ウォスティ・ベルの宣戦布告。そして突如として上空に現れた緑の要塞──ナラゴニア。 0世界の人々は大いに慌てふためいた。まさかこんな形で決戦になろうとは。備えなどできているはずもなく、戦えない者たちは慌てて家を飛び出し、避難所になった様々なチェンバーや施設へと逃げていった。 いつもは買い物客で賑わっていたこの商店街もそうだった。青果店や美容院などが軒を連ねる小さな通りを、人々が駆け抜けるようにどんどん逃げて行く。 しかし、敵の急襲はその間を与えなかった。人々を追いかけるように、小型のワームや円盤ナレンシフが上空から次々に降りてきた。ある者は地上に降り立ち、ある者は戦闘もできないような女や子供を追いかけ始めた。「キャーッ」 逃げていた一人の少女が、背後を振りかえり悲鳴を上げた。猛然とこちらに向かって牙を剥くワームの群れを見たからだ。 足がすくみ、もう駄目だ、と思った時。 大きな音とともにワームを地上にたたき落とした者がいた。目を開ける少女。そこにいたのは武道家のツァイレンだ。「大丈夫かい? ここは任せて、早く逃げるんだ」 彼は近くにあった長い柄のモップを持ち、ぐるんとそれを振るった。次々に蛇型のワームを空から叩き落としていく。 彼だけではない。次々にロストナンバー達が集まり襲いくるワームたちに対抗していった。彼らはじりじりと後退しながら、少女や他の一般市民たちが避難するのを待つ。 飛ぶワームには、銃弾や商店の軒先にあった鍋のフタなどが投げ付けられる。ボタボタと落ちるワームとその体液。ロストナンバーたちは、まさに獅子奮迅の戦いを見せた。「──おおい、そこの。手伝ってくれ」 そんな最中の商店街の一角。のんきな声と共に、鉄の無骨なシャッターがギチギチと開いて一人の老人が姿を見せた。 彼の名前はオータム・バレンフォール。稀代の発明家である。 ワームとロストナンバーたちが応戦している中で、彼は何か大きな機器を載せたリヤカーを引っ張り出そうとしていた。「早く逃げてください」「うるせえな、つべこべ言わずに手伝えよ」 それは、巨大なアンテナのような奇妙な鉄の突起のついた鉄の箱だった。バレンフォールはロストナンバーの手を借りリヤカーに乗った怪しげなマシンを外まで引っ張り出すと、いそいそとアンテナを空に向ける。 上空にはナレンシフが飛び交い、銀色の禍々しい光を放っている。「おい、お前ら。伏せろ」 何の説明もせず、バレンフォールは額のゴーグルを両目に装着した。そのままアンテナの脇にあったコンソールのようなものについた赤いボタンをポチリと押す。 ──ゴォンゴンゴンゴン…… 機械は唸り出し、電気のようなものがアンテナに走った。バチッ、バチチッ。これは何かがまずい。本能的に危機を察したロストナンバーたちは、慌てて老人の背後に身を伏せた。 すると、アンテナから光の束が生まれ、眩い円形状になり、一瞬にして上空へと跳ね上がった。 これは一体……? と見守るロストナンバーたち。その目前で、光は家の屋根ほどの高さまで到達すると、他にも街のあちこちから跳ね上がってきた同じ光と合流して、すぐに大きな円をつくる。 そして次の瞬間、目を焼くほどの閃光が、大きな波動となって上空へとほとばしったのだった。 大きな音はしなかった。しかし、上空で巻き込まれたナレンシフやワームたちが跡形もなく消えているのが分かって、ロストナンバーたちは目を見張った。空にはその部分だけぽっかりと穴が出来ているではないか。 さらにエネルギー波は、上空に小さく見えていた巨大な要塞にも影響を及ぼしていた。ほぼ同時に要塞がこちらを狙って撃った黒紫色のビーム砲撃に干渉したのだ。似て非なるエネルギーの塊は斜めに衝突し合い、それぞれ軌道を逸らされていた。つまり、今の発射が偶然にも、ターミナルを大惨事から守ったのだ。 そこでロストナンバー達はようやく気付いた。老人が出してきたものは対空兵器だったのだ。しかも他に街のあちこちに同じものが配置してあるようだ。「こんなこともあろうかと、作っといたんだよ」 バレンフォールは事もなげに言い放った。「レディ・カリスの首飾りだ。──今、おれが名付けた」 『レディ・カリスの首飾り』。この貴婦人の名前を借りた兵器は恐るべきものだった。0世界に12台設置してある砲台から、エネルギー波を収束させ上空の敵を迎え撃つのである。その威力は先ほど見た通りだ。「すげえ、マジすげえ!」 ロストナンバーの誰かが言った。これならナラゴニアの要塞やワームに地上から対抗できるだろう。「もっと、撃とうぜ」 しかしそう言うと老人は渋い顔をした。「んー、こいつはな。まだ完成品じゃねえんだよ。試作品なんだ」 え? 驚いたロストナンバーが聞き返す。じゃあ完成品はどんな恐ろしい威力を──。「そうじゃねえよ、威力じゃねえ。動力の話をしてるんだ。こいつのエンジンはエコじゃねえんだよ」 エコ? と首を傾げる面々にバレンフォールはコンソールの脇を指差した。 よく見ると、そこに小さな四角の穴が空いていた。それは“あれ”によく似ていた。──遊園地の子供向け遊具についている、コインの挿入口だ。 バレンフォールは、そこを指差している。「お前ら、金貸してくれ」 * * * 「きーぃちゃった、聞いちゃった! ねえみんな、来て来て!」 発明家が『レディ・カリスの首飾り』の動力源がナレッジキューブだと明かした時だった。突然、甲高い少女の声が上がった。 上だ! 皆が上を見ると、そこには30センチほどの大きさの背中に羽根を生やした少女が飛んでいたのだった。 世界樹旅団のシェイムレス・ビィである。 彼女はホワイトタワーに収監されていたはずだが、どさくさにまぎれて逃げ出してきたらしい。「みんなー! ここにすごい兵器があるよー! ビィと一緒にやっつけようよー!」 誰かが伸ばした手を、ひらりとかわして妖精は仲間を呼び始めた。 まずい。 ロストナンバーたちが、この騒ぎまくる妖精を本気で捕まえようとした時。 いつの間にか、道路の向こう側に人影が立っていた。その数は三つ。「──ごきげんよう、世界図書館の皆さん」 一人は、シルクのブラウスを着た身なりの良い男である。優しげな笑みを浮かべてはいるがその手には無骨な長剣が握られていた。「ヴィヴィアン様、ご指示を」 その隣にもう一人。頭から足まですっぽり覆い隠す血の色のマントを着た女だった。真っ赤な唇を歪ませマントの裾をつまめば、そこから赤い蝶のようなものがひらひらと現れる。「クソ妖精、たまには役に立つじゃねえか」 最後の一人は、Tシャツにバミューダパンツというラフな格好の青年だった。異様なのは、スパイクを履いた足で、くるくると弄んでいる真っ黒なボールである。サッカーボール……なのだろうか。「要は、あの大砲と爺さんをぶっ壊せばいいんだろ? おっさんはそこで見てろよ。俺のスーパープレイを見せてやる」「言葉を控えなさい、ロビン」「エドナ、構わないよ。私はダービーも好きだが、フットボールも嫌いじゃない。最初は彼に任せようじゃないか」 と、言って男はにこやかに凶器を鞘に収めた。「──タイムアップだ。さあ、ゲームを始めたまえ」======!注意!イベントシナリオ群『進撃のナラゴニア』について、以下のように参加のルールを定めさせていただきます。(0)パーソナルイベント『虹の妖精郷へ潜入せよ:第2ターン』および企画シナリオ『ナレンシフ強奪計画ファイナル~温泉ゼリーの下見仕立て観光風味~』にご参加の方は、参加できません。(1)抽選エントリーは、1キャラクターにつき、すべての通常シナリオ・パーティシナリオの中からいずれか1つのみ、エントリーできます。(2)通常シナリオへの参加は1キャラクターにつき1本のみで、通常シナリオに参加する方は、パーティシナリオには参加できません。(3)パーティシナリオには複数本参加していただいて構いません(抽選エントリーできるのは1つだけです。抽選後の空席は自由に参加できます。通常シナリオに参加した人は参加できません)。※誤ってご参加された場合、参加が取り消されることがあります。======
この0世界を守るために大量のナレッジキューブが必要──! バレンフォールと対空兵器レディ・カリスの首飾り周辺に集まっていた者たちは的確に判断し、動いた。 すなわちこの場に残って敵から砲台を守るか、集金活動に走るか、である。 多くのロストナンバーたちが散って行く中、旧校舎のアイドル・ススムくんは百体の個体をこの場に集結させていた。あっしがあっしが、わあわあどうすると個人的なやりとりを交わしたのち、大多数のススムくんは、ドタドタと駆けて行った。避難場所となったクリスタルパレスやPandora、告解室に向かったのだ。その数75。 残った25体は、一斉に振り返ってバレンフォールを見つめた。 「旦那、死んで花実が咲くものかでやんす。皆があの4人を排除するまで隠れてくだせぇ、お願いでやんす」 「そんなこと言われてもよォ」 発明家はというと、集まってきたキューブをせっせとマシンに挿入していた。一つ入れるたびにチャリンと効果音が鳴る。 「見りゃ分かるだろ、けっこう忙しいんだよ」 「よし、わいも出したるわ」 そこへ顔を出したのは蚕の化身アマムシだ。彼は懐から両手にいっぱいのキューブを出し、ざらざらと山に足していった。 「おおっ」 「ふふふ、自分の絹糸煮て作った化粧品、売っとったんやで……! これで全部や」 それは彼が貯めていたキューブ全部であった。兄ぃがね、アマムシはぽつりと言う。兄ぃが戦場におるから、わいも何かしやんと落ち着かんのよね。 「だから全部や。兄ぃの分もまじっとるけど、まあ大丈夫やろ」 「自転車さん、お願い! ビィのお願い聞いて!」 そこへいきなり無人の自転車が突っ込んできた。背後には笑う妖精シェイムレス・ビィの姿が見える。 ススムくんのうち数人が撥ねられるものの、残った彼らの口にニュッと赤黒い物体が出現した。 「美味しい物あげるでやんす~」 彼はその口からイチゴ味心臓を次々に発射し、飛び回るビィを追いかけ始めた。 「爺ィ、死ねや」 ギュウンッ! さらに暗黒のボールも突っ込んできた。元サッカー選手ロビンがロングシュートを放ってきたのだった。 ひっ、と驚く老人を守るように立ったのは、か細い女性ニルヴァーナだ。彼女は素早く手にした布を──彼女のトラベルギアを広げて、向かってきたボールを包み込んだ。 あれではひとたまりもない。誰もがそう思った中、なんと布はボールを勢いよく跳ね返したのだった。 「私のギアはどんな攻撃でも跳ね返せるの」 チッと舌打ちするロビン。戻ってきたボールを跳んで胸でキープすると、今度はドリブルで突っ込む。 「あっしのキューブ。はい、使ってネ」 ワイテ・マーセイレは、ぽいと自分のキューブを発明家に放ると同時に、大きく手を振って自らのギアであるタロットカードを展開した。カードは宙を舞いバレンフォールと操作パネルを円形に取り囲む。 「ボクもサッカー大好きです、一緒に遊びましょー!」 一番最初に突っ込んだのは少女型アンドロイドのPNGだった。彼女はロケット噴射全開で文字通り飛び出した。ロビンは飛び退いてやり過ごすと、その背中に暗黒ボールを蹴った。 ボールは空中で分裂すると彼女を追い、半数近くは地面や壁に当たって跳ね返り、こちら側に返ってくる。 「なんでもありのサッカーか? いいぜ、受けてやんよ。なんでもありでいいんだな?」 たくさんのボールと共に走りこむロビンの前に飛び出すのは、紅鱗の竜人レーシュ・H・イェソド。彼は地を蹴り数発のボールを弾き飛ばした。走ると見せかけて、翼で飛び一気に間合いを詰めた。ぐるりと身体を反転させ硬くした尾を叩き込む! 「くっ」 ロビンは両腕を交差しその一撃を受け止めた。よく見れば相手の腕には暗黒ボールらしきものが挟まっている。威力を軽減したのだ。 サッカー選手はするりと竜人の脇をすり抜けた。 「悪趣味なボールだな……」 新月航は、鮫のついた玩具にしか見えない彼のギアを構える。足を引っ掛けてやろうとよく相手を見るが、ロビンはそんな間を与えてくれなかった。 ドゴッ! 真っ直ぐに航を襲った暗黒ボールを受け止めたのはセクタンの明神丸だ。 「ああっ、ごめん!」 しかしその間を航は逃さない。すかさずギアの鮫を放つと、玩具は大きさを増し獰猛な鮫となってロビンの足にからみついた。 サッカー選手は派手にすっ転んだ。 「これ、意外に美味しいかも!」 ビィの方は、イチゴ味心臓をもぐもぐ食べ始めていた。 「あらあらオツムの弱さは治っていないようですわね。おチビさん」 三雲文乃は自らのセクタンを連れ妖精に近づく。 「何よ! あんた、いつぞやのオバサンね!」 「ほらほら甘い飴だったらこっちにもあるよ」 小型ドラゴンのユーウォンは、自らの能力でキューブから育成した飴の袋をビィに振ってみせた。中から一個、大きな飴玉を取り出して、美味そうにしゃぶる。 「……」 文乃に口汚い罵声を浴びせようとしてたビィは、ユーウォンの飴に大注目している。妖精は器物を操る際に「お願い」をする。お菓子を食べたり口喧嘩をしていれば能力を使えないのだ。 物欲しそうな顔のビィが近寄ってくると、ユーウォンは飛んでいきなり妖精に接近し、その口の中にベトベトのキャンディを押し込んだ。 「むぎゃ!」 歯にひっつく特製の飴玉である。ビィは口を押さえ何かを口走る。 「*#5■◎!」 飛んで怒っているが、その言葉は判別不可能だ。器物を操るのも当分無理だろう。 「──スーパープレイ、とやらはどこに? ロビン」 サッカー選手の脇に、赤いマントの女が立つ。うるせえ、とロビン。 突如その場に現れたエドナがさっと手を振るうと、袖口から無数の赤い蝶が舞いロストナンバーたちを襲った。 皆はめいめいに避けたり、風を起こして蝶を吹き飛ばす。が、蝶は上空から老人の元にも迫っていた。蝶とともにボールも数発混ざっている。 「サッカーよりも野球とかビリヤードの方が好きだよボクは」 魔導師ニッテイ・アーレハインは、飛び出してきたボール郡を魔法の手で受け止めた。その大きな獣の手『ヘカトンケイルの手』は、ぎゅっとボールを握りつぶす。 「任せて!」 翼竜人のティーグ・ウェルバーナが飛び上がりながら叫ぶ。彼女は自らの翼をはためかせて空気弾を生み出すと、それで蝶の群れをことこどく撃ち落した。 老人の元にはボールも蝶も一匹たりとも届かない。 こつん。 「イテッ!」 キューブを入れていたバレンフォールの頭に、何か小さな固いものがぶつかった。老人はそれが白いダイスであることに気付く。 「なんだこりゃ」 「幸運のダイスだよ」 ひょいと顔を出すのは、ベルファルド・ロックテイラー。凶悪な幸運の持ち主だ。 彼は自分の幸運をバレンフォールに分けたのだ。 「うまくすれば全体の戦況も良くなるかもしれない!」 「へえー、面白れぇな」 バレンフォールは話を聞くと、しげしげとそれを見つめた。 そして何の断りもなく、そのダイスをキューブの挿入口に押し込んだのだった。 * 一方、商店街の周囲では、鋼の護り人である歪が大剣「刃鐘」を振り払い、小さなワームを掃討していた。彼は人々を避難させ、怪我人がいれば背中にかついで運んだ。まずは戦闘できない者の避難を最優先したのだ。 彼らをクリスタルパレスに連れていくと、そこで背中に怪我をした子供を乗せた大きな狼と遭遇する。 狼の姿をとった仁である。 「あっちの住宅街の方はもう大丈夫だ」 彼は自分が世話になっている老夫婦の家のある住宅街を見てきたところだった。背中の子供は仁に礼を言うと、彼にキューブをいくつか渡してくれた。 と、その時だ。 轟音が鳴り響き、それが歪と仁のいる大地を揺すった。彼らは身を伏せ、今のが上空の要塞ヴィクトリカからの砲撃であったことに気付く。 「助けて!」 付近で破壊された家の方から声がする。彼らは無言でそちらの方へ走っていった。 「急がなきゃね」 仕立て屋のダンジャ・グイニも空を見上げて呟いた。彼女はクリスタルパレスの前に陣取り簡単な屋台のようなものを開いていた。 「乗り込めなくてもガツンとかませる。キューブを貸してくれるだけでね。こんな愉快な事は滅多に無いよ」 人々にキューブをもらい、その代わりに彼女の手製のカバンや服などを渡してやる。 「アリッサの服は作れるか」 「なんだい、それ。コスプレ趣味かい?」 黒装束の少年にそんなことを頼まれ。ダンジャは快くその場でアリッサの衣装に似せたものを作り彼に手渡した。 その脇で墨染ぬれ羽は受け取ったキューブを手に、飛べる魔法をかけてもらい空を飛んで砲台の方へと戻っていった。 「て言うか何でそんなもの燃料に選んだの……」 バレンフォールの説明を聞いて呆れる鰍。とはいえ彼はいち早く集金に走った者のうちの一人だ。 「大砲撃つのに、キューブが必要なんだ、頼む!」 彼は画廊街で避難する人々に声を掛け、募金活動のように地道に小額ずつ集めていった。 図書館を見上げれば巨大なバイキング船が突っ込んでいるのが見える。アリッサは無事か、他のみんなは……。心配は尽きないが、ひとまず集金活動で貢献するしかない。 「頼む、俺にキューブを分けてくれ!」 一方、これを機会にと、妖精卿に乗り込んだ者たちもいた。 木賊連治と椙安治と呉藍の3人である。 「許可なんて後で取ればいい。慈善事業家なら断れねぇだろ」 連治は奇術師にして探偵で殺人犯だ。どこか倫理観が欠如している彼は、火事場泥棒にも抵抗感は少ない。自分のナレッジキューブを砲台に放った後、通りがかりの呉藍、椙安治を捕まえ主の居ない妖精郷に侵入したのだ。 「ワンちゃん行こうか」 「誰が犬だ!」 狼に似た姿を揶揄され、憤慨しながらも呉藍。彼はナレッジキューブの匂いを覚えると、同じ匂いを求めて城の奥へと進んでいく。 主であるリチャード・ダイアナ夫妻は、謎の穴から逃げ出したらしい。しかし無人の城にも玩具の兵隊は残っていた。何体が反応して襲ってくるのを、呉藍は炎を放ってこちらに近寄れないようにして足止めした。安治も背中の悪魔の羽根から炎を飛ばして応戦する。 結局、彼らが到達したのは、リチャードの書斎だった。本棚の奥に扉が隠してあり、その奥に小さな金庫室があったのだ。 扉には魔法的な施錠はなく、連治がいとも簡単に開けてみせた。 「どんな感じだ?」 呉藍が、炎を灯し明かりをつくる。 室内には様々な品物があった。貴金属や美術品など価値あるものばかりで、連治は思わずそれに目を奪われた。しかし今必要なものはそれではない。ナレッジキューブだ。 「なるほど、現金はあまり持たない主義ってやつだ」 安治が言う。彼は床に赤いチョークで何かを描き始めた。それは精密な魔法陣だった。人が一人入ることができるほどの大きさのものを完成させると、片端からキューブを放り込む。 魔法陣の出口は、首飾りの砲台のすぐ隣りになっていた。安治は予めそこにもう一つの魔法陣を描いていたのだ。 当然、三人もここから脱出するつもりだ。 この機会にと“強制徴収”に走った者がもう一人。 アルジャーノである。 彼は、ヴァネッサ・ベイフルックの居城、エメラルド・キャッスルに向かっていた。 「ココが一番リッチだと思うんデスよネ」 彼は液体金属生命体である。いくら城が堅牢でも壁を食べて侵入できるのだ。 「戦時下における緊急的徴収というヤツデス、問題ナシ! 戦うつもりなんか無いんでショ? そんな貴方を皆が守ってあげるんですかラ、お金位はケチらず出しましょうネー」 しかし。 道は途中で消えていた。つまり入口を封鎖されてしまったのだ。チェンバーは別空間なので、こうなってはどうにも侵入できない。おそらく、ヴァネッサという人間はこうした非常時に自らの財産が失われることを恐れ、予め対策を打っていたのだろう。 0世界が滅びるかもしれない。 そんな時なのに。ヴァネッサは自分の居城に閉じこもって、それでどうしようというのだろう? 「あら、どうしたの」 消えた道を眺めていた彼の上空に、翼竜人の少女が飛んできた。空気弾の反動で飛ばされてきたティーグだ。彼女はエメラルドキャッスルのことを聞き顔をしかめた。 「仕方ないわね……。ねえ、それならゲームセンター『メン☆タピ』とかどうかしら。小銭なら沢山ありそうよ」 なるほど。納得したアルジャーノとティーグは、件のゲームセンター「メン☆タピ」に直行することになった。 数分後。 到着したティーグは、必死にキューブを金庫に押し込んでいる店番に遭遇した。彼女は真面目に彼を説得にかかった。 「お金はまた集められるじゃない! 今はあのビームを撃てる動力が必要なの! 命よりお金が大事なの!?」 と、その横で、ゲームの大型筐体をおやつ代わりに食べているアルジャーノ。彼に恐れをなした店番は素直にティーグにキューブを渡したのだった。 * 「よし、行けるぞ」 バレンフォールはゴーグルを装着し、伏せろ! と回りの者に叫んだ。 巨大なアンテナ型の機械は、身を震わせて唸りだした。ゴォンゴォンゴンゴン……。 「目障りだからアレいこうよ」 ロナルド・バロウズは風俗に行った心算で自らのキューブを提供したところだった。それに鼻息荒くバレンフォールが言葉を返す。 「おう、エンジン狙うぞ!」 彼が赤いボタンを押すと、アンテナは血の蝶をかき消し、輝く光を上空に放った。 初めて見る者は目をみはった。 上空で合流した12筋の光は、美しく螺旋状に絡みながら上空の要塞ヴィクトリカに命中したのだった。 「なんと……」 驚いていたのは、大将たるヴィヴィアン・ウェリントンだ。彼は初めて見た『首飾り』の威力を呆然と見つめていた。 その首にするりと黒いものが絡みつく。 が、一瞬だった。ズダン、と大きな音をさせてヴィヴィアンは襲撃者を地面にねじふせていた。右腕を奇妙な方向に捻じ曲げられ、地面で敵を見返すのはツァイレンだった。 彼は一瞬の隙をついてヴィヴィアンを仕留めようとしたのだ。 「皆さん、気をつけて!」 折られた腕を庇い、ツァイレン。「この男、首を絞めても死なない。手ごたえがない。おそらく生者ではない──」 貴族は間髪入れず、武道家に斬りかかった。その動きはあまりに素早く、さすがのツァイレンも反応が追いつかない。 ガキィン! 「ヴィヴィアン……壱番世界では、アーサー王伝説に出てくる水の精霊だったな」 その攻撃を受け止めたのは、鋼のガントレット。魔法薬師のフブキ・マイヤーが咄嗟に間合いに入っていた。二人の視線が交差する。 「お前の正体は水の精霊ウンディーネか? となれば、その剣はエクスカリバーか?」 相手は笑ったようだった。だがその笑い声は剣を滑らせた金属音にかき消される。貴族はフブキの懐に入り込むと、彼の身体を真っ二つにしようと剣をなぎ払った。 「おっと」 フブキは素早く飛び退く。剣に斬られ服の裾が二つに割れる。 「“湖の貴婦人”か、それはそれは光栄だね。確かに私には魔術の才がある」 笑う貴族の口端に長い牙が見える。淑女の喉につき立てられるであろうそれを見て、フブキは相手の正体を悟った。 「ヴァンパイア……だと?」 「ヴィヴィアン様」 エドナが駆け寄ると、貴族は剣を納め肩をすくめてみせた。 「素晴らしい兵器だ。すみやかに排除する必要がある」 命令のような感想なものを漏らすヴィヴィアン。エドナはこちらに大きくマントを広げ、蝶の大群を放った。それはもはや赤い雲だ。 脇にいたロビンもその雲の中に姿を消した。何をするのかと思えば、飛び出してくるのは予測不可能な軌道を描く暗黒ボールだ。 「やっちゃえ!」 ようやく飴を吐き出したビィも叫んだ。「道路標識さん、ビィのお願い聞いて! あの連中をやっつけて!」 妖精の声を聞いた道路標識のポールは、根元でボキリと自らを折って宙を舞い、蝶の雲に加わった。尖った先で相手を串刺しにする気だ。 三人の敵が、総攻撃をかけてきたのだ。 軍人のコタロ・ムラタナはボウガンを構え赤い雲を正面から迎え撃った。 「バレンフォールさんに手は出させないわっ!」 弓を使ってシャニア・ライズンも赤い雲に向かって矢を撃った。矢を「追尾弾」を分散させて散弾の様に放ったのだ。 しかしその間にも暗黒ボールは雲の間から飛び出し、ロストナンバーたちを襲う。 数体のススムくんがボールの直撃を受けて倒れ、レーシュや航は跳んできた尖ったポールを飛び退いてかわす。 「おまえは、ぬれ羽に、殺される、よ」 上空からは、戻ってきたぬれ羽がマスケット銃でロビンを狙い打つ。彼はキューブを発明家に放り、サッカー選手を挑発した。 「……こういう戦い方、初めて。いつも、ただ殺すだけ。ぬれ羽が殺した奴らが、そうしてた事はあったけど。あれは、誰かを守ろうとしてたんだっけ……?」 「──人の形をした血の悪鬼よ、疾く去ね」 そこで前に進み出たのは陰陽師の賀茂伊那人だ。大きく手を振るうと彼の手から呪符が滑り出し、赤い雲の四方と天を5枚の呪符で囲み、一瞬で結界をつくった。 雲の動きが止まり、ワイテも動いた。無数のタロットカードを飛ばして蝶を次々に潰していったのだ。カードに斬られた蝶は血に戻り地面に落ちていく。 ダッと雲の中からロビンが飛び出してきた。彼は砲台というゴールに向かって単身のドリブルを開始する。 探偵助手の黒葛一夜がギアのガムテープを構え、飛び出した。 「本体さえ止めれば!」 ボールをかわした一夜は、アッパーカットを放つようにガムテープをロビンの首に巻きつけようとする。それが払いのけようとした左腕に巻きついた。 が、彼は腕で一夜の腹に強烈な拳を見舞った。ザザッと後退した一夜は、そのラフプレイに顔をしかめた。殴り合いも一流か。 ロビンは鮫のギアを構えた航の股の間にボールを通して、向かってきたPNGに凶器を蹴る。彼女がロケットパンチでボールを押し戻すと、それを待っていたかのようにロビンは地を蹴って高く跳んだ。 宙で回転して背後へボールを蹴る。オーバーヘッドキックだ。 ボールは鋭いカーブを描いて、発明家の元へ迫っていた。まさかこの距離で狙うとは。ススムくんやニルヴァーナが慌てて反応するが間に合わない。 ──キィィン! しかし何かが跳んできて、ボールは空中で方向を変え地に落ちた。 「君達の相手は俺達だ。よそ見されて貰っちゃ困るね」 水鏡晶介だった。魔道研究者である彼は鍵型のギア──投げつけることで敵の能力や体の一部を数秒封じる事ができるギアをボールに当てたのだった。彼は本体にも魔法で氷柱を飛ばし牽制する。 「すばしっこい奴にはこれさ」 歩く武器庫、古城蒔也も銃を構えた。彼は懐から手榴弾を三つ取り出すと、口でピンを外しロビンの方へと放ってみせた。 「テメェが壊れるとこ、見せてくれよ」 爆発と共に煙がもうもうと立ちこめ、視界を奪う。そこへ蒔也はマシンガンの弾をばら撒いた。 このタイミングでは避けようがないはず──。 「アナタごと空の藻屑にしてやります!」 そこへダメ押しとばかりに、PNGが腹をぱかんと開けて対空ミサイルを発射した。慌ててその場から飛び退く仲間たちを尻目に、大きな爆発が起こった。 やったか? 皆がそう思い煙が晴れた時。ロビンはそこにはおらず、かなり後方のヴィヴィアンに肘を掴まれ息を切らしていた。もはや瀕死の状態だ。 まさか。皆は顔を見合わせた。あの吸血鬼がロビンを連れ出した? 「君にもう一度チャンスをやる」 ヴィヴィアンは自らの左手から指輪を抜き取ると、それを乱暴にロビンの胸に押し込んだ。赤い石の指輪は一瞬にしてサッカー選手に同化し、ロビンはみるみるうちに生気を取り戻した。胸には気味の悪い菌糸を張り巡らせた赤い石が光っている。 「君も、私のディナーにはなりたくないだろう。頑張りたまえ」 それは名誉なことだがね、と彼は笑ってロビンの背中を押したのだった。 * 歪は、街のあちこちで人々を助けているうちに、黒いツナギ姿の男性に遭遇した。無二の友人である。 キューブくれ。持ってるの全部。何に使うんだよ? 短い会話の後、本当に全てのキューブを受け取る歪。彼は背中に羽を描いてもらうと、礼とばかりに戦場に加わった。 向かってきたワームを一刀両断にしてから、スーツ姿の青年にキューブをもらう。 「悪いな、少なくて。……無駄にするなよ」 親友が皆に説明してくれたおかげで、皆は快く歪に応じてくれた。鳥人の女性も、ほとんど持ち合わせがないと言いながらキューブを渡してくれた。 ナレンシフの猛攻に、後ろ髪引かれながらも歪が戦場を退こうとすると、最後に翼を生やした黒髪の青年が近寄ってきて彼に財布を放ってくれた。 「これも持って行け」 「ありがたい、助かるよ」 これで4人。剣を振るいながらも、礼を言う歪。 一方、戦闘が繰り広げられている街中では、少女メアリベルがスキップを踏みながらキューブを貰えそうな者を探していた。 まず見つけたのは、銃を持った少女と長くとがった耳の青年の二人だ。 「トリックオアトリート、キューブくれなきゃ悪戯するぞ!」 「え? あ、もしかして大砲のナレッジキューブ?」 相手は一瞬固まったものの、メアリベルの意図を理解してくれたようだった。上空に現れたワームに銃撃しながらも、合間にキューブを渡してくれる。 「生活費切り詰めてるんだから! 無駄遣いしたら承知しないわよ!」 「ヘーイ! 持ってけドロボウ!」 「あはは! みてみてミスタ・ハンプ! キューブもらった沢山もらった! キューブくれたから悪戯はなしだね! 次はどこだ次はだれだ」 メアリベルはハンプティ・ダンプティと両手を繋ぎ歌いながら、次の獲物を探す。 「あ、見つけた! ねーねー、キューブ頂戴!」 怪我人を輸送していた者たちを見つけ近寄ると、白衣の青年と膝近くまで髪を伸ばした青年が、揃って手持ちが少ないと詫びながらキューブをくれた。 物欲しげに竜のような容姿の青年を見れば、彼もちゃんとくれた。 「今からまた戻るのか? クリスタルパレスまで一緒に行くか、途中まで送ろうか?」 「まだ見てない場所あるから、もうちょっと集めるの、ありがとねミスタ」 スカートを持ち上げ可愛らしく挨拶するメアリベル。 * 血の蝶は、その場にいたロストナンバーたちに取り付き、ヒルのように彼らの血をすすった。シャニアはナイフで蝶を引き剥がし、伊那人は他者にも呪符を飛ばし蝶を消していく。 「どけッ!」 そこへロビンが走りこんできた。彼の戦法は前とは明らかに違っていた。 手榴弾を構えた蒔也やPNGには多くのボールを放って、それを弾いている間に脇をすり抜ける。航の鮫や一夜のガムテープも身軽に回避する。 彼はまっすぐにゴールを目指していた。ロストナンバーたちをすりぬけ、老人と砲台の破壊を最優先しようというのだ。 「マンホールさん!」 ビィの操るマンホールの蓋も数枚、宙を回転しながらサッカー選手を援護した。 前に立ちはだかったのは文乃だ。ザッとパレットナイフのギアを構え、飛んできた蓋をよけながらもナイフを一振り。蓋は半分ほどに削られ地に落ちる。 「いいかげんに君は、煩いなー」 そこへワイテがガムテープを飛ばす。宙に飛んでいたビィはそれに気付かず、巻き取られてベチャッと地に落ちた。 「あーん、ひどいー」 女の子座りして泣き出す妖精。そこへニッティが「サイレンス」の魔法をかける。さらにワイテがさらにガムテープを巻きつける。 ふつん、と泣き声もやんだ。 一夜は、横っ飛びにロビンに接近しガムテープを足にひっかけた。だが彼はそれをものともせず一夜の脇をすり抜けた。 「まずい!」 彼は振り返る。自分が最後の障壁だと思っていたからだ。 が、そこにはいつの間にか巨漢が立っていた。 「雹王招来急急如律令! 氷の息で奴の足とボールを止めろ! 幻虎招来急急如律令! 奴らを斬り裂け! 炎王招来急急如律令、ボールを抜かせるな!」 符術師の百田十三が駆けつけたのだった。 彼は立て続けに、式を3体即座に召喚した。現れたのは巨大な獣たちだ。巨大な雪豹は氷の息を吐き、虎はロビンに向かって突っ込んだ。 ロビンは暗黒ボールを分裂させて虎の攻撃をしのいだ。炎の猩々はこちらへ蹴られたボールを炎で押し戻す。 「クソッ、邪魔だ!」 と、その背中に、トン、と触れるのは十三。彼は素早く相手の背後に回りこんでいたのだ。 「点穴を衝いた。例え妖物であろうが元は人、物理的に封じた人体を好きにできると思うな」 「なん……だと?」 腹を抱えこむように身体を折って倒れるロビン。分裂していた暗黒ボールはひとつにまとまり彼の足元に戻る。 「臨兵闘者皆……ん?」 終わったか、と皆が思ったその時だ。 十三は怨念を浄化しようとして気付いた。何か異変が起きている。彼は身の危険を感じてその場を退いた。 その瞬間、ボールの漆黒が拡散し辺りを闇に包み込んだのだった。 「ウワァッ」 悲鳴が上がり、一夜は見た。ロビンが無数の手に掴まれて闇に呑まれていくのを。助けてくれと泣き叫ぶ彼の姿を暗黒が引きずり込み、そして消えた。 辺りには何も残ってはいなかった。 「お金が必要? ああそうなんですか」 ロビンが暗黒に呑まれた静寂の中、シィ・コードランが呑気に言う。 ライダースーツを着た彼女は、バレンフォールに話を聞くと、巨大な金砕棒を一瞬でバイクに変形させてサッと跨った。 「では、ちょっと集金に行ってきますね」 シィは何事も無かったようにロビンのいた辺りを走りぬけ、道端で泣いていた妖精の襟元を掴んで引っ張り上げた。 「ついでに、こいつも連れてくぜ!」 じたばたと暴れるビィを小脇に抱え「死なないんであればここから引き離せばいいだろうがァ! ちっくら捨ててくるわ!」 彼女のバイクは突風のように、その場を走り去っていった。 * 晦と有明の狐兄弟は、クリスタルパレスに到着していた。避難してきた者や、そこで料理を振舞う者、世界樹旅団の者たちまでいるらしい。中は人でごった返していた。 大きな銀狐の姿をした有明は集金用の籠をくわえ、三尾の子狐姿の晦を背中に乗せ、ある人物を探す。 それは誰かと問うならば。答えは決まっている。 彼らが探しているのは、ロバート・エルトダウン。ロード・ペンタクルその人だ。 「神社参拝しにきたと思って奮発してくれるとありがたいんやけど。なんやったらご利益はずむで?」 晦はお賽銭をねだるように、周りの人々からも小銭をわけてもらっていた。代わりに頭を撫でさせてやると、和服姿の無表情な男も嬉しかったのか、キューブと一緒におやつもくれた。 「おったで」 有明が背中を丸めて座っているロバートを見つける。大富豪は旅団の子供たちが他のロストナンバーたちと少しずつ仲良くなっていく様を羨望の目で見つめていた。 「元気ないやんか、どしたん?」 晦が声を掛けるも、うんとか、ああとかロバートは生返事だ。 「奮発してくれるんやったら兄上殿撫でてもええでー。ユキヒョウくんより尻尾多くて触り心地ええよ?」 有明もそっと声を掛ける。「あ、僕撫でてくれてもええんやで!」 二匹の狐はロバートの足元に寝そべり、撫でて撫でてと尻尾をパタパタと振った。そこでようやくロバートが反応した。そっと背を撫でて、ふうとため息をつく。 「なんだい」 ダンジャ・グイニが声をかける。 「肝が据わってるのはレディ・カリスやアリッサだけかい?」 少々きつい言い方だが、その言葉に険は無い。「ファミリー以前に男だろう。こんな時こそ男を上げないで、いつやるんだい?」 「そうだよ。この姉さんの言う通りさ。あんたは天下のロバート卿だろ」 カジノダイスを手に、ディーラーのベルダも加勢した。 ロバートは物憂げな瞳で二人の女を見上げる。 「ねえねえ、おれでよければ撫でる?」 と、そこへ近寄ってきたのが、青銀の毛並みを持つ小さな猫──ハルシュタットだった。彼は青くつぶらな瞳でロバートを見上げた。 そっと彼が手を伸ばしてくるのに合わせて、ひょいと膝に飛び乗る。 撫でてもらいながら、彼は傷心のロバートが立ち直るのを根気良く待つつもりだった。無理強いをするものでもない。 「あのさ」 ハルシュタットは囁くように言う。「おれたち、上空の要塞なんかをやっつけるために、がんばってナレッジキューブを集めてるんだ。だからあんたにも協力してもらいたくて」 「……?」 ふさふさの毛を撫でながら、ロバートは不思議そうな顔をする。 「どうしてキューブが?」 「砲撃の動力源になってるんだ」 「なるほど、そういうことか」 ロード・ペンタクルは猫を抱いたまま、すっくと立ち上がった。自らの周りに集った面々の顔を一人ひとり見て、うなづく。その表情にはもう傷心の様子はない。 「──君たち、いくら必要なのかな?」 たった一言、言っただけだというのに。その迫力に皆は息を呑んだ。ダンジャとベルダは顔を見合わせてニヤリと笑い、晦と有明は嬉しそうにパタパタと尻尾を振った。 「なあ、ロバート・エルトダウン。……掛けようじゃないか。この戦い世界図書が勝つか旅団が勝つか」 最後にベルダが言った。 「さぁどっちに、いくら賭けるんだい? チップは弾んでくれるんだろ?」 「もちろん」 ロバートは優雅に袖を振り、彼女に手を差し出した。 * 「仕方のない連中だ」 ヴィヴィアンは凶器に手をかけ、それをゆっくりと引き抜いた。 「雨の日に壊れる傘ほど、腹が立つものはない」 その言葉は消えた仲間に対するものか。彼はエドナ、と従者を呼んだ。赤い血の魔女はようやく伊那人らの結界から逃れたところだった。 彼女は急ぎ主人の元に戻り、その背後に控える。 「ねえ、待って」 剣を構えるヴィヴィアンに、よく通る声で呼びかけたのは刑事の流鏑馬明日である。 「あなたは、他の人より話が解ると思うのだけど。たった二人でこの人数に……」 言い掛けた明日は、本能的に背後に飛び退いた。間一髪、目の前に迫っていた吸血鬼が剣を横に薙ぐのをかわす。 「貴女とはこの後ダンスを楽しみたいものだ」 微笑み、彼は刺突を繰り出してきた。彼女は銃を諦め、得意の蹴りで吸血鬼を牽制する。 フブキが加勢に入ると、エドナが蝶の群れを彼に放った。しかしその伸ばした腕に放たれた矢がぐさりと突き刺さる。コタロのボウガンだ。 「おのれ」 魔女はぎらぎらした目を軍人に向けた。彼女の腕の先は霧のように消えていく。 「任せな!」 狼の獣人オルグ・ラルヴァローグは、大きな身体で戦場に切り込んできた。 「血の蝶の群れなんか焼き払っちまえばいい話だろ!? 女だからって容赦はしないぜ、こっちは頭に来てんだッ!」 彼は黒炎の魔法をもって蝶の群れを焼き払う。エドナは蝶を壁のように固めてその炎を防ごうとするが、そこへシャニアが放った追尾弾が回り込んで魔女の本体を撃った。 矢はエドナの肩にあたり、彼女はたまらず悲鳴を上げた。そこにコタロがボウガンの矢を次々に放つ。手は止めない。魔女が地に倒れるまで。 「女だからって容赦はしない? なるほど君の意見には賛成だ」 いきなり手をグンと伸ばし、ヴィヴィアンは明日の首を片手で捕まえ、彼女を持ち上げていた。苦しそうにもがく彼女の足が空しく空を蹴る。 「てめえ!」 オルグは吼え、愛用の双剣を抜き放った。 * ティリクティアは、避難所になった様々な拠点を渡り歩いて、キューブを譲ってもらっていた。友人のキアラン・A・ウィシャートも同行中である。彼はこの巫女姫が砲撃などに巻き込まれることがないよう、片時も離れず護るつもりだった。 「0世界を護るための兵器を使用するのに、大量のナレッジキューブが必要なの。お願い、協力して!」 よい香りのする店【夢現鏡】には、避難中の人々が多く集まっている。何か忙しく立ち回っている者の中で、ポニーテールの少女と髪の毛に白い花を咲かせた青年が快くキューブを分けてくれた。 「がんばってね」 「ありがとう!」 彼女が礼を言っていると、店の前から美しい歌声が聞こえてきた。外に出てみると、純白の翼をもった女性が、静かだが力強い歌を披露していた。オペラ=E・レアードだ。 砲撃に震えていた人々は、彼女の歌を耳にすると驚いたようにその姿を見つめた。あまりに美しい声だったからだ。やがて人々の顔にも微笑みが戻ってくる。 オペラはギアのハンドベルを鳴らしてガラス細工のベルや置物を作り出してみせる。 「ナレッジキューブを分けてもらえないか。理由は彼女が説明したとおりだ」 ティリクティアも協力して、人々からキューブをもらっていく。キューブと引き換えにオペラが作った綺麗なガラス細工をもらって、みな満足そうだ。 「では、わたしはこれで」 彼女は寄宿先の店主に譲ってもらうキューブを取りに、ターミナルの方へ向かっていった。 入れ替わりに向こうからクアール・ディクローズが走ってきた。彼はキューブが詰まった袋を手にしていた。 「あらゆる拠点を回ってきたところです」 クアールは道行く人からも首飾りのことを話して、キューブをもらっていた。出会った青い羽根の鳥人は持っている分のほとんどのキューブを貸してくれた。 「あとはやはりクリスタルパレスですね。多くの人が集まっているようです」 「そうね」 「図書館の方はどうだ?」 「かなり混乱していますね」 クアールは、アリッサを助けに向かうと言っていた白い髪の男性のことを思い出した。キューブをもらって別れたが、彼の無事を祈るばかりだ。 「向かった連中に任せるしかねえだろ」 そこでキアランが口を挟んだ。鉄パイプでトントンと自らの肩を叩く。「俺らだって、図書館に突き刺さってるアレを狙うことができるんだぜ」 彼が顎でしゃくる先には、バイキング船──ノエル叢雲の姿がある。 そうね、とティリクティアがうなづいた。 * オルグは地を蹴り、一気に間合いを詰めていた。“煌剣”を発動させた彼の双剣には金色の輝く炎が加わっている。 「これ以上はやらせねェ!!」 ヴィヴィアンは眉を寄せ、首を掴んでいた明日をオルグの方に放り出した。ぐっと動きを止めた瞬間、いきなり吸血鬼の姿が消えていた。 上だ! 誰かが叫ぶ。 黒い影が彼の前を横切ったのと同時に、オルグは双剣を上空へと振るった。ほとんど勘で動いたのだが、受け止めたのは重すぎる一撃だった。 長剣に全体重をかけ、ヴィヴィアンはオルグを両断にしようと斬りつけてきたのだった。 オルグの足元のレンガが割れ、吸血鬼はニヤと笑ってそこから飛び退いた。 「私に魔術は効かぬよ」 脇では意識を失った明日をツァイレンが助け起こしている。 「──義によって助太刀致す!」 そこへ現れたのが青龍偃月刀を手にした阮緋だ。彼は難い言い回しに自らも口元を緩ませ、真っ向からヴィヴィアンに迫った。 吸血鬼は片手で長剣を操り、その斬撃を受け流したが、すぐに両手に持ち替えた。 阮緋が息もつかせぬ連撃を繰り出してきたからだ。薙ぎ払い、顔面へと刃を伸ばし、そして突く。ヴィヴィアンは身軽にかわすも、後退を余儀なくされている。 * ロナルドは、戦闘に参加していた知り合いからようやくキューブをもらってきたところだった。 やれやれ。友人の脱ぎたてワイシャツ一枚で交換できて良かった。ぼやきながら、クリスタルパレスに足を踏み入れた彼は休んでいる者たちに声をかけていく。 「景気のいい花火、見たくない?」 キューブの代わりに得意のバイオリンを披露する。 そうそう、あの人からもらわなきゃね。彼は演奏しながらロバートを探す。 「ターミナルの一大事よ、ナレッジキューブありったけ吐き出すね!」 そこに、スキーマスクで覆面し青竜刀をひっさげたチャンが駆け込んできた。 「チャン闇金でバイトしてたヨ、取り立てプロね!」 彼はロバートを強請ってやろうと、つかつかと彼の元に迫った。その様子に半ば慌ててロナルドも後を追う。彼は彼でロバートの精神に干渉して、財布の紐を緩めてやろうと思っていたからだ。 「ははは面白いね」 当のロバートは、チャンとロナルドに手持ちのキューブをどっさり渡したのだった。 「図書館にも連絡をとってある。連絡がついた分は現場に集まっているはずだよ」 へっ? と、拍子抜けした様子の二人を尻目に、ロバートはその場にいた司書たちにも声をかける。 「きみたちも当然、彼らに協力してくれるだろうね? ああ、それからラファエル」 最後にロバートは店長を呼びつけ何事かを伝えた。ええーっ、と脇にいたシオンが声を上げる。 「破損箇所はドンガッシュが直してくれたし、皆が現状回復を手伝ってくれたから、店の補修費用はかからないだろう?」 要求されたのは現在の売上金とシオンの給料全額だ。がっくりと肩を落とす彼に、にゃおんとハルシュタットがすり寄っていった。 * 「やんだか?」 蝶を振り払い、ようやくバレンフォールは作業を再開した。 そこへ歪とメアリベルが戻ってきた。歪はあの後も常夜邸の主など数人からキューブを分けてもらい、大量の“燃料”と共に帰還したのだ。 クアールも図書館所蔵のものを受け取って戻ってきた。75体のススムくんも舞い戻る。そこに出来たのは大きなキューブの山が二つ。 「よし、これなら行ける!」 矢に撃たれ、燃やされ、血の魔女の身体はズブズブと沈むように崩れていった。後に残ったのは真っ赤な血溜まりだけだ。 しかし阮緋はヴィヴィアンに全く隙を与えない。大きく振り降ろす刀を、吸血鬼は人間離れした腕力で受け止めようとし──剣を傾け力を逃がす。惑わされ、阮緋はバランスを崩した。 ヴィヴィアンは踏み込むと思いきやパッと飛び退いた。左手の指輪を引き抜くと、血溜りの方に放る。 「させるか!」 オルグが反応して彼に迫る。敵はエドナを復活させる気だ。 伸ばした手で指を優雅に動かし、ヴィヴィアンは血溜りに呪文のようなものを唱え始める。 ──カッ! そこへ突然、白い影が滑り込み、目の眩む閃光を放った。フブキだった。 「なっ」 ひるむ吸血鬼。 生まれた一瞬の隙。それを逃す者はいない。 伸ばした指を、阮緋の青龍偃月刀が斬る。 オルグは右の短剣を相手の胸に突き立てた。 そろりと落ちる4本の指。吸血鬼は悲鳴のような何かを漏らした。 阮緋は目を細め、切断された指からドス黒い血が吹き出すのを見る。魔力の流れを断ったのだ。これでもう魔術は使えないはずだ。 短剣を胸に生やし、よろめくヴィヴィアン。 「続けて二発行くぞ、伏せろ!」 同時にバレンフォールが叫ぶのが聞こえた。首飾りの発射だ。とどめを刺そうとしたオルグは動きを止める。 彼が伏せると即座に、アンテナは上空に光を放った。 「ばーんと、やっちまいなよ! ばーんと!」 ベルダが言う。要塞ヴィクトリカに狙いを定められた超兵器は、輝く軌跡を描いて要塞に直撃した。 やった! と青竜刀を振りかざし喜ぶチャン。 「爺さん、連中に知らせたぞ!」 「おうよ!」 鰍がノートで図書館にいる仲間に連絡したのを聞くと、バレンフォールは操作盤を操って標的を変える。 今度は我らが世界図書館に突き刺さっているバイキング船──ノエル叢雲だ。 光の球はまさに0世界を囲む首飾りのように展開し、三角錐をつくるようにノエル叢雲を撃った。 船は大きく傾き、この地上も大きく揺れた。 首飾りの発射の後、フブキは気付いた。いつの間にかヴィヴィアンの姿が見えないことを。敵の大将は深手を負い、この場から逃げ出したようだった。 オルグと阮緋は顔を見合わせ、武器を収める。ひとまずこの場の脅威は去ったようだ。 「待って!」 つかの間、皆が一息つこうとした時。シャニアが上空を指差した。 「何よ、あれ!」 その場にいたロストナンバーたちは、見た。 緑に覆われたナラゴニア。そこから植物の根か蔓のようなものが無数に延びてきたのだ。それは凶々しく0世界のあちこちに突き刺さっていったのだった。 (了)
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