頭上の遥か高くに威容を見せ付ける巨大な神殿を、誰もが言葉少なく見上げていた。
「迎撃班は苦戦、後方支援班にも被害が出ているとの事だ」
各方面から連絡を受け取った八之銀二が渋い顔で言うと、
「なら……始めましょうか、手遅れにならぬ内に」
莞爾と笑った森の女王の周囲から、空中神殿に向かって、激烈な勢いで蔓が伸びる。
蔓の群れは複雑に絡み合い、重なり合って、人間が何百人登った所でびくともしない頑丈さへと生長する。傾斜は急だが、螺旋階段のように渦を巻いて伸びているため、駆け上がる事はさほど難しくはなさそうだ。
「さあ……ご存分に」
女王の微笑に見送られ、結界解除と、その補助を担う人々が勢いよく蔓に飛び移り、神殿目指して駆け上がってゆく。
古森凜が行った、身体能力を上げる演奏のお陰で、いつも以上にその動きは軽やかだ。
折しも空からは、背に翼型の装置を追ったタナトス兵たちが舞い降りようとしている所だった。
彼らの視線は、解除班とレーギーナに注がれている。
ぴりりとした緊張感が双方に満ちた。
飛行戦隊を担当する面々が、結界解除班を追って次々と蔓を駆け上がって行くのを合図に、風を切り裂いて空を駆け抜けて行ったのはユーフォリア・ノクスィトゥルヴェルだ。
タナトス兵に向かって彼女が放ったのは、鋭い飛礫だった。
それは一直線にレーギーナ目がけて突っ込もうとしていた彼の出鼻を挫く事に成功し、眉間を直撃されてバランスを崩した一体が地上へ落下してゆく。
ユーフォリアは目を細めると、更に敵兵を撹乱すべく翼をはためかせた。
「さァて、一働きと行こうかね」
沙闇木鋼は慣れた手つきで猟銃に弾を込めると、躊躇いなく引鉄に指をかける。
たぁん、と、高らかな銃声。
弾丸は、針のように一直線に飛び、狙い過たず飛行兵の胸を打ち抜いて、彼を地面へと射落とした。
鋼は黙って弾を込め、
「神サンだろうが何だろうが、空を舞うなら私の獲物だ」
引鉄を引く。
戦局はまだ混沌としている。
町のあちこちから、タナトス兵たちが、この公園の中央を目指して進んでくるのが見える。数は決して少なくない。
「迎撃班の手を漏れた蹂躙軍か」
「ああ、レーギーナ嬢を狙っての事だろうな」
木村左右衛門と岡田剣之進、出身のよく似た二人は並んで刀を抜いた。
「力を出し惜しみしていては勝てぬ、か」
呟き、居合いの構えで太刀の鍔を高らかに鳴り響かせ、ロケーションエリアを展開した左右衛門の、冴え冴えとした一閃を、兵士は手にした長剣で受ける。
甲高い金属音。
「何と迷いのない太刀筋」
左右衛門の独語に、タナトス兵は、揺らぎのない目を向け、
「我が身の全ては死の神に捧げられた物なれば」
断じるや否や、恐るべき怪力で左右衛門を刀ごと弾き飛ばした。
「ッ!」
左右衛門は息を飲んだが、後方へ跳びながら体勢を整え、着地と同時に地を蹴って、兵士の懐へ入り込んだ。そして一歩踏み込み、刀を揮って彼の首を刎ね飛ばすと、彼が倒れるのを待たず、次なる目標を定め、走り出す。
その間に、剣之進は兵士と撃ち合いを重ねていた。
「成程、出来るな」
剣之進が上段から掬い上げるように放った一閃を、兵士は剣の柄で止め、一瞬彼の動きが止まった所を狙って蹴り上げてきた。
咄嗟に後方へ跳んだお陰で大事なかったが、当たれば吹き飛ばされていただろう。
しかし、その蹴撃のお陰で、兵の体勢が僅かに崩れたのも事実。
剣之進は鋭く呼気を吐き、ぐっと踏み込むと、白刃を揮って兵士を袈裟懸けに斬り伏せた。
兵士がどお、と倒れる。
剣之進は間髪を入れずに手近な場所にいた兵へと斬りかかった。
すぐに、レーギーナを滅すべく、三十近い個体が向かったが、彼らが女王に殺到するより早く、その周囲に幾つもの壁が立ちはだかった。
「悪いけど」
片山瑠意は天狼剣から鞘を払いながら兵士たちを見据えた。
「ここで終わりになんて、させないから」
彼のきっぱりとした言に、背後で密やかに笑ったのは十狼だ。
苛烈さ、容赦のなさで知られる百戦錬磨の戦闘狂は、今はまるで瑠意のための騎士のように、彼の背後に控えている。
「なら……始めようか」
静謐ですらある眼差しで告げ、瑠意が隙のない足取りで駆け出した。
天狼剣が、空気を斬り裂いて兵士に襲いかかる。
長身の瑠意から放たれたそれは速く、そして重さも十分に乗っており、兵士はどうにか受け止めたものの、目に見えて体勢を崩した。
瑠意はそれを見逃さず、更に一歩踏み込むと、天狼剣の切っ先を胸の真ん中へと突き入れる。
肉を裂く、嫌な手応え。
こんな所ばかり、ヒトと大差ない。
――その背後に迫る、タナトス兵の剣。
しかし瑠意は微動だにせず、ただ、眼前のもう一体に剣を向けただけだった。
彼は、自分に心強い守り手がいる事を理解している。
鋭い金属音は、無論、十狼の持つ漆黒の剣が兵士のそれを止めたためだ。
十狼は微かな笑みと共に、双剣で以って兵士を斬り捨てた。
「貴殿の背なら私が守ろう。――存分に、揮われよ」
静かな言葉に、瑠意の笑みが深くなる。
その少し離れた場所では、手を保護する皮手袋以外、いつもと全く変わりない出で立ちの吾妻宗主が、素手でタナトス兵と渡り合っている。
優れた動体視力で太刀筋を見極め、ほんの少し身を捻ることで剣を避けると、僅かな隙をついては関節や頚椎を狙い、その頑丈な肉体を破壊してゆく。
「彼女の作業の邪魔をさせる訳には行かないんです」
微笑は、恐ろしいほどいつも通りに美しい。
レーギーナの傍に控えていた白亜が、『30cm先も見えない濃霧に覆われた』幻覚を創り出し、女王に近づいた兵士たちを撹乱する。
流石は神の兵隊と言うべきか、幻に取り込まれたのは数体に過ぎなかったものの、その数体の足並が乱れ、大きな隙が出来たことは事実だ。
幻覚を創り出す事に集中し、更なる撹乱を行う白亜に変わって、藍色の双刀を手にしたDDが、兵士たちを斬り伏せてゆく。
その恐るべき速度と膂力によって、兵士たちは次々とその身を地面に横たえて行った。
女王の傍で戦いを見守っていたベアトリクス・ルヴェンガルドは、別の一団がこちらへ向かって来ている事に気づき、ぎゅっと唇を噛み締めた。
高々八歳の少女に、こんな獰悪な場は重かろうに、目を背けもせず、ベアトリクスは小さな両手を空に掲げた。
『我が呼び声に応えよ、我が牙となれ、蹂躙する顎となれ』
幼いばかりの声が凜と呼ばわると、彼女の足元が輝き、そこから銀狼が十頭ばかり駆け出て来た。
彼らは銀の牙を輝かせると咆哮し、主人の命ずるままに、タナトス兵士たちに猛然と襲いかかる。
狼は縦横無尽に駆け巡り、多くのタナトス兵を屠った。
やはりレーギーナの身を守るべく、彼女の傍らに控えていたゾムド・ザーバックは、沙闇木鋼の隣に佇んで、流麗な手つきで矢を放っていた。
精霊の力を借りて展開した聖なる障壁でレーギーナを守りつつ、こちらへ向かって来ようとするタナトス兵を容赦なく射倒して行く。
頃合を見計らって、古森凜がロケーションエリアを展開した。
彼のそれは、女王とよく似た森だ。
ざわざわと広がった緑が、蔓を駆け上がる人々を攻撃しようとする飛行兵たちに襲いかかり、次々と戦闘不能に陥れてゆく。
だが、まだ、勝利は見えない。
兵士が揮った剣から衝撃波が放たれ、剣之進と左右衛門が吹き飛ばされた。
DDと宗主、凛は、数を増した兵士たちに囲まれ、圧殺されそうになっていた。
急降下してきた飛行兵に激突されそうになった瑠意を庇い、十狼がその刃を深々と受け、悲鳴めいた声で十狼を呼ぶ瑠意を、兵士たちが取り囲む。
鋼はベアトリクスを狙って放たれた衝撃波から童女を庇って吹っ飛び、それを助けようとしたゾムドは、背後から突進してきた兵士に強かに打ち据えられ、地面へと叩きつけられた。
自分自身が、『女王に見える幻』で兵士たちの目を眩ませていた白亜は、兵士たちに取り囲まれている。
戦局は混沌とわだかまる。
式鬼を媒介に迦楼羅と呼ばれる神を憑依させ、鬼灯柘榴は空を舞っていた。
禍々しいまでの黄金に染まった双眸で、慈悲の欠片もなく兵士たちを見据え、風よりも速い機動力を活かして彼らを蹂躙する。
彼女は、飛行兵が蔓に近寄ろうとするたびに颶風を放ち、彼らを地面に叩き落していた。
あえて殺すつもりはないが、手加減をするつもりもなく、黄金の双眸が煌めくたび、彼女の周囲で颶風が渦巻き、更なる犠牲者を作り出してゆく。
戦闘能力という点ではそれほど役には立てないと知りつつ、エディ・クラークは、身軽さを活かして蔓を飛び回り、柘榴の手から漏れて解除班に向かおうとする兵士たちの撹乱に努めていた。
「……俺は、俺に出来ることをしよう。後悔せずに済むように」
呟くエディ目がけて、一際速い個体が突っ込んで来る。
すらりと引き締まった肢体と、どこか皮肉げな印象の美貌を持った青年は、速さ、目つきの鋭さ、そして纏った衣装の違いから、タナトス三将軍のひとり、白銀のイカロスであろうと推測された。
「ッ!」
避け切れず串刺しにされそうになった彼を助けたのは、獅子型獣人トト・エドラグラだった。
トトは身体に似合わぬ俊敏さでエディを抱えて横に跳び、イカロスの刃をかわすと、エディに礼を言う暇も与えずに蔓を駆け上がり、再度こちらへ突っ込んできたイカロスに、渾身の力を込めた拳を繰り出した。
彼の拳は速く、強かったが、敵もさるもの、咄嗟に身を捻ってそれをかわすや、トトの鬣を掴んで強く引き、バランスを崩した彼を蔓の外へと放り出した。
「う、お……ッ!?」
流石の彼も、地面に叩きつけられては無事ではいられない。
しかし、なすすべもなく落下しそうになったトトの腕を、エディが放ったワイヤーが間一髪で絡め取り、どうにかこうにか蔓へと引き上げた。
ほんの僅か、笑顔を交した後、二人同時に蔓を駆け上がる。
「愚かな……何故、抗う? 何故、運命を受け入れようとしない?」
空中で、心底判らないという表情で独白するイカロスを取り囲んだのは、人型に変化したレモンと、始祖を憑依させて覚醒する事で飛行能力を得た墺琵琥礼、そして十狼の黒竜の背に乗った理月だった。
「決まってるじゃない、そんな運命に納得する訳には行かないからよ!」
驚くほどの美女に変化したレモンが、エンジェルセイバーを手にイカロスへと突撃する。背の翼は、彼女がロケーションエリアを展開している証だ。
「死の神が御自ら死を運べと仰せなのだぞ。その絶対を受け入れられぬとは、何と頑迷で道理の判らぬ」
「どんな道理だ、それは」
レモンの刃をかわしながら冷ややかに言うイカロスへ、琥礼は愛刀を揮って斬りかかった。
レモンも加わって、前後左右、上下から、目にも留まらぬ速さで攻撃を加えるが、イカロスは速く、刃はかすりもしない。
「道理だの何だの、どうでもいいんだ」
低いそれは理月の物だ。
彼の言葉と共に黒竜が火を吐き、イカロスの動きを妨げる。
「生きてぇって心を無視する神様を認める訳にゃあいかねぇ」
左からはレモン、右からは琥礼、正面からは黒竜。
理月はエルガの背を蹴って跳び、咄嗟の事で反応出来ずにいたイカロスの胸の真中に『白竜王』を突き立てた。
同時に、レモンのセイバーと琥礼の刃が、左右の脇腹を薙いでゆく。
びくりと震えて動かなくなったイカロスごと地面に墜落しそうになった理月を、音もなく飛来した黒竜が拾い上げた。
誰もが自分の責務を、命をかけて果たさんと戦う中、結界解除という重大な役目を負った人々が、漸く蔓の最上部、即ち神殿前へと辿り着いた。
何十体もの飛行兵が解除班へと殺到する。
解除を担当する面々は、既にその解析に取り掛かっている。
「ここから先に行かせる訳にゃあ行かねぇ」
飛行兵の前に立ちはだかったのは、覚醒領域を開放した刀冴と、エクソシストの正装に身を包んだルカ・ヘウィト、楽しげな光を黄金の双眸にちらつかせたルア、そして唯瑞貴だ。
「頼むぜ、兄弟。あんたたちが頼りなんだからな」
無言のままに突進してくる飛行兵を、刀冴は次々と――恐るべき速さで斬り捨てる。無論、守るべき背を、守るためだ。
足場の悪い蔓の上を、縦横無尽に駆け回る刀冴から少し離れた場所で、ルカは、唯瑞貴と背中合わせで戦っていた。
「アレク! 皆の手伝いをするんだよ!」
魔力強化の魔石を開放し、解除班の補助をしつつ、十字架の剣を揮って飛行兵たちを打ち倒してゆく。その力は、幼さを残した少女の物とは思えないほどだ。
「唯瑞貴さん、大丈夫?」
「ああ。ルカは?」
「平気だよ」
飛行兵は手強かったが、唯瑞貴に自分の背を預けたルカは、どこか嬉しげでもあった。
「あはは、楽しいなぁ!」
ルアは白い面を無邪気な殺意で彩りながら、世界干渉能力を使って劫火を生み出し、飛行兵を次々に焼き尽くして行った。
神殿前では、結界解除を担当する人々が、その力の源を調べている。
「発生源は中にあるようですね。だとすれば、大元を止めて結界を解除する事は不可能かと」
何物をも見通す目で源を確認したベルヴァルドが、こんな場面でも慇懃に言うと、
「では、力を緩めた後、強い衝撃を与えて破壊するのが妥当かな」
エメラルド・タブレットを煌々と輝かせてブラックウッドが頷いた。
「うん、今はこれ、交互に力が編み込まれてる状態だね。だから強固なんだ。なら、力の流れを一方向に向けてやれればいい」
崎守敏の言葉に再度頷くと、ブラックウッドは流れを均一にすべく、刻板を手に『力』を紡ぎ上げる。
美しい緑の小板を、彼の指が優美に撫でてゆく。
「我は王国より第13の小径を経て美の天球、至高の三者へ至らんと欲す。鍵は此に在り門は彼に在り」
朗々と紡がれるそれに、結界がたわむ。
「では……銀二殿。よろしくお願いしますよ?」
薄く笑ったベルヴァルドの言葉に頷き、銀二は深呼吸をした。
敏が、徐々に緩んでゆく結界の至近距離で、魔力を付加した爆弾を爆発させる。
それと同時に、ルアが、結界へ劫火をぶち当てた。
結界が大きく揺らめく。
「神の結界、貴様を……壁と看做すッ!」
カッと目を見開き、銀二は吼えた。
結界へ突っ込む彼に、ベルヴァルドが魔力を貸し与える。
銀二の身体が淡く輝いた。
「例え、この身が砕け散っても、蹴り破ってくれるッ!」
いつものように振り上げられる脚。
今やお約束となったヤクザ蹴りは、鈍く空気を裂きながら、
――どお、おおおぉんッ!!
結界へぶち当たり、不可視の壁を見事に砕き壊した。
一瞬視界がぶれた後、いぃん、という低い震動音を最後に、神殿を覆っていた結界が消える。
下方から、神殿の制圧を担当する面々が駆け上がってくるのが見えた。
「……お見事」
神殿へ雪崩れ込んで行く同胞を見送った後、ベルヴァルドは宙に身を舞わせる。残りの面々も、眼下や空中へ厳しい目を向け、次々戦列に加わった。
結界解除を喜ぶ暇もなく、彼らの仕事はまだ終わらない。
地上と空中、その双方で、戦いは続く。
存在と矜持とをかけた戦いが。
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