーを与えられたなら、その記録はこの資料の海のどこかにあるはずだった。 (あの手、あの声、他人とは思えない。まさかとは思うけど――) 先日の、ヴォロスでのできごとが、彼女の心をとらえていた。 死んだはずの彼女の父。それがまさか…… (まさかロストナンバーになって生きてるんじゃないかしら) だとしたら。 その名もどこかにあるはずなのだ。 同じように――、おのれがもとめるものの手がかりが、もしやこの資料の束のどれかに記されているのではないか……そう思うものは少なくないようだった。 それでなくとも、書類を扱っていると、ついつい、必要のない部分まで読みふけってしまうこともあるものだ。 「あの頃はこんなこともあったんじゃな。すっかり忘れておったのう」 鍛丸がそうつぶやいて、うっすらと笑みをのぼせたのも、かなり古参のコンダクターである彼が、昔の壱番世界の記録を目にしたからだった。 ヘータは淡々と、作業を続けている。 《サーチャー》たる彼にとって、情報にふれることは喜びである。 今は読むことよりも、作業をしなければならないが、ちらりちらりと眼に入る情報の断片は、ヘータの心を躍らせずにはおかない。もっとも情報生命体であるかれにとっても「心が躍る」感覚は、人間のそれとは異なっていたかもしれないが。 「もし――、もし、気がついたらいいんだが」 それらしい記録を見つけたら教えてほしい、と、綾賀城 流はある街の名をあげた。 「気をつけておくよ。……それ、キミのいた世界?」 「ああ。……きっとなにかあるはずなんだ」 流は一瞬、何とも言えない懐かしそうな顔をしたあと、続けた。 「途方も無いような出来事ばかりが起こる街だった。あんな世界は他にはない。だからきっと」 「……だめね。がまん、がまん」 ホワイトガーデンは、ぱたん、とファイルを閉じる。 とても興味ふかい記録だったが、今、探しているのはそれではない。 「このファイルは、世界群の番号順に並んでいるのよね?」 ファイルを棚に戻しながら、彼女は傍を通りがかったリベルに訊ねた。 「ええ」 「でも、世界の番号は変動があるのじゃなかった? 壱番世界のように変動しないことのほうが異常だって」 「そのとおりです。変動があれば、そのつど変更します」 「まあ」 ホワイトガーデンが青い目を丸くした。 それはあまりにも……非効率ではないのか。 彼女の疑問を読み取ったように、リベルは言った。 「つねに情報を更新しておくようにと……それは重要な決まりごとで、世界図書館創設の頃からのルールだと聞いています」 「そうなの?」 「『チャイ=ブレにとって、この数字の順番こそが重要である』のだそうですよ。私もその真意は理解していないのですが」 ◆ ◆ ◆ かくして―― 大勢のロストナンバーの手伝いを得て、司書たちが総出でかかった作業は無事、終わったのだった。 キャビネットには整理されたロストナンバーの名簿が整然と並んでいる。 それはまるで、次の年に、ここにいくつも加わるだろう新たな名を、待ちわびているかのようでもあった。 (了)
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