★ 【ツァラトゥストラはかく語りき】ハード・サースト・ブレイクダウン ★
<オープニング>

 騒然とする対策課の一角にある広い会議室。
 植村直紀が、厳しい表情で、集まった人々を見渡す。
「緊急事態です。ティターン神族の一柱、“業苦の楽土”クロノスのダイモーンが三体に分裂、巨大化、変態し、怪物となって出現しました」
 テーブルの上に広げられた地図に、三つの点が打ち込まれる。
 点は、海岸の真ん中と、海岸線付近にある商店街と小学校の上にあった。
「怪物たちはそれぞれが五十メートル以上の巨体ですので、進むだけで周囲のものを破壊してしまいます。……何もかもを破壊することが、クロノスの目的なのでしょうね」
 敗北し撤退を余儀なくされたクロノスは、腹いせに銀幕市を壊滅させようとしているのだろう。
「赤灰色の竜が海岸に。青灰色の巨人が銀幕海鳴り商店街のほぼ真横に。黄灰色の九頭蜈蚣は銀幕湊小学校の校庭に出現しています。海岸はともかく、商店街と小学校にはまだ市民や児童、教師が取り残されているはず……!」
 そこで、誰かが現在の状況を尋ねると、植村は地図の上を指でなぞった。
「偶然居合わせたムービースターの方が数名、咄嗟に結界を張ってくださったので、今のところ怪物たちはあそこから動くことが出来ません。ですが……あの規模の結界を長時間維持することは難しいと聞いています」
 ですから、と植村は言葉を継ぐ。
「迅速な行動が必要です。――しかしこれは、同時に、ひとりひとりだけでは難しい問題でもあります。会議室を開放しますので、話し合いに必要でしたら使ってください」
 やるべきことはシンプルだ。
 怪物を斃す。
 取り残された人々を助け出す。
 怪物を斃す人々をサポートする。
 結界を維持する。
 シンプルだが、どれも、ひとりで行うことは困難だ。
 そして、失敗すれば、銀幕市は破壊されてしまうことになる。
「現在、偵察を兼ねて神裂空瀬さんが向こうに行ってくださっているのですが……怪物には、普通の武器も、ムービースターの能力も、ファングッズも効果があるようですね。向こうからは、物理的なものに加えて、魔法的な攻撃もあるようで……あっさりと斃されてはくれなさそうです」
 急遽作成した書類をめくり、必要事項を読み上げていく植村。
「銀幕市立中央病院にはドクターDと源内さんがおられます。怪我人はそちらでケアしてくださるそうです。……怪物に襲われた市民を助けて負傷したとかで、マギーさんがすでに担ぎ込まれているようですね」
 あとは、と呟き、植村は書類をめくる。
「聖ユダ教会と、カフェスキャンダル及びカフェ『楽園』は避難場所として使っていただけます。ユダさんや珊瑚姫、森の女王たち、それに寺島さんも、後方支援のお手伝いをしてくださるそうです」
 そんなものでしょうか、と言ったあと、言い残しを思い出したのか植村が口を開く。
「それから……結界なんですが、もちろんそういった能力者の方に行っていただければとは思いますけど、何でも結界の軸になっている能力者の方が、感情をエネルギーに変えて結界化出来るとかでね。どなたかへの深い愛情をお持ちの方は、是非、その能力者さんのところへ行って、彼にエネルギーを補充してあげてください」
 そう言ってから、植村は頭を下げた。
「どれを担当するにしても危険な依頼ですので、どうぞ皆さん、お気をつけて」
 ――遠くから地響きが聞こえて来る。
 それと同時に、心臓を鷲掴みにするような咆哮。
 あるものは唇を引き結び、あるものは顔を引き攣らせつつも、それぞれがそれぞれに顔を見合わせ、頷き合い、行動に移る。

 ――猶予は、あまり、ない。

種別名パーティシナリオ 管理番号974
クリエイター犬井ハク(wrht8172)
クリエイターコメント皆さん今晩は。
新しいシナリオのお誘いに上がりました。

追い詰められた“業苦の楽土”クロノスが、瑕莫の力を借りて変態した怪物が、銀幕市の一角に出現し、この街を破壊しようとしています。

このパーティシナリオでは、PCさんたちに、戦闘を担当する部隊・戦闘部隊のサポート及び非戦闘員を救助誘導する後方支援部隊・そして被害の拡大を防ぐ結界を強化するメンバーに分かれて行動していただきます。

後ほど、タクシー乗り場に専用の掲示板を用意させていただきます。必要があればそちらで作戦を練っていただくのもいいでしょう。(※掲示板の利用は必須ではありません)

ご参加の際には、以下の項目から行動を選んでプレイングをお書きください。

【1】戦闘部隊に参加
赤灰の腐敗竜、青灰の眼球巨人、黄灰の九頭蜈蚣のいずれかを攻撃し、斃していただきます。どのような戦い方をするか、チームは分けるのか一体ずつ斃して行くのか、誰とチームを組むか、どんな武器を使うかなど、相談掲示板での話し合いを元にプレイングをお書きください(相談掲示板に参加しておられずともパーティシナリオに参加することは出来ます)。

【2】後方支援部隊に参加
物資の調達や負傷者の手当て、怪物たちが出現したポイントに取り残された人々の救助など、戦い以外で必要な事柄を網羅していただく部隊です。幅広い活動が求められますので、相談掲示板をご活用ください(相談に参加されずとも行動することは可能です)。

【3】結界強化班に参加
結界にエネルギーを注ぎ、強化をはかります。この項目が不十分だと、被害が拡大するかもしれません。
結界強化を担当される方は、同じような能力を持つ方と、連携の方法などを掲示板で相談していただくといいかもしれません。なお、この結界は、『絆』や『愛情』などをエネルギーにすることも可能ですので、特殊能力を持たない一般の方でも活躍していただけます。

【4】その他の行動を取る
上記三つとは違う行動を取ります。もしかしたら大々的に取り上げられるかもしれませんし、名前だけの登場になるかもしれません。博打的な要素の強い項目です。

※このパーティシナリオはボツありではありませんが、行動によっては名前だけの登場になることもあります。
※人間関係以外のクリエイター向け欄・ノートは参照しません。
※物語の内容上、このパーティシナリオに名前のない方は、時間差で募集が開始される『ハード・サースト・メディテイション』に参加していただくことが出来ませんのでご注意ください。
※OPで登場したNPCは、ご指定がなければノベル本文には登場しませんが、ご希望がありましたら描写させていただきますのでその旨お書きください。
※なお、今回のパーティシナリオには、瑕莫を筆頭としたペルシャの神々は関わりません。彼らに関するプレイングは不採用となる確率が高いですのでお気をつけください。

※募集期間が少し短くなっております。充分にお気をつけくださいませ。



それでは、皆さんのおいでを切にお待ちしております。

参加者
太助(czyt9111) ムービースター 男 10歳 タヌキ少年
理月(cazh7597) ムービースター 男 32歳 傭兵
ブラックウッド(cyef3714) ムービースター 男 50歳 吸血鬼の長老格
月下部 理晨(cxwx5115) ムービーファン 男 37歳 俳優兼傭兵
片山 瑠意(cfzb9537) ムービーファン 男 26歳 歌手/俳優
ヴァールハイト(cewu4998) エキストラ 男 27歳 俳優
ミケランジェロ(cuez2834) ムービースター 男 29歳 掃除屋
臥龍岡 翼姫(cyrz3644) エキストラ 女 21歳 White Dragon隊員
昇太郎(cate7178) ムービースター 男 29歳 修羅
掛羅 蒋吏(csyf4810) ムービースター 男 19歳 闘士・偵察使(刺客)
守月 志郎(czyc6543) ムービースター 男 36歳 人狼の戦士
白亜(cvht8875) ムービースター 男 18歳 鬼・一角獣
墺琵 綾姫(cwzf9935) ムービースター 女 17歳 くノ一
トト・エドラグラ(cszx6205) ムービースター 男 28歳 狂戦士
朱鷺丸(cshc4795) ムービースター 男 24歳 武士
レイモンド・メリル(cxmy1953) ムービースター 男 19歳 ※※※
シリル・ウェルマン(camx9187) ムービースター 男 15歳 ※※※
ルシエラ(cadr8388) ムービースター 女 15歳 ※※※
ウルクシュラーネ・サンヤ(ctrt1084) ムービースター 男 19歳 影を駆使する領主
チェスター・シェフィールド(cdhp3993) ムービースター 男 14歳 魔物狩り
ウィレム・ギュンター(curd3362) ムービースター 男 28歳 エージェント
シャノン・ヴォルムス(chnc2161) ムービースター 男 24歳 ヴァンパイアハンター
ハンス・ヨーゼフ(cfbv3551) ムービースター 男 22歳 ヴァンパイアハンター
エリク・ヴォルムス(cxdw4723) ムービースター 男 17歳 ヴァンパイア組織幹部
神畏=ニケ・シンフォニアータ(cpuv3573) ムービースター その他 24歳 隠者・古竜神
ルーチェ(chpw1087) ムービースター 女 7歳 神聖兵器
アルト(cwhm5024) ムービースター 女 27歳 破壊神
綾賀城 洸(crrx2640) ムービーファン 男 16歳 学生
ルウ(cana7787) ムービースター 男 7歳 貧しい村の子供
ゆき(chyc9476) ムービースター 女 8歳 座敷童子兼土地神
ベルナール(cenm1482) ムービースター 男 21歳 魔術師
レイ(cwpv4345) ムービースター 男 28歳 賞金稼ぎ
リャナ(cfpd6376) ムービースター 女 10歳 扉を開く妖精
リゲイル・ジブリール(crxf2442) ムービーファン 女 15歳 お嬢様
ベネット・サイズモア(cexb5241) ムービースター 男 33歳 DP警官
エドガー・ウォレス(crww6933) ムービースター 男 47歳 DP警官
ルークレイル・ブラック(cvxf4223) ムービースター 男 28歳 ギャリック海賊団
香玖耶・アリシエート(cndp1220) ムービースター 女 25歳 トラブル・バスター
二階堂 美樹(cuhw6225) ムービーファン 女 24歳 科学捜査官
佐藤 きよ江(cscz9530) エキストラ 女 47歳 主婦
シグルス・グラムナート(cmda9569) ムービースター 男 20歳 司祭
ジラルド(cynu3642) ムービースター 男 27歳 邪神の子、職業剣士
森砂 美月(cpth7710) ムービーファン 女 27歳 カウンセラー
サマリス(cmmc6433) ムービースター その他 22歳 人型仮想戦闘ロボット
狩納 京平(cvwx6963) ムービースター 男 28歳 退魔師(探偵)
阿久津 刃(cszd9850) ムービーファン 男 39歳 White Dragon隊員
レオンハルト・ローゼンベルガー(cetw7859) ムービースター 男 36歳 DP警官
ブライム・デューン(cdxe2222) ムービースター 男 25歳 ギャリック海賊団
墺琵 琥礼(cspv6967) ムービースター 男 22歳 流浪人
慧谷 庵璃(cevd2958) ムービースター 女 20歳 剣客
慧谷 朱翠(cbdr8567) ムービースター 男 27歳 術師&槍士
ロス(cmwn2065) ムービースター 男 22歳 不死身のファイター
マリエ・ブレンステッド(cwca8431) ムービースター 女 4歳 生きている人形
ランスロット(cptf5779) エキストラ 女 28歳 White Dragon隊員
柊木 芳隆(cmzm6012) ムービースター 男 56歳 警察官
原 貴志(cwpe1998) ムービーファン 男 27歳 警備会社職員
ジム・オーランド(chtv5098) ムービースター 男 36歳 賞金稼ぎ
真船 恭一(ccvr4312) ムービーファン 男 42歳 小学校教師
アレグラ(cfep2696) ムービースター 女 6歳 地球侵略軍幹部
旋風の清左(cvuc4893) ムービースター 男 35歳 侠客
クラスメイトP(ctdm8392) ムービースター 男 19歳 逃げ惑う人々
臥竜 理音(cxuc6229) ムービーファン 女 25歳 看護士
津田 俊介(cpsy5191) ムービースター 男 17歳 超能力者で高校生
キスイ(cxzw8554) ムービースター 男 25歳 帽子屋兼情報屋
ケト(cwzh4777) ムービースター 男 13歳 翼石の民
ヴァンヴェール(cnxf9384) ムービースター 男 16歳 ヴェテラネアリアン
刀冴(cscd9567) ムービースター 男 35歳 将軍、剣士
十狼(cemp1875) ムービースター 男 30歳 刀冴の守役、戦闘狂
イェータ・グラディウス(cwwv6091) エキストラ 男 36歳 White Dragon隊員
リカ・ヴォリンスカヤ(cxhs4886) ムービースター 女 26歳 元・殺し屋
栗栖 那智(ccpc7037) ムービーファン 男 29歳 医科大学助教授
神威 右京(cevt3718) ムービースター 女 13歳 九尾妖狐(黒)
神威 左京(cwte5818) ムービースター 男 13歳 九尾妖狐(白)
手塚 流邂(czyx8999) エキストラ 男 28歳 俳優
ジョシュア・フォルシウス(cymp2796) エキストラ 男 25歳 俳優
那由多(cvba2281) ムービースター その他 10歳 妖鬼童子
四幻 ヒジリ(cwbv5085) ムービースター その他 18歳 土の剣の守護者
ハンナ(ceby4412) ムービースター 女 43歳 ギャリック海賊団
四幻 カザネ(cmhs6662) ムービースター その他 18歳 風の剣の守護者
四幻 ミナト(cczt7794) ムービースター その他 18歳 水の剣の守護者
四幻 ホタル(csxz6797) ムービースター その他 18歳 火の剣の守護者
四幻 アズマ(ccdz3105) ムービースター その他 18歳 雷の剣の守護者
四幻 ヒサメ(cswn2601) ムービースター その他 18歳 氷の剣の守護者
相原 圭(czwp5987) エキストラ 男 17歳 高校生
古森 凛(ccaf4756) ムービースター 男 18歳 諸国を巡る旅の楽師
ジナイーダ・シェルリング(cpsh8064) ムービースター 女 26歳 エージェント
コーディ(cxxy1831) ムービースター 女 7歳 電脳イルカ
鬼灯 柘榴(chay2262) ムービースター 女 21歳 呪い屋
呂 蒼星(cphh8160) ムービースター 男 18歳 ヲタク道士
エレクス(czty8882) ムービースター 男 28歳 碧の騎士
イェルク・イグナティ(ccnt6036) ムービースター 男 25歳 紅の騎士
ギルバート・クリストフ(cfzs4443) ムービースター 男 25歳 青の騎士
ルイス・キリング(cdur5792) ムービースター 男 29歳 吸血鬼ハンター
アル(cnye9162) ムービースター 男 15歳 始祖となった吸血鬼
京秋(cuyy7330) ムービースター 男 38歳 探偵、影狩り
アルシェイリ・エアハート(cwpt2410) ムービースター 男 25歳 キメラ、鳥を統べる王
信崎 誓(cfcr2568) ムービースター 男 26歳 <天使>
マイク・ランバス(cxsp8596) ムービースター 男 42歳 牧師
カサンドラ・コール(cwhy3006) ムービースター 女 26歳 神ノ手
藤(cdpt1470) ムービースター 男 30歳 影狩り、付喪神
クロノ(cudx9012) ムービースター その他 5歳 時間の神さま
流紗(cths8171) ムービースター 男 16歳 夢見る胡蝶
カロン(cysf2566) ムービースター その他 0歳 冥府の渡し守
ファレル・クロス(czcs1395) ムービースター 男 21歳 特殊能力者
ディズ(cpmy1142) ムービースター 男 28歳 トランペッター
浅間 縁(czdc6711) ムービーファン 女 18歳 高校生
ナハト(czmv1725) ムービースター 男 17歳 ギャリック海賊団
ラスト(cche6251) ムービースター その他 7歳 青銅の狼
大教授ラーゴ(cspd4441) ムービースター その他 25歳 地球侵略軍幹部
風轟(cwbm4459) ムービースター 男 67歳 大天狗
葛城 詩人(cupu9350) ムービースター 男 24歳 ギタリスト
ゲンロク(cpyv1164) ムービースター 男 55歳 ラッパー農家
南雲 新(ctdf7451) ムービーファン 男 20歳 大学生
鈴木 菜穂子(cebr1489) ムービースター 女 28歳 伝説の勇者
シオンティード・ティアード(cdzy7243) ムービースター 男 6歳 破滅を導く皇子
リョウ・セレスタイト(cxdm4987) ムービースター 男 33歳 DP警官
山砥 範子(cezw9423) ムービースター 女 33歳 派遣社員
コレット・アイロニー(cdcn5103) ムービーファン 女 18歳 綺羅星学園大学生
<ノベル>

 1.後方支援・準備/炊き出し1

 ざわざわというざわめきと熱気が、市民体育館を満たしている。
 青灰の眼球巨人が現れた銀幕海鳴り商店街付近から、八百メートルの位置にある、銀幕市民がスポーツを通して交流するための施設である。
 現在、そこは、クロノスが転じた怪物たちを倒すために集った市民が、後方支援の拠点として活動する場所となっている。
 ヘリコプターのけたたましいモーター音、自動車の排気音、救急車のサイレン、鉄火場さながらの大きな声、ばたばたという足音、転んだ誰かの悲鳴と何かがぶちまけられる音、そして、しっかりしなよあっはっはなどという大らかな笑い声。
 ――危機が迫っていることは確かだ。
 しかし、誰もまだ、諦めてはいないし、折れてもいない。
 誰もが魂を奮い立たせ、赤々と燃えている。
 そう、この街と隣人への愛、そしてそれぞれに抱いた使命感のゆえに。
「武器弾薬の類は向こう、医療用運搬ヘリとブラックホークはグラウンド、無反動砲を積んだジープと機関砲を積んだ歩兵戦闘車は駐車場に置いておいた。発電機と水は、館内に運び込んである。……以上で問題ないか?」
 今回の作戦立案において中核的役割を果たしている二階堂美樹に尋ねるのは、美貌のドイツ人俳優ヴァールハイトだ。
 どうやらただの俳優ではないようで、恐ろしい量の物資を易々と用立てながら、涼しい顔をしている。
「ありがとうございます、問題ないです!」
「美樹さん、わたしの方も見てもらえる?」
 ヴァールハイトと同じく物資の調達を担当したリゲイル・ジブリールは、礼を言う美樹に声をかけ、自分が用意したものを指し示した。
「ええとね、医療物資でしょ、炊き出しの材料は多目に一か月分くらい準備しておいたわ。もう、何か作ってくれてる人もいるみたい。それと、物資運搬用のスクーターでしょ、インカムタイプの通信機に、ヴァールハイトさんと同じく水と発電機、それから重傷者搬送用の車両。……これで何とかなる?」
 美樹はにっこり笑って頷く。
「ありがとう、リゲイルさん! これだけあれば心強いわ」
「よかった。じゃあわたし、逃げ遅れた人たちの救出に行って来るね」
「ええ……気をつけてね」
 表情を引き締めて頷き、リゲイルは駆け出していく。
 走るリゲイルの視界に、ドクターカーの傍らで、綾賀城洸が医療関係者である父兄と何ごとかを話し合っている姿が映った。
「では、お父さん、お兄さんたち、行きましょう」
 彼を取り囲む父兄たちが頷き、“走るER”やドクターヘリに乗り込んでいく。
 護衛には、それぞれ旋風の清左と朱鷺丸がついていた。
 リゲイルはそれを横目に見ながら走り抜け、炊き出しの煙が上がる駐車場脇の広場へ駆け込んだ。
「おににり……もひとつ」
「おや、かわいらしいおにぎりじゃの。わしの豚汁ももう少しで出来るのじゃよ」
 そこでは、たくさんの有志に混じって、小さな友人、ルウとゆきが、おにぎりと豚汁をせっせと作っているのだった。
「ルウ君ゆきちゃん、じゃあわたし、行って来るから」
 ルウはおにぎりと言うにはあまりにも可愛らしい、ゴルフボール大の塊を、小さな両手を米粒だらけにしながら懸命に握っている。
 色々な具を詰めているらしく、小さな『おににり』からは、ウィンナーがはみ出ていたり、梅干の代わりと思しき苺が覗いていたり、ミートボールやチーズ、枝豆やミックスベジタブルが包まれていたりして、カラフルで賑やかだ。
「おねーちゃん、がんばって……!」
「リゲイル、気をつけて行くのじゃよ」
 ルウが、ウィンナーとミートボールの入った『おににり』をアルミホイルに包んで手渡し、ゆきは保温の出来る水筒に豚汁を詰めて渡した。
「うん、ふたりも頑張ってね」
 リゲイルはそれを笑顔で受け取り、市民救出班の集合場所へと走っていく。
 ルウは彼女を見送って、空の絵が描かれたナプキンに包まれたお弁当、ハンス・ヨーゼフに作ってもらったそれを見遣り、ちょっと笑った。
「なかみ、なにがはいってるのかな……」
 そのすぐ傍では、臥龍岡翼姫が、誰かが作った煮物に勢いよくカレー粉をぶっかけて、近くにいた佐藤きよ江の目を真ん丸にさせている。
「あんた、ダイナミックね! 和風カレー煮物って……新ジャンルだわ、やるじゃないの」
「……?」
 製菓は習っているが料理は今ひとつ、という翼姫としては、傭兵業界(?)の常識、『カレー粉をかければほとんどのものは食える』という思考を実践しているだけで、別に新たなジャンルを開拓するつもりだったわけではないのだが。
 それを横目で見て、
「ほほう、煮物にかれー粉が最近の流行なのですか……妾も見習わねばなりますまいのう」
 見事に勘違いし、メモまで取っているのは、珊瑚姫だった。
 きよ江はマシンガントークを炸裂させつつも、パート先であるまるぎんから持ち込んだ食材を駆使し、見事な手際で煮物や揚げ物やおにぎりなどを作っていく。さすがはベテラン主婦である。

 スリープ状態のままのブラックウッドを姫抱きにした理月が、救護所を訪れたのはその辺りだった。
 理月は、ぴくりとも動かないブラックウッドを、慈しむように見詰めた後、医療班に彼を託し、巨人討伐班と合流するために駆け出して行った。
 ――しかし、担架に乗せられ、病院へ運ばれるのを待っていたはずのブラックウッドが、一体いつ、異様に錆びた担架を残して姿を消したのか、医療班の誰も、知らない。



 2.眼球巨人1

 ずしん、ずしん、という振動が腹の底に響く。
 ――緊張は高まるばかりだ。
「では……まず、僕が」
 特別に誂えたツヴァイハンダーを手に、エリク・ヴォルムスが静かに告げ、ロケーションエリアを展開する。
 途端、周囲に広がるのは、血の如く赤く輝く月に照らされる、深い深い森。
 同時に、巨人と対峙する人々は、自分たちの身体が軽く、熱くなったことに気づいていた。味方に、自分と同程度の吸血鬼の能力を付与する、という追加効果のゆえである。
「さあ……行きましょう」
 エリクが走り出すと、
「オレだって皆のために何かしてぇもんな。……うん、頑張ろう」
 獅子型獣人トト・エドラグラと、その友人である守月志郎とが、大きな剣を手に、俊敏な動きで駆け出して行った。
 その背後に、式神・狗炉を伴った墺琵琥礼と、彼を案じるような眼差しの慧谷庵璃とが並んで続き、刀を揮って青灰の巨人に斬りかかる。

『も゛も゛も゛も゛も゛も゛も゛も゛も゛も゛も゛も゛ッ!』

 その『声』を何と表現すればよかっただろうか。
 眼球だらけの顔の、食べるという行為に使用されているかどうかも疑わしい口を大きく開いて巨人が咆哮した。
「……気味の悪い声だ……」
 ぼそり、と呟き、ルークレイル・ブラックはブラウニングM2と呼ばれるヘヴィマシンガンの照準を合わせた。
「まったくだぜ」
 彼の言葉を、ルークレイルから少し離れた場所で、月下部理晨がバレットM82と呼ばれるアンチマテリアルライフルのスコープを覗きながら同意する。彼は、13kg近いそれを扱うために、地面に腹這いになっていた。
 バレットM82は、二千メートル先の装甲車を撃破するほどの威力を持つ対物ライフルだ。連射が難しいのが難点だが、精密な射撃が行えれば、確実にダメージを与えていくことは可能だろう。
「とっとと……カタをつけよう」
 呟き、引鉄に指をかける理晨の隣では、彼と同じ傭兵団の団員であるイェータ・グラディウスが、同じく腹這いの姿勢でバレットM82の照準を合わせながら、無言で巨人を睨み付けている。
 イェータが引鉄に指をかけるのと同時に、ルークレイルも引鉄を引いた。
 途端、響き渡る轟音、もうもうと上がる煙。
 数百メートル離れた先で、巨人の身体のあちこちに穴が空き、肉が弾け飛び、青黒い液体がどろりと流れだした。

『も゛も゛も゛も゛も゛も゛も゛も゛も゛も゛も゛も゛ッ!!』

 腕を振り回して巨人が吼える。
「っしゃ、いっちょやったるか……」
 にやりと笑い、ジム・オーランドが突っ込んで行く。
 近距離戦闘用サイボーグである彼の一撃は、数十トンもの衝撃があるのだ。
 巨人の足元に辿り着いたジムが、手の届く範囲にある目玉を殴る蹴るするだけで、巨人の咆哮が響き渡る。
 ――効いている。
 ルークレイル、理晨、イェータの張る弾幕が巨人を翻弄し、先行した人々を追った理月やミケランジェロ、昇太郎の攻撃も効いている。天狗の風轟は空中を飛び回り、鎌鼬の如き旋風を浴びせかけている。
 風轟の能力を借りて、トトが空に飛び上がり、大剣を揮って巨人の上半身に斬りかかる。
 攻撃は順調だった。
 誰もがそう思っていた。

 だが。

『も゛、も゛ッ、も゛も゛も゛も゛も゛も゛も゛も゛も゛も゛ッ!』

 さすがに腹に据えかねたのだろうか。そういう感情を持ち得ているのだろうか。
 あの気味の悪い声で吼えた巨人が、巨体を屈め、手を伸ばした。
 その先には、三階建てのビル。
 エリクのロケーションエリアが切れ、いつもの風景が戻って来ていたその矢先のことだった。
 巨人の太い腕が、雑草でも摘むかのようにビルを引き抜き、足元に群がる人々目がけて、コンクリート片をばらまくそれを叩きつける。

 ――誰もが、一瞬、思考を止めた。

 皆、咄嗟に跳んで、直撃は免れた。
 しかし、叩きつけられて身の丈ほどの破片になり、飛び散ったビルの残骸が、弾丸のような勢いで襲いかかって来る。
「……ッ!!」
 親友を庇った所為で、背中に直径一メートルばかりの破片を諸に喰らい、吹っ飛んだのはミケランジェロ。いつの間に姿を消したのか、それを気遣うべき昇太郎の姿はない。
 頭から血を流した理月が、志郎に肩を貸されて巨人から距離を取る。
 ジムは自分より大きな破片に脳天目がけて降って来られて地面に埋まりそうになり、そちらに気が向いたところを巨人に蹴飛ばされて、数十メートルもの距離を吹き飛ばされた。
 風轟とトトは、ビルの破片の下敷きになった人々を助けようと降下したところで、蝿でも払うかのような動作をした巨人の手に弾き飛ばされ、民家へと突っ込む。
「しまった……」
 仲間たちの後方への一時撤退を支援すべく、ヘヴィマシンガンによる連射を続けながら、ルークレイルは低く呻いた。
 そう、ベルゼブルのレポートにもあったはずだ。
 巨人は、普通程度の知能を持ち、決して愚鈍ではないと。
 それはつまり、巨人が、道具を使い得るという可能性を示唆していたのだ。

『も゛も゛も゛も゛も゛も゛も゛も゛も゛も゛も゛も゛ッ!!』

 腕を振り回し、巨人が吼える。
 それが、愚かな人間たちへの嘲笑のように聞こえたのは、彼らの思い違いだっただろうか。
 ――巨人の手が、また、ビルを引っこ抜く。
 もう片方の手は、どこかの民家を飛礫のように握っていた。
 投擲されたそれらが小規模結界に激突し、不可視のそれを揺らがせる。
「くそ……!」
 誰かの呻き声。
 しかし、戦局がいかなる状況であろうとも、彼らのなすべきことに変わりはないのだった。



 3.後方支援・救出搬送

 後方支援部隊による、取り残された人々の救出は着々と進んでいた。
「さァて……張り切って行くとしようか」
 邪神そのものと言った禍々しい本性を顕したジラルドが、平素と変わりない明るい声で言い、真紅に染まった鉤爪を閃かせて指を組み合わせる。

『光る薔薇よ門となれ――芳しき薫風にて時を飛び越えよ』

 凛とした言葉が紡がれると、『救護所入り口』の張り紙がされた市民体育館駐車場の一角に、白金に輝く薔薇で編まれた大きなアーチが、穏やかな薔薇の香りとともに現れる。
 トラックが通れるほどの大きなアーチの向こう側を覗くと、オーロラのような光の揺らめきと、街の一角とが見えた。
「『海岸、商店街、小学校から同程度の距離の場所で、結界の外側』……だよな。ん、こんなもんだろ」
 ジラルドが笑い、『扉』を指し示すと、顔を見合わせて頷きあった救出班の面々が、次々に中へと走り込んで行った。
 救出を担当する最後のひとりが中へ入ったのを見届け、ジラルドもまた身を投じる。
 ――これからが、本番だ。

 * * * * *

 青灰の眼球巨人が猛威を揮う商店街付近には、逃げ遅れた住民と、逃げ遅れた市民を守ろうとして怪我をした人々があちこちに取り残されていた。
「あ、あそこにも……!」
 四幻ヒジリと四幻ホタルの兄妹が、瓦礫と化した建物の影に蹲っている母子を見つけ、駆け寄る。
 母親が怪我をしているのを見て、ホタルが治癒術『蛍火癒合』を用いて彼女を癒し、ヒジリはその後、避難中の防御にと母子に『砂漠鎧』を施す。
「歩けそうなら、ここから……こう通って、」
 ヒジリが説明していると、
「ぽよんすー、たぬバス特急便、ただいまとうちゃくだぜっ!」
 おなか部分に客席のある大きなバスに変化した太助が颯爽と現れた。
 中にはすでに十数人の乗客がいて、おなかの中に座ったり寝たりしている。
 コミカルでほのぼのとした姿に、泣いていた子どもがパッと笑顔になり、
「すごーい、たぬバスかっこいいー!」
 母親の手を引いてバスに乗り込んだ。
 と、ふんわりもっふりな毛皮椅子が、母子を包み込んで固定する。
「よっし、んじゃ『扉』をつかって拠点までいっきにもどるぞ。みんな、もうすこしのしんぼうだからな!」
 と、たぬバスが走り出そうとしたところへ、信崎誓が、足に怪我をした少女を背負って現れた。彼の傍らには、逃げ遅れて身動きできなくなっていたところを救出された老人と孫の姿がある。
「巨人の足元付近まで行って探して来たんだ……向こうは苦戦してるみたいだね。――三人、たぬバスに乗れるかい?」
 少女を降ろしながら誓が問うと、たぬバスは器用にウィンクをした。
「とうぜんだぜっ」
 誓はやわらかい笑顔とともに頷くと三人を引き渡し、また、取り残された人々の捜索へ戻っていく。
 ウルクシュラーネ・サンヤも、忍びと呼ばれる異形の者たちを影からすべて呼び出し、手数を増やして捜索を行っていた。
 鴉の翼と脚を持つシャーリィエがもたらす情報を元に、他の忍びたちとともに商店街を隈なく見て回る。
 見つけ出した負傷者は、大鬼のアイトニーが背負った。
「危険は増しますが……もう少し奥まで行ってみましょうか」
 腹腔を震わせる銃声と足音がすぐ傍で聞こえている。
 ――けれど、怯んでいる暇はないのだ。

 * * * * *

 拠点には、次々と救出された人々が運び込まれていた。
「この人は瓦礫の下敷きになっていたんだ。応急手当は出来たが、早急に手術が必要らしい」
 担架に乗せた怪我人を、綾賀城洸の兄とともにドクターヘリから運びながら朱鷺丸が言う。
「判ったわ。では、早急に市立病院へ」
 受けたのは臥竜理音だ。
 どこからともなく大量の医療物資を調達してきた彼女は、一体何をしている人なのかサッパリ判らない、と同居人に言われるほどの謎の人だが、実は医療関係の学校や大学を卒業しており、資格も技術も持っている。
 そのため彼女は、今、医療班に所属して、トリアージや応急処置を担当していた。
 トリアージとは、一種の命の選別だ。
 本来ならばすべてを救うべき医療の現場において、災害などの極限に、あまりにも限られた物資と人員を有効に活用するために、『助かりそうにない命』と『助かるだろう命』を区別する、例外中の例外と呼ぶべき行為に他ならない。
 そして即ちそれは、トリアージを行う者に、救いを求める人々の命が委ねられている、ということなのだ。
「幸いにも、ここには、物資や人手や、人智を越えた力の恩恵があるけれど……」
 呟きつつ、先端に四色の紙がついたトリアージ・タッグを取り出し、必要事項を書き込むと、
「カテゴリは……2、かしらね、この様子だと」
 患者の様子を見ながら、『今すぐ生命に関わる重篤ではないが、早急な処置を必要とする』イエロー・タッグを選択し、それを怪我人の右手首に取り付ける。
 患者が病院への搬送のために運ばれていくのを見送り、理音は小さく呟いた。
「なんだか最近はずっとこんなことばかり……最後の15分間みたいね……」
 不吉な暗雲が周囲に垂れ込めている、そんな気がする。
「……今は、自分の仕事を全うしましょう。ブラック・タッグを誰にも施さずに済むように」
 考えていても仕方がない、と首を横に振り、理音は次なる患者へ向かう。
 その脇を、小さな妖精・リャナが軽快な動きで飛んで行く。
 彼女は、現場から救出された怪我人の中でも、特に早期の治療を必要とする患者たちのために、拠点である市民体育館と市立病院をつなぐ『扉』を開いていた。
「びょーいんにいくひとはこっちだよー! だいじょぶだよー!」
 小さな身体に似合わぬ大声で、トリアージのカテゴリが2以上の重傷者たちと、その付き添いの人々を呼び集める。
 リャナがロケーションエリアを展開した区画には、無数の蒼い扉が並んでおり、その中の『正解の扉』に真っ赤なリボンが貼り付けてある。
「ふつーのくるまくらいならとおれるよー、きをつけていってきてねー!」
 リャナは扉を潜って行く人々に手を振る。
 脳味噌の容量が足りていない妖精は、あまり事態の深刻さを理解していないが、理解していたとしても、彼女は笑顔を絶やさないだろう。
 この場所と、ここに集う人々を、信じているから。

 * * * * *

 最も厄介だろうと目されていた、黄灰の九頭蜈蚣が暴れる小学校周辺での救出は、かなりの危険を伴った。
 蜈蚣の長体は小学校のグラウンドを横切っており、校舎に近づくだけでも、その攻撃の標的になり得たからだ。
 そのため、救出班のメンバーは、息を、気配を殺しての活動を強いられている。
「そう……判ったわ、ええ、そちらも気をつけて」
 四幻カザネと四幻アズマ姉弟は、他の地点で活動する兄弟との連絡を密にしながら捜索・救助を行っていた。
「誰?」
「ヒジリよ」
「そうか……どうって?」
「救助は順調だけど、攻撃部隊は苦戦しているみたいね」
「……なるほど」
「あっちに誰かいるわ」
 風で人の位置を察知出来るカザネに言われ、アズマは彼女とともに小学校校舎内を走る。
 ――子どもの啜り泣きが聞こえた。
「大丈夫だよ、助けに来たよ」
 アズマが声をかけると、小学校低学年程度の少年がふたり、教室の隅から飛び出して来て、姉弟に抱きついた。
「怖かったね……もう、大丈夫だから」
 少年を抱き上げ、姉と頷き合って、アズマは素早く移動を開始する。
 一刻も早く、このふたりを安全圏まで送り届けなくてはならない。
「……痛むか」
「ううん、だいじょうぶ。ありがとう、おねえちゃん」
 ジナイーダ・シェルリングは、蜈蚣が暴れた際に崩れた壁に足を挟まれ、動けなくなっていた少女に、治癒魔法による応急処置を施していた。
「む……ここにも、子どもが」
 響いた声に、そちらを見遣れば、青銅の狼・ラストが、背中にふたりの子どもを乗せて佇んでいる。
 ジナイーダは、少女を抱き上げてラストに歩み寄った。
「この子も頼めるか? 私は、他の二階三階を捜索する」
「……承知。この銅像の鼻は、二階にまだ十名以上が取り残されていると教える。重々注意されよ」
 青銅の狼が頷く。
 頷き返し、少女を託すと、ジナイーダは足音を立てないように走り出した。
 通信機が、三階の捜索・救助が済んだことを、仲間たちの声で教える。
 その頃ケトは、校庭の隅で動けなくなり、震えていた少年少女を見つけ、両脇にふたりを抱えて空へ舞い上がっていた。
 よほど怖かったのだろう、子どもたちはケトにしがみついてしゃくりあげていたが、
「よしよし、怖かったな。大丈夫だって、俺がついて……」
 言いかけたところで、蜈蚣の頭のひとつに気づかれた。
 どんより濁った目に見据えられ、
「ぎ……ぎゃ――――――――ッッ!!」
 ケトは物凄い悲鳴を上げて逃げた。
 あまりに凄い悲鳴で、子どもたちがびっくりして泣きやんだほどだ。
「でっかい声だな……!」
 ヴァンヴェールもケトの声に驚かされたひとりだった。
 小学校付近の、逃げ遅れた人々の救出に携わっていたヴァンヴェールは、割れた窓ガラスで脚や手を切った児童の応急手当をして、三人の子どもたちをアプレレキオという乗用鳥に乗せていた。
「よし、さっさと撤退してちゃんと治療してもらおう」
 言ったヴァンヴェールが、ひらりとアプレレキオの背に飛び乗ったその時、蜈蚣の頭が、爛々と輝く目を彼らに向け、牙の生えた凶悪な口を大きく開いた。
 ――口の奥に、真紅の炎が揺らめく。
 ブレスだ、避けられない――そう思い、咄嗟に子どもたちを庇う姿勢を取ったヴァンヴェールだったが、
「……させない」
 そこへ飛び込んできたのがエドガー・ウォレスだった。
 彼は、鞘に納まったままの、鍔のない刀を手にしていた。

 ゴウ!

 蜈蚣が業火のブレスを吐いた。
「ふ……ッ」
 エドガーは低い呼気とともに腰を落とす。
 そして、神速のと称するのが相応しい速さで抜刀し、自分たちを飲み込もうとしていた炎の激流を切り払い、消滅させた。
「……すげー」
 呆れたようにヴァンヴェールが息を吐く。
 それへかすかに笑ってみせ、エドガーは彼を促した。
「児童や教員の避難は完了した。あとは我々が撤退するだけだ。攻撃部隊の怪我人の搬送には戻らなくてはならないだろうが」
「そっか……了解」
 攻撃部隊の面々が、九つの頭に苦労させられているのが見えたが、今はまず、市民の安全を守るのが先決だと言い聞かせ、頷くヴァンヴェールたちとともに、エドガーは小学校をあとにする。

 * * * * *

 柊木芳隆は、『降霊』という能力で持って他者の力を借りたレオンハルト・ローゼンベルガーが、後方支援の拠点から避難場所に直結する扉を開くのをサポートしていた。
 『降霊』の際、能力の維持には精神集中が必要になるため、その間レオンハルトは身動きが取れず、無防備になってしまうのだ。
 柊木は、レオンハルトが開いた『扉』から、現在の優先避難場所である聖ユダ教会へと避難する人々の誘導と護衛を行うと同時に、無防備なレオンハルトを守る任務にも就いていた。
「守ることは、僕の根本みたいなものだからねぇー」
 飄々と笑う長躯の彼に手を振って、少女が母親とともに『扉』を潜って行く。
 彼女へ手を振り替えし、柊木は笑みを絶やさぬまま、意識だけを研ぎ澄ませた。
 無論、不測の事態に備えるためだ。
【聖ユダ教会には……あと二十名ほど受け入れ可能だそうですわ】
 レオンハルトが力を借りている女性スターの霊、残留思念とでも言うべき意識が、柊木にそう告げる。
 柊木は頷き、次なる避難者を待った。
 ――恐らく、まだまだ増えるはずだ。
 シリアスに『扉』を守る柊木の傍では、配達用のスクーターで走り回って取り残された人々を救出していたリカ・ヴォリンスカヤが、
「あら、あなたお腹空いてるの? じゃあこのケーキ食べてもいいわよ。蜂蜜をたっぷり使った、美容にも最高のケーキなんだから」
「あ、はいありがとうございま……ぐふッ!?」
「どうしたの? あんまり美味しくてびっくりしちゃった?」
「い、いえあの、何かこのケーキ……蜂蜜の風味の他に、塩の効いたアンチョビの味がするんですけど……」
「そうなのよ、よく判ったわね! 隠し味に入れたんだけど、どうかしら」
「どうかしらもこうかしらも、折角助かったのに毒殺されるかと……!」
 悪意なく被害を拡大しそうになっていた。
 それも、彼女らしいといえば彼女らしいのだが。
「被害が拡大すればアレグラが泣く……」
 大教授ラーゴは、ロケーションエリアが切れたリャナに替わり、物体転移装置を用いて、拠点と病院を結んでいた。
「トリアージ・タッグが黄・赤・黒の――ああ、黒はまだ出ておらんのだったか、ともあれ重傷者を優先的に病院へ移送するのだ! タッグの色が緑の者は、ここでも充分な手当てが出来る、心配せずともよい!」
 ラーゴは更に、殺戮小曲と呼ばれる戦闘ロボットを展開し、拠点の護衛にも当たっていた。
「……アレグラを泣かせる者も、現象も、私は許さん!」
 ラーゴの脳裏を、自然公園で結界強化に従事するガスマスク幼女の姿が過ぎる。
 彼女が愛するものであるなら、それはラーゴにとって守るべきものだ。
 ラーゴは変人だが、自分がすべきことが何であるかを、誰よりもよく理解している。

 ――怪我人、避難者は、ぞくぞくと拠点へ集まって来ている。
 怪物の咆哮が、空を震わせた。



 4.結界強化1

 結界強化班は、その大抵のメンバーが、『強い思いのエネルギーを結界に転用出来る』結界師のもとで活動するグループと、思いの込め易い場所……銀幕市を一望出来る自然公園の高台から思いの丈を振り絞るグループに分かれて活動していた。
 基本の結界を作成している結界師は、アルカ即ち箱舟の名を持つ青年だった。
 彼は、三体の怪物から同等の距離に位置し、腐敗竜・眼球巨人・九頭蜈蚣のすべてが目視出来る小さな広場に結跏趺坐して瞑目し、何ごとかを唱えながら印を結んでいた。
「さて、では……参りましょうか。――波夷羅、摩虎羅、これへ」
 鬼灯柘榴が呼ばわると、彼女の影から、彼女の使鬼、未と申の性を持つものたちが顕れ、傍らに侍る。
 波夷羅には精神感応の能力があるのだ。
 そして、受け取った思いを増幅することも出来るため、変化の能力を持つ摩虎羅に、波夷羅に化けさせ、『強い思い』を届ける中継点としての役割を果たさせようとしているのだった。
 もう、誰かの『思い』が届いているのか、使鬼たちがいつもとは違う反応を見せる。
 同じような特性を持つ狩納京平の式神、次郎丸もまた、柘榴の使鬼と同じ役割を果たすべくそこに佇んでいた。
「私と使鬼を繋ぐモノ……私と八部衆を繋ぐモノ。古き呪いのゆえとはいえ、長き時を経て今ここにあるのは、魂で結ばれた強い信頼です」
 だとすれば、この『思い』もまた、結界師アルカへのエネルギーとなるのだろうと柘榴は笑った。
 次郎丸の主人である京平は、アルカの張り巡らせた結界周囲に、等間隔に【結界符】を貼り、結界の強化に努めていた。式神の片割れ太郎丸は、京平とともに印を組み、呪文を唱え続け呪力を増幅している。
 慧谷朱翠、掛羅蒋吏も同じく基本の結界の補助に当たっていた。
 朱翠は妹が巨人討伐に参加していることもあって気合は充分だし、蒋吏は結界を強化すると同時に、思い人への切ないまでの気持ちを『中継点』たる使鬼たちに向けて送っている。
 九尾の狐の片割れである神威左京は、力を最も巧みに扱える狐の姿になって、目下苦戦中の攻撃部隊を補佐すべく、眼球巨人を封じる個別結界の強化に奔った。
 強化符と鈍化の呪符を組み合わせ、巨人の動きを制限出来ないかどうかを試してみたのだが、手応えはあったので、きっと何がしかの助けになるだろう。
 古森凛は、人々が届ける『強い思い』の他に、木々や獣、果ては声なきもの姿なきものの想い、銀幕市の建物に宿る『そこで過ごした人々の想い』までを束ねて『中継点』へ送っていた。
「強き思いは……時に、剣や銃弾より強い。そういうことなのでしょう」
「……そうだな」
 うなずくのは、いつもの般若ではなく、『曲見(しゃくみ)』と呼ばれる愛情と憂いに満ちた面をかけた藤だ。
「気持ちが……あふれてる。人間の思いってのぁ……なんて強いもんなんだろう」
 目を細め、藤は、面を彫り始めた。
 溢れ出る強い愛情、中継点に向かず結界師に届かなかったそれらを少しずつ受け取って、自らの能力で面に彫り込んで行く。
「ああ……胸の内がやわらかくなりますね、その面は」
 凜が微笑んだ。
 完成すれば、この面は、情の塊となって、結界師たちにエネルギーを供給することだろう。
 チリン、という鈴音とともに顕れたカロンは、銀幕市民であった故人や、銀幕市民たちの先祖を呼び出していた。
「……今を……生きる、者たちの……ために……『思い』の、力を……」
 遺して行くものたちの、遺される者たちへの強い思い、深い愛。
 それを具現化させ、結界師へと送る。
 チリン。
 かすかな鈴の音は、小さな音だったにもかかわらず、皆の耳に届いている。
「よし、では私も、結界強化に参加してこようか」
 白亜は、結界が失われることとは即ち銀幕市の敗北だという意識の元、中継点である使鬼たちを中心に、前線で結界強化に努める能力者たちに目眩ましの幻術をかけた。
 こうすることで、怪物たちの意識を逸らし、『見えているのに意識の外にある』という状況を作り出すのだ。
「強い思い、か……」
 自然公園へと向かいながら、白亜は呟く。
 追われるばかりの生に静かな暮らしをもたらしてくれた、この銀幕市への感謝の気持ち。
 感謝があるからこそ、街も人も護りたい、そんな気持ちが結界を強化してくれるだろう、と、白亜は確信している。
「人間ひとりひとりは弱い、けれど……」
 銀幕市を一望出来る高台で、眼下に暴れる怪獣の姿を見ながら、森砂美月は思いを込めていた。
 人々が手を取り合った時の可能性、爆発的な正のエネルギーを信じたい。
「そのために、私の『思い』が役に立つのなら」
 ジョシュア・フォルシウスもまた、『強い思い』を中継点へ送るべく、眼下に広がる銀幕市の街並を見詰めていた。
「……こういう時に何か力があればと思わずにはいられませんね」
 かの孤高の男の如き力があれば、と思いもするが、出来ることがあるのなら、迷わずにそれをしようとも思う。
「ですが、強い思いが力になるのならば……私はこの街を守りたい。私自身、そしてシャノンが愛するこの街を。――どうか、この想いが力になりますように」
 その傍で、那由多も小さな手を握り締めて祈っていた。
「街が壊されたら、友達が哀しむよ」
 この銀幕市で友達になった人たちへの友愛が、那由多の小さな胸を満たしている。この街で家族になってくれた刀問屋の主人の顔が脳裏を過ぎり、那由多は彼のことも強く思った。
「僕、この街が大好きだよ。――皆のことも、大好き」
 その傍らでは、流紗が、蜈蚣討伐に向かった弟の身を案じながら、銀幕市での家族、映画での恋人に想いを馳せている。
「アイラはおれの世界のすべてだった……」
 存在そのものが罪だとされた彼を救い、傍に在ることを許したアヌビスの化身。
 実体化したばかりの頃は、還りたいとしか思っていなかった。
 家族を得て、流紗の心は満たされているが、同時に彼は今でも彼女を愛しているし、還りたいと切なく思うのも事実だ。しかし、還れば二度と出会えぬであろう家族を思うたび、自分はどうすればいいか焦燥に駆られる。
「……今は、それどころじゃない……か」
 この気持ちが弟を、そしてこの街を守る力になるのなら、と、流紗はひたすらに大切な人たちのことを思う。



 5.腐敗竜1

 幾つかのロケーションエリアが展開され、幾つかの方法が試され、幾許かのダメージが与えられ、しかしそのどれも決定打にはなっていない、そんな状況が続いていた。
 小規模な銃火器の調達を担当したサマリスは、アサルトライフルとガトリング砲を装備して援護射撃に専念していた。
 シャノン・ヴォルムスもまた、援護射撃を行っているひとりだ。
 化け物じみた攻撃力を誇るアンチマテリアルライフル、ダネルNTW−20を使用し、更に普段使いの弾丸ではなく、友人に作ってもらった火炎弾の威力を最大に設定して狙撃している。
 彼の放った弾丸が身体を抉り、炎を噴き上げるたび、腐敗竜は咆哮し、尾を振り回して、周囲のテトラポットや取り残された自動車を跳ね飛ばした。
「しかし……ひどい臭いだな」
 ブレスや触手に注意しつつ、移動しながら射撃を続ける。
 頭部・頸部を狙うのは、ブレスを防ぐ意味合いもあった。
「……時間をかけるわけには行かぬ、な……」
 ベルナールは、戦いが始まった時点で、腐敗竜討伐に当たっている仲間たちに防護障壁をかけていた。
 その効果と、レイモンド・メリルのロケーションエリアのお陰で、メンバーの中に手酷い傷を負った者はいない。それも、腐敗竜に大したダメージを与えられていない現状においては、『まだ』、ではあるが。

『負界の王“憤怒”のサオハの名において、大地よ腐れ、揺らげ、子らの怨敵を一飲みにせよ』

 双蛇の杖を掲げ、ベルナールが朗々と呪文を唱えると、腐敗竜の踏みしめる砂浜が泥化し、竜が自重でずぶずぶと沈む。

『殷界の女帝“永劫の氷牢”シュヴェンの名において、大地よ停まれ、すべてを閉じ込めよ、子らの仇敵を彫像のごとくせよ』

 重ねて展開した魔法が、泥化した砂浜を今度は硬化させ、腐敗竜の動きを封じる。同時に、棘つきの蔦を操ったレイモンドが、それらで腐敗竜を雁字搦めにした。
 身動き出来ない己を憤ってか、腐敗竜が身の毛もよだつような咆哮を上げて尾を振り回した。
 その尾が、更に何かを破壊し、表皮の触手が誰かを捕らえようとするより早く、
「……還りたまえ。君の居場所は、こちらの世界のどこにもない」
 静かな声とともに、『影渡り』の能力でもって竜の影へと飛び移ったのは、背中に不定形の大翼を顕現させた京秋だった。
 彼は、翼を模した漆黒の片手剣『響』を無数に揮い、剣の雨を降らせて、ぞわぞわと蠢く触手を一息に断ち切り、身動き出来ない腐敗竜を、触手が再生するまでの時間ではあるが、無防備にする。
「よしっ!」
 それを見て、近距離戦闘ペア、片山瑠意と南雲新が、それぞれの得物を手に駆け出していく。
 大切な刀が腐敗してしまったら厄介だ、と、ディレクターズカッターと、友人に調達してもらった長剣を手にしている新は、バッキーのギアが、明らかに食べられなさそうなのに腐敗竜に興味津々なのを抑えつつ、竜の首元へ飛び込み、一撃必殺を狙った。
「早う消えろ。――あんたみたいな自分勝手な神さん、この街には必要ねぇ」
 自分を喰らおうとする竜の顎を避け、ふたつの刃を一閃する。

 ご、ぎゃっ。

 およそ生物を斬ったとは思えない手応えがあり、首の付け根からどろどろに腐敗した赤茶色の血をこぼして腐敗竜が咆哮する。
 咆哮が風を呼んだのか、先刻を上回る凄まじい悪臭が辺りに充満し、新は思わず咳き込んだ。少し離れた場所で剣を揮っていた瑠意も、顔をゆがめて口元を覆っている。
「くそっ、世の中のなんもかんもを呪いたくなるような臭いや……!」
 百戦錬磨の猛者たちですら怯むような、いっそ意識を手放したくなるほどの激烈な臭気に、身体が重くなる錯覚を覚え、新は腐敗竜から距離を取った。
 しかし、瑠意がそれに倣ったのは、少年傭兵シリル・ウェルマンが大型パチンコと言った風情の投石機を用いて放ったゴム風船が、腐敗竜の頭上に到達したのを見て取ったからでもある。
 ――あのゴム風船には、可燃性の高い油が詰めてあるのだ。
 高々と飛んだ幾つもの風船を、鋭い爪で割って回るのは、背中に蝙蝠の翼を生やしたルシエラだ。彼女は、腐敗竜の意識を自分に惹き付けるために、あえて人型を取って竜の頭上を飛び回り、地上組の安全と攻撃しやすさに貢献していた。
 ばちん、ばちんという音とともに風船が弾け、中の液体を腐敗竜の表皮に降りかからせる。
「火をつけますから少し離れていてくださいね!」
 言うと同時に、ルシエラは手榴弾を投擲した。
 ぼうん、という爆発音がして、煙が上がり、油に火が着く。
 腐敗竜の、絶叫めいた咆哮が地面を揺るがす。
 竜の表皮がごそりと崩れ落ち、背骨が露わになったのを見て、誰もが快哉を叫んだ。

 ――その時だった。

「あ、あれ……?」
 不思議そうな表情とともに、砂浜の一角に膝をついたのはシリルだった。
「からだ、が、」
 動かない。
 すべて言い終わる前に、少年傭兵はその場に崩れ落ちた。
「なんだ、これは……?」
 強靭な肉体を誇るはずのシャノンも、
「システムダウン……これは、一体……」
 生身の肉体を持たぬはずのサマリスでさえ、――そう、腐敗竜と対峙していた誰もが、その『何か』を免れることは出来なかった。
「まさか……」
 次々に膝を折ってゆく仲間たちの姿に眉をひそめ、『それ』に気づいたのは、少し離れた位置で、精霊の召喚を行っていた香玖耶・アリシエートだった。
「あの悪臭は、有毒ということなの……!?」
 そもそも臭いとは気体が鼻腔内の感覚器官によって捉えられることで認識される感覚だ。臭いを臭いとして認識した段階で、ヒトは、その気体を身体の中に摂取していることになる。
 誰も、あの悪臭を、竜が腐敗しているからだろうと、それ以上気にはしていなかったが、臭いそのものが――臭いを形成している分子そのものが、竜の防御機能であると言うのなら。
「いけない……フェンリル、グリフォン! ……風よ渦巻け、清冽なる空の芳香よ、彼方より出でて満ち溢れよ!」
 香玖耶は攻守一体型の精霊を解き放った。
 顕れた二体が神々しい咆哮を上げ、竜の周囲を飛びまわって風の刃を浴びせかける。
 風に腐り崩れた肉のあちこちを斬り刻まれ、倒れた人々を尾で叩き潰そうとしていた竜が動きを止める。しかし、同時に風は、硬化した地面を引き剥がし、竜に自由を取り戻させる一因にもなってしまった。

 ゴオオオオオアアアアアアアアアアアァアァッ!!

 勝ち誇ったように腐敗竜が吼える。
 振り上げられた尾に直撃され、ルシエラが悲鳴とともに吹っ飛んだ。
 砂浜に墜落し、半ば埋もれて呻く彼女を含め、触手が、再度倒れた人々を打ち据えようとした時、
「させないよっ」
 竜と攻撃部隊の間に飛び込み、海水を圧縮して『壁』を作り出し、竜の攻撃から皆を守ったのは、後方支援部隊救出班メンバー、四幻ミナトだった。
 その背後からは、ソリを引いた四幻ヒサメと、マイク・ランバスとが奔って来る。
 マイクはお正月のイベントでペットとなった妙な餅生物を伴っていて、『ぷにょ』と命名されたそれは、むにょむにょと伸びて、倒れたままの人々を包み込み、安全圏まで運んだ。
「大丈夫ですか、皆さん」
 気道を確保し、脈を図るマイクに、
「……またアンタに助けられましたね」
 咳き込みながら、新が弱々しく笑った。
 ヒサメは特殊能力『氷壺』で波打ち際を凍らせ、身動き出来なくなったルシエラとシリル、サマリスと新をソリに乗せた。
「では私たちは、この方たちを救護所までお連れしますわね」
 ヒサメが言い、踵を返す。
 ソリに乗せられた四人は無論、無念だったが、足手まといになるよりは、と唇を噛んで耐えた。
「……少しでも足しになれば」
 去り際のミナトが、特殊能力『雨水癒合』を発動させ、癒しの雨を降らせて空気を洗い、悪意すら感じられる強烈な悪臭をほんのわずかに和らげる。
 フェンリルとグリフォンの力もあって、空気は少し軽くなった。
 ――だが、事態は以前、重苦しいままだ。
 精霊たちと交戦中の竜が上げる、身の毛もよだつ咆哮に、腹の底が重くなる。



 6.九頭蜈蚣1

 黄灰の九頭蜈蚣は、その攻撃の性質から言って、もっとも苦戦が予想された怪物だった。
 そしてその予想は、やはり正しかった。
 蜈蚣攻撃班には、他のどの攻撃部隊よりもメンバーが集まっていたが、同時に、どの部隊よりも対応に苦慮していた。
 津田俊介のロケーションエリアで蜈蚣の能力を下げ、最初にかなりの猛攻を加えたことに合わせて、キスイの火・氷、ルイス・キリングの雷・風、イェルク・イグナティの土・光・闇に対する防御魔法及び、結界班の呂蒼星が担当している結界の特性による麻痺・毒への耐性のお陰で、かなり上向きの補正がかけられていたものの、蜈蚣はその斜め45度上を行く、ダメージなど気にも留めない大暴れぶりでメンバーを翻弄する。
「ぎゃああああああああっ、死ぬ死ぬ、食われる、マジで死ぬううううううっ!!」
 こんな場面でも悠々と空を行くイェルクにぶら下げられ、釣りでもするかのように振り回されて、牙を剥いた幾つもの頭に食いつかれそうになって物凄い悲鳴を上げているのは、もちろん我らが生贄、ルイスだ。
「はっはっは、心配すんなって、ちょっと齧られたくらいじゃ死なないから」
「いやいやいやいや、死ななくても痛いから、ねっ!? さすがにアレに噛まれたら、痛い方が大きいから! も、ちょ……ホント死ぬ、あんなんに食われて死ぬのだけは勘弁ーッ!!」
 じたばたともがくルイス目がけて、【火】の首が伸び上がる。
 がちり。がちがち。
 開かれ、噛み合わされる凶悪な口。
 それが未だにルイスに届かずにいるのは、イェルクの逃げ方が――つかず離れずの、という意味で――巧みなのと、他のメンバーが周囲から様々な攻撃を仕掛けているため、そして電子イルカのコーディや十狼が連れてきた黒竜、カサンドラ・コールが呼び出し、遣わした妖怪たちが蜈蚣の周囲を飛び回り、他の首を惹き付けているからだ。
 しかし、どちらにせよ、怖いものは怖い。
 何せ、一番の生餌はやはりルイスなのだ。どの頭も、爛々と目を輝かせて、ルイスの肉を食い千切ろうと狙っている。
「あッ、ちょ、ろ、ロープが……し、ししし締まる締まる、ちょっ、ギブギブギブ!」
 おまけに、イェルクが生餌を振り回す所為でロープが首に絡まり、彼岸まで見ているルイス兄さんである。
「ははは……うん、頑張れ……?」
 ブライム・デューンはそんなルイスに生温かい声援を送りながら魔法で風の刃を創り出し、蜈蚣の脚を切断する作業に従事していた。
 同時に、【氷】の頭がカッと口を開いてブレスを放ったのへ防御魔法を展開し、ブレスを無効化する。
 カサンドラが呼び出した妖怪たちも、【火】は鳳凰、【氷】は火炎車、【雷】は雷獣、【風】は夜行がそれぞれブレスの無効化を行い、攻撃メンバーへの負担を軽減している。
「すごくざわざわするから……早く、おわりにしたいのに……」
 シオンティード・ティアードは、ぼそぼそと呟くと、腕に抱えた石版を媒介に強力な破壊魔法を召喚し、蜈蚣の表皮を破壊した。
 何か、別の力が働いているからか、いつもほどの――そう、彼が自分の国や自分を愛してくれた人々をすべて破壊し尽くしてしまった時のような――威力は出なかったが、ばちん、と音を立てて装甲めいた表皮が弾け、剥がれていく。
「ぼくには……これしか、できないから……」
 呟き、シオンティードは、また、破壊の力を揮う。
「あああ……理晨と一緒に行きたかったんだけどなああああああ」
 阿久津刃は血涙を流しそうな表情で、個人携帯用地対空ミサイル・スティンガーを駆使して蜈蚣の口を攻撃していた。
 物凄く残念そうだが、やるべきことはきっちりこなしている辺りがプロの傭兵である。
 ――その頃には、九つのうち七つまでのブレスが判明している。
 即ち、火・氷・風・雷・麻痺・毒・闇(混乱)、である。
 そのどれもが予想の範囲内だったので、メンバーが施した魔術による防御力補正は非常に役に立った。
「残りふたつのブレスが……気になる、ところだけど……」
 眼鏡を外し、能力を全開にした俊介の目は、青く染まっている。
 彼は空中から全体の動きを把握しながら、ブレスに巻き込まれそうになったり、頭に食いつかれそうになったりしたメンバーを瞬間移動で守り、治癒で回復を施していた。
「Go ahead, make my day!」
 ロケーションエリア『Supernova』を展開した葛城詩人は結界の内側ギリギリの位置でギターを掻き鳴らし、血を吐くように……叫ぶように歌って、その振動、衝撃波で蜈蚣の表皮に亀裂を走らせる。
 スーパーノヴァは詩人の歌による攻撃力を上げるが、同時に彼自身にもダメージを与えるため、彼の口元はすでに血で濡れている。
 胸の奥が鈍く痛む。
 それでも詩人が怯まないのは、
(……あんたは、俺が守るから……)
 ――苺色が脳裏を翻る。
 守るべきものがあり、折れるわけにはいかない矜持があるからだ。
「ぎゃああああああああ食われるううううううううう」
 ルイスが絶叫している。
 と、思ったら、そろそろ頃合だと判断したらしく、イェルクが縄ごと生餌を放り捨てた。
「テメこのポイ捨て厳禁んんんんん!?」
 絶叫の尾を引きながらルイスが落下していく。
 それを狙って、まだブレスの種類が判明していない頭がカッと口を開いた。
「ルイス、大丈夫か!」
 アルが駆け寄り、縄が絡まって絶賛緊縛プレイ中のルイスを抱き起こすと同時に、そいつが新たなブレスを放つ。
 全員が身構えた。

 ごっ!

 放たれたのは、赤黒い液体だった。
 物凄い勢いで噴射された所為だろう、地面に無残な大穴が開いたが、本当に恐ろしいのはその勢いではなかった。
「な、なんだこれ……ああああ熱ッ、痛あああああッ!?」
 咄嗟にアルを抱えて跳んで逃げたものの、液体の飛沫を被ってしまったルイスが、皮膚がむき出しになった部分を掻き毟る。
「これは……唐辛子、か……?」
 アルが周囲に散らばる液体を観察し、呟く。
 そう、蜈蚣が放ったのは、“710万スコヴィルのホットソース”に匹敵する恐ろしい液体だったのだ。
 ちなみに、タバスコの辛さはおよそ二千スコヴィル。
 ――それはつまり、タバスコの三千倍以上の威力を持つ、辛いというより痛い、触れるだけで火傷し、皮がめくれ、目に入ればなすすべもなく失明するという、恐ろしく危険なブレスである。
「えええええ、なんか、危険なのに内容的には微妙……!」
 俊介が思わず突っ込む。
「しかし……内容が判明したなら、対処は容易い」
 ファレル・クロスは冷静だった。
 彼は、【710万スコヴィルのホットソース】ブレスを蜈蚣が再度放つと同時に空間を切り取り、ブレスの到達点の空間を、そのまま九頭蜈蚣の背後に貼り付けて、蜈蚣本体に激辛ブレスを『お返し』してみせたのだ。
 表皮を剥がされて露わになっていた部分に赤黒い液体が降りかかり、蜈蚣が軋むような咆哮を上げて長い身体をくねらせた。
「ウウン、とっても効いてるみたいネ!」
 くるりと空中で一回転したコーディが、口から衝撃波を放つ。
 衝撃波は口を基点に円錐形を描き、硬い物質も貫通する威力で蜈蚣の身体を抉った。
 蜈蚣の身体を覆う鋼鉄の如き表皮は、半分まで取り除かれている。
「よし……」
 ハンスはブレス攻撃を警戒しつつ胴体の側面から接近し、長剣を揮って節の部分へ斬りかかった。灰色の体液がどろりと滲み、剣がぐにゃりとした妙な手応えを伝えてくる。
「だが……斬れる」
 呟き、斬撃と刺突とを織り交ぜて、より効果的な攻撃を積極的に行う。
「……ウィレムの様子、何か変だな。俺に何が出来るのかってのもあるけど……うーん」
 チェスター・シェフィールドは、蜈蚣の、表皮を失った部分に弾丸を撃ち込みながら、胸中に首をかしげていた。
 ウィレムは、妙に硬い表情で、氷の槍を魔法で発生させ、蜈蚣の口腔狙って攻撃を加えている。
 何があったのだろうと思いはするが、それどころではないのも事実で、チェスターは炎の魔法を交えながら、攻撃を続行した。
 そんなチェスターをちらりと見遣り、
「……僕がチェスターに対して抱いた執着……あれは……」
 ウィレム・ギュンターは小さく息を吐いた。
 無論、今はそれを論じている場合ではない。
 魔力を練り上げ、氷の槍を作り出して、蜈蚣の口を狙う。
 ――その頃には、【氷】【風】【麻痺】【毒】【闇】のブレスを吐く頭は、それぞれの活躍で叩き潰され、または切り落とされて動きを止めていた。
 残った首は、四つ。
 あと半分、と誰かが呟いた。
 自分を鼓舞するように。

 ――そして、そこで。

 残りひとつ、まだブレスの種類が判明していない頭が、口を開いた。
 皆が、めいめいに防御系の能力をいつでも発動出来るよう身構える。

 キイィイイイアアアアアアァアアアアアァ!

 大きく開いた口から放たれたのは、不可視の『歪み』。
 それは――……空間断裂!
「な……」
 ブレスは、防御魔法も、能力も、誰かが展開していたロケーションエリアも、そのすべてを飲み込み、切り裂いて吹き飛ばした。結界が辛うじてブレスを消滅させたが、それがなければ、民家や街並までが断裂されていただろう。
「ぐ……!」
 右肩を腕ごとごっそりとブレスに持って行かれ、ハンスが血を噴き零して転倒する。
「チェスター! しっかりしてください、何でこんな……!」
 咄嗟にウィレムを庇い、脇腹周辺をブレスにかすめられたチェスターが、蒼白な顔色で激しく出血する傷口を抑えている。
 蜈蚣が、彼らを嘲るように空間断裂のブレスを吐き散らかす。
 シオンティードと刃、イェルクもそれに巻き込まれ、身体のいずこかを抉られて地面に転がった。
 わさわさと蠢いた脚に絡め取られそうになった彼らを、無傷な面々が救出し、後方に控えていた救出班へと引き渡す。
 ――蜈蚣の、軋むような、哄笑するような咆哮が辺り一体を震わせる。
「ち……」
 誰かが舌打ちした。
 戦況は不利だ。
 けれど……彼らの勝利と無事を祈る『思い』が感じられるから、まだ折れるわけには、行かない。



 7.後方支援・炊き出し2

 その頃、拠点では、運び込まれた人々や、救出させた人々の気持ちを上向かせるための炊き出しが進んでいた。
「さあ皆、これ食べて元気出せよなっ。なぁに、あんなバケモン、すぐに粉々にされるって!」
 小さな炊き出しメンバー、ゆきとルウと一緒に、ふたりが作った可愛い『おににり』と豚汁、そして自分で作ったコロッケを配るのは手塚流邂だ。
 ゆきもルウも、皆を元気付けるため、精一杯の笑顔で人々に接している。
「頑張るのじゃよ。希望さえ捨てなければ、明日などというものはすぐにやってくるのじゃから」
「るう、おににりがんばってつくったよ。みんな、これたべて、げんきになってね……?」
 誰もが、ふたりの懸命さに打たれ、微笑み、頷いてゆく。
 ――不安がないわけではなかろうに、それでもふたりは、笑顔を絶やさない。
「だったら、俺だって頑張らないわけにはいかないだろ」
 呟くと、流邂は、特大の鍋にたんまり作った、愛情たっぷりのほかほか豚汁を紙容器に注ぎ、前線から撤退してきたと思しきムービースターの男にそれを手渡した。
「大丈夫ですよ、泣かないで、ね?」
 その傍らでは、神威右京が大量の焼きソバを作り、腹を減らした避難者たちに手際よく配ってゆく。短時間でさっと食べられるよう、少量にし、紙コップに入れたのは、右京なりの気配りだ。
 それと同時に、彼女は、もふもふの尻尾で、泣き出しそうな子どもをあやしていた。
「そうだよ、絶対に大丈夫だからね、あっはっは」
 熱々のうどんを作り、ひとりひとりに手渡していくのはギャリック海賊団のハンナだ。
 ハンナは、うどんの入った紙の器を渡しながら、温かい、大らかな笑顔を振り撒き、人々から不安を取り除こうと奮闘していた。
「さあ、ハンナ母さん特製のうどんだよ、これを食べて元気になっとくれ。――心配要らないよ、物事ってのは、最後にはハッピーエンドになるよう、巧く回るようになってるものさ」
 その横では、同じギャリック海賊団のナハトが、ハンナを手伝って調理に精を出し、熱々のうどんを人々に配っている。
「暗い気分になったっていいことなんか何もないからな! 腹一杯になって、元気出せよなっ!」
 頑張って元気を振り撒いているナハトだが、育ち盛りの青年なので、他の面子が作った料理の匂いに釣られてつまみ食いをし、同じ班の人に注意されている。それもまた微笑ましいと、避難してきた人々の心を和ませているのも事実だったが。
「ほれほれ、量だけならたくさんあるから好きなだけ食え!」
 ゲンロクは自家製の野菜を大量に持ち込み、一口大に切ったそれらをちくわやウィンナーなどと一緒に串に刺して焼いた軽食をたくさん作って配っていた。
 シンプルだが野菜の旨味が滲み出た逸品に、頬張った人々が笑顔になるのを満足げに眺めた後、ゲンロクはトラックに飛び乗った。
 もちろん、怪我人の救出・輸送に当たるためだ。
 賑やかなエンジン音を響かせて走り出すトラックの横を、コレット・アイロニーが、何かを探す風情で歩いていく。
 ディズは、それらを一望しながら、士気を高めるため、怪物の気を少しでも逸らすために、結界の外のギリギリの場所、ジラルドが繋いだ『扉』のすぐ傍にある見晴らしのよいビルの屋上で、青く輝くトランペットを吹き鳴らした。

 たああん、と、軽やかで勢いのある、晴れやかな音が、周囲に響き渡る。

 拠点での炊き出しに従事する人々が、救護所で手当てに終われる人々が、結界師の傍で結界の強化に励む人々が、自分ではない誰かのために身を削るすべての人々が、その明るい音色に気づき、笑顔で空を見上げた。
 戦闘部隊の人々にすら、その音が届いたことを、ディズは確信していた。

 ――まだ、戦いは終わっていない。
 戦闘部隊は苦戦し、救護所も避難所も人であふれ返っている。
 けれど、希望なら、皆の胸の中で、燃え続けている。
 それが判るから、ディズは、怯まない。



 8.後方支援・医療班

 戦況の悪化に伴い、救護所には次々と負傷者が運び込まれ始めた。
「ハンス、ハンス!」
 担架に乗せられて運び込まれたハンス・ヨーゼフに取り縋り、ルウが泣きそうな声で彼を呼んでいる。
「だ、大丈夫だ……心配、しなくていい……」
 咳き込みながらも笑みを浮かべてみせるハンスに歩み寄ったベネット・サイズモアが、大きな手で彼に触れ、ヒーリングで治癒を施す。自然治癒を高める類いの能力なので、動かしても問題がない程度に治し、後は彼が病院へ搬送されるのを見送る。
「トリアージ・タッグが黄色から赤の負傷者はこっちよ、すぐに病院へ搬送するわ!」
 二階堂美樹は、あちこちを骨折したルシエラの応急処置をしながら大きな声で呼ばわった。
 原貴志、旋風の清左に付き添われ、怪物との戦いで重傷を負った人々、ダメージを受けた人々が、ラーゴの設置した装置へと足を踏み入れていく。
「何があっても大丈夫ですから安心してください、ここはそういう街なんですから」
「そうとも……心配は要らねぇ、すぐによくなる。あとは何とでもするから、今は休んでおくんなせぇ」
 無念そうな、不安そうな負傷者らを励ます貴志と清左。
 美樹はそれを好もしげに見つめ、ぐっと拳を握った。
「大切な思い出がある……大事な友達がいる。この、大好きな街を、好き勝手にはさせない……!」
 空元気でもいい。
 今は、折れていない自分を誇示し続ける。
 拠点内に、ルーチェの、幼く澄んだ、やわらかい歌声が響いている。
 他者の時間を回帰させるその歌声は、人々の傷口を少しずつ塞いでいく。
 ルーチェの娘、アルトは、視覚に影響を及ぼす自身の能力で、救護拠点を怪物の視界から消すというサポートを行った後、母から離れたくないのもあって、歌声を響かせる母の横で、彼女に教わった応急処置を懸命に施していた。
 傷口を消毒し、薬を塗り、包帯を巻く。
 一生懸命なアルトの様子を、ルーチェが、嬉しそうに見詰めている。
「……手酷くやられたな」
 ロスは、ぐったりと横たわるチェスターに声をかけ、細胞を活性化させて治癒力向上を促していた。
 ルーチェの歌もあって、ゆっくりと傷口が塞がって行くのを見ながら、薬を塗り、包帯を巻いてやる。
 墺琵綾姫がロケーションエリアを展開したのはその頃だ。
 怪我人の体力の消耗、救護班の気力の減退などを防ぐ効果のあるそれのお陰で、救護所内がまた活気付く。
 彼女自身は、符術で治癒効力、効能を高め、搬送されてきた負傷者の手当てにあたっていた。
「そうだ……それでいい。心配するな、痛いということは生きているのと同義だ、生きている実感を味わえばいい」
 栗栖那智は、専門外のはずなのに、膨大な知識と無駄に高い行動力でもって、担ぎ込まれた負傷者たちに、友人が「なっちーってブラックジャッ(大人の事情により割愛)みたいだよね」と称した手際のよさで手当てを施していた。
 新種の細菌を作りたいとか一日中血液検査をしていたいとか、恐ろしく強いが恐ろしく前向きな渇望しか持たない彼なので、哀しい渇望に呑み込まれ暴走した人々の辛さや苦しみは判らない。
 しかし、那智は、人の命というものを何よりも尊いと思っている。
 たくさんの思いを内包した人命を、失い難く大切なものだと思っている。
「……さあ、次は誰だ。私が治してやる……どんどん来い」
 だから、それを守りたいと思うのだ。
 自分の持てる、すべての力で。
「消毒したガーゼ、ここに置いておきます! 消毒アルコールは足りてますか!? あ、蒸留水が切れてますよね、取って来ます!」
 相原圭は救護所を行ったり来たりしていた。
 以前、病院で看護士から指導してもらった経験があるので、応急処置もできるのだが、圭は、若くて体力があるのを見込まれて、医療品の搬送役、チーム間の連絡役としてあちこちを走り回っていた。
 何時間も走り回って、肉体的にはクタクタだ。
 怪我人は次から次へと運び込まれ、まるで果てがないかのように思える。
「オレは、ただの学生だけど……」
 顎から汗が滴り落ちる。
 しかし、圭は笑顔を絶やさなかった。
 足は、鉛のように重くなりつつある。
 けれど圭は、何も諦めていなかったし、最後まで突っ走ろうと思っていた。
「力なんて持たないエキストラだけど」
 出会った人々、たくさんの出来事、交わした言葉、向け合った笑顔。
 黒歴史だと思っていた過去を、緩やかな甘受に変えてくれた、たくさんの存在。
 この街のために何かしたい。
 自分に出来るすべてを、この街のために捧げたい。
 ――そんな、強い気持ちだけで、身体が動いている。
 止まらない。



「あら……神音さん?」
 いつの間にそこにいたのか。
 否、いつからいなくなっていたのか。
 美樹は、神音が救護所の傍らに佇んでいることに気づいて首をかしげた。
 奥の方には、太助やヴァールハイト、翼姫の姿もある。
 神音は、唇に、穏やかな笑みを浮かべている。
「どうしたんですか?」
 彼女の問いに、神音は首を横に振った。
「何でもない。ただ……」
「ただ?」
「……じきに、すべて、よい方向に向かう」
「えっ」
「それだけは、確かだ」
 静かに言って、神音は、不思議な色合いの目で美樹を見遣った。
「……歌をうたう、約束だったな」
 そして、静かに息を吸う。
 美樹は通信機のスイッチを入れた。
 ――響き渡る、その、神なる音色を、今、突き詰めて言えばたったひとつの目的のために戦い走り動く、すべての人々に届けるために。



 9.九頭蜈蚣2

 負傷したメンバーの撤退を支援した後、残存メンバーは再度九頭蜈蚣と対峙した。
 人数が減っても、彼らの士気は下がらない。
 やるべきこと、果たすべき約束、守るべきものが何であるかを、それぞれに理解しているがゆえに。
「ルイスを……傷つけたな。許さない……」
 統合を果たした半身・ルアを髣髴とさせる表情で呟き、ロケーションエリアを展開すると、そこには、すらりと美しい、青年の身体になったアルの姿が現れている。
「ルイス、もらうぞ」
 【空間断裂】が掠った際に滲んだ血を、アルの指先が掬い上げ、手をかざす。
 ルイスがそれに手を伸ばすと、唐突に血が膨張し、輝き、太陽の如き光を放つ剣に転じた。
 これこそ、【黎明の剣】。
 人と始祖の力を持つルイスの血を用い、アルが創り出す、真実の太陽光を生み出すことが出来る剣だ。
「……行って来い」
 アルの言葉に頷き、剣を手にしたルイスが駆け出す。
 詩人とファレルが各自の能力でルイスの補佐に回る。
 コーディはルイスを丸呑みにしようとする口目がけて衝撃波を放った。
 覚醒領域を全開にした刀冴は、愛剣【明緋星】を揮って蜈蚣の脚を切り落としていく。脚を落とされるたび、蜈蚣の動きが鈍るのが判るため、刀冴の動作は速やかで無駄がない。
 その刀冴の視界に、わけの判らない悲鳴を上げながら校庭を――そう、もうすべてのロケーションエリアが使い尽くされてしまったのだ――横切っていこうとする少年と、七つか八つと思しき彼を必死で追いかけるリゲイルの姿が映った。
 どうにか少年に追いつき、彼を守るように抱き締めたリゲイルに、蜈蚣の脚が迫る。
「リゲイル!」
 何かを思い悩む間もなく、刀冴は奔っていた。
 そして、ふたりと、やわらかい身体を貫こうとした脚との間に、我が身を滑り込ませる。
 硬いものが肉を貫き抉る生々しい音、血の臭い、少年の悲鳴、リゲイルが息を飲む音。
「と、刀冴さ……」
「……心配すんな、大したことじゃねぇ」
 太く硬い脚は、彼の背から腹へと突き抜けていたが、特に覚醒領域全開中の今、それは本当に大したことではなく、刀冴は【明緋星】を揮って自分を貫くそれを斬り飛ばした。
 それから、ふたりを抱えて距離を取る。
 ――と。
「若の貴き御身に傷をつけたな、下衆」
 いつの間にか、蜈蚣の上に、十狼が浮かんでいた。
 表情の一切が消えた白い面は、彼が激怒していることを物語る。
「あー……切れたな、ありゃ」
 他人事のように言う刀冴の頭上で、十狼の手が双剣を握った。
 次の瞬間揮われたそれが、凄まじい衝撃波を生み出し、蜈蚣の尾を跳ね飛ばした。
 更に放たれた二閃三閃が、蜈蚣の胴体を輪切りにしていく。
 ぐらり。
 蜈蚣がバランスを崩した。
 その間にも【黎明の剣】を揮ったルイスが、生餌の鬱憤を晴らすように縦横無尽に駆け回り、蜈蚣の首を【雷】と【空間断裂】のふたつにまで減らしていた。
 そこへ唐突に現れたのは、ブラックウッドだった。
「――……『狩る者』曰く」
 薄い笑みの浮かぶ柔和な表情で、しかし黄金の双眸を冷たく光らせ、ブラックウッドは蜈蚣の首の付け根、胴体とのつなぎ目付近に手を当てる。
「不死者の最も恐るべき特徴は、狙った獲物を百年追い続ける執念深さなのだそうだよ」
 だから、今度こそ逃がさない。
「君の残滓は駆逐された――……もう、君に、居場所など、ないのだ」
 言って、生命への渇望の『嵐』を蜈蚣の巨体に向ける。
 途端、外殻が緩やかに艶を失い、細かな皹が入り始め……
「よし、アル、とどめだ!」
 【雷】の首がボロボロに崩れ落ちて行くのを見て、ルイスは残ったひとつの首を駆け上がり、その頭に剣を突き立てた。
 頷いたアルが、上空に巨大な雷雲を呼び出す。
 ルイスが蜈蚣の頭から飛び降りるのと、
「打ち砕け……神なる轟雷よ」
 アルが厳かに告げ、特大の雷を降らせたのとは、ほぼ同時だった。

 どおぉ、お、おおおおお……んんんん。

 腹腔を震わせ、目を灼く純白の雷光。
 それは、蜈蚣の最後に残った頭を粉々に打ち砕き、胴体を引き裂いて、完全に沈黙させた。
「っしゃあああああ!」
 誰かが勝利の雄叫びを上げる。

 黄灰の九頭蜈蚣は、こうして駆逐された。
 人々は互いに褒め称え合いながら、他の部隊の無事と勝利とを祈った。



 10.結界強化2

 シグルス・グラムナートは腐敗竜の結界強化を担当していた。
 結界の重ねがけの上で、更に聖属性を付与し、竜の猛威を少しでも押さえ込もうとしている。
 戦いが始まってすでに数時間が経過し、シグルスの疲労はピークに達していたが、アルカの創る基本の結界の外周付近で、力を振り絞りながら、彼は、疲労になど頓着もせず、アンテナに向けて愛しい人への想いを飛ばしていた。
(カグヤ……お前は今どこにいて、どうしてるんだ?)
 腐敗竜の咆哮がここまで届く。
 ふわり、と吹いた薫風に懐かしさを覚え、シグルスは目を細めた。
(お前にどうしても伝えたい想いがある――……愛している。昔も、今も、そしてこれからも……ずっと、ずっと、お前だけを)
 その思い人が腐敗竜と戦っていることには気づかず、シグルスは、純粋な想いを紡ぎ、結界師へと送る。
 結界師の傍では、神畏=ニケ・シンフォニアータが、三体の怪物を封じ込めている結界を強化し続けている。
 神畏がアルカの傍を離れないのは、いざとなれば結界師の身を守ろうという備えからだったが、同時に、三つの現場が見渡せるこの場所で、守らなければという思いを強くするためでもあった。
「……心配は要らない、きっと巧く行く」
 呟き、神畏は結界に意識を向ける。

 * * * * *

 銀幕市を一望出来る自然公園では、そこに集った人々が、銘々に、それぞれの大切な人、大切なものへ向けての『思い』を紡いでいた。
 マリエ・ブレンステッドは、祖父に危険だから行かない方がいいと言われたのだが、祖父と一緒にいられるこの街が大好きだから、と、自分に出来ることをやるべく、強化班に参加したのだった。
「おじいさまのことがだいすきっておもいは、だれにもまけないもの。『おもい』がまちをまもるちからになるのなら、マリエにもおてつだいできるわ」
 小さな両手を組み合わせ、マリエは祈る。
「おじいさま、マリエをみていてね。――……だいすきよ」
 その傍では、男装の麗人ランスロットが、静かな笑みを浮かべて銀幕市を見下ろしている。
「私の美しいグウィネヴィア。貴方の存在が、私の命を輝かせてくれる」
 戦っている理晨の無事を祈ると同時に、理晨の愛するこの街が平和で、平穏であるようにも、祈る。
「早く、すべて終わらせて、私たちの元へ、理晨。終わったら、美味しいホット・チョコレートを皆で飲みましょう」
 彼女の、『家族』への愛は、尽きることを知らない。
「ほら……あんなにたくさん、人が集まっているよ」
 真船恭一は、アレグラと手を繋いで眼下に広がる街を見つめていた。
 嬉しかったこと、楽しかったこと、妻や家族や仲間、愛すべき銀幕市の人々を思い出し、温かな気持ちを込めて祈る。
 辛苦を舐めてなお輝く、出会いへの感謝と幸いに胸を打たれながら。
「あそこにも、そこにも、理不尽な力と戦う勇気と、人に対する愛情を持った人たちが。だから……きっと大丈夫。頑張れ……!」
 アレグラもまた、銀幕市での楽しい思い出や大好きな人たちの笑顔を思い出し、一生懸命祈っていた。
「アレグラ、皆のニコニコ顔が好き。見ると、アレグラもニコニコ、しややせ(幸せ)なる。多分、皆もだ。皆、皆のニコニコ守るために頑張るだから、アレグラも頑張ってお祈り! 頑張れ、負けるな!」
 鳥の王であるアルシェイリ・エアハートもまた、自然公園の高台から銀幕市を見詰めていた。
 集い漂う様々な愛情を感じ取り、幸せそうに微笑して、感情の波にに寄り添うように目を閉じ、昇太郎の気配を思念で追い掛けて、彼と、彼の中の『神』へ向ける強い愛情を捉えて編み込み、結界師へ送りながら、アルシェイリは彼の無事を願い続ける。
「大丈夫。皆が……皆を、思っている、から」
 身外身で四体の分身を作り、三体を補助に、一体を蜈蚣の結界補助に行かせていた蒼星の本体は、自然公園の高台に茣蓙を敷き、だらりと寝転がりながら仙丹を齧っていた。
 恐るべきぐうたらぶりである。
 しかし、
「ちょっと、あんたも働――……あれ?」
 浅間縁に無理やり起こされると、ぺしょりと倒れてしまった。
 実は、四体がフル稼働なので、本体はまともに動けるような状態ではなかったのだ。ダラダラしていたのは、それを誤魔化すためだったのである。
「ううう……さすがにキツいアル……誰か、我をギンギンにするような萌えシチュを寄越すアルよ……」
 とはいえ、その台詞から鑑みるに、心配は無用のようだ。

 * * * * *

 その頃、山砥範子は、リョウ・セレスタイトとともに、避難所となっている聖ユダ教会へと赴き、そこに避難している人々に、エネルギー供給の協力を求めていた。
「大丈夫、大丈夫だ……心配は、要らない」
 リョウは、ましの言葉に催眠の力を乗せ、人々から不安を取り除き前向きな気持ちにさせる。とはいえ、それは、支配するほど強い力ではない。あくまでも不安除去と集中力のアップのためだ。
「現在、銀幕市は未曾有の危機にさらされております。ですが、わたくしどもは、強い思いを力に変えることが出来るのでございます。どうぞ皆様の、どなたかへの思いを、わたくしどもにお預けくださいませ」
 動揺し混乱している場所だが、ユダの口添えや、範子『好都合化』能力のお陰もあって、拒絶や拒否の声は上がらなかった。
 何人かが具体的な方法を尋ね、ただ祈ればいいのだと聞いて頷く。
「あんたの大事な想い……俺に預けてくれないか?」
 リョウが、華奢な女性の手を取り、甲に口付けながら請うと、彼女はくすりと笑って頷いた。まるで口説き文句ね。悪戯っぽい彼女の言葉に、リョウも笑う。
 避難所に集まった人々が、神に祈る如くに手を組み、『誰か』への思いを紡ぎあげる。
 範子はそれを『都合よく』抽出し、ロケーションエリア【至急】を発動、『都合よく』纏め上げられたプラス感情を、波動砲の如く、中継点近くの空へとぶッ放した。
 ぶッ放されたそれは、不可視のものであるはずだったが、何故か空の彼方で花火のように輝き、人々に歓声を上げさせた。範子の能力と相俟って、その強い思いの塊は、『都合よく』結界師に届けられたことだろう。
 人々が口々に範子やリョウを労い、笑顔を向ける。
「……ああ……わたくし、」
 範子はどこまでも真顔だったが、台詞ではない、意思のある言葉を掛けてくれる、この街の人々が大好きだ、と、自分もまた、感動すら含んだ思いの丈を、中継点目がけてぶッ放していた。

 * * * * *

 空が花火のように輝いてから、結界が強い力にあふれていくのが、ここからでも判った。
 クラスメイトPは、息を飲み、拳を握り締めて、眼下に広がる銀幕市を見詰めていた。
「どうか……僕の想いが、街を守るように……」
 万分の一の確率で実体化した、あり得ない奇跡。
 名前すら持たない自分に向けられる好意、笑顔、笑顔、笑顔。
 存在しなかった誕生日をともに祝えたこと、ミランダへの痛みが癒されることへの祈りを込めたかけがえない親友との熱い絆。
 求められるまま憎む、と言った強く気高い森の女王への痛みと尊敬。
 どれもが宝石より尊く、自分はとても幸福だと思う。
 ――そして。
「結界が崩れたら戦闘部隊も攻撃に集中できないし、後方支援班の仕事も増えちゃうからね。あと少し、気合入れていくよ!」
 浅間縁がテンション高く、ガッツポーズを取る。
「壊せるわけないじゃん。だって、こんなにもこの街のために動いてる人がいるんだから」
 そんな人たちが、そんな人たちが沢山いるこの街が大好きだ。
 だから、守ってみせる。
「壊させなんて、しない」
 真摯で真っ直ぐな、縁の瞳、唇に浮かぶ、不敵ですらある強い笑み。
 クラスメイトPは、その、いつも不思議な力をくれる笑顔が大好きだ、と、温かい思いと感謝とともに、思った。
「……そうだよね」
 縁の隣に並び、ちょっとだけ迷って彼女の手を握った。
「僕も、この街を、守りたいよ。――守ってみせる」
 突っ込まれるかと、思わずツッコミに備えてしまった彼だったが、縁は、ちょっとだけ驚いた顔をして、クラスメイトPの手を、握り返した。
「当然じゃん」
「……うん」

 ――どこかから歌声が聞こえて来る。
 希望の調べに乗せて。



 11.腐敗竜2

 空が花火のように輝いた一瞬あとから、腐敗竜の動きは目に見えて鈍った。
 あの、物理的なダメージさえ与える腐臭も、ずいぶん和らいでいる。
 結界強化班が、頑張ってくれているのだ。
「香玖耶さん……じゃあ、行くよ……!」
 言うと、片山瑠意は、十狼から贈られた指輪の魔力で素早さを上げ、天狼剣を手に駆け出した。瞳の色が紅くなっているのは、ブラックウッドとの盟約による身体強化能力を解放しているためだ。
「オッケー、いつでもいいわよ!」
 香玖耶は風の精霊フェンリルとグリフォンの他に、炎の精霊サラマンダーを召喚し、無属性の炎で竜を灼き、悪臭の除去を行っていた。
 レイは、アンチマテリアルライフルを両手に持ち、片っ端から撃った。
 本来、ひとりで、しかも片手で使えるような代物ではないのだが、半サイボーグであるレイにとっては困難なことでもない。
 レイの操る二挺のバレットM82が火を噴く度、竜の腐敗した肉が弾け飛び、骨や内部をあらわにしていく。
 瑠意はそこに突っ込んで行った。
「唸れ……“メガ・ゲネイオン”。大いなる顎よ……!」
 腐敗竜が歯茎の爛れた口を開き、力を溜めている。
 ――ブレスだ。
「フェンリル、グリフォン!」
 香玖耶の高らかな声、瑠意の裂帛の気合。
 ブレスが放たれる寸前、フェンリルが風の刃を生み出し、口腔内へと撃ち放つ。
 瑠意が揮った天狼剣からも、同じく風刃が撃ち出され、腐敗竜を襲った。

 ぶ、しッ。

 肉の断たれる、鈍い音。
 口から、腐敗した血を迸らせて、竜は怒りの咆哮を上げる。
 これ以上踏み込むのは危険と判断して、瑠意が後方へと撤退するのを支援し、 遠距離から【一射千神】で身体を覆う触手を切り払っていたエレクスは、
「ギルバート、頼みがある」
 竜を見据えながら剣の騎士を呼んだ。
「どうしましたか」
「ライト・ブリンガーを貸してくれ」
 それは、ギルバート・クリストフの魂とも言うべき剣だ。
 すんなり貸してもらえるとは、当然、思っていなかったのだが、
「判りました」
 ギルバートは、拍子抜けするくらいあっさりと、剣をエレクスに渡した。
「……いいのか」
「エレクスを信じます」
 微笑むギルバートに内心で感謝し、エレクスはアフラを構えた。
 自分の中に、ライト・ブリンガーの強いエネルギーが流れ込んで来るのが判る。
 ライト・ブリンガーを軸に、剣の持つ陽光の力と、アフラの持つ浄化と聖性を練り込んだ神聖な矢、【禍無射】を創り出し、引き絞る。
 ライト・ブリンガーが転じた矢は、三つの力を織り込まれ、あかあかと輝いている。
「貫き通せ……【明神威(アケカムイ)】」
 呟き、エレクスは【禍無射】を撃ちはなった。
 ビョウ!
 風よりも早く、明色の矢が飛び、腐敗竜に突き刺さる。

 ぎいぃああああああああぁああ!

 身の毛もよだつ咆哮が周囲を震わせる中、ギルバートは、能力を駆使し、放たれた【禍無射】を追って走り出した。
 苦し紛れに残った触手が攻撃してくるのを、【鞘】で防御しつつ竜の背に飛び乗り、その首筋に突き刺さった剣を握り締めて、
「ここに……他者を踏みつけにして悔いぬ者は、要りません」
 静かな言葉とともに、ありったけの魔力を叩き込み、【断罪の閃光】を発動させた。
 強大にして神聖なる浄化の力が、竜の中で弾ける。
 腐敗竜が奇妙にふくらみながらばたばたともがき、尻尾を振り回す中、竜の内部から金色の光があふれ出し――……そして。

 ばしゅっ。

 間の抜けた音を立てて、竜は、粉々に砕け散った。
 砕けた破片は、ばらばらとあちこちに落下したが、すぐにぐずぐずと溶けて、消えていった。
「っ、と……」
 寸前、竜の背から飛び降りたギルバートが、剣を鞘に戻す。
 わっ、と、周囲から歓声が上がった。
 誰もが、汚れ、疲労した顔で、互いの健闘を讃え合い、背を叩きあった。

 こうして赤灰の腐敗竜は駆逐された。
 ――残るは、あと、一体。



 12.眼球巨人2

 眼球巨人班が苦戦したのは、やはり、『神クラスの戦闘能力を持ったムービースター』が少なかったためだ。
 回復魔法などの、傷を治療する能力を持つものがほとんどいなかったことも災いして、彼らはじりじりと追い詰められていた。
「くそ……」
 ロケーションエリアをつなぎ、なるべく投擲の材料になるものを巨人に与えないようにしてきたが、それももう『玉切れ』の状態だ。
 無造作に民家やビルを引き抜いた巨人が、それを投げつけようとするのを、遠距離からヘヴィマシンガンやアンチマテリアルライフルで防ぐしか、怪物を牽制する方法がなく、事態は膠着していた。
 ――しかし、まさにこの時、結界が強化され、巨人の動きが鈍った。
 そして、このタイミングで周辺を通りかかったのが、気紛れでフリーダムな猫神クロノと、勇者の力を解禁し、物資運搬などのありとあらゆる雑用を一手に引き受けていた鈴木菜穂子だったのは、幸運だったと言うしかないのだろう。
「勇者急便増発中! 御用の方はおられま――……」
 山のような荷物を背負って走り回っていた菜穂子は、眼球巨人が、攻撃班の誰かを圧殺すべく踏み出したのを見て、有事の際に備えて空けてあった片手で咄嗟に眼鏡を毟り取り、絶叫していた。
「(ファンタジーなのにビームとかありえねぇよ)勇者・アルティメットジェノサイド・ビイイイイイィイィ――――――――ムッッ!!」
 雄々し過ぎる技名とともに、彼女の目から放たれる二条の閃光。
 勇者として振り回されている自分に色々なものを諦めているが、『泣いている誰かの隣で笑ったりなんか出来ない』彼女は、誰かの危機に際して力を解放することになんの躊躇いもない、真の勇者なのだった。
 その激烈なビームを受けて、巨人の身体の二箇所に大きな穴が空き、傷口からどろりとした体液をあふれさせながら、怪物がバランスを崩す。
「おおー、カッコいいですにゃ! これは我輩も負けていられないですにゃ!」
 同時にクロノがロケーションエリアを展開。
 猫神様は、眼球巨人の周囲に、巨人より大きな格子状の『枠』を創ると、枠の時間を固定して破壊出来ないように設定、三十分だけ巨人を枠の中に閉じ込めることに成功する。
「皆、今ですにゃ!」
 懐から鉢巻と扇子を取り出し、応援の体勢に入りながらクロノが宣言する。

 ――どこかから、歌声が聞こえてきた。

 それは、かの神なる歌い手の声だったようにも思えたし、神聖兵器たる少女の澄んだ歌声にも、陽気なトランペッターが吹き鳴らす青いトランペットの音色にも、結界強化班たちの祈りの声のようにも、銀幕市のために戦い奔るすべての人々の応援の声のようにも聞こえた。
 身体が、ふわりと軽くなる。
 傷が、少しずつ、癒えていくのが判る。
「……行こう……!」
 『白竜王』を手に、理月が走り出す。
 ルークレイル、理晨、イェータの援護射撃が途切れることなく来る。
 ミケランジェロと、いつの間にか戻って来ていた昇太郎が理月の隣に並んだ。
「なァ、ミゲル」
「ん、どした」
「……いや、これでみな、巧くいくと、ええな」
「あァ」
 にや、と笑い、ミケランジェロが走りながら陣を描くと、彼の周囲に光が瞬き、渦巻いた。
 それらは百十八本の光る槍となって、隼のような速さで巨人へと殺到し、その巨体を地面へ転倒させる。

 ずうぅう……うう、うんんんんんん。

 鈍い地響き。
 転倒した巨人は、クロノの『枠』のお陰で、もがくばかりで起き上がることも出来ない。
「さあ……終わらせよう。人々の、平和な営みのために……!」
 一時、やはりいつの間にか姿を消し、また戻って来ていた守月志郎が、巨大な剣を振りかぶる。
 トトが、巨人の肩から顔に飛び乗った。
 ジム・オーランドが、エリク・ヴォルムスが、墺琵琥礼が、それぞれの得物を手に、巨人の首から上に狙いを定める。風轟は鋭い旋風を巻き起こし、風の刃を巨人目がけて放った。
 アンチマテリアルライフルとヘヴィマシンガンの弾丸が、巨人の頭部に次々とめり込んで行き、理月の刀と、昇太郎の剣と、ミケランジェロの仕込みモップと、ジムの拳と、エリクの弾丸と、琥礼の刀と、志郎の剣と、トトの剣とが、一斉に、巨人の首に叩き込まれ――……そして。

『も゛も゛、も゛ッ……も゛も゛も゛も゛も゛も゛も゛も゛も゛ッ!』

 絶叫する巨人の首が、見事に、胴体から切り離される。
 ごどん、という鈍い音。
 それを、風轟の風刃と、ミケランジェロが再度紡いだ魔法とが、粉々に打ち砕いた。
 胴体は、頭部が破壊された瞬間、びくり! と痙攣すると、そのまま動かなくなり、やがて、黒く溶けて、消えていった。
「や……」
 ぐッ、と、トトが拳を握る。
「やったあああああああ!」
 快哉を叫び、隣の理月に抱きつくトト、幸せのあまり死にそうになる理月。
 あちこちで歓声が上がった。
 危険すぎるからと後方に撤退させられていた庵璃が琥礼に駆け寄り、勢い余って抱きつく。
「これで、終わった――……か?」
 ルークレイルは、硝煙の立ち込める周囲を見渡し、小さく呟いた。
 意識を研ぎ澄ませてみても、もう、クロノスの気配を感じ取ることは出来ない。
 まだ、残っているものはある、けれど。
「……ひとまず、帰るか」
「ん」
 大きな息を吐くと、隣で理晨が、笑った。
 イェータが通信機で作戦の成功を伝えている。

 こうして青灰の眼球巨人は駆逐された。
 戦いは、ひとまず、幕を下ろす。



 13.大団円

「最後の一体、眼球巨人の消滅を確認……我々の勝利です」
 通信を受け取ったサマリスが静かに告げると、拠点には大歓声が湧き起こった。
「やった……やったのね、私たち……!」
 美樹は勢い余って神音に抱きつき、
「やだ、ごめんなさい、神音さんには久我さんがいるのに……」
「……? 何故そこに正登の名が……?」
「えっ、てっきり私、正×神だと思ってたんですけど、違うんですか?」
「???」
 いきなり専門用語頻出な腐トークに突入して、神音に首を傾げさせていた。
 ――拠点には、攻撃部隊の人々、結界強化班の人々が、続々と集まって来ている。
「ぱぱ、おかえり……!」
 ルウは、その中にシャノンの姿を見い出して満面の笑顔になり、パッと駆け出した。
「ああ、ただいま」
「ぱぱ、がんばた? るうも、がんばたよ! ハンスがけがしたから、あとでみにいってあげて?」
「……そうか、ルウ、よく頑張ったな。お疲れ。ああ、ハンスも労ってやらねばなるまい」
 目を細めてシャノンがルウを抱き上げると、ルウはシャノンの頬に自分のそれを擦り付け、屈託なく笑った。
「皆、ほんっとーにお疲れさん! 色々あるから、腹いっぱい食って疲れを癒してくれ!」
 満面の笑顔の流邂が、炊き出し班のメンバーとともに、様々な料理を抱えて現れ、振る舞うと、
「腹減った……俺、焼きそばと唐揚げと豚汁とおにぎり! あとキムチが食いたい!」
「私も安心したらお腹減っちゃたよ! じゃあじゃあ、私は、うどんに卵を落としたのと、唐揚げとコロッケと豚汁とサンドウィッチがいいな! あと甘いものは必須で!」
 目を輝かせて、食欲魔神・瑠意と、“銀幕市の働かない女王”縁とがいい匂いを漂わせるたくさんの皿に突撃する。
「浅間さん……元気だなぁ……」
 クラスメイトPがそれを笑顔でほのぼのと見つめていた。
 その少し離れた場所で何故か正座させられ、
「いや、だから、心配させたのは悪かったと思ってるって……なぁ、リゲイル?」
「え、あ、うん、そう。……あの……十狼さん、怒ってる?」
「……見てお判りにならないか」
 氷点下の声音に首を竦める刀冴とリゲイル。
 その首根っこを掴み、
「小言は帰ってからにいたしましょう。……覚悟されよ」
 眉間に皺を寄せたまま十狼が歩き出す。
「あー……」
 理晨はそれを見送ってから、煙草を口に咥えたルークレイルの肩を叩いた。
「どうした、理晨」
「ん、や、お疲れさん」
「……ああ」
「本当にお疲れ様、ふたりとも」
 その背後にいつの間にか佇んでいる森の女王。
「ぎゃあ!」
「きゃああああああ! れれれれれれレーギーナ、様ッ!?」
 身も蓋もない悲鳴を上げる理晨と、絹を引き裂く乙女のような悲鳴を上げた挙げ句迫力負けして思わず様づけになるルークレイル、うふふと笑う女王。
 そんな微妙空間の向こう側では、アレグラが、真船とジラルドに挟まれてにこにこしながら生卵を丸呑みしていた。それを嫉妬と羨望の眼差しで見詰めるラーゴつきのカオス空間である。
「……おめー、また無茶したんじゃねぇだろうな」
「あんたに言われたくねぇっつの」
 ジムとレイは、素直になれない者同士、不器用に互いを気遣いつつ、互いの無事をこっそり喜ぶ。

「……よかった」
 それらをぐるりと見遣り、臥竜理音は小さく呟いた。
 『最後の十五分間』を髣髴とさせる事件ばかりが起きる今の銀幕市に、終焉を感じずにはいられない。
 それでも、今この時、この会場を揺るがすのは、紛れもない安堵で、喜びで、友愛だった。
 今ばかりはそれだけでいいのだろうと、理音は思い、かすかに笑った。

 誰もが、この勝利がここにいる全員のものだと理解している。
 喜びと誇らしさを共有し、背中を叩き合い、笑顔で健闘を讃え合う。
 各班の奮闘の甲斐あって、死者はゼロ。
 重傷者も市立病院にて治療を受け、経過は順調だ。
 倒壊した建物は百を超えたが、それもじきに再建され、元通りにされるだろう。

 ――まだ、すべてが完結したわけではない。
 けれどこの勝利は、確かに偉大で、讃えられるべきものだった。

クリエイターコメントご参加、どうもありがとうございました!
【ツァラトゥストラはかく語りき】第三話にして対クロノス最終戦、ハード・サースト・ブレイクダウンをお届けいたします。

たくさんの人たちの、真っ直ぐなプレイングに泣かされながら、楽しく書かせていただきました。

総勢百十八名の皆さんの奮闘と献身で、“業苦の楽土”クロノスが転じた怪物は、見事退治されました。記録者は、皆さんの手腕と銀幕市への強い思いに感嘆し、感謝する次第です。

会議に参加された方々もお疲れ様でした!
皆さんの作戦をすべて拾うことは出来なかったのですが、そして雑談や小ネタを積極的に拾ってしまったような気もするのですが、この会議のお陰で、記録者は大いに張り切ることが出来ました。

どうもありがとうございました。

別次元でクロノスの残滓と対峙した方々のお話は――どうやらこちらも成功したようです――、後日お届けいたしますので、よろしければご覧くださいませ。


それでは、皆さんの友愛、真摯さ、懸命さ、隣人への献身に惜しみない賛辞と感謝を捧げつつ、そして次なるシナリオでまたお会い出来ることを祈りつつ、これにて失礼致します。

最後に。
素晴らしいものを見せて下さって、ありがとうございました!
公開日時2009-03-22(日) 21:50
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