<ノベル>
わたしは、何だって演じられるわ。
花魁や、楊貴妃や、悲劇の皇女以外の役柄も。
――そうね、七つの海を荒らし回る女海賊、悪の秘密結社の女幹部、不幸と災いを招く魔女。
そう宣言し、あの女は演じてみせたのだ。ほんの短い、来訪記念インタビューの合間に。
とても簡単なことよ、と、いとも軽々と。
「本物」の私たち以上に、妖しく魅力的な、女ヴィランズを。
あれは、天才の高慢。許せない。
★ ★ ★
水面下での不穏な動きとは裏腹に、パーティは異様な盛り上がりを見せていた。
ことに、大勢の招待客に負けじと並べられた料理やスイーツの数々は、大絶賛の嵐だった。総料理長を始めとしたシェフたちや厨房スタッフが、過労でふらふらになりながら作り続けた甲斐もあったというものである。
パーティスタッフのひとりとして、小日向悟は、会場中を飛び回るように給仕を続けていた。
ほとんど戦場と化した料理テーブルでは、某軍人と某姫君がミートローフの奪い合いを繰り広げ、タッパー持参の猛者たちは、料理を詰めて詰めて詰めまくっている。タッパー組は、世話になっている老夫婦へのお土産にするという太助、とにもかくにも生活がかかっている西村、料理をこれっぽっちも無駄にしたくない続歌沙など、その理由はさまざまであるが。
八之銀二が、最凶スイーツイータの異名を冠したほどの甘い物好き、クレイジー・ティーチャーは、怒濤のようにスイーツ類を消費している。みるみるうちにテーブル上から激減していくお菓子類を、すばやく、目立たぬように補給しているのは、やはりスタッフとして仕事中のテトラ・クォードリだった。
ときおり、悟と目配せを交わし、テトラは会場の警戒を怠らない。
SAYURIに被害が及ばぬように、正装で警備をしているのは流鏑馬明日だ。動き易い、黒のパンツスーツである。
「たぶん、ブルーハーピーはこの会場に紛れていると思うのよ」
「だろうね。SAYURIさんが悔しがる姿を見たいはずだから」
バロア・リィムは、柱の影に身を隠すようにして頷く。緑のローブという普段着なのは、フロアには出ずに、完全な裏方として行動するつもりだからだ。
「……スターフルーツが盗まれたってのには、かちんと来たね。せっかくの特製ケーキなのにさ」
「特製ケーキだってェ!?」
魅惑の響きに、料理テーブルにいたはずのクレイジー・ティーチャーがすっ飛んできた。彼には独特の甘味センサーがあるらしい。
「うん、でも、材料がなくなったらしくって、後方じゃロイさんと支配人が困ってるみたい……。あ? CTさん?」
「そんなオイシソウなケーキを作るの、邪魔させないヨ! ボクだって食べてみたいのにサ!」
いつもの血みどろ白衣のまま、金槌を構え、クレイジー・ティーチャーは後方に消えた。
★ ★ ★
「………乾杯。永遠の美と豊穣、そして夜ごとの夢たちに」
ブラックウッドの魅惑的な声が響く。
ロイの不在を気にするSAYURIに、後方での異変を知られぬよう、VIPスペースでは、一見なごやかに見える歓談風景――その実、凄まじいまでの魅了作戦が展開されていた。
ブラックウッドは、むしろそれがロケーションエリアではないかと思われるほどの、魔性のフェロモンを最大放出している。彼の使い魔は、消えた奏者の行方を捜すべく、別行動を取っていた。首尾良く見つければ、スイーツをたくさん食べて良いよというのが、ご主人様との約束である。
ダンディな悪魔、ベルヴァルドは、ピークドラペルタキシードを身に纏い、やわらかな物腰で、大女優を魅了するミッションに参戦中だ。ロングタキシードを着た吾妻宗主は、にこやかにSAYURIに話しかけ、パーティを心ゆくまで楽しんで貰おうとつとめている。
映画俳優ギリアム・フーパーは、黒いアルマーニのタキシード姿が板についていた。ハリウッドで活躍していた彼をSAYURIは知っており、銀幕市での思いがけぬ邂逅に話も弾んでいる。
艶やかに微笑むSAYURIの両隣に控えるは、猫扱いされて喉をくすぐられているクロノと、料理コーナーから迷い込んだあげくお腹を撫で回されている太助という、いわば最強の布陣だった。
柊木芳隆もその中に加わっていた。このパーティの裏側で、何事かが起こりつつあるらしいことは直感でわかっており、さりげなくSAYURIの盾になろうと身構えている。
(スポットライトを浴びる程に、影は色濃くなるって言うしねー)
(……おや?)
同様に、SAYURIの近くで会場を警戒していた梛織の視界に、ある光景が映る。
ホテルの制服を着たフロアスタッフらしき女性が、カトレアの鉢をふたつ、会場の隅にこっそりと置いたのである。
梛織は、その洞察力をレディMに褒められたことがある。そんな彼の琴線に、何かが触れた。
(あれ、あからさまに怪しくないか?)
(そうだねー。新種でも何でもない、普通のカトレアに見えるけど……さて)
芳隆と、そしてベルヴァルドが、そっと頷く。
(何か仕掛けがありそうです。高貴な花を手折ろうとするじゃじゃ馬娘達に、マナーというものをご教授しましょう)
梛織と芳隆とベルヴァルドは、VIPスペースをそっと離れた。不自然に見えぬよう、黄金色のシャンパンを手にしたまま。
★ ★ ★
パーティが進むにつれ、ダンスホールはいっそう華やかな様相を呈してきた。
「私と一緒に踊っていただけますか?」
ドレスアップし、凄みのある美貌がいっそう際だつリカ・ヴォリンスカヤに、最初にダンスを申し込んだのは、神宮寺剛政だった。マナーがさまになっているのは、昨夜、主人に血を吐くほど叩き込まれた成果である。
胸元のカットが大胆な、シルバーのカクテルドレス姿は夜乃日黄泉だ。
「んん。だれかおじいちゃんと踊らないかい?」
と呟いた、見かけはファンタジー風騎士なエンリオウ・イーブンシェンの手を取って、華麗に踊り始める。
おずおずと会場に現れた沢渡ラクシュミは、緑のサリー姿だった。タキシードが映える長身のシャノン・ヴォルムスに、丁重に声を掛けられ、頬を染めて頷いている。
オーファン・シャルバルトも意中の少女にダンスを申し込んでおり、会場中の歓声と冷やかしを浴びていた。
ふわりとした水色のドレスに、ジャスミンの生花の首飾りをつけているのは、リディア・オルムランデである。妖精のような軽やかさで、紋付袴姿の古森凛と踊っている。
ひときわ目立つチャイナ姿のティモネは、しばらくひとりで誰かを待っていた。やがてVIPルームから移動した吾妻宗主を見て顔を輝かせ、微笑んでステップを踏み始める。
エンリオウとのダンスが終わり、二番目の相手として日黄泉が選んだのは来栖香介だった。どちらかといえば、香介の方がエスコートされているような踊りっぷりである。
「パーティですもの、踊らないと損ですわよね〜」
そう言ったファーマ・シストは、炎を操る能力をもつ青年に促され、ダンスの輪に加わる。
神出鬼没のブラックウッドは、いつの間にか『楽園』の美しき店主とダンスホールにいるし、浅間縁は、ダンス初心者の初々しいぎこちなさで、同じく初心者であるらしいパン屋の店番と、微笑ましいやりとりを繰り広げていた。
異色だったのは、鴉を肩に乗せた銀二と、西村のペアであったろう。何しろ銀二は、主に片思いの鴉のために、その侠気を発揮したのだったから。
しかし、さりげなく踊っているように見せながらも、剛政は、超人的な視力で、不審な人物がいないかどうか、絶えず周囲に気を配っていたし、レディMの動きにとうに気づいていたオーファンもまた、その頭脳をフル回転させていたのである。
――おそらく、Blue Harpiesの面々は、銀幕ベイサイドホテルの中にいる。
★ ★ ★
後方で頭を抱えるロイと支配人に代案を出したのは、ダンスホールから抜けてきたリカとラクシュミであった。バッキー『ばっくん』の手を引いた三月薺が、そこに加わっている。
リカは、何故か自店のケーキを持参しており、先ほども総料理長を、
「これを代わりに使いなさいよ。ブッ飛ぶほど美味しいわよ」
と、脅迫したところだった。
だが、SAYURIが期待しているのはあくまでもスターフルーツのケーキである。リカの気迫に負けそうになりながらも、総料理長は涙目で辞退した。そして、
「スターフルーツが戻ってきたら、ケーキ作りをお手伝いしますよ?」
薺に言われ、今度は感涙にむせび、目頭を押さえる。気の毒なことに、今夜の総料理長の精神状態は、いっぱいいっぱいらしい。
「人間万事塞翁が馬、よ。ハープ奏者がいないなら、銀幕市にいる超一流の演奏家に急遽出演してもらえばいいんじゃないかしら?」
ラクシュミがそう提案し、薺が大きく頷く。
「私もそう思ってましたっ! 誰かにライブをしてもらうのはどうでしょう? 演奏の得意なムービースターさんもいらっしゃいますし。来栖さんとか片山さんとか」
「俺はムービースターじゃねぇぞ」
「俺も」
ふいと後方に現れた香介と片山瑠意が、同時にぼやく。
ともかくも香介は、男性用控室に置いてあった自分のヴァイオリンを持ってきた。瑠意は瑠意で、たまたまフルート奏者の役作りの最中であったため、フルートを持ち歩いていた。したがって、新たな楽器を用意する必要はなかったのである。
ほどなくして、パーティ会場に大歓声が沸き起こる。
ホテル側の演出という名目で行われた『来栖香介&片山瑠意』即興セッションに、SAYURIは目を見張って聴き入った。
……これで、さしものSAYURIも、ハープ奏者ヤン・シーモアのことは失念してくれるかと思いきや。
「素晴らしいわ。わたし、是非、香介と瑠意が、ヤンと合奏するのを聴いてみたいわ。そうそう、凛も楽器が堪能なのですって? いっそ、4人で演奏してみるのって、素敵じゃなくて?」
などと、挨拶に現れた凛を引っ張り出し、そうのたまったのである。
「これは、どうあっても、パーティが終わる前にヤン・シーモアを探し出さなくてはならないようね」
パーティのタイムスケジュールを表示したノートパソコンの前で、レディMが腕組みをする。
「何にせよ、パーティの盛り上がりを妨げる輩は、この八之銀二、容赦せん」
銀二が、そう断じたとき。
『失せモノ探しでしたら、管理室に参りましょう。ホテルのセキュリティにお邪魔して、この建物全てをスキャンいたします』
パソコン画面に、純白の長い髪の、少女の像が結ばれる。白姫であった。
一同は管理室に移動し、そして。
『……ホテル付属の倉庫に、異質な反応が記録されています。おそらく奏者は、そこに閉じこめられているのでは……。そして女性用控室にも、招待客以外の人物が複数、出入りした形跡があるようです。ええと、ファーマ・シストさん』
「えっ? わたくし、招待状をいただいてましてよ?」
『そうではありません。何か、なくなったモノはありませんか?』
「なくなった、もの?」
ファーマは、自分のバッグを探り、あっと叫んだ。
「『紫陽花君・改』がありませんわっ!」
「それ何? なんか、すごい怪しそうな薬なんだけど」
薬品類がぎっしり詰まったファーマのバッグを、縁が思わず覗き込む。
「わたくしの調合した花用色素変化剤ですわ。これを使えば、ありきたりなカトレアも、あっという間にご希望の色に染めて差し上げられますの」
「その逆もしかり、ということか」
呟いたのは、黒い三つ揃いを着たアラストールだ。フロントに預けた刀のかわりに、ナイフとフォークを料理テーブルから持ち出している。
「それだな」
「色を変えて、会場のカトレアに紛れ込ませたんだね」
「ホテルの制服を着た女が、置いていったやつだ」
合流した梛織、芳隆、ベルヴァルドが、目撃情報を伝える。
「よぉし。俺にはこの鼻がある! その鉢の土の匂いをかいで、犯人をみつけるぞー!」
太助が駆け出し、アルとアラストールが後に続いた。
「レディM、お会い出来て光栄よ? 一度、貴女と一緒に仕事してみたかったの」
ドレスから特注戦闘用ブラックスーツに着替えた日黄泉が、妖艶な笑みを見せた。
ふっと笑みを返したレディMは、猫のような敏捷さで、管理室を後にする。
頷いた銀二とともに、向かう先は、倉庫。
銀二を中心に、日黄泉とレディMが両脇を固める。三人でハープ奏者救出に赴くさまを、灯里はしっかりカメラにおさめた。
同時刻。
クレイジー・ティーチャーは、スターフルーツを手にしたBlue Harpiesのひとりと、単独で相対していた。
特に情報を知るわけでもなかった彼が、なぜ、現場を押さえることが出来たかというと――脅威の甘い物レーダーのおかげとしか言いようがない。
「何ナニ? キミがソレ盗ったの? 困るヨ!」
金槌を持った白衣の男と出くわした女ヴィランスは、真っ青になってがたがた震えている。
――どちらが悪役だか、わからない光景だった。
とりあえずというか、なんというか、クラスメイトPはホテルの外でロケーションエリアを展開していた。
銀幕ベイサイドホテル一帯が、80年代のLAに変化……しているはずだが、傍目には全然変わっていないように見える。
すしゃっ!
どっか〜〜ん!!!
かきーん!!!
「きゃ〜〜〜!」
「いやぁぁぁ〜〜!」
「たすけてーーーー!」
爆音。悲鳴。エリア内を、数人の女がくるくると舞っている。
ナイフとフォークが乱れ飛んでいるのは、アラストールが投擲したものであろう。この派手な爆風は、日黄泉お得意のキャノン砲によるものか、それとも、奏者を一刻も早く救出すべく、鍵の壊された倉庫の壁を突き破った、銀二の『ヤクザ蹴り』の成果だろうか。ひときわ高く飛んでいるのは、どうやらクレイジー・ティーチャーが振るった金槌から、命からがら逃げた女ヴィランズであるらしかった。
――ともあれ。
それが、表向きは優雅で華麗で、裏では、すさまじく慌ただしかったパーティの、ひとまずの結末だった。
ハープ奏者ヤン・シーモアは無事奪還され、香介・瑠意・凛を加えて、「月琴」の演奏が供され――
スターフルーツを用いたケーキは、薺も協力して、見事なケーキが焼き上げられ――
一連の移動により、会場で枯れかけていたカトレアは、アルが、生気を分け与え、本来の色合いと瑞々しさを取り戻し――
終始、上機嫌でパーティを楽しんだSAYURIに、ロイはほっと、胸を撫で下ろしたのである。
★ ★ ★
「パーティの成功に、乾杯!」
リカがVIPスペースに持ってきたウォッカを、悟が一同(未成年除く)に配っていく。
グラスをすっと差し上げる仕草が、そこここで、朗らかに行われていた。
少し離れて、西村はその様子を見守る。肩でカァカァと、鴉が鳴いた。
(あの……ひと…は、何も…知らな…い。自分…が…狙わ、れていた…こと、も、色…々な方が解ー、決に向けて奔…走していた、こと、も)
言っておくべきだろう。ひとことだけでも。
Blue Harpiesの災厄を招いた原因は、他ならぬSAYURI自身にあるのだから。
西村は、一歩踏み出す。その視界に、謎めいた女の姿が映った。
招待客の中には見かけなかった女である。捉えられたBlue Harpiesの一味というわけでもなさそうだ。
(だらしないね。あたしなら、もっと上手くやるのに)
赤い唇が、そう動いた気がした。
女はつと、踵を返し、パーティ会場を後にする。
紫色の、チャイナドレスが揺れる。スリットからちらりと見える白い脚には、龍の刺青が入っていた。
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